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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

順天の旅[201908_08] - 韓国出版史を変えた編集者、順天の旅の締めは名物のタックイとクッパで

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の3日目、2019年8月31日(土)です。

 

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「楽安邑城民俗村」(낙안읍성민속촌:ナガンウプソン・ミンソクチョン)を出て、徒歩で次の目的地へ。
向かったのは、楽安邑城民俗村と隣接する「順天市立プリキプンナム博物館」です。

 

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プリキプンナムとは直訳すると「根の深い木」という意味で、出版ジャーナリストの韓彰璂(한창기:ハン・チャンギ、1936-1997。写真の男性)氏が1976年に創刊した月刊誌『プリキプンナム(뿌리깊은 나무)』の名前から取ったものです。
韓彰璂氏は日帝時代の1936年、博物館や楽安邑城の位置する順天市楽安面(ナガンミョン。面は日本でいう「村」に相当する地方自治体)に隣接する全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ。邑は日本でいう「町」に相当する地方自治体)で生まれました。光復(日本の敗戦による解放)と朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)を経た1954年に順天中学校を卒業し、光州(クァンジュ)高等学校を経てソウル大学校法科大学(日本でいう学部に相当)に入学、1961年に卒業しています。
その後『ブリタニカ百科事典』の内容に感銘を受け、独学で学んだという英語を生かして米国シカゴの本社と交渉、1968年1月に同百科事典の現地法人である韓国ブリタニカを設立。主に駐韓米軍の将兵を相手に百科事典のセールスを展開します。韓彰璂氏はその語学力に加え卓越したセールスの才能を持っており、たちまち本社からもー目置かれるトップセールスマンとなりました。

 

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そんなある日、韓彰璂氏はシカゴ本社に「これまでは英語の本を売ってきたので、これからは韓国のためにお金を使いたい」と韓国語による韓国土着文化を紹介した雑誌の発刊を提案。当初は拒否した本社でしたが、韓彰璂氏の長きにわたる懇願についに折れて発刊を承諾します。1970年4月から発刊されていた韓国ブリタニカの社内報『ぺウムナム』(배움나무:「学びの木」の意。写真1枚目)を発展させ、1976年3月に産声を上げたその雑誌こそがまさに『プリキプンナム』でした。写真2枚目左側、しわの刻まれた手で米粒をすくい上げた写真の表紙がその創刊号です。

 

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『プリキプンナム』のコンセプトは前述したように韓国土着文化の紹介とその美の再発見にあり、その文章には徹底した純ハングルの横書き文という特徴があります。漢字とハングルの混交、縦書きが一般的であった当時のその他の雑誌とはっきり一線を画すものでした。また『プリキプンナム』は韓国で初めて、文字サイズや字間、行間などページレイアウトにまでデザイン性の概念を持ち込んだ雑誌とされています。こうした編集方針、さらに韓彰璂氏の手になる斬新な宣伝広告手法などが広く受け入れられ、やがて発行部数8万冊という韓国を代表する雑誌のひとつにまで成長します。

 

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韓彰璂氏は月刊『プリキプンナム』の約4年の歴史の中で、ただ一度だけ合併号を出したことがあります。
1980年6・7月号がそれで、同年5月18日より当時の全羅南道光州市(現・光州広域市)にて発生した軍による組織的暴力への抗議の意味を込めて、1ヵ月分を休刊したためでした。なお、このときの軍による市民の殺傷行為は、それに抵抗した市民たちによる10日間の抗争とあわせて「5.18民主化運動」あるいは「5.18民衆抗争」と総称されているものです(日本では「光州事件」と呼称)。
そしてその次号となる1980年8月号の発刊直後、全斗換(전두환:チョン・ドゥファン、1931-)ら新軍部政権により『プリキプンナム』を含む172種の定期刊行物が一斉に登録取消となり、強制廃刊へと追い込まれてしまいます。これらの雑誌が「腐敗要因・淫乱・社会不安造成」するものであり、その「浄化」のためという名目でした。

 

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しかし、韓彰璂氏は決して屈することはありませんでした。
『プリキプンナム』廃刊から4年あまりを経た1984年11月には、新たな月刊誌『セミキプンムル』(샘이깊은물:「泉の深い水」の意)を創刊。女性家庭雑誌という触れ込みであり、表紙も創刊号(写真1枚目の右側)を除けば概ね女性の肖像写真となっていますが、実際には『プリキプンナム』とほぼ同コンセプトの雑誌でした。
韓彰璂氏はこの誌面でもまた純ハングルの横書き文にこだわり、韓国の土着文化を紹介してゆきます。『セミキプンムル』はその後、韓彰璂氏の死去を経て2001年11月号まで発刊され続けました。

 

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プリキプンナム博物館の内部に入ります。韓彰璂氏は韓国民俗文化の変遷を示す各時代の民具の著名なコレクターでもあり、その数は実に6,500点にも登るといいます。館内には三国時代から近代に至るまでのそれら民具の数々が所狭しと展示されています。

  

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展示品を少しだけ紹介します。
伽耶(カヤ。3~6世紀の朝鮮半島に存在した国家)時代のものとされるこちらの土器はカモ(韓国語ではオリ(오리))を象ったもので、博物館のチケットなどにもその写真が用いられていました。

 

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こちらは朝鮮時代の「象尊(상준:サンジュン)」といい、その名の通りゾウを象ったもので、祭祀(チェサ)などで用いられたものだそうです。

 

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セミキプンムル』創刊号の表紙になったあの肖像画も展示されていました。
 

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韓彰璂氏は食文化にも強い関心があり、茶葉と茶器、そして飯床器(パンサンギ。膳立てに用いるひと揃いの食器セット)を紹介しました。中でも7種類の菜の膳立てに用いる「セチョッ飯床器」を復活し普及させたことで高い評価を受けています。

 

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雑誌『プリキプンナム』や『セミキプンムル』展示コーナーのパネル。先ほども紹介したこれら雑誌のバックナンバーはすべてガラスケースに収められており、残念ながら雑誌そのものを手に取って閲覧することはできません。元々傷みやすい紙媒体であるうえ発刊から数十年を経過し、特に『プリキプンナム』などは古書市場でも比較的高価で売買されているようですので仕方のないことかもしれません。

 

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韓彰璂氏が『プリキプンナム』に続いて発刊した『韓国の発見(한국의 발견)』。9つの道とソウル、釜山の全11巻からなる人文地理誌です。

 

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韓彰璂氏は雑誌を通じた韓国の土着文化の紹介に留まらず、伝統芸能「パンソリ」の紹介と記録を通じた保存にも注力しました。その公演会を約100回も開催したほか、名唱たちによるパンソリを収録したCDも出版しています。

