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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

束草の旅[202002_01] - 一生涯忘れられない、忘れたくない酒場「番地オンヌン酒幕(番地のない酒幕)」へ

慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の旅を紹介するエントリーの途中ですが、今回は訳あって特別に、昨年(2020年)2月に訪問した江原道(カンウォンド) 束草(ソクチョ)市の旅を紹介したいと思います。なお、統営の旅は次回以降に引き続き紹介する予定です。

 

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束草市は江原道の北東部、東海(トンへ。日本海)沿いにある人口約8万人の港湾都市です。北緯38度線よりも北にあることから、1945年の光復(日本の敗戦による解放)以降はソ連軍政下となり、1948年の南北両政権樹立より1950年の朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)までは朝鮮民主主義人民共和国に属していました。その後韓国軍と国連軍の勢力下に入り、休戦ラインの確定により正式に韓国領となって現在へと至ります。
戦争中には江原道と北で接する咸鏡道(ハムギョンド)の住民を中心とした「失郷民(シリャンミン)」と呼ばれる避難民が押し寄せ、一部がそのまま束草に定着しました。これら失郷民の中には、いったん釜山などに逃れつつも戦後の帰郷を夢見てわずかでも故郷に近い束草に移動、しかし願いかなわず束草に留まった人々も含まれます。
休戦後、避難民たちの滞在に加え東海上における漁業の盛況などにより束草は着実に人口増を遂げ、1963年には襄陽(ヤンヤン)郡より独立して市制施行、現在に至ります。

 

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市内には国立公園にも指定されている雪岳山(ソラクサン、1,708m)をはじめとする自然景観に加え、咸鏡道からの失郷民たちが集まって形成された「アバイマウル」(アバイとは咸鏡方言で「お年寄り」、マウルは「村、集落」の意)などの観光スポットが点在し、そして東海の海の幸が味わえるとあって、南側の襄陽郡を挟んだ江陵(カンヌン)市とともに江原道北東部の2大観光都市としての地位を確立しています。
写真は、運河で隔てられた束草市街地とアバイマウルを結ぶ人力のイカダ「ケッペ」で、このケッペ自体もまた束草の観光資源のひとつとなっています。
そして私にとっては、今回が初めての束草訪問となります。

 

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2020年2月15日(土)、いつものようにセールでチケットを押さえたジンエアー「LJ202」便で成田空港第1ターミナルを発ち、2時間40分後に仁川国際空港第1ターミナルに到着。しかし、この「いつも」が当面これっきりになるとは……。
この日の時点ですでに、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う海外旅行者の減少の影響が如実に表われていました。成田空港はいつもの40分前後もの離陸渋滞もなく、出発時刻15分後に離陸。また仁川国際空港では、普段から長蛇の列が形成される入国審査ゲートに誰も先客がいないという。この日の時点で中国では自国民の海外旅行を全面禁止しており、主にその影響だと思われます。そのため、どの観光スポットを訪れてもほとんど観光客を見かけないという過去にない旅となりました。

 

束草行きのバスは仁川国際空港からも出ていますがたまたま接続が悪く、束草には午後8時とかなり遅い時間の到着となるため、今回はソウルを経由することに。まずは空港バス<6020>番に乗り、ソウルの高速ターミナルへ移動。そこから2~30分おきに発車する束草直行の高速バスに乗れば、早ければ午後6時台には束草に到着できる見込みです。


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ソウル高速ターミナル。1981年に落成したというこちらの建物、かなり特徴的な三角形をしています。

 

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ソウル高速ターミナルを15時40分に発つ高速バスに乗車。いざ、束草へ。

 

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韓国での中距離バスの旅で秘かに楽しみにしているのが、トイレ休憩のため途中で立ち寄る休憩所(ヒュゲソ:日本でいうサービスエリア)。今回は京畿道(キョンギド)加平(カピョン)郡の「加平休憩所」(写真)に停車。
その後しばらく走っていると、入口付近にやけに派手なイルミネーションのあるトンネルに入ります。こちらのトンネル、韓国の道路トンネルとしては最長の麟蹄襄陽(インジェ・ヤンヤン)トンネルで、全長はなんと10,965mもあるのだとか。私の乗った高速バスはこのトンネルをおよそ6分で駆け抜けて行きました。

 

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そうして約2時間50分後の午後6時半、束草高速バスターミナルに到着。ただし、今回の旅では帰りの便を考慮して同じ束草のバスターミナルでも遠く離れた束草市外バスターミナルの近くに宿を確保したため、ここから市内バスに乗って移動する必要があります。
韓国では高速バスと市外バスは明確に区分されており、たとえば高速バスとは「走行距離が100km以上でその60%以上が高速道路であり、かつ途中(起点や終点の行政区域内などを除く)で乗客の乗降をさせないもの」を指すとされています。
これまで本ブログで紹介してきた地方都市だと、たとえば慶尚南道統営市全羅南道(チョルラナムド) 順天(スンチョン)市木浦(モッポ)市などは高速バスと市外バスの両方が発着する単一の「総合」バスターミナルが設けられていますが、一方で束草市や同じ江原道の春川(チュンチョン)市のように両者のバスターミナルが別々になっているケースも多々あります。春川などは隣接しているからまだよいものの、束草の場合だと市内バス利用で最短約24分かかるほど両者が離れているという……。ちなみに、仁川国際空港発のバスに乗車した場合には束草市外バスターミナルに到着することになります。

 

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束草高速バスターミナルの時刻表。

 

