かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

群山の旅[201801_03] - 日本の収奪の痕跡を歩く②-韓国唯一の日本式木造寺院「東国寺」、そして「懺謝文」碑

前回のエントリーの続きです。
昨年(2018年)1月の全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市を巡る旅の2日目、2018年1月20日(土)です。

 

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群山鉢山里旧日本人農場倉庫(嶋谷金庫)からバスでホテルへ戻りチェックアウト、今度はタクシーでKorail(韓国鉄道公社)群山駅へ。前日の約束通り、同駅にはないコインロッカーに代わって駅務室で私のキャリーバッグを預かっていただき、再びタクシーで市街地に戻ります。街歩きに先立ち、まずは腹ごしらえのためです。

ところで群山には、チャンポン(짬뽕)やチャジャン麺(짜장면)などを扱う中華料理店がいくつも存在しています。これらは1899年、当時の大韓帝国により群山港が開港場(国外との貿易港)に指定された前後から、貿易商や近代建築の技師などとして移住した数多くの中国人が飲食店を開いたのが始まりとされています。
そしてそれらの中には、毎日ランチタイムになると長蛇の列が形成されるずば抜けた人気店がいくつか存在します。有名どころとしては店舗が国家指定登録文化財(第723号)に指定されている蔵米洞(チャンミドン)の「浜海園(빈해원:ピネウォン)」、米原洞(ミウォンドン)の「福城楼(복성루:ポクソンヌー)」、そして同じく米原洞の「吉林省(지린성:チリンソン)」などが挙げられます。
今回は、それらの中から吉林省を選択。他に類を見ない人気料理「コチュチャジャン(고추짜장)」がその目的です。コチュ(唐辛子)の名の通り、かなりの辛さだと聞いていますが、果たして……

 

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群山駅から乗ったタクシーの運転手さんに行き先を告げると「もう並んでいるらしいよ」とのこと。確かにこの吉林省というお店、韓国語のブログでは浜海園や福城楼などと同様にものすごい列の写真が多くアップされています。列の具合によっては別の店にしようと思いつつも、まだ開店直後の午前10時台だったからか少し待っただけで入店できました(それでも待たされたわけですが)

 

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そしてやって来たコチュチャジャン。以前に仁川広域市中区のチャイナタウンで食べた「ユニチャジャン」と同様、麺とチャジャンソースがセパレートで出てきます。これらを適宜混ぜ混ぜして食べるのですが、チャジャンソースの中には肉やタマネギなどの具に加え、猛烈な辛さで知られる「青陽(チョンヤン)コチュ」らしき青唐辛子がごろごろ。にわかに緊張感が走ります。
勇気を出して、ぱくり。最初のひと口、とてもうんまいです。しかし、まもなく猛烈な辛さが口内を襲います。激辛なんてレベルじゃない、汗どころか涙まで吹き出てくる辛さ。ポットの水も気休めにしかなりません。私よりもずっと辛い料理に慣れているはずの隣の韓国人男性グループの1人も、あまりの辛さに半分以上残して立ち去ったほどです。これほどまでだと知っていれば普通のチャジャン麺を頼むべきでした。しかし辛さの中にも味自体はおいしいので箸は止めたくありません。というか負けたくありません。
そうしてなんとか青唐辛子以外は完食。汗拭き用のミニタオルはぐっしょりです。

 

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こちらのお店「吉林省」の営業時間は午前9時30分~午後5時、毎週火曜日定休。
メニューには今回食べたコチュチャジャンのほか、コチュチャンポン(고추짬뽕)という料理もあります。韓国のチャンポン自体が相当な辛さだと聞いている(実はまだ食べたことがない)のに、こちらもコチュチャジャン並みの辛さなのでしょうか。いずれにせよ我こそは激辛マニアだという方にのみおすすめしたい料理です。値段はコチュチャジャン・コチュチャンポンともに9,000ウォン(約900円:2019年1月現在。写真のメニュー表では8,000ウォンとなっていますがその後値上げされた模様)
正直、個人的にはコチュチャジャンはもう遠慮したいです。しかしチャジャン麺自体の味はおいしいので、次に訪問するならば普通のを注文したいと思います。

吉林省(지린성:全羅北道 群山市 米原路 87 (米原洞 78))

 

