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光州の旅[201705_10] - 近代建築から「ペンギン村」まで見どころの宝庫、楊林洞(ヤンニムドン)を歩く

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

韓国・光州(クァンジュ)広域市を中心に巡る旅の3日目(2017年5月22日(月))です。

羅州(ナジュ)から帰ってきて、光州松汀(ソンジョン)駅から再び都市鉄道(地下鉄)1号線に乗り、着いたのは南光州(ナムグァンジュ)駅。ここから一昨日(20日)の夕方と同様、徒歩で南区(ナムグ)の楊林洞(ヤンニムドン)を目指します。

  

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楊林洞は、かつてこの一帯に楊(ヤナギ)の木が数多く生えていたことからその名がついたとされています。また19世紀末から20世紀初頭にかけてここ光州で布教活動をした宣教師の拠点となった地域であり、それら宣教師が建てた建築が現在も複数保存されていることから「楊林洞歴史文化マウル」あるいは「楊林洞近代文化遺跡」などと呼ばれています。
これら以外にも伝統韓屋や各種文化財、美術館などが点在し、そして近年では縁のある音楽家を記念する街路、さらには他に類を見ない異色の街づくりがなされている楊林洞。そうした情報を見聞きして、以前からずっと行ってみたい、ついにはその思いが高じて「仮に韓国へ転居するならばいちばん住んでみたい街」とまで思うほどでしたが、今回ようやく念願の訪問がかなうことになりました。

 

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楊林洞へ向かう途中にあった「南光州プルンギル公園」。
国鉄(現・Korail)慶全(キョンジョン)線のルート変更に伴い2000年に廃止された南光州駅の跡地を公園に転用したもので、ここからKorail光州駅までの線路跡を全長4.5kmにも及ぶ散策路に整備した「廃線プルンギル」(푸른길:「青い道」の意)の起点です。
こうした廃線跡を散策路に転用した例としてはソウルの「京義線スッキル」(경의선 숲길:スッキルとは「森の道」の意)、釜山の「海雲台東海南部線廃線敷地」(해운대 동해 남부선 폐선 부지)などがあり、また別の活用例としては江原道(カンウォンド)旌善(チョンソン)郡などにある、廃線のレール上を2~4人乗りの足漕ぎ4輪車で走る「レールバイク」が挙げられます。韓国の人々は鉄道廃線の再利用に長けているな、とつくづく思います。

 

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当時のホームと思しき場所には、廃車となったムグンファ号の客車が。集会室などに使用されているようです。

南光州プルンギル公園(남광주푸른길공원:光州広域市 東区 霽峰路 7(鶴洞 55))

 

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公園と隣接する光州川(クァンジュチョン)にかかる南光橋(ナムグァンギョ)の北側には、かつての慶全線の鉄橋がそのまま残されていました。さらにその上には、鉄橋の橋脚を転用した歩道橋が。

光州川を渡ると、いよいよ楊林洞です。

 

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大通りである台南大路(テナムデロ)沿いにしばらく歩くと、大きな漢字、それも簡体字が書かれたこちらの道が見えてまいります。
ここから始まる全長233mの道路は「鄭律成通り展示館」といい、ここ楊林洞に生家の残る音楽家、鄭律成(정율성 / 정률성:チョン・ユルソン/チョン・リュルソン、1914-1976)氏を記念して、その生家そばの街路全体を展示館としたものです。

 