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束草高速バスターミナルのコインロッカー。
韓国では地方のバスターミナルや鉄道駅などにコインロッカーが設置されていないことがままあり、コインロッカーの有無で旅程を左右されるケースも珍しくありません。私の後に韓国の地方旅をされる方のために、本ブログではこうした韓国の地方都市のバスターミナルや駅のコインロッカー情報を積極的に配信してまいります。

 

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今回の宿は「Airbnb」で探した民泊。韓国ではよく見られるオフィステル(キッチンやトイレ、バスなど基本的な生活設備を備えつつも事業所としての使用を前提として造られた部屋)を宿泊施設に転用したものです。しかもオンドル(床暖房)付き。こうした部屋は値段の割に広く、写真のように大きな冷蔵庫に加え洗濯機もあることから中長期滞在に適しているという特長があります(まあ私は2泊だけですが)

 

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民泊のある建物の1階にあったトイレ。「オジンオスンデ」など東海産のイカを用いた名物料理で知られる束草らしく、男女の表示にもまさかのイカさんが。
こうして宿に荷物を降ろし、いよいよ今回の旅最初の目的地である夕食のお店へ。

 

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束草の繁華街から離れた住宅街の片隅に、その店はひっそりと看板を掲げています。

 

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そのお店の名は「番地オンヌン酒幕」(번지없는 주막:ポンジオンヌン・ジュマク)。日本語だと「番地のない居酒屋」くらいの意味になるこちらのお店は、韓国で「テポチッ(대포집)」あるいは「テポッチッ(대폿집)」と呼ばれる往年の大衆酒場の雰囲気を残した飲食店です。「復興鉄物(プフン・チョルムル)」という金物屋さんの敷地の奥に店を構えているため、看板がないと一見してそれとは全く分かりません。

 

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一見入りづらいたたずまいですが、意を決して店内へ。
こちらのお店は年配の男性のご主人が一人で経営されているもので、後述するように自家製マッコリで名高いお店です。ただ、店内はお店というよりも会社の事務所を店舗にしたような様子で、壁面のメニュー表だけがここが飲食店であることを主張しているかのようです。写真1枚目の椅子はご主人の定位置。
来客用のテーブルは、応接用のようなガラステーブルひとつしかありません。しかも椅子も学校の生徒用みたいなもの。ですがこういう雰囲気が個人的にはたまらないのです。

 

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こちらのお店は鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの名著『マッコルリの旅』東洋経済新報社刊、2007年)でも紹介されており、私もまたそれがきっかけで知ったという次第です(お店はその後移転)。写真はこちらのお店にあった『マッコルリの旅』の該当ページ。そのためこちらのお店には日本人が断続的に訪れているそうで、私の6日前に来店したという日本人グループが残したメッセージカードを喜ばしげに見せてくださいました。

 

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こちらのお店の名物は、なんといってもご主人が自ら醸した自家製マッコリ。かつて醸造場に勤務したことがあり、その際に覚えたという手造りマッコリはやかんに注がれて出されます。

 

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手造りマッコリと基本アンジュ(おつまみ)。ご主人は足が不自由なため、盛り付けられたところを私自身でテーブルに運びます。
そしてマッコリをひと口。ああ。コクがあって猛烈にうんまい。長旅で疲れた体の芯から隅々まであっという間に行き渡ります。

 

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基本アンジュにあったパンチャン(おかず)の数々。どれもマッコリに合うやつばかり。うんまかったです。

 

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ご主人はとても親切な方で、足が不自由にもかかわらず料理をおいしいと伝えると、おかわりや新しいおかずを自ら出そうとされます。写真はその中のひとつ、サツマイモや黒豆などを炊き込んだご飯。うんまい。まさかご飯がマッコリのおつまみになる日が来るとは。
この味、そしてご主人の人柄こそが、こちらのお店が愛される理由に違いありません。

 

昨年の夏頃、韓国の方によるものと思しき同店の訪問動画がYouTubeにアップされました。ご主人のお元気そうなお姿に加え、なんとこの日私が残してきたメッセージカードが、直前に訪問した方のものとあわせて店内の壁に貼られていたという。目頭が熱くなるのを感じました。

 

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今回、あえて束草の旅のエントリーを投下したのは、つい先日にある韓国の方のブログで、「番地オンヌン酒幕」のご主人が今年の旧正月(2月)に亡くなったという記述を目にしたからです。その方は韓国国内の酒場を数多く訪問されている方で、こちらのお店は年1回以上訪問されており、互いに連絡先を交換している関係であったそうです。その方がご主人に電話したところ過去にない電源オフというアナウンスが流れ、不吉な予感がして隣接する金物屋さんに電話したところ、ご主人の訃告を知ったとのこと。
足が不自由であったことを除けば一見してお元気そうだったご主人。初めて訪れた私を歓待してくださり、一緒に写真に収まってくださったご主人。そして私が去った後も、メッセージカードを壁に掲示してくださったご主人。コロナ禍が明けたら必ず最初の旅で再訪しようと誓っていたお店。やるせない思いが胸を去来します。

ご主人。あの日の歓待、楽しいひとときは残る一生涯忘れないつもりです。本当にありがとうございました。いつか私がそちらへ行ったときには、どうかまたうんまい手造りマッコリを飲ませてください。

 

次回エントリーはまた統営の旅に戻りますが、このときの束草の旅の続きもいずれ必ず紹介します。気長にお待ちいただけますと幸いです。

統営の旅[201812_05] - 原都心で3つの統営名物をはしご、そして映画『1987』にも登場したあの教会へ

前々回のエントリーの続きです。

2018年11~12月の慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の離島などを巡る旅の3日目、2018年12月2日 (日)です。

