かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

順天の旅[201908_04] - 曹渓山登山③文化財のトイレもあるユネスコ世界文化遺産「仙岩寺」の伽藍を歩く

前々回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の2日目、2019年8月30日(金)です。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930225714j:plain
この日の午前9時過ぎに「松広寺」(송광사:ソングァンサ)を発ち、曹渓山(조계산:チョゲサン、884mまたは887m)の最高点・将軍峰(장군봉:チャングンボン)を経由する登山も、7時間半を経てようやく最終目的地の「仙岩寺」(선암사:ソナムサ)に到着しました。
門前の売店「先覚堂(ソンガクタン)」から短い坂道を登ると、仙岩寺の正門であり、全羅南道有形文化財第96号にも指定されている「一柱門」(일주문:イルジュムン)が現れます。松広寺のエントリーでも書きましたが、4本以上の柱に支えられた一般的な楼門とは異なり、横一列に立った2本の柱でのみ支えられているため「一柱門」の名がついたといいます。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930225726j:plain
この日の朝に立ち寄った松広寺のそれにも寺名や山名を示す扁額がありましたが、こちらのものは松広寺とは異なり宗門の記載はなく、ただシンプルに「曹渓山仙巌寺」とだけあります。改行の仕方を含めインパクトのある扁額です。 

 

仙岩寺伽藍図
仙岩寺は韓国に27ある仏教宗派のひとつ、韓国仏教太古宗(テゴジョン)に属し、ソウルの奉元寺(ポンウォンサ)とともに同宗の総本山となっています。
その名の由来には諸説あり、一説には遠い昔、神仙たちが曹渓山山頂近くの「ペバウィ」(배바위:「船の岩」の意。こちらのエントリーにて紹介)の上で囲碁を打っていたという伝説にちなんでその名がついたとされています。
仙岩寺はその創建についてもまた諸説があります。三国時代の529年に高句麗(コグリョ)の僧の阿道(アド)和尚(ファサン)が海川寺(へチョンサ)として創建したという説がありますがこれは疑問視されており、新羅時代末期の875年に道詵(トソン)国師(ククサ)が創建したのが始まりだというのが有力なようです。その後、高麗時代前期の1088年に大覚(テガク)国師義天(ウィチョン)が重創(再建)したとされています。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930231338j:plain
1597年の丁酉再乱(慶長の役豊臣秀吉による2度目の朝鮮侵略)では大半の建物が焼失。その後17世紀半ばに再建の動きがありつつも再び大火に遭い一時は廃寺同然となりますが、同世紀末には護岩(ホアム)大師(テサ)が複数の殿閣を建てて再建。仙岩寺、いや順天市のランドマークというべき宝物第400号の石造アーチ橋「昇仙橋」(승선교:スンソンギョ。写真)もこのとき護岩大師によって築造されています。しかしその後また大火に遭ったことで再び廃寺状態となってしまいます。
このように仙岩寺が度重なる火災に見舞われるのは風水的見地による曹渓山の山強水弱の地勢のためだとして、1761年には曹渓山が清凉山(チョンニャンサン)、仙岩寺が海泉寺(へチョンサ)とそれぞれ水を連想させる名前に変えられたこともあります。それでも1823年にはまたもや大火に遭い、その後再建がなった時点で再び元の名前に戻されています。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230918j:plain
こうした歴史ある寺院であることから仙岩寺はそれ自体が史跡第507号に指定されているほか、曹渓山や松広寺とあわせて名勝第65号「曹渓山松広寺・仙岩寺一円」にも指定されています。さらに昨年(2018年)には「山寺、韓国の山地僧院」を構成する8つの寺院のひとつとしてユネスコ世界文化遺産にも登載されました。