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吉林省を出て、口内が依然ひりひりする中を次の目的地へ歩いて向かいます。
まず訪れたのは、「屯栗洞聖堂(トゥニュルドン・ソンダン)」。
その名の通り屯栗洞に位置するこちらの教会は、群山初の天主教(カトリック)教会として1929年に設立された群山本堂がその母体です。その後光復(日本の敗戦による解放)を経て、朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)の休戦後には戦争孤児をはじめとする幼児たちの世話に注力します。そうして活動範囲を拡大する中、信者たちの寄進などにより1955年に竣工したのが、国家指定登録文化財第677号にもなっている写真1枚目の聖堂建物です。

 

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玄関の脇には、韓服を着た聖者の像が。
ちなみに韓国では、一般的には「聖堂(성당:ソンダン)」といえば天主教(カトリック)の施設を、また「教会(교회:キョフェ)」といえば改新教(プロテスタント)の施設を指します(あくまで一般的な呼び名であって正式な区分ではない)

群山屯栗洞聖堂(군산둔율동성당:全羅北道 群山市 トゥンベミキル 24 (屯栗洞 156-2)。国家指定登録文化財第677号)

  

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続いて訪問したのは、錦光洞(クムグァンドン)にある寺院「東国寺(トングクサ)」。

 

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この東国寺はかつて「錦江禅寺(クムガンソンサ)」あるいは「錦江寺(クムガンサ)」と呼ばれ、1909年に日本人の内田仏観(うちだ・ぶっかん、1832-1916)僧侶が曹洞宗の布教所として創建したものに端を発します。1913年には群山屈指の大地主であり信徒でもあった宮崎佳太郎(みやざき・けいたろう)から土地の寄進を受け、現在地へ移転。
この間の1910年には「日韓併合」が、またその翌年には大日本帝国の植民地統治機関である朝鮮総督府が制令第7号「寺刹令」を公布、施行しています。「寺刹令」とは、寺院の合併・移転・廃止や名称変更、財産の処分などを朝鮮総督による認可制、布教行為などを道長官(知事に相当)の認可制とすることなどを定めたものであり、続いて公布された実施規則とあわせて、住持(주지:チュジ。日本でいう住職)の人事権を含む韓国(朝鮮)寺院の自主権を奪い統制するためのものでした。錦江禅寺もまた例外ではなく、1916年に朝鮮総督府による寺院としての認可対象となっています。
光復後は米軍政の接収を経て韓国政府に移管された後、1955年に全羅北道宗務院(宗教事務を管掌する部署)が購入。その後1970年には当時の住持であった南谷(남곡:ナムゴク、1913-1983)スニム(스님:僧侶の敬称)により「海東大韓民国」(海東(ヘドン)とは「渤海の東」の意であり韓国の別称)を縮めた意味の東国寺と改名され、韓国最大の仏教宗門である曹渓宗(조계종:チョゲジョン)に寄贈。そして現在へと至ります。

 

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境内の中央に建つ写真の建物は、日本の寺院でいう本堂に相当する大雄殿(대웅전:テウンジョン)。国家指定登録文化財第64号でもあるこちらの建物は、1913年の移転に際し日本から搬入した資材によって建てられたもので、現役の寺院としては韓国唯一の日本式木造寺院建築です。ちなみに日本式の寺院建築といえば、以前にこちらのエントリーにて紹介した全羅南道(チョルラナムド)木浦(モッポ)市の「旧東本願寺木浦別院」もまたそうでしたが、木浦のものは木造ではなく石材を用いた点で大きく異なります。

 

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こちらの写真は東国寺ではなく、その属する曹渓宗の総本山、ソウル・鍾路(チョンノ)の曹渓寺(チョゲサ)の大雄殿です。韓国の寺院建築といえば、こちらの曹渓寺のように外壁が丹青(단청:タンチョン。青・赤・自・黒・黄を中心とする極彩色の文様)で彩られた施設を想像する方も多いことでしょう。

 

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一方、東国寺の大雄殿は彩色のない外壁に加え、ミソギ門(미서기문:互いに重なる引き戸。日本語の「みそぎ」とはおそらく無関係)の出入口、75度もの急傾斜の瓦屋根に水平一直線の棟(一般に韓屋の屋根の棟は中央部が窪んだ曲線を描いている)、そして大雄殿と寮舎チェ(요사채:ヨサチェ。僧侶たちの居所。チェとは建物全体を指す「屋」「棟」の意。写真2枚目)が接続するなど、日本ではおなじみですが韓国では珍しい日本風の寺院建築様式が随所に見られます。

 

