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順天の旅[201908_02] - 曹渓山登山の旅①韓国三宝寺刹のひとつに数えられる山寺「松広寺」の伽藍を歩く

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅、明けて2日目・2019年8月30日(金)の朝です。

 

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順天最大の在来市場、アレッチャン近くのホテルを午前5時40分頃に出発。この日は長距離を歩く予定があるので、いつもの旅よりもずいぶん早く行動を開始します。

 

全羅南道順天市全図
この日の予定は、順天を代表する2大古刹「松広寺(송광사:ソングァンサ)」と「仙岩寺(선암사:ソナムサ)」の徒歩による訪問。それも単に訪問するだけでなく、両古刹を懐に抱く山「曹渓山」(조계산:チョゲサン、884mまたは887m)の頂上を経由するというものです。総延長約13km、しかもその途中には山越えを含む長い徒歩の行程。なかなか過酷ですが、どうしてもチャレンジしたいものでした。このためにバックパックなどの装備を調達、しっかりと準備したうえで臨みます。

 

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アレッチャンのバス停を午前5時50分台に出る市内バス(路線バス)<111>番に乗って、約1時間15分で終点の松広寺駐車場に到着。

 

松広寺広域図

松広寺伽藍図
松広寺は韓国最大の仏教宗派でもある禅宗大韓仏教曹渓宗(チョゲジョン)に属する山寺です。それ自体が史跡第506号に指定されているほか、曹渓山や仙岩寺とあわせて名勝第65号「曹渓山松広寺・仙岩寺一円」にも指定されています。また松広寺はその長い歴史からもたらされた文化財の宝庫でもあり、その施設および収蔵物には国宝4点、宝物27点などが含まれます。
松広寺の歴史は、新羅末に慧璘大師(ヘリンデサ)が建てた小さな庵、吉祥寺(キルサンサ)がその起源とされ、高麗時代の12世紀末に普照国師(ポジョククサ)知訥(チヌル)が大規模な寺院に発展させ、あわせて寺名を修禅社(スセンサ)に改称したと記録されています。その後松広寺に改称された時期は不明ですが、「松広」の名は当時の曹渓山の呼び名であった「松広山」に由来するとされています。
16世紀末の豊臣秀吉による2度の朝鮮侵略壬辰倭乱文禄の役)と丁酉再乱(慶長の役)のとき大部分が焼失、僧侶たちも他の寺に移ったため一時期は廃寺同然となりましたが17世紀に入って再興、その後1842年の大火ではほとんどの建物を焼失しつつも20世紀前半までに再建を繰り返し、光復(日本の敗戦による解放)時点では80棟あまりもの大寺院となりました。しかし朝鮮戦争中の1951年には戦火によりその多くが焼失、現在はその後再建された殿閣を含め50棟あまりからなる現在の姿をなしています。
高麗時代から朝鮮時代初期にかけて、普照国師を筆頭に16人もの国師(ククサ。新羅から朝鮮時代初期にかけて国が僧に授けた最高の位階)を輩出したことから僧宝寺刹とも呼ばれ、慶尚南道キョンサンナムド)梁山(ヤンサン)市の通度寺(통도사:トンドサ。仏宝寺刹)、慶尚南道陜川(ハプチョン)郡の海印寺(해인사:へインサ。法宝寺刹)とともに韓国の三宝寺刹をなしています。

 

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松広寺の駐車場近くには数件の飲食店が門前町をなしています。建物も立派な造りですね。さすがに午前7時台はまだ営業していませんでした。 

 

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飲食店近くには年季の入った門の旅館も。

 

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静かな朝の参道沿いには清流が流れます。

 

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こちらの門はチケット売り場を兼ねており、3,000ウォン(約270円:2019年8月現在。以下同じ)を支払って中に入ります。

 

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山深い松広寺の参道にも陽が射してきました。

 