 

f:id:gashin_shoutan:20191021231225j:plain
仙岩寺には松広寺のような国宝こそなく、文化財に指定された物件の総数も松広寺よりは少ないですが、それでも敷地内には宝物14点に全羅南道の各種文化財有形文化財・記念物・文化財資料)計11点、天然記念物1点などを擁し、うち建物や石塔など不動産の数では松広寺のそれを上回ります。また後述するように仙岩寺は韓国有数の梅の名所でもあり、加えて僧侶たちが栽培・収穫するお茶も名物として知られています。
余談ですが、順天市や隣接する全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ)などを舞台とする、本ブログでも度々紹介してきた韓国の大河小説『太白山脈』(태백산맥:テベクサンメク)の著者、趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏がまさにここ仙岩寺の出身です(父が仙岩寺の僧侶)。
こうした理由に加え、前述した昇仙橋、そして韓国でも極めて珍しいある特殊な文化財(後述します)の存在もあって、私にとっては以前からどうしても訪れたい存在でした。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930225811j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930225943j:plain
話を戻して、一柱門を抜けて通り仙岩寺の境内に入ります。
売店もある「梵鐘楼(ポムジョンヌー)」の下を通り抜け、目の前にある「万歳楼(マンセルー)」という建物の脇を通り抜けると、仙岩寺の本堂であり宝物第1311号に指定されている1824年築の「大雄殿」(대웅전:テウンジョン)が現れます。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930225822j:plain

f:id:gashin_shoutan:20191021231534j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930225929j:plain
大雄殿前の広場には、こちらも宝物第395号に指定されている、9世紀頃(統一新羅時代)建立の「仙岩寺東塔・西塔」の2基の石塔が建っています。広場は松広寺のそれよりも狭いですが、歴史ある大雄殿と2基の石塔が風景を引き締めています。

  

f:id:gashin_shoutan:20190930230031j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930230041j:plain
八相殿(팔상전:パルサンジョン。全羅南道有形文化財第60号)。釈迦如来の生涯を8つの場面に分けて描いた「八相図(パルサンド)」を祀っている法堂です。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230118j:plain
仏祖殿(불조전:プルジョジョン。全羅南道有形文化財第295号)。仏祖殿とは、一般的にはその寺院を建てた僧侶や歴代の僧侶などの肖像画を祀るところですが、仙岩寺の場合は過去の7体と未来の53体の計60体の仏像を祀っているそうです。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230154j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930230202j:plain
円通殿(원통전:ウォントンジョン。全羅南道有形文化財第169号)。初代の建物は1660年に建てられ、その後護岩大師によって1698年に建て直されましたが1759年の火災で焼失しており、現在の建物は1824年に再建されたものです。護岩大師の命を救ったという伝説のある観音菩薩が祀られています。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230232j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930230258j:plain
仙岩寺の境内にあるこちらの木は、天然記念物第488号に指定されている「仙岩梅」(선암매:ソナンメ)であり、推定樹齢はなんと650年にもなるそうです。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230248j:plain
この「仙岩梅」のほかにも仙岩寺には、若いものでも樹齢300年以上という梅の木が無憂殿(무우전:ムウジョン。写真右側の建物)沿いに30本ほど植えられており、毎年3月頃になると満開になるというその姿は、それはもう美しいことこの上ないといいます。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230309j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930230327j:plain
梅の並木道をさらに奥へ進むと、「覚皇殿」(각황전:カッカンジョン。全羅南道文化財資料第177号)があります。現建物は韓国文化財庁のページでは1760年築となっている一方、仙岩寺のHPではその後1823年に焼失し1835年に再建されたとなっています。覚皇殿は無憂殿ともども関係者以外立入禁止エリアにありますが、無憂殿の裏手に回るとこうして全体像を見ることができます。

 

f:id:gashin_shoutan:20191021224934j:plain
松広寺と同じく、仙岩寺にもまた仏教関連の文化財の数々を展示した「聖宝博物館(ソンボ・パンムルグァン)」があります。ただし訪問当日は工事中とのことで観覧はできませんでした。

