かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

太白の旅[その5] - ソウルを貫く漢江の源流に慰霊塔、往時の石炭産業全盛期を記憶し保存する「鉄岩炭鉱歴史村」

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

f:id:gashin_shoutan:20170227220628j:plain日付は変わって1月23日 (月)。
この日はまる一日かけて、太白市内のみどころをめぐる予定です。なのでちょっと早起き。
まだ日の出前の午前7時、空にはぽっかりお月様。正面に見える山はちょうど太白市の真ん中に位置する、蓮花山(ヨンファサン:1,172m)。この山の地中深くにはKorail嶺東線のループトンネル(ソラントンネル)が一周しています。

 

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外は昨夜に輪をかけて寒いです。太白駅前にある温度計は、なんとマイナス15~16℃。そりゃ寒いよ。

 

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太白駅前に24時間営業の食堂を見つけて、まずは腹ごしらえ。注文したのは写真のテジクッパ。おいしかったです。

 

この日最初の目的地は、太白駅から北東の方角、金台峰(クムデボン: 1,418m)の山裾にある「倹龍沼」(검룡소:コムニョンソ)。この倹龍沼こそが、大都市ソウルを東西に貫流しはるか西海(黄海)へと注ぐ、あの漢江の発源地なのです。
ここ太白市には倹龍沼に加え、前回のエントリーでも紹介したように遠く釜山へと流れる洛東江の発源地である「黄池ヨンモッ」も存在します。つまり韓国を代表する2大河川の発源地をともに擁するわけですね。なんと贅沢な。

さて問題は、ここへ行く手段が限られていること。
倹龍沼の1.5km手前にある駐車場までは太白市外バスターミナルから市内バス(13番)が出ていますが、何故か早朝6時台の1本のみ。しかも駐車場発の帰りの便は17時台までないため、もっと早く戻るには次に近い「アン蒼竹入口」バス停まで5km以上も歩かなければなりません。
そんなわけで今回の手段は往復ともタクシーに決定。とはいえ山の中の駐車場で帰りのタクシーを拾えるはずがないので、徒歩で倹龍沼へ行って帰る間は駐車場で待機してもらうこととします。そこでまずは駅前に停まっているタクシーの運転手さんと値段交渉。なんとか3台目で、妥当だと思える往復3万ウォン(約3,000円)でOKのキサニム(韓国での運転手さんの敬称)に出会いました。

 

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倹龍沼駐車場。路線バスを含む車両の乗り入れはここまでです。

 

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駐車場から倹龍沼へ向かう渓谷道。予想はしていましたが大雪渓です。
深い山の中であるうえ、ただでさえ標高の高い市街地(海抜680m前後)からさらに200mほど高い場所にあるからか、市街地よりさらに寒い。当日はダウン2枚を含む5枚の重ね着のうえ歩き通しだったので体はどうにか温かいものの、むき出しの顔が痛い。手袋も二重でないとすぐに感覚がなくなるという。おそらくマイナス20℃前後だったのではないでしょうか。バッグの中のペットボトルのホッケ茶も部分的に凍ってました。

 

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そんな中を20分程度歩いて、ようやく目的地の倹龍沼に到着。

 

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倹龍沼。1日あたり2,000トンの伏流水が湧く泉です。全長514kmもの大河、漢江はここから始まります。

 

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倹龍沼から湧き出た水流はすぐに小さな滝を形成し、その下で折れ曲がっています。この水流沿いにある侵食された岩の数々は、遠い昔に西海に棲息する大蛇が龍になろうとして漢江を遡り、ようやく到着したこの場所で龍になるための修行の中もがいた結果生まれた、という伝説があるとのこと。韓国の名勝73号にも指定されています。

 

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環境保全のため、倹龍沼から湧き出る水に直接触れることはできません。すぐそばに木製のデッキが設けられ、ここから全体が眺められます。

倹龍沼(검룡소:江原道太白市蒼竹洞山1-1。名勝73号)

 

f:id:gashin_shoutan:20170227221215j:plain荒涼とした冬の山。1948年の麗順事件直後から朝鮮戦争期まで、深い山の中を根城に抗戦したパルチザンたちも、冬はこのような山々を歩いていたのでしょうか。

 

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凍結した路面のため転んだりしながら、再び雪道を20分かけて駐車場へ。遠くに見える風車は梅峰山(メボンサン)風力発電団地。絵になります。

