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Twitter https://twitter.com/gashin_shoutan の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

光州の旅[その5] - 5.18民主化運動の史跡めぐり③さらば光州、また来る日まで

前回の続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

農城のホテルに一泊し、迎えた8月27日(土)の朝。曇りですが、幸いにして雨は降っていません。
光州松汀を発つKTXは10時過ぎですので、いつもよりちょっと早起きして、昨日回れなかった5.18民主化運動の史跡を巡ります。

 

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ホテルからも近い、光州地下鉄1号線「農城駅」(농성역)。ここにもちゃんとコインロッカーがあります。ここに荷物を預けて、再び文化殿堂駅へ。ここで注意しなければならないのは、光州地下鉄はこの日(土曜)のような週末だと多い時間帯でも10分に1本(時間あたり6本)の頻度でしか電車が来ないということ。この日のように時間が限られている場合は1本逃しただけでも大きなダメージです。なお、光州地下鉄の時刻表はこちら(日本語サイト)

 

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光州地下鉄1号線「文化殿堂駅」(문화전당역)の入場後の構内には、5.18民主化運動を記憶する場として「文化殿堂駅5.18記念広報館」(문화전당역 5·18기념홍보관)があります。

 

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こちらの地図は、5.18民主化運動を記憶するための団体「5.18記念財団」が光州を訪問する観光客向けに作成したガイドブック『光州の五月を歩く』にて提案するモデルコースのうち、5.18民主化運動の史跡や関連施設を中心とした「五月人権ギル」の全5コースのルートを示したものです。詳しくは本エントリーの最後で説明します。

 

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こちらの木版画風の壁画は、銃を手に取った市民軍の凱旋と、それを歓迎しつつ食料を分け合う光州市民たちの姿を描いたものです。

 

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パンフレットスタンドの上に描かれているこちらの人物は、光州・光川洞を拠点としたトゥルブル(들불:野火)夜学の講学(講師)メンバーであり、民衆抗争においては『闘士会報』制作に加えスポークスマンとして市民軍の先頭に立った尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980)烈士です。1980年5月27日早朝の戒厳軍の全南道庁攻撃に最後まで抗戦し、亡くなっています。

 この「文化殿堂駅5.18記念広報館」は、文化殿堂駅の3・4番出口側の地下3階にあります。地下鉄駅の構内ですので、利用客であれば始発から終電まで無料で観覧可能です。

 

 記念広報館を見回った後、地上へ出ます。

 

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「旧全南道庁」(구 전남도청:史跡5-1号)。金舜河(김순하:キム・スナ、1901-1966)氏の設計により1930年築。登録文化財第16号。1980年5月21日にはこの目前の錦南路で戒厳軍による一斉射撃がなされ500名以上の人々が死傷。怒りが頂点に達した市民は近隣の郡部の軍倉庫から奪った武器を手に武装集団(市民軍)を結成し、一時はこの道庁から戒厳軍を撤退させています。その後数日間は民衆抗争の本部がここに設置され、市民による自治都市としての運営がなされました。しかし5月27日午前4時過ぎには戒厳軍が道庁の建物内に突入し、先ほど紹介した尹祥源烈士を含め、最後まで道庁を守ろうとした市民軍の人々が数多く殺害されました。5.18民主化運動における最後の抗戦地というべき場所です。
518番バスは「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所下車(以下「光州YMCA」まで同じ)。
今回も過去2回の記事同様、5.18民主化運動関連の史跡を示す碑石がある場合はその位置を、ない場合はその史跡自体の位置を添えておきます(KONEST地図)。

旧全南道庁(구 전남도청:史跡5-1号)

 

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この全南道庁では、5.18民主化運動の史跡であることを示すあの丸い碑石を見つけることはできませんでしたが、すぐそばには写真の「5.18民衆抗争通知塔」(5.18민중항쟁알림탑)があります。1997年建立。無数の鉢植えの花で飾られていました。

