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仁川の旅[201910_01] - 仁川・富平、戦時中の朝鮮人強制徴用を記憶する「サムヌンマウル」の「三菱チュル社宅」

今回は、本エントリー公開日のちょうど2年前、2019年10月31日(木)に訪問した仁川広域市の旅をお届けいたします。
今回の仁川訪問は、この日から予定していたフランスの旅に先立ち、仁川国際空港での約9時間のトランジットの合間を利用したものです。もっと短い時間設定も可能でしたが、せっかく仁川国際空港を経由するのならばいったん韓国に入国し、少しだけでも韓旅を味わいたかったのというのが理由です。加えて仁川市内にはかねてからどうしても訪問したかった場所があり、今回はその念願を達成することとした次第です。

 

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まずは、午前2時に羽田空港を発つ大韓航空のKL720便に搭乗。ほぼ同じ時間帯に同じ区間を飛ぶピーチの深夜便は何度も利用したことがあるものの、こちらの利用は初めてです。
それにしても、離陸して少し後のウトウトしていた中、まさか深夜にもかかわらず機内食が配られるのにはびっくりしましたLCCのピーチでは当然に出ないので)。さすがはレガシーキャリア
仁川国際空港に到着し、午前5時過ぎに入国手続き完了。羽田で預けた荷物はそのままパリまで行くので身軽です。シャルル・ド・ゴール空港行きの便の出発は午後2時なので9時間近い時間がありますが、仁川市内での移動や目的地のひとつである展示施設の観覧時間を考えると、それほど余裕はありません。
私が空を飛んでいた間、沖縄では首里城が火災で全焼したというニュースが。仁川国際空港でそのことを知り、激しい衝撃を受けた記憶があります。

 

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まずは最初の目的地である、朝食目当てのお店へ移動。このお店は空港と同じ仁川広域市中区(チュング)、チャイナタウンなどもある仁川の原都心(ウォンドシム、旧来の市街地)にあるのですが、同区内にもかかわらず直行する鉄道がないため、移動はひと苦労です。
まずは空港鉄道の一般列車の始発に乗って黔岩(コマム)駅へ移動し、ここで仁川地下鉄2号線に乗り換えて朱安(チュアン)駅へ移動、さらに首都圏電鉄1号線(Korail京仁線 (キョンインソン))に乗り換えて終着の仁川駅で下車。この移動だけで約1時間20分を要します。一応は空港から原都心へ直行する市内バスもあるのですが、所要時間が10分程度しか縮まらないうえ、バスゆえに渋滞という不確定要素もあるため(しかもこの日は平日)、鉄道での移動を選択した次第です。とはいえ、これで貴重な時間の約8分の1を費やしてしまったという……

 

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Korail仁川駅には写真のようなコインロッカーがあります。前回の訪問時には撮り忘れたので紹介。駅の規模のわりに少ないですが……。

 

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仁川駅を出てからは徒歩で。駅前のチャイナタウン、また中区庁一帯の大韓帝国時代から日帝強占期に建てられた近代建築が立ち並ぶエリアを突っ切るルートです。写真は仁川駅前にあるチャイナタウンのゲート。

 

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思えばこのあたりは2017年4月に訪問して以来。文化財に指定されている大韓帝国末期から日帝強占期の近代建築の数々を横目に眺めつつ、歩みを進めます。写真は順に「仁川善隣洞共和春」(現・チャジャン麺博物館:国家登録文化財第246号)、「旧仁川府庁舎」(現・中区庁庁舎:国家登録文化財第249号)、「旧)仁川日本第18銀行支店」(現・仁川開港場近代建築展示館:仁川広域市有形文化財第50号)、そして「「旧)日本第58銀行支店」仁川広域市有形文化財第19号)

 

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その途中には前回の訪問時に利用した、1962年創業のキムチチゲー本勝負のお店「ミョンウォルチッ(명월집)」も。オープンは午前7時半なので、まだお店のドアは閉ざされています。少し待って再びあのうんまいキムチチゲを食べたい衝動に駆られますが、今回は目当てのお店優先ですので我慢して通過します。

