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釜山の旅[201711_03] - 避難民たちの住宅となった日帝時代の畜舎が残る「埋築地マウル」と「ソマンマウル」

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)11月の釜山広域市を巡る旅、2日目(2017年11月18日(土))です。

 

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東区(トング)凡一洞(ポミルドン)、釜山鎮市場(プサンジン・シジャン)ビルの横の飲食店街をしばらく南へ進むと、写真のトンネルが現れます。

 

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出入口に建つ住宅。トンネル内に文字通り食い込んでいます。

 

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高架道路の「子城路(チャソンノ)」をくぐるこちらのトンネルの壁面には、抜けた先にある次の目的地をイメージした壁画や昔の写真などで飾られていました。

 

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私が入ってきた北側(釜山鎮市場側)には出入口がひとつしかなかったはずですが、南側の出入口を抜けて振り返ると、向かって左側にもう1本のトンネルが口を開けています。
こちらはかつて釜山駅と牛岩(ウアム)駅とを結んでいた国鉄の貨物線、門峴線(ムニョンソン)の跡で、1958年の開業から1972年の廃止まで実際に貨車が走っていたトンネルです。

 

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昔の写真やパネル展示などでトンネル内壁を彩り、この年(2017年)2月に「子城路地下道」として改装されたうえで開放されています(ただし写真4枚目の北側は行き止まりです)

 

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子城路地下道を戻り、再び南側へ。写真1~2枚目は道路トンネルと子城路地下道の南側出入口のそばに建つ公衆トイレ。気動車ムグンファ号を模したものです。写真3枚目は2015年秋に撮影したムグンファ号。無駄に再現度高い。

 

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さらに南へ歩くと、次の目的地「埋築地(メチュクチ)マウル」に到達します。
「埋築地」とは韓国語で「埋め立て地」、「マウル」は「村、集落」の意。行政上「凡一5洞(ポミルオードン)」に属するこの一帯は、日帝強占期の1910年代に日本が海岸を埋め立てて造った土地であることから、俗にこの名前で呼ばれています。
かつてこの埋め立て地一帯には、日本軍の軍馬や近隣の埠頭で陸揚げされた荷物を運ぶ馬の厩舎と、荷役に携わる人々の居住空間を兼ねた家屋が多数立地していました。それら家屋は光復(日本の敗戦による開放)後もそのまま残され、一時は日本や旧「満洲国」などから戻った人々の仮住まいとなりましたが、1950年に朝鮮戦争(6.25戦争、韓国戦争)が開戦して以降は釜山に押し寄せた避難民たちの住宅として使用され、現在に至っています。

 

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埋築地マウルを南北に貫く大通り「城南2路(ソンナムイーロ)」沿いには沐浴湯(銭湯)「城南湯」の巨大な煙突が。埋築地マウルの住宅は総じて古く、浴室のない物件が多いため、住民の方々にとって大事な存在となっています。一般に釜山の沐浴湯の煙突は写真のような白と青のストライプ模様であり、それ自体が釜山らしい風景を演出しています。

 

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昔ながらのたたずまいを残す埋築地マウルは、釜山を舞台とした映画のうちいくつかの撮影地として登場します。その中でもとりわけ有名なのが、日本でも公開された2010年の大ヒット映画『アジョシ』(原題『아저씨』)。
写真はウォンビンさん演じる主人公、テシクの質屋が3階に入居していた設定のビル。写真2枚目、階上へ登る急な階段をご記憶の方もいらっしゃることでしょう。私もこの旅の出発前夜、予習を兼ねて『アジョシ』を観てきたばかりでした。

 

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テシクの質屋のビル1階には「スワン洋粉食(ヤンブンシク)」という飲食店が入っていました(当時)。1993年創業、トンカス(돈가스:韓国式とんかつ。主にデミグラスソースをかけて食べる)がかなりの評判のようで、私が撮影していた間にも何組かの来客が訪れていました。
ちなみにこちらのお店、奇しくも本エントリー公開直前の2018年7月に東区草梁洞(チョリャンドン)のKorail釜山駅前へ移転&拡張オープンしたとのこと。早速いくつかのブログで紹介されていました。次回の埋築地マウル訪問時には入ってみようと思っていましたが、今回の移転でもうちょい早まりそうです。

