かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

仁川の旅[201704_02] - 仁川旧市街の近代建築めぐり、博物館&実食のチャジャン麺三昧

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

ミョンウォルチッのキムチチゲを食べてお腹が膨れたところで、いよいよ街歩きをスタートします。
前回のエントリーでも書いたように仁川駅や駅前のチャイナタウンの一帯は仁川の旧市街であり、朝鮮時代末期から日帝強占期、西暦でいえば1880年代から1930年代にかけて建てられた近代建築の宝庫となっています。したがって少し歩くだけでいくつもの近代建築をはしごすることができるわけです。
以下、各近代建築の名称は韓国文化財庁または仁川広域市文化財名表記に基づくものであり、説明は主に韓国文化財庁ホームページの記述を参考としております。

 

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「仁川旧大和組事務所」。
1880年代末~90年代初頭築。こちらは仁川の日本租界地で唯一、韓国でも珍しい町家(店舗併設の住宅)造りの3階建て和風建築で、開港期から日帝強占期にかけて仁川港で漕運業(荷役業)を営んでいた日本人系の荷役会社「大和組」の建物だったものです。現在は1階にてカフェ「Cafe pot-R」が営業中。国指定登録文化財第567号。

仁川旧大和組事務所(인천 구 대화조 사무소:仁川広域市 中区 新浦路27番ギル 96-2 (官洞1街 17))

 

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「旧)仁川日本第一銀行支店」。
1899年築。日本人建築家の新家孝正(にいのみ・たかまさ:1857-1922)の設計により、全体的に後期ルネサンス様式を模して造られた建物です。建設に際し、砂利や石灰などを除くほとんどの建材を日本から運んできたとのこと。第一銀行は現在のみずほ銀行仁川広域市有形文化財第7号。

旧)仁川日本第一銀行支店(구)인천일본제일은행지점:仁川広域市 中区 新浦路23番ギル 89 (中央洞1街 9-2))

 

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「旧)仁川日本第18銀行支店」。
1890年築。当初は第十八国立銀行(1896年に株式会社十八銀行へ改称)の支店として建てられ、1936年には同支店の廃止に伴い朝鮮殖産銀行へ譲渡。光復(日本の敗戦による解放)後は韓国興業銀行の仁川支店やカフェなどを経て、現在は「仁川開港場近代建築展示館」として使用されています。次に紹介する「旧)日本第58銀行支店」と隣接。ちなみに十八銀行は現存します。本店がある長崎の方にとってはおなじみでしょう。仁川広域市有形文化財第50号。

旧)仁川日本第18銀行支店(구)인천일본제18은행지점:仁川広域市 中区 新浦路23番ギル 77 (中洞2街24-1))

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「旧)日本第58銀行支店」。
大阪に本店があった第五十八銀行(現みずほ銀行)の支店として建てられ、1892年開店。2階のバルコニーとドーマー(屋根についた窓)が特徴的なルネッサンス様式の建物です。光復後には朝興銀行仁川支店や大韓赤十字社京畿道支社として使用された後、現在は仁川市中区飲食業組合が使用。「旧)仁川日本第18銀行支店」と隣接。仁川広域市有形文化財第19号。

旧)日本第58銀行支店(구)일본제58은행지점:仁川広域市 中区 新浦路23番ギル 69-1 (中央洞2街 19-1))

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「旧日本郵船株式会社仁川支店」。
1888年築。仁川港開港からその海運業を独占していた日本郵船の支店建物。韓国に現存する近代建築でも古い部類に入るものであり、宗教施設や公共施設でない民間所有の建物としては稀有の存在とのことです。国指定登録文化財第248号。

旧日本郵船株式会社仁川支店(구 일본우선주식회사 인천지점 :仁川広域市 中区 済物梁路218番ギル 3 (海岸洞1街1-5))

 

