今回からは、昨年(2017年)9月1日(金)から同月4日(月)にかけての大田(テジョン)広域市などの旅をお届けします。
大田広域市は、韓国(朝鮮半島南部)でも中央のやや西寄りに位置する人口約160万人の大都市です。元々は忠清南道(チュンチョンナムド)に属していました。1993年に開催された大田国際博覧会(大田万博)などでご存じ、あるいは訪問された方もいらっしやることでしょう。ソウルと大邱(テグ)、釜山とを結ぶ韓国随一の幹線鉄道「京釜線」(キョンブソン)の沿線であり、また光州(クァンジュ)や木浦(モクポ)へと向かう韓国第二の幹線「湖南線」(ホナムソン)との分岐点という交通の要衝であるため古くから鉄道の街として発展し、KORAIL(韓国鉄道公社)の本社もソウルではなくここ大田に所在しています。
一方、韓国に6つある広域市(道から独立して同等の権限を持つ市)の中で、今回の旅の直前時点で私が唯一足を踏み入れたことがなかった街であり、そんなわけでまずは行ってみようと思い立った次第です。
今回の旅は大韓航空系のLCC、ジンエアーで仁川入り。こちらも初めての利用です。機内では写真の簡単な機内食が出ました。いつものように空港鉄道でソウル駅へ移動し、KTXで大田を目指します。
とにかくソウル駅に着いた時点で最も早いKTXに乗ろうと思っていたので、事前予約はせず。案の定ソウル駅からの京釜線の指定券は向こう3時間分がすべて完売で、立席特急券で乗車することに(たぶん列車本数が絶対的に足りない‥‥‥)。
そんなわけでソウル~大田間の約1時間はずっとデッキに立っていました。写真はそのときのチケット。驚くべきことに、立席なのに車両が指定されています。その車両のデッキに立たないとダメということでしょうか(ちなみに私がいたのは指定された隣の車両でしたが、検札に来た車掌さんからは特に何も言われませんでした)。
そして大田駅に到着。駅舎はごく最近新築されたばかりで、駅の階段は一部工事中。コンコースの上の階の飲食店街はまだ立入不可でした。
大田駅構内のコインロッカー。キャリーバッグも入る大サイズも。
大田駅のメインゲートは市随一の繁華街である中央路(チュンアンノ)寄りの西側ですが、今回は東側から外へ出ます。裏口というべき東側出口を利用した理由は、ひとつは今回のホテルのそばにある大田複合バスターミナルに近い(とはいえ距離は約2.5km)ということ、そしてもうひとつは駅前のある建物を見たかったから。
東側出口を出てすぐ右手にそびえる、KORAIL本社ビル。韓国鉄道施設公団の本社ビルとのツインタワーになっています。とはいえ見たかったのはこちらではありません。
東側出口を出た正面の駐車場内に、現代的なデザインの駅舎とは対照的な、かなり古びた木造の大きな建物がぽつんと建っています。
この日最初の目的地であるこちらの建物は「旧鉄道庁大田地域事務所補給倉庫3号」といい、こう見えても実は国の登録文化財(第168号)です。朝鮮戦争の休戦から3年後の1956年に建てられたもので、当初は「調達本部大田駐在」と呼ばれていました。その後はKORAILの前身である鉄道庁の物資保管倉庫を経て、現在もKORAILの倉庫として使用されているそうです。よって内部の見学はできませんが、大型の木造建築にもかかわらず室内中央部に柱がない構造などに文化財的価値があるとのことです。
旧鉄道庁大田地域事務所補給倉庫3号(구 철도청 대전지역사무소 보급창고 3호:大田広域市 東区 セドゥッキル 143 (蘇堤洞 29-6)。国指定登録文化財第168号)
大田駅前に建つ、3人の鉄道員の銅像。
こちらは、朝鮮戦争で作戦遂行のための機関車運転に志願した3人の鉄道員、中でもその作戦中に殉職した当時26歳、金裁絃(김재현:キム・ジェヒョン、1923-1950)機関士を称えるための銅像です。
朝鮮人民軍の侵攻により勃発した日付から韓国では「6.25」(ユギオ)とも呼ばれる朝鮮戦争。その開戦から1ヵ月も経たない1950年7月19日、大田駅の南東にある伊院(イウォン)駅にいた金裁絃機関士ほか鉄道員たちは、捕虜となったディーン米陸軍少将の救出作戦のため、人民軍の占領下にあった大田駅まで米陸軍の特殊部隊員を輸送してほしいとの要請を受けます。無事帰還できる可能性が著しく低い敵陣突入作戦でしたが、金裁絃機関士はこれを承諾、黄南湖(황남호:ファン・ナモ)、玄在英(현제영:ヒョン・ジェヨン)の両助士とともに蒸気機関車を運転し、33名の特殊部隊員を乗せ大田駅へ向けて出発します。
