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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

釜山の旅[201711_04] - 過去の人的収奪を記憶する「国立日帝強制動員歴史館」、そして辛うまナッコプセポックム

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)11月の釜山広域市を巡る旅、2日目(2017年11月18日(土))です。

 

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南区(ナムグ)牛岩洞(ウアムドン)からタクシーに乗って向かったのは、同区内の大淵洞(テヨンドン)にある「国立日帝強制動員歴史館」。その名の通り、炭鉱や建設現場など危険かつ重労働の現場作業員、あるいは最前線に送り込まれた兵士、そして日本軍「慰安婦」に至るまで、さまざまな形でなされた日本(大日本帝国)による朝鮮人の強制動員、すなわち人的収奪の歴史を伝える展示施設です。
2015年12月に開館、翌年7月に国立となったこちらの展示施設は、強制動員されたすべての人々とその筆舌尽くしがたい体験を記憶、またその実態の究明を通じ、ひいては人権と世界平和のための教育の場となることを目的に建設されたものです。日帝強占期における強制動員の主要出発地であり、また強制動員された方の約22%が釜山を含む慶尚道キョンサンド)出身であった歴史的背景から、ここ釜山に設置されたとのことです。
その存在は以前から存じておりましたが、今回ようやく訪問がかなうことになりました。

 

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4階のエントランスを入ってすぐ、「記憶のトンネル」と題された空間を通り過ぎると、展示スペースが現れます。
こちらの歴史館は史料・解説ともに充実しており、なにより日本によるかつての行状が史実として展示されている施設であるためぜひともご訪問いただきたく、よって詳しい展示物の紹介はあえて避けることとしますが、その中で特に印象に残ったものをいくつか紹介したいと思います。

 

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入営を祝うのぼりと無数の激励文が書き込まれた日の丸、そして「武運長久」と書かれた千人針。赤いたすきには「陸軍特別志願兵」とあります。
朝鮮での強制的徴兵は「内地」と呼ばれた現在の日本領域よりも遅い1944年からでしたが、陸軍兵士としての朝鮮人の動員は、1938年に勅令として出された「陸軍特別志願兵令」にさかのぼります。その後1943年には「海軍特別志願兵令」により海軍に拡大、また同年に日本人学生を対象に始まった学徒志願兵はその翌年に朝鮮人学生にも適用されます。これらは名称こそ「志願」とありますがあくまで名目上のものであり、ある者は警察など行政機関の働きかけにより実質的に強制され、またある者は困窮した生活から逃れ「食べる」ため、そしてまたある者は天皇に忠誠を誓い率先して戦線へ向かうことで日本人以上に「日本人」であろうとするために、自ら「志願」してゆきました。こうして初年の1938年には3,000人足らずであった「志願」者は、徴兵制開始前年の1943年には実に30万人以上を数えるようになります。

 

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ポツダム宣言受託直後の1945年8月、当時は日本領「樺太」だったサハリンの「上敷香」(かみしすか、現レオニードヴォ)と「瑞穂」(みずほ、現パジャルスコエ)にて撤収の過程で発生した、日本人による朝鮮人虐殺事件に関する展示。

 

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1945年8月24日に舞鶴湾にて発生した「浮島丸事件」(韓国では「浮島号事件」と表記)に関する展示。
浮島丸(うきしままる)とは日本海軍に徴用されていた貨客船で、北海道や東北地方などで強制徴用させられていた朝鮮人たちの帰還船として、事件の2日前に青森県大湊港を出航しました。目的地の釜山へ向けて日本海沿岸を回航していたところ突如針路を変更し、釜山への航路からは外れた舞鶴湾へ進入。そして同日午後5時頃、舞鶴港を目前にした場所で原因不明の爆発が発生し、まもなく沈没します。日本側はこの事件により乗客乗員4千人弱のうち朝鮮人524人と乗員25人が死亡したと発表しましたが実際にはもっと多く、乗客乗員は7千人あまり、そして犠牲者は少なくとも千人以上とみられています(人数はともに諸説あり)。
謎の爆発の原因については、上部からの突然の命令に従い舞鶴港へ寄港しようとした際に、米軍が戦時中に敷設した機雷に接触したためというのが日本政府の公式見解ですが、生存者の証言などから釜山到着後の報復を恐れた日本海軍の乗員が故意に自爆させたという説も有力視されています。
また1992年には21人の遺族が原告となり、日本政府を相手取って公式謝罪と損害賠償の請求訴訟を提起しています。第1審の京都地裁は2001年、当時の日本政府の安全配慮義務違反を認め、原告のうち15人の損害賠償請求を認める画期的な判決(ただし公式謝罪請求は棄却)を下します。しかし2年後の大阪高裁での控訴審では一転して原告側の主張を退け、最高裁の上告棄却により原告側敗訴が確定しています。日本政府の公式謝罪は今日に至るまでなされていません。

