かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

群山の旅[201801_01] - あの映画の撮影地でファンテ(スケトウダラ)尽くしの群山の夜

今回からは、本年(2018年)1月19日(金)から同月21日(月)にかけての全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市の旅をお届けします。

 

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群山市は韓国の西海岸、全羅北道の北西部に位置する人口約28万人の港湾都市です。
かつて鎮浦(ジンポ)と呼ばれていたこの街は、韓国有数の大河である錦江(クムガン)が西海(ソヘ。黄海)へと注ぐ河口に位置しているため、古くから港町として発展してきました。そうした地の利から、高麗時代には租税の穀物を都へ移送するまで一時保管する「鎮成倉(ジンソンチャン)」が設置され、これは朝鮮時代にも「群山倉(クンサンチャン)」と名を変えて受け継がれています。
このような理由から、鎮浦は高麗時代から幾度となく倭寇の襲撃を受けてきました。中でも高麗末期、1380年夏のそれは500隻あまりもの大軍によるものでしたが、このとき崔茂宣(촤무선:チェ・ムソン、1325-1395)が中国から導入した火砲を用いてこれを全滅させた戦いは「鎮浦大捷(ジンポ・テジョッ)」として今日まで語り継がれています。
一方、群山市西側の西海上に浮かぶ小島であり、現在は同市の一大観光地となっている仙遊島(ソニュド)はかつて「群山島」と呼ばれ、一帯には水軍の鎮(地方の軍事拠点)である「群山鎮(クンサンジン)」が設置されていました。これが朝鮮時代初期の15世紀初頭に鎮浦へ移転。その後、朝鮮時代中期の17世紀には再び仙遊島一帯に水軍鎮が設置されますが、従来の(鎮浦の)群山鎮と区別するため「古群山鎮(コグンサンジン)」と呼ばれるようになります。これが仙遊島を含む古群山群島の由来となっています。

 

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時代は下って1899年、「沃溝府(オックブ)」となったこの港町は時の大韓帝国皇帝、高宗(고종:コジョン、1852-1919)の勅令によりとして国外との貿易港である開港場に指定され、1910年には群山府(クンサンブ)に名称を変更しています。
これら開港場の設置は関税収入による財政の適正化に加え、海外貿易による国内経済の活性化を期したものでしたが、現実には日本をはじめとする海外資本の進出、とりわけ米の対外流出によりかえって国内経済の弱体化を招く結果となりました。
日韓併合」を経た日帝強占期には、朝鮮最大の穀倉地帯である全羅道一帯で生産された米を日本へ移送する港として、まさしく収奪の現場となりました。そのため群山港一帯の地名は、これら収奪米を一時的に収蔵する場所という意味の「蔵米洞(チャンミドン)」の名が現在も残っています。
群山に先んじて開港場となった仁川広域市中区(チュング)全羅南道(チョルラナムド)木浦(モッポ)市などと同じく、群山の旧市街である群山港周辺には開港期から日帝強占期にかけての近代建築や日本家屋が数多く残されています。これらは当時の支配と収奪を記憶し、後世に継承するために保全され、その一部は展示施設として開放されています。写真はそれらのうち1908年築の「旧群山税関本館」(史跡第545号)。同様の様式であるソウルの「旧ソウル駅舎」および「韓国銀行本館」ととともに、韓国における「西洋古典主義3大建築物」と並び称される建物です。

 

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そして私にとって群山といえば、大好きな1998年公開の韓国映画八月のクリスマス』(原題『8월의 크리스마스』)のメイン撮影地であり、どうしても訪れたかった街でした。写真はハン・ソッキュさん演じる主人公ジョンウォンの経営する「草原写真館」を同じ場所に再現した建物。店先にはジョンウォンの愛車のスクーターも置かれています。初めて映画を観てから20年近く、ようやくその念願がかなうこととなりました。こちらを含む撮影地巡りについては以後のエントリーにて詳しく紹介したいと思います。

 

前置きが長くなりましたが、それでは本題に入ります。

 

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今回はジンエアーの成田-仁川線を利用しての韓国入り。
ジンエアーは機内で軽食が提供されるとはいえ、さすがに物足りないうえ、目的地まではまだかなり時間があるので、まずは腹ごしらえから。

 

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訪れたのは、第1夕ーミナルの到着ロビーにある「第ー製麺所」(チェイルジェミョンソ)。第一製糖(チェイルジェダン)株式会社を核とするCJグループの全国チェーンで、その名の通り麺類を主に扱っています。日本人にとっては認識しやすい漢字表記の屋号。みなさまの中にもどこかで見かけた、あるいは実際に利用した方も少なくないことでしょう。
せっかく韓国に来たのに全国チェーン店の食事だなんて……とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、財閥グループ運営とはいえ栄枯盛衰の激しい韓国飲食業界で全国展開できるということは、つまりそれだけの味を持つということです。今回初めて同店を利用して以来、そのことを痛感しています。

 

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注文したのは「キムチマリククス(김치말이국수)」。麺にキムチを乗せ、トンチミ(동치미:大根の水キムチの汁)をかけて食べるククス(국수:麺料理の一般名称)のことで、こちらでは麺にソミョン(소면:日本でいうそうめん)が用いられています。
スープの氷も浮いて真冬にはちょっと涼しげすぎる見た目ですが、ターミナル内は暖房が効いているうえ私自身も暑がりなので、むしろちょうどよい感じです(もっともトンチミは越冬食材なのでキムチマリククスを真冬に食べるのは決して季節外れではないそうですが)
冷麺のような歯ごたえこそないものの、トンチミとキムチベースのスープにしっかりした酸味があっておいしかったです。そんなわけでこちらのお店、同年5月の光州の旅(後日紹介予定)でも帰国直前にまた利用したのでした。

 

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こちらのお店「第一製麺所仁川空港入国店」の営業時間は午前3時~午前0時、年中無休。「入国店」の店名からも分かるように、仁川国際空港第1ターミナル1階、ゲート「C」近くの到着ロビーに面しています。仁川国際空港から直接バスで地方へ向かわれる方、あるいは帰国直前にお腹が空いた方には最適のお店です。

第一製麺所 仁川空港入国店(제일제면소 인천공항입국점:仁川広域市 中区 空港路 272 (雲西洞 2840))

 

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仁川国際空港からは、この当時まだ空港鉄道に乗り入れていたKTX韓国高速鉄道)に乗車します。この前年(2017年)10月の光州(クァンジュ)広域市・全羅南道(チョルラナムド)の旅で利用して以来です。ただ前回と異なるのは、仁川国際空港の第2ターミナルとあわせて開業した「仁川空港第2ターミナル」駅の誕生に伴い、駅名が「仁川空港」駅から「仁川空港第1ターミナル」駅に改称されたこと。
今回の旅は、本年(2018年)2月に開催された平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックパラリンピックの開催直前。そんなわけで駅のホームには、韓英2言語によるKTX京江線キョンガンソン)路線図&各競技会場への最寄り駅案内が。その京江線もこの前年(2017年)12月に開業したばかりです。

