Twitter https://twitter.com/gashin_shoutan の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

光州の旅[201705_08] - 5.18民主化運動の出発点「全南大学校」、そして全史跡踏破へ

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

韓国・光州(クァンジュ)広域市、1980年5月にこの街で発生した10日間の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)の史跡や関連施設を巡る旅の2日目(2017年5月21日(日))です。

 

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5.18の史跡15号「光木間市民虐殺地(真月洞、松岩洞)」を示す碑石と隣接するバス停からは次の目的地行きの便が出ていないため、600mほど離れた「東成高」バス停まで歩き、そこから急行<수완(水莞)03>バスに乗車。25分ほどで到着する「全南大サゴリ(東)」バス停(サゴリとは交差点の意)で下車し、550mほど歩いた場所にあるのが写真の「全南(チョンナム)大学校」正門です(この写真に限り2016年8月撮影)


抗争1日目、1980年5月18日未明。
保安司令官の全斗煥をはじめとする新軍部の策謀により同日午前0時をもって適用された非常戒厳措置の全国拡大を受け、市内の朝鮮(チョソン)大学校とともに戒厳軍が最初に進駐してきた場所が、まさにこの全南大です。全国の中でも特に反政府デモが激しかった光州における市民鎮圧の拠点とすること、また前日夜の全国拡大決定と前後して始また学生運動家や学生会委員などを拘束するためでした。
進駐してきた戒厳軍は図書館に進入し、徹夜勉強中の学生たちを「鎮圧棒」で無差別に殴打します。これが以後10日間にわたる抗争期間での最初の暴力でした。
夜が明けて午前10時、この事件を受けた全南大の学生による抗争期間中最初のデモが正門で展開されますが、数と力で勝る戒厳軍にたちまち制圧され、難を逃れた学生たちは錦南路(クムナムノ)へ移動。ここから戒厳軍の暴虐は光州市内の各所へと展開してゆきました。
このように全南大はまさしく5.18民主化運動の出発点であり、その意味からトップナンバーの史跡1号に指定されています。

 

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その史跡であることを示す例の丸い碑石は、正門の向かって右側に建っています。1号だけあってか、他の史跡のふた回りはあろうかという大きなものであるのが特徴です。この場所は昨年(2016年)8月にも訪問しましたが、同年末の「5.18民主公園」(後述します)の整備とあわせて若干移動していました。

光州市内の5.18史跡や関連施設を結ぶように走る518番バスこちらのエントリーにて紹介)は、国立5.18民主墓地方面行き・尚武地区方面行きともに「全南大」(전남대)バス停で下車、碑石までは徒歩約5分(約330m)です。
全南大学校正門(전남대학교 정문:光州広域市 北区 龍鳳路 77 (龍鳳洞 300)。史跡1号)

この正門のそばで、待ち合わせしていた方と面会します。その方はここ全南大にて教授を務められている方で、今回の旅での一連のツイートをご覧になり、親切にもキャンパスの案内をご提案いただいたものです。
全南大には、キャンパス内に点在する民主化運動関連の碑や造形物などを結んだ1周およそ1.4kmの散策コース、通称「全南大民主ギル」(전남대 민주길:ギルとは「道」の意)があり、今回の旅で最も参考にしている「5.18記念財団」のガイドブック『光州の五月を歩こう』(광주의 오월을 걷자)でもマップ・写真入りで紹介されています。今回は先生と一緒に、時計回りにコースをたどることにしました。

 

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「5.18民主公園」。
5.18抗争期間中には在学生・OBともにデモ隊や市民軍へ積極参加するなど、韓国の民主化運動史において大きな役割を果たしてきた全南大のアイデンティティを称えるため、光州広域市と同窓会の支援により昨年(2016年)12月、正門の西側一帯に造成された公園です。中央にある造形物は民主・人権・平和の3弁の花びらで構成された花が咲く瞬間を形象化したパク・ジョンヨン氏の作品「ピオナダ」(피어나다:「咲き始める」の意)です。