 

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再現展示が中心の5階へ上ります。

 

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5階、日本兵の監視の下に使役させられる朝鮮人労働者たちの再現展示。立て札の文字が胸に突き刺さります。

 

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日本軍による組織的性奴隷制度の現場であった「慰安所」の再現展示。これまで見てきた再現展示の中では最大規模です。

 

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慰安所」の再現展示では、被害者たちの証言に基づく『그날의 기억(あの日の記憶)』と題したアニメーション映像が流れていました。

 

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こちらは4階に展示されていた、日本軍が兵士に配布していたコンドーム「突撃一番」。

 

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歴史館の内壁を覆い尽くす無数の肖像写真。

 

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私が訪問した当時(2017年11月)、6階の展示スペースでは特別展の「李在甲招待展 軍艦島(クナムド)-三菱グンカンジマ」が開催されていました。
軍艦島」とは言うまでもなく、長崎港の沖合いに浮かぶかつての炭鉱坑口、当時の鉱員住宅などの廃墟が林立する島であり、それらの建物が細長い小島の上に立ち並ぶ姿が軍艦に似ているとしてその名がついたあの島のことです。行政上の名称は「端島(はしま)」といいます。日帝強占期末期、この島では多くの朝鮮人たちが動員され、その意に反して過酷な炭鉱労働に従事させられていました。
こちらの特別展は、実際に軍艦島を訪問した写真家の李在甲(이재갑:イ・ジェガプ)さんによる写真と解説文により構成されていました。

 

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ご承知のように軍艦島は去る2015年、「明治日本の産業革命遺産-製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」のひとつとして世界文化遺産に登載されました。日本はこのとき、軍艦島などにおける朝鮮人などへの強制労働の事実を認め被害者を称える対応を約束していますが、その後今日に至るまで現地案内板でのそれらに関する言及はなされていません。また、2017年に日本がユネスコ世界遺産委員会に提出した措置経過報告書では「forced to work」(強制労働)をあろうことか「support」(支援)と歪曲、さらには設置を約束した強制徴用被害を記憶する「情報センター」を軍艦島でも長崎市でもなくはるか遠く離れた東京に、それもシンクタンクという全く異なる形態で設置すると表明し、国外から大きな非難を浴びたのは記憶に新しいところです。そうした経緯もあって本年(2018年)6月に開催された世界遺産委員会の会合では、日本に対し強制徴用を含む全体の歴史を知らせるよう求める旨の決定文が採択されています。

自国による過去の加害事実を認めて謝罪し犠牲者を悼むこと、そしてそれらの事実を記憶・継承しひいては再発防止に務めることは、決して恥などではありません。しかし前述の軍艦島や日本軍性奴隷問題など、韓国(を含むコリアン全体)が対象ならば歴史修正などの詭弁を弄するばかりか、被害者を侮辱してまでそれらを拒絶する行為が支持ないし容認されるというのが日本という社会の現実です。そんな現実は私たちの代で終わらせなければなりません。

 

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「国立日帝強制動員歴史館」の開館時間は午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)。毎週月曜日(公休日の場合は翌日)、および元日と名節(旧正月・秋夕)の各当日は休館です。観覧無料。
バスを利用する場合は、都市鉄道(地下鉄)2号線「モッコル」駅3番出口から徒歩約1分(約30m)の場所にある「モッコル」駅バス停で<남구(南区)9>マウルバス(平日約15分、休日約12分おき配車)バスに乗車し、約12分で到着する「UN平和記念館・日帝強制動員歴史館(유엔평화기념관.일제강제동원역사관)」バス停にて下車すると歴史館が正面の丘の上に見えます。
徒歩の場合は同2号線「大淵(テヨン)」駅から約20分(約1.3km)で到達できますが、歴史館付近では坂道が続くので往路は割り切ってタクシーで行かれることをおすすめします(約3,300ウォン~)。