 

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私が乗車する木浦行き「KTX-山川(サンチョン)」が第1ターミナル駅のホームに入ります。前回(2017年10月)と全く同じ列車ですが、当時とは異なり第2ターミナル駅KTXの起点/終点となったため、前回のように早くから当駅で列車が待機することはなくなりました。
もっとも、これもわずかな期間の出来事であり、その後平昌冬季五輪への輸送を終えた2018年3月には空港鉄道への乗り入れが休止、そして同7月には乗り入れ廃止が正式決定したため、この日のような仁川空港からのKTX乗車は過去のものとなってしまいました。
元々利用客が少なかったことに加え(この日も前年10月も数えるほどでした)、その乗り入れが空港鉄道、とりわけ直通列車の増発に支障となっていたことが廃止理由のようです。特に後者を考えればやむを得ない判断ではありますが、せめてその代わりに龍山(ヨンサン)駅発着のKTX全列車のソウル駅延長、および幸信(へンシン)駅発着のKTX全列車のソウル駅停車を切にお願いしたいところです……。

 

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余談ですが、KTXを運行するKorail韓国鉄道公社)では空港鉄道乗り入れ休止の少し前から、地方のKTX乗客を対象に、光明(クァンミョン)駅での<6770>番リムジンバスヘの乗換による空港アクセスの普及に力を入れています。写真は本年(2018年)10月に全羅南道の順天(スンチョン)駅構内にて撮影した宣伝広告。とはいえ渋滞や少ない定員など、不確定要素の大きいバス輸送はちょっと不安がありますよね……。

 

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仁川国際空港から2時間20分ほどで、益山(イクサン)駅に到着。ここで乗り換えのために下車します。私にとっては初めての利用です。駅前にはきれいなイルミネーションが。

 

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全羅北道益山市の玄関口である同駅は、光州松汀(ソンジョン)駅や羅州(ナジュ)駅を経て木浦駅へ向かうKTX湖南線(ホナムソン)、および全州(チョンジュ)駅や順天駅を経て麗水(ヨス)エキスポ駅へ向かうKTX全羅線(チョルラソン)の分岐点であり、分割併合機能を持つ「KTX-山川」はこの駅で下り列車の湖南線方面と全羅線方面の車両が切り離されたり、反対に上り列車が併結されたりします。そうした事情もあって、湖南線と全羅線のKTX全列車がこの駅に停車します。
さらにKTXではありませんが、これから私が乗車する長項線(チャンハンソン)もここ益山駅から分岐するなど、まさしく交通の要衝と言うべき存在の駅です。
ちなみにこの益山駅、1995年までは裡里(イリ)駅と呼ばれていました。裡里とは益山市の旧市名であり、同年に旧益山郡と合併したことで現在の益山市が誕生しています。その裡里駅時代の1977年11月11日には同駅構内に停車中であった貨物列車のダイナマイトが爆発、死者59名に負傷者1300名以上という大惨事が発生しています(裡里駅爆発事故)。

 

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益山駅からは長項線のムグンファ号に乗車します。

 

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約23分で今回の目的地、群山駅に到着。
実は21kmほどしか離れていない両駅間にこれほど時間を要するのは、長項線が単線であり、途中駅で対向列車を待たなければならないから。単線区間は益山駅から130kmあまりも先の新昌(シンチャン)駅まで続くため、長項線では列車遅延もしばしばだといいます。

 

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群山駅舎。2008年築の立派な建物です。
元々は益山駅から分岐する群山線(クンサンソン)の終点であり、もっと市街地寄りにありましたが、群山市が北側で面する大河、錦江を渡る鉄橋の完成により2008年1月に対岸の忠清南道(チュンチョンナムド)舒川(ソチョン)郡の長項(チャンハン)駅止まりであった長項線と連結されたことに伴い移設されたものです。

こんなに立派な駅舎ですが、コインロッカーはありません。
念のため駅員さんに尋ねたところ、よろしければ駅務室で荷物を預かりましょうか、とのご回答が。まさかのご提案に感謝しつつも、この日は大した移動予定はなかったため、群山市内を巡る予定であった次の日にお願いすることに。

 

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駅前からタクシーに乗って市街地方面へ移動します。
まずやって来たのは、旧群山駅の跡地からも近い新栄洞(シニョンドン)。ここにある在来市場「新栄市場」の一角に、いい感じの酒場があると聞いたためです。ほとんどの店が閉店済みの新栄市場内を進みます。

 

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目的の酒場「ホンチッ(홍집)」。扉にはこうした情感あふれる酒場に特有の「주류일절(酒類一切)」の表記が。実はこの表記、字面の上では「酒類は一切ない」という意味となります。本来であれば「주류일체」(「酒類一切を扱う」の意)と表記すべきところですが、前者の表記が広まったため一般的になったのだそうです。
さてこちらのお店、結論から言えば今回は入店することができませんでした。午後8時閉店との情報を得ていましたが、正しくは午後7時なのだとか。無理にお願いすることはできないので、訪問は次回に預けることとし、気を取り直してまたタクシーで別のお店へ向かいます。

続いてやって来たのは羅雲洞(ナウンドン)、群山の名物料理であるコッケジャン(꽃게장:ワタリガニのカンジャン(醤油)漬け)の名店として知られる某店。いかにも賑わってそうな広い駐車場付きの立派な建物のお店です。しかし、稼ぎどきの金曜の夜なのに建物は真っ暗。どうやらごく最近になって店を畳んでしまったようです。
さて困りました。夕食候補にチェックした別のコッケジャンのお店はいずれも歩いて行ける距離にはありません。そのうえどうしたことか群山のコッケジャンのお店は総じて閉店時刻が早く(遅い店でも午後10時)、すでに8時半の現時点では移動したところでラストオーダーに間に合わない可能性があります。
そんなわけでコッケジャンはあきらめ、閉店時刻まで余裕のありそうな次の候補のお店へ。キャリーバッグを引きずって向かいます。 

 

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道すがらにあった謎のお店「モロミ」。日本文化へのリスペクトがすごいです。

 

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そうして20分あまり歩いてやって来たのが、写真のお店「ファンテカメクサラムドゥル群山本店」。屋号にもあるようにファンテ(황태:スケトウダラの寒干し)の専門店です。別に群山の特産品というわけではありませんが、ファンテ尽くしの料理がおいしそうだったので候補に加えていたものです。

 

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お通し。日本とは異なりもちろん無料です。

 