5.18民衆抗争通知塔(5.18민중항쟁알림탑)

 

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旧全南道庁本館の向かって左側にある「旧全南道庁会議室」。こちらも金舜河氏の設計、1932年築。印象的な正面のガラス窓、これ後から増築したんじゃないんですよ? 保存されている当時の設計図にもちゃんと描かれています。1930年代前半にこのような斬新なデザインの建築が存在したことに驚かされます。

旧全南道庁会議室(구 전라남도회의실)

 

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 「5.18民主広場」(5·18민주광장:史跡5-2号)。全南道庁の正面にあるロータリー広場で、中央には噴水があります(この日は稼働していませんでした)。当時は市民たちが噴水台を演壇代わりに集会を開催し、5月21日の戒厳軍一時撤退以降は決起集会も開催された、その名の通り光州5.18民主化運動を象徴する場所です。先ほど紹介した「文化殿堂駅5.18記念広報館」の最初の写真が、まさにこの広場での集会の様子ですね。

5.18民主広場(5·18민주광장:史跡5-2号)

 

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 この 「5.18民主広場」には、写真の「5.18時計塔」(5·18시계탑)が立っています。1980年の5.18民主化運動当時この広場に立っていたもので、その後「農城広場」(後ほど紹介します)に移転させられたものの、この場所で民衆抗争のすべてを見てきた自由の記念物であり韓国の民主主義の始まりの象徴として、2015年に再び元の位置に戻されました。
この時計塔では毎日午後5時18分になると、10日間の民衆抗争で犠牲となった方々を追慕するため「님을 위한 행진곡」(君のための行進曲)のメロディが流れるとのことです。この歌は先ほど紹介した尹祥源烈士と、その所属したトゥルブル夜学の創立者であり活動中に練炭ガス中毒で亡くなった労働運動家の朴琪順(박기순:パク・キスン、1958-1978)烈士との「魂の結婚式」のために作られたもので、現在では光州5.18民主化運動を象徴する音楽とされています。
なお、先ほど「流れるとのこと」と書いたのは、私自身が実際に耳にしたわけではないからです。次に光州を訪れる際には、その時刻に居合わせたいと思います。

5.18時計塔(5·18시계탑)

 

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旧全南道庁前、5.18民主広場のロータリーから始まる錦南路。1980年5月21日13時、この場所で軍の一斉射撃により多数の市民が虐殺されました。

 

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「尚武館」(상무관:史跡5-3号)。旧全南道庁の向かいにある建物で、民衆抗争当時は犠牲者の遺体安置所として使用されました。それらの遺体は5月27日の道庁陥落後、清掃車(!)に乗せられて望月洞の「5.18旧墓地」(こちらのエントリーで紹介)まで移送されてゆきました。残念ながら展示準備中とのことで近くには立ち寄れず、碑石もカバーで覆われていました。

尚武館(상무관:史跡5-3号)

 

 

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「光州YMCA」(광주YMCA:史跡5-4号)。民衆抗争当時には抗争指導部による自主屋内集会が開催された場所です。市民軍の銃器訓練の場としても使用されました。ここには碑石がなく、代わりに史跡であることを示す銅板が柱に埋め込まれています。
「国立5.18民主墓地」方面行きの518番バスが停車する「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所は、この建物の目の前です。

光州YMCA(광주YMCA:史跡5-4号)

 

錦南路一帯の5.18民主化運動史跡はひと通り巡りましたので、次の史跡へ移動します。とはいえKTXの発車時刻も迫っていますので、せいぜいあと1件がいいところでしょうか。冒頭でも述べたように地下鉄は10分に1本しか来ませんので、「国立アジア文化殿堂」停留所で目的地近くを通るバスを見つけ、移動します。

 

