かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

ソウルの旅[201712_06] - 二人の「少女像」とソウル最後のタルトンネ、朝鮮総督府と逆向きに建てられた「尋牛荘」

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)12月の全羅南道(チョルラナムド)新安(シナン)郡などを巡る旅の3日目(2017年12月3日(土))です。

 

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次の目的地へ向かうため、まずは首都圏電鉄(ソウルメトロ)4号線「漢城大入口(ハンソンディック)」駅で下車。
ここでマウルバスに乗り換えるためバス停へ向かったところ、そのすぐ裏手に「平和の少女像」が。よく見ると、あの少女の向かって右隣の椅子にもう一人、同じように拳を握りしめ鋭い視線で正面を見据える中国服の少女が腰掛けています。
こちらは「韓中平和の少女像(한중평화의소녀상)」といい、中国服の少女像の制作者である清華大学美術教授の潘毅群(パン・イーチュン)と映画制作者のLeo史詠(レオ・スユン)の両氏が、「平和の少女像」の制作者であるキム・ウンソンとキム・ソギョンの両氏に提案し、2015年10月28日に当地に建てられたものです。
「韓中平和の少女像」についてはその存在こそ認識していたものの、その場所が漢城大入口駅であることまでは存じておりませんでした。偶然の出会いにただ驚くばかりです。

 

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中国服の少女の隣には、他の「平和の少女像」と同様に空いた椅子が置かれています。これは、他のアジア諸国の犠牲者のための席だとのことです。

歴史修正による戦時性奴隷・性暴力加害の否定、そしてその被害者たちへの侮辱に立ち向かうための連帯。私は像建立の趣旨に強く共感するとはいえ、それらを許容ないし推進する社会の構成員であり、また被害者たちの支援者でもないため、「連帯」できる資格はないと自身では考えています。それでも像建立の趣旨には強く共感しますし、支持します。なんらかの支援をしなければとの思いが強く胸に迫ります。

韓中平和の少女像(한중평화의소녀상:ソウル特別市 城北区 東小門路3キル 11 (東小門洞1街 1-4))

  

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「韓中平和の少女像」前の「三仙橋・城北文化院(삼선교.성북문화원)」バス停から、マウルバスに乗車。

 

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緑色のマイクロバスのマウルバスはゆっくりと坂道を登り続け、先の「三仙橋・城北文化院」バス停からおよそ11分で「ヨングァン教会(용광교회)」というバス停に停車。そこから歩いて坂道を登ると、まもなく写真の場所に到着します。

 

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ソウル城北区(ソンブック)城北洞(ソンブクトン)、漢陽都城(ハニャントソン。写真2枚目奥の城壁。後述します)にほど近い丘の上を巡る楕円形の道路を中心としたこの一帯は「プッチョンマウル」といい、急斜面に小さな住宅が密集して張り付いた、俗に「タルトンネ(달동네)」と呼ばれる住宅街のひとつです。タルトンネとは直訳すると「月の街」の意。その多くが高いところに位置し、月がよく見えるとしてこの名が付いたとされています。

 

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急坂を登った先にあるため家賃が安く、あるいは傾斜があまりにも激しく先住者すらいなかった土地。そうした急斜面に自ら生活の場を求め、または国や自治体の政策により生活することを余儀なくされたのは、朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)の戦火から文字通り体ひとつで逃れてきた避難民たちであり、そしてそれらを含め、1960年代以降の都市開発のために居住地を追われた低所得層の人々でした。過去に本ブログで紹介してきた釜山の「アンチャンマウル(ホレンイマウル)」や「碑石(ピソン)文化マウル」などは、釜山に殺到した避難民たちが急斜面を切り開いて形成したタルトンネです。

 

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現在のプッチョンマウル一帯は朝鮮時代から住民がいたようですが、光復(日本の敗戦による解放)後の都市人口急増に加え、前述した人々の流入により1960年代以降にその規模が拡大したといいます。かつてソウル市内に点在していたこれらタルトンネはそのほとんどが再開発によって消えゆく中、ここプッチョンマウルは取り残され、いつしか「ソウル最後のタルトンネ」とまで呼ばれる存在となりました。

 

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現在はその大半がお年寄りだというプッチョンマウルの住民たちは、ソウルでも稀有の存在となったタルトンネの雰囲気を残すこの街を活性化すべく、マウル内に案内板を設置し、また一部の家屋を壁画で彩り、さらには住民参加型のイベントを開催するようになります。とはいえタルトンネ再生の成功例である釜山の「甘川(カムチョン)文化マウル」などのようには行かず、現状では「知る人ぞ知る」水準にとどまっているようです。
写真1~2枚目はそれらの一環で開店した「プッチョンカフェ」であり、閉店してしまった現在もなおその壁面には住民たちの写真が飾られています。

