かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

統営の旅[201812_06] - 西ピランで統営の魅力を知り、国宝の洗兵館に上がってくつろぐ

また長いこと間が開いてしまいましたが、千夜誕であり、本ブログの誕生5周年でもある本日・9月19日より更新を再開します。
いつか、誰かの道しるべとなるために。

 

さて今回は、前々回のエントリーの続きです。

2018年11~12月の慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の離島などを巡る旅の3日目、2018年12月2日(日)です。

 

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映画『1987、ある闘いの真実』の撮影地となった忠武教会(チュンム・キョフェ)を出て、さらに北へ向かって歩みを進めます。
突き当たりには後述する国宝「洗兵館」の入口がありますが、こちらは後に訪問することとし、いったん通過します。

 

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統営の原都心(ウォンドシム。旧来の市街地)には、「東(トン) ピラン (동피랑)」と「西(ソ)ピラン(서피랑)」の2つの丘が立ち並んでいます。「ピラン」とは当地の言葉で「崖」の意。この2つのピランが、統営原都心の風景を象徴するものとなっています。
今回まず向かったのは、これらのうち西ピラン。一方の東ピランは丘全体が壁画マウルになっていることで知られており、私もかねてより行きたかった場所ですが、時間にあまり余裕がないため今回の旅での訪問は難しそうです。じっくり時間をかけて探訪したい東ピランは次の機会に預けて、今回はまず西ピランを訪問することにした次第です。

 

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忠武教会から西ピランへ向かう途中にあるこちらの建物は「旧統営青年団会館」といい、日帝強占期の1923年に建てられたものです。
「統営青年団」とは、統営での「3.1運動」(1919年)を主導したクリスチャン、朴奉杉(박봉삼:パク・ポンサム、1875-1936)氏を初代団長とし、独立へ向けての民族意識の鼓吹と自生的な社会啓発運動のために結成された団体であり、その本拠建物がこちらです。そうした歴史的背景から、国家登録文化財第36号にも指定されています。

 

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西ピランの麓にある入口。案内板には「西ピラン文学トンネ」(トンネは「村」「隣近所」の意)とあります。

 

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西ピランの麓にはいくつかの住宅が密集しており、その中に写真の家屋があります。

 

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こちらは統営出身の小説家、朴景利(박경리:パク・キョンニ、1926-2008)氏の生家があった場所で、その案内プレートが外壁に掲げられています。
朴景利氏は、奇しくも訪問日のちょうど92年前である1926年12月2日(陰暦10月28日)、現在の統営市生まれ。黄海道で中学校教師に在職していたさなかの1950年、朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)が勃発。このとき夫が西大門刑務所にて獄死し、息子にも先立たれるという悲劇もありました。
休戦後の1956年、文壇デビュー。1957年には『불신시대(不信時代)』、また1962年には長編小説『김약국의 딸들 (金薬局の娘たち)』などの代表作を次々と発表します。そして1969年から1994年までの四半世紀にかけて執筆された、全5部構成もの大河小説『토지(土地)』は、氏を最も代表する作品であり、巨匠としての地位を確固たるものとした作品として広く知られています。この『土地』は現在、日本でも翻訳版の発刊が進んでいるとのことで、個人的にいつか読破したい作品でもあります。
なお、抵抗詩人として知られる金芝河(김지하:キム・ジハ、1941-)氏は朴景利氏の娘婿にあたります。
朴景利氏は2008年5月5日、肺がんにて死去。現在は故郷の統営市内の墓所で永遠の眠りについています。また同じ統営市内の弥勒島(ミルクト)には、氏の生涯と作品の数々を展示する「朴景利記念館」がオープンしています。次の統営訪問に際してはぜひとも訪問したい場所です。

 

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西ピランの斜面には、写真の石垣やフェンスに囲まれた施設があります。こちらは「統営文化洞配水施設」といい、1933年に日本が一帯への水供給の名目で、かつての統制営の祠堂を破壊した跡地に建設したものです。現在も配水施設として稼働しており、内部に立ち入ることはできません。

 

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写真中央、六角形にドーム屋根という象徴的なコンクリート建物は配水池の出入口だそうで、かつてドアの上部には天皇賛美の意図で「天祿永昌」という文字が刻まれていましたが、光復以降に市民によりセメントで埋められたとのことです。日本が明治以来してきた虐殺や植民地支配、収奪の歴史を考えれば当然ともいえる行動ですし、当時の国家元首であり主権者、最高指揮官であったにもかかわらず植民地支配や侵略戦争にいかなる責任も負うことのなかった天皇を賛美する文言であるならばなおさらでしょう。
このように「統営文化洞配水施設」は日本による植民地支配の一環で造られた施設でこそありますが、過去の痛ましい歴史の記憶継承とそれ自体の建築学的な価値などから、韓国の国家登録文化財第150号に指定されています。ただ、こうした施設を後世に残すべきかどうかは、あくまで韓国の人々が決めるべきことです。

 

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文化洞配水施設のあたりから、やや傾斜が強くなります。

 

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そうして、ようやく西ピランの頂上地点へ。

 

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西ピランの頂上一帯は公園になっており、その最高地点には写真の「西鋪楼(ソポルー)」という亭子(あずまや)が建っています。

 