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「ペゴップンタリ」(배고픈다리:史跡13号)。直訳すると「腹ペコ橋」という意味で、かつて橋の真ん中が凹んでいたことから自然とついた名前だとされています(したがって碑石の英文名も「Hungry Bridge」)。正式名称は写真2枚目にもあるように「ホンニム橋」(홍림교)。戒厳軍が郊外に一時撤退した後、光州市街地を防御するための市民軍のバリケードが設置された場所です。実は錦南路から地下鉄で2駅離れた「鶴洞・証心寺入口駅」(학동.증심사입구역)よりさらに徒歩10分くらいの場所にある史跡なのですが、その独特の名前に惹かれて優先的に来てしまいました。
518番バスはここを通りませんが、先の「光州YMCA」の正面にある「国立アジア文化殿堂」停留所からであれば「첨단09」番や「수완12」番などのバスに乗車し「ホンニム橋」(홍림교)停留所下車、すぐそば。

ペゴップンタリ(배고픈다리:史跡13号)

 

ここでタイムアップ。荷物を預けてきた農城駅へ戻ります。しかしその農城にもまた、史跡があるのです。

 

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「農城広場激戦地」(농성광장격전지:史跡16号)。地下鉄1号線「農城駅」1番出口を出てすぐ目の前の公園です。1980年5月22日には戒厳軍がこの近隣の住宅地を無差別銃撃し、多くの市民が犠牲となりました。また5月26日には市民収拾委員が裸で地面に寝そべり戒厳軍に抵抗する「死の行進」を実行した場所でもあります。
518番バスはここを通りません。

農城広場激戦地(농성광장격전지:史跡16号)

 

時間がないのでタクシーで光州松汀駅へ移動、KTXに乗車し、光州の街を後にします。今回の光州での滞在時間は睡眠時間を含め24時間と少しでしたが、あっという間でした。光州広域市内に全29か所ある5.18民主化運動の史跡のうち、今回の旅で回れたのは16か所。残る13か所の史跡、あるいは「5.18自由公園」や「光川洞」などといった関連スポットにまで足を運ぶことは今回はかないませんでしたが、近いうちに必ずやこの光州を再び訪れ、10日間の民衆抗争を記憶するこれらスポットを踏破するつもりです。これは自分自身への新たな誓いです。

 

最後に。
今回の5.18民主化運動の史跡巡りに際しては、「5.18記念財団」の運営するサイト「五月ギル」(오월길)の情報を大いに参考としました。こちらのサイトでは光州市内に点在する5.18民主化運動の史跡や関連施設、その他観光スポットを巡る複数のモデルコースを提案しています。今回私がたどったルートの一部(全南大学校正門~光州駅広場~市外バスターミナル旧跡~5.18最初発砲地~錦南路~旧全南道庁)は、5.18民主化運動中心の「五月人権ギル」(오월인권길)カテゴリの中でも主要どころの史跡を巡る「フェップル(たいまつ)コース」(횃불코스)に近いものです。
こちらのページでは、全コースの地図と各スポットを写真入りで詳しく紹介したガイドブック『光州の五月を歩く』(광주의 오월을 걷다)が無料ダウンロードできます。韓国語が読める方であれば、5.18民主化運動の足跡を追う際の心強いガイドとなることでしょう。

 

こうしたモデルコースにの提案にとどまらず、今回私も巡った国立5.18民主墓地内の「追慕館」や錦南路の「光州広域市5・18民主化運動記録館」など数々の展示施設、民衆抗争当時をいまに伝える史跡の保全とその事実を示す碑石の設置、そしてネット上の無数のアーカイブなど、光州5.18民主化運動の記憶をとどめるための活動が光州広域市や5.18記念財団を中心になされています。こうした取り組みの中、2011年には5.18民主化運動に関する記録物がユネスコの世界記憶遺産にも登載されました。
自国の軍隊が市民に暴虐の限りを尽くし、死に至らしめるという負の歴史をも記憶にとどめようとする韓国社会。学ぶべきものがあまりにもたくさんあります。関東大震災直後の朝鮮人虐殺までもが教科書から消されようとしている社会の構成員であるだけに、なおさらです。