 

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そうして約20分ほどで到着したのが、写真のお店「新浦家庭式白飯」(シンポ・ガジョンシク・ペッパン)。
新浦とはこの一帯の地名、白飯とは日本でいう「定食」に近いニュアンスの言葉で、その名の通り韓国の家庭で作るようなおかずの数々を、それもビュッフェ形式で好きなだけ食べられるという実にありがたい飲食店です。そのうえ午前6時から営業しているので、こんな早朝からでも直ちにご飯にありつけるというわけです。

 

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店内。十数種類ものおかずが入るケースが並んでいます。どれから食べようかワクワクしてしまいます。ビュッフェ、なんでこんなに楽しいんでしょうね。

 

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鶏卵フライ(ケランフライ:目玉焼き)コーナーも。こちらはお願いすると店員さんが焼いてくださいます。

 

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とりあえず、最初はこれだけ盛ってきました。じゅるり。
ぱくり。こちらのおかず、こんなにたくさんの種類があるのに、どれひとつハズレがないのです。総じてうんまい。これはリピート決定です。この後も1皿程度おかわりしてまいりました。

 

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こちらのお店「新浦家庭式白飯」の営業時間は午前6時~午後8時、日曜日も含め毎日営業しています(旧正月や秋夕の営業は不明)。Korail仁川駅からは徒歩約20分で到達できます。
私が注文した、おかず取り放題の韓定食ビュッフェ(한정식 부페)はなんと6,000ウォン(約570円:2021年10月現在)と、かなりリーズナブルです。地元の方の評判もよいようで、仁川原都心の訪問時にはおすすめのお店です。

新浦家庭式白飯(신포가정식백반:仁川広域市 中区 済物梁路166番キル 6 (新生洞 7-16))

 

新浦家庭式白飯を出て再び徒歩で仁川駅へ戻り、今度は首都圏電鉄1号線で約25分、この日最大の目的地である富平区(プピョング)の富平駅へ移動します。日本では市や特別区に相当する広域市の区の代表駅だけに、なかなか立派です(写真はないですが……)

 

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富平駅から徒歩約15分ほどで、写真の場所に到達します。

 

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閑静な住宅街の中に、古びた長屋が4棟ほど平行に並んでいるこの一帯は、俗に「三菱(サムヌン)マウル」(삼릉마을:マウルは「村、集落」の意)と呼ばれています。
「三菱」とは言うまでもなく、日帝強占期当時の日本有数の財閥であり、今日も一大企業グループを構成する、あの三菱のことです(サムヌンは「三菱」の韓国語読み)。
なぜ「三菱」なのかというと、これら長屋はかつての日帝強占期にここ富平にあった三菱製鋼の社宅であったからで、何世帯分もの部屋が一列に連なったその形態から一般に「三菱チュル社宅(サテク)」(미쓰비시 줄사택:チュルは「列」の意)と呼ばれています。

 

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このサムヌン、現在は地域一帯の通称となっており、チュル社宅近くの店舗などにも「삼릉」あるいは同じ発音の「삼능」を屋号にした店舗(写真)を複数見かけました。

 

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これらチュル社宅は、元々は当地に工場を持っていた弘中商工という会社の朝鮮人労働者向け社宅で、1938年頃に建てられたものです(写真は後述する「富平歴史博物館」の展示パネル)
ここ富平は、朝鮮総督府もあった朝鮮最大の都市、京城(ソウル)と一大港湾であった仁川港との中間地点に位置し、しかも両都市を結ぶ鉄道路線である京仁線の沿線という地理的好条件から、弘中商工のような第二次産業の工場が立地するようになったとされています。
1941年、すでに中国との戦争中であった日本陸軍は富平の立地条件に着目し、植民地地域では初となる造兵廠(ぞうへいしょう:弾薬などの軍需品を生産する公設工場) 、「仁川日本陸軍造兵廠第1製造所」を開設します。その翌年には弘中商工の工場が三菱製鋼に売却され、強制徴用者を含む朝鮮人労働者たちを使役しつつ操業を続けます。この頃、朝鮮人徴用工たちが疲労困憊した身体をなだめつつ暮らしていたのが、まさにこれらチュル社宅であったわけです。