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西ピランの頂上から眺めた統営の街。西側には江口岸、そして南側には統営運河に、韓国百名山のひとつにも挙げられた弥勒山(ミルクサン)が。とても美しい眺めです。ここからの眺めだけでも、統営という街に魅せられるリピーターが多くいらっしゃることがうなずけます。

 

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西ピランを下り、おそらくは今回の統営の旅最後の目的地へと向かいます。

 

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西ピランから先ほど通ってきた忠武教会方面へ戻ると、そこには朝鮮時代中期に建てられた巨大な木造建築「洗兵館」(세병관:セビョングァン)を中心とする、かつての統制営(トンジェヨン)跡に造られた歴史公園があります。
洗兵館は1604年、第6代の三道水軍統制使(サムドスグン・トンジェサ:慶尚・全羅・忠清の3つの道の水軍を束ねた朝鮮水軍の実質的な最高指揮官)であった李慶濬(이경준:イ・ギョンジュン、1561-?)が、水軍の本陣である統制営を当時は頭龍浦(トゥリョンポ)と呼ばれていた統営に移転してきた、その翌年(1605年)に統制営の敷地内に建てられたものです。
数ある関連施設の中でも最上級の存在である客舎(ケクサ。国外などから来た賓客の宿舎)として用いられたこちらの建物は、その後約290年間も存続した統制営を代表する建物であり、そして日帝強占期に破壊された統制営の施設の中で唯一現存する建物です。

 

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洗兵館は、ソウル特別市鍾路区(チョンノグ)の景福宮キョンボックン)にある慶会楼(キョンフェルー:国宝第224号)、全羅南道(チョルラナムド)麗水(ヨス)市の鎮南館(チンナムグァン:国宝第304号)と並んで、現存する中でも韓国最大級の規模を誇る木造古建築のひとつであり、その歴史性や芸術性などから韓国の国宝第305号に指定されています。これらの意味で、統営という街を最も象徴する建物だといえるでしょう。
こちらの洗兵館、前々から統営訪問の際にはどうしても訪れたかった建物で、先ほども西ピランに上る途中でその姿を見て(写真)、うずうずしていたばかりでした。ようやく念願かないます。

 

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洗兵館の入口の脇では、「ポクス」と呼ばれる石造りの像が訪問者を出迎えてくれます。ポクスとは集落の守護神であるチャンスンの方言で、男女一対の一般的なチャンスンとは異なりこちらのポクスは一人でぽつんと立っています。四方を山に囲まれたこの一帯の気を補強し、平安を祈願する目的で1906年に造られたもので、国家民俗文化財第7号に指定されています。
そういえば、この1ヵ月ちょっと前に訪れた麗水にも、同じようにポクスと呼ばれる石造りのチャンスンがあったことを思い出しました(麗水のものは男女一対でしたが)。

 

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3,000ウォン(約285円:2021年9月現在)の入場券を購入し、場内に入ります。
まず最初に現れるのは、洗兵館の正門である望日楼(マンイルルー)。その名の「日」とは太陽であり、王を象徴するとのこと。造営当時から存在するという直下の階段は24段あり、これは24節気を象徴するそうです。

 

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望日楼をくぐってまた少し石段を上ると、洗兵館の第二の門である止戈門(チグァムン)が現れます。その名にある「戈」とは先端が二股に分かれた韓国の長槍のことで、「槍(武力)を止める」、すなわち平和を願うという意味が込められているとのこと。

 

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止戈門を通り抜けると、いよいよ洗兵館との対面です。
木造平屋建てでありながら、正面112尺(約34m)、側面56尺(約17m)もの巨大な建物。正面からだとカメラのフレームに収まりきれません。そして建物に壁がないためむき出しとなった、重厚な屋根を支えるべく林立する太い柱の数々が力強さを感じさせます。その威容にただただ圧倒されるばかりです。

 

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これまた巨大な、 「洗兵舘」と記された扁額。高さだけでも人の背丈以上あるとのこと。

 

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洗兵館の屋根瓦、そして栱包(공포:コンポ。ひさしの重さを支えるため柱頭に組み並べる木片)

 

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洗兵館の特徴は、国宝でありながら来場者の誰もが靴を脱いで自由に上がれ、しかも床に座って休めること。この翌年(2019年)夏に訪問した京畿道(キョンギド)水原(スウォン)市の「水原華城(ファソン)」もそうでしたが、韓国ではこのように自由に上がって休息の取れる文化財に遭遇することがしばしばあります。文化財をより身近に感じられる瞬間です。

 

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ただし中央の奥、床から約45cmほど高くなった場所は、かつて闕牌(クォルペ:朝鮮時代に国王の象徴として「闕」の字を刻んだ木牌)を祀っていた空間「闕牌壇」であり、こちらへ上がることや着座は禁止されています(これがまた適度な高さなのでうっかり座りそうになってしまいましたが……)

 

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洗兵館には壁がないため、ときおり風が通り抜けます。さすがにこの時期(12月)は寒いですが、夏などはさぞ心地よい風が吹き抜けることでしょう。

 

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ふと上を見ると、梁の上には何枚もの武人画が掲げられています。

 

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洗兵館の庭には、何体かの石人(ソギン)が旗(のぼり)を抱えています。これらは日本でいう厄払いのために造られたと推定されており、現在までに5体が発掘されたとのこと。

 