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注文したのは、ファンテモドゥムセットと半乾(パンゴン)ノガリ。モドゥムとは「盛り合わせ」、半乾とは「一夜干し」、そしてノガリ(노가리)とはスケトウダラの幼魚の干物のこと。ファンテモドゥムセットは身のみならず皮に骨までも付いてくるという、文字通りファンテのすべてが味わえる盛り合わせです。またノガリにはソウル・乙支路3街(ウルチロサムガ)の「乙支路ノガリコルモク」の露天ホーフと同じく、猛烈に辛いけどおいしいヤンニョム&マヨネーズのつけダレが付いてきます。どちらもうんまい。ビールが進みます。

 

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そしてこちらのお店、注文の度にサービスで出てくる写真のファンテケランマリ(ファンテと玉子のスープ)がまたうんまいのです。私の食べっぷりがいいのか、お店の方がサービスしてくださいます。気づいたら3杯目だったという。こう見えても実はかなり辛くて、最初は口にする度に咳き込んだほどですが、これがもう猛烈にうんまくて。
ああ、紆余曲折があったとはいえ、このお店に来て本当によかった。自分がいまあの憧れの『八月のクリスマス』の撮影地にいるということを含め、万感迫るものがあります。

 

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こちらのお店「ファンテカメクサラムドゥル」の営業時間は午後4時(週末は午後2時)~午前2時、第3日曜日定休。
Korail「群山」駅からであれば、「群山駅(군산역)」バス停から<1><2><3><4><7>番市内バスのいずれかに乗車、約31分で到着する「中央女高(중앙여고)」バス停から徒歩約6分(約380m)。または<11><12><13><15><16>番市内バスのいずれかに乗車、約41分で到着する「秀松現代アパート(수송현대아파트)」バス停から徒歩約5分(約310m)
また「群山高速バスターミナル」または「群山市外バスターミナル」(隣接しています)からであれば、「市外バスターミナル(시외버스터미널)」バス停から<11><12><13><15><16><17><18><19>番市内バスのいずれかに乗車、約6分で到着する「秀松初等学校(수송현대아파트)」バス停から徒歩約8分(約510m)。おすすめのお店です。

ファンテカメクサラムドゥル群山本店(황태가맥사람들 군산본점:全羅北道 群山市 築東アンキル 65  (秀松洞 444-7))

 

お腹もいっぱいになったところで、この日の宿へ移動。次の日の群山街歩きへ向けてゆっくりと休むのでした。
それでは、次回のエントリーへ続きます。

 

ソウルの旅[201712_06] - 二人の「少女像」とソウル最後のタルトンネ、朝鮮総督府と逆向きに建てられた「尋牛荘」

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)12月の全羅南道(チョルラナムド)新安(シナン)郡などを巡る旅の3日目(2017年12月3日(土))です。

 

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次の目的地へ向かうため、まずは首都圏電鉄(ソウルメトロ)4号線「漢城大入口(ハンソンディック)」駅で下車。
ここでマウルバスに乗り換えるためバス停へ向かったところ、そのすぐ裏手に「平和の少女像」が。よく見ると、あの少女の向かって右隣の椅子にもう一人、同じように拳を握りしめ鋭い視線で正面を見据える中国服の少女が腰掛けています。
こちらは「韓中平和の少女像(한중평화의소녀상)」といい、中国服の少女像の制作者である清華大学美術教授の潘毅群(パン・イーチュン)と映画制作者のLeo史詠(レオ・スユン)の両氏が、「平和の少女像」の制作者であるキム・ウンソンとキム・ソギョンの両氏に提案し、2015年10月28日に当地に建てられたものです。
「韓中平和の少女像」についてはその存在こそ認識していたものの、その場所が漢城大入口駅であることまでは存じておりませんでした。偶然の出会いにただ驚くばかりです。

 

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中国服の少女の隣には、他の「平和の少女像」と同様に空いた椅子が置かれています。これは、他のアジア諸国の犠牲者のための席だとのことです。

歴史修正による戦時性奴隷・性暴力加害の否定、そしてその被害者たちへの侮辱に立ち向かうための連帯。私は像建立の趣旨に強く共感するとはいえ、それらを許容ないし推進する社会の構成員であり、また被害者たちの支援者でもないため、「連帯」できる資格はないと自身では考えています。それでも像建立の趣旨には強く共感しますし、支持します。なんらかの支援をしなければとの思いが強く胸に迫ります。

韓中平和の少女像(한중평화의소녀상:ソウル特別市 城北区 東小門路3キル 11 (東小門洞1街 1-4))

  

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「韓中平和の少女像」前の「三仙橋・城北文化院(삼선교.성북문화원)」バス停から、マウルバスに乗車。

 

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緑色のマイクロバスのマウルバスはゆっくりと坂道を登り続け、先の「三仙橋・城北文化院」バス停からおよそ11分で「ヨングァン教会(용광교회)」というバス停に停車。そこから歩いて坂道を登ると、まもなく写真の場所に到着します。

 

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ソウル城北区(ソンブック)城北洞(ソンブクトン)、漢陽都城(ハニャントソン。写真2枚目奥の城壁。後述します)にほど近い丘の上を巡る楕円形の道路を中心としたこの一帯は「プッチョンマウル」といい、急斜面に小さな住宅が密集して張り付いた、俗に「タルトンネ(달동네)」と呼ばれる住宅街のひとつです。タルトンネとは直訳すると「月の街」の意。その多くが高いところに位置し、月がよく見えるとしてこの名が付いたとされています。

 

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急坂を登った先にあるため家賃が安く、あるいは傾斜があまりにも激しく先住者すらいなかった土地。そうした急斜面に自ら生活の場を求め、または国や自治体の政策により生活することを余儀なくされたのは、朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)の戦火から文字通り体ひとつで逃れてきた避難民たちであり、そしてそれらを含め、1960年代以降の都市開発のために居住地を追われた低所得層の人々でした。過去に本ブログで紹介してきた釜山の「アンチャンマウル(ホレンイマウル)」や「碑石(ピソン)文化マウル」などは、釜山に殺到した避難民たちが急斜面を切り開いて形成したタルトンネです。

 

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現在のプッチョンマウル一帯は朝鮮時代から住民がいたようですが、光復(日本の敗戦による解放)後の都市人口急増に加え、前述した人々の流入により1960年代以降にその規模が拡大したといいます。かつてソウル市内に点在していたこれらタルトンネはそのほとんどが再開発によって消えゆく中、ここプッチョンマウルは取り残され、いつしか「ソウル最後のタルトンネ」とまで呼ばれる存在となりました。

 