 

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「朴寛賢烈士革命精神継承碑」。
法科大学(韓国でいう「大学」とは日本の学部に相当し、これらの集合体である「大学校」と明確に区分されています)の建物前にあるこちらの碑は5.18当時の全南大総学生会長であり、その後収監中に40日間もの断食闘争の果てに亡くなった朴寛賢(박관현:パク・クァニョン、1953-1982)烈士を称えその精神を受け継ぐためのものです。

 

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「トゥルブル7烈士」の一人でもある朴寛賢烈士(写真は5.18自由公園「トゥルブル夜学7烈士記念碑」にある烈士の肖像レリーフについては補足が必要かと思いますので、少しだけ「全南大民主ギル」からそれたいと思います。
朴寛賢烈士の名は、ドラマ『第5共和国』の登場人物としてご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。この訪問の4日前(5月17日)、5.18犠牲者追悼式典での文在寅(문재인:ムン・ジェイン、1953-)大統領の演説でもその名が挙げられています。
全羅南道(チョルラナムド)霊光(ヨングァン)郡生まれ。全南大法科大学に入学後、光川工業団地の劣悪な労働環境を告発した『光川工団労働者実態調査報告書』の編纂への協力が縁で、全南大の先輩でもある尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980)烈士と知り合います。その調査力に加え、卓越した演説力などの才能を見出した尹祥源烈士によりスカウトされた朴寛賢烈士は、英語担当講学(講師)としてトゥルブル夜学に合流。その後も尹祥源烈士は全南大総学生会長に立候補した朴寛賢烈士にスーツと靴を貸すなど、両烈士の友情と信頼はより深まってゆきました。
1980年、朴寛賢烈士は全南大総学生会長に選出。そして抗争開始2日前の5月16日に全南道庁前で挙行されたデモ「民族民主大聖会」ではその主管に加え名演説を披露し、光州を代表する学生運動家としての地位を固めてゆきます。しかし翌17日深夜、非常戒厳措置の全国拡大決定と前後して全国の大学の学生会長や学生運動家などが続々と予備検束されたとの情報が入り、朴寛賢烈士は悩んだ末、先輩たちの勧めもあって潜伏を決意。翌18日朝には夜学のある光川洞(クァンチョンドン)の尹祥源烈士を訪れてその旨を伝え、まもなく光州を脱出します。これが両烈士にとって今生の別れとなりました。
抗争期間中は全羅南道麗水(ヨス)市の突山島(トルサンド)に身を隠しますが、その後潜伏先のソウルにて逮捕。苛烈な拷問の果てに、内乱重要任務従事の罪で懲役5年の判決を下されます。
獄中ではトゥルブル夜学の講学仲間であり、同じく死後「トゥルブル7烈士」に列せられた申栄日(신영일:シン・ヨンイル、1958-1988)烈士とともに、待遇改善と5.18の真相究明を求めた断食闘争を繰り返します。そして3度目の断食闘争の40日を経過した1982年10月12日、急性心筋梗塞と急性肺水腫の併発によりついに帰らぬ人となりました。辛うじて一命を取りとめた申栄日烈士は、朴寛賢烈士の死を知るやその名を叫び慟哭したといいます。
こうした経緯から朴寛賢烈士は「トゥルブル7烈士」に列せられ、そして5.18当時の学生運動の象徴的存在として記憶され続けています。

 

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「尹祥源烈士公園」。
社会科学大学の建物の前にある小公園は、政治外交学科の卒業生である尹祥源烈士を記念する公園であり、その中には尹祥源烈士の胸像、そして最終抗戦直前・5月27日の早朝、全南道庁での烈士による最後の演説文が刻まれた碑があります。

여러분!

우리는 저들과 맞서 끝까지 싸워야 합니다. 그냥 도청을 비워주게 되면 우리가 싸워온 그동안의 투쟁은 헛수고가 되고, 수없이 죽어간 영령들과 역사 앞에 죄인이 됩니다.