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止戈門の横にあるこちらの建物は「受降楼(スハンヌー)」といい、壬辰倭乱(イムジンウェラン:文禄の役、または文禄・慶長の役の総称。豊臣秀吉による2回の朝鮮侵略のときに日本の大将から降伏文書を受け取った建物で、元々は統営市内の別の場所にあったものを移築してきたものだそうです。

 

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その受降楼のそばには碑閣(ピガク:石碑を雨風から保護する建物)があり、その中に立つ写真の碑は、第6代統制使の李慶濬が統制営を当時の頭龍浦に移したことなどを称える「統営頭龍浦記事碑」(トンヨン・トゥリョンポ・キサビ。慶尚南道有形文化財第112号)です。

 

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「統営頭龍浦記事碑」のほかにも、歴代の統制使の功績を称える碑石がいくつも建てられています。

 

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旧統制営の敷地内、洗兵館の西側には、写真のような小さな木造建築が密集した一角があります。こちらの建物群は、かつて統制営内にあった「十二工房(シビーゴンバン)」を再現したものです。

 

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工房とは、朝鮮時代に軍旗や武器などの軍需品、朝廷へ進上する工芸品などを生産していた職人たちによる生産組織のことで、統制営には12もの工房が密集していたことから「十二工房」の名が付いたとされます。

 

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それらのうち代表的なものとしては、今日も統営の名産品として人気の高いプチェ(扇子)を生産した「扇子房(ソンジャバン)」のほか、タンスなどの家具を造った「小木房(ソモッパン)」、各種工芸品に漆を塗った「漆房(チルバン)」、貝殻を薄く切った螺鈿(ナジョン:らでん)細工を施した「貝付房(ペブバン)」などが挙げられます。そして、これら複数工房の分業体制による職人芸の集大成こそが、プチェ同様に統営名産の工芸品として名高い螺鈿漆器家具の数々だといえるでしょう。

 

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こうして洗兵館一帯の踏査は終わり、もうひとつの念願だった「東ピラン壁画マウル」の訪問が頭をよぎります。
しかし、時計を見ると11時40分。バスの出発時刻までは残り50分ほどありますが、洗兵館のある原都心から統営総合バスターミナルまではただでさえ距離があるうえ、荷物を置いてきたホテルを経由することを考慮すると、東ピラン壁画マウルを訪問する時間はありません。残念ながらここでタイムアップです。あわてて洗兵館を出てタクシーに飛び乗り、ホテルで荷物をピックアップしたうえでバスターミナルへ。

 

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統営総合バスターミナル着。以前にも書きましたが、統営には鉄道が通っていません。ソウルや仁川国際空港へ行く高速バスこそあるものの、帰国当日の朝までの滞在は渋滞等による遅延リスクが伴います。そのため私はいつも、仁川国際空港からの帰国前夜にはソウルへ戻るか、または中継地点となる鉄道駅のある街へ移動するようにしています。本音を言えばもう少し統営をゆっくり堪能したいところですが……。
加えて、これから向かう街にもまた、個人的に訪れたいスポットが数多く残っています。

 

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そして12時30分発の写真の高速バスで、中継地点でもあるその街へと向かうのでした。

 

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このように「東ピラン壁画マウル」訪問を断念した私でしたが、どうしてもあきらめきれず、この旅のわずか3ヵ月後の2019年3月には釜山の旅とあわせて統営を再訪、ついに念願の壁画マウル訪問を果たすことができました。また、これとあわせて統営の春の風物詩である名物料理「トダリスックッ」メイタガレイヨモギのスープ。写真3枚目)を口にすることもかなっています。このときの旅については、いずれ機会があれば詳しく紹介したいと思います。
コロナ禍が明けて再び韓国の旅ができるようになったなら、そのときはまた統営を訪れて、うんまい海の幸や魅力あふれる島旅を堪能したいものです。

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

束草の旅[202002_01] - 一生涯忘れられない、忘れたくない酒場「番地オンヌン酒幕(番地のない酒幕)」へ

慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の旅を紹介するエントリーの途中ですが、今回は訳あって特別に、昨年(2020年)2月に訪問した江原道(カンウォンド) 束草(ソクチョ)市の旅を紹介したいと思います。なお、統営の旅は次回以降に引き続き紹介する予定です。

 

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束草市は江原道の北東部、東海(トンへ。日本海)沿いにある人口約8万人の港湾都市です。北緯38度線よりも北にあることから、1945年の光復(日本の敗戦による解放)以降はソ連軍政下となり、1948年の南北両政権樹立より1950年の朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)までは朝鮮民主主義人民共和国に属していました。その後韓国軍と国連軍の勢力下に入り、休戦ラインの確定により正式に韓国領となって現在へと至ります。
戦争中には江原道と北で接する咸鏡道(ハムギョンド)の住民を中心とした「失郷民(シリャンミン)」と呼ばれる避難民が押し寄せ、一部がそのまま束草に定着しました。これら失郷民の中には、いったん釜山などに逃れつつも戦後の帰郷を夢見てわずかでも故郷に近い束草に移動、しかし願いかなわず束草に留まった人々も含まれます。
休戦後、避難民たちの滞在に加え東海上における漁業の盛況などにより束草は着実に人口増を遂げ、1963年には襄陽(ヤンヤン)郡より独立して市制施行、現在に至ります。

 