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「仁川郵逓局」。
1924年築。仁川郵便局の建物として、当時流行していた折衷様式を簡素化して建てられたものです。1949年に仁川郵逓局へ改称、朝鮮戦争(1950~53)時に屋根の一部が破壊されたものの、その後改修されています。いまなお郵逓局(郵便局)として使用されていますが、仁川郵逓局は別の場所へ移転し、現在は「仁川中洞郵逓局」という名称になっています。仁川広域市有形文化財第8号。

仁川郵逓局(인천우체국:仁川広域市 中区 済物梁路 183 (港洞641))

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「仁川税関旧倉庫と付属棟」。
仁川税関の関連施設として100年以上前に建てられた煉瓦造りの建物で、仁川開港と近代税関行政の歴史を証明する港湾遺産となっています。こちらの建物だけはフェンスの中にあり、近づくことはできませんでした。ここと隣接する、昨年(2016年)に開業したばかりのKorail水仁線の新浦(シンポ)駅の地上出口は、これら煉瓦造りの建物と調和したデザインとなっています。国指定登録文化財第569号。

仁川税関旧倉庫と付属棟(인천 세관 구 창고와 부속동:仁川広域市 中区 港洞7街 1-47)

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「旧仁川海運株式会社仁川支店」。
1932年築。堂々たる4階建ての建物で、この規模の近代建築はここ仁川でも他に類を見ないとのこと。現在は財団法人鮮光文化財団の建物として使用されています。こちらは訪問(2017年4月)時点で国、仁川広域市いずれの文化財にも指定されておらず、偶然通りがかって知ったものです。

旧仁川海運株式会社仁川支店(구 인천해운주식회사 인천지점:仁川広域市 中区新浦路15番ギル 4 (中央洞4街 2))

 

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「内洞聖公会聖堂」。
1956年築。見晴らしのよい内洞(ネドン)の丘の上に建っています。元々は1890年に故ヨハン神父によってこの場所に建てられたカトリック教会ですが、朝鮮戦争(1950~53)で焼失したため、創建当時の基礎を補強代わりに「H」形鋼を用い再建したものです。なのでこちらの物件に限っては、近代建築という表現は該当しないかもしれません。仁川広域市有形文化財第51号。

内洞聖公会聖堂(내동 성공회 성당:仁川広域市 中区 開港45番ギル 21-32 (内洞 3))

 

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「旧)済物浦倶楽部」。
1901年築。当初は外国人の社交場「済物浦(チェムルポ)倶楽部」として建てられた2階建ての煉瓦の建物で、その後は日本帝国在郷軍人会や米軍将校クラブ、市議会など実にさまざまな用途を経て、2007年から現行のストーリーテリング博物館として運営。名称表記は「クラブ」(클럽:クルロッ)ではなく、日本式の「倶楽部」(구락부:クラップ)となっているところに注目。仁川広域市有形文化財第17号。

旧)済物浦倶楽部(구)제물포구락부:仁川広域市 中区 自由公園南路 25 (松鶴洞1街 11-1))

 

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「旧仁川府庁舎」。
1933年築。当時の仁川府(じんせんふ)の庁舎として建設されたモダニズム様式の建物で、光復後の1949年には名称変更により仁川市庁舎となり、そして1985年に仁川直轄市庁(当時)が新庁舎へ移転してからは中区(チュング)庁舎として用いられ、現在へと至ります。当初は2階建てでしたが、1964年に3階を増築。国指定登録文化財第249号。

旧仁川府庁舎(구 인천부 청사:仁川広域市 中区 新浦路27番ギル 80 (官洞1街 91))

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この「旧仁川府庁舎」、現在の仁川広域市中区庁舎の前には、日帝強占期の新築当時にこの界隈を往来していたであろう、人力車と人夫の銅像が建てられています。人夫の胸には、「人間のカ」という謎の文字が。人力車だからこうなったのでしょうか。面白いです。

 

