かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

釜山の旅[その2] - 大量のおかずが出てくる国際市場の酒場に、富平カントン市場の名物「夜市場」

前回のエントリーの続きです。

 

gashin-shoutan.hatenablog.com

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再び2月10日の夜に戻ります。
「平和の少女像」のある「草梁」(チョリャン)駅から地下鉄(都市鉄道)1号線に乗り、「チャガルチ」駅で下車。有名なチャガルチ市場からも近いこの駅、日本語表記がふんだんにあります。

 

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ここから北側に歩いて5分程度の距離にあるのが、釜山を代表する在来市場のひとつ「国際市場」(국제시장:クッチェシジャン)です。光復(광복:クァンボク。日本の敗戦による解放)の後、朝鮮を去り行く日本人が持ち帰れない分の物資を販売したことから始まった市場で、その後朝鮮戦争期の米軍(国連軍)の放出物資の売買などを経て現在へと至ります。米軍の駐留により海外の品物が扱われるようになったのが「国際市場」の名の由来とのことです。

 

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写真のお店は、この国際市場を日本でも有名にした映画『国際市場で逢いましょう』の主人公、ドクスの店のモデルとなった「コップニネ」(꽃분이네:「コップンの店」の意)。20時過ぎなので他の店と同様に閉まっています。看板にはドクス(を演じたファン・ジョンミンさん)の写真も。
国際市場の大半の店の営業時間は9:30~20:30。下のリンクは国際市場のうち「コップニネ」の位置を示しています。

国際市場(국제시장:釜山広域市 中区 国際市場1ギル(新昌洞4街) 一帯)

 

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その中央を南北に貫くアーケード通りをさらに北へ進むと、市場の最後のブロックにいくつかの飲食店があります。今回の目的地は、これら飲食店のうちのひとつ「コチャンチッ」(거창집)。釜山の旅には決して欠かせない鄭銀淑さんの著書 『釜山の人情食堂』で知ったお店で、私にとっては一昨年(2015年11月)以来、2度目の訪問となります。昨年にはNHKのTV番組『世界入りにくい居酒屋』でも紹介されたので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに店名の右側に書かれている「실비」(シルビ)とは「実費」の意。ほぼ実費(原価)で提供していますよ、という意味を表わしています。

 

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こちらのお店の特徴は、30,000ウォン(約3,000円)でビールまたはソジュ3本と十数種類のおかずが出てくるシステムであること。もちろんビールやソジュは単品(3,000ウォン)でのオーダーも可能です(マッコリはありません)。
おかずは港町・釜山らしく海産物中心。全体像を撮ろうにも食べている途中で次から次へとおかずが出てくるので、途中からは追加分のみの写真となってしまいました(食べかけの写真は見たくないですよね)。最終的に数えたら大小合わせて13品目ありました。以下、その中で主だったものを紹介します。

 

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ケッコドン(갯고동)あるいはケッコドゥン(갯고둥)。日本でいうウミニナの一種。全長1.5cmくらい。殻の先端がひとつひとつ丁寧に切り取られており、ロの側からチュッと吸うと身が出てきます。

 

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ポンデギ(번데기) 。言わずと知れたカイコのさなぎです。正直ちょっと苦手なのですが(虫だからではなく臭いが)、ここのは割とおいしめの味付けでした。釜山の飲食店ではパンチャン(突き出しのおかず)にこれが出てくる率が他の地方に比べ高いように感じます。
余談ですが1997年に私が初めて渡韓した際、現地で初めて自分のお金で買って食べたのが明洞の屋台で売られていたポンデギ様でした。

 

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干物っぽい青魚(種類不明)とニンニクの芽、ニンジンなどのムチム(무침:和え物)。見た目通り辛かったです。

 

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細長い魚のチョッカル(젓갈:塩辛) 。何の魚かは不明です。カルチ(갈치:タチウオ)の稚魚のようにも思えるのですが。

 

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おかずの中でも、色といい大きさといい特に存在感のあるカニさん。調べたら「チョムバギコッケ」 (점박이꽃게:ジャノメガザミ)という種でした。うんまい。

 

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オクスス(옥수수:とうもろこし) 。韓国では総じてその傾向が高いのですが、日本のものよりモチモチしており、甘みはやや少ないです。

 

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パーム(밤:栗)とテチュ(대추:ナツメ)の甘煮。テチュは韓国ではポピュラーな食材です。

 

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山芋を薄く切ったもの。タレにつけて食べます。

 

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ピコマク(피꼬막:アカガイ)を生のままヤンニョムに漬けたもの。うんまかったです。