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現在はその大半がお年寄りだというプッチョンマウルの住民たちは、ソウルでも稀有の存在となったタルトンネの雰囲気を残すこの街を活性化すべく、マウル内に案内板を設置し、また一部の家屋を壁画で彩り、さらには住民参加型のイベントを開催するようになります。とはいえタルトンネ再生の成功例である釜山の「甘川(カムチョン)文化マウル」などのようには行かず、現状では「知る人ぞ知る」水準にとどまっているようです。
写真1~2枚目はそれらの一環で開店した「プッチョンカフェ」であり、閉店してしまった現在もなおその壁面には住民たちの写真が飾られています。

 

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プッチョンカフェの裏手にあった「プッチョン理髪」 。情感漂うたたずまいです。

 

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情感あふれるプッチョンマウルの姿。すっかり葉が落ちた木の上にある黒っぽい塊は、日本にも分布するカチ(까치:カササギ。学名:Pica pica)の巣だと思われます。カササギ佐賀県などではカチガラスと呼び、佐賀県の県鳥にも指定されています。

 

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写真1~2枚目は家屋の壁や道路脇に描かれた壁画。「壁画マウル」と呼ばれる住宅地よりは少ないですが、ここプッチョンマウルにもいくつかの壁画が存在します。
写真3枚目は前述した「プッチョンカフェ」の近くにあった公衆トイレ。子どもたちの描いた絵で彩られています。

 

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プッチョンマウルにあった廃屋。

 

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プッチョンマウルにあった道路名住所の表示板。ソウルではこうした表示板での日本語表記は決して珍しくありません。

 

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ところでソウルの「プッチョンマウル」と聞くと、以前にこちらのエントリーでも紹介した韓屋(ハノク)が立ち並ぶ住宅街、「北村(プッチョン)韓屋マウル」(写真)を想像する方もいらっしゃるでしょう。カタカナ表記では同じですが、ハングルだと「북정」と表記する城北洞のタルトンネに対して北村は「북촌」と表記し、最後の「ン」の発音も異なります(日本人には区別しづらい音ですが)。また北村は地主など富裕層向けに計画的に造られた建売住宅地であり、プッチョンマウルとはその成り立ちから異なっています。

本年(2018年)7月19日付の聯合ニュースのこちらの記事によると、プッチョンマウルが2~4階建ての低層テラスハウス団地として再開発される予定だとあります。この記事の通りであれば、現在のプッチョンマウルの姿も近く思い出の中に消えることとなります。住民でなく支援者の立場でもない私はその賛否を問う立場にはありませんが、せめて一人でも多くの住民の方にとってプラスとなるよう形で結実することを切に祈っています。

 

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プッチョンマウルへは、前述したように首都圏電鉄(ソウルメトロ)4号線「漢城大入口(ハンソンディック)」駅で下車、6番出口を出てすぐの場所にある「三仙橋・城北文化院(삼선교.성북문화원 )」バス停より<성북(城北)03>マウルバス(写真1枚目)に乗って約12分で楕円形の道路内の最初のバス停である「ヤン氏カゲアプ(양씨가게앞)」バス停(写真の位置。写真2枚目)に到達できます。バスはプッチョンマウルの楕円形の道路を反時計回りに一周してから漢城大入口駅方面へ戻るので、好きな場所で下車するとよいでしょう。
住宅街であるプッチョンマウルは24時間いつでも訪問でき、また案内板や壁画などからも分かるように訪問者増、ひいては観光スポットとなることを期した場所ですが、お年寄りを中心とした住民の方々の生活空間でもあります。ご訪問に際してはどうかお静かに観覧いただくようお願いいたします。

プッチョンマウル(북정마을:ソウル特別市 城北区 城北路23キル (城北洞) 一帯)

 

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プッチョンマウルから北へ向かって徒歩2分ほどの場所に、写真の家屋が建っています。


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「尋牛荘(シムジャン)」と呼ばれるこちらの建物は、僧侶であり、文学者であり、そして1919年の「3.1運動」では民族代表33名の一人に名を連ねた独立運動家である韓龍雲(한용운:ハン・ヨンウン、1879-1944。号は萬海(만해:マネ)。写真1枚目左上の人物)氏が自宅として1933年に建てた韓屋で、亡くなるまでの11年間をここで過ごしました。「尋牛」の名は、仏教において悟りに至るまでの10の実行手順のひとつである「自己の本性である牛を探す」に由来するものです。現在は「萬海韓龍雲尋牛荘」としてソウル特別市記念物第7号に指定されています。

 

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韓龍雲氏は朝鮮時代末期の1879年8月29日、忠清南道(チュンチョンナムド)洪城(ホンソン)生まれ。まだ十代半ばだった1894年には「東学農民戦争」(甲午農民戦争東学党の乱)に蜂起軍兵士として参戦した経験もあります。その後1919年に朝鮮半島全土で巻き起こった抗日独立運動「3.1運動」では民族代表33名の一人に名を連ね、まもなく逮捕されて懲役3年の刑を宣告され服役。出獄後の1926年には抵抗文学の先駆けとなった詩集『ニムの沈黙』(님의 침묵:ニムは「君、あなた」の意)を発刊し、翌27年には抗日組織である新幹会(シンガネ)に加入、さらにその翌年には同会の京城(現ソウル)支会長となります。その後は仏教関連の論文や長編小説などの執筆を通じて独立思想の鼓吹に尽力する一方、神社参拝や「創氏改名」、朝鮮人学徒兵出征への反対など一貫した抗日活動を継続しますが、念願の光復を目にすることなく、その前年の1944年にここ尋牛荘にて持病の中風により亡くなっています。
写真はソウル・西大門区(ソデムング)の「西大門刑務所歴史館」(こちらのエントリーにて紹介)にあった、韓龍雲氏など西大門刑務所に収監された文学者による獄中生活関連の著作についての展示パネルです(左下の人物が韓龍雲氏)。

 

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尋牛荘の内部と展示パネル。靴を脱いで自由に上がることができます。

 

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こちらの建物の最も大きな特徴として、家屋としては珍しく北向きに建てられている点が挙げられます。韓龍雲氏がその建築に際し、尋牛荘から見て南側に位置する朝鮮総督府の庁舎建物が視界に入るのを嫌ったためとされています。

 

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朝鮮総督府庁舎は、ソウル五大古宮のひとつであり朝鮮時代末期には王も滞在した朝鮮王室の法宮(正宮)「景福宮キョンボックン)」の正門である光化門(クァンファムン)と、宮内の正殿である勤政殿(クンジョンジョン。国宝第223号)との間にかつて存在した1926年竣工の石造りの近代建築で、その名の通り日帝強占期に朝鮮全土を支配した大日本帝国の植民地統治機関、朝鮮総督府の本庁舎として用いられました。その後1995年からその翌年にかけて解体撤去されたため、忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)市の「独立記念館」にて展示されている一部部材を除いて、現在はその姿を見ることはできません。
朝鮮王室の法宮である景福宮の敷地内、しかもその正殿たる勤政殿の正面に立ち塞がるように建てられた旧朝鮮総督府庁舎は、その有り様からして日本による支配と収奪をこれ以上ないほどに象徴する建物であったといえるでしょう。