この倹龍沼、実は太白駅前から発着する1日1便のシティツアーバスのコースに含まれており、こちらを利用すればタクシーよりもずっと安く(約600円)訪問することが可能です。ただし予約状況次第では催行中止となる可能性があったことと、コース外でどうしても訪問したかった場所があったため、今回は断念しました。
駐車場で待機してもらったタクシーで再び市街地へ。太白駅前を出て以来タクシーのメーターはずっと動いており、自由市場の入口で降車したときの金額はだいたい3万ウォン台後半くらい。3万ウォンで合意したのはまあ正解だったといえるでしょう。

 

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前日の夜にも訪れた、太白随一の在来市場、自由市場。海鮮市場は早くも活気にあふれています。

 

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自由市場のすぐそばを流れる黄池川べりの柵に、ホンオ(ガンギエイ)の一夜干しが。遠くから見たときは、なにかのオブジェかと思いました。

 

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自由市場から歩いて10分弱、黄池川にかかる橋を渡った先の小高い丘の上に、写真の塔が建っています。
この塔こそが、かつて太白の発展の原動力であった石炭産業の最前線たる炭鉱において、落盤や粉塵爆発などの事故により殉職した鉱山労働者「産業戦士」を慰霊するために建てられた「産業戦士慰霊塔」(산업전사위령탑)です。
高さ17m、1975年建立。塔銘の揮毫は、その4年後に暗殺された朴正煕元大統領によるものです。

 

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塔の裏手には、太白を含む江原地域で殉職した4,000位あまりの産業戦士たちの位牌を納める「位牌安置所」があります。

 

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毎年10月2日には、塔の広場で慰霊祭が開催されます。この前日に訪れた「太白石炭博物館」に、その様子を再現したジオラマがありました。

 

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塔は当時の三陟郡黄池邑、現在の太白市黄池洞の市街地を見下ろす丘の上に建てられました。反対に市街地側からもこの塔がよく見えます。炭鉱の閉山により人口が最盛期の半分以下にまで減少しつつも、繁栄を維持し続ける太白の街を見守るかのようです。

産業戦士慰霊塔(산업전사위령탑:江原道太白市江原南部路13(黄池洞3-3))

 

産業戦士慰霊塔から近い「パラムブリ」バス停より、4番の市内バスに乗車。この日はこれから、市内を時計回りに走る4番バスの路線に沿って点在する太白のみどころを巡る旅となります。
末尾5の日に開かれる「桶里五日市」や、前日にタッカルグクスを食べた「ハン書房カルグクス」の最寄りでもある「桶里」バス停を通り過ぎ、鉄岩(チョラム)洞の「鉄岩市場」バス停にて下車。ここにあるのが「鉄岩炭鉱歴史村」(철암탄광역사촌)です。

 

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1960-80年代の石炭産業が栄華を極めた時期に発展し、最盛期には鉄岩地区だけで5万人もの人ロを誇りながらも、90年代以降の相次ぐ閉山により寂れてしまった鉄岩駅前の商店街。建物の外見はその往年の姿を残しつつ、空き家となった内部には炭鉱村・鉄岩の歴史を記憶するギャラリーを設置し、2014年に再オープンした場所です。

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炭鉱で使用されていたであろうトロッコを「鉄岩炭鉱歴史村」の看板にそのまま再利用。

 

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かつて炭鉱労働者たちで賑わった当時の哀歓が漂う、店先の風景。たまらないです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170227223139j:plainある建物の内部。外見からは想像もつかない、映像コンテンツを上映する空間もありました。

 

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 ある建物の内部。殉職した鉱夫たちの名前を刻み、記憶するためのモニュメント。

 

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ある建物の内部。炭鉱住宅や、鉱夫たちの日常風景が実物大で再現されています。

 

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一部の建物は、かつての居住空間だった店舗の裏側や階下の空き部屋が開放されています。ところどころ鉄パイプで補強されています。

 

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11棟が現在も残る鉄岩炭鉱歴史村の建物の特徴は、裏を流れる鉄岩川の上に張り出した「カチバル建物」であること。全国各地から高待遇の鉱夫の職を求める人々が集まり、急増する人口に対し不足していた居住面積を補うため、このようなカチバル(까치발:カササギ(鳥)の足の意。ここでは建物を支えるブラケットのこと) で支えられる特異な建築様式になったとのことです。

