前回のエントリーの続きです。
本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の2日目、2019年8月30日(金)です。
この日の午前9時過ぎに「松広寺」(송광사:ソングァンサ)を発ち、曹渓山(조계산:チョゲサン、884mまたは887m)の最高点・将軍峰(장군봉:チャングンボン)を経由する登山も、7時間半を経てようやく最終目的地の「仙岩寺」(선암사:ソナムサ)に到着。しかし、この日の行程はまだまだ終わりではありません。
山中の日没は早く、すでに日が落ちた仙岩寺を後にします。
先ほど訪れ、この時間にはすでに閉店していた先覚堂(ソンガクタン。売店)の前を再び通過。
この先覚堂の前には、長い楕円形をした中に島がひとつ浮かぶ小さな池があり、「三印塘」(산인당:サミンダン)と呼ばれています。
三印とは「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三法印を意味し、仏教の中心思想を塘(池)の形で具現したもので、他の場所では見られないものだそうです。新羅時代の862年に道詵国師が造ったものが原形とも言われていますが、もっと新しいという説もあります。全羅南道記念物第46号。
さらに進むと、仙岩寺でどうしても見たかったもうひとつの物件が現れます。
そう、前回エントリーでも少しだけ言及した、仙岩寺川にかかる宝物第400号の石造アーチ橋「昇仙橋」(승선교:スンソンギョ)。全長約14m、高さ約7m、幅約3.5mと立派な石橋です。
昇仙橋の特徴といえば、何と言ってもその形が虹のようだとして虹霓(ホンイェ、こうげい)と呼ばれる見事なアーチ。沢から見上げたその形があまりにも美しく、順天の観光関連コンテンツでは頻繁に目にします。順天市のランドマークと言っても過言ではない存在です。
昇仙橋は朝鮮時代後期の1713年、一時は廃寺同然となった仙岩寺を再建した護岩(ホアム)大師(テサ)によって築造されました。
昇仙橋には、その建設にまつわるひとつの伝説があります。昇仙橋落成の十数年前、護岩大師はどうしても観音菩薩に会いたいと願い、そのために百日祈祷を捧げましたが願いがかなうことはありませんでした。護岩大師が落胆のあまり崖の上から身を投げたところ、突然現れた女性に命を救われます。すぐに姿を消したその女性こそが顕現した観音菩薩であると悟った護岩大師は、昇仙橋の境内に観音菩薩を祀る円通殿を建て、参道を分断する川に昇仙橋を架けた、というものです。
現在は文化財保護のためルートが変更されて脇道のようになっていますが、かつて昇仙橋は仙岩寺への参道上にあり、参拝者の誰もが渡る橋でした。
写真は以前にこちらのエントリーでも紹介した、順天市と隣接する全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ)の「虹橋」(홍교:ホンギョ。宝物第304号)です(2017年10月撮影)。巨大な単一アーチの昇仙橋に対し小さめの3連アーチと形態こそ異なるとはいえ同様に美しい虹霓、かつ互いの距離の近さ(現在の道のりで約24km)から類似性も指摘される両者ですが、虹橋は24年後の1737年竣工であり、工法に若干の差異が見られるそうです。
昇仙橋の少し仙岩寺寄りに建つこちらの建物は「降仙楼(カンソンルー)」といい、1929年に建てられたものです。神仙が天に昇る橋が昇仙橋ならば、こちらは神仙が天から降りる楼閣。すてきなネーミングです。その対照的な名称からも分かるように、降仙楼は仙岩寺との調和をなすことを目的に建てられたといい、昇仙橋のアーチ越しに降仙楼が覗き見える風景は一幅の絵画のような美しさを誇ります。「승선교」で画像検索すると大量に出てくるその姿を撮りたかったのですが、この日はすでに日が落ちて久しく、写真で見るよりも辺りは暗くなっており、沢に下りるのは危険でしたので断念しました。再訪した際にはぜひ写真に収めたいと思います。
降仙楼の直下には1939年に造られた写真の小さなセメント橋があります。「仙源橋(ソノンギョ)」と呼ばれるこの橋には竣工年の「昭和十四年」などの銘文が刻まれており、うち年号「昭和」の部分は削られているそうです。日本が35年間の植民地支配でしてきたことを考えると当然の行為でしょう。訪問後に知ったため銘文の写真はありません。
昇仙橋から見て仙岩寺川の下流側、駐車場寄りにも小さめの石造アーチ橋があります。
こちらも小さいとはいえ美しい石橋なのですが、昇仙橋が予想以上に立派すぎるため、こちらが昇仙橋だと間違えそうになるほどです。かつては昇仙橋と同じく、参道上にあったとのことです。
参道沿いにあった浮屠(부도:プト。仏塔の一種)群。