これまで本ブログでも紹介してきたように、韓国には日本人による近代建築がいくつも現存し、その多くが国や自治体の登録文化財指定による保全の対象となっています。その主用途にかかわらず植民地支配と収奪の一環で建てられたものだとはいえ、そうした過去を記憶し未来へ継承する観点、あるいは建物自体の建築的価値の観点からです。旧朝鮮総督府庁舎も例外ではなく、23年前の解体に際しては韓国国内でも反対の声が上がったとのことですが、論議の末、韓国の人々はこれを解体する道を選択しました。
個人的には、その立地からして記憶継承などの意義をも凌駕する邪悪さをはらんでいた旧朝鮮総督府庁舎は破壊する以外に道はなく、韓国の人々の判断は正しかったとの考えです。しかしそれは、あくまで韓国の人々が決めるべきことであり、もし仮に何らかの形での保存を選択していたとしても、その判断は尊重されるべきものです。

ひとつ確信をもって言えることは、私を含め支配と収奪のためにそれら建築物を建てた側の子孫に、そうした判断について口出しする資格は一切ない、ということ。もちろんそれは韓国のみならず朝鮮民主主義人民共和国についても、そして台湾(中華民国)についても寸分違いません。
私は旧朝鮮総督府庁舎の解体が始まった1995年頃には韓国の文化に関心を持ち、その紀行文などの書籍や同人誌を購読していましたが、解体と前後してそれらの中で、韓国の人々の判断に反発しあるいは侮蔑嘲笑する態度を少なからず目にしました。そして23年を経た今日も、SNSやブログなどでそうした態度と不意に遭遇することがあります。そのような感情を臆面なくあらわにするすべての日本人を、私は軽蔑します。

 

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「尋牛荘」の開放時間は午前9時~午後6時、年中無休。入場無料です。先ほど紹介した元「プッチョンカフェ」そばの「老人亭(노인정)」バス停(写真)からだと徒歩約2分(約160m)ほどで到達できます。プッチョンマウルとあわせてぜひともご訪問いただきたい場所です。

尋牛荘(심우장:ソウル特別市 城北区 城北路29キル 24 (城北洞 222-1)。ソウル特別市記念物第7号)

 

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プッチョンマウルへ戻ります。日が沈み、夕闇が迫ってまいりました。

 

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プッチョンマウルの裏路地。人はなぜ裏路地に惹かれるのか。

 

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プッチョンマウルのすぐそばには、朝鮮時代に築かれた「漢陽都城」(한양토성:ハニャントソン)の城壁が復元され、夜間にはライトアップされています。
漢陽都城は現在のソウル、当時は漢陽(ハニャン)と呼ばれていた都を外敵から守るため、周囲にそびえる北岳山(북악산:プガクサン)・駱山(낙산:ナクサン)・南山(남산:ナムサン)・仁王山(인왕산:イナンサン)の4つの山の稜線を結び、王宮や市街地を取り囲むように築かれていた城郭です。都城の東西南北には「大門」と呼ばれる門が設置されました。みなさまもよくご存じの南大門こと崇礼門(숭례문:スンニェムン。国宝第1号)東大門こと興仁之門(흥인지문:フンインジムン。宝物第1号)がまさしくそれにあたります。

 

さて、そろそろお腹がすいてきました。この年(2017年)最後となる韓国でのディナー、お店はもう決めています。地下鉄に乗りそのお店へと向かうのでした。

 

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そうして向かったのは首都圏電鉄(ソウルメトロ)6号線「麻浦区庁(マポグチョン)」駅近くのお店、「太白(テベク)クンムルタッカルビ」。
こちらのエントリーでも紹介したこのお店は、かつては同6号線「望遠(マンウォン)」駅からマウルバスに乗り換えて行く場所にありましたがその後移転し、現在の位置に店を構えています。
その名からも分かるように、いわゆる(チーズ)タッカルビとして日本でも広く知られる炒め料理の春川(チュンチョン)タッカルビとは全く異なる、スープベースの料理である江原道(カンウォンド)太白市の名物「太白タッカルビ」をソウルでも味わえる貴重なお店です。2014年春の初訪問以来、あまりにも大好きな味で今回が5回目の訪問となってしまいました。顔なじみとなった男性店員さんからは「よく見つけましたね」という歓待を受けます。

 

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これまで同様、タッカルビの「中」(3人分)を注文。25,000ウォン(約2,630円:2017年12月当時)と前回訪問時より2,000ウォンだけ値上がりしていましたが、韓国の物価上昇状況を考えると仕方がありません(韓国がおかしいのではなく日本の政府与党の政策に伴う実質賃金低下こそが異常なのですが)
いつもと同じく、太白タッカルビの特徴である広い鉄鍋に入った骨付きの鶏モモ肉を、店員さんが目の前でジョキジョキと切ってくださいます。

 

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まずはトック(떡:うるち米のお餅)から。やわっこくてうんまい。なんで韓国のトックはあんなにおいしそうなほのかな黄色をしていて、しかも実際においしいのでしょう。

 

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 待望の「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の号令一下、いよいよ鶏肉を含むタッカルビを食べ始めます。ああ、うんまい。ほどよい辛さとコクのあるスープ、そして骨付き鶏モモから出たダシが渾然一体となっています。何度食べての飽きのこない味。ビールが進みます。

 

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鶏肉をあらかた食べ、まずはウドンサリ(麺)を投入。麺はウドンのほかタンミョン(韓国春雨)やラミョン(即席ラーメン)が選べますが太白タッカルビにはウドンだと個人的に決めています。スープが麺にからんでうんまい。

 

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そして締めはうんまいスープを一滴たりとも無駄にしないよう、ご飯を投入してのポックンパ(볶음밥:チャーハン)。超うんまい。ポックンパを味わうまでがタッカルビです。

 

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かつては韓国を代表する産炭地のひとつであった江原道太白市。その名物料理を扱うお店らしく、店内には炭鉱夫のヘルメットや当時の写真などが飾られていました。

 

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こちらのお店「太白クンムルタッカルビ」の営業時間は午前11:00~午後11:00、毎月第4火曜日定休。
首都圏電鉄(ソウルメトロ)6号線「麻浦区庁(マポグチョン)」駅5番出口から徒歩約12分(約770m) 。6号線に加え同2号線も通る「合井」(ハプチョン)駅からであれば、同駅1番出口を出てすぐの「合井駅」(합정역)バス停より約6分おきにやって来る<마포(麻浦)16>マウルバスに乗って約15分の「弘益幼稚園」(홍익유치원)バス停にて下車、徒歩約2分(約130m)、または同駅6番出口を出てすぐの「合井駅」(합정역)バス停より5~15分おきにやって来る<7011>バスに乗って約12分の「望遠2洞住民センター」 (망원2동주민센터)バス停で下車、徒歩約2分(約150m)。全力でおすすめできるお店です。

