慶尚南道(キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の旅を紹介するエントリーの途中ですが、今回は訳あって特別に、昨年(2020年)2月に訪問した江原道(カンウォンド) 束草(ソクチョ)市の旅を紹介したいと思います。なお、統営の旅は次回以降に引き続き紹介する予定です。
束草市は江原道の北東部、東海(トンへ。日本海)沿いにある人口約8万人の港湾都市です。北緯38度線よりも北にあることから、1945年の光復(日本の敗戦による解放)以降はソ連軍政下となり、1948年の南北両政権樹立より1950年の朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)までは朝鮮民主主義人民共和国に属していました。その後韓国軍と国連軍の勢力下に入り、休戦ラインの確定により正式に韓国領となって現在へと至ります。
戦争中には江原道と北で接する咸鏡道(ハムギョンド)の住民を中心とした「失郷民(シリャンミン)」と呼ばれる避難民が押し寄せ、一部がそのまま束草に定着しました。これら失郷民の中には、いったん釜山などに逃れつつも戦後の帰郷を夢見てわずかでも故郷に近い束草に移動、しかし願いかなわず束草に留まった人々も含まれます。
休戦後、避難民たちの滞在に加え東海上における漁業の盛況などにより束草は着実に人口増を遂げ、1963年には襄陽(ヤンヤン)郡より独立して市制施行、現在に至ります。
市内には国立公園にも指定されている雪岳山(ソラクサン、1,708m)をはじめとする自然景観に加え、咸鏡道からの失郷民たちが集まって形成された「アバイマウル」(アバイとは咸鏡方言で「お年寄り」、マウルは「村、集落」の意)などの観光スポットが点在し、そして東海の海の幸が味わえるとあって、南側の襄陽郡を挟んだ江陵(カンヌン)市とともに江原道北東部の2大観光都市としての地位を確立しています。
写真は、運河で隔てられた束草市街地とアバイマウルを結ぶ人力のイカダ「ケッペ」で、このケッペ自体もまた束草の観光資源のひとつとなっています。
そして私にとっては、今回が初めての束草訪問となります。
2020年2月15日(土)、いつものようにセールでチケットを押さえたジンエアー「LJ202」便で成田空港第1ターミナルを発ち、2時間40分後に仁川国際空港第1ターミナルに到着。しかし、この「いつも」が当面これっきりになるとは……。
この日の時点ですでに、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う海外旅行者の減少の影響が如実に表われていました。成田空港はいつもの40分前後もの離陸渋滞もなく、出発時刻15分後に離陸。また仁川国際空港では、普段から長蛇の列が形成される入国審査ゲートに誰も先客がいないという。この日の時点で中国では自国民の海外旅行を全面禁止しており、主にその影響だと思われます。そのため、どの観光スポットを訪れてもほとんど観光客を見かけないという過去にない旅となりました。
束草行きのバスは仁川国際空港からも出ていますがたまたま接続が悪く、束草には午後8時とかなり遅い時間の到着となるため、今回はソウルを経由することに。まずは空港バス<6020>番に乗り、ソウルの高速ターミナルへ移動。そこから2~30分おきに発車する束草直行の高速バスに乗れば、早ければ午後6時台には束草に到着できる見込みです。
ソウル高速ターミナル。1981年に落成したというこちらの建物、かなり特徴的な三角形をしています。
ソウル高速ターミナルを15時40分に発つ高速バスに乗車。いざ、束草へ。
韓国での中距離バスの旅で秘かに楽しみにしているのが、トイレ休憩のため途中で立ち寄る休憩所(ヒュゲソ:日本でいうサービスエリア)。今回は京畿道(キョンギド)加平(カピョン)郡の「加平休憩所」(写真)に停車。
その後しばらく走っていると、入口付近にやけに派手なイルミネーションのあるトンネルに入ります。こちらのトンネル、韓国の道路トンネルとしては最長の麟蹄襄陽(インジェ・ヤンヤン)トンネルで、全長はなんと10,965mもあるのだとか。私の乗った高速バスはこのトンネルをおよそ6分で駆け抜けて行きました。
そうして約2時間50分後の午後6時半、束草高速バスターミナルに到着。ただし、今回の旅では帰りの便を考慮して同じ束草のバスターミナルでも遠く離れた束草市外バスターミナルの近くに宿を確保したため、ここから市内バスに乗って移動する必要があります。
韓国では高速バスと市外バスは明確に区分されており、たとえば高速バスとは「走行距離が100km以上でその60%以上が高速道路であり、かつ途中(起点や終点の行政区域内などを除く)で乗客の乗降をさせないもの」を指すとされています。
これまで本ブログで紹介してきた地方都市だと、たとえば慶尚南道統営市や全羅南道(チョルラナムド) 順天(スンチョン)市、木浦(モッポ)市などは高速バスと市外バスの両方が発着する単一の「総合」バスターミナルが設けられていますが、一方で束草市や同じ江原道の春川(チュンチョン)市のように両者のバスターミナルが別々になっているケースも多々あります。春川などは隣接しているからまだよいものの、束草の場合だと市内バス利用で最短約24分かかるほど両者が離れているという……。ちなみに、仁川国際空港発のバスに乗車した場合には束草市外バスターミナルに到着することになります。