 

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プリキプンナム博物館の敷地内には、写真の立派な韓屋(ハノク)が1軒建っています。
1922年築というこちらの韓屋は、短簫(タンソ。韓国の伝統楽器である細い縦笛)の奏者であり、韓国の国家無形文化財第83号「求礼郷制チュル風流」の伝承者(日本でいう「人間国宝」に相当)でもあった金茂圭(김무규:キム・ムギュ、1908-1994。号は白耕(ぺッキョン))氏の自宅だった建物です。かつては順天市と隣接する求礼(クレ)郡にあったものを、韓彰璂氏が生前この家屋を見て魅了されたというエピソードにちなみ、2006年に当地へ移築したのだそうです。

 

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余談ですが、実はこちらの韓屋、韓国映画史に残る名作というべき1993年の映画『風の丘を越えて西便制』(原題『서편제』)にも舞台として登場します。パンソリ唱者のユボンとその娘ソンファが滞在したところで、白い韓服を着た老人が舎廊チェ(サランチェ。主人の居間に用いる棟)のヌマル(高殿の板の間。写真の向かって右側の張り出した場所に座ってコムンゴ(琴)を弾き、ユボンが口吟をした場面が撮影されたのが、当時は求礼にあったこの家屋なのだそうです。
訪問当日は韓屋の塀の中に入ることはできませんでしたが、その全体を眺めることはできました。

 

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「順天市立プリキプンナム博物館」の開館時間は午前9時~午後6時(冬期は午後5時)、毎週月曜日と元日、名節(旧正月・秋夕)連休は休館。入館料は大人1,000ウォン(約90円:2019年8月現在。以下同じ)です。
順天駅などからのアクセス方法は前回のエントリーの最後で紹介した楽安邑城民俗村へのそれと同じで、「楽安邑城3.1運動記念公園(낙안읍성 3.1운동 기념공원)」バス停から徒歩約7分(約430m)で到達できます

順天市立プリキプンナム博物館(순천시립 뿌리깊은나무박물관:全羅南道 順天市 坪村3キル 45 (南内里 219)) [HP]

 

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プリキプンナム博物館を出て前回エントリーで紹介した「三・一独立運動紀念塔」まで戻り、<63>番バスで順天市中心部へ戻ります。
順天総合バスターミナル前のバス停で<57>番バスに乗り換え、まず到着したのは夕陽の照礼洞(チョレドン:写真)。この一帯は比較的新しい繁華街で、飲食店が密集しています。
この照礼洞へやって来たのは、順天湾の干潟で90%以上が産出されるという夏の味覚「マッチョゲ」(맛조개:マテガイ)で知られる某店の訪問のため。しかし話を聞くと、すでに今季のマッチョゲの取り扱いは終了したとのこと。マッチョゲの旬は7~8月とされますが、さすがに8月も末になるとシーズンは終わってしまうようです。
残念ですがないものは仕方がないので、来年こそマッチョゲを口にすることを誓いつつ、次の目当てのお店へ向かいます。また順天を再訪すべき理由が増えてしまいました。
<100>番バスに乗って次の目的地へ移動。このような急な予定変更時にも、現在地近くから目的地までの市内バスが容易に見つかり、しかも割とすぐに乗れることが順天の強みです。

 

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そしてやって来たのは「順天湾国家庭園」の西門からも近いお店「コゴベン土種(トジョン)タッスップルグイ」。知名度こそ低いものの、順天の名物料理のひとつに数えられる「タックイ」(닭구이:鶏肉焼き)。その専門店として評判が高く、かねてより目を付けていたお店です。

 

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タックイという料理は全国各地にありますが、順天のそれは前もってカンジャン(韓国醤油)ベースのヤンニョムに漬けておいた鶏肉を炭火で焼く点に特色があります。そのためか、こちらのお店の屋号にもスップル(炭火)の文字が。
注文したのは看板メニューの「土種タッスップルグイ」ハンマリ(1羽)。「土種タッ」というのは日本でいう「地鶏」に相当します。
 

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やって来たタックイ。見るからにうまそうです。じゅるり。
さすが1羽分を名乗るだけあってモモや胸肉はもちろん、手羽先に手羽元、さらにはタットンチッ(砂ずり)にタッパル(モミジ:足の先)まで。なかなかの分量ですが、順天のタックイは以前に別のお店でハンマリを難なく完食した経験があるので、特に心配はしていません。

 

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タックイは店員さんが焼いてくださいます。火力の強い炭火とはいえ厚みのある鶏肉ですので、食べごろに焼けるまでは割と時間を要します。

 

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空っぽのお腹をなだめつつ、あわてずじっくりと火を通してもらってから口の中へ。
うんまい。
パリパリの皮とジューシーなお肉、そしてカンジャンベースのヤンニョムのハーモニー。もうたまりません。箸を握る手も止まりません。そして気づいたらあっという間に完食。部位が異なるとはいえ鶏肉ばかりを食べていると味に飽きてくることがありますが、順天のタックイではそうした経験はまずありません。恐るべしカンジャンヤンニョム。

 

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こちらのお店「コゴベン土種タッスップルグイ」の営業時間は午後3時~午後11時、日曜定休です。
KoraiI「順天」駅からであれば駅正面から道路を渡った「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<52>番に乗って9つめの「チナリチェ(진아리채)」バス停(所要約11分)で下車、徒歩約5分(約290m)順天総合バスターミナルからは徒歩約5分(約270m)の位置にある「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<52>番に乗って12番めの「チナリチェ(진아리채)」バス停(所要約16分)で下車、以下同じ
今回私が注文したカンジャンヤンニョムの「土種タッスップルグイ」はハンマリ(1羽分)で43,000ウォン(約3,900円)。辛いソースのメウンマッも同じ値段。味もボリュームも大満足のお店です。

コゴベン土種タッスップルグイ専門店(꼬고뱅 토종닭 숯불구이 전문점:全羅南道 順天市 五泉2キル 18-7 (五泉洞 986-3))

 

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その後はおとなしくホテルに戻り、明けて9月1日(日)の早朝。帰国の日です。
順天はソウル駅からだとKTXでも3時間弱とかなり離れていますが、ちょうどよい時間帯に列車があるため、飛行機の出発時刻の3時間前までであればソウル駅の地下で手荷物預けと出国手続きのできる「ソウル都心空港ターミナル」の利用であっても余裕があります。一般に韓国ではかなり離れていることの多い鉄道駅とバスターミナルが比較的至近距離にあることを含め、順天という街の優位性がここにあります。そんなわけでこの日の朝食も順天で。

 