太白クンムルタッカルビ(태백국물닭갈비:ソウル特別市 麻浦区 パンウルレ路 53 (望遠洞 436-12))

 

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お腹いっぱいになってお店を出た後、自分へのお土産を買うため、地下に「麻浦区庁」駅のある川の橋を渡ります。

 

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やって来たのは、首都圏電鉄(ソウルメトロ)6号線「麻浦区庁」駅と同「ワールドカップ競技場」駅の間にある、麻浦農水産物市場(マポノンサンムルシジャン)。
余談ですが、この麻浦農水産物市場の正面を通る道路は、韓国の国道1号線です。
国道1号線といえばこの2日前、こちらのエントリーにて紹介した全羅南道木浦市の街歩きで「国道1.2号線起点紀念碑」を見てきたばかり。
この国道1号線は、南は世宗(セジョン)特別自治市光州(クァンジュ)広域市などを経て木浦市へと至ります。また北は京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市の板門店(パンムンジョム)でいったん途切れていますが、その先は朝鮮民主主義人民共和国の開城(ケソン)特級市や平壌直轄市を経て、中国との国境沿いにある平安北道(ピョンアンプット)新義州(シニジュ)市にまで至っています。いずれ近いうちにこれら沿線の街の人々が相互に行き来できるようになるでしょうし、そうなることを祈っています。
そしてその妨害のため、日本政府はなりふり構わずありとあらゆる手段を行使することでしょう。その邪悪な野望を潰えさせるのは私たち日本社会の構成員の仕事であり、義務です。

 

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麻浦農水産物市場のうち海産物を扱う一帯の内部。大好きな韓国の市場の風景です。

 

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こちらの市場へやって来た最大の目的は、市場内にあるスーパー「多農(タノン)マート」を訪れるため。

 

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この「多農マート」のマッコリの品揃えが、それはもうすごいのです。京畿道(キョンギド)加平(カピョン)郡の醸造業者「ウリスル」の、私が大好きなチャッ(松の実)マッコリの松の実の割合をさらに高めた「プレミアム松の実マッコリ(프리미엄 잣 막걸리)」、また京畿道高陽(コヤン)市名産の「ペダリマッコリ」(배다리 막걸리:写真3枚目)をはじめ、大手マートではまず見ない銘柄を含め優に30種類以上が定番在庫として陳列されています。訪問されたある方がこのお店を評して「マッコリの宝庫」と書かれていましたが、実際に訪問してみて全く誇張ではないと知りました。写真3枚目は日本に持ち帰ったペダリマッコリ。うんまかったです。

多農マート(麻浦農水産物市場)(다농마트(마포농수산물시장):ソウル特別市 麻浦区 ワールドカップ路 235 (城山洞 533-1))

 

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宿のある鍾路3街(チョンノサムガ)へ戻ります。
鍾路3街のすぐそばはこちらのエントリーでも紹介した、1920~30年代に建てられた改良韓屋の立ち並ぶ「益善洞(イクソンドン)韓屋マウル」が広がっています。
写真は夜の益善洞韓屋マウルの裏路地、情感が漂います。人はなぜ裏路地に惹かれるのか。

 

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そんな益善洞で見つけたスイーツのお店、「望遠洞(マンウォンドン)ティラミス」。日本でも有名な店のようで、ここを見つけたのもたまたま直前に日本人の女性のグループが入って行く姿を見かけたから。

 

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一般的なティラミスやイチゴ、オレオなど5種類のティラミスの中から今回購入したのは緑茶ティラミス。おいしかったです。
こちらのお店「望遠洞ティラミス益善洞店」の営業時間は午前11時~午後11時、名節(ソルラル(旧正月)と秋夕(チュソク))の当日は休業とのこと。

望遠洞ティラミス益善洞店(ソウル特別市 鍾路区 楽園洞 鍾路区 水標路28キル 22 (楽園洞 120-2))

 

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そろそろアルコールも抜けつつあり物足りない心地で益善洞を歩いていた中、たまたま見つけたクラフトビールのお店「CRAFT ROO(クラフトルー)」。吸い込まれるように入店。
韓国では2002年のクラフトビール解禁以来、クラフトビール醸造する小規模のブルワリーが全国各地にオープンしています。改良韓屋をリノベーションしたこちらのお店ではそうした韓国のブルワリーの15種類ものクラフトビールが味わえるとのこと。

 

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うんまいクラフトビールを飲みつつ、窓の外の韓屋をぼんやり眺める。こういう楽しみ方ができるから鍾路3街での宿泊はやめられません。

CRAFT ROO(크래프트루:ソウル特別市 鍾路区 水標路28キル 17-7 (益善洞 166-57))

 

2017年12月の全羅南道およびソウル特別市の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2018年1月の全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市の旅をお送りします。

ソウルの旅[201712_05] - 鍾路3街の夜はまたあの幸福な酒場で、そして伝統のプゴクッにソウル式チュタン

下記エントリーの続きです。

昨年(2017年)12月の全羅南道(チョルラナムド)新安(シナン)郡などを巡る旅の2日目(2017年12月2日(土))です。

木浦(モッポ)駅から乗車したKTXで、終点の龍山(ヨンサン)駅に到着。木浦での接続がよかったので、直前の訪問地である全羅南道新安(シナン)郡の紅島(ホンド)を出てから5時間37分でここまで来ることができました。この日の朝まで滞在した同郡の黒山島(フクサンド)からだと5時間07分の計算。そう考えると紅島も黒山島も決して遠い場所ではありません。

 

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そしてこの日の宿は、また大好きなこの街、鍾路3街(チョンノサムガ)で。

 

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ホテルに荷物を置いて、鍾路3街の街に繰り出します。写真はその街中にあった酒場、その名も「黒山島」という屋号のお店。看板には黒山島が名産地として知られるホンオ(ガンギエイ)専門とあります。この日の朝まで滞在していた島の名を屋号にする店との不意の出会い。感慨深いです。

 

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そしてこの夜訪問したのは、首都圏電鉄(地下鉄)5号線「鍾路3街」駅6番出口のすぐそばにある「ヘンボッカンチッ」。地方の名だたるマッコリを良心的な値段で味わえるソウルでも稀有(たぶん)の存在のお店です。しかも料理がまた絶品だという。『韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅』など鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの著書でその存在を知って以来、この年(2017年)だけで実に3度目となる訪問です。