 

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焼きたてのチョギ(조기:イシモチ)。うんまい。個人的にベストのおかずです。あまりのおいしさに、おかわりをお願いしてしまいました(追加料金なし) 。

 

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パジラッ(바지락:アサリ)とスジェビ(수제비:すいとん)の入ったスープ。見た目あっさりしてそうですが、猛烈な辛さで知られる青陽唐辛子(청양고추)が入っているらしく、意外と辛いです。器の文字は「天安門」とあり、そういう名前だった中華料理屋さんの器を再利用しているのかもしれません。

 

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最後に出てきた、ジャガイモとオクラのティギム(튀김:韓国式の天ぷら) 。衣が薄めで、香ばしくてうんまかったです。

これだけおかずが豊富だとさすがに完食とまではいきませんでしたが、がんばって9割以上は一人で食べてまいりました。
2セット以上頼むと違うおかずも出てくるようですので、グループならより楽しめると思います。なお、おかずは時期によっても変化があるようで、前回(2015年11月)はカニなどがなかった一方、クジラの刺身などが出てまいりました。
「コチャンチッ」の営業時間は11:00~23:00。第1・第3日曜日休業。おかずも全体的においしいですし、アジメ(「アジュンマ」の慶尚方言。ここでは女将の意)も親切な方なので、おすすめです。ぜひ。

コチャンチッ(거창집:釜山広域市 中区 新昌洞4街 57)

 

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コチャンチッを出て、国際市場のすぐ西側にある「富平(プピョン)カントン市場」(부평깡통시장)へ。
こちらの市場では朝鮮戦争期、米軍(国連軍)の放出物資である缶詰などが盛んに販売されたことから「カントン」の名が付いたとされています(ここには現在も米軍のレーションを専門に扱う一角があるそうです。私はあまり興味ありませんが……)
写真は富平カントン市場の入口に立っているマスコットキャラクター。よく見ると「カントン」市場らしく、缶詰から頭や手足が出ていますね。

 

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ここ富平カントン市場の名物は、毎日18時から開催される「夜市場」(야시장:ヤシジャン)。2013年に韓国で初めてここ富平カントン市場がスタートし、全国各地の夜市場ブームの火付け役となりました。
日本食を含むエスニック料理を中心とした30台前後の屋台がアーケードの中央に現れ、一列に並びます。狭いアーケードを円滑に通行できるよう、夜市場では右側通行を原則としており、屋台にも「우측통행」(右側通行)との表記があります。

 

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ウユティギム(우유튀김:牛乳天ぷら)の屋台。どんな食べ物でしょうか。想像もつきません。

 

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富平カントン市場の名物のひとつ、シアッホットク(씨앗호떡:ヒマワリの種入りホットク)の屋台。「種ホシトク おいしいです」との手書きの日本語表記と、ハートマークを放出するキャラクターになごみます。これらを含めおいしそうな料理が並びますが、さすがにコチャンチッでおなかいっぱいになったので今回は断念、見物に徹します。

富平カントン市場の夜市場は、毎日18:00~24:00開催。どの料理も概ね3,000ウォン(約300円)前後と安めの設定ですので、夕食・夜食がてらに訪問されることをおすすめします。

富平カントン市場(부평깡통시장:釜山広域市 中区 富平2ギル(富平洞2街)一帯)

 

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帰り道、ある意味チャガルチの名所と化している居酒屋「トリゴヤ」(토리고야)。めちゃくちゃ日本のレトロ趣味です。こういうのを見る度に、日本人が好んでレッテル張りしたがる「反日」とはいったい何なのかと思ってしまいます。ソウルにもあるそうですが、一度は入ってみたいですね。
トリゴヤ(토리고야:釜山広域市 中区 光復路 6-1(富平洞2街 33-7))

 

そうして沙上のホテルへと戻り、明日の街歩きのため眠りにつくのでした……

釜山の旅[その1] - 釜山へ行ったら、どうしても真っ先に会いたいひとがいました。

今回からは、本年(2017年) 2月10日 (金)から同月12日 (日)にかけての釜山広域市の旅をお届けします。

 

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今回は過去の釜山の旅と同様、成田からエアプサンに乗って釜山・金海(キメ)国際空港へ。この日から半年前の昨年(2016年) 8月にバーゲンセールで購入した往復11,000円弱のチケットがようやく日の目を見ました。

 