죽음을 두려워 말고 투쟁에 임합시다. 우리가 비록 저들의 총탄에 죽는다고 할지라도 그것이 우리가 영원히 사는 길입니다.

이 나라의 민주주의를 위해 끝가지 뭉쳐 싸워야 합니다. 그리하여 우리 모두가 불의에 대항하여 끝까지 싸웠다는 자랑스러운 기록을 남깁시다.

이 새벽을 넘기면 기필코 아침이 옵니다. 

みなさん!

我々は彼らに立ち向かい最後まで戦わねばなりません。そのまま道庁を明け渡せば、我々が戦ってきたこれまでの闘争は無駄となり、無数の死んだ英霊たちと歴史の前に罪人となります。

死を恐れず闘争に臨みましょう。我々がたとえ彼らの銃弾で死ぬとしても、それは我々が永遠に生きる道です。

この国の民主主義のため、最後まで団結して戦わねばなりません。そして我々すべてが不義に対抗し、最後まで戦った誇らしい記録を残しましょう。

この夜明けを過ぎれば、必ず朝がやって来ます。

 尹祥源烈士については、下記のエントリーでも紹介しております。あわせてお読みいただけますと辛いです。

 

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こちらは民主化運動関連の造形物ではありませんが、「人文大学1号館」という建物です。チョン・オクチン(정옥진)氏の設計により1955年築。全南大でも創立期から残る数少ない建物で、「光州全南大学校人文大学1号館」として国指定登録文化財第96号にもなっています。

 

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「教育指標事件記念碑」。
人文大学1号館の道路を挟んだ向かい側にある、積まれた書物を象ったこちらの碑は、1978年6月の同大における「民主教育指標事件」を記念して2007年に建てられたものです。この「民主教育指標事件」とは、小説家であり後の5.18では市民収拾委員も務めた宋基淑(송기숙:ソン・ギスク、1935-)氏など全南大の教授11名が、当時の朴正煕軍事政権による「国民教育憲章」を連名で批判、「私たちの教育指標宣言」を発表したことにより拘束、解職された事件をいいます。また当時の全南大生であり、死後には「トゥルブル7烈士」にも列せられた申栄日、朴琪順(박기순:パク・キスン:1958-1978)の両烈士もこの事件に関連して無期停学処分となり、同じ年にトゥルブル夜学(こちらのエントリーにて紹介)を創立しています。

 

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「師範大1号館光州民衆抗争図壁画」。
師範大学(教育学部)1号館という建物の壁面いっぱいに描かれたこちらの壁画は、5.18民主化運動10周年を記念して、芸術大学や美術教育科の学生を含む全南大の絵画愛好者たちが中心となって制作したものです。

 

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「ポンジ5.18広場」。
全南大中央図書館前にある広場で、「ポンジ」とは池のこと。真ん丸の池を「5」(韓国語で「オー」と発音。アルファベットの「O」とかけている?)、その外周の1本の道を「1」、そこから放射状に伸びる8本の道を「8」にそれぞれ見立て、合わせて「518」を表現しています。

 

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「造形芸術作品『君のための行進』」。
全南大の金大吉(김대길:キム・デギル)教授による造形作品で、ポンジのほぼ中央に建っています。民主化の発展を導いた全南大学校の4つの構成員の誇りを高めることを目的に制作され、大学の構成員である「学生」「教授」「教職員」「市民」を象徴する4つの形状がひとつの方向へと向かってゆく様を表現しています。

 

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「朴勝熙烈士焚身址」。
1991年4月29日、「姜慶大他殺事件」の真相解明、そして他の学生が呼応することを求めてポンジの前で焚身(焼身)した全南大食品栄養学科の朴勝熙(박승희:パク・スンヒ、1971-1991)烈士を称え記憶するため、その現場に設置された碑です。「姜慶大他殺事件」とはその3日前(4月26日)にソウルの明知(ミョンジ)大学校にて発生した、同大生の姜慶大(강경대:カン・ギョンデ、1972-1991)烈士に対する、当時その白いヘルメットから「白骨団」(백골단:ペッコルダン)と呼ばれ恐れられた警察機動隊の暴力鎮圧による殺害事件を指します。

