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順天の旅[201908_06] - 「秋夕のない村」70年前の虐殺の現場、楽安・新田マウル

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅、明けて3日目の2019年8月31日(土)です。

 

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この日メインの目的地は、順天市、いや韓国を代表する観光スポットのひとつといっても過言ではない「楽安邑城民俗村」(낙안읍성민속촌:ナガンウプソン・ミンソクチョン。写真)の位置する順天市楽安面(ナガンミョン)です。
楽安面はかつて全羅南道昇州(スンジュ)郡に属していましたが、同郡は1995年に吸収合併されたため現在は順天市に属しています。地方自治体である「面(ミョン)」とは日本でいう「●●郡●●村」に相当しますが、韓国ではこうした経緯で市に属するケースがままあり、これは前日に訪問した仙岩寺(ソナムサ)のある同市昇州邑(スンジュウプ)のような「邑(ウプ)」(日本でいう「●●郡●●町」に相当)も同様です。

  

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楽安面は同じ市内でもホテルのある順天市街地からかなり西側に離れた場所にあり、それだけ往復に時間もかかります。楽安面には民俗村の他にも行きたい場所が複数あるので、たぶん戻りは夕方過ぎになることでしょう。明るいうちに市街地で行っておきたい場所が少しあったため、まずは散策を兼ねてホテル近くを流れる川、東川(トンチョン)の河川敷を歩きます。

 

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東川べりを走る車道はその直下が通路になっており、いくつもの壁画が描かれています。

 

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東川を横断するKorail慶全線(キョンジョンソン)の鉄橋。最下部は歩道からわずか2.5mの高さしかなく、ジャンプしたら手が届きそうな距離です。

 

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ここで撮ったならばさぞ迫力ある鉄道写真となりそうですが、こちらは順天駅から見て西隣の駅である筏橋(ポルギョ)駅側の単線非電化のローカル線であり、この鉄橋を通過する定期旅客列車はたったの一日5往復しかありません(観光列車含む)。同じ慶全線でも東隣の光陽(クァンヤン)駅側、あるいはこれと直交する全羅線(チョルラソン)がともに複線電化され、特に後者などKTXを含む定期旅客列車が一日30往復以上も走るのとは対照的です。

 

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そんな東川をまたぐ道路橋「順天橋(スンチョンギョ)」のたもとに、この日の朝食目当てのお店「将台(チャンデ)コングクス」があります。
屋号の「将台」とはお店のある一帯の旧地名で、朝鮮時代中期の1743年に兵士らが陣を張って兵を指揮する場所を石で築き、指揮したことに由来するものだそうです。すぐそばの順天橋も「将台タリ」(タリは「橋」の固有語)という別名で呼ばれています。

 

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屋号にもある看板メニューの「コングクス(콩국수)」とは、茹でた大豆(콩:コン)をすりつぶしたスープに麺(국수:ククス)を浸した冷たい麺料理で、韓国では夏の風物詩として広く愛されています(日本の「冷やし中華」のポジション?)。この後紹介するように、食べる過程で3度もびっくりさせられる料理です。
メニューは7,000ウォン(約640円:2019年8月時点。以下同じ)の「冷(ネン)コングクス」と、5,000ウォンの「冷コンムル」(たぶんコングクスのスープのみ)の2種類だけですので、もちろん前者を注文。思えば5年前にソウル・汝矣島(ヨイド)の名店「晋州(チンジュ)チッ」で初めて食べて以来のコングクスです。


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やってきたコングクス。見ての通り真っ白、いやほのかにクリーム色がかった液体が器を覆いつくすインパクトあるビジュアルです。これがコングクス最初のびっくり。こちらのお店では最初から塩が乗っているので、その部分だけが若干遣って見えます。

 

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大豆スープはかなりどろっとしており、そのためか普通の冷麺よりも冷涼感が強いです。甘くもしょっぱくもない、濃厚な豆乳だけの味。2度目のびっくりです。塩を適宜混ぜて食べます。そして麺をすすると、香ばしい匂いとともに大豆ペースト特有のざらっとした食感がたちまち口の中を覆います。これこそがコングクス3度目のびっくり、だけど心地よい舌触りです。うんまい。

 

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写真は各テーブルにあった大きな調味料入れ。これ、なんと砂糖なのだそうです。当日は使わなかったので、てっきり塩だと思い込んでいました。順天を含む全羅道地方ではコングクスに塩のみならず砂糖をも投入し混ぜて食べる食文化があり、他の地方の人がそうとは知らずに投入して驚くことがあるそうです。私も危うく4度目のびっくりを体験するところでしたが、どんな味なのかは興味があります。次は砂糖入りコングクスにチャレンジしたいと思います。 