 

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鉄岩川を挟んだ「カチバル建物」の撮影ポイントには数体の鉱夫たちの像が。そのうちひとつ、赤ちゃんをおぶって手を振る川向こうの奥さん(の像)に右手を上げて応える鉱夫の像。左手には弁当箱を提げています。「マクチャン」と呼ばれた坑道での過酷な労働と、炭鉱住宅での家族との暮らしという鉱夫の2つの日常をつなぐ象徴的なアイテムとして、太白ではこの「弁当箱」をよく目にします。

写真はありませんが、この鉄岩炭鉱歴史村には現在も営業している飲食店が2店舗ほどあり、そのうちひとつでは5,000ウォン(約500円)のランチビュッフェを提供。この日の昼食となりました。
すぐ近くには、「迷路壁画マウル」(미로벽화마을)と呼ばれる小さな壁画村もあります。今回は行きませんでしたが(忘れてました(^_^;)、いつか鉄岩炭鉱歴史村の再訪がかなうならば、あわせて訪れたいものです。

鉄岩炭鉱歴史村(철암탄광역사촌:江原道太白市東太白路402~同414-1(鉄岩洞403-59~同366-20)一帯)

 

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鉄岩炭鉱歴史村のある建物の屋上には、Korail嶺東線・鉄岩駅に併設された「鉄岩駅頭選炭施設」(철암역두선탄시설)を一望できる展望台が設けられています。
この「鉄岩駅頭選炭施設」は、日帝強占期の1935年に開発が始まった三陟炭鉱で採掘された無煙炭を用途ごとに選別・加工し、列車で運搬するための施設として設置されたもので、三陟炭鉱をはじめ江原地域で産出した石炭がここに集められ全国各地へと輸送されてゆきました。現在も江原道にはわずかながら採掘が続いている炭鉱があり、ここもまた現在も稼動しているため立ち入ることはできませんが、鉄岩炭鉱歴史村の展望台からはその全容を眺めることができます。2002年、登録文化財第21号に指定。

鉄岩駅頭選炭施設(철암역두선탄시설:江原道太白市東太白路389(鉄岩洞370-1)。登録文化財第21号)

 

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Korail鉄岩駅にも立ち寄ってみました。1940年8月開業。現在の市の代表駅である太白駅よりも立派な駅舎ですが階上に商業施設はありません。1985年に落成したこの堂々たる駅ビルが、往時の鉄岩の繁栄ぶりを物語っています。 

 

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広々とした待合室。石炭産業で発展した街の玄関であり、いまも選炭施設を擁する駅らしく、室内には大きな石炭のかたまりが展示されています。残念ながらコインロッカーはありませんでした。

 

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この鉄岩駅からは、中部内陸循環列車「O-Train」(ソウル行)と白頭大幹峡谷列車「V-Train」(汾川行)が発着しています。乗降客減により一時は乗車券の窓口販売が休止された同駅ですが、これらの観光列車が運行をスタートした2013年に再開されています。

 

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鉄岩駅とその周辺は映画『인정사정 볼 것 없다』(邦題『NOWHERE ノーウェアー』)のロケ地となった場所であり、中でもアン・ソンギ、パク・チュンフンの両氏が雨の中を殴り合ったシーンの撮影地として知られているようです。

 

駅前にある「鉄岩駅」バス停から再び4番バスに乗り、次の目的地へと向かいます。
続きは次のエントリーにて。

太白の旅[その4] - 夜の雪祭りと洛東江の発源地、そして太白といえばあのうんまい鶏料理

まず本題に先立ち、前回のエントリーにおいて 「太白石炭博物館」へのアクセスに関する説明を失念しておりましたので、本エントリー公開とあわせて追記しております。ご訪問に際しての参考になるようであれば幸いです。

 

それでは、前回のエントリーの続きです。

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閉館時刻の18時を過ぎ太白石炭博物館から出ると、あたりはすっかり暗くなっています。そして驚いたことに、入館した時点ではあれほど賑わっていた雪祭り会場に人がほとんどいません。どうやら中心部・黄池洞へ向かう無料シャトルバスの最終便が18時に出発した後らしく、祭りは終わってしまったようです。
テントの中にあり、来たときは多くの来客でごった返していた飲食店舗もすべて閉まっています。過去に春川や筏橋などで参加した祭りのように、会場内の飲食店は深夜まで営業するものと思っていたので、ちょっと拍子抜け……まあこちらは市街地から離れた会場なので仕方ないかもです。