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これまでに何度も紹介した、順天最大級の在来市場、アレッチャン。「下の市」を意味するこの市場の西側沿いにある道路「長坪路(チャンピョンノ)」沿いには、いくつものクッパのお店が軒を連ねています。

 

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忙しい仕事の合間にも短時間で手軽に食べることができ、特に冬などは冷えた体を暖めてくれるクッパ。韓国の在来市場の商人たちにこれほど愛されている料理は他にないといっても過言ではありません。韓国の在来市場内やその近隣には必ずと言ってよいほどクッパ屋が立地し、お腹をすかせた商人たちを迎えています。同じ順天でも「上の市」であるウッチャンには、建物1階のほぼすべてが十数店ものクッパ屋さんで構成される建物があるほどです(写真。こちらに限り2018年10月撮影)

 

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アレッチャンそばの長坪路沿いには、以前にもこちらのエントリーで紹介した人気店「コンボンクッパ」がありますが、この日は午前6時を過ぎてまもなくで開店準備中だったため、もうひとつの目当てのお店へ。

 

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今回選んだのは24時間営業の「巨木(コモク)スンデクッパ」。以前に韓国SBSテレビで放映されていた番組『ぺク・チョンウォンの3大天王』を通じて知ったお店で、今回が2度目の訪問です。

 

f:id:gashin_shoutan:20190901060425j:plain前回同様、屋号にもなっている名物のスンデクッパを注文。価格は8,000ウォン(約720円)です。

 

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そしてやって来たスンデクッパ。その名の通りスンデがごろごろ入っています。こちらのクッパの特徴は日本のとんこつラーメンに似た味のスープで、これがとてもうんまいのです。スンデなどの具をあらかた食べてご飯を投入すると最後の一滴まで無駄なく、かつおいしく味わうことができます。

 

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スンデクッパの隣にある長方形のお皿に乗ったスンデ盛り合わせ。これはスンデクッパに付いてくるパンチャン(無料の付け合わせのおかず)ではありませんが、私が注文したものでもありません。
料理が出てくる少し前、店内で写真を撮っていたところ、ご主人らしき女性店員さんに話しかけられてきました。SNSで紹介するためと話すとたいそう喜んでくださり、なんとサービスで出てきたものです。これこそがメインのおかずレベルではというボリュームに驚きます。ただただ感謝。そしておなかいっぱい。 

 

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こちらのお店「巨木スンデクッパ」は前述した通り24時間営業、年中無休。
KoraiI「順天」駅からであれば駅正面の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス(どの路線でもOK)に乗って2つ先の「アレッチャン(아랫장)」バス停(所要約3分)で下車、徒歩約6分(約390m)全行程徒歩でも約19分(約1.1km)です順天総合バスターミナルからは徒歩約12分(約740m)

巨木スンデクッパ(거목순대국밥:全羅南道 順天市 長坪路 50 (豊徳洞 1265-5))

 

f:id:gashin_shoutan:20190901074105j:plainそして私にとっては定番となった順天駅午前7時42分発のKTXで、およそ60時間ほど滞在した順天を後にするのでした。

 

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これまでのエントリーですでにバレバレかもしれませんが、私にとって順天とはその歴史と文化に強い関心があるほか、ある程度下調べをすることでバスなど公共交通機関を使いこなせるという意味で「旅行力」を鍛えられる街でもあり、また本エントリーシリーズの前半でも紹介した曹渓山(チョゲサン、884mまたは887m)登頂のように新しいチャレンジを始めるにふさわしい、個人的に「特別」な街です。
順天についてはこれまで紹介してきた昨年(2019年)8月の旅の後にも、同年12月の全羅南道莞島(ワンド)郡の旅の帰りがけにも中継地点として立ち寄ることで3ヵ月ぶりに再訪を果たしました。さらに同月末、今度は主目的地として訪問。このときの旅では、これまで紹介してきた8月末の旅で訪問できなかった「順天ドラマ撮影場」(写真1枚目)や夕陽の名所「臥温海辺」(ワオン・ヘビョン。写真2枚目)を訪れ、個人的に初めてとなる韓国での年越しを経たうえで日の出の名所「花浦海辺」(ファポ・ヘビョン。写真3枚目)にて2020年の初日の出を拝んでまいりました。

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ご承知のように、本年に入り日本や韓国を含む世界のニュースは新型コロナウイルス「COVID-19」(韓国では一般に「코로나19」と呼ぶ)関連の話題が席巻しております。検査の進んでいる韓国では大邱(テグ)広域市や慶尚北道キョンサンブット)清道(チョンド)郡を中心に現時点で2千名あまりの感染者が確認されており、本エントリー公開前日(2月28日)には順天でも初の感染者が確認されました。日本のメディアは相変わらず数字だけを見て韓国での感染拡大状況を面白おかしく消費しているようですが、安倍政権の方針により感染の可能性がある人々の検査すら放棄した本邦での状況は一体いかほどでしょうか。私たちの想像をはるかに超えています。
こうした状況を受け、私も本年(2020年)3月に予定していた韓旅を中止しましたが、状況が落ち着いているであろう本年9月の連休前後に予定している旅では、また順天を訪問するつもりです。そのときにまた、アレッチャンにある私の大好きな酒場「61号ミョンテジョン」の名物「チルルッケティギム」(順天湾名産のヤマトオサガニの唐揚げ。写真。2019年12月撮影)ほかうんまい料理の数々を味わいつつ、順天の地マッコリを味わえることを願って。

 

昨年(2019年)8~9月の全羅南道順天市の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、昨年2月の全羅南道木浦(モッポ)市の旅(こちらのエントリーの続き)をお送りします。

順天の旅[201908_07] - 目と舌で堪能する「楽安邑城民俗村」、100年前の3.1運動万歳デモの現場を歩く

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の3日目、2019年8月31日(土)です。

 

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順天市楽安面(ナガンミョン。面は日本でいう「村」に相当する地方自治体)にある「楽安温泉(ナガン・オンチョン)」を出て、この日の主目的地である「楽安邑城民俗村」(낙안읍성민속촌:ナガンウプソン・ミンソクチョン)へ徒歩で向かいます。

 

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その少し手前、「楽安邑城」バス停のそばには写真の塔が建っています(この写真に限り2016年10月撮影)。

 

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こちらは「三・一独立運動紀念塔」といい、1919年4月13日、楽安の市の日に住民約150名の参加により挙行され、その後日本憲兵により鎮圧された万歳運動を記念して、まさにその現場である楽安邑城のそばに建てられたものです。

 

