かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

ソウルの旅[201709_06] - 早朝の鍾路散歩(その①)鮮やかな紫のカキ氷にソウル教育博物館、北村韓屋マウル

前回のエントリーの続きです。

 昨年(2017年)9月の江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市などを巡る旅の3日目(2017年9月3日(日))です。

 

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春川駅から乗った列車「itx-青春」を「清凉里」(チョンニャンニ)駅で下車し、首都圏電鉄(地下鉄)1号線に乗り換えて「鍾路3街」(チョンノサムガ)駅へ。いい感じの酒場が無数にある大好きな街で、ここ最近のソウルでの宿泊は専らこの街となっています。
定宿となっている某ホテルに荷物を置き、お待ちかねの夕食へ。とはいえ昼に「加平チャラ島全国マッコリフェスティバル」会場で食べたジョン(전:チヂミ)3皿がまだお腹に残っていたので、軽めのものに。

 

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軽めの夕食といえば、思い当たる場所がありました。屋台群を横目に見つつ、大通りである鍾路を横断し、清渓川(チョンゲチョン)方面へと南下します。

 

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清渓川を渡り、やって来たのは乙支路3街(ウルチロサムガ)。地下鉄駅のある大通りから一本入ると、写真のような路上が露天席で埋め尽くされた空間が現れます。
こちらの場所は、無数の露天席でノガリ(노가리:スケトウダラの幼魚の干物)などをつまみにリーズナブルな価格で生ビールが飲める「ホーフ」(호프:HOF。日本でいうビヤホール)が数件立地している場所で、俗に「乙支路ノガリコルモク」(을지로 노가리 골목:コルモクとはここでは「横丁」の意)と呼ばれる場所です。
これらホーフの露天席、一時は市の規制により撤去を余儀なくされましたが、2015年にはソウル市の「未来遺産」に登録されたことで一転して解禁、再び路上が露天席で埋め尽くされるようになりました。

 

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これらホーフの中でも一番の目当てであった「乙支OBベオ」がこの日(日曜日)は定休日であったため、最も席数が多く当日も営業していた「満船(マンソン)HOF」の席に着きます。こちらもいいお店だと聞いています。

 

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当然、最初のおつまみは名物のノガリ。値段はなんと1枚1,000ウォン(約100円)。適当なサイズにちぎって、マヨネーズが盛られたヤンニョムジャン(つけダレ)につけて食べます。このヤンニョムジャン、実は猛烈に辛いのですがその中に独特のうまみがあって、食べだしたらもうノガリもビールも止まりません。あっという間に2枚目に突入。とはいえやはり日中のジョンは依然効いていたようで、2枚目を食べたあたりでお腹がいい感じにふくれてしまいました。

 

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こちらのお店「満船HOF」の営業時間は正午~午前0時、名節(旧正月・秋夕)休業。首都圏電鉄(地下鉄)3号線「乙支路3街」駅4番出口なら徒歩約1分(約70m)同1号線「鍾路3街」駅14番出口からでも徒歩約6分(約390m)で到達できます。ちなみに隣接する「乙支OBベオ」(을지OB베어)の営業時間は正午~午後11時、日曜定休。
この日のお会計は生ビール3杯とノガリ2枚、プチュ(白菜)キムチ1皿で16,000ウォン(約1,600円:当時)。十分満足できたのにこの値段とはなんだか申し訳なくなってきました。メニューを見るといろんな料理があるようですので、今度来たときはもっといっぱい食べます。

満船HOF(만선호프:ソウル特別市 中区 乙支路13キル 19 (乙支路3街 95-1))

 

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宿へ帰る前に、ホテル近くのいつもの24時間営業のお店「クテグチッ」(그때그집)へ。鍾路3街で飲んだ夜は、ほぼ必ずこちらのお店で締めの冷麺を食べています。
今回はムル(水)冷麺。うんまい。冷麺は別腹。
お腹もいっぱいになったところで、ゆっくりと休むのでした。

 

明けて、旅の4日目(2017年9月4日(月))。
最終日であるこの日はいつものように早起きし、まずは荷造りをしたうえで鍾路界隈の朝散歩に出かけます。

 