束草高速バスターミナルの時刻表。
束草高速バスターミナルのコインロッカー。
韓国では地方のバスターミナルや鉄道駅などにコインロッカーが設置されていないことがままあり、コインロッカーの有無で旅程を左右されるケースも珍しくありません。私の後に韓国の地方旅をされる方のために、本ブログではこうした韓国の地方都市のバスターミナルや駅のコインロッカー情報を積極的に配信してまいります。
今回の宿は「Airbnb」で探した民泊。韓国ではよく見られるオフィステル(キッチンやトイレ、バスなど基本的な生活設備を備えつつも事業所としての使用を前提として造られた部屋)を宿泊施設に転用したものです。しかもオンドル(床暖房)付き。こうした部屋は値段の割に広く、写真のように大きな冷蔵庫に加え洗濯機もあることから中長期滞在に適しているという特長があります(まあ私は2泊だけですが)。
民泊のある建物の1階にあったトイレ。「オジンオスンデ」など東海産のイカを用いた名物料理で知られる束草らしく、男女の表示にもまさかのイカさんが。
こうして宿に荷物を降ろし、いよいよ今回の旅最初の目的地である夕食のお店へ。
束草の繁華街から離れた住宅街の片隅に、その店はひっそりと看板を掲げています。
そのお店の名は「番地オンヌン酒幕」(번지없는 주막:ポンジオンヌン・ジュマク)。日本語だと「番地のない居酒屋」くらいの意味になるこちらのお店は、韓国で「テポチッ(대포집)」あるいは「テポッチッ(대폿집)」と呼ばれる往年の大衆酒場の雰囲気を残した飲食店です。「復興鉄物(プフン・チョルムル)」という金物屋さんの敷地の奥に店を構えているため、看板がないと一見してそれとは全く分かりません。
一見入りづらいたたずまいですが、意を決して店内へ。
こちらのお店は年配の男性のご主人が一人で経営されているもので、後述するように自家製マッコリで名高いお店です。ただ、店内はお店というよりも会社の事務所を店舗にしたような様子で、壁面のメニュー表だけがここが飲食店であることを主張しているかのようです。写真1枚目の椅子はご主人の定位置。
来客用のテーブルは、応接用のようなガラステーブルひとつしかありません。しかも椅子も学校の生徒用みたいなもの。ですがこういう雰囲気が個人的にはたまらないのです。
こちらのお店は鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの名著『マッコルリの旅』(東洋経済新報社刊、2007年)でも紹介されており、私もまたそれがきっかけで知ったという次第です(お店はその後移転)。写真はこちらのお店にあった『マッコルリの旅』の該当ページ。そのためこちらのお店には日本人が断続的に訪れているそうで、私の6日前に来店したという日本人グループが残したメッセージカードを喜ばしげに見せてくださいました。
こちらのお店の名物は、なんといってもご主人が自ら醸した自家製マッコリ。かつて醸造場に勤務したことがあり、その際に覚えたという手造りマッコリはやかんに注がれて出されます。
手造りマッコリと基本アンジュ(おつまみ)。ご主人は足が不自由なため、盛り付けられたところを私自身でテーブルに運びます。
そしてマッコリをひと口。ああ。コクがあって猛烈にうんまい。長旅で疲れた体の芯から隅々まであっという間に行き渡ります。
基本アンジュにあったパンチャン(おかず)の数々。どれもマッコリに合うやつばかり。うんまかったです。
ご主人はとても親切な方で、足が不自由にもかかわらず料理をおいしいと伝えると、おかわりや新しいおかずを自ら出そうとされます。写真はその中のひとつ、サツマイモや黒豆などを炊き込んだご飯。うんまい。まさかご飯がマッコリのおつまみになる日が来るとは。
この味、そしてご主人の人柄こそが、こちらのお店が愛される理由に違いありません。
昨年の夏頃、韓国の方によるものと思しき同店の訪問動画がYouTubeにアップされました。ご主人のお元気そうなお姿に加え、なんとこの日私が残してきたメッセージカードが、直前に訪問した方のものとあわせて店内の壁に貼られていたという。目頭が熱くなるのを感じました。
今回、あえて束草の旅のエントリーを投下したのは、つい先日にある韓国の方のブログで、「番地オンヌン酒幕」のご主人が今年の旧正月(2月)に亡くなったという記述を目にしたからです。その方は韓国国内の酒場を数多く訪問されている方で、こちらのお店は年1回以上訪問されており、互いに連絡先を交換している関係であったそうです。その方がご主人に電話したところ過去にない電源オフというアナウンスが流れ、不吉な予感がして隣接する金物屋さんに電話したところ、ご主人の訃告を知ったとのこと。
足が不自由であったことを除けば一見してお元気そうだったご主人。初めて訪れた私を歓待してくださり、一緒に写真に収まってくださったご主人。そして私が去った後も、メッセージカードを壁に掲示してくださったご主人。コロナ禍が明けたら必ず最初の旅で再訪しようと誓っていたお店。やるせない思いが胸を去来します。
ご主人。あの日の歓待、楽しいひとときは残る一生涯忘れないつもりです。本当にありがとうございました。いつか私がそちらへ行ったときには、どうかまたうんまい手造りマッコリを飲ませてください。
次回エントリーはまた統営の旅に戻りますが、このときの束草の旅の続きもいずれ必ず紹介します。気長にお待ちいただけますと幸いです。