 

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1945年8月の光復(日本の敗戦による解放)により三菱製鋼は撤退、残されたチュル社宅は朝鮮人たちの住宅として用いられます(写真は1946年当時の三菱チュル社宅(手前)と旧三菱製鋼工場(奥中央)の空撮、富平歴史博物館の展示パネルより)

 

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その後、朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)や高度経済成長期を経つつ、市民たちは自分の居住空間を補修し、あるいは部分的に増築するようになります。ところどころ屋根の色や形が異なるのはそのためです(写真は2016年の三菱チュル社宅の空撮、富平歴史博物館の展示パネルより)。しかし補修スピードを上回る経年劣化に加え、周囲の近代的な住宅やアパートに比べると居室が狭いなど著しく居住性に劣ることから、住民たちは少しずつチュル社宅を離れるようになります。

 

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そうしてほぼ無人状態となった今日では、経年劣化に加え違法投棄されたゴミなどにより一部では崩壊や汚損が進むなどし、近隣住民にとっては「凶物」(흉물:ヒュンムル。「凶悪な人」の意。転じて老朽化等により危険な状態の建物を指す)とされる存在となります。その結果、以前は23棟あったというチュル社宅は次々と解体され、私が訪問した2019年秋の時点ではチュル社宅4棟(先の空撮写真の展示パネル手前側の4棟)と、当時の日本人向け社宅1棟(2世帯で分割使用。チュル社宅の北側に現存。この日は知らなかったため訪問せず)が残るばかりとなっていました(写真は日本人向け社宅1棟。写真引用元:『부평 미쓰비시 줄사택 및 2호사택 기록화 조사보고서(富平三菱チュル社宅および2戸社宅記録化調査報告書)』仁川広域市富平区、2021)
一方、前述した経緯からチュル社宅は貴重な歴史的資料ということができ、学界や市民団体などからは保存を希望する声が上がるようになります。富平区ではこれを受け、チュル社宅の保存による「三菱チュル住宅生活史博物館」事業を推進しましたが、住民たちの反対により頓挫します。
その後の計画変更により4棟のチュル住宅を翌2020年までに全撤去し、跡地を公営駐車場として活用する方針が決定。私が訪れた2019年秋の時点で、これらチュル住宅は早ければ翌年中にも思い出の中に消える運命にありました。

 

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チュル社宅を巡ることにします。
写真のあたりはきれいに整っていて、最近まで暮らしていた方がいたのかもしれません。

 

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チュル社宅、スレート葺きの屋根。

 

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チュル社宅に隣接する土地では建物の新築工事が。あの土地にも少し前まではチュル社宅が残っていました。

 

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前述したように、世帯ごとに屋根の補修具合が異なるのがよく分かります。
もうすでに主はいませんが、ひとつひとつの世帯には道路名住所(紺色の五角形の標識)が振られています。現存する三菱チュル社宅4棟は、10戸が連なった2棟と4戸が連なった2棟により構成されています。

 

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チュル社宅に挟まれた狭い路地を歩きます。

 

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先ほどの路地が玄関側なら、こちらは各戸の裏側に当たる路地。

 

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中には部分的に崩れ、文字通り「凶物」となっている場所もありました。

 

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チュル社宅に掲げられていた「建築概要」の看板。「사업명(事業名)」欄にある「새뜰마을(セットゥルマウル)」とはサムヌンマウルの別名です。

 

