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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

麗水の旅[201810_01] - 1948年10月の「麗水・順天事件」現場踏査の旅

本来ならば今回は本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市の旅の続きなのですが、今回は特別編として、約1年前の2018年10月28日(日)に訪問した全羅南道麗水(ヨス)市の旅を紹介したいと思います。
というのも、このとき麗水市内で主に巡った場所が、本エントリー公開日である本日(10月19日)のちょうど71年前に発生した「麗水・順天事件」(여수·순천사건:ヨス・スンチョンサコン)の史跡地であったからです。

 

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麗水半島と島嶼部により構成される麗水市は、その北西部で順天市と接しています。このときの旅では順天に宿をとり、午前中に麗水を訪問する予定を立てていました。宿はここ数回のエントリーにて紹介している順天の旅と同じ、市内最大の在来市場「アレッチャン」近くのホテル。

 

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まずは徒歩でアレッチャンヘ。周囲には韓国の市場商人から愛されているクッパのお店が軒を連ねています。今回はその中から「コンボンクッパ」を選択。
「健康(コンガン)に奉仕(ボンサ)」の略から屋号を取ったというこちらのお店、数あるアレッチャン周辺のクッパ屋の中でも特に人気の高いお店で、昼食どきには長蛇の列が形成されるとのこと。この日は開店直後の6時台の訪問なのでさすがに列はありませんでしたが、すでに3分の1くらいは席が埋まっていました。

 

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新築されたばかりのようで店内もトイレもきれいです。ちなみにこちらのお店、検索すると旧店舗らしき写真も出てきます。どうやら最近になって改築(拡張)されたようです。
韓国ではメニュー表左列のいちばん上の料理がそのお店自慢の料理である、という鉄則にならい8,000ウォン(約800円:2018年10月当時。以下同じ)の「국밥(クッパ)」を注文。

 

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やって来たクッパ。しっかりしたコクのある豚骨ダシのスープ。豚肉がごろごろ入ってお得感があります。うんまい。
そして食べ終わった午前7時頃には早くも広めの店内がほぼ満席。なるほど、人気店である理由が十分納得できました。

 

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こちらのお店「コンボンクッパ」の営業時間は午前6時30分~午後9時。名節(旧正月・秋夕)当日を含む前後3日間は休業。KoraiI「順天」駅からだと駅前の「順天駅(순천역)」バス停(写真)より市内バスに乗車(どの路線でもOK)、約2分で到着する「アレッチャン(아랫장)」バス停で下車、徒歩約3分(約190m)まっすぐ徒歩でも約18分(約1.1km)順天総合バスターミナルからだと徒歩約9分(約550m)
店名で検索すると、クッパの写真に交じって店舗前に長蛇の列が形成されている写真がいくつも出てきます。お時間に余裕のない方は、私のように早い時間帯のご訪問をおすすめいたします。

コンボンクッパ(건봉국밥:全羅南道 順天市 長坪路 65 (麟蹄洞 371-1))

 

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お腹がふくれた後はバスで順天駅へ移動、今度は全羅線(チョルラソンKTXに乗車します。
目的の麗水エキスポ駅への料金はわずか2駅で8,400ウォン(約840円)。ムグンファ号なら2,600ウォン(約260円)のところ3倍強ですが、この午前7時39分発(当時)のKTXが順天駅の麗水方面行き始発であり、次のムグンファ号まで1時間近くあるので仕方ありません。このほか順天~麗水間の移動手段には市外バスや市内バスもあるとはいえ、市外バスの終点である麗水総合バスターミナルは麗水エキスポ駅からかなり遠く、また市内バスだと麗水エキスポ駅付近まで優に1時間はかかるので、ここは料金よりも時間を優先します。

 

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約22分で麗水エキスポ駅に到着。麗水市は後述する『麗順抗争記録展』観覧のためこの前日(10月27日)にも訪問したばかりですが、そのときはひとつ手前の麗川(ヨチョン)駅で下車したので、こちらの駅の利用は初めてです。駅名の「エキスポ」は、2012年にここ麗水市にて開催された「2012麗水世界博覧会」にちなんだもので、その前年に麗水駅から改名されたものです。

 

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駅前南側の一帯には「2012麗水世界博覧会」の会場が。2009年に全羅線が高規格化されるまでは、この一帯に旧麗水駅がありました。

