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Twitter https://twitter.com/gashin_shoutan の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

釜山の旅[その3] - 「甘川文化マウル」と、臨時首都・釜山の1023日間を記憶する博物館

前々回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

明けて、2月11日(土)の朝。
ホテルから近いKorail「沙上」(ササン)駅前の「沙上駅」バス停より8番バスに乗車に。ここ沙上と、地下鉄(都市鉄道)1号線「チャガルチ」駅からも近い「西区庁」バス停(さらには同1号線「南浦」(ナムポ)駅や影島(ヨンド)など)とを結ぶ路線ということで、今回の旅ではたいへん重宝しました。

 

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こちらは今回の旅の写真ではありませんが、釜山の市内バスです。まるで日本の路線バスのようですね。ここ釜山や光州の市内バスは、正面のLED表示に系統番号や韓英日中4言語での行先表示がローテーション表示されており、観光立国を志向する韓国でも最先端をゆくものです。私を含め外国人旅行者にとってはほんと大助かりです。日本でも追随することを切に願うばかりですが抗議デモでも起こされそうですね。観光立国の道はるか遠し。

話がそれましたが、30分程度で「西区庁」バス停に到着。今度は同じ「西区庁」という名でもわずかに離れたバス停から、<서구(西区)2>マウルバスに乗り換えます。
釜山のマウルバスは、主に十数人乗り前後のマイクロバスで区ごとに運行されておリ、各区の隅々に点在するマウル(마을:村、集落などの意)へと路線網を広げています。都市鉄道を大動脈、市内バスを動脈にたとえるならば、マウルバスは釜山の毛細血管というべき存在でしょうか。

細く曲がりくねった坂道を上り、終点「甘川初等学校.甘川文化マウル」にて下車。その名前からもお分かりの通り このバス停こそが「釜山のマチュピチュ」などの異名で知られる「甘川 (カムチョン)文化マウル」の玄関口です。

 

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下車してすぐの展望台から眺めた「甘川文化マウル」。視界のすべてが色とりどりの住宅群という他に類を見ない景色にただただ圧倒されます。

 

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この「甘川文化マウル」、元々は1910年代に「太極道」(태극도:テグット)という宗教団体が現在の甘川2洞 にあるパンダル峠(반달고개)の斜面に築いた信者向けの住宅群を発端とするものであり、現在へと続く 「すべての住宅の景色が遮られない」階段式配置はこの時点ですでに確立されていたようです。その後1950年に朝鮮戦争が勃発、最後まで朝鮮人民軍に占領されなかったため全国から避難民が釜山へ押し寄せる中、ここ甘川もそうした避難民たちの受け皿となりました。

休戦後の貧しく厳しい生活をそのままに残したタルトンネ(달동네:斜面などに形成された低所得層の集落)のひとつであった甘川2洞の住宅群。その再生の一環として各戸をさまざまな色で塗り分け壁画を描き、それらの順回路を整備するなどの観光地化の試みが功を奏した結果、いまでは年間140万人もの観光客が押し寄せる釜山の一大観光地にまで成長したわけです。

 

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バス停からほど近い案内センターでは、日本語版を含むマウルのガイドマップを2,000ウォン(約200円)で販売しています。有料のガイドマップは韓国でも珍しいですが、その分出来がしっかりしていますし(閉じたり開いたりしても破れない!)、マウルの主要スポットを巡るスタンプラリーも楽しめるようになっています。こうした試みこそが今日の成功の秘訣かもしれません。公式サイトによると案内センターには荷物も預けられるようですね。

 

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この日は寒い朝でした。屋根の上でひなたぼっこする猫さん、なごみます。

 

f:id:gashin_shoutan:20170418235305j:plain順回路のあちこちに展望台が設けられ、色とりどりの住宅やはるか遠くの甘川港、松島(ソンド)と影島とをつなぐ南港大橋までも望むことができます。

 

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いくつかの空き家は、絵画やオブジェなどが展示されたギャラリーになっています。足を踏み入れると、その狭さに驚かされるとともに、避難民たちの生活の辛苦がしのばれます。

 

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大多数の住宅には住民の方が暮らしています。観覧の際にはどうかお静かに。

 

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住宅の間を縫うように張り巡らされた歩道は、そのほぼすべてが別の道と接続していることから「ミロ(迷路)マウル」の異名を持っています。

 

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順回路の終わり近くにある「甘内(カムネ)オウルト」(감내어울터)。かつての沐浴湯(銭湯)を再利用した建物で、入口ににあるかつての番台には女性の人形が。ギャラリーに改装された浴室の壁にはシャワーが残されています。そして中央には当時の湯船もそのままに、気持ちよさそうに湯に浸かる男性の人形まで。まあお湯はないけどな!

甘川文化マウルへのアクセスは、「西区庁」バス停からだと<사하구(沙下区)1-1><서구(西区)2-2>の各路線もありますが、先に紹介した<사하구2>が最も高頻度(平日・週末とも約11分間隔)であるうえ、下車すべき「甘川初等学校.甘川文化マウル」バス停が終点なので乗り過ごす心配もなく、おすすめです。地下鉄(都市鉄道)1号線「土城」(トソン)駅を経由しますので、地下鉄からの乗り換えならばこちらがより便利です。
甘川文化マウル(감천문화마을:釜山広域市沙下区甘川洞ー帯) [HP]

 

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甘川文化マウルを後にし「土城駅」バス停で下車。大通り沿いに歩いて北へ向かうと、路面より高い敷地に突如、この路面電車が現れます。
この路面電車はかつて市内を走っていた釜山市電の車両で、米シンシナティにて1927年に製造されたもの。2012年に「釜山電車」の名で国指定登録文化財第494号にも指定されています。