 

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「5.18記念館」。
5.18民主化運動にて大きな役割を果たした全南大の教授や在学生、そしてOBたち。これらの活躍の背景には1960年代から一貫して民主主義を希求してきた同大の校風がありました。こちらの施設は5.18関連を中心に、そうした全南大の民主化運動史に関する資料を集め展示されているとのことです。今回は訪問した時間が遅かったため残念ながら閉館していましたが、いずれ必ずや訪問し、本ブログにて紹介したいと思います。

これで「全南大民主ギル」は終わりですが、先生のご厚意により、私がまだ訪れていない5.18の史跡や関連施設へ連れて行ってくださることとなりました。感謝しつつも先生の車に乗り込みます。

 

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最初に到着したのは西区(ソグ)にある「5.18記念公園」。
かつて「尚武台」(韓国陸軍の軍事教育施設。後述します)が置かれていた土地を、光州市民に対する補償支援の意味で政府が無償譲渡したもので、現在は20万平米あまりもの広大な市民公園が造成されています。5.18関連のスポットとしてはチェックしていたものの、情報が少ないうえにスケジュールの都合もあり訪れていなかった場所です。
写真2枚目は公園の敷地内に建つ「5.18記念文化センター」。「5.18記念財団」の事務局もこちらの建物に入居しているそうです。

 

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「5.18記念文化センター」1階には、抗争期間2日目・5月19日午後の錦南路(クムナムノ)・観光ホテル前一帯における戒厳軍の無差別暴力の様子を再現した精巧なジオラマが展示されていました。

 

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こちらは前回も紹介した、抗争期間4日目・5月21日の正午ごろ、道庁前の錦南路で戒厳軍と対峙する市民デモ隊の姿。やはり精巧に再現されています。

 

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5.18記念公園は全体的に小高い丘になっており、階段を登った先の頂上に公園広場があります。

 

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こちらの公園広場には、傷ついた仲間を2人で支え合う市民軍兵士の姿を造形化した巨大な像が。あの日を切り取ったかのような姿に、ただただ圧倒されます。

 

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像の地下には入れるようになっており、その坂道を下ると写真の半円形の空間が現れます。こちらは「追慕昇華空間」といい、中央には息絶えた子どもを抱き天を仰ぐ女性の像、その正面には5.18を象徴する絵画、そして背面の曲線を描く壁面には5.18の犠牲者の名前が刻まれています。

 

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こちらの「5.18記念公園」は、518番バスであれば国立5.18民主墓地方面行き・尚武地区方面行きともに「5.18記念文化センター」(5.18기념문화센터)バス停にて下車、目の前です。

5.18記念公園(5.18기념공원:光州広域市 西区 尚武民主路 61 (双村洞 1268))

 

ここからは再び先生の車に乗り、残り3か所となった未踏の5.18史跡を巡ることに。
いずれも「5.18記念公園」と同じ西区、それも地下鉄が直下を走る尚武大路(サンムデロ)周辺にあるので長距離移動はありませんが、日が沈みいよいよ闇が迫ってきたのであまり余裕はありません。

 

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「505保安部隊旧跡」。
全南地域軍の情報機関であり、5.18当時は戒厳軍による鎮圧作戦とその隠蔽操作の実質的な指揮本部であった「505保安部隊」の本拠地が置かれていた場所です。
ここの地下室では、逮捕された民主人士や学生運動指導者、市民軍に対し激しい拷問、殴打が加えられました。中でも女性に対してはこれらに加え、あろうことか性的な暴行までも加えられたといいます。こうした経緯から5.18民主化運動の史跡26号に指定されています。

 