さて、ここからはいよいよ「麗水・順天事件」に関連する史跡地巡りの行程となります。

 

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麗水・順天事件」とは、1948年10月19日に麗水市にて発生した国軍国防軍第14連隊の一部将兵による蜂起、およびその鎮圧過程における一連の事件の総称であり、発生日の日付を入れた「麗水・順天10.19事件」、あるいは短縮した「麗順事件」などとも呼ばれます。
李承晩(이승만:イ・スンマン、1875-1965)初代大統領ほか親日派(日本による植民地支配への協力者。日本語の「親日」とは意味が異なることに注意を主流とする韓国政府の単独樹立、そして当時進行していた「済州4.3事件」への鎮圧出動命令などに反発した同連隊の将兵2千名あまりが蜂起し、同市や隣の順天市をはじめ全羅南道東南部を掌握。しかし、まもなく派遣された鎮圧軍(討伐軍。その他の国軍連隊)の攻勢により、蜂起軍は8日後の10月27日に鎮圧されています。なお蜂起軍の一部は鎮圧直前に光陽(クァンヤン)の白雲山(ペグンサン)を経て智異山(チリサン)方面へ逃走、その後山中に潜伏してパルチザンとなり反政府武装闘争を継続します。蜂起軍の幹部たちは翌1949年までに捕縛または射殺されますが、その兵士たちを含むパルチザンは闘争を継続、朝鮮戦争期には朝鮮人民軍の支援を受けつつ休戦後まで活動を続けました。
写真は訪問の前日(10月27日)に訪問した、麗水市内の「ギャラリーノマド」での企画展示『麗順抗争記録展』での展示物のひとつ、事件前の1948年6月に撮影された14連隊の集合写真です。 

麗水・順天事件」全9日間の概略は大体次の通りです。

  • 10月19日(1日目)
    午後9時、麗水市新月洞の駐屯地にて国軍第14連隊が蜂起
  • 10月20日(2日目)
    早朝までに蜂起軍が麗水市内を掌握。その後列車で順天駅へ移動し、午後3時に順天を占領
    午後3時、麗水市内の中央洞ロータリーにて人民大会開催
  • 10月21日(3日目)
    政府、叛軍討伐戦闘司令部を光州に設置。7連隊10大隊の兵力が投入決定
  • 10月22日(4日目)
    マスコミが大々的に事件報道を開始
    午後3時、現在の順天市内にて鎮圧軍と蜂起軍による最初の戦闘。夕方には蜂起軍が外郭地域から撤退
  • 10月23日(5日目)
    午前11時、鎮圧軍が順天市内全域を奪還
  • 10月24日(6日目)
    鎮圧軍、麗水市内へ第2次攻撃を開始。麗水市蓮灯洞のイングブにて戦闘。麗水にいた蜂起軍と人民委員会メンバーが光陽の白雲山へ逃亡
  • 10月25日(7日目)
    政府の国務会議、麗水・順天地域に戒厳令を宣布(大統領令13号)
  • 10月26日(8日目)
    午後3時、海軍および5連隊による麗水市内への第3次攻撃開始。麗水市内で火災発生。午後には鎮圧軍が麗水市内の重要拠点を掌握
  • 10月27日(9日目)
    午前8時45分、陸海空3軍の合同作戦開始。艦砲射撃などにより麗水市内で火災発生
    午後2時、鎮圧軍が麗水市内を完全掌握。これ以降、麗水市内で蜂起軍協力者の割り出し開始

 

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9日間の「麗水・順天事件」の期間中、および鎮圧後の事後処理の過程では後述するように無数の市民が虐殺されており、一説には1万人以上というその大半が鎮圧軍側によるものとみられています。写真は『麗順抗争記録展』にあった犠牲者数に関する展示パネル。