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市内には国立公園にも指定されている雪岳山(ソラクサン、1,708m)をはじめとする自然景観に加え、咸鏡道からの失郷民たちが集まって形成された「アバイマウル」(アバイとは咸鏡方言で「お年寄り」、マウルは「村、集落」の意)などの観光スポットが点在し、そして東海の海の幸が味わえるとあって、南側の襄陽郡を挟んだ江陵(カンヌン)市とともに江原道北東部の2大観光都市としての地位を確立しています。
写真は、運河で隔てられた束草市街地とアバイマウルを結ぶ人力のイカダ「ケッペ」で、このケッペ自体もまた束草の観光資源のひとつとなっています。
そして私にとっては、今回が初めての束草訪問となります。

 

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2020年2月15日(土)、いつものようにセールでチケットを押さえたジンエアー「LJ202」便で成田空港第1ターミナルを発ち、2時間40分後に仁川国際空港第1ターミナルに到着。しかし、この「いつも」が当面これっきりになるとは……。
この日の時点ですでに、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う海外旅行者の減少の影響が如実に表われていました。成田空港はいつもの40分前後もの離陸渋滞もなく、出発時刻15分後に離陸。また仁川国際空港では、普段から長蛇の列が形成される入国審査ゲートに誰も先客がいないという。この日の時点で中国では自国民の海外旅行を全面禁止しており、主にその影響だと思われます。そのため、どの観光スポットを訪れてもほとんど観光客を見かけないという過去にない旅となりました。

 

束草行きのバスは仁川国際空港からも出ていますがたまたま接続が悪く、束草には午後8時とかなり遅い時間の到着となるため、今回はソウルを経由することに。まずは空港バス<6020>番に乗り、ソウルの高速ターミナルへ移動。そこから2~30分おきに発車する束草直行の高速バスに乗れば、早ければ午後6時台には束草に到着できる見込みです。


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ソウル高速ターミナル。1981年に落成したというこちらの建物、かなり特徴的な三角形をしています。

 

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ソウル高速ターミナルを15時40分に発つ高速バスに乗車。いざ、束草へ。

 

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韓国での中距離バスの旅で秘かに楽しみにしているのが、トイレ休憩のため途中で立ち寄る休憩所(ヒュゲソ:日本でいうサービスエリア)。今回は京畿道(キョンギド)加平(カピョン)郡の「加平休憩所」(写真)に停車。
その後しばらく走っていると、入口付近にやけに派手なイルミネーションのあるトンネルに入ります。こちらのトンネル、韓国の道路トンネルとしては最長の麟蹄襄陽(インジェ・ヤンヤン)トンネルで、全長はなんと10,965mもあるのだとか。私の乗った高速バスはこのトンネルをおよそ6分で駆け抜けて行きました。

 

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そうして約2時間50分後の午後6時半、束草高速バスターミナルに到着。ただし、今回の旅では帰りの便を考慮して同じ束草のバスターミナルでも遠く離れた束草市外バスターミナルの近くに宿を確保したため、ここから市内バスに乗って移動する必要があります。
韓国では高速バスと市外バスは明確に区分されており、たとえば高速バスとは「走行距離が100km以上でその60%以上が高速道路であり、かつ途中(起点や終点の行政区域内などを除く)で乗客の乗降をさせないもの」を指すとされています。
これまで本ブログで紹介してきた地方都市だと、たとえば慶尚南道統営市全羅南道(チョルラナムド) 順天(スンチョン)市木浦(モッポ)市などは高速バスと市外バスの両方が発着する単一の「総合」バスターミナルが設けられていますが、一方で束草市や同じ江原道の春川(チュンチョン)市のように両者のバスターミナルが別々になっているケースも多々あります。春川などは隣接しているからまだよいものの、束草の場合だと市内バス利用で最短約24分かかるほど両者が離れているという……。ちなみに、仁川国際空港発のバスに乗車した場合には束草市外バスターミナルに到着することになります。

 

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束草高速バスターミナルの時刻表。

 

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束草高速バスターミナルのコインロッカー。
韓国では地方のバスターミナルや鉄道駅などにコインロッカーが設置されていないことがままあり、コインロッカーの有無で旅程を左右されるケースも珍しくありません。私の後に韓国の地方旅をされる方のために、本ブログではこうした韓国の地方都市のバスターミナルや駅のコインロッカー情報を積極的に配信してまいります。

 

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今回の宿は「Airbnb」で探した民泊。韓国ではよく見られるオフィステル(キッチンやトイレ、バスなど基本的な生活設備を備えつつも事業所としての使用を前提として造られた部屋)を宿泊施設に転用したものです。しかもオンドル(床暖房)付き。こうした部屋は値段の割に広く、写真のように大きな冷蔵庫に加え洗濯機もあることから中長期滞在に適しているという特長があります(まあ私は2泊だけですが)

 

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民泊のある建物の1階にあったトイレ。「オジンオスンデ」など東海産のイカを用いた名物料理で知られる束草らしく、男女の表示にもまさかのイカさんが。
こうして宿に荷物を降ろし、いよいよ今回の旅最初の目的地である夕食のお店へ。

 

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束草の繁華街から離れた住宅街の片隅に、その店はひっそりと看板を掲げています。

 

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そのお店の名は「番地オンヌン酒幕」(번지없는 주막:ポンジオンヌン・ジュマク)。日本語だと「番地のない居酒屋」くらいの意味になるこちらのお店は、韓国で「テポチッ(대포집)」あるいは「テポッチッ(대폿집)」と呼ばれる往年の大衆酒場の雰囲気を残した飲食店です。「復興鉄物(プフン・チョルムル)」という金物屋さんの敷地の奥に店を構えているため、看板がないと一見してそれとは全く分かりません。