 

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埋築地マウルは『アジョシ』のほか、釜山を舞台とした2001年の大ヒット映画『友へ チング』(原題『친구』)でも撮影地のひとつとなっています。写真1枚目はそのことを示すパネル、2枚目は『アジョシ』と『友へ チング』の名場面、3枚目は『友ヘ チング』主演のチャン・ドンゴンさんを描いた壁画。

 

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壁画といえば、小規模ではありますが埋築地マウルにも壁画マウルがありました。

 

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糧穀商会(ヤンゴク・サンフェ)」。
一般に「クモンカゲ」と呼ばれる雑貨店で、60~80年代の韓国の街のあちこちにあったクモンカゲのたたずまいを残すお店として、埋築地マウルのみどころ&人気撮影スポットのひとつとなっています。もちろん営業中です。

 

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糧穀商会そばの電柱にぶら下げられた写真の鐘は「埋築地の鐘」と呼ばれ、火災などの緊急事態を住民たちに知らせるため、60年ほど前に埋築地マウルを襲った大火の後に設置されたものだそうです。幸いにして今日に至るまで活躍の機会はなく、マウルと人々を見守るかのように静かにたたずんでいます。今後もこの鐘を鳴らさねばならない事態が訪れないことを祈ります。

 

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中央薬局(チュンアン・ヤックッ)」。
先の糧穀商会と同様、60~80年代の街の薬局の雰囲気を残したお店です。糧穀商会とは異なり、こちらはすでに廃業しています。

 

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馬厩間(マグガン)ハウス」。
前述したように、現在の埋築地マウル一帯には厩舎と住居が合わさった家屋がいくつも建てられ、「馬厩間」と呼ばれたそれらは後に避難民たちの生活の場として再利用されました。写真の建物は、たまたま解体に際し馬厩間に由来することが判明した空き家の外壁を取り払い、代わりにアクリル板をはめ込むことで、馬厩間の構造を眺められるようにしたものです。

 

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埋築地マウルには至るところに生活感が漂う裏路地があり、訪れる者の郷愁を惹きつけます。
私にとっては日本人が建てた家屋だからなどではなく、あくまでそれら収奪のための負の遺産たる建物であっても韓国の方々が大事に保全し生活されてきたことに対し、郷愁を感じます。

 

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路地にいくつも置かれている茶色いプラスチックの桶は練炭を収納するケース。埋築地マウルでは現在も練炭が暖を取る手段などに用いられており、街角のあちこちには積まれた練炭が。 

 

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情茶房(チョン・タバン)」。
茶房とは「喫茶店」の意。こちらは住民のご老人たちが運営するカフェで、来客は任意の金額を払ってセルフでインスタントコーヒーなどを飲むことができます。
私のような観光客にはしばしの休息の場であり、また住民の方々には歓談の場である情茶房。私が訪れた際にも住民と思しき2人のお年寄りが楽しそうに話を交わしていました。 

 

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埋築地文化院(ムナウォン)」。
埋築地マウルの歴史を写真などで紹介する施設ですが、あいにくこの日(土曜日)は休館日のため観覧はできませんでした。開館時間は午前9時から午後5時まで(正午~午後1時は中休み)、土日と公休日は休館とのことです。

 

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埋築地マウルへは、都市鉄道(地下鉄)1号線「佐川(チュァチュン)」駅4番出口から跨線橋を越えて徒歩約5分(約300m)ほどで到達できます。おすすめは本エントリーの最初に紹介した子城路をくぐるトンネル経由でのアクセスで、こちらの場合は同1号線「凡一」駅1番出口から徒歩約14分(約880m)で到達できます。