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鄭律成氏は1914年、現在の光州広域市東区不老洞(プルロドン)生まれ、1917年に和順(ファスン)郡綾州(ヌンジュ)へ転居、翌年には再び光州へ戻り、1928年に楊林洞の崇一小学校を卒業。1933年、抗日運動のため兄とともに中国南京へ渡り義烈団の朝鮮革命幹部学校に入学、その一方でピアノやバイオリン、声楽などを学びます。1936年に「五月の歌」で音楽家としてデビュ一、延安(イェンアン)の魯迅芸術学校に在学中の1938年から翌年にかけて代表作「延安頌」「延水謡」「八路軍大合唱」などを発表します。
光復後はいったん平壌へ渡ったものの、米軍政支配下となった全羅南道への帰郷はかなわず、1950年には再び中国に呼び戻されます。その後は中央楽団の専門作曲家として活動し、後に中国国籍を取得。しかし文化大革命を批判したために活動停止を余儀なくされ、不遇の晩年を送ることになります。
鄭律成氏の生涯作曲数は実に360曲以上、中でも「八路軍大合唱」を構成する「八路軍行進曲」は、1988年に中国人民解放軍軍歌として正式認定されたこともあり、中国では絶大な知名度を誇るそうです。

 

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中国から贈られた鄭律成像。あふれる才能がみごとに表現されています。上半身だけなのにこんな勇ましいポーズの像は見たことがありません。

鄭律成通り展示館(정율성 거리전시관:光州広域市 南区 鄭律成路 (楊林洞 507)一帯。リンクは入口にある鄭律成像の位置)

 

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鄭律成通り展示館を北へ向かって通り抜け、その先で左に折れると、写真の「楊林教会」が現れます。
実はここ楊林洞には3つの「楊林教会」がありますが、大韓イエス教長老会に属するこちらの教会は最も創立が古く、1904年に米国の宣教師ユージン・ベル(Eugene Bell、1868-1925。韓国名:裵裕祉(ペ・ユジ))氏が自身の私宅で礼拝を捧げたものが発祥とされます。現在の建物は1954年築。

 

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この楊林教会と隣接する建物が、写真の「オーウェン紀念閣」です。
ここ光州にて宣教師として活動、殉教したクレメント・C・オーウェン(Clement C. Owen、1867-1909。韓国名:呉元(オ・ウォン))を記念するため1914年に建てられた建物で、当時の儒教的慣習に基づいて出入口が男女別になっている点が特徴です。
ちなみに2017年10月現在、ここオーウェン紀念閣では南区観光局などが主催する音楽歌劇(入場無料!)が毎月第3週土曜日に上演されています。

オーウェン紀念閣(오웬기념각:光州広域市 南区 白瑞路70番ギル 6 (楊林洞 67-1)。光州広域市有形文化財第26号)

 

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オーウェン紀念閣から西へ向かって歩くと、写真の門が見えてまいります。
こちらはスピア女子中学校・高等学校といい、前述したユージン・ベル宣教師が1908年に創立したスピア女学校がその前身です。日帝強占期の1937年には神社参拝の拒否により廃校処分となったものの、1945年の光復(日本の敗戦による解放)後まもなく再開。1951年の教育法改正により中・高併設となって現在に至ります。こうした歴史もあり、校内には築100年前後になる文化財的価値の高い西洋建築が複数残されています。
詰所にいた管理人さんに見学の許可をいただいたうえで、門を入ります。立派な門ですが実は裏門だそうで、正門は別に存在します。

 

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門のすぐそばの高台にある「カーティスメモリアルホール」。
1925年に亡くなった創立者ユージン・ベル(裵裕祉)宣教師を追悼するため同年に建てられたもので、別名を「裵裕祉記念礼拝堂」といい、宣教師とその家族の礼拝堂に利用された建物です。
円形窓と尖頭アーチ形状の窓が特徴的なこちらの建物は、「光州旧スピア女学校カーティスメモリアルホール」として国指定登録文化財第159号になっています。

光州旧スピア女学校カーティスメモリアルホール(광주 구 수피아여학교 커티스 메모리얼 홀:光州広域市 南区 白瑞路13 (楊林洞 238-1)。国指定登録文化財第159号)

 

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裏門を入った正面にある「光州3・1万歳運動記念像」。
1919年3月1日、ソウル・タプコル公園での独立宣言朗読より始まった史上最大の抗日独立運動「3.1運動」。たちまち朝鮮全土に拡大したこの運動にはスピア女学校の全校生徒も参加、教師2人と生徒21人が投獄されました。これを記念して1995年に建てられたのがこちらの像です。