 

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プッチョンカフェの裏手にあった「プッチョン理髪」 。情感漂うたたずまいです。

 

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情感あふれるプッチョンマウルの姿。すっかり葉が落ちた木の上にある黒っぽい塊は、日本にも分布するカチ(까치:カササギ。学名:Pica pica)の巣だと思われます。カササギ佐賀県などではカチガラスと呼び、佐賀県の県鳥にも指定されています。

 

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写真1~2枚目は家屋の壁や道路脇に描かれた壁画。「壁画マウル」と呼ばれる住宅地よりは少ないですが、ここプッチョンマウルにもいくつかの壁画が存在します。
写真3枚目は前述した「プッチョンカフェ」の近くにあった公衆トイレ。子どもたちの描いた絵で彩られています。

 

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プッチョンマウルにあった廃屋。

 

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プッチョンマウルにあった道路名住所の表示板。ソウルではこうした表示板での日本語表記は決して珍しくありません。

 

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ところでソウルの「プッチョンマウル」と聞くと、以前にこちらのエントリーでも紹介した韓屋(ハノク)が立ち並ぶ住宅街、「北村(プッチョン)韓屋マウル」(写真)を想像する方もいらっしゃるでしょう。カタカナ表記では同じですが、ハングルだと「북정」と表記する城北洞のタルトンネに対して北村は「북촌」と表記し、最後の「ン」の発音も異なります(日本人には区別しづらい音ですが)。また北村は地主など富裕層向けに計画的に造られた建売住宅地であり、プッチョンマウルとはその成り立ちから異なっています。

本年(2018年)7月19日付の聯合ニュースのこちらの記事によると、プッチョンマウルが2~4階建ての低層テラスハウス団地として再開発される予定だとあります。この記事の通りであれば、現在のプッチョンマウルの姿も近く思い出の中に消えることとなります。住民でなく支援者の立場でもない私はその賛否を問う立場にはありませんが、せめて一人でも多くの住民の方にとってプラスとなるよう形で結実することを切に祈っています。

 

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プッチョンマウルへは、前述したように首都圏電鉄(ソウルメトロ)4号線「漢城大入口(ハンソンディック)」駅で下車、6番出口を出てすぐの場所にある「三仙橋・城北文化院(삼선교.성북문화원 )」バス停より<성북(城北)03>マウルバス(写真1枚目)に乗って約12分で楕円形の道路内の最初のバス停である「ヤン氏カゲアプ(양씨가게앞)」バス停(写真の位置。写真2枚目)に到達できます。バスはプッチョンマウルの楕円形の道路を反時計回りに一周してから漢城大入口駅方面へ戻るので、好きな場所で下車するとよいでしょう。
住宅街であるプッチョンマウルは24時間いつでも訪問でき、また案内板や壁画などからも分かるように訪問者増、ひいては観光スポットとなることを期した場所ですが、お年寄りを中心とした住民の方々の生活空間でもあります。ご訪問に際してはどうかお静かに観覧いただくようお願いいたします。

プッチョンマウル(북정마을:ソウル特別市 城北区 城北路23キル (城北洞) 一帯)

 

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プッチョンマウルから北へ向かって徒歩2分ほどの場所に、写真の家屋が建っています。


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「尋牛荘(シムジャン)」と呼ばれるこちらの建物は、僧侶であり、文学者であり、そして1919年の「3.1運動」では民族代表33名の一人に名を連ねた独立運動家である韓龍雲(한용운:ハン・ヨンウン、1879-1944。号は萬海(만해:マネ)。写真1枚目左上の人物)氏が自宅として1933年に建てた韓屋で、亡くなるまでの11年間をここで過ごしました。「尋牛」の名は、仏教において悟りに至るまでの10の実行手順のひとつである「自己の本性である牛を探す」に由来するものです。現在は「萬海韓龍雲尋牛荘」としてソウル特別市記念物第7号に指定されています。

 