 

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午前7時30分に欲知島(욕지도:ヨクチド)の港を発った、慶南海運キョンナム・ヘウン)のフェリー「統営ヌリ」号の客室。昨日に統営港から乗った大一海運(テイル・ヘウン)のフェリーには座席もあった一方、こちらは雑魚寝スペースのみ。それ自体は別にかまわないのですが、オンドルが効いていて暑がりの私にはちょっと辛いです……。

 

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欲知港を発ってちょうど1時間で、終着地の三徳(サムドク)港旅客船ターミナルに到着。
三徳港は、面積でも人口規模でも統営市最大の島である弥勒島(ミルクト)の西岸にある港で、前回エントリーの付記でも紹介したように、ここからは慶南海運のほか、嶺東海運(ヨンドン・ヘウン)の運行する2航路が欲知島へ向かっています。

 

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港の近くにあるバス停には、すでに統営市内バス<501>番が待機。急いで飛び乗り、三徳港を横目にしつつ、この日最初の目的地である原都心(ウォンドシム。旧来の市街地)へと向かいます。

 

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統営運河をまたぎ、本土(原都心)と弥勒島を結ぶ「統営大橋(トンヨンデキョ)」。

 

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こちらは4回前のエントリーでも紹介した、統営大橋と同じく本土と弥勒島を結ぶ「忠武橋(チュンムギョ)」。本土側の橋脚の内側には、ここ統営生まれの画家、全爀林(전혁림:チョン・ヒョンニム、1916-2010)画伯の作品「運河橋(운하교)」が描かれています。全爀林画伯はその独特な色使いから、「色彩の魔術師」「韓国のピカソ」などの異名を持ち、弥勒島には画伯の作品を集めた美術館が建てられています。

 

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三徳港からおよそ30分で、統営の2大在来市場のひとつ、西湖伝統市場(ソホ・ジョントン・シジャン)そばの「西湖市場」バス停に到着。時計は午前9時少し前。
このバス停は、前日に利用した統営港旅客船ターミナルの最寄りのバス停でもあります。前述したように欲知港からはこのターミナルへ向かう大一海運の航路がありますが、始発便の到着時刻は午前9時40分(推定)であるため、欲知港からは始発便の早い慶南海運を利用したほうが三徳港経由であっても早く原都心に到達できるというわけです。

 

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そういえばこの日はまだ何も食べていません。そこですぐさま朝食のお店へ。
入ったのは、下車したばかりの「西湖市場」バス停のすぐ目の前にある「ホドン食堂(シクタン)」です。
こちらのお店は朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)中の1951年創業であり、2012年に韓国農林水産食品部と韓食財団が選定した「한국인이 사랑하는 오래된  한식당 100선(韓国人が愛する古い韓食堂100選)」にも、リスト中で52番目に歴史のある飲食店として登載されています(ちなみに1番目は1904年創業の「里門(イムン)ソルロンタン」(ソウル特別市鍾路区))
こちらのお店の代表メニュー、ポックッ(복국)を注文。チョルポッ(졸복:ヒガンフグ。学名:Takifugu pardalis)という小型のフグを具材にしたスープで、チョルポックッ(졸복국)とも呼ばれ、統営ではヘジャンクッ(해장국:二日酔いざましスープの総称)として愛されているそうです。フグといえば日本ではトラフグのような高級食材のイメージが強いですが、韓国ではもっとポピュラーな食材で、品種によっては手頃な値段で味わうことができます。

 

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そしてやって来たポックッ。小ぶりのフグの身がたくさん入っています。スープは淡白ながらもしっかりしたうまみが出ており、塩味もいい感じ。予想以上にうんまかったです。適度に飲んだところでご飯を投入するとスープを無駄なく味わえます。

 

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パンチャン(おかず)のひとつとして出てきた青魚のジョリム(煮付)。もしやと思いお店の方に魚種を尋ねると、やはりチョンゲンイ(정갱이:アジ)との答えが。
アジは韓国でも食されていますが、日本のそれのようにポピュラーな魚種ではなく、私の経験上だと煮付はもとより刺身や焼き魚でも出てくることはめったにありません。実際、「정갱이」で調べてみると「日本人が好きな魚種」といった記述がよく出てきます。この直前に訪れた欲知島など統営市内でもアジは養殖されており、そのほとんどが日本に輸出されていると聞きますが、そうした統営ならではのパンチャンなのかもしれません。
醤油ベースの日本の煮付とは異なる、コチュジャンベースのチョンゲンイジョリム。こちらもうんまかったです。

 

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こちらのお店「ホドン食堂」の営業時間は午前7時~午後7時、年中無休または名節(旧正月・秋夕)のみ店休。2021年1月現在、私の注文したポックッは訪問当時と同じ12,000ウォン(約1,140円:同)で召し上がれるようです。

ホドン食堂(호동식당:慶尚南道 統営市 セトキル 49 (西湖洞 177-102))

 

統営市原都心北東部
お腹もふくれたところで、いよいよ統営の原都心の踏査に向かいます。
今回の目的地は西湖伝統市場よりも北東側、前日(12月1日)の午前中に巡れなかった場所が中心です。

 

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西湖伝統市場近くの港南洞(ハンナムドン。洞(ドン)は日本の「○○市○○町」に相当)には、写真の古びた店舗建物があります。
こちらの建物日帝強占期の1930年代築とみられるもので、光復(日本の敗戦による解放)以降は統営を代表する工芸品のひとつ、螺鈿(らでん)漆器の技術を伝授する「慶尚南道螺鈿漆器技術院養成所」として用いられました。そしてここは、韓国を代表する西洋画家のひとり、李仲燮(이중섭:イ・ジュンソプ、1916-1956)画伯が養成所の講師としてデッサンを教えていた場所でもあるとのことです。