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「仁川善隣洞共和春」。
1908年ごろ築。仁川港へやって来た中国人が料理店を開くため、ここ善隣洞(ソルリンドン)に建てた中庭型の中国式建物です。建設に携わった人々の中にははるばる山東省から呼び寄せた職人もいたとのこと。当初は貿易商たちに寝食を提供する場所でしたが、中国料理の人気上昇ともに飲食スペースが拡大していったそうです。この建物で1983年まで営業していた中国料理店「共和春」(공화춘:コンファチュン)は、中国の炸醤麺朝鮮人向けにアレンジした人気料理「チャジャン麺(ミョン)」(짜장면)の元祖とされ、伝説の存在となっています。国指定登録文化財第246号。

仁川善隣洞共和春(인천 선린동 공화춘:仁川広域市 中区 チャイナタウン路 56-14 (善隣洞 38-1))

 

以上、今回私が徒歩で巡った近代建築は全11件、内洞聖公会聖堂を除いても10件ですが、その所要時間はわずか1時間10分ほど。建物の外見を見て回るだけならば、1時間強でこれだけ多くの近代建築をはしごできるわけです。平均7~8分おきに目前に現れる近代建築。まさしく近代建築の宝庫。仁川すげえ。

念のため補足しておきますが、以上で紹介したような近代建築のうち日本人により建てられたもの、あるいは朝鮮半島のあちこちに残る日本家屋などは、その意図や役割にかかわらず日本による支配、収奪の一部であったことを決して見落としてはなりません。
私がこれらの近代建築を訪問したいと願うのは、そうした支配、収奪を「記憶」するものであり、そして光復後に朝鮮半島の人々が活用してきたことに価値があるからと考えているからで、それゆえに郷愁をも感じ得るものです。あくまで自分自身に対してですが、そうした事実を踏まえることを差し置いて郷愁を感じることは許されないとさえ考えています。

 

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タイルの壁画も色鮮やかな「仁川善隣洞共和春」の玄関部。こちらの建物には、現在は「チャジャン麺博物館」が入居しています。チャジャン麺の元祖たる共和春跡の用途として、これ以上ふさわしいものもないでしょう。
順路はまず2階から。玄関を入ってすぐ、建物の中央にある階段を登ります。

 

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1970年代から最近までの、市販の即席チャジャン麺(袋麺)の展示。これだけ見ても、いかに韓国でチャジャン麺が愛されているかが分かります。

 

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こちらは近年増えてきた、カップタイプのチャジャン麺の展示。一部は内容物まで展示されています。右上のロシア語らしき商品が気になりますね。

 

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共和春と思しき中国料理店でチャジャン麺を食べる家族。男の子の表情がすごい!

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チャジャン麺などを配達した料理店の岡持(おかもち)。韓国では一般に「鉄カバン」(철가방)と呼ばれています。かつては木製だったとのこと。

 

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1階は往年の「共和春」の厨房を再現した空間。
壁面にはチャジャン麺のレシピも。チャジャンソースは韓国食材店で入手できますので、韓国語の分かる方はチャレンジしてみてもよいかもしれません。

 

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現役当時の「共和春」の看板も展示されています。

こちら「チャジャン麺博物館」の開館時間は09:00~18:00、入館料は大人1,000ウォン(約100円)。展示パネルの日本語表記はタイトルだけですが、展示物は分かりやすいものが多いので楽しめると思います。この日は金曜日でしたが、私の直前には小学校(韓国では「初等学校」と呼ぶ)の児童たちの団体が訪れたりと終始にぎやかでした。

チャジャン麺博物館(짜장면박물관:仁川広域市 中区 チャイナタウン路 56-14 (善隣洞 38-1)。国指定登録文化財第246号)

チャジャン麺博物館を観覧したからには、お腹はすっかりチャジャン麺モード。しかもこの日は4月14日Twitterでは誰も突っ込んでくれなくてさみしかったです……)

 

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そんなわけで向かったのは、チャジャン麺博物館からわずか徒歩1分の距離にある中国料理店「新勝飯店」(シンスンバンジョム)。
開店20分前には到着。というのもこちらのお店、数あるチャイナタウンのチャジャン麺屋の中でも頭ひとつ飛び抜けた人気を誇り、11時10分の開店と同時にたちまち行列が形成されるため、開店10分前の11時ちょうどから待機票(整理券)を発行すると聞いたからです。よく見ると自動ドアの左上に「4人以下」「5人以上」それぞれの待機標番号の表示板がありますね。
実際、開店直前になると私を含め30名前後もの列が。どんだけ人気店ですか。