光州3・1万歳運動記念像(광주 3‧1만세운동기념동상:光州広域市 南区 白瑞路 13 (楊林洞 246))

 

光州3・1万歳運動記念像を撮っていると、門の詰所にいた管理人さんが近づいてきて、次の場所まで案内してくださるとのこと。感謝しつつ後に続きます。

 

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管理人さんが案内してくださったのが、学校でも奥側の高台の上にある「スピアホール」。
若くしてこの世を去ったジェニー・スピア(Jennie Speer)氏を記念するため、その姉が5,000ドルを献金して1911年に竣工した3階建ての建物で、この竣工とあわせて校名が「スピア女学校」となりました。当時一般的であった赤レンガではなく灰色のレンガが用いられているのが特徴です。「光州旧スピア女学校スピアホール」として国指定登録文化財第158号になっています。あいにくこの日は補修工事のため覆いがかけられていました。

光州旧スピア女学校スピアホール(광주 구 수피아여학교 수피아 홀:光州広域市 南区 白瑞路 13 (楊林洞 251)。国指定登録文化財第158号)

 

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スピアホールのそばには「スピア女学校3・1運動万歳示威準備地」との案内板が。示威とはデモのこと。

ここで管理人さんはお仕事のため別の場所へ。ご案内いただきありがとうございました。あとひとつ残る校内の近代建築へ向かいます。

 

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「ウィンスブロウホール」。
宣教師の妻であったウィンスブロウ氏の寄付金5万ドルをもとに、スウィンハート宣教師により1927年築。玄関の上の三角形の屋根を支えるトスカーナ式の円柱は、同時期の西洋建築では珍しいものだそうです。「光州旧スピア女学校ウィンスブロウホール」として国指定登録文化財第370号になっています。

光州旧スピア女学校ウィンスブロウホール(광주 구 수피아여학교 윈스브로우 홀:光州広域市 南区 白瑞路 13 (楊林洞 242)。国指定登録文化財第370号)

 

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スピア女子中・高等学校の裏門を出て西へ少し進み、左に折れて坂道を登った突き当たり、学校と隣接する丘の中腹に、やや低めの1本の木が立っています。
この木はホランカシナムといい、和名はヤバネヒイラギモチ(学名:Ilex cornuta)。高さは6メートル程度ですが樹齢は400年にもなるといい、ホランカシナムとしては相当大きいものだそうです。元々は2本の木だったものが成長につれ合体し、1本の木のようになったと推定されています。このように珍しいものであるため、「楊林洞ホランカシナム」として光州広域市指定記念物第17号に指定されています。

 

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ホランカシナムは同じモチノキ属であるセイヨウヒイラギと同様、晩秋から初冬にかけて熟するその赤い実が十字架にかけられたキリストの血を象徴するとして、クリスマスの飾り付けに用いられたりします。かつてここ楊林洞に居を構えた宣教師たちも、この木の葉や実を用いた飾りでクリスマスを迎えたのかもしれません。

楊林洞ホランカシナム(양림동호랑가시나무:光州広域市 南区 済衆路47番ギル 20 (楊林洞 230-1)。光州広域市指定記念物第17号)

 

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ホランカシナムの近くから撮った楊林洞の風景。向かって左側には先ほど立ち寄った楊林教会(大韓イエス教長老会楊林教会)が、中央やや右寄りには別の楊林教会(韓国基督教長老会光州楊林教会)の尖塔が見えます。

 

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ホランカシナムのある一帯はちょっとした林になっています。写真はそこに置かれていた、茶兄・金顕承詩人(後述します)の肖像が刻まれたベンチ。

 