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14連隊の蜂起は同じ年に発足したばかりの韓国政府を転覆する目的のものであり、その蜂起の立役者となった池昌洙(지창수:チ・チャンス、1906-1950)特務上士(写真は『麗順抗争記録展』での池昌洙に関する展示)ほか、朝鮮半島の共産化を目論んでいた南朝鮮労働党(南労党)メンバーが関与していました。そのため、この「反乱」事件は李承晩政権による反共政策強化のきっかけとなり、同年12月には「国家保安法」が制定されています。日本の「治安維持法」をモデルに共産主義勢力の処罰を定めたこの法律は、李承晩政権に始まり朴正煕(박정희:パク・チョンヒ、1917-1979)政権を経て全斗煥(전두환:チョン・ドゥファン、1931-)政権へと至る強力な反共国家の形成の基礎となりました。
こうした背景により、14連隊は済州島での「暴徒」討伐命令に「抗命」して「反乱」した「反乱軍」であり、「パルゲンイ」(「アカ」の意)と定義されました。また鎮圧軍により虐殺された人々もその一味の「附逆者」(附逆とは「国家への反逆」の意)であるとされ、遺族たちは長年に渡って肩身の狭い思いを強いられてきました。
しかし近年の「済州4.3事件」再照明に関連し、14連隊の行動は国家権力による同事件への不当な鎮圧命令の拒否という観点で、一転して一定の評価を受けるようになりつつあります。またその蜂起が契機とはいえ、14連隊とは別次元で鎮圧軍の暴挙に立ち上がった市民たちの行動はまさに「抗争」そのものであり、後の民主化運動の系譜に連なるものとして評価されるようになっています。こうした見直しの結果、かつては「麗水・順天反乱事件」「麗水14連隊反乱事件」などと呼ばれた事件名称から「反乱」が消え、また近年では「反乱軍」あるいは「叛軍」と呼ばれてきた14連隊を「蜂起軍」と言い換える動きが出ています。以下、本ブログでもこれに準じた用語を用いることとします。

 

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このように「麗水・順天事件」には以前から強い関心があり、その史跡地を巡って直にこの目で現場を見てみたいという思いが募った結果、今回の訪問へと至った次第です。
この日訪問予定であった「麗水・順天事件」の史跡地は、麗水の原都心(원도심:ウォンドシム。近年新たに開発された繁華街(新都心)に対し、旧来の中心地を指す)のあちこちに点在しています。そのためこの日はまずタクシーで郊外の史跡地を巡り、それから中心部の史跡地をバスや徒歩で巡る計画を立てていました。なのでまずはは麗水エキスポ駅でタクシーに乗り込み、事前に用意した韓国語説明入りの地図を見せて各目的地へ向かうことに。

 

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麗水エキスポ駅から最初の史跡地へ向かう道路「望洋路(マンヤンノ)」の途中には、写真の「馬来(マレ)第2トンネル」があります。

 

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馬来山(マレサン)を貫通する全長640mのこのトンネルは1920年代後半頃、韓国を支配していた日本によって軍用道路として建設されたものです。建設記録は発見されていませんが、状況からこれと近い時期(1928年)に着工された全羅線のうち馬来トンネル(旧線)の建設時と同様、中国人や朝鮮人などが過酷な現場で使役されたとみられています。韓国初の道路専用トンネルでもあり、国の登録文化財第116号にも指定されています。
ちなみに、馬来第2トンネルというからには馬来第1トンネルもまた存在します。この第1トンネルは1926年に日本軍の軍糧米の倉庫として建設されたもので、現在は閉鎖されているとのことです。

 

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馬来第2トンネルはわずか1車線分の幅しかなく、危険であるため歩行者や自転車は進入禁止です。自動車は一方通行でこそないものの、両サイドの出入口にて信号により進入が統制されています。かつて信号がなかった頃は南側(麗水エキスポ駅方面)へ向かう車を優先とし、反対方向の車が対向車と出会ったときには約100mおきの退避スペースに入るルールとなっていたそうです。

 

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馬来第2トンネルの内部。コンクリートの内壁は出入口付近のみで、大半は掘りっぱなしのごつごつした岩肌をむき出しにしています。あまりにもインパクトのある光景です。建設当時、中国人や朝鮮人労働者たちは近代的な建設機械や工具ではなく石ノミなど手件業で掘らされたといい、当時の姿をほぼそのまま残しています。天井部の蛍光灯により内部は意外と明るく、退避スペースは簡単なライトアップもなされていました。前述したようにトンネル内は歩行者通行禁止ですので、写真は運転手さんにお願いして短時間だけ停めてもらって撮影したものです。

馬来第2トンネル(마래 제2터널:全羅南道 麗水市 徳忠洞。国家指定登録文化財第116号。リンク先は麗水エキスポ駅側の出入口の位置)