 

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こちらのお店「将台コングクス」の営業時間は午前7時~午後9時、年中無休。Korail「順天」駅からは徒歩約4分(約290m)の「順天駅西側(순천역서측)」バス停より市内バス<60><61><62><63><64><81><82><84><85><86>のいずれかに乗って3つ先の「将台公園(장대공원)」バス停(所要約3分)で下車、徒歩約3分(約170m)全行程徒歩でも約20分(約1.2km)です。順天総合バスターミナルからは徒歩約8分(約450m)。このように駅・バスターミナルのいずれからも近く、しかも早朝から開いているので朝食としても利用できるお店です。
ところで、こちらのお店では看板メニューのコングクスを通年で提供しているそうですが、 前述したようにコングクスのシーズンは夏です。ではシーズンオフの冬はどうしているのかというと、小豆をすりつぶした熱々のスープ(要は砂糖の入っていないぜんざい)に太めの麺を入れた「パッカルグクス(팥칼국수)」が人気なのだそうです。味わってみたいものです。

将台コングクス(장대콩국수:全羅南道 順天市 二水路 51 (長泉洞 355))

 

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将台コングクスを出て、さらに東川沿いを北へ進みます。写真は順天橋のひとつ上流側にある「稠谷橋(チョゴッキョ)」。

 

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この稠谷橋を過ぎて少し先の場所に、この日最初の目的地である「八二八에 가신이의 위령탑」(八二八に逝かれた方の慰霊塔)があります。こちらは57年前の1962年8月28日、東川の氾濫により順天市東外洞(トンウェドン)を中心に発生した大水害の犠牲者224名を慰霊するための石碑です。
前日(8月27日)午後5時頃から降り始めた雨により、翌28日未明には1時間降水量が195mmにまで達する中、市北部のサンジョン貯水池の決壊に伴い洪水が発生。この勢いで東川川下流の堤防もまた決壊し、東外洞をはじめ当時の順天市街地のおよそ2/3が浸水、約14.000人が被災する大水害が発生しました。

 

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57年前ということは、当時の3歳児でももう還暦を迎える計算です。子を失った世代であればいまや80歳代以上。例年8月28日になると碑の前で慰霊祭が挙行されていたようですが、本年(2019年)は報道が全く見当たらないので、もう中断されてしまったのかもしれません。下記の追悼文が記された木製の案内板も割れ、下部が逸失していました。

여기 한 아름 실음을 안고 잠드신 영령 224주의 한이 있다. 비바람 사오납 던 1962년 8월 28일 그날 흙탕물 속에서 꽃들은 지고 열매는 떨어졌다. 못다 살고 가신 임들이여 먹구름 이 걷혔으니 그 얼고이 쉬소서

ここに一抱えの悲しみを抱いて眠られた英霊224柱の恨がある。風雨が荒れ狂った1962年8月28日、その日泥水の中で花たちは散り実は落ちた。生きられなかったあなたたちよ、 黒雲は晴れたからその魂よ休みたまえ

 

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水害発生後には官民一体の救助・復旧活動が展開され、また国内外から救援物資が寄せられたことにより順天市は見事な復興を遂げ、今日の発展を維持しています。
その日の出来事が嘘のように、東川はただ静かに流れていました。

61番市内バスに乗り、次の目的地へ移動します。

 

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1時間近くバスに揺られて到着したのは、楽安面にある「新田(シンジョン)マウル」(신전마을:マウルは村、集落の意)。特に観光名所というわけでもないこの集落へやって来た理由は、ここがちょうど70年前に発生した、ある事件の現場だからです。

マウル入口の路上では、二人の女性が立ち話をしていました。
うち一人が見慣れない私の姿を見るや、開口一番「麗順事件ですか?」。

 

以前に上記のエントリーでも紹介した、1948年10月に隣接する全羅南道麗水(ヨス)市で発生した「麗水・順天事件」。蜂起軍(国軍14連隊)はここ順天にも進出したことから、事件後には多くの市民が蜂起軍との関係を疑われ処刑されています。
蜂起軍の一部将兵たちは事件のさなかに麗水を脱出、光陽(クァンヤン)湾を渡り対岸の白雲山(ペグンサン)方面へ逃れて智異山(チリサン)山中に潜伏し、パルチザンとなって抗戦を続けました。それらパルチザンたちは、ここ楽安面からも近い曹渓山(チョゲサン)など現在の順天市内にも出没していました。