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11時ちょうどから待機票順に入店可能ですが、10分になるまで注文は取りに来ません。もちろんすでに満席です。
今回注文したのは、こちらのお店で一番人気という「ユニチャジャン麺」(유니짜장면:肉末炸醤麺)。「ユニ」とは豚挽き肉を意味する中国語「肉泥」の山東方言に由来し、豚肉や野菜を細かく挽いてチャジャンソースに混ぜたものを指すとのこと。そのため通常のチャジャン麺よりもなめらかで香ばしい味とされています。
基本は8,000ウォン(約800円)ですが、今回は迷わずコッペギ(곱배기:大盛)9,000ウォンを注文。朝食からまだ3時間弱なのに近代建築巡りでお腹はすっかりペコペコです。

 

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そして出てきたユニチャジャン麺。好みで味を調節しながら自分で混ぜ混ぜして食べられるよう、一般的なチャジャン麺とは異なりソースと麺がセパレートになって出てきます。麺の上には目玉焼きも。

 

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混ぜ混ぜして実食。安いチャジャン麺にありがちな粉っぽさが全くなく、上品な味に仕上がっています。ほどよい甘さの中に軽やかなビター風味が。うんまい。往年の「共和春」のチャジャン麺もこんな味だったのでしょうか。
「新勝飯店」の営業時間は11:10~21:00(ラストオーダー20:30)。今回食べたユニチャジャン麺のほか、通常のチャジャン麺(普通5,000ウォン、コッペギ6,000ウォン)もあります。前述したように開店10分前(11:00)から、店内に入ってすぐ左側の発券機にて待機票を配布します。並ばずに食べたい方はこちらをお忘れなく(といっても待機票のために並ぶのですが.......)
新勝飯店(신승반점:仁川広域市 中区 チャイナタウン路44番ギル 31-3 (北城洞2街 11-32))

再びお腹も膨れたところで、次の目的地であるソウルへ移動。
荷物を回収し、地下鉄1号線の電車へと乗り込むのでした.....

仁川の旅[201704_01] - 桜咲く仁川2号線の旅、キムチチゲ一本勝負のこだわり定食屋さん

今回からは、本年(2017年)4月14日(金)から翌15日(土)にかけての仁川広域市およびソウル特別市の旅をお届けします。

 

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今回は久々に、羽田空港を深夜2時に出発するピーチで仁川へ。今回もまたほぼ満席状態です。

 

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午前4時台、仁川国際空港に到着。いつもならここでソウル駅へノンストップで直行する空港列車「A'REX」の始発に乗るところですが、今回はここ仁川広域市もまた目的地のひとつであるため、同じA'REXでも各駅停車である一般列車に乗車。

 

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黔岩(コマム)駅で下車し、昨年夏に開業したばかりの仁川地下鉄2号線(以下「仁川2号線」)に乗り換えます。この仁川2号線もまた、日本語表記をあちこちで見かけます。

 

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初めて乗る仁川2号線。電車は写真のような一見して軽電鉄(新交通システム)のような若干小さめのもので、それも2両編成を基本としています(そのため後述する目的地からの帰りは混雑していました)。

 

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釜山などの軽電鉄と同様に無人運転であるため、先頭部または最後部からの車窓も望むことができます。

 

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仁川の地下鉄特有のポイントとして、韓国国旗である太極旗が車内に貼られている点が挙げられます。同様に地下鉄があるソウル、釜山、大邱、光州では見たことがありません(大田は未乗のため不明)。仁川1号線では車端の通路上にありましたが、こちらの仁川2号線では1両に左右3か所ずつある扉のうちひとつの上部にありました。

 

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飛行機であまり眠れなかったためウトウトしていたら、終点の雲宴(ウニョン)駅に到着。
このあたりはまだ開発が進んでおらず、住宅よりも農地が目立つところで、駅前の道路はまだ整備中でした。