列車は激しい銃撃を受けつつもどうにか大田駅に到着したものの、ディーン少将の発見はかなわぬまま撤収。その帰路、大田駅の1kmほど先の地点で金裁絃機関士は胸に銃弾を受け、帰らぬ人となりました。また玄在英助士も銃創を負い、特殊部隊員にも多数の死傷者が出る中、黄南湖助士の必死の単独運転により列車はどうにか帰還を果たしています。こうした金裁絃機関士たち3人の勇敢な行動を称えて、目的地であったここ大田駅に建てられたのが、こちらの銅像です。
余談ですが、このとき3人の鉄道員が乗務した「ミカ型蒸気機関車129号」は国の登録文化財415号に指定され、現在は同じ大田市内の国立大田顕忠院にて展示されています。
ホテルに荷物を置き、市内バスで再び大田駅へ。今度は正面玄関というべき西側出口にやって来ました。
最近では初めて訪れる街に着いたら、特別な目的地がない限りまずは時間の許す範囲でその街の中に点在する文化財、特に大韓帝国以降の近代建築を訪れることにしています。先ほどの「旧鉄道庁大田地域事務所補給倉庫3号」もまたその一環で訪問したものです。
そんなわけで、大田駅から中央路駅にかけて点在する文化財の徒歩探訪がスタート。訪問順に列挙して紹介したいと思います。以下の各文化財名称は韓国文化財庁または大田広域市の文化財名表記に基づくものであり、説明は主に韓国文化財庁ホームページの記述を参考としております。
「旧朝興銀行大田支店」。
1951年築。現在の大手銀行、新韓(シナン)銀行の前身である朝興(チョフン)銀行の大田支店として建てられ、現在も新韓銀行大田駅金融センターとして使用されるなど一貫して金融機関に用いられてきた建物です。2階建て鉄筋コンクリート造の表面を花崗岩の平板で仕上げたこちらの建物は、できる限り装飾を排してシンプルさを追求するなど、20世紀半ばの西洋の機能主義建築の影響を受けた韓国近代建築の特徴を示しているとのことです。国指定登録文化財第20号。
旧朝興銀行大田支店(구 조흥은행 대전지점:大田広域市 東区 大田路 783 (元洞 51-1)。国指定登録文化財第20号)
「旧朝興銀行大田支店」の隣には大田随一の在来市場、中央市場(チュンアンシジャン)のアーケードが。駅前というロケーションもあってかかなり賑わっている様子。写真3枚目は少し離れたアーケード出口を撮ったもので、何故かKTXではなく新幹線0系(しかも帯が赤い!)が描かれていました。
「旧東洋拓殖会社大田支店」。
1922年築。朝鮮総督府が「土地調査事業」を通じて安値で買い叩いたり文字通り奪ったりした土地の払い下げを受けて朝鮮最大の地主となり、朝鮮人小作農に貸し付けるなどして朝鮮の支配と収奪に積極加担した、悪名高き植民地経営企業「東洋拓殖株式会社」。その大田支店として建てられたのがこちらの建物です。ペディメント(切妻屋根の下にある三角形の部分)を中心としたシンメトリーの建物で、日帝強占期には1932年築の忠清南道庁本館と並ぶ大田の代表的新式建築だったとのこと。光復(日本の敗戦による解放)後は逓信庁や大田電信電話局などに使用され、現在はこの一帯に多く見られるバス・トイレ用品の店舗が入居しています。国指定登録文化財第98号。
旧東洋拓殖会社大田支店(구 동양척식회사 대전지점:大田広域市 東区 大田路 735 (仁洞 74-1)。国指定登録文化財第98号)
大田の中心部を南北に貫流する大田川(テジョンチョン)。
そこにかかる大興橋(テフンギョ)を渡り、東区(トング)から中区(チュング)へ。
「大田大興洞日・洋折衷式家屋」。
1929年ごろ築。元々は大田鉄道局長の官舎で、敷地内は閉鎖されているため見ることはできませんが、内部には「昭和四年五月定礎渡辺」と書かれた定礎石があるそうです。木造建築としてはかなりハイカラなデザインですが、中でも特徴的なのは天に向かって突出した半円形の2階フロアと半円錐形の屋根。その形態から周囲の人々に「ピョジョッチッ」(뾰족집:「とんがり屋根の家」の意)と呼ばれ親しまれてきました。2階のリビングには畳部屋と床の間があるなど、和洋折衷型の住宅建築らしい特徴を残しています。国指定登録文化財第377号。
元々は少し離れた場所にあり、再開発に伴い現在地に移築されたこちらの「ピョジョッチッ」。その移築工事を目前に控えた2010年には再開発組合の不手際により無断で建物が毀損され、一時は骨組みだけの哀れな姿となったことがあります。その後2013年には残った部材などでどうにか復元されたものの、その移築先がモーテル街だったり、さらに2017年にはその土地が競売の対象となったりと、なにかと受難続きの建物です。また復元工事も十分なものではなく、外観も移築前の雰囲気とは若干異なっていたり、室内にはまだ復元が完了していない部分もあるとのこと。上の写真からも分かるように、窓もところどころ欠けていました。