 

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祭りは終わったとはいえ、雪像群は七色の光でライトアップされているので、次の市内バスが来るまでしばし鑑賞。幻想的な趣がありますね。他方で重機による雪像の撤去(破壊)作業はすでに始まっており、祭りの後のさみしさをかみしめつつ。

 

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往路と同じ7番の市内バスに乗り、終点・太白市外バスターミナルの3つ手前の「自由市場」(자유시장)バス停で下車。ここはその名の示す通り、太白随一の在来市場である「自由市場」(자유시장:チャユシジャン)のそばであるほか、韓国を代表する大河のひとつ洛東江(낙동강:ナクトンガン)の発源地である池「黄池ヨンモッ」(황지연못)の最寄りのバス停でもあります。この黄池ヨンモッから1日約5,000トンもの水が湧き出し、遠く1,300里(約520㎞。韓国の1里は約400m)離れた釜山へと流れているのです。

黄池ヨンモッ(황지연못:江原道太白市黄池洞623)

 

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この黄池ヨンモッを取り囲む公園も「太白山雪祭り」のサブ会場であり、公園全体がイルミネーションで美しく飾られています。

 

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メイン会場のタンゴル広場より少ないとはいえ、ここ黄池ヨンモッにも十数体の雪像が設置されています。石炭産業で栄えた太白らしく、鉱夫をモチーフにした雪像もありました。

 

イルミネーションで心を満たした後は、いよいよお腹を満たす番です。
太白での夕食といえば、やはりこの地を代表する郷土料理であり、私も大好きな「太白タッカルビ」。同じ江原道でも春川市の名物であり、日本で一般にタッカルビと呼ばれる炒め料理の「春川タッカルビ」(こちらも大好き)とは全く異なる、スープで煮立てる料理であり、韓国では「ムル(水、汁)タッカルビ」とも呼ばれています。
一説によると、過酷な環境下での労働のため喉に炭塵がこびりついた鉱夫が飲み込みやすいよう、春川とは異なるスープベースの料理として発展したものだということのようです。

 

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今回は黄池ヨンモッから徒歩3~4分程度の場所にあり、本場の太白でも2大名店のひとつに数えられる「金書房(キムソバン)ネタッカルビ」(김서방네닭갈비)へ。

 

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主役の鶏肉に加え、スッカッ(シュンギク)とミナリ(セリ)、白菜、長ネギ、ジャガイモ、そしてトックが入ります。太白タッカルビのもうひとつの特徴は、ウドンやラミョン(ラーメン)、チョルミョンなどのサリ(麺)を最初から投入し、鶏肉より先に食べること。どのサリにするか注文時に聞かれるので最初はちょっと焦りました。こちらも一説では、坑道での重労働でお腹をすかせた鉱夫たちが、肉に火が通るのを待たずしてお腹を満たせるよう、このスタイルになったとされています。私はウドンサリを選択。

 

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そしてお待ちかねの実食。昨春の訪問の際に食べた別の店のタッカルビよりも辛めですが、コクのある味で、うんまい。

もちろん具をあらかた食べた後にはご飯を投入し、締めのポックンパ。これまたうんまい。

 

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加えて、タッカルビ1人分で6,000ウォンというリーズナブルさもたまりません。タッカルビ2人分&ウドンサリ&ポックンパ&ビール3本で、24,000ウォン(約2,400円)でした。心もお腹も懐もぽかぽか。

「金書房ネタッカルビ」の営業時間は11:00~22:00(ラストオーダー20:30)、定休日なし(名節(旧正月、秋夕)は休業かも)。太白駅や太白市外バスターミナルからは徒歩12~3分の距離ですので、歩いたほうが早いです。

金書房ネタッカルビ(김서방네닭갈비:江原道太白市市場南1ギル7-11(黄池洞30-171))

 

余談ですが 、偶然にもこちらの「金書房ネタッカルビ」と、タッカルグクスがおいしかったこの日の昼食の「ハン書房カルグクス」は、ともに「書房」(ソバン:서방)という語が店名に含まれています。この「書房」とは日本でいう本屋さんの意味ではなく、かつて朝鮮で官職のない人や婿などを呼ぶ際に姓の後につけた語だそうです。したがって「金書房ネタッカルビ」は「金さんちのタッカルビ」くらいの解釈でよいみたいですね。