 

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こちらの建物は2020年11月に「慶南道立螺鈿漆器技術院養成所(경남도립 나전칠기 기술원 양성소)」として国家登録文化財の指定予告がなされており、その後同12月31日付で国家登録文化財第801号に指定されております。

 

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李仲燮画伯は1952年からおよそ2年間の統営滞在中に養成所講師を務める傍ら、美しい統営の風景をはじめとする数多くの作品を描き、中でも「牛」をモチーフとする連作は今日も極めて高い評価を得ています。
李仲燮画伯の生涯、および統営と同じく画伯が生前に滞在した釜山の「李仲燮通り」については下記のエントリーにて紹介しております。あわせてお読みいただけますと幸いです。


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ランチタイムにはまだまだとはいえ、高速バスは予約済みと余裕時間に制約がある中、訪問したい場所がいくつも残っている私には食事の時間すら惜しい状況ですが、ここ統営にはそんな私にうってつけの名物料理があります。
到着したのは、西湖伝統市場と隣接する「忠武キムパッコリ」(충무김밥거리:コリは「通り」の意)。写真のように、統営を代表する名物料理のひとつ「忠武(チュンム)キムパッ(충무김밥)」の専門店が立ち並んでいます。

 

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それら専門店の中から選んだのは「ソムンナン3代ハルメキムパッ1号店」。「噂の3代おばあさんのキムパッ」という意味の屋号を持つこちらのお店は1955年創業と、数ある忠武キムパッ屋さんの中でも元祖格というべき存在であり、前述した「韓国人が愛する古い韓食堂100選」でもリスト中で68番目に歴史のある飲食店として登載されています。

 

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忠武キムパッの特徴は、一般的なキムパッとは異なり海苔巻きの中に具が一切入っていないこと。その代わり、具に相当するおかずが別添えとなっています。これは一説に、忠武キムパッが船員たちの弁当として誕生したことに由来するもので、統営近海のような韓国でも温暖な地域だと具が中に入ったキムパッは傷むのが早いため、妻たちがその対策に海苔巻きと具材を別々にして渡したものがやがてスタンダードになったとされています(フェリーの乗客向けに売られていた弁当が由来という説もあり)
その名称にある「忠武」とは、言うまでもなく李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598) 将軍の諡(おくりな、死後に贈られた号)ですが、忠武キムパッが全国的に知られ始めた1980年代当時の市名が忠武市であったことから定着したものです(1995年に忠武市と統営郡が合併して統営市が発足)

写真は、この後に乗った高速バス車内で弁当代わりに食べた同店の忠武キムパッ(2人分)。左側のおかずはイカとオムク(オデン種などに用いる魚の練り物)を辛いヤンニョムソースで炒めたもの。このほか、ム(大根)キムチが付け合わせに入っています(希望すればスープも付いてきます)。なお、このムキムチはにおいがかなり強いため、車内で袋を開けるのはおすすめしません(経験談)。

 

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こちらのお店「ソムンナン3代ハルメキムパッ1号店」の営業時間は午前10時~午後9時、年中無休。2021年1月現在、名物の忠武キムパッは1人分5,500ウォン(約500円:同)ですが、テイクアウトは2人分から可です(なので写真は2人分)

ソムンナン3代ハルメキムパッ1号店(소문난3대할매김밥 1호점:慶尚南道 統営市 統営海岸路 229 (西湖洞 177-360))

 

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バス通りの脇に「港南1番街(ハンナムイルボンガ)」とある商店街らしき細い道がありました。入ってみることにします。
車がすれ違うのも難しそうなほどの細い道の両側には商店が並んでいます。

 

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そんな中、左手にあった写真の家屋脇の路地に、大きな案内板があるのがたまたま目に入りました。
後に調べてみたところ、時調(シジョ)と呼ばれる韓国伝統様式の定型詩で知られる統営出身の詩人、金相沃(김상옥:キム・サンオク、1920-2004。号は草汀/艸汀/草丁(いずれもチョジョン))詩人の生家であるとのこと。写真2枚目のベレー帽をかぶった男性がその金相沃詩人です。

 

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金相沃詩人は1920年、現在の統営市生まれ。10代後半の同人誌活動を経て、1939年に時調の「鳳仙花」で文壇デビュー。その後1940年代前半には思想犯として日本警察に逮捕され、光復までに3回も投獄されています。光復後は時調詩人として数多くの作品を送り出し、1960年代以降は実験的な詩作に取り組んでいます。
なお、写真の家屋は2020年3月、「統営金相沃生家」として国家登録文化財第777-8号に指定されています。このように金相沃詩人の生家が位置するため、港南1番街は「チョジョン金相沃通り」という愛称も付けられているそうです。

 

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港南1番街(チョジョン金相沃通り)の北側出入口。向こうには釜山や慶尚南道でよく見かける、白と青のストライプの沐浴湯(モギョッタン:銭湯)の煙突が。

 

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港南1番街の北側出入口から東へ進むと、船がたくさん停泊した岸壁が見えてきます。こちらの岸壁一帯は江口岸(カングアン)といい、統営市街地に食い込んだ四角形の湾入部に面したもので、漁船やボート、そして壬辰倭乱(イムジンウェラン:文禄・慶長の役豊臣秀吉による2回の朝鮮侵略のときのコブク船(亀甲船)を模した遊覧船が多数停泊しています。