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韓龍雲氏は朝鮮時代末期の1879年8月29日、忠清南道(チュンチョンナムド)洪城(ホンソン)生まれ。まだ十代半ばだった1894年には「東学農民戦争」(甲午農民戦争東学党の乱)に蜂起軍兵士として参戦した経験もあります。その後1919年に朝鮮半島全土で巻き起こった抗日独立運動「3.1運動」では民族代表33名の一人に名を連ね、まもなく逮捕されて懲役3年の刑を宣告され服役。出獄後の1926年には抵抗文学の先駆けとなった詩集『ニムの沈黙』(님의 침묵:ニムは「君、あなた」の意)を発刊し、翌27年には抗日組織である新幹会(シンガネ)に加入、さらにその翌年には同会の京城(現ソウル)支会長となります。その後は仏教関連の論文や長編小説などの執筆を通じて独立思想の鼓吹に尽力する一方、神社参拝や「創氏改名」、朝鮮人学徒兵出征への反対など一貫した抗日活動を継続しますが、念願の光復を目にすることなく、その前年の1944年にここ尋牛荘にて持病の中風により亡くなっています。
写真はソウル・西大門区(ソデムング)の「西大門刑務所歴史館」(こちらのエントリーにて紹介)にあった、韓龍雲氏など西大門刑務所に収監された文学者による獄中生活関連の著作についての展示パネルです(左下の人物が韓龍雲氏)。

 

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尋牛荘の内部と展示パネル。靴を脱いで自由に上がることができます。

 

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こちらの建物の最も大きな特徴として、家屋としては珍しく北向きに建てられている点が挙げられます。韓龍雲氏がその建築に際し、尋牛荘から見て南側に位置する朝鮮総督府の庁舎建物が視界に入るのを嫌ったためとされています。

 

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朝鮮総督府庁舎は、ソウル五大古宮のひとつであり朝鮮時代末期には王も滞在した朝鮮王室の法宮(正宮)「景福宮キョンボックン)」の正門である光化門(クァンファムン)と、宮内の正殿である勤政殿(クンジョンジョン。国宝第223号)との間にかつて存在した1926年竣工の石造りの近代建築で、その名の通り日帝強占期に朝鮮全土を支配した大日本帝国の植民地統治機関、朝鮮総督府の本庁舎として用いられました。その後1995年からその翌年にかけて解体撤去されたため、忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)市の「独立記念館」にて展示されている一部部材を除いて、現在はその姿を見ることはできません。
朝鮮王室の法宮である景福宮の敷地内、しかもその正殿たる勤政殿の正面に立ち塞がるように建てられた旧朝鮮総督府庁舎は、その有り様からして日本による支配と収奪をこれ以上ないほどに象徴する建物であったといえるでしょう。

これまで本ブログでも紹介してきたように、韓国には日本人による近代建築がいくつも現存し、その多くが国や自治体の登録文化財指定による保全の対象となっています。その主用途にかかわらず植民地支配と収奪の一環で建てられたものだとはいえ、そうした過去を記憶し未来へ継承する観点、あるいは建物自体の建築的価値の観点からです。旧朝鮮総督府庁舎も例外ではなく、23年前の解体に際しては韓国国内でも反対の声が上がったとのことですが、論議の末、韓国の人々はこれを解体する道を選択しました。
個人的には、その立地からして記憶継承などの意義をも凌駕する邪悪さをはらんでいた旧朝鮮総督府庁舎は破壊する以外に道はなく、韓国の人々の判断は正しかったとの考えです。しかしそれは、あくまで韓国の人々が決めるべきことであり、もし仮に何らかの形での保存を選択していたとしても、その判断は尊重されるべきものです。

ひとつ確信をもって言えることは、私を含め支配と収奪のためにそれら建築物を建てた側の子孫に、そうした判断について口出しする資格は一切ない、ということ。もちろんそれは韓国のみならず朝鮮民主主義人民共和国についても、そして台湾(中華民国)についても寸分違いません。
私は旧朝鮮総督府庁舎の解体が始まった1995年頃には韓国の文化に関心を持ち、その紀行文などの書籍や同人誌を購読していましたが、解体と前後してそれらの中で、韓国の人々の判断に反発しあるいは侮蔑嘲笑する態度を少なからず目にしました。そして23年を経た今日も、SNSやブログなどでそうした態度と不意に遭遇することがあります。そのような感情を臆面なくあらわにするすべての日本人を、私は軽蔑します。

 

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「尋牛荘」の開放時間は午前9時~午後6時、年中無休。入場無料です。先ほど紹介した元「プッチョンカフェ」そばの「老人亭(노인정)」バス停(写真)からだと徒歩約2分(約160m)ほどで到達できます。プッチョンマウルとあわせてぜひともご訪問いただきたい場所です。

尋牛荘(심우장:ソウル特別市 城北区 城北路29キル 24 (城北洞 222-1)。ソウル特別市記念物第7号)

 

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プッチョンマウルへ戻ります。日が沈み、夕闇が迫ってまいりました。

 

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プッチョンマウルの裏路地。人はなぜ裏路地に惹かれるのか。

 