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LCCに分類されるエアプサンですが、セール価格のチケットであっても15kgまでの手荷物預かりは無料、しかも機内食まで出てきます。今回の機内食は写真の「ヘムルポックンパ」(해물볶음밥:海鮮チャーハン)。これまでエアプサンで提供されたものの中でいちばんおいしかったです。

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金海国際空港に到着。エアプサンに搭乗して毎度驚かされるのは、とにかく着陸が上手いこと。日本企業を含め他の航空会社ではごく普通である着陸時の強い衝撃が、エアプサンではこの日を含め過去7回の利用で一度もありません。
余談ですが、昨年(2016年)より日本からの便が就航している大邱(テグ)国際空港では、このような写真を撮影することはできません。民間と軍が共用する空港であるためで、機内でもその旨のアナウンスが流れます。


そばにある「空港」(공항:コンハン)駅から釜山・金海軽電鉄(日本でいう新交通システム)に乗り、3駅先の終点「沙上」 (사상:ササン)駅で下車。この近くにある今回の宿に荷物を置いて、最初の目的地へ。
今回、釜山に着いたら他のどこよりも先に行きたい場所がありました。
沙上駅から地下鉄(都市鉄道) 2号線に乗車し、「西面」(서면:ソミョン)駅で同1号線に乗り換えて「草梁」(초량:チョリャン)駅で下車。地上出口のすぐ近くにこれがあります。

 

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「平和の少女像」。
夫婦作家であるキム・ウンソン(김운성) 、キム・ソギョン(김서경)両氏による、元「慰安婦」をはじめあらゆる戦時性暴力とその被害を記憶するための像です。
草梁駅5番出口と7番出口のちょうど中間地点、エレベーターの地上出口のすぐ真裏に像は設置されています。一般に日本の報道では在釜山日本総領事館「前」とされていましたが、実際にはほぼ真裏といってよい場所にあります。
像には、支援者などにより毛糸の帽子やマフラー、靴下などが着せられています。韓国でも温暖な地方とはいえ、やはり厳しい釜山の夜もこれなら暖かそう。
さまざま思いが交錯して、胸がいっぱいです。

平和の少女像(평화의 소녀상:釜山広域市 東区 古館路 18(草梁洞 1147-11))

 

翌日(2月11日)の昼にも、再び会いに行きました。以下はその際の写真です。

 

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この「平和の少女像」の両サイドの地面には、2つの碑文が埋め込まれています。
今回は訪問時に撮った写真をもとにこれらを書き起こすとともに、拙いながらも日本語に訳してみました。翻訳の解釈に誤りなどありましたら、コメントにてご指摘いただけますと幸いに存じます。

まずは像の向かって左側にある「平和碑」から。

 

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평 화 비

일제강잠기 일본군에 끌려가
몸도 마음도 갈가리 찢긴
꽃다운 소녀들의 피맺힌 상처는
나라가 광복된 뒤에도
치유되지 않았습니다.
12.28 한. 일 일본군 ‘위안부’ 합의로
다시 이들을 능멸하였습니다.

우리는
전쟁밤죄자들이 자기 죄를 인정하고 사죄할 것을
다시금 엄중히 요구히며
아곳에 평화의 소녀상을 세움니다.
‘청산하지 못한 역사는 반복된다.’는
교훈을 세움니다.

굴욕적인 합의 무효와
일본 대사관 앞 소녀상을 지키기 위해
그 추웠던 2015년 한겨울
서울까지 달려가 거리에서 몇 밤을 새운
청소년과 대학생들의 열정을 세움니다.

2016년 내내 이어졌단 소녀상 1인 시위,
시위자에게 정감을 끼워주고 목도리를 둘러주며
눈물 어린 응원을 보내준
부산시민들의 마음을 세움니다.

이곳에 평화의 소녀상을 세우고자
미래세대들이 맨 먼저 모금을 시작했습니다.
어린이들은 ‘소녀상저금통’을 모아오고
노동자는 사업장에서 교사는 학교에서
단체는 회원들과 함깨
부산시민들은 곳곳에서
정성을 모았습니다.

항쟁의 촛불이 뜨거운 2016년 12월,
우리는 시민이 승리하는
역사를 쓰고 있습니다.
부산시민이 세우는 평화의 소녀상은
이 땅에 다시는 오욕의 역사를 되풀이하지 않겠다는
할머니들의 인권과 명예를 반드시 되찾겠다는
굳은 다짐입니다.