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駐車場から20分あまり歩いて、最初に姿を現したのは「松広寺聖宝博物館(ソンボ・パンムルグァン)」。立派な建物です。その名の通り松広寺が収蔵する「聖宝」、すなわち古くから伝わる仏教関連文化財の数々を展示していると聞きます。
観覧したいところですが、開館時刻の午前9時まではまた少し時間がありますし、今後のスケジュールを考慮すると残念ですが立ち寄る時間はありません。次回訪問に預けたいと思います。

 

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さらに奥へ進むと、「下馬碑(ハマビ)」と書かれた石碑が。
これは朝鮮時代初期の1413年、当時の王であった太宗(태종:テジョン、1367-1422。在位1400-1418)の命によリソウルの宗廟(チョンミョ)などの門の前に置かれたものが最初とされ、「大小人員皆下馬」と記されている場合もあります。その文字にある通り、この碑のあるところでは王を含むあらゆる身分の人間が馬から下り、そこから先は自分の足で歩かねばなりません。
ここ松広寺の碑の手前にある解説文の下には「下馬碑の先は用務外の車両通行を禁止」とあります。現代では下馬碑ならぬ下車碑となっているわけですね。

 

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さらに奥へ進むと、写真の門が見えてまいります。
こちらは「一柱門(イルジュムン)」といい、寺院の正門にあたります。4本以上の柱に支えられた一般的な楼門とは異なり、横一列に立った2本の柱でのみ支えられているためこの名がついたといいます。というか屋根と柱のバランスがおかしい。よくもまあ自立できるものだと感心します。この後に訪れた仙岩寺もそうでしたが、こうした一柱門には寺院の名称やその立地(山名)が記された扁額が掲げられていることが一般的です。ここからはいよいよ松広寺の境内に入ります。

 

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一柱門を抜けてすぐ目の前に現れるのは「羽化閣(ウファガク)」。
境内を流れる小川に架けられた石橋「三清橋(サムチョンギョ)」の上に築かれた建物で、三清橋ともども全羅南道有形文化財第59号に指定されています。三清橋は1707年、羽化閣は1774年築。

 

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羽化閣の欄干は腰を掛けるのにちょうどよい高さとなっていますが、礼儀に反するかもしれないので座るのは遠慮しておきます。見下ろした清流が涼やかです。

 

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羽化閣を渡ってすぐの「天王門(チョンワンムン)」という2つめの門を入るといきなり、ものすごい形相の巨大な像が現れます。予備知識がなかったので正直かなりビビリました。

 

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これらは高麗時代に土で造られ、その後朝鮮時代の17世紀に補修された塑造の四天王像で、門の内側に通路を挟んで4体が置かれています。南方増長天(写真1枚目左)、西方広目天(写真1枚目右)、北方毘沙門天(写真2枚目左)、東方持国天(写真2枚目右)の4体により構成され、「順天松広寺塑造四天王像」として宝物(日本の重要文化財に相当)第1467号に指定されています。

 

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天王門を過ぎると、日本の寺院の本堂に相当する「大雄宝殿(テウンボジョン)」を含む広場が。大雄殿に向かって左側の「僧宝殿(ソンボジョン)」、右側の「地蔵殿(チジャンジョン)」が広場を取り囲むように建っています。

 

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大雄宝殿の栱包(공포:コンポ。ひさしの重さを支えるため柱頭に組み並べる木片)。韓国の寺院建築の栱包はただでさえ複雑で幾何学的なものが多いですが、こちらは2つの栱包が隣り合っているためより複雑な構成となっています。1988年に再建されたものとはいえ、こうしたものが造れることにただただ感心するばかりです。

 

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地蔵殿の少し手前(西側)には比較的小さめの木造建築2つが並んで建ち、いずれも宝物に指定されています。写真1枚目右側と2枚目が17世紀頃築の薬師殿(ヤクサジョン、宝物第302号)、1枚目左側と3枚目が1639年築の霊山殿(ヨンサンジョン、宝物第303号)。いずれも内部には仏像が安置されており、教徒の方が拝礼をされていました。

  