 

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その江口岸のちょうど北西の角にあたる場所に、かなり独特な色形をした写真の店舗があります。

 

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こちらは「モンゲハウス」という菓子店で、その奇抜な店構えは店名の通りモンゲ(マボヤ)を模したものだそうです。
実はこちらのお店、屋号そのままにモンゲの成分を材料に用いたパン(ここでは焼き菓子のこと。韓国では焼き菓子もパンと呼ぶ)、その名もずばり「モンゲパン」を作っているとの情報を得て、そのあまりの衝撃から訪れたものです。味の想像すらできないホヤ入りのパン、一体どんなものかと楽しみにしていましたが、尋ねてみるとすでに取り扱いをやめたとのこと。やはり不評だったのでしょうか。

 

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モンゲパンはなかったものの、こちらのお店では統営名物の「クルパン(꿀빵)」をはじめとする何種類かの焼き菓子を扱っています。クル(꿀)とは蜂蜜のことですが一般に蜂蜜は使われておらず、その代わりパンの表面に水飴が塗られています。ボール状のクルパンの中には餡が入っており、通常は小豆のこしあんが用いられますが、モンゲハウスは餡のバリエーションがなんと5種類も。こちらのお店でお土産用に購入することにしました。

 

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そうして持ち帰ったモンゲハウスのクルパン。餡の違いがカップの色で示され(白:小豆、緑:エンドウ豆、黄色:柚子、茶色:栗、赤:紫芋)、自由に組み合わせて購入できます(1個でも購入可)。他の焼き菓子と同様、クルパンは冷めるとやや固くなりますが、電子レンジで温めるとおいしく召し上がれます。水飴を塗りたくった割には、想像したほど甘ったるい感じでもありませんでした(それでも結構甘いので一度にたくさんは食べられないですが)

こちらのお店「モンゲハウス」、営業時間や店休日は不明ですが、私が訪問した日曜日も営業していました。当時も2021年1月現在もクルパンの値段は1個1,000ウォン(約95円:同)。写真の6個セットを購入したところ、1個おまけをつけてもらった記憶があります(その場で食べました)

モンゲハウス(멍게하우스:慶尚南道 統営市 統営海岸路 337 (中央洞 54-35)) 

 

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ちなみにモンゲハウスではクルパン以外にも、チョンボッ(アワビ)の形をしたチョンボッパン、ヘサム(ナマコ)の形をしたヘサムパンを扱っています。小麦粉0%、国内産大麦で作ったとあります。聞くとこれらは形だけを真似たもので、アワビやナマコの成分は入っていないとのこと。さすがにモンゲパンで懲りたのでしょうか……。

 

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モンゲハウスの複雑に入り組んだ屋根が、猫さんたちの絶好のひなたぼっこスポットになっていました……

 

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モンゲハウスのすぐ左隣には、西湖伝統市場と並ぶ統営の2大在来市場のひとつ、中央伝統市場(チュンアン・ジョントン・シジャン)のアーケードが口を開けています。

 

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中央伝統市場の内部。アーケード通りの真ん中にまで露店がぎっしり。西湖伝統市場と同様、統営名産のカキやさまざまな魚など海の幸が豊富に並べられています。大好きな韓国の市場の風景。

 

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中央伝統市場のブリさん。それはちょっと無理があるだろう.……

 

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中央伝統市場から見て西側、徒歩約3分ほどの位置に、写真の建物があります。どこかで見覚えがあるという方もいらっしゃることでしょう。
こちらの建物は「忠武教会(チュンム・キョフェ)」というプロテスタントの教会で、実はこの年(2018年)9月に日本でも公開された韓国映画1987、ある闘いの真実(原題:『1987』)劇中に登場した建物です。

以下の記述は、映画『1987、ある闘いの真実』のストーリー内容を含みます。いわゆる「ネタバレ」を避けたい方はこちらをクリックし、当該記述を飛ばした箇所から再びお読みいただくことをおすすめいたします。

 

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この忠武教会は物語の中盤、ソル・ギョングさん演じるジョンナムとパク所長ら対共捜査処員によるソウルの教会での追撃戦シーンの舞台として登場する、あの場所です。屋上に尖塔のある教会がこのシーンのロケ地としての条件であり、2本の尖塔がそそり立つこちらの建物が全国から選ばれたのだそうです。
この日は礼拝のある日曜日。教会の牧師様にお願いして、突然の訪問にもかかわらず内部の観覧と写真撮影を許可していただきました。礼拝直前の時間ということで、その牧師様が続々とやって来る関係者や信者の方々に挨拶しつつ、見慣れない私を「わざわざ日本からやって来たソル・ギョングのファン」と紹介していたのが印象に残っています。
ちなみにソル・ギョングさんはファンとまでは言えないですが、好きな韓国俳優の一人です。まさに余談ですが、映画の観覧にあたりソル・ギョングさんが出演したことを事前に知っていたにもかかわらず、ジョンナムがそれであったことに観終わるまでとうとう気がつきませんでした。恐るべしカメレオン俳優……

 

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ホール内の壁面上部にはステンドグラスが並んでいます。そのうち写真2枚目のものこそが、まさしく屋根上から転落しかけたジョンナムの足の影が映っていたあのステンドグラスです。

 

 