 

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一見入りづらいたたずまいですが、意を決して店内へ。
こちらのお店は年配の男性のご主人が一人で経営されているもので、後述するように自家製マッコリで名高いお店です。ただ、店内はお店というよりも会社の事務所を店舗にしたような様子で、壁面のメニュー表だけがここが飲食店であることを主張しているかのようです。写真1枚目の椅子はご主人の定位置。
来客用のテーブルは、応接用のようなガラステーブルひとつしかありません。しかも椅子も学校の生徒用みたいなもの。ですがこういう雰囲気が個人的にはたまらないのです。

 

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こちらのお店は鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの名著『マッコルリの旅』東洋経済新報社刊、2007年)でも紹介されており、私もまたそれがきっかけで知ったという次第です(お店はその後移転)。写真はこちらのお店にあった『マッコルリの旅』の該当ページ。そのためこちらのお店には日本人が断続的に訪れているそうで、私の6日前に来店したという日本人グループが残したメッセージカードを喜ばしげに見せてくださいました。

 

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こちらのお店の名物は、なんといってもご主人が自ら醸した自家製マッコリ。かつて醸造場に勤務したことがあり、その際に覚えたという手造りマッコリはやかんに注がれて出されます。

 

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手造りマッコリと基本アンジュ(おつまみ)。ご主人は足が不自由なため、盛り付けられたところを私自身でテーブルに運びます。
そしてマッコリをひと口。ああ。コクがあって猛烈にうんまい。長旅で疲れた体の芯から隅々まであっという間に行き渡ります。

 

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基本アンジュにあったパンチャン(おかず)の数々。どれもマッコリに合うやつばかり。うんまかったです。

 

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ご主人はとても親切な方で、足が不自由にもかかわらず料理をおいしいと伝えると、おかわりや新しいおかずを自ら出そうとされます。写真はその中のひとつ、サツマイモや黒豆などを炊き込んだご飯。うんまい。まさかご飯がマッコリのおつまみになる日が来るとは。
この味、そしてご主人の人柄こそが、こちらのお店が愛される理由に違いありません。

 

昨年の夏頃、韓国の方によるものと思しき同店の訪問動画がYouTubeにアップされました。ご主人のお元気そうなお姿に加え、なんとこの日私が残してきたメッセージカードが、直前に訪問した方のものとあわせて店内の壁に貼られていたという。目頭が熱くなるのを感じました。

 

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今回、あえて束草の旅のエントリーを投下したのは、つい先日にある韓国の方のブログで、「番地オンヌン酒幕」のご主人が今年の旧正月(2月)に亡くなったという記述を目にしたからです。その方は韓国国内の酒場を数多く訪問されている方で、こちらのお店は年1回以上訪問されており、互いに連絡先を交換している関係であったそうです。その方がご主人に電話したところ過去にない電源オフというアナウンスが流れ、不吉な予感がして隣接する金物屋さんに電話したところ、ご主人の訃告を知ったとのこと。
足が不自由であったことを除けば一見してお元気そうだったご主人。初めて訪れた私を歓待してくださり、一緒に写真に収まってくださったご主人。そして私が去った後も、メッセージカードを壁に掲示してくださったご主人。コロナ禍が明けたら必ず最初の旅で再訪しようと誓っていたお店。やるせない思いが胸を去来します。

ご主人。あの日の歓待、楽しいひとときは残る一生涯忘れないつもりです。本当にありがとうございました。いつか私がそちらへ行ったときには、どうかまたうんまい手造りマッコリを飲ませてください。

 

次回エントリーはまた統営の旅に戻りますが、このときの束草の旅の続きもいずれ必ず紹介します。気長にお待ちいただけますと幸いです。

統営の旅[201812_05] - 原都心で3つの統営名物をはしご、そして映画『1987』にも登場したあの教会へ

前々回のエントリーの続きです。

2018年11~12月の慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の離島などを巡る旅の3日目、2018年12月2日 (日)です。

 

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午前7時30分に欲知島(욕지도:ヨクチド)の港を発った、慶南海運キョンナム・ヘウン)のフェリー「統営ヌリ」号の客室。昨日に統営港から乗った大一海運(テイル・ヘウン)のフェリーには座席もあった一方、こちらは雑魚寝スペースのみ。それ自体は別にかまわないのですが、オンドルが効いていて暑がりの私にはちょっと辛いです……。

 

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欲知港を発ってちょうど1時間で、終着地の三徳(サムドク)港旅客船ターミナルに到着。
三徳港は、面積でも人口規模でも統営市最大の島である弥勒島(ミルクト)の西岸にある港で、前回エントリーの付記でも紹介したように、ここからは慶南海運のほか、嶺東海運(ヨンドン・ヘウン)の運行する2航路が欲知島へ向かっています。

 

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港の近くにあるバス停には、すでに統営市内バス<501>番が待機。急いで飛び乗り、三徳港を横目にしつつ、この日最初の目的地である原都心(ウォンドシム。旧来の市街地)へと向かいます。

 

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統営運河をまたぎ、本土(原都心)と弥勒島を結ぶ「統営大橋(トンヨンデキョ)」。

 