 

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そんなある日、新田マウルに少年を連れたパルチザンたちが現れます。14歳だというその少年は銃創を受けており、パルチザンはその治療と世話を住民たちに命じて去ってゆきます。断った場合には報復すると脅されたためでもありますが、傷を負った少年を放っておくわけにもゆかず、マウルの住民たちはかいがいしく少年の治療と世話をします。
傷の癒えた少年がマウルを去ってからしばらく経った1949年10月、再びその少年が新田マウルを訪れます。ただし今度はパルチザン仲間ではなく、その討伐活動中の国軍15連隊の兵士たちに連れられて。別の場所で捕まった少年を拷問のうえ尋問したところ、新田マウルの住民に世話になったことを自供したためでした。
国軍兵士たちはまず少年に、自分を世話してくれたマウルの人々を指差すように命じます。それが「指の銃」、すなわち自分に指差された者の死を意味することを悟り、ためらう少年。しかし兵士の脅しに負け、ついに自分の世話をしてくれた住民たちを一人一人指差します。傷の治療をしてくれた人、薬を与えてくれた人、衣服を与えあるいは洗濯してくれた人、米を与えてくれた人、そして柿を与えてくれた人。
こうして指を差された22名はひとつの家に閉じ込められ、兵士による一斉射撃の末に火を放たれて家ごと、そして当時32世帯あったというマウルごと焼かれました。殺害された22名の中には幼児3名や身体の不自由な老人も含まれていたといいます。

 

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虐殺事件が起きた1949年10月8日は旧暦だと8月17日、韓国の重要な年中行事である「秋夕」(추석:チュソク。旧暦8月15日)の翌々日にあたる日でした(1949年10月7日:旧暦8月16日に発生したとの説もあり)
秋夕といえば、本来ならば家族が顔を合わせて先祖の墓参りやお供え物をしたりする日です。毎年この時期になると韓国では都市部に暮らす人々がわざわざ郷里へ帰省するため、高速道路が大渋滞するニュースなどをご記憶の方も多いことでしょう。そんな秋夕の直後にマウルの住民の多くが虐殺され、同じ日が命日となったため、この新田マウルは「秋夕のない村」とも呼ばれています。

 

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そして、マウル入口で私に話しかけてきた女性が案内してくださったのが、写真の空き地。新田マウルの中央部にあるこの空き地こそが、住民22名が一斉射撃の末に家ごと焼かれたその現場です。
親切にも少年を世話してあげた、たったそれだけの理由で命を絶たれなければならなかった22名の人々の無念、その遺族たちの悲しみや苦難に思いを馳せます。

70年前のその日に父を失ったというその女性は、現場を丁寧に案内してくださるのみならず、事件当時をよく知る方を呼ばうとあれこれ手配してくださるなど(結果的に面会はできませんでしたが)、とても親切な対応に終始されていました。その案内の中で、あの家もこの家も犠牲者を出した、遺された家族はとても苦労したという話が強く印象に残っています。新田マウルの1949年は、おそらくまだ終わっていません。

 

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新田マウルの入口、私が先ほど降り立った「新田」バス停の隣には写真の案内板があります。この案内板は「麗順事件」、そして1949年10月の新田マウルでの虐殺について言及したものです。
かつて順天駅や順天大学校の構内、本エントリーの冒頭でも紹介した東川(トンチョン)沿いなど、順天市内の「麗水・順天事件」に関連する複数の史跡にこうした案内板が設置されていたといいます。しかし保守団体の抗議により遅くとも2009年までにすべて撤去され、順天市内で現在も案内板が残る史跡はここ新田マウルが唯一となっています。

 

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実は新田マウルの案内板もー度は撤去されたそうで、その後マウル内の片隅に放置されていたものを近年になって現在地に移設した経緯があります。しかし、バス通りに面した表側の記載内容は「麗順事件」に関する一般的な説明でしかありません。新田マウルでの虐殺に関する説明はその裏面にありますが、ただでさえ経年劣化でぼろぼろになっているうえ、案内板のすぐ裏手には急な石垣があるため人が立ち入れるだけのスペースはなく、無理してその石垣に登らない限りまともに読むことはできません。
この状況だけ見ても、事件を巡る見解や理念の対立が今日も依然続いていることを垣間見ることができます。

 