 

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ところどころ満開の桜が立つ早朝の小道を、目的地までのんびり歩きます。こういう旅もたまにはよいですね。

 

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雲宴駅から15分程度歩いたところにあるのがこちらの交差点「チヤコゲサムゴリ」(치야고개삼거리)。訳すると「チヤ峠三叉路」という意味です。
何の変哲もない交差点ですが、単に私の好きなキャラクターと同じ名前だったので、一度来てみたかったというわけです。
「지야」(チヤ/ジヤ)と表記する地名は光州広域市にもありますが(北区芝野洞)、韓国の公式版コミック単行本でのハングル表記である「치야」の名がついた地名は、私が調べた限り韓国でもここにしかないようです(余談ですが「千夜」をそのままハングル表記した「천야」(チョニャ)という地名は存在しないようです)

チヤコゲサムゴリ(치야고개삼거리:仁川広域市 南洞区 雲宴洞 山83-4)

 

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ここチヤコゲサムゴリ、実は先ほど下車した雲宴駅よりも、そのひとつ手前の仁川大公園(インチョンテゴンウォン)駅寄りに位置しています。その仁川大公園駅までの道は桜並木の緩やかな下り坂となっており、この日(4月14日)はちょうど満開となっていました。
ちょうどこのあたりは仁川2号線の電車が切り割り構造の雲宴駅から高架線へ移行するため姿を現す地点で、タイミングが合えば私のような下手っぴでもそれなりに絵になる写真を撮ることができます。

 

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仁川大公園駅から再び仁川2号線の電車に乗ります。こちらも日本語表記がふんだんですが、仁川市庁、ちょっと惜しい。
今度は黔岩駅よりも手前の朱安(チュアン)駅で下車、首都圏電鉄1号線(Korail京仁線。仁川1号線ではない)に乗り換えます。

 

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そしてやって来たのは終点の仁川駅。日本語表記も堂々たるものですね。この駅周辺は朝鮮時代末期・1883年の仁川港開港から日帝強占期にかけての仁川の旧市街であり、現在は韓国でも最大規模のチャイナタウンが広がっています。こうした点で仁川は横浜と実によく似ていると感じます。
首都圏にあることを除けば神戸とも似ていますね。ちなみに仁川広域市と神戸市は姉妹都市関係を締結しています。
写真はありませんが、ここ仁川駅にもボックス数は少ないとはいえコインロッカーが。仁川駅は今回下車した首都圏電鉄1号線の地上駅のほか、昨年(2016年)夏に開業したKorail水仁線(スインソン)の地下駅もありますが、こちらにコインロッカーがあるかどうかは不明です。

 

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韓国に来てまだ何も食べていなかったので、さっそく腹ごしらえに向かったのがこちらのお店「ミョンウォルチッ」。1966年創業、メニューは名物のキムチチゲがメインの「白飯」(백반:ペッパン。ここでは「定食」の意)一本というこだわりのお店です。

 

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キムチチゲはなんとおかわり自由。「드실 만큼만 가져가세요~」(召し上がる分だけお持ちください)との表記も。コンロの上でぐつぐつ煮込まれています。

 

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黒米のごはんとパンチャン(おかず)が揃ったところで、ぱくり。キムチチゲ、うんまい。やや酸味がありますがそれがまたよい。チゲの中の白菜キムチをわしわし食べ進めると、欲を言えば白米が欲しくなりますね。

 

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パンチャンも全体的に高レベルです。それらの中でも写真の豆腐の煮つけと、市販のものより凹凸に富んだ海苔は絶品でした。締めにはヌルンジ(ご飯のお焦げにお湯を注いだもの)まで。
こちらのお店「ミョンウォルチッ」、キムチチゲがおかわり自由の「白飯」は7,000ウォン(約700円)。営業時間は07:30~20:30。日曜定休。開店が早いので朝食に最適です。
ミョンウォルチッ(명월집:仁川広域市 中区 新浦路23番ギル 41 (中央洞3街 4-46))