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ホランカシナムの立つ林の間の道を登ったところにある「ウイルソン宣教師私宅」。
1905年、ノーラン(J. W. Noran)宣教師によりここ楊林洞に開業した医療施設、光州済衆(チェジュン)院。その二代目院長として1908年に赴任してきた、ロバート・M・ウイルソン(Robert M. Willson。韓国名:禹一善(ウ・イルソン)または禹越淳(ウ・ウォルスン))宣教師の私宅として1920年代に建てられたものです。
ウイルソン宣教師は貧困者や孤児、そしてハンセン病患者の救済に尽力した人物で、1912年には宣教師の献金や英国からの支援などにより本格的なハンセン病診療を開始。後に済衆院から改称した済衆病院の病棟を西洋建築で建て替えるなど、その発展に功績を残しました。しかし当時はハンセン病患者への偏見が根強く近隣住民の反発が大きかったうえ、1926年に下された朝鮮総督府からの強制移転命令を受け、同じ全羅南道の麗水(ヨス)に移転先となる愛養院(エヤンウォン)を設立、ハンセン病患者たちとともに光州を去りました。
その後、済衆病院は朝鮮初の結核専用病棟を設置しつつも1940年には日本により強制閉鎖、光復後の再開を経て今日の光州基督病院(こちらのエントリーにて紹介)へと至ります。
ウイルソン宣教師私宅のすぐ脇には、ユージン・ベル宣教師やオーウェン宣教師たちが眠る宣教師墓地への階段がありました。次回訪問時には登ってみようと思います。

ウイルソン宣教師私宅(우일선 선교사 사택:光州広域市 南区 済衆路47番ギル 20(楊林洞 226-25)。光州広域市指定記念物第15号)

  

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ウイルソン宣教師私宅の近くにあった建物。外壁などがよく似ていますが、これらは文化財ではなく近年建てられた住宅です。景観の調和を図っているようです。

 

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ウイルソン宣教師私宅の北側一帯の丘の上には、1955年に開校した湖南(ホナム)神学大学校が建っています。

 

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この湖南神学大学校のキャンパスに、写真1枚目の碑が建っています。
「茶兄金顕承詩碑」というこちらの碑は、「茶兄」(다형:タヒョン)の号を持つ詩人・金顕承(김현승:キム・ヒョンスン、1913-1975)氏を記念し、その詩「가을의 기도」(秋の祈り)を刻んだものです。
金顕承詩人は平壌生まれですが、楊林教会の牧師として赴任した父とともに光州へやって来ました。当時は宣教師の私宅街であった湖南神学大キャンパス一帯の思索が好きだった縁で、ここに詩碑が設置されています。

湖南神学大学校 茶兄金顕承詩碑(호남신학대학교 다형김현승시비:光州広域市 南区 済衆路 77 (楊林洞 226-5))

 

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湖南神学大キャンパスから坂道を下ると、写真の建物があります。
こちらは「茶兄茶房」(タヒョンタバン)といい、コーヒーをこよなく愛するあまり金顕承詩人自らつけた号「茶兄」を冠して2012年にオープンした無人カフェです。

 

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店内には、宣教師たちが移り住み始めた20世紀初頭ごろの楊林洞の写真が所狭しと(天井にまで!)並べられています。壁際には金顕承詩人の等身大パネルも。

 

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料金箱に1,000ウォン(約100円)以上の任意のお金を料金箱に入れることで、誰でも自由にお湯を沸かしてインスタントコーヒーなどを飲むことができます。そんなわけで私もほっとひと息。

 

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実はこちらの茶兄茶房、5年間続いたプロジェクトの終了に伴い、この日の9日後(5月31日)をもってクローズすることが決定しており、「グッバイ茶兄茶房」で始まるその旨の案内が張られていました。壁面や金顕承詩人のパネルに貼られた付箋紙は、訪問者が愛惜のメッセージを残したものです。
住民の方々にとっては歓談の場所として、また私のような旅行者にとってはマイルストーン&休憩所として、そしてすべての人々にとって楊林洞の歴史を振り返ることのできる展示施設として、長らく愛されてきた茶兄茶房。幸い建物は残されているようですので、できれば光州広域市が支援するなどして再びドアを開くことを願うばかりです。