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楽安での万歳運動は、地元の農民であった金鍾胄(김종주:キム・ジョンジュ)と劉興柱(유흥주:ユ・フンジュ)の両志士らの主導によるものです。両志士らは4月13日の正午頃に楽安邑城外で群衆の呼応を誘導、午後2時ごろに150名あまりのデモ隊とともに「独立万歳」を叫びつつ楽安邑城内へ向かいます。デモ隊が楽安邑城に集まるや日帝憲兵が武力制止し、両者間に衝突が起きて負傷者が多数発生、主導者たちが逮捕されました。その後の裁判では金鍾胄と劉興柱の両志士が懲役1年6ヵ月、その他4名も同6ヵ月の実刑判決を宣告されています。

 

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写真は昨年(2019年)12月に訪問した全羅南道莞島(ワンド)郡、所安島(ソアンド)の「所安抗日運動記念館」にあった、1919年に朝鮮全土で展開された万歳運動「3.1運動」の発生地を示した展示物です。
日本においてこうした事実は歴史の教科書でこそ言及されているものの簡潔な説明に留まり、万歳デモが徹底して非暴力であったことも、それを弾圧した日本の憲兵などにより数千人もの犠牲者を出したこともほとんど知られていないのが実情です。また運動100周年であった昨年3月には日本の世論全体がその記念行事を「反日」として敵視し、差別や憎悪の正当化事由としたがったことは記憶に新しいかと思います。私たちはこうした3.1運動の事実も、また自ら構成員である社会での深刻な現状も直視しなければなりません。

 

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楽安の「三・一独立運動紀念塔」、私が訪問した当時は芝生の中に塔だけが建っているものでしたが、この少し前には3.1運動100周年を記念してテーマ公園への改装工事が計画されているとの報道がありました。完工後には独立宣言文を刻んだ造形物やムクゲの花壇などを併設し、周囲も韓屋の塀で囲み、誰でも立ち入ることのできる広場として生まれ変わるとのことです。その後の進捗は分かりませんが、史実を記憶継承する場として維持され発展することを願っています。

 

旧楽安郡地域
ところで、この「三・一独立運動紀年塔」や楽安邑城民俗村の位置する楽安面は、その属する順天市の中心部よりも、隣接する宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ。邑は日本でいう「町」に相当する地方自治体)の方がずっと近い位置にあります。それもそのはずで、実はかつて楽安と筏橋は同じ「楽安郡」に属していました。
「楽安郡」は現在の順天市楽安面と外西面(ウェソミョン)、宝城郡筏橋邑のほぼ全域、および順天市別良面(ピョルリャンミョン)と高興(コフン)郡の一部を領域としていた郡で、遅くとも高麗時代の930年にはその名が記録に残されています。
1908年に楽安郡は突然廃止され、その領域は当時の順天郡(後の昇州(スンジュ)郡。現在は順天市の一部)と宝城郡、高興郡に分割編入されました。当時はまだ「韓国併合」前の大韓帝国時代でしたが、その廃郡はすでに大韓帝国保護国化していた日本の意向だという説が有力です。
旧楽安郡は高麗時代から幾度となく倭寇に襲われたこともあり抗日意識が強いとされた地域で、羅喆(나철:ナ・チョル、1863-1916)氏をはじめとする独立運動家を生んできた土地でもありました。また廃郡の年の1908年には、当地一帯にて安圭洪(안규홍:アン・ギュホン、1879-1910)志士の義兵部隊による武装抗日闘争が激化していました。こうした抗日運動の一大根拠たる楽安郡を廃絶し、楽安と筏橋の両中心地を別々の郡に引き裂いてその弱体化を期するということが、日本による楽安郡廃郡の理由だとみられています。

余談ですが、こうした経緯もあってか筏橋邑は編入先の宝城郡の郡庁所在地である宝城邑に強い対抗心を持つとされ、その様子は筏橋を主舞台とした趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏の大河小説『太白山脈』でも描かれています(筏橋の警察署が宝城邑のそれより格上であることを自慢する描写など)。また2005年には宝城郡議会のミスで「筏橋コマク祭り」(こちらのエントリーにて紹介)の予算が全額削減されてしまう不手際があり、これに怒った筏橋邑民により宝城郡からの離脱と順天市への編入を求める署名運動が展開されたこともあります。

 

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そしてついに、楽安邑城民俗村に到着。2016年の秋以来、およそ3年ぶりの訪問です。

 

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邑城(ウプソン)とは主に高麗時代から朝鮮時代にかけて建設された施設で、外敵から集落を守るためにその全体を写真のような城郭で囲んだものをいいます。かつては楽安のみならず朝鮮半島全土にこうした邑城が点在していました。順天市だけでも楽安邑城に加え、現在の原都心(ウォンドシム。古くからの中心街)にも「順天府邑城(スンチョンブ・ウプソン)」が存在していましたが、日帝時代に跡形もなく解体されています。
楽安邑城の城郭は角の取れた長方形に形成されており、総延長は約1,410m。総面積はおよそ22万平方mで、うち城郭の内部は13万5千平方m。かなりの規模であることが分かるかと思います。

 

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当地における城郭の記録は百済時代に遡りますが、現在の邑城は高麗時代の1397年、当時この一帯を頻繁に襲撃していた倭寇からの防御のために金贇吉(김빈길:キム・ビンギル)将軍が積んだ土城が基礎となっています。また『世宗実録』には、その後1424年から長年に渡って城郭を石に改装、規模を広げたとの記録があります。
さらに下って1626年、楽安郡守に赴任してきた林慶業(임경업:イム・ギョンオプ、1594-1646)将軍により城郭を強固な石積みに改築されたものが、現在の楽安邑城です。林慶業将軍は当地を去るまでの約2年間に邑城の改築を含め善政を施したといい、また丙子胡乱(1636-37年に発生した朝鮮と清国との戦争)などでも功績を収めたことなどから、当地では地域の守護神として信仰の対象にまでなっているとのことです。写真は楽安邑城内にある、将軍の善政を称えた「林慶業将軍碑閣」(全羅南道文化財資料第47号)です。

 

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順天府邑城とは異なり楽安邑城の城郭や施設は日帝時代以降も残りましたが、朝鮮戦争期にはかつての官衙門であり湖南(ホナム。全羅道の別称)の名楼にも数えられた楽民楼(ナクミンルー)が焼失するなど一部が荒廃状態となり、一方で城郭内には邑城の雰囲気にそぐわない近代的な建物も建つようになりました。そうした中、1983年には邑城全体が韓国の史跡第302号に指定され、これと前後して本来の姿に復元するための政府主導による活動が始まります。そうして80年代後半には楽民楼と東門、南門が復元され、さらに城郭内外には草家(チョガ)と呼ばれるわらぶき屋根の家屋が立ち並ぶ往時の姿を取り戻しました。
こうして現代によみがえった楽安邑城はその全体がテーマパーク「楽安邑城民俗村」となり、年間訪問者数およそ120万人もの一大観光地にまで成長。入場料制度を導入することで、観光客への適度な開放と城郭内の環境維持の両立を図っています。またその歴史的価値が認められ、2011年にはユネスコ世界文化遺産の暫定リストにも登載されています。写真1枚目は楽安邑城の復元作業が始まった1983年の航空写真、2枚目は復元作業完了後の1997年の航空鳥瞰写真で、いずれも楽安邑城民俗村内の「資料展示館」にあった展示パネルです。

