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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

大邱の旅[201706_02] - 15年前の地下鉄火災を記憶し悼む空間、そして2つの「大邱十味」を味わう

 

前回のエントリーの続きです。

 

韓国・大邱(テグ)広域市を中心に巡る旅の1日目(2017年6月9日(金))です。

「平和の少女像」から国債報償路を西へ向かって歩き、地下街への入口を下って、都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」(チュンアンノ)駅へ。この駅の名は、およそ15年近く前に日本でも報道されたニュースでご記憶の方もいらっしゃることでしょう。
2003年2月18日午前9時53分、この駅への到着直前だった地下鉄1079列車の車内で、突如一人の男性がガソリンを車内にまき点火。この当時の車両や駅は可燃材が多数用いられており、火の手はたちまち車両全体に、そして到着した中央路駅構内へと拡大します。この電車の乗客の大半は駅到着後に脱出できたものの、まもなく対向ホームに到着した1080列車は乗務員が誤ってドアを閉じてしまったため、引火した炎と有毒ガスにより1079列車よりも多くの乗客が犠牲となりました。「大邱地下鉄放火事件」あるいは「2.18大邱地下鉄火災惨事」などと呼ばれるこの事件では、実に192名もの尊い命が失われています。

 

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この火災により中央路駅構内は全焼し、その設備のすべてが焼け焦げ、壁面は煤で覆われました。それらの一部を当時のまま保存し、この事件の記憶と犠牲者の追悼のため同駅構内の一角に設けられたのが、写真の「2.28大邱地下鉄火災参事記憶空間」です。壁面には犠牲者192名の名前と生年が。

 

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記憶空間の入口横には、犠牲となった方々の名前が刻まれた「追慕壁」があります。黙祷をして、写真を撮影します。

 

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記憶空間に展示されている、当時の駅構内の備品の数々。何らかの案内板と思しき板は表面が溶けています。そして煤けた壁面には、犠牲者を悼む無数の言葉が。

 

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キオスク。おそらく当時からこの場所にあったと思われます。物品が散乱した店内、そして事件当日の日付の新聞。2003年2月18日のまま、時が止まっています。

 

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記憶空間周辺の駅通路には、犠牲となった方々の遺品が展示されています。やりきれない思いに襲われます。

  

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事件以降の大邱地下鉄の取り組みを紹介したパネル。事故後、大邱に限らず韓国では鉄道車両・駅構内ともに徹底した不燃対策が施されるようになり、またホームには防毒面を収納したケースが設置されるようになりました。
「2.18大邱地下鉄火災惨事記憶空間」は都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅の構内、3・4番出口側(北側)の改札手前にあるため、地下鉄の運行時間帯であれば無料で入場できます。安全設備の不備による惨事の犠牲者を悼み、その事実を直視し記憶すること、そしてこれらを未来へ継承すること。その大切さを改めて思い知らされます。

2.18大邱地下鉄火災惨事記憶空間(2.18 대구지하절 화재 참사 기억공간:大邱広域市 中区 中央大路 424 (南一洞 143-1) 中央路駅構内)

 

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1号線に乗って4つ先の「嶺大病院」(ヨンデピョンウォン)駅へ移動。時計はすでに午後8時を回っていましたが、沖縄を除けば日本よりもずっと西に位置する大邱の空はまだほの明るいです。嶺大病院駅からは<순환(循環)3-1>番バスに乗車。

 

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隣接する寿城区(スソング)にある「トゥルアンギル初等学校前」バス停で下車。ここからトゥラル路(トゥルアンギル)を南へ5分ほど歩いた場所に、この日の夕食目当てのお店「美成(ミソン)ポゴ トゥルアンギル本店」があります。
店名の「ポゴ」とはフグ(河豚)のことで、こちらのお店は大邱を代表する10種の料理「大邱十味」にも数えられる料理「ポゴプルコギ」(フグの鉄板妙め)の元祖とされています。1978年創業、駐車台数からも分かるようになかなかの人気店です。

 

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メニューを見ていたところ、店員さんが20%割引中の「ミルボクモドゥム(サバフグの全部入り)プルコギ」19,500ウォン(約1,950円:1人分)を熱心にすすめるので、こちらにします。

 

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やって来たミルボクモドゥムプルコギ(写真は2人分)。別売トッピングのニラやモヤシ、タンミョン(春雨を太くしたような麺)が最初から入っているので「モドゥム」。店員さんが目の前で炒めてくれます。いい色のヤンニョムソースがからまって見るからにおいしそう。香ばしい匂いが漂います。

 

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ミルポク、最初の一口。淡白ながらもうまみの凝縮された味。ヤンニョムソースは見た目ほど辛くはありません。ああ、かなりうんまい。これは止まらん。ビールにもよく合います。

 

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こちらの黄色い液体は、パンチャン(おかず)のタンホバンムルキムチ(カボチャの水キムチ)。自慢の一品のようで、おいしかったです。

 

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あらかた食べ終わった後は、お楽しみのポックンパで締め。当然こちらもうんまい。

 

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帰りがけ、厨房のそばでは「ポゴチリ」(복어지리)らしき料理が出番を待っていました。ポゴチリとは澄んだスープのフグ鍋のことで、日本の「(ふぐ)ちり」が語源のようです。辛いスープの「ポゴタン」とは明確に区分されています。
「美成ポゴ トゥルアンギル本店」の営業時間は午前10時~午後11時、名節(旧正月・秋夕)当日は休業。私のように地下鉄とバスを乗り継いで行くほか、最寄り駅である都市鉄道(モノレール)3号線「黄金」(ファングム)駅から徒歩約15分(約1km)で行くこともできます。