韓国『国際新聞』サイトのこちらの記事によると、本年(2018年)2月に東区の管理処分認可を得たことでこれまで滞っていた埋築地マウルの再開発計画が本格稼働し、同年5月から住民の転居が始まり下半期中には着工、来年(2019年)3月までには転居および建物の撤去が完了する見通しとあります。この計画通りであれば、以上で紹介した埋築地マウルの風景はまもなく思い出の中に消えることとなります。この街を残してほしいという正直な思いはありますが、私は住民ではなく利害関係もないので身勝手なことを発言できる立場ではありません。願わくばもう一度埋築地マウルを訪れ、この郷愁漂う街並みを目に焼き付けたいと思うばかりです。

埋築地マウル(마축지마을:釜山広域市 東区 凡一洞 一帯。リンク先は上の写真の撮影地である「城南2路」と「城南2路37番キル」との交差点)

 

埋築地マウルからは少し歩いて市内バスに乗り、次の目的地へ向かいます。

 

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到着したのは埋築地マウルのある凡一洞から東川(トンチョン)を渡った先の南区(ナムグ)にある、牛岩洞(ウアムドン)。
ここ牛岩洞には写真のような、かつて日本が建てた木造牛舎を住宅に改造した家屋が立ち並ぶ、通称「ソマンマウル」と呼ばれる一帯があります(青いのは防水のウレタン吹付のため)。

釜山港に面するこの一帯は、かつて入り江に牛の形をした大きな岩があったことから「牛岩」の名が付いたとされています。その後日帝強占期に入りやって来た日本人たちが、山肌が赤かったという理由で「赤崎(チョッキ/あかさき)」という名に変えていますが、現在は「赤崎」の名は消滅しています。
うち現在の「ソマンマウル」、あるいは「牛岩洞189番地」と呼ばれる一角には、収奪の一環で朝鮮牛を日本に移送する際の検疫所である「移出牛検疫所」が1909年に設置されます。その後海岸の埋め立てとともに敷地を拡張、「ソマク」あるいは「ソマクサ」(ソは「牛」、マク(サ)は「幕舎」の意)と呼ばれる木造牛舎が次々と建設されました。

 

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ソマクは切妻屋根(断面が三角形の屋根)に幅約10m×長さ約50mという長屋のような形態の木造建築で、1棟あたリ100頭以上もの牛が収容可能であり、これらは南北に伸びる道路、現在の「牛岩繁栄路(ウアムバンヨンノ)」を挟んで道と直角方向に配置され、最盛期には19棟ほどが建っていました。
光復後に放置されたこれらソマクもまた、埋築地マウルの「馬厩間」と同じく、朝鮮戦争期には避難民たちの収容所として使用されています。釜山の数ある収容所の中でも最大規模だったというこの「赤崎収容所」には、前回のエントリーでも紹介した西洋画家の李仲燮(이중삽:イ・ジュンソプ、1916-1956)氏とその家族も1950年12月から翌年春まで滞在したとのことです。

 

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こうした収容所となったソマクは、休戦後も帰郷かなわず定着を余儀なくされた避難民により、そのまま住宅として再利用されるようになりました。
ソマク1棟あたり約40世帯が割り当てられたため、1世帯あたりの占有面積はわずか4坪ほど。トイレも共同、しかも当初は内部を合板で仕切っただけという極めて劣悪な環境でしたが、身ひとつで故郷を離れざるを得なかった避難民たちにとっては命をつなぐための貴重な生活の場となりました。

写真はソマクを再利用した住宅の玄関が並ぶ牛岩洞の路地。長い建物にいくつもの世帯が入居し玄関が開いていることから「ナレビチッ」(나래비집。ナレビとは日本語の「並び」に由来)、あるいは「ハモニカチッ(하모니카집)」などと呼ばれました。

 

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やがて生活が安定して暮らし向きがやや豊かになると、一部の住民は市から払い下げられた家屋と土地を購入し、古びた木造牛舎を改装あるいは改築するようになります。自分の占有部分をコンクリート製の家屋に建て替え、あるいは2階を増築した際、狭い敷地をわずかでも有効活用しようと2階の床を1階よりも広く取り、その分だけ通路側に張り出した家屋が現れました。これらは「3/2」のような分子が分母より大きな分数にたとえて「仮分数(カブンス)チッ」(チッは「家」の意)と呼ばれています。写真は2015年秋の訪問時に撮影した仮分数チッ。

 