 

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馬来第2トンネルを抜けてすぐの左側に駐車スペースがあり、そこに車を停めてもらいます。そこから少し望洋路を北へ向かって歩き、最初に左に折れる細い坂道を登った先の斜面に、この日最初の史跡地「兄弟墓」(형제묘:ヒョンジェミョ)があります。

 

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麗水・順天事件」当時、この一帯は万聖里(マンソンニ)と呼ばれていました。事件鎮圧後の1949年1月13日、蜂起軍(14連隊)に協力したとの容疑で麗水市内の「鍾山(チョンサン)国民学校」に収容されていた「附逆嫌疑者」の人々のうち有罪とされた125人が万聖里のこの場所に連行され、憲兵たちに銃殺されたうえで油をかけて焼かれた、まさにその現場です。目撃者によると銃殺された人々の遺体は5人ずつ5層に積み重ねられて3日に渡り焼かれたといい、また人々を焼いた鼻を突く臭いはその後1ヵ月以上も現場一帯に残ったといいます。
虐殺後も遺族たちは長らく現場立ち入りを禁じられ、ようやく遺骨を収集できた時点では誰の骨であるか区分できない状態であったため、遺骨をひとつにまとめて埋葬することで来世では兄弟のように仲良く過ごしてほしいとの願いから「兄弟墓」と名づけられたそうです。

兄弟墓(형제묘:全羅南道 麗水市 望洋路 141 (万興洞 162-2))

 

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こちらの写真は「麗水・順天事件」関連ではありませんが、済州(チェジュ)特別自治西帰浦(ソギポ)市、摹瑟浦(モスルポ)地区に建つ「百祖一孫之墓」(백조일손지묘:ぺクチョイルソンジミョ)です。麗水訪問の4ヵ月前、昨年(2018年)6月に訪問したこちらの墓には、1950年6月25日の朝鮮戦争(韓国戦争)勃発直後に敵性があるとして予備検束され、同年8月20日に松岳山(ソンアクサン)ソタルオルム(オルムとは済州島最高峰の火山、漢拏山(ハルラサン、1950m)の寄生火山)にて虐殺された住民132人の遺骨が埋葬されています。こちらもまた長らく遺骨収拾を禁じられたため、犠牲者の遺骨は誰のものか特定できませんでした。132人の異なる祖先が同じ日に1か所で亡くなり遺骨もひとつになったので、その子孫もまたひとつだという意味で「百祖一孫之墓」の名が付けられたとのことです。
時期こそ異なりますが、「兄弟墓」の犠牲者たちと同じような運命をたどることを強いられた人々の追悼施設であり、また先の「兄弟墓」の縦長の案内板にも言及があったことから、今回特別に紹介するものです。

 

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「兄弟墓」から下り、タクシーを停めた駐車スペースに戻ります。実はここにも「麗水・順天事件」関連の碑石があります。
駐車スペースの奥にある写真の碑は「麗順事件犠牲者慰霊碑」といい、万聖里で殺害された人々を悼むため「麗水・順天事件」61周忌の2009年10月に建立されたものです。

 

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ここ万聖里で虐殺された人々は、先の「兄弟墓」で祀られている125人だけではありません。「麗水・順天事件」直後の1948年11月上旬頃、後述する「鍾山国民学校」の校庭にて「附逆者」と一方的に判定された数百名もの人々がこの一帯に連行され、虐殺されています。
この慰霊碑の建立に際し、その碑文に「無辜の罪で虐殺された」と刻むことを要望した遺族たちと、国や保守派に配慮し「犠牲となった」という表現に留めようとした麗水市との間で意見の対立が生じた結果、建立された碑の裏側には次の写真のような一文だけが刻まれました。

 

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この「・・・・・・」という6つの点に、数十年を経てなお残る「麗水・順天事件」を巡っての理念や見解の対立が象徴的に込められています。

麗順事件犠牲者慰霊碑(여순사건희생자위령비:全羅南道 麗水市 万興洞 149-6)

 