一柱門から20分あまり歩き、ようやくチケット売り場とバス停のある駐車場に到着。この日の朝に訪れた松広寺や、昨年(2018年)8月に訪問した江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市の清平寺(チョンピョンサ)もそうでしたが、韓国の地方のお寺は駐車場や最寄りのバス停から結構歩かされることが多いようです。
松広寺と同じく、仙岩寺の駐車場にもまた門前の食堂街があります(写真)。ただこちらは松広寺のような堂々とした韓屋ではありません。
駐車場を出てさらに市街地方面へ進むと、バス通り沿いに写真のような壁画が描かれたちょっとした壁画マウルがあります。愛嬌のある小坊主さんたちの姿に目尻が下がります。
さらに進み、仙岩寺バス停の次である「槐木」(괴목:ケモク)バス停のあたりには、仙岩寺門前の名物料理である「フギョムソトッカルビ」の店がいくつかあります。
今回選択したのは、バス通りから仙岩寺川を渡った向こうにある写真のお店「郷土ガーデン」。郷土は「ヒャンド」、ガーデンは韓国語で「ガードゥン」と発音します。
こちらのお店は仙岩寺川を見下ろすテラス席がたくさんあり、風情があります。ディナーバイキングもやっているらしく、多くの来客でにぎわっていました。
食事に先立ち炭火が登場。本格派の店であることをうかがわせます。
フギョムソとは「黒ヤギ」、トッカルビとは固めて焼いた粗挽き肉に甘めのタレをまぶして食べる韓国風ハンバーグのことです。トッカルビには、以前にこちらのエントリーで紹介した光州(クァンジュ)広域市の名物「松汀(ソンジョン)トッカルビ」のように牛肉を用いることが一般的ですが、こちらは韓国で滋養強壮に効果があるとされる黒ヤギの肉を用いて供されます。黒ヤギといえば釜山広域市の観光地「金井山城(クムジョンサンソン)」の金井山城マッコリと並ぶ名物「フギョムソプルコギ」が有名ですが、まだ口にしたことはありません。黒ヤギ肉、そしてその肉で作るトッカルビは一体どんな味なのでしょうか。
そしてやって来たフギョムソトッカルビ。いい肉色です。牛肉並みに高価なものですので、量はそこまで多くはありません。これを炭火でじっくり焼いて食べます。
そして焼きあがったトッカルビ。まずはそのままひと口。ヤギ肉特有の香りは想像していたよりも控えめですがしっかりついています。そんなヤギの肉と独自の甘みのある味付けが絶妙なバランスを醸し出します。これ、かなりうんまい。ご飯と一緒に食べると何杯でもいけそうですが、あっという間にトッカルビがなくなりそうですので少しずつ切って食べ進めます。
一緒にやって来たパンチャン(付け合わせのおかず)の数々。種類が多いうえ、他のお店ではあまり見かけない山菜らしきものが多いです。写真2枚目下のひょろっとした植物は、トウキ(当帰。韓国語では「タンギ」)。漢方薬の材料でもよく目にするあれです。韓国の飲食店でこれが出てきたのは初めて。独特の香りがあります。これらをフギョムソトッカルビと一緒にサンチュで包んで食べてもうんまいのです。
こちらのお店の店主らしき女性がとても親切な方で、わざわざトッカルビを焼いてくださるのみならず、どのおかずとトッカルビを一緒にサンチュでくるんで食べるとおいしいかを指南してくださるという。さらにはサービスの追加トッカルビ3個まで登場。下手っぴな韓国語のため来店早々すぐに日本からの訪問者だと見抜かれてしまっても、親切なご対応に終始されていました。できれば再訪して恩義に応えたいところですが、次はいつになるか分からないので、まずは日本で韓国憎悪の言説に抗うことで応えることを誓います。
日本では韓国での日本製品不買運動を歪曲的に取り上げて「いかに韓国人が日本を嫌いか」という自己投影そのものの報道に執心していますが、現実はこの通りです。しかし、日本政府による韓国への敵意むき出しの外交政策、歪曲してまで憎悪を煽る日本のメディア、そして街頭デモや日本語ネット空間にあふれるむき出しのヘイトを言論の自由だと許容してきたのは私たち日本社会の構成員であり、したがって韓国の人々を絶えず裏切ってきたのも私たちです。私はこれらに断固反対の立場とはいえ「自分には関係ない」などと回避する資格はありません。責任はひとえに私たち日本社会の構成員にあります。
締めはすっぱうんまいメシル茶(ホットの梅ジュース)で。梅は順天市の名産品のひとつです。
こちらのお店「郷土ガーデン」の営業時間は正午~午後9時、年中無休。
アクセス手段は前回エントリーで紹介した仙岩寺と同じく<1>番バスを利用し、終点「仙岩寺(선암사)」のひとつ手前の「槐木(괴목)」バス停で下車します。Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<1>番に乗車、約1時間03分で到着する終点「槐木」で下車、橋を渡って徒歩約2分(約160m)。順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<1>番に乗車(約58分)、以下同じ。なお「槐木」バス停は連続して2つあるので注意が必要です(仙岩寺方面行きは2番目の「槐木」で下車)。