 

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今回もまずは大好きな「ソンミョンソプマッコリ」から。
以前にも度々紹介したことのあるこちらのマッコリは、全羅北道(チョルラブット)井邑(チョンウプ)市の泰仁(テイン)醸造所で生産しているもので、農林水産食品部(日本の「農林水産省」に相当)の伝統食品名人第48号であり、全羅北道無形文化財第6-3号に指定されたソン・ミョンソプ(송명섭)名人自ら醸したお酒です。
一般的なマッコリとは異なり、甘みが全くないソンミョンソプマッコリ。私も初めて飲んだときはびっくりしました。「大人のマッコリ」というフレーズが口をついて出そうになりますが、そもそもマッコリが大人の飲み物でした……

 

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ヘンボッカンチッでは、パンチャン(サービスのおかず)にホンハッタン(홍합탕:ムール貝のスープ)が付いてきます。これがまたうんまいのですよ。

 

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料理はこれまた大好きなセコマク(새꼬막:サルボウガイ。メニュー表では「コマク(꼬막)」と表記)。

 

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続いて、マッコリとの相性抜群のジョン(日本でいうチヂミ)の盛り合わせである「モドゥムジョン(모듬전)」。またまたうんまいです。お酒は釜山・金井区(クムジョング)の名物であり、韓国で認定された民俗酒の第1号である「金井山城(クムジョンサンソン)マッコリ」。他に類を見ない濃厚な味が大好きで、釜山訪問の度に買って帰るほどだったりするこのマッコリ、わずか2週間という賞味期限(一般的な生マッコリは約1ヵ月)からも分かるようにデリケートな商品で、冬に保冷剤とあわせて持ち帰っても発酵が進み酸味が増してしまいます。こちらのお店は、発酵が進む前の出来たてに近い味が楽しめる点もまた高ポイントです。

うんまいお酒にうんまい料理。「幸福な店」という意味の屋号に違わず幸せの度合いが高まります。

こちらのお店「ヘンボッカンチッ」は、首都圏電鉄(ソウル地下鉄)5号線「鍾路3街」駅6番出口から徒歩わずか1分(約70m)。月~木は午前0時まで、金土は午前4時まで。日曜日店休。これからもひいきにしたいお店です。

ヘンボッカンチッ(행복한집:ソウル特別市 鍾路区 敦化門路11キル 20 (通義洞 44))

 

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そしてこの日の締めはヘンボッカンチッからも近い「クテグチッ」の水冷麺(ムルレンミョン)。ソウル市内に点在する創業数十年クラスの名店ではありませんが、閉店の早いこれら名店とは異なり安心の24時間営業、しかもそこそこおいしいという。私にとって鍾路3街でのホンスル(「一人飲み」の意)の締めとしてすっかり定着してしまいました。

クテグチッ(그때그집:ソウル特別市 鍾路区 水標路 123 (楽園洞 227))

 

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毎晩がお祭りのような鍾路3街の夜は更けてゆきます。

 

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明けて旅の3日目、2017年12月3日(日)。
この日の朝食は、ソウル特別市庁(市役所)の裏手にある「武橋洞(ムギョドン)プゴクッチッ」へ。
1968年創業、プゴクッ(북어국:スケトウダラの干物のスープ)の名店として知られるこちらのお店は、ランチタイムになると長蛇の列が形成されるという超人気店で、私が訪れた午前9時半の時点でも30人ほどの行列が。日本のガイドブックや旅行サイトなどでも紹介されており、日本人観光客も大挙して訪れるお店です。それだけ待ってでも食べたい味がこちらのお店にはあります。

 

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やって来たプゴクッ。こちらのお店はプゴクッ一本勝負なので注文せずとも人数分のプゴクッがすぐさま出てきます。
まずはスープから。スケトウダラのダシがしっかり効いていてほうとする味。うんまい。そのままでもおいしいですが、付いてくるアミの塩辛を適度に入れるといい塩梅となります。
しかもこちらのお店、なんとプゴクッのおかわりがOKなのです(2016年時点ですがたぶん現在も変わっていないはず)。

 

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写真はこれまた一緒に付いてくる小鉢なのですが、これをご飯に乗せて一緒に食べると猛烈にうんまいのです。もっと量があったならこれ一品だけでもどんぶリ3杯はいけそう。

 

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こちらのお店「武橋洞プゴクッチッ」の営業時間は午前7時~午後8時(週末は午後4時まで)、日曜定休。首都圏電鉄(ソウルメトロ)1号線「市庁(シチョン)」駅5番出口から徒歩約6分(約370m)で到達できます。同「鐘閣(チョンガク)」駅5番出口からでも徒歩約7分(約460m)。看板メニュー(というより唯一のメニュー)のプゴクッ(メニュー表では「プゴヘジャンクッ」と表記)は訪問当時は7,000ウォンでしたが、2018年11月時点では7,500ウォン(約750円:同時点)。強くおすすめできるお店です。

武橋洞プゴクッチッ(무교동북어국집:ソウル特別市 中区 乙支路1キル 38 (茶洞 173)) 

 

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ソウル特別市庁舎
左側の石造りの建物は日帝強占期の1926年に「京城府庁」として建てられた旧市庁舎で、現在はソウル図書館として使用されており、国家指定登録文化財第52号にも指定されています。
その後方には2012年に竣工した、前衛的デザインの新市庁舎が建っています。この新市庁舎を見る度に、誰かが「日本の建物を津波が襲う姿を模した反日建物だ」などと10秒で思いついたようなレベルのデマを吹聴していたのを思い出します。韓国人への憎悪拡散のためならどんな出まかせでも共感され拡散される日本のネット空間を象徴するエピソードです。こうしたデマを看過することはヘイトへの加担でしかありません。 

 

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続いて訪問したのはソウル冠岳区(カナック)、首都圏電鉄(地下鉄)2号線「ソウル大入口(ソウルデイック)」駅近くにある道路「冠岳路14キル」、通称「シャロスキル」。大通り(冠岳路)から一本入ったこちらの道は、その名の通りソウル大学校冠岳キャンパスの最寄り駅である同駅を利用するソウル大生が立ち寄ることで発展した繁華街です。

 

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「シャロスキル」の名がファッションの街として発展し女性を中心に人気の高い「カロスキル」(가로수길:「街路樹通り」の意)にちなんだものであることは、ソウルを何度か訪問された方であれば容易に想像できることでしょう。では「シャ」とは何かというと、ソウル大学校の紋章(写真1枚目)の中央上部に描かれたマークをモチーフとした、冠岳キャンパスの正門(写真2枚目)に由来しています。
このマークは「国立(국립)」「ソウル(서울)」「大学校(대학교)」のそれぞれ最初に出てくるハングルの字母「ㄱㅅㄷ」を組み合わせたもので、これをデフォルメした正門の形が「샤(シャ)」と発音する字に似ていることから、俗にそう呼ばれているものです。