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「麗順事件犠牲者慰霊碑」のある駐車スペースの道路を挟んだ向かいは海であり、海岸沿いには高規格化により廃線となった旧全羅線の線路が通っています。「麗水・順天事件」2日目の1948年10月20日朝、蜂起軍(14連隊)の将兵が列車で順天へ向かう際に通ったこの線路は、現在はレールの上を走る足漕ぎ式のアクティビティ「麗水海洋レールバイク」のルートとして再利用されています。70年前の悲惨な出来事が嘘のように穏やかで澄んだ麗水の海、そして楽しげに通り過ぎてゆくレールバイク。 

 

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再びタクシーに乗って次の史跡地へ移動します。
こちらは新月洞(シノルドン)という地域で、「兄弟墓」や「麗順事件犠牲者慰霊碑」と同様に海沿いですが、先ほどは東側で海に面していたのに対し、こちらは南側で面しています。

 

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ここ新月洞の山側、現在はハンファ(韓国火薬)グループの工場がある一帯にはかつて日本軍の駐屯地が、また海側には敗戦により未完となった水上飛行機用滑走路の工事現場があったそうです。光復(日本の敗戦による解放)後、主のいなくなった駐屯地は米軍政に接収され、その後大韓民国の建国により発足した国軍が譲り受けます。ここに駐屯していたのが、まさしく14連隊であったわけです。
そして1948年10月19日の午後9時、ここ新月洞にて14連隊が最初に蜂起することになります。 

 

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海岸沿いの歩道には、写真の「麗水・順天事件」に関する案内板が建てられています。訪問に先立っての下調べでは、以前の案内板が台風で飛ばされて以来そのままだという情報を得ていましたが、新造されたことがわかりひと安心です。

 

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案内板上部のイラストにあるビラらしき紙には、次の文字が書かれています。

愛国人民に呼訴する
・・・・・
2か条の綱領
1. 同族相残決死反対
2. 美軍即時撤収
済州討伐出動拒否兵士委員会

(注:「同族相残」:同族同士で殺し合うこと、「美軍」:米軍)

14連隊駐屯地(14연대 주둔지:全羅南道 麗水市 新月洞 1171-2。リンク先は案内板の場所)

 

この少し前、案内板より市街地寄りにあるハンファのゲート前で工場側にカメラを向けたところ守衛の人に制止されるトラブルがありましたが、同行していたタクシーの運転手さんが取りなしてくださったおかげて事なきを得ることができました。これ以前にも私の要望に都度都度応えてくださるのみならず、坂の上の「兄弟墓」までわざわざ一緒に登ってきてくださったり、「麗水・順天事件」に関する知識もお持ちだと判明した運転手さん。当初はここ新月洞で下車してバスでの踏査に切り替える予定でしたが急きょ変更、残る全史跡地を一緒に巡ることにします。

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再び市街地に戻り、次にやって来たのは「麗水西初等学校(ヨス・ソ・チョドゥンハッキョ)」。初等学校は日本の小学校に相当します。

 

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当時は「西国民学校」と呼ばれていたこちらは、事件9日目(最終日)の10月27日に麗水市内を奪還した鎮圧軍が同日以降に市民たちを校庭に集め、「附逆嫌疑者」の1次判定を実施した場所です。
鎮圧軍はその判定方法として、俗に「指の銃(손가락 총)」と呼ばれる手法を用いました。まずは別の市民たちに対し、蜂起軍への協力者がいた場合にはその者を指で差せと命令します。続いて「附逆嫌疑者」たちを連れてきてその市民たちの列の間を歩かせ、指を差されたものは有罪だとする判定方法です。こうして「附逆者」だと判定された者は「即決処分」、つまり裁判を経ずにその場で処刑されました。指を差されたものはすなわち死、まさしく「指の銃」です。
このような判定方法は当然ながら不正確かつ不公正なものであり、また以前からの怨恨などで事実無根にもかかわらず指差されたケースもあったりと、多くの人々が無実にもかかわらず「附逆者」として処刑されたとみられています。
ここで嫌疑が晴れなかった者は後述する「鍾山国民学校」に連行、2次裁判に付されました。

麗水西初等学校(여수서초등학교:全羅南道 麗水市 西校1キル 29 (西校洞 898))

 

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次の史跡地は原都心の北側、蓮灯洞(ヨンドゥンドン)と呼ばれる地域にあります。
鐘鼓山(チョンゴサン)と将軍山(チャングンサン)という2つの山に挟まれたこの一帯は俗に「イングブ」(인구부/잉구부)と呼ばれています。左に曲がった地形のため本来ならば「ウェングブ」となるべきところ、麗水地域のなまりのために「イングブ」となったとのこと。