 

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この楽安邑城民俗村が韓国国内に点在するその他「民俗村」と大きく異なる点として、古くは朝鮮時代に建てられた築後100年以上もの草家に現在も住民が、それも約100世帯に200人あまりが生活していることが挙げられます。なお、これら民家の一部は民泊を営んでおり、外部の人が宿泊することも可能となっています。

 

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写真は、順天市内バスの側面に大きく描かれた順天市のシンボルマークです。
順天市HPのこちらのページによると、丸い輪郭は昇る太陽(順天市民の一体感を示す)を、上の三角形は伝統瓦屋根(伝統と歴史が息づく街)と「人」の字と天に上昇する方向表示(21世紀の中心都市として羽ばたく姿)を、白い湾曲したラインは同市のイニシャル「S」と順天湾の干潟の水流(力強い気質)を意味しているそうです。
そして中央部を横切る凸凹こそがまさしく楽安邑城の城郭を形象化したもので、3つの凹部は教育・産業・観光都市を、4つの凸部は文化・芸術・交通・伝統をそれぞれ意味しているとのこと。同市内の名所として順天湾とともに、また具体的な建築物としては唯一このシンボルマークに採用されている点に、順天市における楽安邑城の存在感が見て取れます。

 

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少し話がそれましたが、いよいよ3年ぶりの楽安邑城民俗村へ。楽安邑城の東門にあたる「楽豊楼」(낙풍루:ナクプンヌー)から入場します。城郭内へは後述するように南門からも入場できますが、バス停からも駐車場からも近いこの楽豊楼が楽安邑城の玄関の役割を果たしています。 


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すでに朝食から6時間近く経過していたお腹を満たすべく、入場してすぐに向かったのは、楽安邑城を横断するメインストリート「忠愍(チュンミン)キル」沿いにある乱廛(ナンジョン。「露店」の意)の2号店、「名月館(ミョンウォルグァン)」。

 

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一見してよくある観光地の飲食コーナーに見えるこちらのお店へやってきた理由は、名物のトンドン酒(濁酒(タクチュ)の一種。同じ濁酒のマッコリが原酒の下に沈んだ粕を濾したものであるのに対し、トンドン酒は原酒の上側のやや濁った部分をすくい取ったもの)が目当て。
このトンドン酒、なんとお店で醸したオリジナルのお酒なのです。ひと口飲んでみると、過去に味わったことのないフルーティーな酸味が。かなりうんまい。アルコール度数も高めのようで、割とお酒には強いはずの私もたちまち酔いが回ります。

 

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トンドン酒とあわせて注文したのは、隣接する筏橋名産のセコマク(サルボウガイ)をふんだんに入れたコマクジョン(ジョンは日本でいうチヂミ)。こちらもレベルが高いです。

 

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こちらのお店「名月館」の営業時間は午前8時半~午後7時半、年中無休。名物のトンドン酒は7,000ウォン(約670円:2019年8月現在。以下同じ)、コマクジョンは10,000ウォン(約950円)。楽安邑城の観光でのお食事には強くおすすめできるお店です。
なお前述したようにお店は楽安邑城民俗村の内部にあるため、ご利用に際しては民俗村の入場料4,000ウォン(約380円)が別途必要であるほか、外部からの訪問の場合には楽安邑城民俗村の入場時間(お店より短い。後述します)の制約を受けます。

名月館(명월관:全羅南道 順天市 忠愍キル39 (南内里 26-1))

 

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ところで楽安邑城民俗村といえば、上にあるような高台から撮った全景写真を思い出す方も少なくないことでしょう。この写真は楽安邑城の西端にある城郭の最高点から撮ったもので、入場者の誰でも自由に登ることができます。

 

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こちらの高台、直下から見るとかなり急な階段で、登るのが相当しんどいように見えます(この写真に限り2016年10月撮影)。

 

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しかし、実は楽安邑城の西門である楽秋門(낙추문:ナクチュムン)脇にある階段(写真1枚目)を登り、なだらかな傾斜となっている城郭上の遊歩道(2枚目)を南門方面へ進むと、この高台へ簡単に到達することができます。

 

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ちなみに西門(楽秋門)は写真のように簡素なゲートがあるだけで、東門(楽豊楼)や南門(雙清楼)のようにかつての施設は復元されていません。これはたぶん楽安邑城内へ出入りする車両の便宜のためだと思われます。

 

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楽安邑城には、草家のほかにも朝鮮時代の木造建築が残っています。
そのうちのひとつが写真の客舎(객사:ケクサ。国外などから来た賓客の宿舎。地方官衙では最上級の施設)で、「楽安客舎」として全羅南道有形文化財第170号にも指定されています。

 

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客舎の裏手は広い野原になっており、30本あまりの巨大な樹木が立っています。

 

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イチョウやエノキ、ムクノキなどで構成されるこれらの巨木はいずれも樹齢300~600年と推定されるもので、1626年の林慶業将軍による改築完工のときの記念樹も含まれるとみられています。うち15本は「楽安邑城内老巨樹」として全羅南道記念物第133号に指定されています。

 

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楽安邑城の路地。土塀あるいは石垣が道の両脇を彩ります。どこを切り取っても絵になる風景。この塀の向こうに誰かの暮らしがあることが、またたまらないのです。

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いくつかの草家は開放されており、庭や内部を見学することができます。写真の建物は南門のそばにある「酒幕(ジュマク)チッ(주막집)」と呼ばれる家屋で、韓国の国家民俗文化財第98号にも指定されています。楽安邑城民俗村にはこちらのような国家民俗文化財に指定された家屋が9棟も存在しています
 

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楽安邑城の南門にあたる「雙清楼」(쌍청루:サンチョンヌー)。ここにも券売所があり入場可能ですが、東門(楽豊楼)とは大きく異なり外側は田んぼばかりなので、こちら側から出入りする人はほとんどいないようです。

 

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こちらの門を出て少し歩いた場所から振り返って見ると、楽安の「鎮山」(진산:チンサン。都や村を鎮護するとされる大きな山)である金銭山(금전산:クムジョンサン、667.9m)を背景にした姿を見ることができます。いったん外に出る格好となりますが半券があれば再入場可なのでご安心のほど。