2016년 12월 31일
미래세대가 세우는 평화의 소녀상 모금 참여자 일동

 

平 和 碑

日帝強占期、日本軍に連行されて
身も心も引き裂かれた
麗しい少女たちの悲痛な傷跡は
国が解放された後も癒されませんでした。
12.28韓日日本軍「慰安婦」合意で
再びこれらを蔑ろにしました。

我々は
戦争犯罪者たちが自分の罪を認め謝罪することを
改めて厳重に要求し
ここに平和の少女像を建てます。
「清算できなかった歴史は繰り返される。」という
教訓を建てます。

屈辱的な合意無効と
日本大使館前の少女像を守るため
その寒かった2015年の真冬
ソウルへ駆けつけて通りで幾夜かを明かした
青少年と大学生の情熱を建てます。

2016年ずっと続いた少女像1人示威
示威者に手袋を差し込んでくれて、マフラーを巻いてくれて
涙に濡れて応援を送ってくれた釜山市民の心を建てます。

ここに平和の少女像を建てようと
未来世代たちが真っ先に募金を始めました。
子どもたちは「少女像貯金箱」を集めてきて、
労働者は事業場で、教師は学校で、
団体は会員たちと一緒に
釜山市民はあちこちで
真心を集めました。

抗争のろうそくの炎が熱い2016年12月、
我々は市民が勝利する
歴史を書いています。
釜山市民が建てる平和の少女像は
この地に再び汚辱の歴史を繰り返さないという
ハルモニの人権と名誉を必ず取り戻すという
固い誓いです。

2016年12月31日
未来世代が建てる平和の少女像募金参与者一同

 

続いて、像の向かって右側の地面にある碑文「平和の少女像の説明」です。
この「平和の少女像」の細部に込められた、さまざまな意味についても説明されています。

 

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평화의 소녀상 설명

1991년 8월 14일 김학순 할머님께서 처음으로
‘나는 일본군 위안부였다’라고 용리를 내어
일본군‘위안부’피해자였음을 밝힌 일년 후
일본군 위안부 할머님들의 수요집회가 시작되었다.

2011년 수요집회 20년을 되었고
12월 14일 수요집회 1000회를 맞이하여
일본 정부의 공시적인 사죄와 법적 배상을 바라는 마음을 담아
주한 일본대사관 앞에 처음으로 소녀상을 제작하여 설치하였다.

그리고
항쟁의 촛불이 뜨거운 2016년 12월,
이 땅에 다시는 오욕의 여사를 되풀이하지 않겠다는
할머니들의 인권과 명예를 반드시 되찾겠다는
굳은 다짐니다.

평 화 비 : 김원옥 할머님께서 직접 쓰신 글씨

새 : 평화와 자유를 상징하는 새는 하늘을 날다가 땅에 앉기도 하여 산 사람과 돌아가신
사람을 영적으로 연결 해주는 영매의 의미를 가지고도 있다.
즉, 하늘은 돌아가신 사람들의 공간이며 땅은 현실에 있는 사람이고 이를 오가는
새가 영매의 역할인 것이다.
하여 비록 지금은 돌아가시긴 했지만 마음만은 현실에 있는 할머니들과 이를
지켜보는 우리 모두와 연결되어 있다는 내용이다.

한복 입은 소녀상 : 조선의 어린 소녀들에게 일본정부가 조직적인 폭력을 자행 하였다는
것을 되새기고, 끌려 갔을 당시의 한복 입은 소녀의 모습으로 형상화 한 것이다.

할머니의 그림자 : 조각의 모습은 소녀의 형상인데 그림자는 현재의 할머님의 모습을 그려냈다.
그 사람(소녀) 의 그 그림자(할머니)인데 소녀와 할머니가 다른 사람일까?
결국 같은 사람인데 기나긴 시간이 흘러 소녀가 할머니가 된 것이다!
사과 반성 한 번 없고 지나온 세월, 할머니들의 원망과 한이 서린 시간의 그림자이다.

그림자 속의 하얀 나비 : 그 할머니의 그림자 모습 중에 가슴 부위에는 하얀 나비가 있다.
일본 정부의 사죄 한마디를 기다리며 눈비 맞아가며 수요시위를 지켜오셨는데 그 원망과
보통 나비는 환생을 상징 하는데 부디 나비로 환생 하셔서 생전에 원하셨던 일본 정부의
사죄를 받아야 한다는 생각에 할머니 그림자 가운데 하얀 나비를 넣었다.

뜯겨진 머리카락 : 당시 조선 소녀의 머리카락은 신체의 일부분으로 소중하게 생각하여
함부로 짧게 자르지 않았다.
그러나 소녀상을 자세히 관찰하면 머리카락이 거칠게 뜯겨진 모습인데, 이는 낳아주신
부모와 내가 자란 고향을 일본 제국주의로 인해 억지로 단절된 모습을 표현한 것이다.