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最初の写真にもあったように、ソマクを再利用した住宅は、日本式の瓦ぶきの切妻屋根の上に牛舎時代の通気口が残っているのが大きな特徴です。

この一帯は1960年代から70年代にかけて近隣に工場が多数立地し、その労働者が数多く流入した時期があります。当時の住民たちは切妻屋根の内側の空間に中2階を設け、通気口を窓に改造し、それら労働者たちに賃貸するようになりました。当時はそれでも部屋が足りないほど活況だったそうですが、80年代以降の空洞化や不況などで工場が続々と閉鎖され、人口は激減。近年では埋築地マウルと同様、高齢者の人口比が高い地域となっています。

 

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そうしていつしか「ソマンマウル」(「ソマン」とは「ソマク」の音韻変化)と呼ばれるようになったこの牛岩洞189番地一帯の牛舎住宅群は、住民や支援者たちによる保存・活性化活動などの甲斐あって、訪問後の本年(2018年)5月には「釜山牛岩洞ソマンマウル住宅」として国家指定登録文化財第715号に指定されています。写真は住民たちの地域活性化の取り組みとして描かれた壁画。

 

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こちらの木造家屋は牛舎ではなく、当時の官舎だった建物とのこと。

 

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ソマンマウル周辺には旅客を扱う鉄道の駅がないため、バスでのアクセスとなります。
都市鉄道(地下鉄)1号線「凡一」駅からだと、8番出口から徒歩約2分(約100m)の場所にある「自由市場(자유시장)」バス停から<68>番バス(約6分おき配車)に乗車し、約11分で到着する「南部中央セマウル金庫(남부중앙새마을금고)」バス停にて下車、徒歩約3分(約210m)
また私のように埋築地マウルから向かう場合には、まず「子城台」バス停まで徒歩約11分(約730m)、そこから<26>番バス(約8分おき配車)に乗ると約10分で「南部中央セマウル金庫」バス停に到着します。全区間徒歩でも約40分(約2.63km)ですので散歩がてら歩いて行くのもよいかもしれません。
ソマンマウルは住宅街ですので24時間いつでも立ち入ることができ、また国の登録文化財でもあるうえ、先の壁画にも象徴されるように観光スポットとなることを期して開放されている場所ではありますが、先ほど紹介した埋築地マウルと同じく、お年寄りを中心に住民の方々が現在も生活されている空間でもあります。ご訪問に際してはどうかお静かに観覧いただくようお願いいたします。

釜山牛岩洞ソマンマウル住宅(부산 우암동 소막마을 주택:釜山広域市 南区 牛岩洞 189 一帯。リンク先は上の写真の通気口のある青い建物の位置)

 

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ソマンマウルの坂道を上った先には、またあの青と白のストライプで塗り分けられた沐浴湯の煙突が。こちらは残念ながらすでに廃業していました。

 

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ソマンマウルの道路を挟んだ向かい側には、「牛岩市場」と呼ばれる小さな市場があります。
市場とは言っても、人ひとり通れるのがやっとの細い路地沿いにわずか10軒足らずの店舗が並ぶだけのささやかな規模であり、ソマンマウルを含む住民だけが利用するであろうごく小規模なものです。
ただでさえ狭いうえ、日よけに覆われた路地は日中でも薄暗いですが、それがかえって情感を誘う風景を作り出しています。

 

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牛岩市場を抜けた先にあるのが、ソマンマウルと並ぶ牛岩洞のもうひとつの顔というべき飲食店「内湖冷麺」(ネホネンミョン)。車道から一歩入った裏路地に面するこちらのお店は、釜山を代表する郷土料理のひとつ「ミルミョン」の元祖とされており、来年(2019年)には創業100周年を迎えるという韓国でも屈指の老舗です。鄭銀淑さんの著書『釜山の人情食堂』で知ったお店で、2年ぶりの訪問となります。

 

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2010年には『東亜日報』紙上で連載中だったホ・ヨンマン氏のグルメ漫画食客』135話で紹介され、その知名度を全国区に拡大しました。店先にはそのいくつかのコマが。

 