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こちらは4回前のエントリーでも紹介した、統営大橋と同じく本土と弥勒島を結ぶ「忠武橋(チュンムギョ)」。本土側の橋脚の内側には、ここ統営生まれの画家、全爀林(전혁림:チョン・ヒョンニム、1916-2010)画伯の作品「運河橋(운하교)」が描かれています。全爀林画伯はその独特な色使いから、「色彩の魔術師」「韓国のピカソ」などの異名を持ち、弥勒島には画伯の作品を集めた美術館が建てられています。

 

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三徳港からおよそ30分で、統営の2大在来市場のひとつ、西湖伝統市場(ソホ・ジョントン・シジャン)そばの「西湖市場」バス停に到着。時計は午前9時少し前。
このバス停は、前日に利用した統営港旅客船ターミナルの最寄りのバス停でもあります。前述したように欲知港からはこのターミナルへ向かう大一海運の航路がありますが、始発便の到着時刻は午前9時40分(推定)であるため、欲知港からは始発便の早い慶南海運を利用したほうが三徳港経由であっても早く原都心に到達できるというわけです。

 

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そういえばこの日はまだ何も食べていません。そこですぐさま朝食のお店へ。
入ったのは、下車したばかりの「西湖市場」バス停のすぐ目の前にある「ホドン食堂(シクタン)」です。
こちらのお店は朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)中の1951年創業であり、2012年に韓国農林水産食品部と韓食財団が選定した「한국인이 사랑하는 오래된  한식당 100선(韓国人が愛する古い韓食堂100選)」にも、リスト中で52番目に歴史のある飲食店として登載されています(ちなみに1番目は1904年創業の「里門(イムン)ソルロンタン」(ソウル特別市鍾路区))
こちらのお店の代表メニュー、ポックッ(복국)を注文。チョルポッ(졸복:ヒガンフグ。学名:Takifugu pardalis)という小型のフグを具材にしたスープで、チョルポックッ(졸복국)とも呼ばれ、統営ではヘジャンクッ(해장국:二日酔いざましスープの総称)として愛されているそうです。フグといえば日本ではトラフグのような高級食材のイメージが強いですが、韓国ではもっとポピュラーな食材で、品種によっては手頃な値段で味わうことができます。

 

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そしてやって来たポックッ。小ぶりのフグの身がたくさん入っています。スープは淡白ながらもしっかりしたうまみが出ており、塩味もいい感じ。予想以上にうんまかったです。適度に飲んだところでご飯を投入するとスープを無駄なく味わえます。

 

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パンチャン(おかず)のひとつとして出てきた青魚のジョリム(煮付)。もしやと思いお店の方に魚種を尋ねると、やはりチョンゲンイ(정갱이:アジ)との答えが。
アジは韓国でも食されていますが、日本のそれのようにポピュラーな魚種ではなく、私の経験上だと煮付はもとより刺身や焼き魚でも出てくることはめったにありません。実際、「정갱이」で調べてみると「日本人が好きな魚種」といった記述がよく出てきます。この直前に訪れた欲知島など統営市内でもアジは養殖されており、そのほとんどが日本に輸出されていると聞きますが、そうした統営ならではのパンチャンなのかもしれません。
醤油ベースの日本の煮付とは異なる、コチュジャンベースのチョンゲンイジョリム。こちらもうんまかったです。

 

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こちらのお店「ホドン食堂」の営業時間は午前7時~午後7時、年中無休または名節(旧正月・秋夕)のみ店休。2021年1月現在、私の注文したポックッは訪問当時と同じ12,000ウォン(約1,140円:同)で召し上がれるようです。

ホドン食堂(호동식당:慶尚南道 統営市 セトキル 49 (西湖洞 177-102))

 

統営市原都心北東部
お腹もふくれたところで、いよいよ統営の原都心の踏査に向かいます。
今回の目的地は西湖伝統市場よりも北東側、前日(12月1日)の午前中に巡れなかった場所が中心です。

 

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西湖伝統市場近くの港南洞(ハンナムドン。洞(ドン)は日本の「○○市○○町」に相当)には、写真の古びた店舗建物があります。
こちらの建物日帝強占期の1930年代築とみられるもので、光復(日本の敗戦による解放)以降は統営を代表する工芸品のひとつ、螺鈿(らでん)漆器の技術を伝授する「慶尚南道螺鈿漆器技術院養成所」として用いられました。そしてここは、韓国を代表する西洋画家のひとり、李仲燮(이중섭:イ・ジュンソプ、1916-1956)画伯が養成所の講師としてデッサンを教えていた場所でもあるとのことです。

 

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こちらの建物は2020年11月に「慶南道立螺鈿漆器技術院養成所(경남도립 나전칠기 기술원 양성소)」として国家登録文化財の指定予告がなされており、その後同12月31日付で国家登録文化財第801号に指定されております。

 

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李仲燮画伯は1952年からおよそ2年間の統営滞在中に養成所講師を務める傍ら、美しい統営の風景をはじめとする数多くの作品を描き、中でも「牛」をモチーフとする連作は今日も極めて高い評価を得ています。
李仲燮画伯の生涯、および統営と同じく画伯が生前に滞在した釜山の「李仲燮通り」については下記のエントリーにて紹介しております。あわせてお読みいただけますと幸いです。