ここからはいよいよ仁川旧市街の近代建築巡りとなるのですが、そちらは次回のエントリーにて……

釜山の旅[その7] - 避難民の辛苦を物語る「40階段」と「文化館」、そしてチュックミ焼き&ユブジョンゴル

前回のエントリーの続きです。

 

gashin-shoutan.hatenablog.com

「ヒンヨウル文化マウル」バス停から乗車した82番バスで、地下鉄(都市鉄道)1号線の「凡一」(ポミル)駅に到着。そこから徒歩、この日(2月12日)の前日の夜に訪問したばかりのKorail京釜線跨線橋、通称「クルムタリ」(구름다리:雲の橋)方面へ。

 

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それというのも、この日の昼食目当てだった釜山名物テジクッパの人気店「ハルメクッパ」がクルムタリを越えた向こう側にあるためでしたが、店先には「定休日」との張り紙が。残念ながらこの日(日曜日)は定休日だそうで。下調べが足りませんでした。
一刻も時間が惜しいので、リベンジを誓いつつも踵を返します。

 

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続いて、隣の「中央」(チュンアン)駅へ。
同駅の13番出口を出て最初の角を左に曲がると、突き当たりに奇妙ならせん階段が。
その形状からか「ソラ(소라:サザエ)階段」と名付けられたこちらの階段は、現在地から10mほど高いところを走る道路、そして次の目的地への近道でもあります。

 

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上にたどり着くまでおよそ4回転半。目が回りそうです。酔った人向けでしょうか、途中からは普通の階段も併設されています。

 

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そして「ソラ階段」を登りきった場所にあるこちらの建物の5階に入っているのが、次の目的地「40階段文化館」です。
実はこちら、昨年(2016年)1月の釜山訪問の際にも立ち寄ったのですが、そのときは館内改装に伴う半年もの長期休館中でした。1年あまりを経た今回の再訪で、ようやく入館がかなったわけです。

 

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この「40階段文化館」は、朝鮮時代末期の釜山港開港から日帝強占期、光復(日本の敗戦による解放)と大韓民国の建国、そして朝鮮戦争を経て現代へと至るまでの釜山の歴史、中でも特に朝鮮戦争期に全国から殺到した避難民たちの生活に焦点を当てた展示館であり、すぐ近くにある選難民の辛苦を象徴する場所「40階段」にちなんで名付けられたものです。
こちらもまた、受付の女性が日本語を少し話せる方で、いくつかの展示品の案内をしてくださいました。

 

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朝鮮戦争期の青空学校(小学校)の写真と、その様子を精巧に再現したジオラマ

 

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「求職」の文字を首にぶら下げている、避難民と思しき男性。この前日(2月11日)に「臨時首都記念館」で見た再現人形(こちらのエントリーにて紹介)のモデルと思われます。

 

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朝鮮戦争期の代表的な食事のサンプル。奥の列の一番左側は「クルクリチュッ」(꿀꿀이죽:豚(の餌)の粥の意)と呼ばれる、米軍の残飯を煮込んだ料理で、避難民たちの過酷な貧困状況を端的に示したものであるといえます。

 

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これら以外にも数々の展示品がありますが、できれば実際に足を運んでいただきたい場所ですので、詳しい紹介はこの辺にとどめます。
「40階段文化館」へのアクセスは、地下鉄(都市鉄道)1号線「中央」駅13番出口より徒歩約5分。若干遠回りとなりますが、同駅11番出口を出て「40階段文化観光テーマ通り」および「40階段」(いずれも後述)経由でも行くことができます。
開館時間は平日(火~金)9:00~18:00、土日10:00~17:00。毎週月曜日、公休日は休館。

40階段文化館(40계단문화관:釜山広域市 中区 東光ギル 49 (東光洞5街 44-3))

 

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40階段文化館の建物を出て右(南)方向へ1分ほど歩くと、下の道へ降りる幅の広い階段が左手に現れます。
この階段こそが、まさに「40階段」です。

 