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正門が施錠されており、内部への立ち入りはできません。写真は門の上に腕を伸ばして撮影したものです。
本施設は事実上放置されており、ほぼ5.18当時の原形をとどめる一方、経年劣化に加え侵入者のいたずら、2009年に発生した火災などにより徐々に崩壊が進行しているようです。一日も早く保全されることを願うばかりです。 

518番バスは「505保安部隊旧跡」の近くを通りません。都市鉄道(地下鉄)1号線「双村」(サンチョン)駅から2番出口を出て尚武大路沿いに西へ進み、ガソリンスタンドを左に曲がって少し進んだ場所にあります。全体で徒歩約6分(約400m)

505保安部隊旧跡(505보안부대 옛터:光州広域市 西区 尚武大路956番ギル 16 (双村洞 1011)。史跡26号)

 

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次の史跡は、「505保安部隊旧跡」から道のりでも1kmに満たない至近距離にあります。
「国軍光州病院」。その名の通り軍の付属病院で、戒厳軍により尚武台営倉や505保安部隊などへ連行され、取調べ中の拷問や殴打により負傷した市民が厳重な監視の下に治療を受けさせられた場所です。しかしそうした中でも心ある医療スタッフたちは、患者たちが再び取調べの場へ戻されることを防ごうとその傷の状態を深刻に偽って報告、患者たちを守ったといいます。こうした経緯から5.18民主化運動の史跡23号に指定されています。
国軍病院は2007年に全羅南道咸平(ハムピョン)郡へ移転。しかし施設はほぼそのまま残されています。

 

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地下鉄も走る尚武大路沿いの碑石から100mあまり入ると、かつての病院本館が。敷地内は立入禁止なので、フェンスの外から撮影します。

 

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近くの林の中を探索されていた先生が、当時の病院の付帯施設と思われる教会を発見。廃墟となって闇の中に建つ教会、さすがに怖いです。なんだか別の企画みたいになってきました。そそくさと後にします。 

518番バスは「国軍光州病院」の近くを通りません。都市鉄道(地下鉄)1号線「花亭」(ファジョン)駅から2番出口を出て尚武大路沿いに西へ進み、徒歩約3分(約190m)の場所に碑石があります。前述の「505保安部隊旧跡」からだと徒歩約14分(約910m)。以上のように完全に廃墟と化しており、夜間の訪問はちょっと怖いので日中のご訪問をおすすめします。

国軍光州病院(국군광주병원:光州広域市 西区 尚武大路 1026 (花亭洞 324-20)。史跡23号)

 

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そしていよいよ最後の目的地へ。こちらの史跡は先の「国軍光州病院」とはうって変わって、商業ビルに囲まれた華やかな街中にありました。
「尚武台旧跡」。
尚武台(サンムデ)とは韓国陸軍の軍事教育施設の総称であり、朝鮮戦争(1950-1953)の休戦前の1952年、それまで別々の機関であった各種軍事学校を統合し、「武を崇める学びの場」との意味で李承晩(이승만:イ・スンマン、1875-1965)初代大統領が「尚武台」と命名したことにより正式発足しました。5.18を経た1994年には全羅南道長城(チャンソン)郡へ移転、その跡地は市庁(市役所)や商業施設などが建ち並ぶ現在の光州の新都心「尚武地区」となり、また一部には前述の通り「5.18記念公園」が造成されています。

5.18当時は戒厳司令部の全羅南道全羅北道戒厳分署がここ尚武台に設置され、抗争期間中には市民収拾委員が戒厳軍首脳部との交渉のため数回訪れています。また抗争後には3千名もの市民がこの敷地内にあった営倉(法を犯した兵士の収監施設)にて自白強要のための苛烈な拷問を受け、軍事法廷ではこれらの自白をもとに死刑を含む判決が下されました(後の特赦により死刑執行事例はなし)。これら営倉や軍事法廷などの建物は、尚武台移転後の再開発に伴い近隣の場所に移設され、現在は「5.18自由公園」として公開されています(こちらのエントリーにて紹介)。こうした経緯から、「尚武台旧跡」として5.18民主化運動の史跡17号に指定されています。