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忠武教会は1905年にオーストラリアのアダムソン宣教師によって設立されたテファ正教会がその始まりで、その後1956年に名称を忠武教会に改め、1983年には現在の教会建物が竣工しています。
また、テファ正教会や附属のシンミョン学校で幼年時代を過ごした人々の中には、作曲家の尹伊桑(윤이상:ユン・イサン、1917-1995)、劇作家の兄・柳致真(유치진:ユ・チジン、1905-1974) と詩人の弟・柳致環(유치환:ユ・チファン、1908-1967)兄弟、詩人の金春洙(김춘수:キム・チュンス、1922-2004)、そして小説家の朴景利(박경리:パク・キョンニ、1926-2008)の各氏のような、後にそれぞれの分野で頭角を現す統営出身のアーティストたちも含まれます。

応対してくださった牧師様をはじめ、忠武教会のみなさま、本当にありがとうございました。おかげでまたひとつ願いがかないました。

忠武教会(충무교회:慶尚南道 統営市 洗兵路 13-1 (文化洞 183))

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

今年もありがとうございました。

こんばんは、ぽこぽこです。
今日は2020年の大晦日。今年はあまり更新できなかったとはいえ、拙ブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。

今年はご承知のように、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に伴い3月以降の韓国訪問が事実上不可能となり、結果として年内に3回(訪問は2回)しか韓旅をすることができませんでした。
まずは、それら今年の韓旅を簡単に紹介したいと思います。

 

●1月:全羅南道順天市

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こちらのエントリーでも書いたように、訪問先の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市で人生初の韓国での年越しを経験。
2020年の私の韓旅が、この順天から華々しくスタートしました。いや、スタートするはずだったのですが……

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順天市の面する順天湾には、日没の名所として知られ、私も2019年最後の日の入りを鑑賞してきた臥温海辺(ワオン・ヘビョン)に加え、日の出の名所として知られる花浦海辺(ファポ・ヘビョン)があります。私も当地にて2020年の初日の出を拝んでまいりました。

 

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続いて向かったのが、曹渓山(チョゲサン)の麓に位置し、ユネスコ世界文化遺産にも「山寺、韓国の山地僧院」のひとつとして登載されている寺院、「仙岩寺(ソナムサ)」。わずか4ヵ月前、昨年(2019年)8月に訪問したばかりのこのお寺を再訪したのは、前回は日没後のため撮れなかった、参道にある朝鮮時代の石橋「昇仙橋(スンソンギョ)」とその虹霓(こうげい:アーチ)越しに眺めた楼閣「降仙楼(カンソンルー)」の調和した姿をどうしても写真に収めたかったから。幸いにして念願かなうことができました(河原で足を捻挫したトラブルもありましたが)

 

●1月:江原道太白市

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江原道(カンウォンド)太白(テベク)市は、前回(2017年1月)以来ちょうど3年ぶり、通算3度目の訪問となりました。太白は全国有数の産炭地として発展し、一時は標高700m超の山中にもかかわらず人口約12万人を擁する都市となりましたが、1980年代以降の相次ぐ閉山により衰退し、現在は約4.3万人と韓国で2番目に人口の少ない市となっています。
私は個人的に産炭地に強い思いがあり、この街の随所に残る石炭産業全盛期の栄華の跡、そして当時を記憶する展示物を観覧するのが好きで、三たび訪れた次第です。

写真は同市内にある「倹龍沼(コムニョンソ)」。こちらのエントリーでも紹介した、ソウル市街を東西に貫くあの漢江(ハンガン)の発源地(源流)です。太白市にはこのほか、遠く釜山へと至る洛東江(ナクトンガン)の発源地である「黄池(ファンジ)ヨンモッ」もまた存在します。

 

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こちらのエントリーでも紹介した「鉄岩(チョラム)炭鉱歴史村」。鉱夫たちで賑わった駅前の繁華街の一部がそのまま残されており、内部は展示施設となっています。
これら建物は狭い土地を有効活用すべく、床面積の一部を裏側の川面に張り出しブラケットで支えた特殊な構造をしており、その形態から「カチバルカササギの脚の意)建物」と呼ばれます。

 

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こちらは今回初めて訪問した「太白体験公園」。かつての「咸太(ハムテ)炭鉱」の施設や坑道跡をそのまま展示施設に転用したもので、写真の坑道エレベーターはかなりの迫力がありました。いずれ本ブログにて紹介できればと思います。

 

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3年ぶりに訪問した「太白山雪祭り」を楽しんだ後は、私の大好きな太白の名物料理「太白タッカルビ」に舌鼓。みなさまもよくご存じの春川(チュンチョン)タッカルビが炒め料理であるのに対し、こちらは鶏肉をスープで煮込んだ料理です。特産のネンイ(ナズナ)など山菜をどっさり乗せて味わいます。あの味が恋しいです。

 

●2月:江原道束草市、江原道高城郡江原道春川市ソウル特別市

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2月の旅は、私にとって初訪問となる江原道束草(ソクチョ)市から。
束草は人口約8万人の小さな港町ですが 、南側の江陵(カンヌン)市とともに江原道を代表する一大観光都市であり、週末には観光客が大挙して訪れるといいます。しかし私が訪問したこの時期は、すでにCOVID-19対策のため中国政府が自国民の海外旅行を禁止しており、また韓国でも感染者が発生していたことから観光客らしき姿はあまり見かけませんでした。

束草で私が真っ先に訪れたのは、写真の酒場「番地オンヌン酒幕(번지 없는 주막:ボンジオンヌンジュマク。「番地のない飲み屋」の意)鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの著書『マッコルリの旅』でも紹介されていた(その後現在地に移転)こちらのお店、なんと金物屋さんの敷地の奥にあり、看板がないと一見してそれと分かりません。
こちらの名物は、店主である年配の男性が自ら醸したマッコリ。海産物を中心としたおつまみの数々とあわせて、おいしくいただきました。突然の訪問にもかかわらず温かく接してくださったご主人の思い出とあわせて、懐かしい記憶です。