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先のエントリーでも紹介したように、昨年(2018年)訪れた麗水市では葛藤を経ながらも「麗水・順天事件」各史跡の案内板が今日も保全されています。またその麗水市では関係者による長年の努力が実り、事件70周年の昨年になって事件後初の合同慰霊祭の実現へと至っています。
写真は昨年10月に訪問した、順天八馬(パルマ)総合運動場の敷地内にある「麗順事件慰霊塔」です。2006年建立。麗水市に先んじて市内の全犠牲者を追悼するこの碑を建て、また合同慰霊祭を実現した順天市。撤去された案内板の再設置による、その新たな記憶継承の取り組みを期待するばかりです。

  

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新田マウルを含む楽安面は全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ)と隣接しており、特に筏橋邑の中心部からの距離は同じ順天の市街地よりもずっと近いこともあって、宝城郡の農漁村バス(市を走る「市内バス」に対し、主に郡内を走る路線バスの一般名称)が乗り入れています。筏橋まで行く写真のマイクロバスに乗って、次の目的地へ向かいます。

 

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山道を少し走った後に下車したのは写真のバス停。
このバス停の向かい側から、「金ドゥン寺」(금둔사:クムドゥンサ)という寺院への参道が始まっています。
漢字で書くと「金芚寺」ですが、「芚」(草かんむりの下に屯)の字が環境によっては文字化けする可能性があるため、本エントリーでは「金ドゥン寺」と表記します。

 

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金ドゥン寺は金銭山(금전산:クムジョンサン、667.9m)の麓にある仏教寺院で、その沿革によると西暦583年に曇恵和尚(タメ・ファサン)が創建したとありますが、後述する文化財の製作時期や発掘調査の結果などから統一新羅時代の9世紀頃創建という説が有力です。後の朝鮮時代、15~16世紀に製作された地理書『新増東国輿地勝覧』に「金銭山に金ドゥン寺あり」という記述があり、この寺院を指すものと推定されています。その後、時期は不明ですが完全に廃寺となったものを1980年代に入り仙岩寺(ソナムサ)の僧侶が再建、現在へと至ります。

  

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やや長い参道を抜けて、金ドゥン寺の境内に入ります。

 

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境内の奥、写真1枚目の石段を登った先には韓国の宝物(日本の重要文化財に相当)に指定された2つの文化財があります(写真2枚目)。

 

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まずひとつは「金ドゥン寺址三層石塔」(宝物第945号)。高さ約4mのこの石塔は金ドゥン寺創建時期の9世紀頃に建立されたものと推定され、統一新羅時代の典型的な様式を備えているとのことです。金ドゥン寺が廃寺となった後、盗掘などにより倒壊し部材が散乱していたところを1979年に復元したものです。
基壇上層の四面には八部衆像が各面2体ずつ、またその上段の四面には仏像に対し茶菓を供養する供養像と錠前付きの扉が交互に刻まれています。

 

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もうひとつは三層石塔の奥側の崖寄りに立つ「金ドゥン寺址石造仏碑像」(宝物第946号)。長方形の平らな石の片面に刻まれており、碑石のような形態をしているため「碑像」の名が付いています。こちらも統一新羅時代の9世紀頃建立と推定され、相互の位置関係から三層石塔と関連があるとみられています。時代が下った高麗時代に抽象化される前の、新羅時代の写実的な仏像彫刻手法を残しているとのことです。

 

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三層石塔と石造仏碑像のある高台から見下ろした金ドゥン寺の伽藍。

 

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金ドゥン寺の伽藍。これらは1980年代以降の建築物であり文化財的価値はまだありませんが、韓国の仏教寺院らしい雰囲気を味わうことができます。境内を貫流する小川には、この前日に訪問した仙岩寺の昇仙橋(スンソンギョ)に似た美しいアーチの石橋が。

 

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厠間(チュッカン)。トイレであり、寺院のものは特に「解憂所(ヘウソ)」とも呼びます。こちらも前日に仙岩寺にて訪問した文化財のトイレ「順天仙岩寺厠間」とよく似た伝統様式です。ただ、残念なことにここ金ドゥン寺の厠間は閉鎖されていました。
このように金ドゥン寺の伽藍の各施設が仙岩寺のそれに似ているのは、前述したように再建したのが仙岩寺出身の僧侶であり、また現在の金ドゥン寺が仙岩寺と同じ韓国仏教太古宗(テゴジョン)に属しているからなのかもしれません。

 