美成ポゴ トゥルアンギル本店(미성복어 들안길본점:大邱広域市 寿城区 トゥラル路 87 (上洞 127-)))

 

お腹は大分たまっていますが、せっかく9ヵ月ぶりに食都・大邱へ来たのですから、もう1件くらいハシゴしたい。そこでタクシーに乗り、「平和の少女像」と同じ国債報償路沿いにある中区庁(区役所)まで戻ります。

 

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この中区庁近くの裏路地を入ったところに、目的の店「ワンゴミ食堂」があります。酒場らしい雰囲気にあふれたこちらのお店、裏路地というロケーションもまたたまりません。

 

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壁面にはメニューと、SBSの人気番組『ぺク・チョンウォンの3大天王』の取材を受けた際の写真が。司会のぺク・チョンウォン(백종원:白種元。中段のグレーの服を着た男性)氏は韓国の著名料理人兼タレントで、日本にも店舗のある「セマウル食堂」など複数の飲食店を経営する実業家でもあります。この番組は惜しくも終了してしまいましたが、私が通っているお店も複数登場し、個人的に参考にしている番組です。そういえば先ほどの「美成ポゴ」にも同番組の取材時の写真がありました。

 

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まずは2大人気メニューのひとつ、センコギ(생고기:牛の生肉)。名前こそ異なりますが、大邱十味のひとつ「ムンティギ」と同じです。来た時点では完売だと聞いたのですが、幸運なことに100g分だけ残っていました。なんていい肉色。

 

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センコギは写真左のヤンニョムジャン(つけダレ)につけて食べます。唐辛子ベースと思しきヤンニョムにごま油、ニンニクなどが入り、ぺク・チョンウォン氏をして「魔性のヤンニョムジャン」と言わしめたこちらのヤンニョムジャン。センコギのおいしさを引き立てます。うんまい。

 

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そしてもうひとつの人気メニュー、オドゥレギ(오드래기)。こちらも100g。白い部位はなんと牛の大動脈。これと肉をコショウなどのスパイシーな味付けで妙めたものです。大動脈のコリコリした食管がたまりません。これまたうんまい。ソジュ(焼酎)との相性がぴったりです。大邱を含む慶尚北道キョンサンブット)の地ソジュ「マシンヌンチャム」で一杯。

 

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「ワンゴミ食堂」の営業時間は午後5時~午後11時30分、日曜定休。土曜日はセンコギの扱いはないそうですのでご注意願います。肉がおいしくて、個人的にお気に入りのお店でした。今度はお腹がすいた状態で訪問したいですね。

ワンゴミ食堂(왕거미식당:大邱広域市 中区 国債報償路 696-8 (東仁洞4街 179))

 

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ホテルまでの帰り道、東城路(トンソンノ)付近の路地。人はなぜ路地裏に惹かれるのか。

歩いてホテルヘ向かっているうちに、猛烈に冷麺が食べたくなりました。しかし時刻はすでに午前0時過ぎ、日中はあんなに賑やかだった東城路沿いの店舗はどこもシャッターが降りています。そこで大邱駅の少し手前で東城路を左に折れて、北城路(プクソンノ)へ。

 

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この北城路には日帝強占期に建てられた日本式の家屋が現在も数多く残っており、近年は内部をリノベしておしゃれなカフェなどに再活用されています。そんなわけで1件くらいは深夜営業の飲食店があるかと思った次第ですが、写真のようにどこも真っ暗。

 

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そんな中でただひとつ開いていたのがこちらのお店。吸い込まれるように入ったものの、こちらもまたカフェであり、残念ながら目当ての冷麺はないとのこと。しかしこちらの店員さんは私が外国からの旅行者と見るや、深夜の珍客(それもお金にならない)にもかかわらず、やはり日帝強占期の建築という建物内を親切に案内してくださいました。

 

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日帝強占期に塩を保管していた倉庫を再活用したというこちらのお店、その名もずばり「北城路ソグム倉庫」(ソグムとは「塩」の意)。元が倉庫だけあって内部は広々としています。
こちらのお店「北城路ソグム倉庫」の営業時間は午後2時~午前2時、日曜定休。いつか今回のお礼も兼ねてお茶を飲みに行きたいと思います。

北城路ソグム倉庫(북성로 소금창고:大部広域市 中区 慶尚監営1キル 81 (太平路2街 16-5))

 

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こちらも日本家屋を再活用した「北城路工具博物館」。夜ゆえの情感が漂います。

以前にも書きましたが、これら朝鮮半島に残る日本家屋あるいは日帝強占期の近代建築などは、その意図や役割にかかわらず日本による支配、収奪の一環で建てられたものです。そしてこれらの建物はそれ自体の文化財的価値以上に、そうした支配・収奪を「記憶」するものであること、また光復(日本の敗戦による解放)後に朝鮮半島の人々が大事に活用してきたことにこそ価値があり、それゆえ訪れてみたいとの考えを私は抱いています。

そして結局、冷麺はあきらめてホテルへ帰り、次の日のため眠りにつくのでした。
それでは、次回のエントリーヘ続きます。

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