뒤꿈치를 든 맨발 : 소녀의 발은 맨발이다.
소녀는 전쟁이 끝났지만 돌아오지 못 하거나 돌아와서도 마음 편할 날이 없었다.
내가 지은 죄가 아닌데 못할 짓을 한 것처럼 할머니들은 죄지은 마음으로 평생을 살아
오셨다.
그리고 드디어 1991년 할머니들의 용기 있는 고백이 있었으나, 대한민국 정부는
외교적인 이유를 내세워 우리 할머니들의 가슴의 한을 풀어주지 못했다.
이런 불편함을 뒤꿈치를 든 맨발 모습으로 나타낸 것이다.

빈 의자 : 여기에는 세 가지 의미가 있다.
첫 번째는 연로하신 탓에 일본 정부의 그릇됨을 고치지 못한 채 억울하게 세상을 먼저
떠나기번 할머님들의 빈 자리를 쓸쓸하게 표현한 것이다.
두 번째는 이 곳을 찾는 사람들이 소녀상 조각 옆의 빈 의자에 나란히 같이 앉아
그 당시 어릴 적의 소녀의 심정을 생각 해 보고 현재의 할머님들의 외침을 함께 느껴
보는 자리이다. 
세 번째는 할머님들께서 이 자리에 안계셔도 전쟁이 없는 평화로운 세상을 위해 여성과
아이의 인권을 위해 싸워 신 할머님의 염원을 이어 미래세대가 끝까지 항께하는
약속의 자리이다.

 

平和の少女像の説明

1991年8月14日、金学順ハルモニが初めて
「私は日本軍慰安婦であった。」と勇気を出して
日本軍「慰安婦」被害者だったことを明らかにした一年後
日本軍慰安婦ハルモニの水曜集会が始まった。

2011年、水曜集会20年となり
12月14日、水曜集会1000回を迎え
日本政府の公式謝罪と法的賠償を願う気持ちを込めて
日本大使館前に初めて少女像を製作して設置した。

そして
抗争のろうそくの炎が熱い2016年12月、
この地に再び汚辱の歴史を繰り返さないという
ハルモニたちの人権と名誉を必ず取り戻すという
固い決意である。

平 和 碑 : キム・ウォノクハルモニが直接書かれた文字

鳥 : 平和と自由を象徴する鳥は、空を飛んで地面に止まったりもして、生きる人と亡くなった
人とを精神的に連結する霊媒の意味を持ってもいる。
つまり、空は亡くなった人々の空間であり、土地は現実にいる人であり、これらを行き来する
鳥が霊媒の役割なのである。
いずれにせよ、たとえいまは亡くなったりしても、心だけは現実にあるハルモニたちと、これを
見守る私たちとつながっているという内容である。

韓服を着た少女像 : 朝鮮の幼い少女に日本政府が組織的な暴力を行なったという
ことを振り返り、引っ張られて行った当時の韓服を着た少女の姿に形象化したものである。

ハルモニの影 : 彫刻の姿は少女の形であるが、影は現在のハルモニの姿を描き出した。
その人(少女)のその影(ハルモニ)であるが、少女とハルモニが別の人であろうか?
つまりは同じ人なのに、 長い時間が流れて少女がハルモニとなったのだ!
謝罪反省が一度もなく流れた歳月、ハルモニたちの怨念と恨[ハン]がこもった時間の影である。

影の中の白い蝶 : そのハルモニの影の姿のうち、胸の位置には白い蝶がいる。
日本政府の謝罪一言を待って、雨雪に打たれながらも水曜示威を守ってこられたが、その怨念と
悲しみを晴らせずにこの世を去られた。
一般に蝶は転生を象徴するが、どうか蝶に生まれ変わっていただき、生前に願われた日本政府の
謝罪を受けなければならないとの考えで、ハルモニの影の中に白い蝶を入れた。

むしられた髪の毛 : 当時、朝鮮の少女の髪の毛は身体の一部分として大切だと考え
むやみに短く切らなかった。
しかし、少女像を細かく観察すると髪の毛が荒々しくむしられた姿であるが、これは生んでくれた
両親と自らが育った故郷を日本帝国主義によって無理に断絶された姿を表現したものである。