日本人による植民地支配、収奪の一環で建てられたとはいえ、光復後に韓国の方々が大事に保存し愛されてきた「ピョジョッチッ」。一日も早く完全復元が完了し、内部を含め公開されるようになることを願います。
大田大興洞日・洋折衷式家屋(대전 대흥동 일·양 절충식 가옥:大田広域市 中区 文昌路 119-15 (大興洞 37-5)。国指定登録文化財第377号)
「大田国立農産物品質管理院旧忠清支院」。
1958年築。地元・大田地域の建築家の設計により、その名の通り農産物の品質管理を目的として設けられた公的機関の建物です。写真でも分かるようにアーチ型の玄関と壁の外に突出したボックス状の窓枠が特徴的な建物で、農産物品質管理院が他所へ移転した1999年には「大田市の良い建築物40選」に選定され、2008年からは現在の「大田市立美術館大田創作センター」として利用されています。国指定登録文化財第100号。
大田国立農産物品質管理院旧忠清支院(대전 국립농산물품질관리원 구 충청지원:大田広域市 中区 テ鍾路 470 (銀杏洞 161)。国指定登録文化財第100号)
ところで大田に現存する近代鍵築といえば、前述した1932年築の「大田忠清南道庁旧本館」(国指定登録文化財第18号)が特に有名のようですが、こちらは内部も含めゆっくり見学したいという思いがあったため、今回はあえて見送ることといたしました。いずれ必ずや訪れたいと思います。
さらに進んで、大田随一の繁華街である中央路駅周辺へ。大田といえば何と言ってもまずはこの店、というほど有名なパン屋さんがこの街に本店を構えています。
「聖心堂」(ソンシムダン)。
1956年創業のこちらのパン屋さんは、全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市の「李盛堂」(イソンダン)、慶尚北道(キョンサンブット)安東(アンドン)市の「マンモス製菓」とともに「韓国3大ベーカリー」と並び称されるほどの超有名店です。本店も立派な建物。店の外に行列ができるほどではないですが、1階の販売スペースは多くの来客でごった返していました。
聖心堂を代表する名物、「ティギムソボロ」(튀김소보로)の像。ティギムとは「揚げ物」のことで、ソボロとは日本語の「そぼろ」から来ています。それにしてもパンの銅像なるものは生まれて初めて目にしました。
今回購入したのは、もうひとつの名物「プチュパン」(부추빵)。プチュとは「ニラ」のことで、写真のようにニラがどっさり入った餡が詰まっていました。事情により購入から時間が経過していましたが、うんまかったです。
「聖心堂本店」は、都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅から徒歩わずか3分(約180m)。次回はティギムソボロも含め、焼きたてパンを食べてみたいです。
聖心堂本店(성심당 본점:大田広域市 中区 テ鍾路480番キル 15 (銀杏洞 145)) [HP]
中央路駅からは都市鉄道(地下鉄)1号線で次の目的地へ。初訪問ですので、当然に大田地下鉄の乗車も初めてです。これで韓国6都市の都市鉄道(地下鉄/モノレール/軽電鉄)は部分的であれすべて乗車したことになりました(路線別だと釜山4号線のみ未乗ですが)。
大田地下鉄1号線の電車(写真1枚目。こんな写真しかなくてすみません)。光州(クァンジュ)広域市の都市鉄道(地下鉄)1号線の電車(こちらのエントリーにて紹介)の車両にとてもよく似ています。そういえばラインカラーも同じ緑系です。
しかし光州の地下鉄はソウルや釜山と同様に韓日英中による多国語表記が充実していた一方で、ここ大田の地下鉄では駅構内・車内ともに多国語表記をほとんど見ませんでした。見つけられたのはこの後紹介する駅名標にあった駅名の漢字表記くらい。
私はハングルは読めるとはいえ、やはり母語たる日本語表記のほうが理解が早いので、日本語表記には毎度助けられています。ハングルが読めない方であればなおさらでしょう。大田地下鉄には、他の都市同様に日本語を含む多国語表記がより充実することを切に願います(ごく短時間しかローテーション表示されない駅の韓国語表記にまで都度クレームをつける偏狭な人々が山のようにいる社会の構成員としては申し訳ない限りなのですが……)。