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ホテルからも近い、仁寺洞(インサドン)の街並み。
昼は観光客でにぎわうこの街も、午前7時台は人足もまばらで静かです。

 

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仁寺洞通りを抜けきったところにある「安国洞(アングットン)サゴリ」(サゴリは「交差点」の意)を東西に貫く大通り「栗谷路」(ユルゴンノ)。地下鉄3号線「安国」駅の近くです。

 

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安国洞サゴリ、栗谷路を渡った先にある小道「感古堂(カムゴダン)キル」。道沿いの塀がきれいで、好きな道です。

 

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感古堂キルを抜けた先には、以前に訪問したことのある「カフェ歩拏(ポラ)三清(サムチョン)本店」の看板が。「三清」とはこの一帯の地名「三清洞」(サムチョンドン)のことを指します。さすがにこの時間には営業していませんでしたが。

 

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感古堂キルから路地を入った場所にあるこちらのお店は2016年夏に訪問。その際に食べた看板メニューの「歩拏ピンス」は、忠清南道(チュンチョンナムド)・保寧(ポリョン)産の紫芋をソースに使用したピンス(빙수:韓国風力キ氷)で、インパクト大の紫色がそれはもう美しいこと美しいこと。ちなみに店名でもある「ポラ」(보라)とは韓国語でずばり「紫」の意(漢字表記の「歩拏」は当て字)。

 

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花弁に見立てた紫芋のチップが乗っている容器には、継ぎ足し用の紫芋ソースが。こういう心配りはうれしいですよね。特に紫芋のお花など、食べるのがもったいないほどです。まあ食べたけどな!
日本では見かけたことのないサツマイモ風味のカキ氷、うんまかったです。

 

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こちらのお店「カフェ歩拏三清本店」の営業時間は午前11時~午後10時、年中無休。首都圏電鉄(地下鉄)3号線「安国」駅1番出口から徒歩約7分(約460m)です。

カフェ歩拏三清本店(카페보라 삼청본점:ソウル特別市鍾路区 栗谷路3キル 75-3 (昭格洞 149-5)) [HP]

 

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カフェ歩拏の看板を通り過ぎた次の交差点を右に曲がると、こちらも以前(2015年)に訪問した「ソウル教育博物館」があります。
こちらの博物館の特徴は、韓国のほとんどの博物館の共通休館日である月曜日にも開館していること。

 

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かつての国民学校(現在の初等学校。日本でいう小学校)の教室の再現展示。ストーブの上には児童のアルマイト製の弁当箱も。

 

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子どもたちが通っていた文房具店(兼駄菓子屋)の再現展示もありました。

 

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朝鮮時代末期から現代へと至る韓国(朝鮮)での主に初等教育について紹介するこちらの博物館には、日帝強占期における日本語の教科書も展示されていました。写真は朝鮮総督府発行の『普通学校国語読本』。「日章旗」と題された見開き(写真2枚目)ひとつだけでも、植民地支配の残虐性をまざまざと見せつけられます。
「ソウル教育博物館」の開館時間は平日午前9時~午後6時、土日は午前9時~午後5時。公休日と第1・第3水曜日は休館です。入場無料。首都圏電鉄(地下鉄)3号線「安国」駅2番出口から徒歩約7分(約490m)です。ぜひともご訪問いただきたい場所です。
(※以上、展示品の写真は2015年8月時点のものです)

ソウル教育博物館(서울교육박물관:ソウル特別市 鍾路区 北村路5キル 48 (花洞 2))

 

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ソウル教育博物館からさらに北へ進むと、立派な韓屋(한옥:ハノク。韓国/朝鮮様式の住宅)住宅が立ち並ぶ、一般に「北村(プッチョン)韓屋マウル」と呼ばれる一帯です。入口には韓服のブティックも。

 