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こちらの階段は、1950年6月25日の勃発から休戦まで3年あまり続いた朝鮮戦争当時、全国各地から戦火を逃れここ釜山へやってきた無数の避難民たちが上り下りした階段であり、前述したようにここ釜山における避難民たちの辛苦を象徴する代表的なスポットとなっています。

 

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こちらは先ほどの「40階段文化館」に展示されていた、朝鮮戦争当時の「40階段」の写真と、その一部をミニチュアで再現したもの。現在の40階段とは若干異なる位置にあったようです。

 

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階段の途中には、アコーディオンを弾く男性の像が。
ここに来ていつも驚かされるのは、踊り場でもない階段の途中に面して理髪店などの店舗の入口があること。日本ではまず見たことがありません。

 

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40階段から1号線「中央」駅方面へと向かう街路には、「40階段文化観光テーマ通り」という名前がつけられています。
こちらの街路は、朝鮮戦争期の避難民たちの哀歓と郷愁が漂う「40階段」とその周辺を1950~60年代当時の雰囲気に再現し、思い出を回想できるようにすることを目的として、2004年に整備されたものです。
街路のところどころに、朝鮮戦争当時から休戦後の人々の暮らしを象徴する像が建てられています。

 

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40階段を降りたところの前(中央駅側)にある、ポン菓子作りの男性と出来上がりを待ちわびる子どもたちの像。

 

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幼子に乳を与える母らしき女性の像。

 

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水を運ぶ少女。重そうです。主に避難民が暮らしたタルトンネ(달동네:斜面などに形成された低所得層の集落)では水道が整備されておらず、ごく普通の光景でした。

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仕事の疲れか、箱のようなものに座り、背負子にもたれかかる男性たち。

この前々日(2月10日)に訪問した草梁(チョリャン)駅そばの「平和の少女像」(こちらのエントリーにて紹介)をはじめ、こうした等身大のリアルな像を用いて過去の悲劇や苦難を記憶する取り組みは、韓国が数十歩進んでいるように感じます。学ぶべきものは無数にあります。

 

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「40階段文化観光テーマ通り」の起点であることを示す造形物。ここから徒歩1分もかからない場所に、地下鉄(都市鉄道)1号線「中央」駅11番出口があります。
40階段文化観光テーマ通り)(40계단문화관광테마거리:釜山広域市 中区 40階段ギル 一帯)

 

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さすがにおなかがすいてきたので、そろそろ腹ごしらえの時間です.
今回は「40階段文化観光テーマ通り」から徒歩6分程度の距離にある「トゥンボチッ」へ。
こちらはチュックミ(주꾸미:イイダコ)料理がメインのお店で、今回の旅の直前に投稿されたある方のブログを見て、訪問の候補に入れていたものです。

 

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こちらの店先では、網に挟み込んだチュックミを炭火で丁寧に焼いています。あたりには香ばしい匂いが充満。よだれがほとばしり出ます。

 

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入店。注文したのはもちろん、先ほど店先で焼かれていた「チュックミグイ」(쭈꾸미구이:チュックミ焼き)、12,000ウォン(約1,200円)。

 

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そして出てきたチュックミグイ。チュックミそれ自体のうまみに炭火特有の香ばしさ、そしてパンチのある辛さの特製ヤンニョムが渾然一体となっています。うんまい。ビールにめちゃくちゃ合います。辛さで額に汗が流れますが止められません。次の食事を考慮して1人分だけ頼んだものの、あまりのおいしさにもう1人分を追加。
2枚目の写真でチュックミグイのお皿の左に写っているクリームシチューみたいなものは、チュックミグイを頼むとついてくるコンビジ(콩비지:おからスープ)で、これがまたまたうんまいのです。初めて食べましたがこんなにおいしいとは正直思っていませんでした。

 

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付け合わせの小さな白菜の葉にチュックミさんをちょこんと乗っけて。この食べ方もうんまいです。
こちらのお店にはその人気でチュックミグイと肩を並べるという、自家製トゥブ(두부:豆腐)がメインの「トゥブ定食」(두부정식)も。こちらはなんと3,000ウォン(約300円)という激安メニュー。いつか食べてみたいものです。