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釜山での「内湖冷麺」の開業は1952年ですが、その創業は日帝強占期の1919年、現在は朝鮮民主主義人民共和国に属する咸鏡南道(ハムギョンナムド)の興南(フンナム)で営業していた「トンチュン麺屋」という冷麺屋にさかのぼります。
写真は店内にある歴代店主の写真。左はトンチュン麺屋時代の創業者である初代の故イ・ヨンスン(이영순)さん、中央は釜山での創業者である2代目の故チョン・ハングム(정한금)さん、右は現在の店主である3代目です。

1950年6月25日、朝鮮人民軍の「南侵」により朝鮮戦争が勃発。米軍を中心とする国連軍は同年10月の仁川上陸作戦で一時は中国国境の鴨緑江(アムノッカン)と豆満江(トマンガン)流域にまで迫りますが、想定外の中国義勇軍参戦により再び優勢となった人民軍に押し返され、後退を余儀なくされます。
人民軍の再攻勢から逃れるべく、港町である興南には近隣地域からの避難民が殺到。折りしも興南からの大規模撤退作戦を計画していた国連軍は、人道的見地からこの作戦で避難民たちも救出することを決定します。そして同年12月にはわずか11日間で、約9万人の市民と10万人以上の兵員などを興南港から脱出させることに成功。映画『国際市場で逢いましょう』の冒頭でも描かれた、国連軍のいわゆる「興南撤収」作戦です。
チョン・ハングムさん一家も例外ではなく、この「興南撤収」により住み慣れた郷里を離れ、避難民の身となりました。

 

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故郷を発った翌々年には釜山の赤崎収容所そばで、郷里の地名「内湖」を屋号につけた冷麺屋を開業。戦争中は冷麺の麺に欠かせない蕎麦が入手できなかったため、代わりに米軍からの救援物資であり比較的入手しやすかった小麦粉を加えた麺で冷麺を作ったのが、内湖冷麺におけるミルミョンの始まりだとのことです。
柔らかい小麦粉麺は、咸興(ハムン)冷麺に代表される咸鏡地方のジャガイモでんぷん由来の硬い麺に不慣れだった釜山の人たちにも受け入れられ、今日の釜山名物料理の地位を確立したとされています。こうした経緯から、ミルミョンはここ釜山での避難民の辛苦を象徴する料理のひとつにもなっています。

 

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店内にはチョン・ハングムさんの夫、故ユ・ボギョン(유복연)さんが死去直前に描いたという郷里の地図が掛けられていました。図の左下、自宅があったという咸鏡南道興南市水西里(スソリ)とは、現在の咸鏡南道咸興市、興南区域にある徳豊洞(トップンドン)を指すようです。

 

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そしてやって来たミルミョン。
いい感じの歯ごたえの麺も、薄い色の割に味の濃いスープも、そして上に乗ったヤンニョムジャンもうんまい。まだ2度目ですがすっかり恋しい味となりました。
写真右のコップに入った液体は、韓国の冷麺店にはほぼ必ずあるサービスの「ユクス」(육수:肉水。主に牛肉や牛骨を煮込んで取ったスープ)。他のお店に比べワイルドな香りの強いものでしたが、個人的には結構好きです。

 

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こちらのお店「内湖冷麺」の営業時間は午前10時~午後8時、年中無休。先にソマンマウルへのアクセスで紹介した「南部中央セマウル金庫」バス停からは徒歩約4分(約260m)で到達できます。ソマンマウル見学とあわせてご訪問を強くおすすめするお店です。
「決して店を移転してはならない」という2代目チョン・ハングムさんの教えを守り、今日も内湖冷麺は釜山での創業地である牛岩洞の裏路地で営業を続けています。

内湖冷麺(내호냉면:釜山広域市 南区 牛岩繁栄路26番キル 17 (牛岩洞 189-671))

 

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内湖冷麺からおよそ400mあまりの距離にある、Korail「牛岩」駅。
1951年に貨物線である牛岩線の終点として開業した駅で、旅客の取り扱いはありません。訪問の1カ月後(2017年12月)には貨物取り扱いが中止となったのことです。
ここでタクシーを捕まえて、次の目的地へと向かうのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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