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北村という名は、鍾路や清渓川(チョンゲチョン)の北側の集落であったことから名づけられたといいます。かつて嘉会洞(カフェドン)31番地と呼ばれたこの一帯は、朝鮮初の不動産開発業者とされる鄭世権(정세권:チョン・セグォン、1888-1965)氏が1920年代に手掛けたもので、主に地主など富裕層向けの住宅地として造成されました。
この街に立ち並ぶ韓屋は、朝鮮時代以前から脈々と受け継がれてきた「伝統韓屋」の様式を継承しつつも、ガラスやタイル、トタンなど近代の新建材や規格化された木材などを効果的に用いていることから一般に「改良韓屋」と呼ばれています。
ちなみに鄭世権氏がこの北村韓屋マウルに先駆けて造成したのが、この年の5月に訪問した、庶民向けの小型韓屋改良韓屋の立ち並ぶ「益善洞(イクソンドン)韓屋マウル」(こちらのエントリーにて紹介)です。

 

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どこを切り取っても絵になる北村韓屋マウルですが、何といっても圧巻は、坂道を登りきった写真の地点から道を挟んで建つ韓屋を、そして鍾路やNソウルタワーなどソウル旧市街の街並みを見下ろしたこちらの風景でしょう。
日中は観光客がひっきりなしに訪れるこの坂道も、午前8時前後はまだ誰ひとりいません。

 

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こちらの「北村韓屋マウル」は、首都圏電鉄(地下鉄)3号線「安国」駅2番出口から徒歩約12分前後。住宅街なので入場料も休館日もなく24時間いつでも訪問可能ですが、それぞれの韓屋は現在も生活の場として使用されていますので、くれぐれも騒いだりすることのないようお願いいたします。

北村韓屋マウル(북촌한옥마을:ソウル特別市 鍾路区 嘉会洞 一帯。リンク先は先ほど紹介した坂道の上の撮影スポット)

 

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北村韓屋マウルを出て、再び安国駅方面へ。
朴槿恵前大統領の弾劾裁判で日本でも有名になった「憲法裁判所」の前を通過します。

 

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写真の蔦に覆われた建物は「空間(コンガン)社屋」といい、韓国を代表する建築家である金寿根(김수근:キム・スグン、1931-1986)氏が自身の事務所である空間社の社屋として設計、1971年に竣工した建物です。その後1977年の増築を経て、2014年からは美術館「アラリオミュージアム・イン・スペース」として使用されており、また同年には「ソウル旧空間社屋」として国家指定登録文化財第586号にも登録されています。

 

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金寿根氏はその設計に際し、隣接する昌徳宮(창덕궁:チャンドックン。1405年築の朝鮮王朝の古宮。世界文化遺産)や当時まだ周辺に残っていた韓屋との調和のため、それらの瓦屋根に似た感じの黒レンガを外壁の主材料とし、人工と自然との共生から蔦を這わせたとのことです。
内部もまた韓屋の構造の導入に加え、ヒューマンスケール(人の背丈)を基準とした部屋や土地の傾斜を残しつつ半層ずつ高めるスキップフロア方式の採用など特異な設計が盛り込まれており、韓国における現代建築の中でも特に代表的な作品として極めて高く評価されているとのことです。いずれ時間を見つけて、内部にも入ってみたいと思います。

ソウル旧空間社屋(アラリオミュージアム・イン・スぺ一ス)(서울 구 공간사옥(아라리오뮤지엄 인 스페이스):ソウル特別市鍾路区栗谷路83(苑西洞219)。国家指定登録文化財第586号)

 

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金寿根氏の作品には、有名どころでは「ソウルオリンピック主競技場」(1977年)や最盛期には全長約1kmにも及んだ長大建築「世運商街」(セウンサンガ、1968年)などがあり、1970年の大阪万博のパビリオンである韓国館も手がけています。しかしその一方で、建物自体が公権力による拷問に最適化した「旧南営洞対共分室」(現・警察庁人権保護センター。写真)の設計を手がけたという過去も併せ持っています。
同じソウル市内にある「旧南営洞対共分室」、そしてこの建物内で1987年に拷問の末殺害されたソウル大生の朴鍾哲(パク・チョンチョル)烈士については下記のエントリーにて紹介しています。あわせてご一読いただけますと幸いです。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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