かかとを上げた素足 : 少女の足は素足である。
少女は戦争が終わっても帰ってこられなかったり、帰ってきても心安らぐ日がなかった。
自らが犯した罪ではないのに、罪なことをしたかのようにハルモニたちは罪を犯した心地で生涯を生きて
こられた。
そしてついに1991年、ハルモニの勇気ある告白があったが、大韓民国政府は
外交的な理由を挙げて私たちのハルモニの恨[ハン]を晴らすことができなかった。
こうした不自由さを、かかとを上げた素足の姿で表わしたものである。

空いた椅子 : これには三つの意味がある。
最初に、年老いたせいで日本政府の過ちを正せないまま無念にこの世を先に
発たれたハルモニたちの空席を寂しげに表現したものである。
二つめは、ここを訪れる人々がこの少女のそばの空いた椅子に並んで一緒に座り
その当時、幼い頃の少女の心情を考えてみて、 現在のハルモニたちの叫びを共に感じて
みる場所である。
三つめは、ハルモニたちがこの席にいらっしゃらなくとも、戦争のない平和な世の中のため、女性と
子どもの人権のために戦ってこられたハルモニたちの念願に続き、未来世代が最後までともにする
約束の場所である。

 

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トールの間からは、現世と来世とをつなぐ霊媒の意味を持つ小鳥が覗いています。
先の碑文にもあった通り、紙は短く切られています。

 

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固く握られた両手。碑文にはありませんでしたが、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)のHPによると「日本政府の責任回避に対する怒りであり、我々は共にするという約束と決意」との意味が込められているとあります。どなたかが置かれたチョコと日本のガムが添えられていました。

 

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碑文にもあったように、解放されてもなお周囲の偏見に晒され、韓国政府からも不誠実な対応しか得られなかった元「慰安婦」の方々の苦しみを表現するために、裸足の両足は地面からわずかに浮いています。そのため、写真のように靴下を履かせることが可能となっています。

蛇足ですが、置かれた靴の中敷にある馬のマーク(말표신발:馬印の靴)は、ここ釜山の地場履物メーカー「太和(テファ)ゴム」の製品につけられたシンボルマークです。1947年創業、一時は履物の全国シェア15~20%、業界4位にまで成長した会社ですが、その後の事業不振や工場火災などの影響により1998年に不渡りを出しています。

 

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像の足元には、賛同の意思表示となる黄色いリボンのマスコット、そして日韓「合意」無効化を呼びかけるステッカーが配布用に置かれています。私も頂戴してまいりました。

 

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碑の建立を支援した人々や団体の名前が記載された金属板。

 

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隣接する草梁駅のエレベーターボックスの壁面にも、「少女像」支援を呼びかける懸垂幕が張られていました。

 

第二次大戦中の日本軍による「慰安婦」をはじめ、あらゆる戦時性暴力とその被害を記憶する「平和の少女像」。
少なくとも、当事者を完全無視した2015年12月28日のあの日韓「合意」にすら明記されていない像の撤去を執拗に求め、歴史の忘却を図ろうとする人々がいる限り、決してここから動かす必要はありませんし、決して動かしてはなりません。
実際に像を目の前にして、改めてその誓いを強くしました。

 

それでは、次回に続きます。

太白の旅[その7] - 犬もお札をくわえて歩いたという炭鉱村、そして旅の締めはやはり超うんまい「太白タッカルビ」

前回のエントリーの続きです。

 

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「太白中学徒兵記念館」を出て、元学徒兵の男性の乗用車に乗せていただきました。
その道の途中にあり、私がどうしても1か所だけ寄りたいとお願いしたのがこちらの「太白長省二重橋」。
日帝強占期の1935年に建設された石炭輸送用の施設で、上段は石炭輸送用鉄道が、下段は歩行者や自動車が通行できる二重構造となっています。一見して並列した別の橋のようにも見えますが、実は上段、下段とも同じ橋脚によって支えられています。2004年、登録文化財第111号に指定。
現在は上段の鉄道は廃止され、下段もすぐ隣に新たな道路橋である黔川橋(写真3枚目の右側の橋)がかけられており、ともに橋としての役目は終わっています。

太白長省二重橋(태백장성이중교:江原道太白市長省洞222。登録文化財第111号)

 