さて、前述したように仙岩寺にはどうしても訪問したかった物件が2つありました。
ひとつは石造アーチ橋の「昇仙橋」で、これは境内の外、少し離れた場所にあるため帰りがけに寄ることにします(次回エントリーにて紹介予定)。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230417j:plain
そしてもうひとつが、写真の建物「順天仙岩寺厠間」。
「厠間」(측간:チュッカン)とはトイレのことで、それらの中でも寺院のものは特に「解憂所」(해우소:へウソ)と呼びます。憂いを解く所と書いて解憂所。すてきな名前だなと思います。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230443j:plain
さてこちらの厠間、なんと現役のトイレ建物そのものが文化財全羅南道文化財資料第214号)に指定されているという韓国でも稀有の物件です。単体で文化財指定されているトイレは、韓国ではこちら仙岩寺の厠間と、江原道(カンウォンド)寧越(ヨンウォル)郡の「報徳寺」(보덕사:ポドクサ)の解憂所の2件だけしかありません。
はっきりした築年は不明ですが、遅くとも1920年頃には存在したという歴史ある仙岩寺の厠間、どうしてもこの目で見てみたかったのです。

 

f:id:gashin_shoutan:20191021225216j:plain
厠間の建物は木造で、平面は丁字型をしています。これは韓国の解憂所の伝統様式で、この日の朝に訪問した松広寺の解憂所も同じ形態をしていました。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230434j:plain
厠間の出入口の上、特徴的な風板の下には「뒷간(ティッカン)」と右から書かれた木の札が掲げられています。뒷간とは直訳すると「後ろの所」の意味で、「便所」を婉曲的に表現した単語です。ここでは何故か「뒷(ティッ)」のパッチム(ハングルの下部につく子音字母)である「ㅅ」(サイシオッ)が、続く「간(カン)」の左上にくっついています。ある方にご教示いただいたところこれは誤りではなく、かつての文法に従った表記だとのことです。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230748j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930230453j:plain
厠間の内部。向かって左側が男子用、右側が女子用となっています。松広寺にはあった男子用の小便器はこちらにはありません。

 

f:id:gashin_shoutan:20191021225534j:plain
男子トイレの内部は写真のように低い仕切りだけで扉すらなく、したがって入っている人がいれば頭が見えることになります。現在は扉付きの個室になっている松広寺の解憂所も、1993年に改装されるまではこうした形態だったそうです。
当然ながら水洗ではなく、木の床には四角い穴だけが空いており、穴の周辺にはおがくずらしきものが盛られています(写真はこちら)。穴の数メートル下には落ち葉が積まれており、出されたものはその中に落ちて自然分解されることになります。かつてはこれを畑の堆肥として用いていたようですが現在は衛生上そうもゆかず、廃棄物として処理されているそうです。

 