 

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帰り道。私も愛用している「モンベル」のショップがここ太白にもありました。このほかにもアウトドア用品の店がメインストリートの黄池路沿いに軒を連ねています。人口こそ5万人足らずの街ですが、太白山に代表される1,000m級の山々に囲まれ、登山の拠点となる土地だからこそ成り立っているのかもしれません。

 

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先ほどの自由市場にも寄ってみました。さすがに20時過ぎなのでほとんどの店は閉まっていますが、いくつかのお店はまだまだ営業中。韓国の在来市場大好き。

 

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帰りがけの道すがらにあった「黄池教会」。ここもイルミネーションがきれいです。

 

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いよいよ冷え込んできた夜の太白の街を歩いて宿へと戻り、明日に備えて眠りにつくのでした……

太白の旅[その3] - 「太白山雪祭り」と、韓国の石炭産業のすべてを網羅した必見の博物館

 前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

桶里の「ハン書房カルグクス」からはタクシーで太白駅へ戻り、少し歩いて市の中心部の黄池洞(ファンジドン)にあるホテルにチェックイン。荷物を置いたら近くの「慈恵医院前」(자혜의원앞)バス停から市内バスの7系統に乗り、終点の「太白山道立公園」(태백산도립공원)バス停へ。
ここから少し坂道を登ると、ちょうどこの日(1月22日)が最終日であった「太白山雪祭り」(태백산눈축제)のメイン会場、「タンゴル広場」(당골광장)が現れます。
この「太白山雪祭り」、毎年1月下旬~2月上旬前後の時期にここタンゴル広場にて開催されているお祭りで、今年(2017年)で24回目を迎えます。

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有名な札幌の雪まつりと同様、雪像が広場内に所狭しと並べられています。おなじみのキャラクターもいますね。

 

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雪祭り会場であるここタンゴル広場は、その一帯が昨年(2016年) 8月に国立公園に昇格した太白山の登山口にあたる場所であり、昨年3月の訪問時にはなかった「太白山国立公園」(태백산국립공원)の看板も。雪祭り会場では観光客に混じって、下山途中と思しきハイカーの姿も多数見かけました。

 

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タンゴル公園の向かいには、この日の午前中に訪問した「三炭アートマイン」にもあった巨大な竪坑櫓が。炭鉱関連施設がそこにあることをうかがわせます。
この竪坑櫓のそばには、ここ太白の発展の原動力となった石炭産業に関する数限りない収蔵品を展示し、その歴史を記憶する「太白石炭博物館」(태백석탄박물관)が建てられています。
(これと次の写真は2016年3月に撮影したものです。当日は写真を撮り忘れました(^_^;)

 

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実はこの「太白石炭博物館」、昨年(2016年)3月に続き2度目の訪問です。そのときは閉館(18時)の1時間半前に入館したのですが、あまりの展示物の豊富さに途中で時間オーバーとなり、ずっと心残りになっていた場所です(入口の案内板には観覧時間110~130分とありました。納得)。今回も入館こそ閉館の1時間半前でしたが、前回は駆け足で巡らざるを得なかった後半の展示を重点的に見て回ったため、前回とあわせて館全体の満足できる観覧が叶いました。

この博物館の特筆すべき点は、50~80年代に隆盛を極めた韓国の石炭産業とその拠点として発展した太白の歴史を説明するのに、なんと地球誕生から始まっているところ。そりゃあ観覧に2時間を要するわけです。
ひとつひとつ紹介するとキリがありませんので、ここでは各展示物の中でも特に印象に残ったものを数点取り上げたいと思います(以下、展示物に限り昨年3月に撮影した写真を含みます)。

 

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タンゴル広場から博物館の玄関へ向かう道の脇に展示されている、坑道機関車とトロッコ

 

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第1展示室(地質館)。多数の鉱物や化石が展示されている中にあった、リアルなカニさんの化石。いまにも動き出しそうです。

 

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第1展示室(地質館)。なんだかよくわからないけどすごい三葉虫の化石。

 

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第3展示室(石炭の採掘利用館)。機械化される前、粉状の石炭を専用器具で練炭に加工する様子を再現した人形。冬の厳しさもあってか、韓国の人にとっての練炭への郷愁は日本人のそれ以上のようで、朝鮮戦争期から経済成長期へかけての庶民の暮らしを象徴する物品として、あちこちの展示施設で効果的に用いられています。