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東国寺の境内に建つ鐘閣(종각:チョンガク)。
こちらは1919年築で、やはり現存する韓国唯一の日本伝統様式による鐘楼だそうです。内部には京都で建造された梵鐘が吊り下げられており、その胴には天皇を称賛する詩句が刻まれているとのことです。
鐘閣の土台の周囲を取り囲むように配置された石仏群は三十二面観音菩薩像と十二支守本尊石仏像で、写真はありませんが鐘閣の前には子を抱いた意匠の子安観世音寺本尊仏像が建っています。

 

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鐘楼のそば、境内の片隅には大きな石碑が、またその前方には女性の立像が建てられていました。

 

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まず、石碑から。
基壇の上には2つの黒い石がはめ込まれており、よく見ると向かって右側のそれには日本語が、左側にはハングルの文章が見て取れます。
こちらの文章は「懺謝文」(さんじゃもん。韓国語の発音ではチャムサムン)といい、東国寺の前身の錦江禅寺も属していた日本の曹洞宗が、その最高責任者である宗務総長名義で1992年に公式発表したもので、石碑にはその日本語原文と韓国語訳文(ともに抜粋)がそれぞれ刻まれています。
そしてこの石碑は、青森県在住の曹洞宗の僧侶が代表を務める日本の支援団体により2012年9月に建立、東国寺に寄贈されたものです。僧侶は曹洞宗による朝鮮人強制徴用者の遺骨返還運動にも携わってきた方で、何度も渡韓を繰り返す中で東国寺との縁を結び、碑の寄贈へと至ったとのことです。

東国寺「懺謝文」碑の除幕式は関係者の臨席の下、2012年9月16日に挙行されました。
その直前の9月10日、碑の建立とその除幕式に曹洞宗の財務部長が出席するという報道が韓国の聯合ニュースの日本語版にて配信され【該当記事】、その直後から曹洞宗への抗議が殺到。ある報道では電話だけでも80件以上に達したとあります。
そして除幕式の前日、支援団体会長の僧侶宛てに「懺謝文」碑の撤去を要求する曹洞宗からの内容証明郵便が届きます。撤去要求は「懺謝文」の無断での抜粋、および翻訳による著作権侵害を理由とするものでした。しかし支援団体会長によると「懺謝文」碑の建立は、同年初に宗団内部機構の検討を経て、特別な結論なく経過した事項だったとのことです【参考記事】。そして結局、財務部長が除幕式に出席することはありませんでした。

 

碑の建立以前から曹洞宗ホームページにて公開されていた「懺謝文」は、前述した除幕式関連の報道直後から曹洞宗の判断により一時的に公開が休止されていましたが、現在はその顛末とあわせて再び公開されています。そのタイトルの通り、「日韓併合」による国家・民族の抹殺の先兵としての皇民化政策推進、また中国での宣撫工作をはじめ日本の戦争遂行とアジア侵略に宗門として加担したことなどを懺悔し謝罪する内容であり、その観点で大いに共感し支持することのできる優れた文章だと私は思います。

2012年秋の「懺謝文」碑を巡る対立以降、私が調べた限り曹洞宗側での大きな動きはないようてす。当初求めていた碑の撤去も、効力が及ばない国外のため事実上放置せざるを得ない、という結論で落ち着いているようです。
前述したように曹洞宗は「懺謝文」の発表以後、朝鮮人強制徴用者の遺骨返還運動などを通じて「懺謝文」に込めた精神を自ら体現してきました。一方で「懺謝文」碑の撤去要求はその精神に背くばかりか、韓国(人)への差別・憎悪扇動を期して過去の植民地支配や戦争犯罪の否認を推し進める勢力に迎合したことを意味します。

2015年末の当事者無視の日韓「合意」に象徴される「慰安婦」問題や昨年(2018年)秋の徴用工裁判などへの日本政府の態度、さらには著名人が公然とヘイトを口にし、しかもいかなる社会的制裁も受けないことが「お墨付き」となり、日本では「韓国(人)ならばどんなに侮辱的に扱ってもかまわない」という社会的合意が形成されつつあります。昨年末の「レーダー照射」問題では日本側が一貫して不誠実な態度に終始したにもかかわらず、大手メディアがこぞって韓国人の「異常性」を強調した報道に血道を上げている現状こそが、それを端的に示しているといえるでしょう。
このような社会において、「懺謝文」とその精神は残された数限りある良心のひとつであり、財産であります。決して遅すぎることはありません。曹洞宗が再びその精神に立ち返り、「懺謝文」碑に肯定的なアクションを起こすことを切に願っています。

 