 

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電車の内部。驚くべきことに木製の固定クロスシートです。しかも左右逆向き。

 

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電車の外観。当時の電停が漢字で表記されています。結構長い区間を走っていたことが分かります。

 

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観覧時間が「13:00~14:00」とあります。電車は東亜大学校の敷地内にあり、この時間帯でなくとも観覧は可能ですが、この時間帯であれば内部を開放するという意味かもしれません。

釜山電車(부산전차:釜山広域市 西区 九徳路 225 (富民洞2街 1)。指定登録文化財第494号)

 

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路面電車の手前を左に曲がり、突き当たりを右へ少し進むと「臨時首都記念館」の門が現れます。
この「臨時首都記念館」は、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争(6.25)直後の首都ソウル陥落後、中央政府がここ釜山へ移転したことによリ、前後2回、計1023日にわたり臨時首都として機能した歴史を記憶するための施設であり、2つの建物により構成されています。

 

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玄関を入ってすぐにあるのは「大統領官邸」。ここ釜山が臨時首都であった当時の大統領、李承晩(이승만:イ・スンマン、1875-1965)の官邸として使用された建物です。日帝強占期の1926年築、独特の和洋折衷様式となっています。元々は慶尚南道キョンサンナムド)知事官舎として使用されていた建物で、首都機能がソウルに戻ってからは再び知事官舎に戻り、慶尚南道庁が昌原(チャンウォン)へ移転した1983年まで使用されました。翌84年、臨時首都記念館として開館。

 

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大統領官邸には、靴を脱いで入館します。建物の玄関を入ってすぐ受付があり、年配の男性が日本語で丁寧な案内をしてくださいました。

 

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玄関を入ってすぐ右側には、広い応接室が。暖炉も設置されています。

 

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応接室と隣接し、受付のちょうど裏側に位置する書斎。李承晩大統領の蝋人形が鎮座しています。

 

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食堂と厨房。

 

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竣工当時からある有田焼の便器。床のタイルもまた1926年の竣工当時からのものだそうです。施錠されていたため写真はありませんが、2階には李承晩大統領も好んで使用したという洋便器があるとのこと。

 

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元々は官邸の警備室だった部屋では、朝鮮戦争の際に19歳で志願入隊し、諜報活動に携わったイ・ジョンスク(이정숙)さんの証言を聞くことができます(韓国語のみ)。

 

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浴室。床のタイルは近年張り替えられたようですが、湯船を含む浴室の作り自体は当時のままだとのこと。扉は外に通じており、受付の方の話だと緊急時に入浴者が外部へ避難するために設けられたものだそうです。

 

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2階には、朝鮮戦争当時に使用されていたいくつかの物品が展示されています。
写真はそれらのうち、李承晩大統領の防寒着と、妻のフランチェスカ氏のコート。

 

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裏側から見た大統領官邸。こちらの建物、大邸宅の部類に入る規模とはいえそこまで巨大な物件ではないにもかかわらず、奇妙なことに階段が2つもありました。また、先に紹介したトイレも出入口が2つ。受付の方によると、これらは緊急時に主人が脱出しやすいよう二重系になっているとのこと。日本でいう忍者屋敷のようなものだとユーモアを交えつつ話してくださいました。

 

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大統領官邸の裏には、「臨時首都記念館」を構成するもうひとつの建物であり、1987年築の釜山高等検察庁検事長官舎を再利用した「展示館」があります。2002年開館。こちらは土足のまま入れます。

 

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ソウル陥落が目前に迫り、避難民が殺到する釜山行の列車を再現した展示物。台車は実物のようです。

 

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避難民が生活した小屋を再現したもの。身ひとつで命からがら郷里を離れた避難民にとって、このような粗末な小屋であっても当座の生活拠点となり、命をつなぐ大切なものでした。

 

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釜山名物、ミルミョン(밀면)の店を再現したもの。38度線以北から釜山へやって来た避難民たちは生活のため郷里の冷麺を作って売り出しますが、ジャガイモでんぷん由来の硬い面に不慣れな釜山の人たちの好みに合わせるため、小麦粉を加えた柔らかい麺に代えて売り出したのがミルミョンの始まりとされています。こうした経緯から、ミルミョンはここ釜山での避難民の辛苦を象徴する料理のひとつとなっているようです。

 

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こちらがミルミョンの実物。一昨年(2015年)11月、同じ釜山の南区牛岩洞にある「内湖冷麺」(내호냉면:ネホネンミョン)にて撮影したもの。鄭銀淑さんの著書『釜山の人情食堂』によると、こちらのお店の先々代もまた朝鮮戦争の際に咸鏡南道(ハムギョンナムド:現在は朝鮮民主主義人民共和国)の興南(フンナム)から避難し、釜山に定着された方とのことです。ミルミョン、うんまかったです。

 

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「求職」の札を首から下げた男性の人形。避難民でしょうか。憔悴しきった表情を含め、強い印象を与える展示物です。

 

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館内に再現された、朝鮮戦争当時の茶房(다방 :喫茶店)のテーブルに埋め込まれている「『そのとき、その歌』情報検索KIOSK」。スクリーンにタッチして、当時の流行歌を聴くことができます。

ここ「臨時首都記念館」は、地下鉄1号線「土城」駅2番出口より徒歩約6分。前述の通り「甘川文化マウル」行きのバスも同駅を通りますので、あわせて訪問するのもよいでしょう(「土城」バス停からだと徒歩約10分) 。開館時間は9:00~18:00、月曜と元日は休館。入場無料です。
臨時首都記念館(임시수도기념관:釜山広域市 西区 臨時首都記念路 45(富民洞3街 22)) [HP]

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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