「トゥンボチッ」の営業時間は11:00~22:30、毎月第4日曜日休業。地下鉄(都市鉄道)1号線「中央」駅3番出口からだと徒歩約3分。大通りの「中央大路」(중앙대로:チュンアンデロ)に沿って「南浦」(ナムポ)駅方面へ進み、2番目の角を右折、続いてすぐの角を左に曲がって50mくらい進むと右手に現れます。

トゥンボチッ(뚱보집:釜山広域市 中区 中央大路41番ギル 3 (中央洞1街 21-3))

 

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飛行機の時間が迫りますが、どうしても行きたい場所がまだあるので、歩みを進めます。
中区最大の繁華街である「光復洞ファッション通り」(광복동 패션거리)を、続いて一昨日にも訪れた「国際市場」(국제시장)を突っ切ります。途中には映画『国際市場で逢いましょう』の主人公、ドクスの店のモデルとなった「コップニネ」(꽃분이네:「コップンの店」の意)も。開いている姿は初めて見ました。

 

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そしてやって来たのは、こちらも一昨日に訪問した「富平カントン市場」(부평깡통시장)。ここでは今回、2つの目的が。
まずひとつは、市場内のお店「ハルメユブジョンゴル」にて、この日2度目となる昼食のため。

 

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こちらの看板メニューの「ユブジョンゴル」は、タンミョン(당면:韓国春雨)を包んだユブ(유부:油揚げ)を、西日本風のおでんスープで煮込んだもの。上に乗った釜山名物のオムク(어묵:魚肉の練り物)を食べ進めるとユブが現れます。これまたうんまかったです。久々に韓国で「懐かしい」味に出会いました。価格も5,000ウォン(約500円)とお手ごろ。
こちらのお店「ハルメユブジョンゴル」の営業時間は10:00~20:00、年中無休です。
ハルメユブジョンゴル(할매유부전골:釜山広域市 中区 富平3ギル 29 (富平洞1街 15-20))

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そしてもうひとつは、市場のうち東西方向のアーケード通りの両サイドに並ぶ、釜山名物のオムク専門店でのお土産購入のため。

 

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互いにしのぎを削る20軒あまりものオムク店の中から、今回は「桓公(ファンゴン)オムク」を選択。こちらのお店を紹介した某サイトの「調味料を入れずにオムクを煮込んでも真っ白なスープが出るほど濃い味」という一文に惹かれたためです。

 

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さまざまな風味、形のオムクが20個以上も入って、1袋10,000ウォン(約1,000円)と超お買い得。今回の釜山土産となりました。

 

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こちらの写真は帰国後、日本のおでんスープを投入し、自宅で実際に煮込んでみたものです。ただでさえ量が多いうえ、オムクは茹でると膨張することを忘れていたので見た目えらいことになっていますが、これでもまだ全部ではありません。
評判通り、旨みの中にコクの感じられる味で、うんまかったです。味もそれぞれ少しずつ異なるので食べ飽きることもありませんでした。
桓公(ファンゴン)オムク(환공어묵:釜山広域市 中区 中区路43番ギル 25 (富平洞2街 14-1) 富平カントン市場3B-20号)

 

オムクを購入したところで、タイムアップ。
時間がないので富平カントン市場からはタクシーで沙上(ササン)へ移動、荷物を回収して軽電鉄で金海国際空港へ。

 

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金海国際空港の楽しみといえば、何といっても手荷物検査場の先にあるソルビンでしょう。今回食べたのは写真の「フギムジャ(黒ゴマ)ソルビン」。摺った黒ゴマの風味が鼻腔をくすぐります。半円形に盛られたあんこを除いては甘さ控えめで、別添の練乳を適宜継ぎ足して食べます。
そして、一昨日に釜山へ来たときと同じエアプサンで帰国の途に着くのでした。

 

2017年2月の釜山の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2017年4月の仁川・ソウルの旅を紹介いたします。

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