光州の旅は今回で終わりです。
次回からは、この旅での次の目的地である江原道春川市の旅を紹介いたします。

 

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【おまけ】
湖南線KTXで龍山まで向かう途中、「五松駅」(오송역)を通過してすぐの場所にある車両基地(?)のような場所に、韓国の高速鉄道試験車である「HEMU-430X」が停車していました。残念ながら精悍なデザインの先頭車は見えませんでしたが、特徴的なスナックカーの上下2段の窓は写真に収めることができました。

 

光州の旅[その4] - 5.18民主化運動の史跡めぐり②、そして光州名物オリタン

前回の更新から少し間が開いてしまいましたが、その間の9月30日から10月2日にかけて、大邱へ行ってまいりました。
大邱は見どころも多々ありますが、なんといっても最大の名物(だと私が思うの)は「大邱十味」に代表されるうんまい料理の数々。もちろん今回しっかりと堪能してまいりました。
現在進めている8月の旅レポが終わりましたら、この大邱の旅を紹介したいと思います。

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さてさてそれでは光州に戻って、前回の続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

大仁市場を過ぎてまた少し歩き、いよいよやってきた錦南路(クムナムノ)。

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「錦南路一帯」( 금남로일대:史跡4号)。光州一の繁華街である忠壮路(충장로:チュンジャンノ)と隣接し人通りも多いこの道路は、戒厳軍による暴虐の現場やその後の市民たちによるデモの舞台となった道であり、その足の当たるところのすべてが5.18民主化運動の現場というべき場所です。そして1980年5月21日13時には、韓国国歌「愛国歌」(애국가)の流れる中を戒厳軍による一斉射撃がなされ、多数の死傷者が発生した場所でもあります。
518番バスは「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所下車。

錦南路一帯( 금남로일대:史跡4号)


写真の碑石のある建物は、かつては「カトリックセンター」と呼ばれ、5月18日午前に戒厳軍により学内から追われた数百名の全南大学校生が移動しデモを実行した場所でしたが、昨年(2015年)5月に改装され「光州広域市5・18民主化運動記録館」(광주광역시 5 · 18 민주화운동기록관)としてオープンしました。建物のうち1階から3階までが記録館となっており、1階から順に「抗争」「記録」そして「世界人権記録遺産」の順に構成されております。
ここもまた国立5.18民主墓地の「追慕館」と同様、実際に訪問してその目でご覧いただきたい場所なので詳しい紹介は避けますが、数ある展示物の中から特に印象に残ったものを数点紹介してまいります。

 

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光州駅広場で発見された2名の遺体をこの錦南路まで移送したリヤカー。実物ではないかもしれません。1階。

 

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前々回も紹介した、光州のトゥルブル(들불:野火)夜学のメンバーを中心に発行され、抗争期間中には陸の孤島となった光州で市民の新聞代わりとなった『闘士会報』(투사회보)の説明板と、いわゆる「ガリ版刷り」による製作風景の再現。説明板にはこの後訪問する「光州YWCA(旧跡)」と「緑豆書店(旧跡)」についての言及もありました。1階。

 

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5月21日13時過ぎに全南道庁前の錦南路にてなされた戒厳軍による市民への一斉射撃の直後、犠牲者や避難者たちの靴がアスファルトの路上に散乱する様子の再現。上がガラス張りになっており、歩いて渡れるようになっています。個人的に最も強く印象に残った展示物です。1階。

 

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1階には10日間の抗争期間中の出来事が壁面のパネルで時系列に紹介されていますが、その中でこちらは「5月21日」の部分。戒厳軍による集団発砲の死者が54名、これらを含む死傷者が500名あまりとあります。

 

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1980年6月2日付『全南毎日新聞』の検閲前と検閲後の紙面。検閲前の紙面には無数の赤入れがなされています。金準泰(김준태)詩人による詩のタイトル「아아, 光州여 우리나라의 十字架여!」(ああ、光州よ 我が国の十字架よ!)は後半がざっくり削られ、その下にある詩本文も半分以下に削られています。これらを並べることで、検閲という行為の罪深さが痛いほどよく理解できます。2階。