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プッチョンマウルのすぐそばには、朝鮮時代に築かれた「漢陽都城」(한양토성:ハニャントソン)の城壁が復元され、夜間にはライトアップされています。
漢陽都城は現在のソウル、当時は漢陽(ハニャン)と呼ばれていた都を外敵から守るため、周囲にそびえる北岳山(북악산:プガクサン)・駱山(낙산:ナクサン)・南山(남산:ナムサン)・仁王山(인왕산:イナンサン)の4つの山の稜線を結び、王宮や市街地を取り囲むように築かれていた城郭です。都城の東西南北には「大門」と呼ばれる門が設置されました。みなさまもよくご存じの南大門こと崇礼門(숭례문:スンニェムン。国宝第1号)東大門こと興仁之門(흥인지문:フンインジムン。宝物第1号)がまさしくそれにあたります。

 

さて、そろそろお腹がすいてきました。この年(2017年)最後となる韓国でのディナー、お店はもう決めています。地下鉄に乗りそのお店へと向かうのでした。

 

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そうして向かったのは首都圏電鉄(ソウルメトロ)6号線「麻浦区庁(マポグチョン)」駅近くのお店、「太白(テベク)クンムルタッカルビ」。
こちらのエントリーでも紹介したこのお店は、かつては同6号線「望遠(マンウォン)」駅からマウルバスに乗り換えて行く場所にありましたがその後移転し、現在の位置に店を構えています。
その名からも分かるように、いわゆる(チーズ)タッカルビとして日本でも広く知られる炒め料理の春川(チュンチョン)タッカルビとは全く異なる、スープベースの料理である江原道(カンウォンド)太白市の名物「太白タッカルビ」をソウルでも味わえる貴重なお店です。2014年春の初訪問以来、あまりにも大好きな味で今回が5回目の訪問となってしまいました。顔なじみとなった男性店員さんからは「よく見つけましたね」という歓待を受けます。

 

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これまで同様、タッカルビの「中」(3人分)を注文。25,000ウォン(約2,630円:2017年12月当時)と前回訪問時より2,000ウォンだけ値上がりしていましたが、韓国の物価上昇状況を考えると仕方がありません(韓国がおかしいのではなく日本の政府与党の政策に伴う実質賃金低下こそが異常なのですが)
いつもと同じく、太白タッカルビの特徴である広い鉄鍋に入った骨付きの鶏モモ肉を、店員さんが目の前でジョキジョキと切ってくださいます。

 

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まずはトック(떡:うるち米のお餅)から。やわっこくてうんまい。なんで韓国のトックはあんなにおいしそうなほのかな黄色をしていて、しかも実際においしいのでしょう。

 

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 待望の「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の号令一下、いよいよ鶏肉を含むタッカルビを食べ始めます。ああ、うんまい。ほどよい辛さとコクのあるスープ、そして骨付き鶏モモから出たダシが渾然一体となっています。何度食べての飽きのこない味。ビールが進みます。

 

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鶏肉をあらかた食べ、まずはウドンサリ(麺)を投入。麺はウドンのほかタンミョン(韓国春雨)やラミョン(即席ラーメン)が選べますが太白タッカルビにはウドンだと個人的に決めています。スープが麺にからんでうんまい。

 

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そして締めはうんまいスープを一滴たりとも無駄にしないよう、ご飯を投入してのポックンパ(볶음밥:チャーハン)。超うんまい。ポックンパを味わうまでがタッカルビです。

 

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かつては韓国を代表する産炭地のひとつであった江原道太白市。その名物料理を扱うお店らしく、店内には炭鉱夫のヘルメットや当時の写真などが飾られていました。

 

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こちらのお店「太白クンムルタッカルビ」の営業時間は午前11:00~午後11:00、毎月第4火曜日定休。
首都圏電鉄(ソウルメトロ)6号線「麻浦区庁(マポグチョン)」駅5番出口から徒歩約12分(約770m) 。6号線に加え同2号線も通る「合井」(ハプチョン)駅からであれば、同駅1番出口を出てすぐの「合井駅」(합정역)バス停より約6分おきにやって来る<마포(麻浦)16>マウルバスに乗って約15分の「弘益幼稚園」(홍익유치원)バス停にて下車、徒歩約2分(約130m)、または同駅6番出口を出てすぐの「合井駅」(합정역)バス停より5~15分おきにやって来る<7011>バスに乗って約12分の「望遠2洞住民センター」 (망원2동주민센터)バス停で下車、徒歩約2分(約150m)。全力でおすすめできるお店です。

太白クンムルタッカルビ(태백국물닭갈비:ソウル特別市 麻浦区 パンウルレ路 53 (望遠洞 436-12))

 