その後、今年の夏頃に撮影された同店の訪問動画を観たところ、この日私が残してきたメッセージカードが、直前に訪問した方のものとあわせて店内の壁に貼られていることを知り、目頭が熱くなるのを感じました。
いつか必ず再訪することを誓います。ご主人、どうかお元気でいてください。

 

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同じく今回が初訪問となった高城(コソン)郡では、「高城旺谷(ワンゴク)マウル」を訪問。
台所と牛舎が連結するなど北方式の特徴を持つ韓屋が立ち並ぶこちらのマウル(「村、集落」の意)は、尹東柱(윤동주:ユン・ドンジュ、1917-1945)詩人の生涯を描いた2016年の韓国映画『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』にて、詩人の故郷である間島(カンド。現在は中国領)として撮影されました。写真2枚目は劇中でドンジュの生家として登場する家屋です。奇しくも訪問した当日は、詩人の命日である2月16日。私にとってまたひとつの念願がかないました。

 

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束草市内では、代表的な観光スポットのひとつ「アバイマウル」を訪問。
アバイマウルとは、朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)のときに朝鮮民主主義人民共和国咸鏡道(ハムギョンド)から避難してきて、そのまま韓国に暮らすこととなった「失郷民」と呼ばれる人々が形成した集落で、アバイとは咸鏡方言で「お年寄り」の意です。TVドラマ『秋の童話』の撮影地としてご存じの方もいらっしゃることでしょう。
このアバイマウルは市街地から運河を挟んだ対岸に位置し、訪問には「ケッペ」と呼ばれる人力のイカ(写真1枚目)が主に利用されます。観光客が漕ぐこともでき(対岸の間に張られたロープを鉄の棒で引っ張ると進む)、それ自体が観光名所となっています。

 

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アバイマウルの名物料理といえば、なんといっても咸鏡道風の太いスンデ「アバイスンデ」(写真1枚目)と、イカにもち米などを詰めた「オジンオスンデ」(2枚目)。アバイマウルにはこれらスンデを扱う飲食店が立ち並んでおり、写真はその中でも評判の高い「端川食堂(タンチョン・シクタン)」のもの。大変うんまかったです。ボリュームもあってお腹いっぱい。朝食でなければマッコリが欲しかったところです。

 

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束草は鉄道がなく、帰国当日までの滞在はリスクが伴うため、帰国前日に鉄道駅のある春川へ移動。大好きなタッカルビの本場でもある春川は今回で7年連続訪問と、ソウル・釜山以外では最も多く訪れている街です。
今回は前々から目をつけていた、市内にある酒場「マッカルナヌンチッ(맛깔나는집)」を訪問。こちらも店で醸したオリジナルのマッコリを出しているためです。少しクセがあるけれど甘酸っぱくてうんまい。そして料理はトゥブグイ(豆腐焼き)。なんと卓上コンロで自分で焼きながら食べるスタイルだという。表面が少しカリッとする程度に焼いて食べるとたまらないのです。春川を再訪すべき理由がまたひとつ増えました。

 

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この旅の、そして私にとって当面最後の訪問地となったのは、ソウル特別市にある「孫基禎記念館」。
1936年のベルリン五輪のマラソン競技で、朝鮮人でありながら日本代表としての出場を余儀なくされつつも見事優勝した、孫基禎(손기정:ソン・ギジョン、1912-2002)選手の生涯とその記録を記憶継承するための展示施設です。館内には「日章旗抹消事件」を含むさまざまな解説パネルに加え、ベルリン五輪での金メダルの実物(写真3枚目)を含む選手の遺品が展示されていました。
実はこちらの記念館、ソウル駅15番出口(空港鉄道側)からわずか徒歩約14分(約820m)という極めて便利な場所にあります。ぜひ訪問いただきたい場所です。

 

この2月の旅以降、COVID-19の拡大により韓国を含む海外渡航が制限されたうえ、日本政府による対韓国でのビザなし渡航の受け入れ中止を受け韓国政府も同様の措置を取ったことから、観光目的での韓国の旅は事実上不可能となり現在へと至ります。私も3月に計画していた慶尚北道キョンサンブット)安東(アンドン)市の旅をはじめ、5月恒例であった光州(クァンジュ)広域市訪問の分など、すべての航空券予約がキャンセルとなってしまいました。現時点では再開のめどは全く立たない状況です。

 

 

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2020年1月1日、全羅南道順天市、コプチャンコルモクにて撮影。

 

約半年間ツイートを休止していた理由について

今年の3月からおよそ半年間、Twitterアカウント「@gashin_shoutan」でのツイート活動を休止していました。また、その期間のほとんどにおいて本ブログの更新も停止していました。コロナ禍に伴い3月下旬頃から仕事が激務となったことが直接的な動機ですが、これ以外にもツイートを休止する理由が2つありました。

まずひとつは、迫りくるパンデミックの恐怖を前にしてか、相互フォローの方々を中心に人心の荒廃を目の当たりにしたこと。それまで反差別発言をしていたにもかかわらず外国人入国者に対し不意に排外主義的な発言をする者、あるいは国内外での感染拡大状況を嗜虐的に楽しむ者、またあるいは私や他の方が一日も早く韓旅をしたいと書くと「しばらくは無理だと思うよ」などとマウントを取りたがる者など。そうした状況に嫌気がさし、しばらくTwitterを離れようと思った次第です。