 

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記録館の窓口の方に聞かれ、日本から来た旨を伝えると、全166ページにも及ぶこのような本を頂戴しました。5.18民主化運動前夜から抗争期間中、そして現在に至るまでの出来事が精細に記載されています。訪問された方はぜひ手にしていただきたい一冊です。
光州広域市5・18民主化運動記録館」は入場無料、開館時間は9:00~18:00。毎週月曜日と元日、名節(旧正月・秋夕)は閉館です。ぜひ訪れてみてください。

光州広域市5・18民主化運動記録館(광주광역시 5 · 18 민주화운동기록관)

 

閉館ぎりぎりの18時まで記録館を観覧し、再び外へ。雨は依然として降り続けています。夕闇が迫っているので歩みを続けます。

 

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「光州MBC旧跡」(광주MBC옛터:史跡7号)。1980年の抗争当時、KBSと並ぶ2大放送局であったMBC文化放送)の系列局である「光州MBC」があった場所です。軍部の検閲のため戒厳軍の蛮行については一切触れず、政府発表ばかりを報道し続けた姿勢に激高した光州市民により1980年5月20日の夜に放火され、全焼しました。翌21日には別の場所にあるKBSの建物も放火されています。ここの碑石は「瑞元門の提灯」というアート作品と一体化していました。
518番バスは「全南女高」(전남여고)停留所下車。
光州MBC旧跡(광주MBC옛터:史跡7号)

 

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「緑豆書店旧跡」(녹두서점옛터:史跡8号)。維新体制下における民主青年学生たちの討論の場であり、1980年5月17日の深夜に全国の民主人士多数が予備検束された際には光州の青年学生たちが集結し垂れ幕や檄文を制作したところです。そして先にも紹介した、戒厳軍により封鎖された光州の街で市民の新聞代わりとなった『闘士会報』の発行に大きな役割を果たした場所でもあります。
518番バスは「全南女高」(전남여고)停留所下車。

緑豆書店旧跡(녹두서점옛터:史跡8号)

 

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「光州YWCA旧跡」(광주YWCA옛터:史跡6号)。光州における女性運動の拠点であり、抗争期間中は対策会議が頻繁に開催された場所です。5月27日早朝の戒厳軍による全南道庁への最後の攻勢ではここもターゲットになり、多くの犠牲者が発生しています。またこの近くには、団員のほぼ全員が民衆抗争に参加した劇団「トバギ」の当時の本拠地であり、現在も5.18民主化運動関連の演劇などを上演する「ミンドゥレ小劇場」(민들레소극장)もあります。
518番バスは「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所下車。

光州YWCA旧跡(광주YWCA옛터:史跡6号)

 

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ここまで来れば錦南路界隈の史跡の中でも残る「5.18民主広場」や「旧全羅南道庁」などは目と鼻の先ですが、雨足は依然強い中いよいよ暗くなってきたうえ、夕食の店の閉店時間が迫っていることもあり、この日(8月26日)の史跡めぐりはここで断念することとしました。雨に煙る旧全羅南道庁を横目に、最寄駅である「文化殿堂駅」(문화전당역)から地下鉄1号線に乗って、「農城駅」(농성역)へ移動します。

 