 

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この「雙清楼」の2階にあたる場所には板の間があり、誰でも靴を脱いで上がりくつろぐことができます。
涼しい風が駆け抜けてゆくこの板の間で欄干にもたれて休んでいたら、トンドン酒の酔いも残っていたせいか、いつの間にか30分ほどうたた寝してしまっていました。

 

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雙清楼は1980年代に復元されたものですが、韓国には築後100年を優に上回り文化財指定された物件でありながら、こうして上がって休息を取れる建物がいくつもあります。たとえば、この2ヵ月前(2019年6月)に訪問した京畿道(キョンギド)水原(スウォン)市にある「水原華城(ファソン)」の施設群のひとつ、1794年築の「訪花隨柳亭」(パンファ・スリュジョン。宝物第1709号。写真)などもまたそうでした。
私にとっては、これもまた韓国の文化財を訪問したい理由のひとつです。

  

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以上で紹介した楽安邑城民俗村の営業時間は、5~9月は午前8時半~午後6時半、11~1月は午前9時~午後5時半、その他の月は午前9時~午後6時、年中無休です。入場料は大人4,000ウォン(約380円)。
楽安邑城民俗村へのアクセスは、Korail「順天」駅からだと「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<68>番(7便/日)に乗車するか、または「順天駅西側(순천역서측)」バス停より市内バス<63>番(8便/日)や<61>番(3便/日)に乗車し、約44~56分で到着する「楽安邑城3.1運動記念公園(낙안읍성 3.1운동 기념공원)」で下車。そこから徒歩約2分(約120m)で楽豊楼(東門)前の券売所に到達できます。
順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<61><63><68>番に乗車(約39~53分)、以下同じ
前述したように楽安邑城は筏橋邑から近接しているため、筏橋経由という手もあります。順天駅からであれば、まずはムグンファ号(4本/日)でKorail「筏橋」駅へ移動(約23分)、そこから徒歩約7分(約420m)の「税務署アプ(세무소잎)」バス停より農漁村バス<낙안(楽安)20><낙안20-1><낙안20-2><낙안20-3>のいずれかに乗車(約10便/日)、約31分で到着する「楽安邑城(낙안읍성)」で下車、以下同じ。ムグンファ号は本数が少ないので、代わりに「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<88>番(35便/日)に乗車し、約45分で到着する「コサマートアプ(코사마트앞)」で下車、同じバス停から農漁村バス<낙안20><낙안20-1><낙안20-2><낙안20-3>のいずれかに乗車(約10便/日)、約33分で到着する「楽安邑城3.1運動記念公園(낙안읍성 3.1운동 기념공원)」で下車してもOKです。

正直なところ、楽安邑城民俗村の内部にある物件や展示物については、以上の写真でもまだ10分の1も紹介できていないと思います。まともに紹介しようとしたならばブログエントリーが何回あっても足りません。その魅力については実際に訪れて直接ご堪能いただきたいと願っています。

楽安邑城民俗村(낙안읍성민속촌:全羅南道 順天市 忠愍キル 30 (東内里 437-1)) [HP]

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なお前述したように、楽安邑城内には現在も多くの方が草家を住居として生活されています。そのため現役の住宅には写真のような看板が掲げられ、訪問客に注意を促しています。大声で騒ぐなどの行為はもちろん、門の閉まっている住宅、特に写真の看板がある場所への許可なき立ち入りは厳に慎むようお願いいたします。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

今年もありがとうございました。

こんばんは、ぽこぽこです。
今年(2019年)も残すところあとわずか。今年も拙ブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。


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昨日(2019年12月30日)、全羅南道順天市「龍山展望台」にて撮影した順天湾湿地。

 

さて、本日は2019年の大晦日。私はいま、全羅南道(チョルラナムド)の順天(スンチョン)市に滞在しています。同じ全羅南道の木浦(モッポ)市などを訪問した後、年越しのために立ち寄ったものです。生まれて初めて韓国の土を踏んだのは忘れもしない約23年前の1997年の元日、日中でも気温は0℃を下回る極寒のソウルでしたが、思えば韓国で年を越すのは初めての経験です。今年最初の韓旅で真っ先に訪れた街であるうえ、その後今日まで4度も訪問し、また個人的に思い入れも強い順天を、人生初の韓国での年越しの場に選択しました。
順天といえばちょうど現在、本年8~9月に訪問した際のエントリーシリーズの更新真っ最中です。できれば年内に完結させたかったのですが、この年末いろいろと立て込んだ関係で越年することとなりました。残るはたぶんあと2回。がんばって更新いたします。


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本日(2019年12月31日)、全羅南道順天市「順天ドラマ撮影場」にて撮影。

 

ところで私の2019年の韓旅は、10~11月のフランスの旅のトランジットで立ち寄ったものを含め全11回と、1年間での史上最多となりました。これらの旅には数えきれないほどの出会いと発見があり、そのいずれも思い出に強く残っています。
2017年がそうであったように、これらの旅のすべてを本ブログにて紹介したいところですが、うち更新中の順天の旅(8~9月)が3ヵ月あまりを要している現状では、今後いつ紹介できるか見当もつきません。なので、今回のエントリーで写真とあわせてごく簡単に触れておきたいと思います。

 

●2月:全羅南道順天市全羅南道木浦市

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今年最初の旅です。うち全羅南道木浦市にある児童福祉施設「木浦共生園」については、訪問当日のツイートでも、そして3月に更新したこちらのエントリーでも大きな反響が得られました。1泊2日の木浦の旅ではこのほか市内に点在する国家登録文化財のすべて(当時)を訪問、また木浦新港ではセウォル号と対面することができました。
旅の後半で体調を崩したため、帰国前夜には釜山にいながら何もできずホテルでじっとせざるを得なかったのも、いまとなっては懐かしい思い出です。


●3月:慶尚南道統営市、釜山広域市

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慶尚南道キョンサンナムド)南部の港町、統営(トンヨン)市はこの3ヵ月前に初めて訪問したばかりでしたが、あまりに雰囲気がよく、また時間の都合により主目的地のひとつ「東(トン)ピラン壁画マウル」(写真1枚目)の訪問がかなわなかったための再訪でした。
韓国の街に「旬」があるならば、韓国産の80%を占める名産のカキやムルメギ(和名「ビクニン」)がおいしい冬こそがまさに統営の旬だといえるでしょう。私が訪問したこの時期の風物詩、トダリ(メイタガレイ)とヨモギのスープ「トグリスックッ」(写真2枚目)が季節のメニューに登場する初春もまた統営の旬だといえるかもしれません。これらの時期を狙って再訪したいものです。

 