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続いて、女性の像。
こちらは「平和少女の像(평화소녀의 상)」といい、日本軍性奴隷制度とその被害者である「慰安婦」たちを記憶するためのモニュメントとして、「懺謝文」碑と同じ日本の支援団体などの募金により2015年8月に建てられたものです。みなさまもよくご存じの、夫婦作家であるキム・ウンソンとキム・ソギョンの両氏による「平和の少女像」が椅子に腰掛けているのに対し、こちらは立像です。
訪問当日(2018年1月20日)はまさに真冬。この時期にしては温暖な日でしたが、それでも10℃は優に下回っていました。像には暖かそうなフードとショールが着せられ、足には靴下が添えられていました。

 

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こちらの写真に少しだけ写っていますが、像の正面には小さな池があります。これは韓国と日本とを隔てる海峡を象徴するものだそうです。

日本軍性奴隷制度とその被害者を記憶する像とは、前月(2017年12月)に木浦で出会って以来です。そのわずか1ヵ月あまりの間も、そしてこの日から1年を経過した今日に至るまでの間にも、日本における状況はひたすら悪化の一途をたどっています。
本エントリー公開直前の2019年1月28日、元「慰安婦」の一人である金福童(김복동:キム・ボクトン、1926-2019)ハルモニ(할머니:年配の女性の敬称)が逝去されました。ハルモニは日本人や韓国保守派による中傷にも屈せずに自身の戦時性暴力被害を証言されてきただけでなく、日本の差別政策により無償化対象から不当に除外されている朝鮮学校関係者への支援を含め、人権活動家としても幅広く活躍されていた方です。日本語Twitter上では心ある人々の追悼メッセージを嘲笑うかのように、故人を含む元「慰安婦」やその支援者を侮辱するツイートで覆い尽くされています。
さらに翌29日には、成田国際空港で韓国の航空会社の業務を受託する日本企業に対し、その職員が元「慰安婦」の方々を支援するファッションブランド「マリーモンド」製品を所持していたことを外部の者が通報、その企業があろうことか当事者を含む職員に同ブランドの所持禁止を命じた旨の報道がなされています【該当記事】。
こんな不正義が、日本という社会では公然とまかり通るのか。日本社会への、そして正義実現への助力が何ひとつできていない無力な自分自身への怒りと苛立ちが募るばかりです。

 

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東国寺の境内は解放されており、誰でも無料で立ち入ることができます。ここ錦光洞を含め群山旧市街に点在する近代文化遺産の数々(次回エントリー以降に紹介予定)とあわせて観光コースに組み入れられているため、訪問当日も多くの観光客が訪れていました。国家指定登録文化財である大雄殿に加え、その内部には宝物(日本の重要文化財に相当)第1718号の「群山東国寺塑造釈迦如来三尊像および腹蔵遺物(군산 동국사 소조석가여래삼존상 및 복장유물)」が安置されています(信徒以外の観覧の可否は不明です)

東国寺へのアクセスは、Korail「群山」駅からであれば徒歩約5分(約360m)の「アンジョンマウル(群山駅)(안정마을(군산역입구))」バス停から<71>番市内バスに乗車、約33分で到着する「明山サゴリ・東国寺(명산사거리.동국사)」バス停から徒歩約4分(約250m)タクシーであれば約13分、6,200ウォン(約620円)前後で到達できるようです。
また「群山高速バスターミナル」または「群山市外バスターミナル」(隣接しています)からであれば、徒歩約4分(約230m)の「パルマ広場・ターミナル(팔마광장.터미널)」バス停から<21><22><23><24><25><27><28><31><32><33><36><37><52><53><54><61><62><63><64><65><66><81>番市内バスのいずれかに乗車、<52><53><54>ならば約7分(その他は約12分)で到着する「明山サゴリ・東国寺(명산사거리.동국사)」バス停から徒歩約4分(約250m)。タクシーであれば約7分、3,000ウォン(約300円)前後で到達できるようです。
以上のいずれも2019年1月現在、所要時間と料金は交通条件によって異なります。

日本による収奪の現場である群山に建立された在留日本人のための日本式寺院建築、そしてその境内に建つ、植民地支配と侵略、戦争犯罪を記憶し継承するための2つのモニュメント。願わくば群山を訪れるすべての日本人が訪問し、戦後責任と向き合っていただきたい場所です。

東国寺(동국사:全羅北道 群山市 東国寺キル 16 (錦光洞 135-1)。大雄殿は国家指定登録文化財第64号)  [HP]

  

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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