 

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当時の正門の位置、現在は「尚武中央路」(サンムジュンアンノ)という道路の中央分離帯となっている場所には、尚武台の命名者・李承晩大統領の揮毫による「尚武臺」碑が残されています。
5.18の史跡を示す例の丸い碑石は最近までこの正面に建っていましたが、中央分離帯という接近しづらい場所であるため移転されることになり、この日(5月21日)の時点では無くなっていました。

518番バスは、国立5.18民主墓地方面行きは「尚武双龍錦湖アパート」(상무쌍용금호아파트)バス停で下車し徒歩約7分(約490m)、尚武地区方面行きは「農協雲泉支店」(농협운천지점)バス停で下車し徒歩約7分(約440m)。都市鉄道(地下鉄)1号線「尚武」駅からは6番出口を出て徒歩約6分(約430m)です。

尚武台旧跡(상무대 옛터:光州広域市 西区 治平洞1248。史跡17号)

 

昨年8月に初めて5.18旧墓地(史跡24号)を訪れてから9ヵ月弱。この尚武台旧跡をもって、ようやく5.18民主化運動の史跡全30か所(当時)を踏破することができました。
これらの場所は、37年前のあの10日間における戒厳軍の暴虐、あるいは市民たちの抗争に関する何らかの重要な出来事があった現場であるからこそ、5.18の史跡に認定されているものです。そうした現場を実際に訪れ、当時の犠牲者や抗争に携わった光州市民たちに思いを馳せる機会を幸運にして得られたことは、5.18を学び継承してゆくにあたり大きな財産となりうると考えています。

ここまで私を連れて行ってくださった先生と固い握手を交わして、その車を見送ります。先生、お忙しい中を本当にありがとうございました。

 

その後、用事をこなしていたら時刻はあっという間に午後10時過ぎ。夕食用にチェックしてきたお店はほぼすべて閉店またはラストオーダーの時刻を過ぎています。あわてて市内の飲食店を検索していると、チェックしていた光州名物・オリタンの名店「ヨンミオリタン」の支店がホテルから徒歩10分程度の距離にあることを発見。しかも光州駅近くの本店の営業時間が午後10時までなのに対し、こちらは午前1時まで。早速向かいます。

 

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お店に到着。注文したのはもちろん看板メニューのオリタン。オリタンとは、滋養強壮効果があるとして韓国の人が鶏肉同様に好むオリ(鴨肉)を煮込んだスープのこと。前回訪問時(2016年8月)も別の店で食べ、とても気に入っている料理です。メニューにはハンマリ(1羽)もありますが、前回の経験からパンマリ(半羽)でもなかなかの量と分かっているので今回もこちらを注文。

 

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そしてやって来たオリタン。辛みのないどろっとしたオレンジ色のスープ、山盛りのミナリ(セリ)を自分で適時継ぎ足す点、そして酢コチュジャンにトゥルケ(すりエゴマ)を混ぜたヤンニョムをつけて食べるというすべてが他の韓国料理に類を見ないポイントです。

 

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韓国のオリは日本の鴨肉のような歯ごたえがなく鶏肉のそれに近いですが、味にはより深いコクがあります。そのうえスープとヤンニョムの相性が絶妙。うんまい。今回は完食しましたがミナリを残す前提であればハンマリでもよかったかもしれません。

こちらのお店「ヨンミオリタ光州尚武店」の営業時間は正午~午前1時。定休日は不明ですが、日曜日(この日)は営業していました。都市鉄道(地下鉄)1号線「尚武」駅5番出口からは徒歩15分(約1km)ほどで到達できます。

ヨンミオリタン光州尚武店(영미오리탕 광주상무점:光州広域市 西区 尚武中央路104番ギル 10 (治平洞 1211-11))

 

5.18民主化運動の史跡や関連施設を巡る旅はこれでいったんひと区切りですが、今年(2017年)5月の光州の旅はあと少しだけ続きます。
それでは次回のエントリーへ。

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