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お腹いっぱいになってお店を出た後、自分へのお土産を買うため、地下に「麻浦区庁」駅のある川の橋を渡ります。

 

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やって来たのは、首都圏電鉄(ソウルメトロ)6号線「麻浦区庁」駅と同「ワールドカップ競技場」駅の間にある、麻浦農水産物市場(マポノンサンムルシジャン)。
余談ですが、この麻浦農水産物市場の正面を通る道路は、韓国の国道1号線です。
国道1号線といえばこの2日前、こちらのエントリーにて紹介した全羅南道木浦市の街歩きで「国道1.2号線起点紀念碑」を見てきたばかり。
この国道1号線は、南は世宗(セジョン)特別自治市光州(クァンジュ)広域市などを経て木浦市へと至ります。また北は京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市の板門店(パンムンジョム)でいったん途切れていますが、その先は朝鮮民主主義人民共和国の開城(ケソン)特級市や平壌直轄市を経て、中国との国境沿いにある平安北道(ピョンアンプット)新義州(シニジュ)市にまで至っています。いずれ近いうちにこれら沿線の街の人々が相互に行き来できるようになるでしょうし、そうなることを祈っています。
そしてその妨害のため、日本政府はなりふり構わずありとあらゆる手段を行使することでしょう。その邪悪な野望を潰えさせるのは私たち日本社会の構成員の仕事であり、義務です。

 

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麻浦農水産物市場のうち海産物を扱う一帯の内部。大好きな韓国の市場の風景です。

 

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こちらの市場へやって来た最大の目的は、市場内にあるスーパー「多農(タノン)マート」を訪れるため。

 

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この「多農マート」のマッコリの品揃えが、それはもうすごいのです。京畿道(キョンギド)加平(カピョン)郡の醸造業者「ウリスル」の、私が大好きなチャッ(松の実)マッコリの松の実の割合をさらに高めた「プレミアム松の実マッコリ(프리미엄 잣 막걸리)」、また京畿道高陽(コヤン)市名産の「ペダリマッコリ」(배다리 막걸리:写真3枚目)をはじめ、大手マートではまず見ない銘柄を含め優に30種類以上が定番在庫として陳列されています。訪問されたある方がこのお店を評して「マッコリの宝庫」と書かれていましたが、実際に訪問してみて全く誇張ではないと知りました。写真3枚目は日本に持ち帰ったペダリマッコリ。うんまかったです。

多農マート(麻浦農水産物市場)(다농마트(마포농수산물시장):ソウル特別市 麻浦区 ワールドカップ路 235 (城山洞 533-1))

 

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宿のある鍾路3街(チョンノサムガ)へ戻ります。
鍾路3街のすぐそばはこちらのエントリーでも紹介した、1920~30年代に建てられた改良韓屋の立ち並ぶ「益善洞(イクソンドン)韓屋マウル」が広がっています。
写真は夜の益善洞韓屋マウルの裏路地、情感が漂います。人はなぜ裏路地に惹かれるのか。

 

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そんな益善洞で見つけたスイーツのお店、「望遠洞(マンウォンドン)ティラミス」。日本でも有名な店のようで、ここを見つけたのもたまたま直前に日本人の女性のグループが入って行く姿を見かけたから。

 

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一般的なティラミスやイチゴ、オレオなど5種類のティラミスの中から今回購入したのは緑茶ティラミス。おいしかったです。
こちらのお店「望遠洞ティラミス益善洞店」の営業時間は午前11時~午後11時、名節(ソルラル(旧正月)と秋夕(チュソク))の当日は休業とのこと。

望遠洞ティラミス益善洞店(ソウル特別市 鍾路区 楽園洞 鍾路区 水標路28キル 22 (楽園洞 120-2))

 

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そろそろアルコールも抜けつつあり物足りない心地で益善洞を歩いていた中、たまたま見つけたクラフトビールのお店「CRAFT ROO(クラフトルー)」。吸い込まれるように入店。
韓国では2002年のクラフトビール解禁以来、クラフトビール醸造する小規模のブルワリーが全国各地にオープンしています。改良韓屋をリノベーションしたこちらのお店ではそうした韓国のブルワリーの15種類ものクラフトビールが味わえるとのこと。

 

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うんまいクラフトビールを飲みつつ、窓の外の韓屋をぼんやり眺める。こういう楽しみ方ができるから鍾路3街での宿泊はやめられません。

CRAFT ROO(크래프트루:ソウル特別市 鍾路区 水標路28キル 17-7 (益善洞 166-57))

 

2017年12月の全羅南道およびソウル特別市の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2018年1月の全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市の旅をお送りします。

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