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昨年(2020年)10月、三菱チュル社宅は日帝強占期の強制徴用労働者の実像を示す近代文化遺産であり、文化財登録等による保存を検討してほしいとの旨の公文書を韓国文化財庁が仁川広域市と富平区に対し発出したことで、その保存に関する論議が再燃します。
当初計画通りの全撤去案、一部を保存して残りを駐車場とする部分保存案、そして駐車場用地を別に確保する全部保存案が比較検討された結果、本年(2021年)9月には一転して全部保存案でほぼ合意に達することとなります。全撤去を望んでいた住民たちが一転して保存に同意したのは、たとえ駐車場が遠くなってもチュル社宅が登録文化財に指定されれば文化財庁から費用支援が受けられチュル社宅の危険箇所の補修が期待できるためという要素も大きいようです。
保存すべきかどうかはあくまで韓国の人々が決めるべきことであり、私は口を出せる立場にはありません。ただ個人的には、この強制徴用という痛みの歴史の現場である三菱チュル社宅が今後も保存されるとともに、地域住民の方々にとっても最善の解決策がなされることを願うばかりです。

三菱チュル社宅(サムヌンマウル)(미쓰비시 줄사택(삼릉마을):仁川広域市 富平区 富栄路 21-127 (富平洞 760-286) 一帯)

 

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チュル社宅を出て北へ向かい、京仁線を越えて次に向かったのは「富平公園(プピョン・ゴンウォン)」。
この富平公園こそが、まさしく弘中商工を経て三菱製鋼により運営された工場の跡地なのです。

 

f:id:gashin_shoutan:20211014213453j:plain写真は富平歴史博物館の展示パネルで、1993年に旧三菱製鋼の工場建物を撮ったもの。このように現在の富平公園一帯には1990年代前半まで当時の建物が残っていたようですが、現在はすべて解体、撤去されています。

 

f:id:gashin_shoutan:20211014212704j:plainその富平公園の中には2組、計3体の像が建てられています。
どちらも戦時中、また戦後70年あまりを経て今日もなお日本人たちに蹂躙され続けている人々を象った像です。

 

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まずひとつは「仁川平和の少女像」。
日本軍性奴隷制度の被害者、いわゆる元「慰安婦」の方々の受けた被害を記憶し、その名誉と人権を回復するためのもので、みなさまもご存じの椅子に腰掛けた「平和の少女像」(キム・ソギョン(김서경)、キム・ウンソン(김운성)夫妻作)とは異なる作者、キム・チャンギ(김창기)氏の手になる立像です。

 

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そしてもうひとつは「仁川日帝強占期徴用労働者像『解放の予感』」。
その名の通り日帝強占期に徴用された朝鮮人労働者らしき男性、そしてその家族と思しき女性の2体により構成される像です。かつての徴用の現場たるここ富平公園は、こちらの像が立つ場として最もふさわしい場所だといえるでしょう。

富平公園(부평공원:仁川広域市 富平区 富平洞。リンク先は像のある場所)

 

次の目的地も富平区内にありますが、距離があるうえ時間の制約があるため、タクシーで移動します。

 

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到着したのは「富平歴史博物館」。
先史時代から現代に至るまでの富平の歴史を紹介するこちらの博物館は、日帝強占期における朝鮮人たちの暮らしに関する資料の展示にかなりのスペースを割いていると知り、今回訪問したものです。
コロナ明けにはどうしても訪問いただきたい展示施設であるため、展示物の詳細にはあえて触れないこととしますが、その中でもどうしても言及しておきたい展示物に限り紹介します。

 

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数ある博物館の展示物の中でも圧巻というべき存在は、日帝強占期当時の「三菱チュル住宅」を原寸大で再現し、その断面を示したた写真の建物です。

 

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1世帯のあまりもの狭さが見て取れるかと思います。玄関には男性を見送る妻らしき女性、外には何かの遊びにふけっているような子どもたちの再現人形が。男性は三菱製鋼の労働者でしょうか。

 

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この日、富平歴史博物館の1階では特別展示「ハロー・アスコムシティ、グッバイ・キャンプマーケット」が開催されていました。

 