 

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「イングブ戦闘地」と呼ばれる史跡地が位置する写真1枚目の狭い道路は、現在でこそその地位をいくつもの幹線道路に明け渡していますが、事件当時この道は麗水と順天とを結ぶ重要な街道でした。
事件5日目の1948年10月24日、前日に順天の蜂起軍を一掃した宋虎声(송호성:ソン・ホソン)総司令官配下の鎮圧軍部隊は、麗水市内の蜂起軍を掃討すべくここイングブに差し掛かったところ、待ち伏せしていた蜂起軍の奇襲を受けます。激戦を経て鎮圧軍部隊は総崩れとなり、宋虎声総司令官も車両から転落して鼓膜損傷の重傷を負います。このあと蜂起軍は鎮圧軍の総攻撃を予想し、麗水を脱出して現在の光陽市方面に逃れ、智異山などの山中に潜伏してパルチザンとなりました。

イングブ戦闘地(인구부 전투지:全羅南道 麗水市 蓮灯1キル 74-2 (蓮灯洞 443-11)。リンク先は案内板の場所)

 

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このイングブの道路は前述したように順天方面への街道であった歴史から、いくつかの文化財が現在も残されています。
写真は「イングブ戦闘地」の少し手前(原都心寄り)にあった「麗水蓮灯洞ポクス」。「ポクス(벅수)」とは、集落の守護神的な役割で村外れなどに立てる、人の顔を彫った男女一対の木像や石像のことです。標準語の「チャンスン(장승)」といえばご存じの方も多いことでしょう。道路を挟んで向かい合わせに立つ蓮灯洞のポクスは、西側(谷側:写真1枚目)が女、東側(鐘鼓山側:2枚目)が男だそうで、一対で国の民俗文化財第224号に指定されています。いかついながらもどこかユーモラスな表情に親しみを感じます。

麗水蓮灯洞ポクス(여수연등동벅수:全羅南道 麗水市 蓮灯洞 370。国家民俗文化財第224号)

 

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こちらの写真は「麗水節度使安潚事蹟碑」という石碑、またそれを格納した碑閣と呼ばれる建物で、朝鮮時代後期の1809年に全羅左道水軍節度使(水軍の司令官)として麗水に赴任してきた安潚(안숙:アン・スク)のいくつかの功績を称えて建てられたものです。全羅南道文化財資料第203号に指定されています。
運転手さんはこうした地元の文化財の知識もあるようで、その前を差し掛かる度に教えてくださったおかげでこれらを観覧し写真に収めることもできました。

麗水節度使安潚事蹟碑(여수연등동벅수:全羅南道 麗水市 蓮灯洞 436-2。全羅南道文化財資料第203号)

 

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次にやって来たのは「麗水中央初等学校(ヨス・チュンアン・チョドゥンハッキョ)」。
1948年10月の「麗水・順天事件」当時、この学校は「鍾山(チョンサン)国民学校」という名前でした。前述したように鎮圧軍(国軍)は、10月27日より市民を麗水市内の学校校庭や空き地などに集結させ、前述した「指の銃」などの方法により蜂起軍への協力者とされた「附逆嫌疑者」の捜査を開始します。ここ鍾山国民学校は、他の集結地で嫌疑が晴れなかった者への2次裁判の場所として用いられ、校庭は裁判あるいは処刑を待つ者たちで埋め尽くされていたといいます。鍾山国民学校での処刑は事件後2ヵ月も続き、麗水で最も多くの犠牲者を出した場所だとされています。

 

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「附逆者」への処刑は校庭の裏で執行され、その遺体は地面に掘った穴に投げ込まれ埋められたそうです。処刑の手段は銃殺のほか、ここ鍾山国民学校では「白頭山の虎」の異名を持つ第5連隊1大隊長、金宗元(기종원:キム・ジョンウォン)により日本刀で斬首されるケースもありました。このように「麗水・順天事件」においては蜂起軍による犠牲者よりも鎮圧軍や警察などによる処刑の犠牲者が圧倒的に多く、本エントリー前半でも紹介した『麗順抗争記録展』のパネルによると、加害者が確認された事例のうち約85%が軍人や警察であるとのことです。