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お待ちかねの夕食は農城駅から徒歩数分、ある方に教えていただいた「マンミジョン」(맛미정)にて、光州の名物料理「オリタン」(오리탕)のパンマリ(半羽)を。25,000ウォン(約2,300円:当時)。「オリ」とは鴨のこと。写真3枚目の山盛りのニラとセリを少しずつ足しながら食べてゆきます。酢コチュジャンにトゥルケ(すりエゴマ)を混ぜたものをつけて食べるという、いままで見たことのないスタイル。そしてオリタンそのものも、いままで体験したことのない味。これは、うんまい!
実はこのパンマリを注文するにあたり、お店の方から「とても食べきれないから1人用の『トゥッペギ』(7,000ウォン)を注文するといいよ」と何度もすすめられたのですが、そうしたことは何度も経験しているのでここは迷わずパンマリをオーダー。しかしなかなかの量で、お酒が入ると底なしになってしまう(^_^;)私の胃袋でも満足するほどの分量でした。
この店については、私に教えてくださったビョンさんのブログでも詳しく紹介されています。ぜひご一読のほど。営業時間は11:00~21:00(NAVERなどでは21:30閉店となっていますが私が行った際には21:00閉店とのことでした)。

マンミジョン(맛미정)


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光州を含む全羅南道の地ソジュ「イプセジュ」(잎새주)。オリタンによく合います。

 

次回は光州の最終回。この日訪問できなかった錦南路周辺の「5.18民主化運動」史跡などについて紹介します。

 

光州の旅[その3] - 5.18民主化運動の史跡めぐり①

前回(下記)からの続きです。

 gashin-shoutan.hatenablog.com

国立5.18民主化墓地を出て、隣接する「5.18旧墓地」(5•18구묘지)へ。

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1枚目の写真にもあるように、この「5.18旧墓地」は所在地の地名をとって「望月洞(망월동)墓地」と呼ばれることもあります。1980年5月18日より同月27日までの10日間にわたって繰り広げられた「5.18民主化運動」(あるいは「光州民衆抗争」)での犠牲者が最初に埋葬された場所。現在も数多くの犠牲者たちがここに眠っています。
一般に韓国のお墓は日本のような大きな墓石がなく、盛り土だけだったり、あるいは写真2枚目のように盛り土に加え小さな墓石が建てられているものが多いようです。

 

ところで、1枚目の写真の後方にある丸っこい碑石、何かお分かりでしょうか。

 

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これは光州の「光」の字を象ったもので、光州市が定めた5.18民主化運動の「史跡」であることを示す碑石です。はめ込まれたプレートには、史跡の名称と説明文が韓国語・英語でそれぞれ記載されています。この「史跡」は現時点で1号(全南大学校正門)から26号(505保安部隊旧跡)までの全29か所あり(5号のみ4か所)、そのほとんどにこの碑石が添えられています。この「5.18旧墓地」は史跡24号にあたります。
各碑石の具体的な位置については、事前にDaumやNAVERの地図サービスで調べました。せっかくですので、これから訪問をお考えの方のために、史跡を紹介するごとに碑石の位置を添えておきます(KONEST地図)。

5.18旧墓地(5•18구묘지:史跡24号)

 

今日(8月26日)はこれから時間の許す限り、この碑石を目印に、光州市内の5.18民主化運動の史跡を巡ることとします。

 

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「5.18旧墓地」を出てバス停方面へ向かうと、すぐにこの建物があります。「5.18精神継承 民族民主烈士遺影奉安所」(5·18 정신계승 민족민주열사 유영봉안소)。その名の通り、民衆抗争にて亡くなった方々の遺影を陳列し追悼するとともに、その崇高な精神を受け継ぐための場所です。入場無料。

 

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このすぐ近くにある「公園墓地」(공원묘지)停留所から、前回ご紹介した「518」番バスに乗って市街地方面へと向かいます。
なお、この写真のバス停は市街地とは反対方向ですのでご注意ください(市街地方向のバス停は見つけきれませんでした)。

 

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518番バスを「農産物公販場」(농산물공판장)停留所にて下車してすぐの場所にある、「光州矯導所」(광주교도소:史跡22号)。「矯導所」とは刑務所のこと。国立5.18民主墓地から市街地へ向かう道沿いの、石材屋さんの一角にあります。民衆抗争当時はここに戒厳軍が駐留し、市外へ出ようとする人や車に無差別銃撃を加えました。また、戒厳軍に捕らえられた市民が連行され、拷問を加えられた場所でもあります。