 

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以前にこちらのエントリーにて、一見して日本の焼き鳥屋としか思えないたたずまいの釜山の居酒屋を紹介しましたが、韓国の繁華街や歓楽街では日本語表記の屋号、中でもひらがなを含むそれの飲食店を実によく見かけます。シャロスキルも例外ではなく、あちらこちらにそうした屋号のお店が。写真は順に「だいじょうぶ」「ひとり」「きよい」「ラーメン男」。なんだか一人ぼっちの寂しさにもめげず潔くラーメンをすする男性の姿を想像してしまいました。
それにしてもこのように日本語表記をある種リスペクトともいえるレベルで多用している社会が、この国の一部の人々に言わせれば「日本が嫌いで嫌いでしょうがない」のだというのですから驚きです。自分自身の悪感情を相手に投影したがるのも大概にしてほしいものです。
 

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こちらのシャロスキル、繁華街とは書きましたがカロスキルに比べるとまだまだ発展途中といった感じで、飲食店が並んではいるものの道の両サイドを埋め尽くすほどではありません。とはいえ近日オープン予定の垂れ幕を掲げた工事中の店がいくつかあり、着実に発展しつつある気配が感じられます。訪問から約1年を経た現時点ではきっと一層の変貌を遂げていることでしょう。そろそろ日本のガイドブックでも大々的に紹介されるかもしれません(すでにあったらすみません)

シャロスキル(샤로수길:ソウル特別市 冠岳区 冠岳路14キル (奉天洞) 一帯)

 

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余談ですが、市庁から片道30分以上もかかるシャロスキルまでわざわざやってきた最大の理由は、実は写真1枚目のお遊びのため。当初は大通り沿いにあったはずの「シャロスキル」入口を示す案内板での撮影を予定していたのですがどうしても見当たらず、これに代わる「シャロ」と明記された物件を探した結果、「シャロストーン」なるどこかで聞いたような名前のステーキ屋さんが写真の背景となってしまいました。
個人的に好きなこちらの作品のキャラクターの名がついた韓国のスポット訪問は、こちらのエントリーにて紹介した仁川広域市の「チヤコゲサムゴリ」以来。たまにこうしたお遊びをしますので、お付き合いいただけますと幸いです。

 

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この日は朝食が午前9時台と少し遅めのスタートとなったうえ、冠岳キャンパス正門の写真を撮った帰りには間違えてソウル大のキャンパス内に入るバスに乗ってしまい、そのうえ広大なキャンパスの奥で運行終了したため下車せざるを得なかったという。加えて次に訪れた某展示施設は日曜なのに予想外の休館日(韓国の展示施設は月曜休館が一般的)だったりと、ちょっとしたトラブルが立て続けに。そんなことをしていたら、あっという間に日が傾いてしまいました。
そうしたトラブル続きの中でも昼食だけはしっかりと。この日訪問したのは乙支路入口(ウルチロイック)駅近くのお店「湧金屋(ヨングモク)」。1932年創業、チュタン(추탕:ドジョウ汁)の老舗です。

 

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チュタンは一般にはチュオタン(추어탕)と呼ばれる料理で、韓国語でチュオ(추어:鰍魚)あるいはミックラジ(미꾸라지)と呼ばれるドジョウをすりつぶしてスープに溶いたものです。韓国では全国的に食されている料理ですが、地域によってその異材は大きく異なります。
主だったものとして、チュオタンの本場として最も知名度の高い全羅北道(チョルラブット)南原(ナムォン)市のそれに代表される「全羅道式」、大邱(テグ)広域市を含む慶尚北道キョンサンブット)地方を中心に食されている「慶尚道式」、そして今回の「ソウル式」があげられ、これらを総称して3大チュオタンと呼ぶこともあります。このほか前述した3種にはないコチュジャンやジャガイモが入るうえ、厨房ではなく卓上で煮立てて供される江原道(カンウォンド)原州(ウォンジュ)市の「原州式」など、さまざまなバリエーションが存在しています。
写真は本年(2018年)3月に訪問した大邱広域市の「尚州食堂(サンジュ・シクタン)」にて食べた、テンジャン(韓国味噌)ベースの辛くないスープに白菜などの葉野菜がどっさり入った慶尚式チュオタン。優しい味でうんまかったです。いずれ改めて紹介したいと思います。

前述したようにチュタンはドジョウをすりつぶしたものが一般的ですが、こちらのお店はドジョウが丸のまま入った「トンチュタン(통추탕)」を選ぶこともできます。私にとっては珍しいので、今回は後者を選択。

 

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そしてやって来たチュタン。テンジャンを使わないソウル式のチュオタンですが、ベースの牛骨に加えドジョウそのものから出たダシがしっかり効いています。うんまい。好みで卓上の山椒(韓国語ではサンチョ(산초))を入れて味を整えます。

 

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こちらのお店では写真の麺が一緒に出てくるので、スープ単体、麺投入、ご飯投入と3度の違った味を楽しむことができます。

 

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店内に掲示されていた先代の店主さん(たぶん)の写真や新聞の紹介記事。先代さんはなんだか映画俳優っぽいですね。

 

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こちらのお店「湧金屋」の営業時間は午前11時~午後8時(週末・公休日は午後8時まで)。首都圏電鉄(ソウルメトロ)2号線「乙支路入口(ウルチロイック)」駅1番出口から徒歩約5分(約390m)です。同1号線「鐘閣(チョンガク)」駅5番出口からだと徒歩約5分(約370m)同「市庁(シチョン)」駅5番出口からでも徒歩約7分(約460m)で到達できます。こう書くとお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、実は先ほど紹介した「武橋洞プゴクッチッ」からたったの100mほどしか離れていません。名物のチュタンは10,000ウォン(約1,000円:2018年11月時点)。ソウル式チュオタンの真髄を味わっていただきたいお店です。

湧金屋(용금옥:ソウル特別市 中区 茶洞キル 24-2 (茶洞 165-1))

 

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地下鉄の駅にあった、映画『1987』の広告。この年(2017年)の12月27日に韓国国内で封切られたもので、この日(12月3日)時点ではまだ公開前でした。その名の通り、1987年に韓国全土で展開された民主化運動「6月民主抗争」をテーマとした作品で。日本では本年(2018年)9月から『1987、ある闘いの真実』というタイトルで公開中です。

 

 この映画については、公開当日に観たその直後の思いを、上のツイートで表現しています。多くの方にご覧いただくことを願っています。
「6月民主抗争」については、本ブログの下記各エントリーで紹介しています。あわせてご一読いただけますと幸いです。

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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