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この日は約30分間の訪問中、土曜日にもかかわらず他の訪問者と誰一人遭遇することはありませんでした。バスの本数は少ないとはいえあの楽安邑城民俗村(ナガンウプソン・ミンソクチョン)から近く、千年前の貴重な文化財を2つも擁する金ドゥン寺、もう少し顧みられてもよいように思います。毎年1月、全羅南道で最初に咲くという紅梅「金ドゥン寺臘月梅(ナブォルメ)」もまた美しいことこの上ないそうですので、例年その時期には賑わうのかもしれません。

 

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金ドゥン寺へのアクセスは、Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅西側(순천역서측)」バス停より市内バス<61>番に乗車、約53分で到着する「金ドゥン寺(금둔사)」で下車。そこから伽藍までは徒歩で約5分ほど要します。順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<61>番に乗車(約49分)、以下同じ。ただし<61>番市内バスは一日3本しかありませんので要注意です。
順天駅からであれば、Korail「筏橋」駅経由という手もあります。まずはムグンファ号(約23分)で筏橋駅へ移動、そこから徒歩約7分(約420m)の「税務署アプ(세무서앞)」バス停より農漁村バス<낙안(楽安)20-1>に乗車、約40~45分で到着する「金ドゥン寺(금둔사)」で下車、以下同じ。ただしこちらもムグンファ号・<낙안20-1>バス(金ドゥン寺を経由する便)ともに一日4本しかありません。

金ドゥン寺(금둔사:全羅南道 順天市 楽安面 上松里 山2-2) [HP]

  

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金ドゥン寺から楽安邑城へは徒歩でも40分程度(約2.7km)とのことですので、ここからは徒歩に切り替えます。
ちなみに順天市内バスや宝城郡の農漁村バスも走るこの道路は「趙廷来キル」(キルは「道」の意)といい、これまで何度か紹介してきた韓国の大河小説『太白山脈』(태백선맥:テベクサンメク)の著者、趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏にちなんだものです。『太白山脈』の主舞台である筏橋邑の「筏橋共用バスターミナル」前から始まり、楽安邑城民俗村や金ドゥン寺、新田マウルなどを経て順天市昇州邑(スンジュウプ)、趙廷来氏の出身地である仙岩寺の手前まで続きます。

 

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そんな趙廷来キルの途中、楽安邑城へ向かって右手にあるのが写真の「楽安温泉(ナガン・オンチョン)」。
公式HPによると、楽安温泉は金銭山中腹の地下831mからくみ上げた温泉水を使用しているとのこと。また韓国観光公社のこちらのページによると、高濃度の水素イオンにより滑らかな水質で、硫黄やゲルマニウム、カルシウムなど13種類の成分を含有し、水虫、湿疹、フケ、アトピー性皮膚炎の改善に効果があるそうです。
「沐浴湯」(목욕탕:モギョッタン)と呼ばれる韓国の銭湯は雰囲気が好きで、以前にも釜山や江原道(カンウォンド)太白(テベク)市などで入ったことがありますが天然温泉のそれは初めてです。内部には高温(といってもそんなに熱くない)と低温の湯に定番のサウナ&水風呂、そして隣接する宝城郡と並ぶお茶の産地でもある楽安面らしく「緑茶湯」もありました。やはり温泉は気持ちいいですね。

 

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写真は脱衣所のベンチに置かれていたセルフ販売の鶏卵。日本では見慣れない光景ですが、俗に「麦飯石鶏卵」などと呼ばれ韓国の銭湯では定番のおやつのようです(実はゆで卵ではなく焼き卵)。見えづらいですが3個で1,500ウォン、5個2,000ウォンとあります。

 

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「楽安温泉」の営業時間は午前6時~午後8時、年中無休。入湯料は大人6,500ウォン。1階は男湯、2階は女湯です。アクセス手段は前述した金ドゥン寺とほぼ同じで、<61>番バスの場合は1~2分上乗せ、<낙안20-1>バスの場合は同じだけ差し引いた時間で到達できる「楽安温泉(낙안온천)」バス停より徒歩約1分(約100m)です。また、楽安邑城民俗村の玄関である「東門(楽豊楼)」から徒歩約32分(約2.1km)で到達できます。

楽安温泉(낙안온천:全羅南道 順天市 楽安面 趙廷来キル 933 (上松里 105-3)) [HP]

 

お風呂から上がると時刻は正午過ぎ。午前中の汗を温泉で流し、この日の主目的地である楽安邑城民俗村へと向かうのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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