f:id:gashin_shoutan:20191021225733j:plain
ちなみに、松広寺にはなかった現代的な水洗トイレも厠間のすぐ裏手に建っています(写真奥)。しゃがむ姿勢が辛い、あるいは高いところや「穴」そのものが苦手という方はこちらを利用するとよいでしょう。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230816j:plain
裏側から見た仙岩寺厠間。実はトイレの空間があるのは2階で、建物自体はずっと低い土地に建っており、その地上部分にも扉があります。落ち葉が積まれたスペースはこの奥にあり、その中で自然分解され堆肥化したもの(現在は廃棄物)をここから取り出すようです。こうした規模の大きさ、また仙岩寺の参拝者がとても多かったことなどから「信徒が仙岩寺で用を足すとソウルに帰り着く頃やっと落ちる音がする」という冗談もあるほどです。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230821j:plain
写真は、仙岩寺厠間の手水鉢です。
韓国の著名な詩人、鄭浩承(정호승:チョン・ホスン、1950-)氏の作品に「涙が出るなら汽車に乗って仙岩寺へ行きなさい 仙岩寺の解憂所へ行って思い切り泣きなさい」で始まる詩『仙岩寺』があります。
氏はあるとき仙岩寺厠間を訪れ、その壁にあった言葉「大小便を体の外に捨てるように煩悩と妄想も未練なく捨てましょう」に感激してこの作品を生んだといいます。
私は今回、仙岩寺の厠間を訪問こそすれど「利用」はしませんでした。だからかどうかは分かりませんが、この文を書いている今日もなお煩悩や妄想は人一倍残っているように思います。次回訪問のときこそは、煩悩や妄想をその一部でも未練なしに捨て去ることはできるでしょうか。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930231524j:plain
仙岩寺(ソナムサ)の入場時間は夏期が午前6時~午後7時、冬期が午前7時~午後6時。入場料は成人2,000ウォン(約180円)、学生1,500ウォン(約140円)。また内部にある「聖宝博物館」の入場時間は午前9時~午後6時(冬期は午後5時まで)、ただし午前11時~正午は昼休み。閉館30分前に入場締め切り。毎週月曜日と旧正月・秋夕の連休は休館、入館料無料(仙岩寺と共通)。
Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<1>番に乗車、約1時間06分で到着する終点「仙岩寺(선암사)」で下車、券売所や昇仙橋を経て一柱門までは徒歩約26分(約1.7km)順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<1>番に乗車(約1時間04分)、以下同じ。このように順天の市街地から結構遠く、しかもバス停からもかなり歩かされるため、ある程度時間に余裕を持ったご訪問をおすすめいたします。写真は「仙岩寺」バス停にあった時刻表。「순천시출발(順天市出発)」とある左側の列は<1>番バスの始発「海龍大安(해룡대안)」バス停の時刻ですので、「順天駅」バス停の到着はこの10分程度後になるようです。

仙岩寺(선암사:全羅南道 順天市 昇州邑 仙岩寺キル 450 (竹鶴里 802)) [HP]

 

f:id:gashin_shoutan:20190930230959j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930231024j:plain
伽藍を巡っていると、いつの間にか時計は午後6時近くに。テンプルステイの利用者と思しき僧衣姿の人々がスマホを手に、訪問時に通ってきた梵鐘楼の周辺に集まっています。そして午後6時。僧侶の方が梵鐘楼に登るや、「法鼓(ポッコ)」と呼ばれる巨大な太鼓をリズミカルに、かつ威勢よく叩きます。集まっていたのはこれを動画撮影するためだったようです。あまりにも小気味よいリズムであったため聞き惚れてしまい、動画に撮るのを失念してしまいました。

 

f:id:gashin_shoutan:20190930231149j:plain

f:id:gashin_shoutan:20190930231207j:plain
次に「雲板(ウンパン)」という雲の形をした鉄の板、続いて「木鐸(モクタク)」と呼ばれる魚の形をした木魚(魚の内臓にあたる場所を内側から叩く)、そして梵鐘の順に奏でられます。法鼓と梵鐘がある梵鐘楼の近くには、もっと大きな梵鐘が吊り下がった梵鐘閣(ポムジョンガク:写真)があり、後半にはこの梵鐘が打ち鳴らされます。夕暮れの曹渓山一帯に鳴り響く梵鐘、かなりの迫力です。最後に梵鐘楼の梵鐘が鳴らされて、一連の儀式が終了します。

 

以上のうち、前半の法鼓以外については動画に収めてきました。 


仙岩寺、四物による夕方の儀式(全羅南道順天市)

 

f:id:gashin_shoutan:20190930231233j:plain
これらは毎朝と毎夕に執り行なわれている儀式だそうで、用いられる法鼓・雲板・木鐸(木魚)・梵鐘を総称して「四物(サムル)」というそうです。仙岩寺訪問を計画されている方は、この時間を狙って訪問されることをおすすめいたします。

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

(c) 2016-2021 ぽこぽこ( @gashin_shoutan )本ブログの無断転載を禁止します。