麗水中央初等学校(旧・鍾山国民学校)(여수중앙초등학교 (구 종산국민학교):全羅南道 麗水市 ハメル路 35 (鐘和洞 943))

 

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そして今回訪問の「麗水・順天事件」史跡地では最後の場所となる「中央洞(チュンアンドン)ロータリー」に到着。中央洞ロータリーは麗水の原都心の中心街にあり、その真ん中にはみなさまもよくご存じ、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598)将軍の巨大な銅像が建っています。
こちらは事件2日目、麗水市内が蜂起軍によって掌握された後の10月20日午後3時に、1千人もの市民が集まった中で人民大会が開かれた場所です。ただし、残念ながらここには「麗水・順天事件」に関する案内板はないようです。 

 

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大会では人民委員会の組織を決定、6項目からなる決議案を採択します。写真は前述した「ギャラリーノマド」での『麗順抗争記録展』にあった決議案に関する展示パネルで、拙訳による内容は以下の通りです。

6か項決議案

  1. 本日より人民委員会がすべての行政機構を接収する。
  2. 我々は唯一の統一された民族政府である朝鮮人民共和国を保衛し忠誠を誓う。
  3. 我々は祖国を米帝国主義に売り渡している李承晩政府を粉砕することを誓う。
  4. 無償没収、無償分配の民主主義土地改革を実施する。
  5. 韓国を植民地化しようとするすべての非民主的な法令を無効とする。
  6. すべての親日民族反逆者と悪質警察官等を徹底的に処断する。

鎮圧軍による市内の奪還後、この人民大会に参加したというそれだけの理由で「附逆者」として拘束、処刑された市民もいるとのことです。

中央洞ロータリー(중앙동로터리:全羅南道 麗水市 中央洞)

 

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この中央洞ロータリーでタクシーを下車、ここまで連れて来てくださった運転手さんとのお別れです。
約1時間40分の同行中ずっと親切な対応に終始し、しかも「麗水・順天事件」や沿線の文化財に関する知識も豊富であった運転手さん。麗水エキスポ駅で偶然にもこの方のタクシーに巡り合ったのは本当に幸運だったと思います。おかげさまで充実した旅となりました。メーター上の料金表示に少しばかりの気持ちを上乗せした4万ウォンを手渡しし、握手して別れを告げます。運転手さん、本当にありがとうございました。

 

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運転手さんと別れたのは午前11時少し前。この後も正午近くまで麗水原都心の街歩きが続くのですが、長くなるうえエントリーの主題からも外れるので今回はここまでとし、これらの紹介は後の機会に譲ることといたします。
写真はこの後1時間くらいで巡った場所で、順に中央洞ロータリーそばにあった「亀甲船(コブク船)」の復元展示(内部入場可)、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(原題『택시운전사』)序盤でドイツ人ジャーナリストのピーターと李記者が密談をした喫茶店の撮影地「カナダ茶室(タシル)」、姑蘇洞(コソドン)という地域の丘の上に広がる壁画村「姑蘇1004壁画マウル」、そして同壁画マウルから見下ろした麗水の原都心です。
わずか1時間、それも徒歩でこれだけの(実際にはまだ他にもある)名所を巡れるのも麗水の魅力だと思います。

 

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これ以外にも麗水には島全体が観光名所となっている「梧桐島」(오동도:オドンド)や、原都心とその向かいの突山島(トルサンド)との間を結ぶロープウェイ(韓国ではケーブルカーと呼ぶ)、そして名物のハモ(鱧。韓国でも一般に「ハモ」と呼ぶ)をはじめ近海の多島海から水揚げされた海の幸によりもたらされる海鮮料理の数々などなど、無数の観光資源が存在します。
それら観光資源の中でも麗水の「顔」というべき場所が、1598年に建てられ国宝第304号にも指定されている「鎮南館」(진남관:チンナムグァン)です。現在は修復工事中のため写真のように建物全体に巨大な覆いがかけられていますが、来年(2020年)には工事が終わり、再びその威容を見られるようになるとのことですので、その時期を見計らってぜひとも再訪したいと思います。

次回からはまた、本年(2019年8~9月)の順天の旅に戻ります。ご期待ください。

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