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ランチタイムにはまだまだとはいえ、高速バスは予約済みと余裕時間に制約がある中、訪問したい場所がいくつも残っている私には食事の時間すら惜しい状況ですが、ここ統営にはそんな私にうってつけの名物料理があります。
到着したのは、西湖伝統市場と隣接する「忠武キムパッコリ」(충무김밥거리:コリは「通り」の意)。写真のように、統営を代表する名物料理のひとつ「忠武(チュンム)キムパッ(충무김밥)」の専門店が立ち並んでいます。

 

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それら専門店の中から選んだのは「ソムンナン3代ハルメキムパッ1号店」。「噂の3代おばあさんのキムパッ」という意味の屋号を持つこちらのお店は1955年創業と、数ある忠武キムパッ屋さんの中でも元祖格というべき存在であり、前述した「韓国人が愛する古い韓食堂100選」でもリスト中で68番目に歴史のある飲食店として登載されています。

 

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忠武キムパッの特徴は、一般的なキムパッとは異なり海苔巻きの中に具が一切入っていないこと。その代わり、具に相当するおかずが別添えとなっています。これは一説に、忠武キムパッが船員たちの弁当として誕生したことに由来するもので、統営近海のような韓国でも温暖な地域だと具が中に入ったキムパッは傷むのが早いため、妻たちがその対策に海苔巻きと具材を別々にして渡したものがやがてスタンダードになったとされています(フェリーの乗客向けに売られていた弁当が由来という説もあり)
その名称にある「忠武」とは、言うまでもなく李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598) 将軍の諡(おくりな、死後に贈られた号)ですが、忠武キムパッが全国的に知られ始めた1980年代当時の市名が忠武市であったことから定着したものです(1995年に忠武市と統営郡が合併して統営市が発足)

写真は、この後に乗った高速バス車内で弁当代わりに食べた同店の忠武キムパッ(2人分)。左側のおかずはイカとオムク(オデン種などに用いる魚の練り物)を辛いヤンニョムソースで炒めたもの。このほか、ム(大根)キムチが付け合わせに入っています(希望すればスープも付いてきます)。なお、このムキムチはにおいがかなり強いため、車内で袋を開けるのはおすすめしません(経験談)。

 

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こちらのお店「ソムンナン3代ハルメキムパッ1号店」の営業時間は午前10時~午後9時、年中無休。2021年1月現在、名物の忠武キムパッは1人分5,500ウォン(約500円:同)ですが、テイクアウトは2人分から可です(なので写真は2人分)

ソムンナン3代ハルメキムパッ1号店(소문난3대할매김밥 1호점:慶尚南道 統営市 統営海岸路 229 (西湖洞 177-360))

 

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バス通りの脇に「港南1番街(ハンナムイルボンガ)」とある商店街らしき細い道がありました。入ってみることにします。
車がすれ違うのも難しそうなほどの細い道の両側には商店が並んでいます。

 

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そんな中、左手にあった写真の家屋脇の路地に、大きな案内板があるのがたまたま目に入りました。
後に調べてみたところ、時調(シジョ)と呼ばれる韓国伝統様式の定型詩で知られる統営出身の詩人、金相沃(김상옥:キム・サンオク、1920-2004。号は草汀/艸汀/草丁(いずれもチョジョン))詩人の生家であるとのこと。写真2枚目のベレー帽をかぶった男性がその金相沃詩人です。

 

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金相沃詩人は1920年、現在の統営市生まれ。10代後半の同人誌活動を経て、1939年に時調の「鳳仙花」で文壇デビュー。その後1940年代前半には思想犯として日本警察に逮捕され、光復までに3回も投獄されています。光復後は時調詩人として数多くの作品を送り出し、1960年代以降は実験的な詩作に取り組んでいます。
なお、写真の家屋は2020年3月、「統営金相沃生家」として国家登録文化財第777-8号に指定されています。このように金相沃詩人の生家が位置するため、港南1番街は「チョジョン金相沃通り」という愛称も付けられているそうです。

 

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港南1番街(チョジョン金相沃通り)の北側出入口。向こうには釜山や慶尚南道でよく見かける、白と青のストライプの沐浴湯(モギョッタン:銭湯)の煙突が。

 

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港南1番街の北側出入口から東へ進むと、船がたくさん停泊した岸壁が見えてきます。こちらの岸壁一帯は江口岸(カングアン)といい、統営市街地に食い込んだ四角形の湾入部に面したもので、漁船やボート、そして壬辰倭乱(イムジンウェラン:文禄・慶長の役豊臣秀吉による2回の朝鮮侵略のときのコブク船(亀甲船)を模した遊覧船が多数停泊しています。

 

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その江口岸のちょうど北西の角にあたる場所に、かなり独特な色形をした写真の店舗があります。

 

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こちらは「モンゲハウス」という菓子店で、その奇抜な店構えは店名の通りモンゲ(マボヤ)を模したものだそうです。
実はこちらのお店、屋号そのままにモンゲの成分を材料に用いたパン(ここでは焼き菓子のこと。韓国では焼き菓子もパンと呼ぶ)、その名もずばり「モンゲパン」を作っているとの情報を得て、そのあまりの衝撃から訪れたものです。味の想像すらできないホヤ入りのパン、一体どんなものかと楽しみにしていましたが、尋ねてみるとすでに取り扱いをやめたとのこと。やはり不評だったのでしょうか。

 