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ところで統営といえば、昨年12月に訪問した同市の離島、欲知島(ヨクチド)もまた大変印象に残っています。こちらもできれば紹介したいと思っています(余談ですが本年12月14日に欲知島モノレールが開業したと知り驚いています。知らなかった……)


●4月:光州広域市忠清南道天安市、ソウル特別市、京畿道坡州市、忠清南道舒川郡、全羅南道木浦市

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本年3月に就航したチェジュ航空の成田-務安(ムアン)線を初めて利用した旅であるため、務安国際空港への直行バスがある光州(クァンジュ)広域市と木浦市がそれぞれ旅の始まりと終わりになりました。このときは務安午後6時台着、午前11時発とまあまあ利用しやすい時間帯であったものの夏には午後9時台着、午前8時発と利用しづらくなり、秋には利用者低迷によりついに休航となってしまいました。
忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)市では柳寛順(유관순:ユ・グァンスン)烈士の出身地であり、また名物のスンデでも知られる並川(ピョンチョン)マウルを訪問(写真1枚目)。また京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市では臨津閣(イムジンガク)の敷地内に建立された「平和の少女像」の序幕式に参加(写真2枚目)。その過程で、かつてないほど多くの方々との出会いに恵まれた旅となりました。


●5月:光州広域市

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本年で3年連続となった、1980年の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)関連の行事や特別展示、史跡などを巡る旅です。この旅でも39年前の史実を記憶し継承しようとする心ある方々と出会い、お世話になる機会を得ることができました。
写真1枚目は5月27日早朝、全南道庁での最終抗戦にて戒厳軍に射殺された市民軍のスポークスマン、尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン)烈士銅像であり、母校のサレシオ高等学校の校庭に建てられているものです。ここへは烈士の2人の弟さん(次男・三男)と一緒に訪問する機会を得られました。その際に撮らせていただいた「3兄弟」の写真は私にとって新たな宝物となりました。
今回の旅では5.18民主化運動関連にとどまらず、光州高等学校の敷地内にある「4.19民主革命歴史館」(写真2枚目)を訪問。1960年4月19日のデモに始まり、その結果として時の李承晩(이승만:イ・スンマン)大統領を退陣に追い込んだ「4.19革命」の一連のデモが韓国で初めて展開されたのが、まさしくここ光州高等学校であることを学びました。


●6月:江原道春川市ソウル特別市、京畿道水原市仁川広域市

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江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市にて毎年開催されており、今回が6回連続での訪問となる「春川マッククスタッカルビ祭り」。例年は8月未に開催されているこのお祭りが本年から6月開催に変更となったため、このタイミングでの春川訪問となりました。
初訪問の京畿道水原(スウォン)市は、韓国を代表する観光名所のひとつ「水原華城(ファソン)」の城壁を徒歩で一周。現存する施設群、とりわけ写真の龍淵(ヨンヨン)越しに眺めた「訪花隨柳亭(パンファ・スリュジョン)」(写真2枚目)の美しさには心を奪われました。来年・2020年1月日本公開の映画『エクストリーム・ジョブ』にも登場する、水原の新名物グルメ「水原王(ワン)カルビチキン」は時間の都合で口にできなかったため、次回訪問時の宿題です。


●7月:大邱広域市慶尚北道星州郡、慶尚南道陜川郡

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慶尚北道キョンサンブット)星州(ソンジュ)郡では、バスターミナル「星州バス停留場」を訪問。こちらは映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』劇中で「順天バスターミナル」として登場し、ソン・ガンホさん演じる主人公マンソプがククスをむさぼるようにすすったあの食堂が実在する場所です。3度目の訪問にしてようやく、あのククスを再現した名物の「ソン・ガンホククス」(写真1枚目)を味わうことがかないました。
続いて訪問した慶尚南道陜川(ハプチョン)郡は、主に広島で被爆した韓国人被爆者が現在も多く居住することから「韓国のヒロシマ」とも呼ばれることもあります。今回はそうした被爆者の方々が治療を受けつつ生活する「陜川原爆被害者福祉会館」の敷地内にある「陜川原爆資料館」(写真2枚目)を訪問。職員の方の計らいにより、今年で89歳になる男性被爆者の方とお話をする機会を得られました。その方には小学3年生当時の広島での被爆体験を伺うのみならず、なんと同郡内の「陜川映像テーマパーク」まで車で送ってくださるなど、不意の親切に触れた旅となりました。


●8月:光州広域市忠清南道保寧市、忠清南道舒川郡、全羅北道群山市全羅南道木浦市

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「マッドフェスティバル」で知られる忠清南道保寧(ポリョン)市では、1970~80年代のたたずまいを残していることから、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』にも1980年の光州市内として登場した、Korail長項線(チャンハンソン)の青所(チョンソ)駅前通り(写真1枚目)を訪問。なお青所駅は長項線の複線電化に伴い、早ければ来年・2020年にも廃駅となる予定です登録文化財の駅舎は保存される見込み)
続く忠清南道舒川(ソチョン)郡では、本年4月に続いて2度めとなる、日帝時代の日本式家屋など古い建物が残る板橋(パンギョ)マウルヘ。敵産家屋でありながら韓国の人々によって大事にされてきたこれら建物のある風景を再び目にしたいという思いに加え、同マウル内にある名店「スジョン冷麺」(写真2枚目)の冷麺の味があまりに恋しく、また前回訪問時に親切にしていただいたご主人の男性へのお礼のためでもありました。来年も機会を見つけて訪問するつもりです。
こちらも2回目の全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市では、本年6月に開館したばかりの「日帝強占期群山歴史館」を見学。隣接する東国寺(トングクサ)とあわせて、強く訪問をおすすめする施設です。こちらもいずれ本ブログにて紹介いたします。


●8~9月:全羅南道順天市

3泊4日の日程のほぼすべてを順天市内の踏査に費やしたこの旅では、そのすべての移動で事前に調べておいた路線バスを利用するなど、個人的に「史上最も計画通りに進んだ韓旅」となりました。現在もエントリーシリーズを更新中ですので、本エントリーでの詳しい紹介は控えます。


●10月:仁川広域市

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フランスの旅に先立つ仁川国際空港でのトランジットの合間を利用した、個人的に史上最短(9時間)となるこの旅では、仁川市内の富平(プピョン)にある「三菱チュル住宅」と「富平公園」、「富平歴史博物館」を訪問。三菱チュル住宅(写真1枚目)とは、かつて当地にあった三菱製鋼の工場に強制徴用されていた朝鮮人たちの宿舎であった長屋のことです。その多くはすでに解体され、現在は3棟のみが残されていますが、来年にはさらに2棟が解体予定だとのことです。富平公園はその三菱製鋼の跡地に造られたもので、ともに戦時中、そして戦後74年を経て今日も日本人に蹂躙され続けている人々を象った「仁川平和の少女像」と「仁川日帝強占期徴用労働者像『解放の予感』」(写真2枚目)が並び立ちます。そして富平歴史博物館には、そうした史実が数々の収蔵品とともに展示されているほか、当時の三菱チュル住宅の再現展示も設置されています。こちらもご訪問をおすすめする場所です。