そしてやって来たのは西区(ソグ)にある「政府庁舎」駅。その名の通り政府関連の建物のほかテレビ局、博物館など文教施設が集中して建つ地域で、大田の副都心的存在となっているようです。
政府庁舎駅から20分あまり歩いて、KBS大田放送局の高層ビル(写真1枚目)の向かいにある、この日の夕食目的のお店「パボコムタン」へ。
看板メニュー名にもなっている店名の「パボコムタン」とは、正式には「韓牛しか知らないパボコムタン」(한우밖에 모르는 바보곰탕)の略だとか。「パボ」とは「馬鹿」の意。つまり「コムタン馬鹿」を自称するこちらのお店には、「パボコムタン」と並ぶもうひとつの名物料理があります。
その名は「パンチチム」(방치찜)、79,000ウォン(約7,900円:当時)。「パンチ」とはお尻の骨のことをいい、その主役は韓牛1/2頭分にも相当する骨盤肉とコリ(꼬리:テール)。これを錦山(クムサン)産の高麗人参、連山(ヨンサン)産のナツメ、公州(コンジュ)産の栗、瑞山(ソサン)産のニンニク、そして猛烈な辛さで知られる青陽(チョンヤン)唐辛子など忠清道の各地域の特産物と一緒に特製スープで煮込んだのがこのパンチチムで、サジャンニム(ここでは店主の意)が1年以上も研究の末に生み出した同店オリジナル料理だとのことです。
いつもこうしたディナー目的の店では入店時に「お一人ですか?」と尋ねられる度に「食べられますよ」アピールをして料理にありついていますが、今回はなぜか別の店員さんがやって来る度に何度も尋ねられます。そんなにやばい料理なのでしょうか。
そしてやって来た、山盛りの骨付き肉がトレーに満載のパンチチム。
ああ、これはやばい。かつてない緊張感が走ります。
お店の人が骨から丁寧に肉を取り分けてくださり、仕上げの煮込みに入ります。
ただでさえ柔らかいというパンチ付近の肉が、ホロホロになるまで煮込まれます。こうしてじっくり煮込むことでスープに溶け込んだヤンニョム(調味料)がゆっくりと肉に染み込む一方、反対に肉汁がスープに溶け出すという相乗効果があるとのこと。骨付き肉からは実に7種類の味が出てくるとか。
そして待望の「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の声が。たまらず、ぱくり。ああ、予想よりも見た目よりもうんまい。強い牛肉の匂いに「オレいま肉食ってんぞ」という感じがします。錦山産の高麗人参もスープの味が染みてうんまい。手前にあるパンチャン(おかず)のカンジャンプチュ(醤油漬けのニラ)はパンチチムに混ぜてもよいみたいです。
写真にはありませんが、パンチチムには日本のそうめんに似た生のサリ(麺)がついて来て、スープで茹でて食べます。
そうしてなんとかがんばって具とサリは食べつくしましたが、これだけのボリュームだとさすがに残ったスープでの締めは厳しい。こちらのお店にはパンチチムに加え、その肉を食べた後に残る濃厚な牛骨・牛肉ダシのスープにキチョゲ(タイラギ)やタコ、エビ、その他貝など様々な海産物を豪快に放り込んで締めとする「へバンチム」129,000ウォン(約12,900円:当時)もありますが、今回は見送って正解だったと思います。おなかいっぱい……
こちらのお店「パボコムタン」の営業時間は午前10時~午後10時、年中無休。都市鉄道(地下鉄)1号線「政府庁舎」駅3番出口から徒歩だと約23分(約1.5km)。市内バスであれば同出口から徒歩約1分(約150m)の「屯山警察署」(둔산경찰서)バス停から<301> <604> <705>のいずれかの幹線バスに乗車して次の次の「西区保健所」(서구보건소)で下車、徒歩約4分(約260m)で到着できます。なお写真にもあるように、こちらのお店は「パボコムタン」と「万年愛韓牛」(マンニョネハヌ)という店の併設という形態のようで、あちこちで両店名が併記されています(どこまでがパボコムタンでどこからが万年愛韓牛かは分かりません……)
パボコムタン(万年愛韓牛)(바보곰탕(만년애한우):大田広域市 西区 屯山大路117番ギル 95 (万年洞 306))
まさに余談ですが、この日食べたパンチチムは次の日の昼過ぎまでずっとお腹に残り、自分でも信じられないことに翌朝などは全く食欲が湧かないほどでした。これはやはり2人以上でつつくべき料理ですね。パンチありすぎだろパンチチム‥‥‥
この日はそのままタクシーでホテルヘ。
その途中、大田川を渡るハンバッ大橋から撮った1枚。とてもいい感じの風景です(写真はいまいちですが……)。
それでは、次回のエントリーへ続きます。
【2018/01/23追記】
「中央市場」に関する記述を挿入しました。また、一部の誤字などを修正しています。