 

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第4展示室(鉱山安全館)。粉塵爆発などの坑内事故発生時に出動する救助隊の再現人形。二次災害防止のため5人1組になって互いにロープを握ります。一刻を争う中、過酷な事故現場へ向かって果敢に前進する姿を切り取ったかのような迫り来る展示に、ただただ圧倒されます。

 

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こちらは太白石炭博物館の写真ではないですが、先の救助隊の再現人形が背負っている生命維持装置の内部が、この日午前中に訪問した「三炭アートマイン」に展示されていました。酸素ボンベを含め日本製のようです。

 

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第6展示室(炭鉱生活館)。鉱夫とその家族たちが暮らした炭鉱住宅の再現。台所がかまどなので1950~60年代くらいでしょうか。子どもたちが遊ぶ庭には、離れになっている簡素なトイレがあります。

 

f:id:gashin_shoutan:20170222230056j:plain第7展示室(太白地域館)。三陟郡黄池邑と同長省邑の合併により1981年に誕生した太白市。最盛期の87年には12万人もの人口を誇ったものの、89年からの石炭産業合理化事業に伴う閉山により激減し、現在は半分以下の5万人弱で安定推移しています。

 

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第7展示室(太白地域館)。太白市を含む江原道の山岳地域では、かつて一帯に生息していた虎に襲われた死者が出た場合、その場に石を積み甑(陶製の蒸し器)を伏せ、底の穴に糸車の紡錘の管を刺した「虎食塚」を墓の代わりとしたそうで、これを「虎食葬」といいます。太白山周辺には現在もその痕跡が残るとのこと。

 

f:id:gashin_shoutan:20170221223051j:plain第8展示室(体験坑道館)。採掘現場の再現人形のうち、鉱夫の食事風景。「マクチャン」(막창:切羽、坑道の先端)での作業で絶えず緊張感にさらされている鉱夫たちにとって、短いながらも安らぎの時間です。アルマイトの弁当箱は白米(あるいは麦飯)がぎっしり。主菜(肉?)とタクアン、瓶詰めキムチがおかずです。

 

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向かって左側、お弁当を頬張り幸せそうな表情を浮かべる鉱夫さんが座る丸太。さらに左側をよく見ると、ネズミさんがおこぼれを虎視眈々と狙っていました。

 

以上でもお分かりいただけるように、この「太白石炭博物館」では等身大の再現人形(マネキン)を用いた展示に力を入れており、とりわけ地下の第8展示室はそのすべてが朝鮮時代から現代へと至る採掘現場の再現展示で構成されています。
その時代の現場でのリアリティや臨場感を的確に伝える点で、精巧な再現人形による実物大展示に勝る手法はないでしょう。そのためかこの「太白石炭博物館」のみならず、以前に紹介した「光州広域市5・18民主化運動記録館」など韓国における「記憶」のための施設では、再現人形が効果的に活用されています。
一方で個人的にも縁の深い日本の広島では数年前にも報道されたように、平和記念資料館の「被爆人形」が近く撤去される予定となっています。これを超える展示手法が確立されていない中でのこうした動きは、残念としか言いようがありません。

「太白石炭博物館」は、韓国のほとんどの博物館が閉館となる月曜日を含め年中無休。開館時間は9時~18時(入場は17時まで)。そしてこれほど豊富な展示にもかかわらず 入場料はなんと2,000ウォン(約200円)。これだけのために太白を訪問する価値があるといっても過言ではない場所です。

太白石炭博物館(태백석탄박물관:江原道太白市天祭壇ギル1951(所道洞166))  [HP]

 

それでは、次回に続きます。
次回はお待ちかね(?)の夕食も登場します。乞うご期待。

 

【以下、2017/02/28追記】
太白石炭博物館の最寄りのバス停「太白山道立公園」へは、太白市外バスターミナルから7番(タンゴル方面行き)バスに乗って30分前後で到達できます。運転間隔は1時間あたり1~2本。参考までに2017年1月22日時点での時刻表を貼っておきます(左の列が太白市外バスターミナル発、右が太白山道立公園(タンゴル)発)。ターミナルを16時ちょうどに出る便を逃すと入館締め切り時刻に間に合いませんので要注意。

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