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モンゲパンはなかったものの、こちらのお店では統営名物の「クルパン(꿀빵)」をはじめとする何種類かの焼き菓子を扱っています。クル(꿀)とは蜂蜜のことですが一般に蜂蜜は使われておらず、その代わりパンの表面に水飴が塗られています。ボール状のクルパンの中には餡が入っており、通常は小豆のこしあんが用いられますが、モンゲハウスは餡のバリエーションがなんと5種類も。こちらのお店でお土産用に購入することにしました。

 

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そうして持ち帰ったモンゲハウスのクルパン。餡の違いがカップの色で示され(白:小豆、緑:エンドウ豆、黄色:柚子、茶色:栗、赤:紫芋)、自由に組み合わせて購入できます(1個でも購入可)。他の焼き菓子と同様、クルパンは冷めるとやや固くなりますが、電子レンジで温めるとおいしく召し上がれます。水飴を塗りたくった割には、想像したほど甘ったるい感じでもありませんでした(それでも結構甘いので一度にたくさんは食べられないですが)

こちらのお店「モンゲハウス」、営業時間や店休日は不明ですが、私が訪問した日曜日も営業していました。当時も2021年1月現在もクルパンの値段は1個1,000ウォン(約95円:同)。写真の6個セットを購入したところ、1個おまけをつけてもらった記憶があります(その場で食べました)

モンゲハウス(멍게하우스:慶尚南道 統営市 統営海岸路 337 (中央洞 54-35)) 

 

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ちなみにモンゲハウスではクルパン以外にも、チョンボッ(アワビ)の形をしたチョンボッパン、ヘサム(ナマコ)の形をしたヘサムパンを扱っています。小麦粉0%、国内産大麦で作ったとあります。聞くとこれらは形だけを真似たもので、アワビやナマコの成分は入っていないとのこと。さすがにモンゲパンで懲りたのでしょうか……。

 

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モンゲハウスの複雑に入り組んだ屋根が、猫さんたちの絶好のひなたぼっこスポットになっていました……

 

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モンゲハウスのすぐ左隣には、西湖伝統市場と並ぶ統営の2大在来市場のひとつ、中央伝統市場(チュンアン・ジョントン・シジャン)のアーケードが口を開けています。

 

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中央伝統市場の内部。アーケード通りの真ん中にまで露店がぎっしり。西湖伝統市場と同様、統営名産のカキやさまざまな魚など海の幸が豊富に並べられています。大好きな韓国の市場の風景。

 

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中央伝統市場のブリさん。それはちょっと無理があるだろう.……

 

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中央伝統市場から見て西側、徒歩約3分ほどの位置に、写真の建物があります。どこかで見覚えがあるという方もいらっしゃることでしょう。
こちらの建物は「忠武教会(チュンム・キョフェ)」というプロテスタントの教会で、実はこの年(2018年)9月に日本でも公開された韓国映画1987、ある闘いの真実(原題:『1987』)劇中に登場した建物です。

以下の記述は、映画『1987、ある闘いの真実』のストーリー内容を含みます。いわゆる「ネタバレ」を避けたい方はこちらをクリックし、当該記述を飛ばした箇所から再びお読みいただくことをおすすめいたします。

 

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この忠武教会は物語の中盤、ソル・ギョングさん演じるジョンナムとパク所長ら対共捜査処員によるソウルの教会での追撃戦シーンの舞台として登場する、あの場所です。屋上に尖塔のある教会がこのシーンのロケ地としての条件であり、2本の尖塔がそそり立つこちらの建物が全国から選ばれたのだそうです。
この日は礼拝のある日曜日。教会の牧師様にお願いして、突然の訪問にもかかわらず内部の観覧と写真撮影を許可していただきました。礼拝直前の時間ということで、その牧師様が続々とやって来る関係者や信者の方々に挨拶しつつ、見慣れない私を「わざわざ日本からやって来たソル・ギョングのファン」と紹介していたのが印象に残っています。
ちなみにソル・ギョングさんはファンとまでは言えないですが、好きな韓国俳優の一人です。まさに余談ですが、映画の観覧にあたりソル・ギョングさんが出演したことを事前に知っていたにもかかわらず、ジョンナムがそれであったことに観終わるまでとうとう気がつきませんでした。恐るべしカメレオン俳優……

 

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ホール内の壁面上部にはステンドグラスが並んでいます。そのうち写真2枚目のものこそが、まさしく屋根上から転落しかけたジョンナムの足の影が映っていたあのステンドグラスです。

 

 

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忠武教会は1905年にオーストラリアのアダムソン宣教師によって設立されたテファ正教会がその始まりで、その後1956年に名称を忠武教会に改め、1983年には現在の教会建物が竣工しています。
また、テファ正教会や附属のシンミョン学校で幼年時代を過ごした人々の中には、作曲家の尹伊桑(윤이상:ユン・イサン、1917-1995)、劇作家の兄・柳致真(유치진:ユ・チジン、1905-1974) と詩人の弟・柳致環(유치환:ユ・チファン、1908-1967)兄弟、詩人の金春洙(김춘수:キム・チュンス、1922-2004)、そして小説家の朴景利(박경리:パク・キョンニ、1926-2008)の各氏のような、後にそれぞれの分野で頭角を現す統営出身のアーティストたちも含まれます。

応対してくださった牧師様をはじめ、忠武教会のみなさま、本当にありがとうございました。おかげでまたひとつ願いがかないました。

忠武教会(충무교회:慶尚南道 統営市 洗兵路 13-1 (文化洞 183))

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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