郷土ガーデン(향토가든:全羅南道 順天市 昇州邑 昇州槐木2キル 3 (竹鶴里 632-1)) [HP]
お店を出ると辺りはすっかり真っ暗に。事前に調べていた仙岩寺を午後8時05分に発つ<1>番バスに乗って、ホテル最寄りの在来市場「アレッチャン」へ戻ります。前述したように1時間以上かかることになっている距離ですが、夜間でしかも途中まで貸切状態だったためか、わずか40分ほどでアレッチャンに到着。
この日(8月30日)は金曜日。毎週金・土曜の夜限定のアレッチャンの新名物「夜市場(ヤシジャン)」が開催中です。アレッチャンのバス停に到着するやいなや、会場から100mは離れているにもかかわらずステージイベントらしきサウンドが。いてもたってもいられず会場内へ直行します。
アレッチャンの夜市場。規模だけを見るならば、夜市場の元祖である釜山の「富平(プピョン)カントン市場」、あるいは韓国でも最大級の夜市場である大邱(テグ)の「西門(ソムン)市場」ほどではないものの、ステージでは観客を巻き込んだショーイベントが開催されており、他にない独特の盛り上がりがあります。
夜市場会場の屋内広場の天井には、なんと回転するミラーボールまで。これまで韓国でいくつもの夜市場会場を巡ってきましたが、さすがにこれは見たことはありません。
ちなみにこちらの屋内広場、末尾2と7の日の日中に開催されるアレッチャン五日市のメイン会場でもあり、開催当日は農産物などの露店で埋め尽くされます。ミラーボールの下で開催される五日市はたぶん韓国でも唯一でしょう。
夜市場の醍醐味といえば、何と言ってもやはり数多く登場するグルメ屋台。韓国料理はほとんどなく、日本を含む海外の料理、あるいは無国籍料理が主流です。これはアレッチャンのみならず、元祖の富平カントン市場をはじめ韓国の夜市場に総じて見られる傾向で、非日常を演出したいという狙いがあるのかもしれません。
数ある屋台の中から選んだのは写真のお店。こちらの屋台にも日本製品不買運動の意思表示である「No! Japan」の張り紙がありますが、日本人そのものが拒絶されているわけではないので利用します。
こちらの代表メニューは、たっぷりのホワイトソースを乗せたキチョゲ(タイラギ)を殻ごと焼き、その上にトマトっぽいソースをかけたもの。これまた夜市場の醍醐味である、炎を用いた派手なパフォーマンスの後に渡されます。値段は5,000ウォン(約450円:2019年8月現在)とタイラギ入りにしては安いです。
熱々のホワイトソースの中には心地よい弾力のあるタイラギ貝柱に加え、パインになんとナタデココまで。びっくりしましたが、これが意外と合うのです。この発想はなかった。
お酒はカース(CASS)のブランドで知られる韓国のビール大手、OB麦酒の新製品「FiLGOOD(ピルグッ)」。こちらは厳密にはビールではなく日本でいう発泡酒に相当するもので、缶のふちにはローマ字で「HAPPOSHU」とあります。日本の発泡酒へのリスペクトなのかもしれません。
9時を過ぎ、ステージイベントが終わっても盛り上がる来場者、そして屋台。そうした楽しい雰囲気の中にもひとつだけ惜しいのは、こちらのエントリーでも触れたように、会場内に面する常設店舗「61号ミョンテジョン」が臨時休業中であること。再開後の金土には以前のように、うんまいチルルッケティギムや各種ジョン、複数種類のマッコリを味わいつつ夜市場の雰囲気を楽しむことができるでしょう。店主さんの一日も早い快復を祈るばかりです。
アレッチャンの夜市場は毎週金・土曜日の午後6時~午後11時開催。冬期はそれぞれ1時間ずつ繰り上がります。また前述したように末尾2と7の日に開催される五日市は、全羅南道はもとより韓国でも最大級のひとつとされ、それ自体が順天市の観光名所となっています(こちらの五日市の写真に限り2018年12月撮影)。
アレッチャンへのアクセスは、Korail「順天」駅からであれば駅正面の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス(写真のバス停であればどの路線でもOK)に乗って2つ先の「アレッチャン(아랫장)」バス停(所要約3分)で下車、徒歩約4分(約250m)。全行程徒歩でも約17分(約1km)です。順天総合バスターミナルからは徒歩約10分(約600m)。
アレッチャン(아랫장:全羅南道 順天市 昇州邑 長坪路 60 (豊徳洞 1264)) [HP]
こうしてお腹いっぱいになったところでホテルヘ戻り、4万歩超、約20kmの登山道を踏破した両足をなだめつつゆっくりと休むのでした。
それでは、次回のエントリーヘ続きます。