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ここまで来たついでと連れて行ってくださったのは、太白長省二重橋から車で2~3分の距離にある「最初石炭発見地塔」。ご覧の通り、炭鉱の竪坑櫓が塔のモチーフになっています。1926年、当時17歳の役場職員、張海龍(장해룡:チャン・ヘリョン)さんが太白で初めて石炭を発見したことを記念して、その場に立てられた塔です。発見から4年後の1930年には、ここ太白で本格的な石炭採掘が始まっています。
この塔がある黔川(クムチョン)洞は、かつて雨が降る度に川の水が黒く染まることからコムネ(黒い川の意)などと呼ばれていたそうですが、その原因はまさに地面に露出していた石炭であったわけです。
実はこちらも当初の訪問候補地のひとつに挙げていたのですが、近くを通る2番バスの本数が限られているため、どうしようか迷っていた場所でした。

最初石炭発見地塔(최초석탄발견지답:江原道太白市黔川洞山1-1)

 

そして目的地の上長(サンジャン)洞、Korail太白線の陸橋前に到着。元学徒兵の方と固い握手を交わしつつ下車します。どうかいつまでもお元気で。

 

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この陸橋から南西方向、かつての鉱山社宅街一帯には、一大壁画村である「上長洞壁画マウル」が展開されています。
「(上長洞)南部マウル」とも呼ばれるこの一帯は、近くにあった咸太(ハムテ)炭鉱の従業員をはじめとする鉱山労働者たちが暮らす代表的な鉱山社宅村であり、 最盛期にはその家族を含め約4,000人が居住していた町です。しかし1980年代末の石炭産業合理化政策に伴う閉山により、一人、また一人とこの町を去り、現在では最盛期の1/10程度の人々が残るばかりです。
このように日々衰退の一途にある中、石炭産業の華やかりし頃の思い出を記憶するとともに町おこしの一環として、これら社宅の壁面にかつての鉱夫たちの日常風景を描くとともに、当時の繁栄ぶりを説明する案内版をあちこちに設置しました。こうして生まれたのが「上長洞壁画マウル」であるわけです。 

 

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Korail太白線の陸橋(クルタリ)の基礎部に描かれた鉱夫の肖像。

 

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上長洞壁画マウルの案内地図と、壁画村として再生するまでの沿革。

 

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上長洞壁画マウルのあちこちで、これらの万ウォン札をくわえた犬の絵を見かけます。これは「マンボギ」(만복이)と呼ばれる犬で、炭鉱産業が栄えた当時「犬も万ウォン札をくわえて通る(ほどお金が有り余っている)」という伝説を元に描かれたもの。この犬を連れて帰れば「万福」(만복:マンボク)が得られるとの言い伝えから、ここ上長洞壁画マウルのマスコット的存在となっています。

 

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こちらはの豚さんは「ヘッテジ」 (햇돼지:新物の豚)という名前で、石炭産業が栄華を極めた当時、過酷な作業ゆえの高待遇に惹かれて全国各地から集まった新人の鉱夫を指した呼び名をそのままキャラクター化したものです。

 

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ここ上長洞壁画マウルの道沿いには、鉱夫やその家族たちの往時の暮らしを紹介する案内板があちこちに立てられており、石炭産業が栄華を極めた60~80年代当時の鉱山社宅村の活気をしのぶことができます。

 

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さまざまな壁画で彩られたかつての鉱山社宅群。

 

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f:id:gashin_shoutan:20170318205821j:plain作業中の鉱夫そのものをモチーフとした壁画の数々。

 

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「マクチャン」と呼ばれた坑道での過酷な労働と、炭鉱住宅での家族との暮らしという鉱夫の2つの日常をつなぐ象徴的なアイテムとしての「弁当箱」を、ここ上長洞の壁画でもよく見かけます。

 

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鉱夫と思しき男性と子どもの肖像。子でしょうか。孫でしょうか。それとも。

 

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高台の展望台から見渡した上長洞壁画マウル。
普通の民家に壁画が描かれた街ですので当然ながら観覧は24時間可ですが、これら旧鉱山社宅の多くには現在も人々が暮らしていますので、騒いだりすることなく観覧いただくことを願います。

上長洞壁画マウル(상장동벽화마을:江原道太白市上長南ギル(黄池洞)一帯)


ほぼすべての壁画を見回った後は、Korail太白線の陸橋のそばにある「クルタリサゴリ」(陸橋四又路の意)バス停からこの日4度目となる4番バスに乗り、「自由市場」バス停にて下車。一部区間は自家用車に乗せてもらったとはいえ、これで4番バスの路線に沿って太白市内をぐるっと一周したことになります。

 

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このバス停から南西方向へ徒歩3~4分程度歩いた場所にあるのが、前日夜に寄った「金書房ネタッカルビ」 とあわせて太白タッカルビの2大名店に数えられるお店、その名もずばり「太白タッカルビ」。
実はこちら、昨年(2016年)3月の初来訪時にも訪れた店ですが、あまりにも好みの味だったうえ、前日の金書房ネと食べ比べたいとの思いからまた来てしまいました。