国立日帝強制動員歴史館(국립일제강제동원역사관:釜山広域市 南区 虹谷路320番キル 100(大淵洞 1156-18)) [HP]

 

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午後6時の閉館直後、駐車場から眺めた釜山の夜景。
遠くに青く光っているのは荒嶺山(황령산:ファンニョンサン、427m)という山に建つテレビ塔。この山頂から眺めた釜山の夜景がそれはもう美しいそうです。

写真の通り、あたりはすっかり暗くなっていました。
タクシーも見当たらないので、歩いて大淵駅へ向かうことにします。

 

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大淵駅までの途中にあった「UN参戦記念塔」。
UNとは国際連合(United Nations)のこと。1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争(6.25戦争、韓国戦争)に国連軍として参戦した米国はじめ16か国の軍隊を記念したもので、隣接する広大な「UN記念公国」のシンボル的存在となっています。ちなみにこの塔がある交差点も「UN交差路」といいます。

 

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大淵駅近くにあった居酒屋「やきとり金太郎」。
赤提灯に「やきとり」と書かれた暖簾、壁にはスーパードライのロゴ入りプレート。隣の店の看板がなければ日本と見聞違えそうです。

地下鉄を乗り継いで、やって来たのは前夜に続き1号線のチャガルチ駅。今回は国際市場寄りの7番出口から目的地へ向かいます。

 

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そしてこの日の夕食は、新昌洞1街(シンチャンドンイルガ)にある「ケミチッ本店」。ケミチッとは「アリの巣」の意(たぶん「働き者」という意味だと思われます)。ナクチポックム(テナガダコの炒め物)の名店として知られるお店です。
実は同じ「ケミチッ」という屋号、しかも同じタコのキャラクター入りロゴのお店が何系列かあるようですが(ロゴの創業年度が微妙に異なる)、こちらのお店はそれらの中でも特に人気の高い店のようで、この日は10分あまり待たされてからの入店となりました。

 

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注文したのはメニュー表右列最上段の「ナッコプセポックム(낙곱새볶음)」、1人分10,000ウォン(2017年11月当時。2018年7月時点では11,000ウォンに値上げされたようです。2人分から注文可)
「ナッコプセ」とはメインの具材である「ナクチ」と「コプチャン」(豚ホルモン)、「セウ」(エビ)の頭文字を取ったもので、こちらのお店の代表メニューとなっています。海産物と肉類という組み合わせは日本ではあまり見ない(長崎ちゃんぽんの具くらい?)ですが、韓国では割とポピュラーなものです。
このほか、2種ずつの組み合わせの「ナクセ」「ナッコプ」ポックムがあったり(だけどナクチは欠かせない)、コプチャンの代わりにサムギョプサルが入った「ナクサムセポックム」もあるようです。なんだか仮面ライダーオーズみたいですね(よく知らない……)
注目すべきはメニュー表右側の日本語案内。愛らしい字体とともにあたたかい気分になれました。

 

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そしてやって来たナッコプセポックム(写真は3人分)。テーブルに備え付けられているコンロでじっくりと火を通してから食べます。食欲をそそるたまらない色。
ぱくり。見た目通り結構辛いですが、うんまい。CassやHiteのようなライトタイプ(「薄い」ではない。ここ重要)のビールと相性抜群です。

 

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一緒に付いてくる大きなステンレス製のボウルに入ったご飯、そして刻み海苔は、言うまでもなくナッコプセポックムと混ぜてピビンパッを作るためのもの。これがまた格別にうんまいのです。ご飯と混ぜることで辛さもマイルドになります。3人分があっという間にお腹の中へ。

こちらのお店「ケミチッ本店」の営業時間は午前9時30分~午後9時30分、定休日はないようですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。都市鉄道(地下鉄)1号線「チャガルチ」駅7番出口から徒歩約8分(約530m)同1号線「南浦(ナムポ)」駅1番出口からだと徒歩約9分(約580m)で到達できます。
ナッコプセポックムは味も量も満足ゆくものだったうえ、3人分&ビール3本でも42,000ウォン(約4,400円:当時)とこの分量にしては比較的リーズナブルな値段でした。また機会を見つけて訪問したいと思います。