茶兄茶房(다형다방:光州広域市 南区 済衆路47番ギル 2 (楊林洞 105-28))

 

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茶兄茶房のすぐ近くにある「素心堂曺亜羅記念館」。女性の地位向上のために生涯を捧げ光州YWCA名誉会長などの要職を歴任した「光州の母」であり、5.18民主化運動の際には市民収拾委員を務め、後に6ヵ月もの獄中生活を強いられた曺亜羅(조아라:チョ・アラ、1912-2003)氏を記念する施設です。次回は立ち寄ってみたいと思います。

 

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楊林洞の東端、光州川に近い住宅街の一角に、「ペンギンマウル」と呼ばれるエリアがあります。「マウル」とは村、集落という意味がありますので、日本でいうならば「ペンギン村」といったところでしょうか。

 

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「ペンギンマウル」の名にふさわしく、ペンギンさんが描かれた壁画がいたるところにあります。「ペンギン創作所」というお店も。なごみます。

 

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しかし、こちらのマウルの真骨頂は、写真1枚目にある無数の掛時計をはじめ、壁面や空き地を埋め尽くす無数のがらくたにあります。
楊林洞の住宅地の片隅にあるこの地域は、2013年頃から住民たちにより掛時計やその他がらくたで飾られるようになり、韓国のあちこちで見かける壁画村とは一線を画した異色の街づくりがなされるようになりました。それがいつしか話題となり、いまでは楊林洞の観光スポットのひとつに数えられるまでになっています。

 

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このマウル一帯の住民はご年配の方が多く、その歩く姿がよちよち歩きのペンギンを彷彿とさせるとして自ら名付けたものだそうです。自宅のがらくたを持ち寄ってペンギンマウルを手作りしたのも、そうしたご老人の方々が中心だとのこと。

 

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「ペンギン酒幕」と書かれたお店。壁面にはマッコリ用と思しきやかんとアルマイトの鍋がたくさん掛けられています。夕方あたり、こういうところでマッコリを飲みつつぼんやりしてみたいですね。

 

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こちらのペンギンさんの看板には「楊林洞歴史文化マウル 定期ツアー集合場所」とあります。どれも気になりますが中でも水・土曜日19:30スタートの「夜間ツアー」とか楽しそうですね。いずれも事前予約が必要です。

ペンギンマウル(펭귄마을:光州広域市 南区 川辺左路446番ギル 7 (楊林洞 24-93))

 

予約していたKTXは15時発、時刻はまもなく13時。名残惜しいですが、この後予定していた昼食や買物を考慮するとそろそろ楊林洞を発つべき時間です。
今回の楊林洞での散策時間は3時間弱。駆け足気味とはいえこの日だけで10か所あまりのスポットを巡りましたが、これら以外にも光州広域市民俗資料第1号の「李章雨(イ・ジャンウ)家屋」や同第2号の「崔昇孝(チェ・スンヒョ)家屋」のような伝統韓屋、また「楊林美術館」や展望台のある「社稷(サジク)公園」など巡るべきみどころはまだまだたくさん控えています。
わずかな滞在時間とはいえ、宣教師たちの遺した近代建築など数々の文化財とと緑が調和した静かなたたずまいは居心地のよいものであり、実際に訪れてみて「韓国でいちばん住んでみたい街」との思いをさらに強くしました。
必ずやまたここ楊林洞を訪問し、じっくり時間をかけて巡ることといたします。

楊林洞へのアクセスですが、都市鉄道(地下鉄)1号線は通っていないので私のように南光州駅から歩くのが手っ取り早いです。南光州駅2番出口から先に紹介した「鄭律成通り展示館」の入口まで徒歩約9分(約590m)。ちなみに来年(2018年)着工予定という都市鉄道2号線は楊林洞付近に駅(213番)が設置され、南光州駅と尚武(サンム)駅で1号線と接続する予定ですが、開業は2022年以降とまだまだ気の長い話です。


それでは、次回のエントリーへ続きます。

 

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