●11~12月:全羅南道莞島郡、全羅南道順天市

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1年ぶりとなる韓国の島旅の行き先に選んだのは、今回が初訪問となる全羅南道莞島(ワンド)郡の2つの島。まず所安島(ソアンド)日帝強占期当時、咸鏡南道(ハムギョンナムド)の北青(プクチョン)、釜山の東莱(トンネ)と並んで特に独立運動の激しかった地域とされ、独立運動家89人、建国勲章受章者20人を輩出したことから「抗日の島」と呼ばれます(写真1枚目)。導かれるような思いで訪問した「所安抗日運動記念館」では、お会いした館長様から直々に展示物の解説を聞いたり、さらには車で独立志士の墓所まで送って行かれたりと、またも不意の親切に触れる機会となりました。
続いて訪れた青山島(チョンサンド)ではアワビなど地域の海産物に舌鼓を打ち、韓国映画史に残る名作『風の丘を越えて/西便制』の撮影地(写真2枚目)などを訪問、さらには徒歩で島を横断したりと終始楽しい旅となりました。

 

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帰りがけに立ち寄った順天では、在来市場アレッチャンにある大好きな酒場「61号ミョンテジョン」を訪問。8月の訪問時には膝の手術のため臨時休業していた店主さんの元気なお姿を目にしてほっとするとともに、うんまい料理の数々を久々に口にでき満足しています。


●12月~1月:全羅南道木浦市全羅南道新安郡全羅南道順天市

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現在進行中の旅です。今回の旅では木浦港から高速船に乗り、新安(シナン)郡にある韓国最南西端の離島、可居島(カゴド)を訪問する計画でした。しかし天候不良により海が大荒れとなってしまい、目前の下苔島(ハテド。写真)で引き返す羽目となってしまいました。念願の可居島訪問は新年に預けることといたします。


前述したようにこれらの旅では多くの人々と出会い、また会話をする機会がありましたが、特に7月以降のそれにおいては日本の安倍政権による対韓国での不誠実極まりない態度について話す機会が増えました。またこの頃から訪問先のあちこちで、日本製品不買運動に関する意思表示の横断幕などを頻繁に目にするようになります。
日本における韓国憎悪は安倍政権だけが暴走しているのではなく、悪意的なニュースの取捨選択に留まらず日本政府におもねった事実歪曲すら厭わない日本の報道各社、そしてそれらを消費して溜飲を下げ醜い憎悪感情をそのまま韓国(人)に投影したがる日本の市民たちの共犯関係によるものです。加えて対韓国ではなくとも、朝鮮学校限定での無償化除外という露骨な差別政策に追従し、あろうことか「合法」だと判断した司法もまたその同一線上にあるものです。
まことに恥ずべきことですが、こうした官民一体の韓国憎悪は、程度の差こそあれど老若男女や思想の左右を問わず、この社会であまねく共有されているほぼ唯一レベルのテーマだといえます。事実、本年は日本社会が一丸となり韓国への敵意と憎悪、侮蔑心をあらわにしたさまざまな出来事がありました。昨年末から越年しつつも結局は問題を一方的に拡大した日本側が証拠を示せずうやむやにして終わった「レーダー照射」問題に始まり、韓国政府に民事訴訟である韓国徴用工裁判の判決への介入を迫り、拒否されるや今度は「ホワイト国」除外という筋違いの経済報復、その対抗として韓国市民により展開された日本製品不買運動への嘲笑的態度、さらには東京五輪の観客席における植民地支配と侵略のシンボル、旭日旗の許容。そんな本年は日本人にとって、まさに「2019韓国憎悪の年」といっても過言ではないでしょう。

また、本年8月に曺国(조국:チョ・グク)氏が法務部長官候補に指名され、韓国内で政争となった際には、日本とはほとんど関係ないニュースであるにもかかわらずワイドショー番組がここぞとばかりに取り上げ、同氏やその任命権者である文在寅(문재인:ムン・ジェイン)大統領の人間性、ひいては韓国の「国民性」云々までこぞって娯楽として消費したのは記憶に新しいところです。大方の日本人は事あるごとに韓国人を差別し見下さないと自我が保てない、という事実を改めて示された格好となりました。
そして日本では、安倍政権がこのように政策的に韓国憎悪を扇動をすればするほど支持率が上昇するという実態があるわけです。これはもはや日本政府単独の暴走ではなく、日本人「みんな」の「総意」による憎悪ですよね。私はこれに断固反対する立場ですが、いかなる影響力を及ぼすことのできない一点でその共犯者でしかないわけです。これまでそうしたことは一度もありませんでしたが、今後もし韓国訪問時にそのことで現地の方から責めを受けたとしても、私にはいかなる弁解も許されません。

私が圧倒的少数派に属しているのは重々承知しています。しかし、私たちがここで抗うことをやめれば、想像すらしたくない破局的な結末が訪れるかもしれないのです。
私が、そしてこの文をお読みいただいているあなたが、いままさしく「順天のマンソプ」なのです。

 

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本エントリーの最後に、どうしても紹介しておきたい一文があります。
ソウル・東大門「平和(ピョンファ)市場」における女子被服工への搾取と劣悪な労働環境の改善のため一労働者として立ち上がり、奔走の末に勤労基準法の火刑式の炎にその身をくべた、「美しき青年」全泰壱(전태일:チョン・テイル)烈士(写真)。私の敬愛する烈士がちょうど50年前の今日、1969年12月31日に記した日記の一節です。

 

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올해와 같은 내년을 남기지 않기 위하여
나는 결코 투쟁하련다. 역사는 증명한다.

今年のような来年を残さないよう、
僕は断固闘うつもりだ。歴史は証明する。

この言葉を胸に刻み、来たる2020年もこの社会における「みんな」の「総意」に生きて抗うことを誓います。

 

ごく個人的には仕事が慌ただしかったりと、以前に比べブログ更新が難しい毎日が続いていますが、本ブログが心ある誰かの韓旅の参考となることを願い、今後も更新を続けてまいります。

それでは、よいお年を。
みなさまにとって2020年がとって輝かしい1年となりますように。


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本日(2019年12月31日)、全羅南道順天市「臥温海辺(ワオン・ヘビョン)」にて撮影。

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