そしてもうひとつは、私の反差別に言及したツイートのRT・「いいね」数が伸びなくなってきたこと。数こそが絶対であるTwitterにおいて、特に対韓国での憎悪や差別心をむき出しにしたツイートが都度万単位のRT・「いいね」を得る一方で、私の反差別ツイートは多くとも数百、平均では数十程度しかRTされなくなっていました。また気持ちの焦りからか、そうしたツイートが引用RTにより「考え過ぎ」「被害妄想」との誹りを受ける機会も増えてきました。これらはひとえに私の表現の稚拙さに起因するものであり、おそらく自業自得の結果なのでしょう。
拡散されないだけならばそれは仕方ないことであり、自身が無力だという事実を直視し受け入れるだけのことですが、それが結果として韓国憎悪やコリアン差別の「正しさ」を逆説的に証明する「後ろ弾」となっている現実を次第に悟るようになりました。皮肉にも私が反差別を唱えれば唱えるほど、思いとは裏腹の結果となっていたわけです。そのためか、長らく相互フォロー関係にあり、反差別の観点で志を同じくすると思っていた方も、次第に疎遠となるようになりました。そうした状況に強い自責の念を抱き、むしろ沈黙することによって消極的であれ反差別に協力できることを期し、ツイートを休止したものです。

しかし、たかだか私一人が休止したところで状況は何ひとつ変わらず、状況への焦りからか精神疾患など別の差別を利用した反差別ツイートが頻繁にタイムラインに流れるようになったのを見て、いてもたってもいられず10月末にツイートを再開した次第です。感染拡大から時間が経過したからか、前者の理由についてはだいぶ解消したものの、私こそがむしろ差別への加担者だという後者の理由についてはいまだ解決できておらず、私自身も結論を出しきれていません。どうすればよいのでしょうね。

 

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2020年1月19日、江原道太白市、上長洞壁画マウルにて撮影。

 

今年、最も怖いと思ったこと

こうしてツイートを休止していた中にも、低頻度とはいえTwitterのタイムラインを見る機会がありました。その中で最も精神的ダメージを受けたのは今年7月頃、元自衛官を名乗るアカウントにより、2016年4月の熊本地震の直後における在日コリアンたちの行動をバッシングする一連のツイートが投稿され、あろうことか万単位のRT・「いいね」がなされたことです。
ヘイトの再生産となるためその内容について細かくは書きませんが、私はこの一連のツイートのメッセージを「俺たちにお前ら(在日コリアン)を殺させるなよ」というものだと受け止めました。そして、次の大規模災害時にはこれに乗じてヘイトクライムが行なわれる「かもしれない」、という自分のこれまでの危機感があまりにも浅薄な、楽観的極まりないものであったことを思い知らされました。
おそらく彼らの狙いは「破局」の実現、すなわち97年前のような災害直後の混乱に乗じたヘイトクライムの再現こそにあります。ただ自分の手を汚すのが嫌だから、こうして「在日コリアンに危害を加えてもいい理由、良心の呵責を感じなくてもいい理由」を唱え、また同調者もその実現を期して拡散したがるわけです。しかし、Twitterという閉じた世界の中だけでさえ、その同調者が万単位に達するという現実。
私が、私たちができることはもはや、次の災害直後の「破局」を食い止めることではなく、確実にやってくる「破局」に際しその身を盾にしてでも誰かを守り抜くことなのかもしれません。ならば私は、そのためにも抗い続けることを誓いたいと思います。

 

なお、前述した一連のツイートが「作り話」であることは、下記リンク先にて丁寧に検証されています。本ブログにて個人的交流のない方のブログを紹介することは原則控えているのですが、どうしても紹介したいのでリンクを記しておきます。記事中にて引用されているツイート画像中にヘイト表現が含まれるので、ご注意のほどお願いします。

 

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2020年2月17日、江原道束草市、アバイマウル壁画コルモクにて撮影。

 

2021年への誓い

今年の3月頃、日本よりも先にCOVID-19が拡大した韓国がいち早く「ドライブスルー検査」などのPCR検査を拡大実施したのを見て、韓国のような徹底検査方針こそがむしろ愚策だのという論調、あるいは韓国が「医療崩壊」した(もちろんそうした事実はない)ことを他人事のように嘲笑する姿勢がメディアやSNS上で優勢となったことは記憶に新しいと思います。韓国のほか、米国や欧州などでもPCR検査の徹底が一定の成果を上げていたにもかかわらず。そうして日本ではこの年の瀬になってさえも、ごく一部の自治体や私企業実施のものを除き、PCR検査を受けたくとも受けられない状況が続いています。韓国の後塵を拝する、韓国の模倣をするのは人として最大の恥辱であり、それくらいなら感染リスクなど甘受するという日本人の自尊心や自己愛が自らかけた「呪い」の強さを改めて思い知らされた一年でした。
私たちはこの「呪い」を自ら克服し、差別は絶対悪であって「理由のある差別」などは決して存在しえないという21世紀の国際社会の共通観念に、一日も早く復帰しなければなりません。

 

それでは、よいお年を。
みなさまにとって2021年がとって輝かしい1年となりますように。
そして、人類がウイルスの感染拡大を克服するとともに、私たち日本社会の構成員がマイノリティの方々を踏みつけることなしに自ら差別やヘイトを克服する端緒となる1年となりますように。

 

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2020年2月17日、江原道束草市、ケッペのりば(アバイマウル側)にて撮影。

 

 

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