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前述した日本陸軍造兵廠は光復後に米軍に接収され、その建物群は米軍基地「アスコムシティ」として用いられました。アスコム(ASCOM)とは「Army Support Command Korea」の略で、当初は「シティ」の名の通り都市レベルで大規模な施設であったといいます。その後1970年代前半、アスコムシティの機能が縮小された際に「キャンプマーケット」と改称され、さらに2002年にはキャンプマーケットの部隊が京畿道(キョンギド) 平沢(ピョンテク)市へ移転することが決定。その後は韓国内の米軍基地へ配給するパン工場として操業しつつ、2019年(私の訪問直後)には半分弱の敷地が韓国に返還されています。この特別展示はその返還を目前に控えたタイミングであることから開催されていたようです。

 

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特別展示の一角には、洋盤のレコードやドラムセットなど、韓国の大衆音楽に関する展示がありました。
まだアスコムシティと呼ばれていた頃、その周辺には米兵を主な客層とした40軒あまりものクラブが立地していたそうで、全国から富平に集結したミュージシャンたちがその舞台に立つべく毎晩しのぎを削っていたといいます。そうした中で流行音楽の多くが当地を介して全国に広まり、またそれらミュージシャンたちが後にスターダムにのし上がったことなどから、富平を含む仁川はいつしか「韓国の大衆音楽の産室」と呼ばれるようになり、私が訪問した2019年には「第1回アスコムブルース・フェスティバル」も開催されています(本年・2021年11月に「第3回アスコムブルース・フェスティバル」が開催予定)

富平区では現在、来年(2022年)春に予定されている全面返還後のキャンプマーケット敷地の利用を巡り、対立が生じているといいます。汚染された土壌を浄化しやすくするため旧造兵廠関連を含む全建物を解体し、その後に敷地を活用しようとする仁川広域市などの立場と、その歴史的価値から旧造兵廠関連の建物を保存すべきという立場との対立です。
個人的には日本の植民地支配と軍事的野望の象徴というべきこれら建物を残してほしいという思いはありますが、私は利害関係者ではなく、口出しできる立場にありません。支配した側の子孫であるという意味ではなおさらです。それはあくまで韓国の人々が決めるべきことなのです。
なお、かつての造兵廠関連の建物で現存するのは日本の相模造兵廠とここ富平造兵廠だけだといい、両者ともに米軍に接収されたため解体を免れたという共通点があります。その中で米軍撤退により一般市民が訪問できる可能性が生じているのは、いまのところ富平だけです。

 

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こちらの施設「富平歴史博物館」の開館時間は午前9時~午後6時(午後5時に入館締切)、月曜日(公休日の場合は翌日)と元日、名節(旧正月・秋夕)当日は休館。入場料はなんと無料です。私と同様、三菱チュル住宅や富平公園の像とあわせてのご訪問を強くおすすめいたします。

富平歴史博物館(부평역사박물관:仁川広域市 富平区 屈浦路151 (三山洞 451-1))

 

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富平歴史博物館を出てからは首都圏電鉄7号線と仁川地下鉄1号線、空港鉄道を乗り継ぎ再び仁川国際空港第2ターミナルへ。
そして午後2時発のシャルル・ド・ゴール空港行きKE901便(エアバスA380)に搭乗し、パリへと向かうのでした。

 

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仁川国際空港から約10時間半かけてシャルル・ド・ゴール空港に到着して以降は、私の大好きなこちらのアニメの舞台の題材となったアルザス地方の小都市コルマール(写真1-2枚目)、同地方の代表都市ストラスブール(写真3枚目:ストラスブール大聖堂、そして首都パリ(4枚目:エッフェル塔を訪問。うちパリでは在仏韓人が多く暮らしている15区を重点的に訪問してまいりました。いずれも思い出深い旅となったのですが、本ブログのメインテーマたる韓旅とは異なるうえ、その韓旅すら満足に紹介できていない状況のため、今回は簡単な紹介に留めておきたいと思います。とはいえいずれ余裕が生まれた際には、紹介できる機会もあるかもしれません。ご興味のある方は気長にお待ちいただけますと幸いです。

 

2019年10月の仁川広域市の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2019年11~12月の全羅南道(チョルラナムド)莞島(ワンド)郡などの旅をお送りする予定です。

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