 

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韓国の有名料理人、ペク・チョンウォン(백종원)さんがひとつの料理をテーマに全国の名店を3つ選んで紹介するSBSの人気番組『ペク・チョンウォンの3大天王』でも昨年春に取り上げられたようで、その様子のポスターが。

 

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そしてやって来たタッカルビ(写真は3人分) 。広く浅い鉄鍋(これも太白タッカルビの特徴)に真っ赤なスープ、そしてインパクト抜群のてんこ盛りの野菜。シュンギクや長ネギ、白菜など大半は「金書房ネタッカルビ」と共通ですが、こちらはミナリ(セリ)が入らず、代わりにネンイ(ナズナ)がたくさん入っています。
かつて太白は曲がりくねった峠道でしか外部と接続しておらず、現在は片道20分程度で行ける隣の三陟(サムチョク)や古汗(コハン)へも1時間以上を要したそうです。その環境下でタッカルビの具材として容易に入手できる野菜が求められた結果、太白山の麓で採れるネンイやミナリが具に入るようになったとされています。
ちなみにこちらのお店、ネンイのシーズンでない夏季には代わりにケンニッ(エゴマの葉)が入るとのこと。こちらも食べてみたいですね。
もちろん、太白タッカルビの特徴であるサリ(麺)が最初から投入されています。今回もウドンサリを選択。

 

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徐々に火が通り、野菜がしぼんでゆきます。あたりにはおいしそうな匂いが。まずは伝統にならってウドンサリから、続いてトックとジャガイモ、そしてメインの鶏肉へ。
うんまい。
他の料理では味わったのことのない特有のコクに、骨付き肉ならではの鶏のダシが効いたスープ。10ヵ月ぶりにありつけた大好きな味に、目尻が下がります。
前日の金書房ネタッカルビもおいしかったですが、個人的にはこちらの味が一層好み(太白タッカルビは店によって味の違いが大きいと言われています)。色の割に辛さも(金書房ネよりは)控えめというのも高ポイントです。

 

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あっという間にあらかたの具材を食べてしまったので、次はお楽しみのポックンパ。ポックンパを食べるまでがタッカルビです。これまた、うんまい。
(これらの写真のみ昨年3月に撮影したものです。この日は撮り忘れてしまいました(^_^;)

 

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そして、太白タッカルビのさらなる特徴というべき食後のサービス、シッケ(식혜:米を発酵させて作る韓国の甘い伝統飲料)。前日の「金書房ネタッカルビ」でも1杯いただきましたが、こちらはポットでの登場。あんまい。ポックンパを食べるまでがタッカルビ(太白・春川共通)ならば、このシッケを飲むまでが太白タッカルビといえるでしょう。

 

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1人分1万ウォン以上が一般的な春川タッカルビに比べ、リーズナブルなのも太白タッカルビの特徴。こちらのお店も1人分が7,000ウォンという安心価格でした。この日の会計は3人分&ウドンサリ&ポックンパ&ビール4本で36,000ウォン(約3,600円)。
「太白タッカルビ」の営業時間は11:00~21:00、不定休。こちらも「金書房ネタッカルビ」と同じく、太白駅や太白市外バスターミナルからは徒歩12~3分くらいの距離ですので(途中から反対方向)、歩いたほうが早いです。

太白タッカルビ(태백닭갈비:江原道太白市中央南1ギル10(黄池洞44-63))

 

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「太白タッカルビ」を出て、太白駅のコインロッカーに預けた荷物を回収し、19時20分発の東ソウル総合ターミナル行き市外バスで太白を後にします。
今回の太白(&古汗)の旅ではおよそ30時間(古汗を含めると約34時間)の滞在で、前回訪問時からの宿題だった古汗の「三炭アートマイン」の訪問&「太白石炭博物館」の満足ゆく観覧に加え、「太白山雪祭り」への参加、そして「倹龍沼」や「鉄岩炭鉱歴史村」などの主要観光地をひと通り巡ることができました。さらに前回のエントリーで紹介した「太白中学徒兵記念館」では、元学徒兵の方や職員の方々の親切に触れる予想外の出来事もありました。いまでも思い出す度に胸がいっぱいになります。
さらば太白、絶対また来るからな!


2017年1月の太白の旅は、今回で終了です。ありがとうございました。
次回からは、2017年2月の釜山の旅を紹介する予定です。

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