光州矯導所(광주교도소:史跡22号)

 

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ここからまた市街地方面行きの518番バスに乗り、今度は「全南大」(전남대)停留所で下車。その名が示す通り、少し歩くと「全南大学校正門」(전남대학교 정문:史跡1号)です。1980年5月18日午前0時をもって施行された非常戒厳の全国拡大を受けて同大学に進駐した軍による学生への無差別暴行、また同日10時には学生デモと軍との最初の衝突が起きた場所であり、その意味で5.18民主化運動のスタート地、史跡1号にふさわしい場所だといえます。

全南大学校正門(전남대학교 정문:史跡1号)

 

若干強くなり始めた雨の中、ここからは歩いて史跡を巡ります。

 

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「光州駅広場」(광주역광장:史跡2号)。1980年5月20日の夜、光州駅に駐留していた戒厳軍が非武装の市民に向けて発砲し、多数の死傷者が出た場所です。このとき殺害された2名の遺体がリヤカーで市中心部の錦南路へ移送されたことで光州市民の怒りが爆発、民衆抗争が頂点に達しました。
518番バスは国立5.18民主墓地方面行きだと「光州駅」(광주역)停留所、市街地方面行きだと「光州駅(東)」(광주역(동))停留所下車。

光州駅広場(광주역광장:史跡2号)

 

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「旧市外バス共用ターミナル一帯」(구 시외버스공용터미널일대:史跡3号)。1980年5月19日、ここで実行された市民のデモに戒厳軍が乱入し、流血の惨事となりました。ターミナル(写真3枚目)は現存せず、現在その跡地には光州銀行本店やロッテ百貨店が建っています。一方、同様に虐殺の現場となった地下道(4枚目)は現存しています。
518番バスはここを通りません。

旧市外バス共用ターミナル一帯(구 시외버스공용터미널일대:史跡3号)

 

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 「5.18最初発砲地-光州高校前」(5•18최초발포지-광주고교앞:史跡21号)。「統一会館」(통일회관)というビルの前にあります。1980年5月19日、一連の民衆抗争において戒厳軍が初めて市民に向けて発砲した場所。これにより朝鮮大学校附属高校の生徒が重症を負っています。なお、史跡名は「光州高校前」とありますが、次に紹介する光州高等学校の正門とは少し離れています。
518番バスは「光州高」(광주고)停留所下車。

5.18最初発砲地-光州高校前(5•18최초발포지-광주고교앞:史跡21号)

 

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光州高等学校の正門横にある「光州4.19民主革命発祥地」(광주4.19민주혁명 발상지)。ここは5.18民主化運動の史跡ではなく、李承晩大統領の辞任へと至る4.19民主革命の学生デモが1960年4月19日に実行された場所です。
光州市には518番バスのほか、この4.19民主革命にちなんだ路線番号「419」のバスも存在しています。路線図はこちら。もちろんこの地も通ります。419番・518番ともに「光州高」(광주고)停留所下車。

光州4.19民主革命発祥地(광주4.19민주혁명 발상지)

 

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ここからはいよいよ、民衆抗争の中心地であった錦南路へ向かいますが、その途中に光州でも有数の在来市場「大仁市場」(대인시장)が。
ここは芸術の街を志向する光州らしく、市場内に芸術家たちへの生活の場を提供することで共生と発展を図ろうという、韓国の在来市場でも異色の存在であり、また最近では土曜日の19:00~24:00に夜市場(야시장)も開催されています。
大好きな韓国の在来市場の雰囲気に思わず足がフラフラと誘惑されかけますが、今回は5.18民主化運動の足跡を追うことが優先です。がまんがまん。またいつか訪れることとしましょう。

 

次回は、錦南路周辺に位置する「5.18民主化運動」史跡について紹介します。
そして、お待ちかね(?)の夕食も紹介できそうです。

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