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大雄宝殿の隣にある凝香閣(ウンヒャンガク)の裏には写真1枚目の石段があり、これを登った先には全羅南道有形文化財第256号の「順天松広寺普照国師甘露塔」(写真2枚目右)があります。高麗時代の1213年建立。普照国師とは前述したように12世紀末に松広寺を発展させた普照国師知訥のことです。

 

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この甘露塔のある高台に登ると、松広寺の全体が一望できます。手前には下舎堂(ハサダン、宝物第263号。写真2枚目)の姿も。屋根上にある屋根付きの換気口は寮舎(僧たちが寄宿する建物)の特徴だそうです。

 

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左に目をやると、全羅南道有形文化財第254号の応真堂(ウンジンダン。奥に屋根と妻面だけ見えている建物。1623年築)があります。

 

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地上から見た下舎堂。現在も寮舎として使用されているようで、内部は関係者以外立入禁止です。

 

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大雄宝殿の裏手の奥、高台になっている場所に建つ国師殿(ククサジョン)。高麗時代末期の1369年築。かつて松広寺が輩出した16国師の真影(肖像画)を祀りその徳を称えるために建てられたもので、「順天松広寺国師殿」として国宝第56号に指定されています。文化財の宝庫というべき松広寺でも建物(不動産)の国宝はこちらが唯一。ただし国師殿は関係者以外立入禁止のエリアに含まれるため、こうして遠目に見るのがやっとであり、間近で目にすることはできませんでした。
国師殿の向こう(南側)には全羅南道有形文化財第97号に指定されている真影堂(チニョンダン)、またの名を楓岩影閣(プンアミョンガク)がありますが、同じく立入禁止エリアとなっているうえ、国師殿の影となっているためその姿はほとんど見えませんでした(奥の妻面だけ見えている建物がそれ)。

 

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先ほど紹介した霊山殿のすぐ隣にて撮影。正面の大きな建物は海清堂(ヘチョンダン)。この海清堂を含むここから先(南側。写真左端の通路)は関係者以外立入禁止エリアとなっており、この一帯に国師殿や真影堂(楓岩影堂)も含まれます。

 

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松広寺の厠間(측간:チュッカン)。要するにトイレです。韓国では一般に寺院のトイレを「解憂所」(해우소:ヘウソ)と呼びます。なんという美しい文字列なのでしょう。こちらは水洗でない旧式のトイレ、しかも便器はなく床に穴が開いているだけというものです(写真はこちら)。私が見た限り松広寺にはこの1か所しかトイレがありませんでした。

 

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松広寺(ソングァンサ)の入場時間は夏期が午前6時~午後7時、冬期が午前7時~午後6時。入場料は成人3,000ウォン(約270円)、学生2,000ウォン(約180円)。また内部にある「聖宝博物館」の入場時間は午前9時~午後6時(冬期は午後5時まで)、ただし午前11時~正午は昼休み。閉館30分前に入場締め切り。毎週月曜日と旧正月・秋夕の連休は休館、入館料無料(松広寺と共通)。
Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<111>番に乗車、約1時間20分で到着する終点「松広寺(송광사)」で下車、一柱門までは徒歩約19分(約1.2km)。順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<111>番に乗車(約1時間15分)、以下同じ。このように順天の市街地からはかなり遠く、また市内バス<111>番もー日21便(40分~1時間おきに1便程度)しかないので、ある程度時間に余裕を持ったご訪問をおすすめいたします。市内バス<111>番の時刻表はこちら(韓国語「ナムウィキ」へのリンク。「4.2. 시간표の[시간표 펼치기・접기]の箇所をクリックすると時刻表の画像が開きます)

松広寺(송광사:全羅南道 順天市 松光面 松光寺アンキル 100 (新坪里 12)) [HP]

 

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こうして松広寺の伽藍めぐりに夢中になっていたら、時刻はもう9時20分。今後のスケジュールを考慮すると、そろそろ登山道に入らなければなりません。羽化閣がまたぐ川べりに建つ獅子楼(サジャルー)を左に見つつ、松広寺を出発します。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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