ケミチッ本店(개미집 본점:釜山広域市 中区 中区路30番キル 22 (新昌洞1街 14-3))

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次に向かったのは、前回(2017年2月)の釜山の旅でも訪問した「富平(プピョン)カントン市場」の夜市場(ヤシジャン)。
「カントン」とは缶の筒のこと。朝鮮戦争期、米軍の放出品の缶詰などが盛んに販売されたことからこの名が付いたこちらの市場は、いまや韓国全土の在来市場で開催中の夜市場の元祖とされています。

 

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毎日午後6時になるとどこからともなく料理の屋台が登場し、市場のアーケード街に縦列します。
富平カントン市場の狭いアーケード街でも通行の妨げにならないようなスリムな屋台は全国の夜市場のスタンダードとなりましたが、屋台に書かれている「우측통행(右側通行)」の表記は私がこれまで訪問した夜市場の中では唯一です。ただでさえ狭いアーケード街、こう書かないと人通りができないほど観光客たちで混み合うためです。 

 

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富平カントン市場、食欲をそそる料理の数々。じゅるり。

 

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前回の訪問時は、大量のおかずが出てくるこちらの酒場に行った後だったためお腹いっぱいで何も食べられませんでしたが、今回はまだ余裕があるので富平カントン市場名物のシアッホットク(씨앗호떡:ヒマワリの種入リホットク)を購入。おいしかったです。
富平カントン市場の夜市場の開催時間は毎日午後6時~午前0時。どの料理も概ね3,000ウォン(約300円)前後と安めの設定ですので、夕食・夜食がてらに訪問されることをおすすめします。

富平カントン市場(부평깡통시장:釜山広域市 中区 富平2キル (富平洞2街) 一帯)

 

そうしてホテルヘと戻り、ゆっくりと休むのでした。
それでは、次回のエントリーへ続きます。

 

【付記】

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先ほど紹介した国立日帝強制動員歴史館の「軍艦島」特別展には、軍艦島と同じ長崎市内にある「岡まさはる記念長崎平和資料館」が協力していました。
「岡まさはる長崎平和記念館」は、牧師の岡正治(おか・まさはる、1918-1994)さんの提唱により1995年10月に開館した施設であり、長崎への原爆投下における朝鮮人・中国人被爆者や、軍艦島などの現場で過酷な労働を強いられた朝鮮人など強制動員被害者関連の展示を重点的に扱っています。偶然にもこの2ヵ月前(2017年9月)、私も訪問したばかりでした。

 

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戦時中に強制動員させられた朝鮮人たちの「飯場(はんば。土木工事や鉱山労働などに従事する労働者の合宿所、または前近代的な労働管理組織を指す)を再現した展示物は、資料館の紹介コーナーとなっていました。写真3枚目左側の人物は、1995年の開館以来資料館の理事長を務められ、この年の4月に亡くなった高實康稔(たかざね・やすのり、1939-2017)さん。

 

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「岡まさはる記念長崎平和資料館」には写真左の公式リーフレットのほか、右の無料ガイドブックがあります。以前こちらの資料館を訪問した韓国人グループがその展示内容と運営方針に感激し、韓日英3言語表記のガイドブックを自費で製作して寄贈したものだそうです。スタッフの方から話を聞き、さまざまな思いが交錯して目頭が熱くなったことを記憶しています。

「岡まさはる記念長崎平和資料館」の開館時間は午前9時~午後5時、毎週月曜日と年末年始は休館。入館料は一般250円。JR「長崎」駅から徒歩約7分(約550m)で到達できます。
こちらの資料館も、展示物についてはあえて紹介いたしません。私は実際に訪問したうえで、こうした施設が、そして史実の記憶と継承に取り組むスタッフの方々が被爆地たる長崎に存在することの意義を強く感じました。みなさまもどうか機会を設けてご訪問いただくことを切に願います。

岡まさはる記念長崎平和資料館(長崎県長崎市西坂町9-4) [HP]

 

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