かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

今年もありがとうございました。

こんばんは、ぽこぽこです。

今日は2021年の大晦日。今年も長いこと休止期間があったとはいえ、9月からの再開後はある程度ハイペースでの更新ができ、なんとか投下エントリー数が昨年実績を超えることができました。
今年も拙ブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。

 

本年・2021年はとうとう、年間を通じて韓国訪問が全くできなかった一年となりました。
そんな中、私がかつて韓旅で出会いお世話になった方のうち、2人もの方が亡くなったことを知りました。一人は昨年(2020年)2月に訪問した江原道(カンウォンド)束草(ソクチョ)市の酒場「番地オンヌン酒幕」のご主人であり、もう一人は一昨年(2019年)12月に訪問した全羅南道(チョルラナムド)莞島(ワンド)郡の所安島(ソアンド)、所安抗日運動記念事業会の会長様です。お二方ともにコロナ禍明けの再訪、再会を誓っていた方であったのに、その願いがかなうことはありませんでした。やりきれない。コロナ禍に伴う韓旅のできない期間が長引けば長引くほど、そうした離別がまた起きてしまうのではないかと危惧しています。
来年こそは……と言いたいところですが、オミクロン株の世界的な大流行、そしてこの日本にも迫りくる第6波のことを考えると、そんなものは甘い幻想以外の何物でもありません。再来年・2023年に開催予定の「順天湾国際庭園博覧会」までに間に合えばと思った時期もありましたが、どうやらそれも夢物語に終わりそうです。

 

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ところで、私は少し前からTwitterアカウントでの反差別に関するツイートを無期限休止しています。理由については固定ツイート以下に記しているので、ここで改めて述べることはしません。この件によって、日本政府による後付けかつ狙い打ちの差別政策により無償化の対象から不当に除外され、あろうことか司法までも追従したことで「日本人みんなの総意」となった朝鮮学校への憎悪や敵意、差別心の根強さ、そしてこれに抗うことのリスクを改めて思い知らされました。
私などは声を上げることをやめることでそのリスクから逃げることができます。しかし、朝鮮学校の生徒児童やその保護者、教職員などは「存在する」ただそれだけで24時間365日そのリスクに晒され続けているわけです。私などが反差別を唱えようと、この日本社会の構成員である以上は私もまた朝鮮学校への加害者に他ならないわけです。つまり、私自身の罪でもあります。私は朝鮮学校によるクラウドファンディングへの積極協力のみに留まらず、私の持てるすべてをもってこの差別政策への償いと抵抗を続けます。
写真は2017年に広島県広島市の「広島朝鮮初中高級学校」を訪問した際に譲っていただいた、朝鮮学校への差別反対の意思表示であるオレンジ色のリボンのピンバッジ。このバッジに誓って。

 

朝鮮学校の件のみならず、今年もまた韓国(人)や在日コリアンに対する日本人一般の憎悪や差別心の絶対的強さに打ちのめされる一年となりました。その最も象徴的な出来事となったのが、去る12月8日に発生した、在日コリアンの方々が多数暮らす京都府宇治市のウトロ地区への放火という恐れていたヘイトクライムです。
幸いにして死傷者は発生しなかったものの、容疑者の供述や行為からその殺意は明白です。この事件が大して報道されず、政府はもとよりほぼすべての政党も非難声明を出さなかった点だけをとっても、コリアンに対するヘイトクライムがこの日本社会で寸分たりとも問題視されていないことが読み取れると思います。そしてYahoo!ニュースのコメント欄などは、この許しがたいはずの行為に擁護あるいは共感し、より強くコリアンを踏みにじろうとするコメントで埋め尽くされました。「差別の告発は差別そのもの以上に非道徳である」という日本社会の共通観念の勝利です。これは反差別を唱える私たちの不作為の罪でもあります。私たちの完全敗北です。

 

先ほど、私は来年の韓旅が「甘い幻想」だと書きました。それでもコロナ禍はいつかは終わるでしょう。再び自由に海外を訪問できる日もいずれ訪れるものと思います。しかし、その頃には別の理由により、韓国の訪問はできない状況になっていると私は予測しています。もちろん個人的な理由などではなく、コロナ禍よりももっと深刻な理由で。そんな悲観的予測など外れることを願いつつも、いまは悲観的になってなりすぎることは決してないとさえ考えています。
それでも私は、まだもうちょっとだけ本ブログを更新し続けたいと思います。いつか誰かの、おそらくは次の世代の人々の道しるべとなることを願って。

 

それでは、よいお年を。
みなさまにとって2022年がとって輝かしい一年となりますように。

 

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2019年11月1日、フランス共和国オー=ラン県コルマール市にて撮影。

莞島の旅[201912_03] - あの名作映画の撮影地などを訪れる青山島(チョンサンド)横断徒歩の旅

前回のエントリーの続きです。

2019年11~12月の全羅南道(チョルラナムド)莞島(ワンド)郡の離島などを巡る旅の3日目、2019年12月2日 (月)です。

 

青山島全図
前日にフェリーで訪れた莞島郡の離島、青山島(청산도:チョンサンド)で前泊して迎えたこの日は、島内の観光地などを徒歩で巡る計画を立てていました。朝食のモンゲピビンパッを食べた「パダ食堂 (シクタン)」があり、フェリーの発着する道清港(青山島港)もある島一番の繁華街、道清里(トチョンニ)がそのスタート地点です。島の西端にあるここ道清里から、島を横断する路線バスのルートでもある道路、青山路(チョンサンロ)に沿って島の東側へ向かいつつ、主に3つの目的地を訪れる計画です。

 

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道清港の旅客船ターミナルの近くに、その「青山旅客」の路線バスが停車していました。前述した理由で、この日歩いたルートの大半が路線と重なっていため、このバスと何度もすれ違ったり追い抜かれたりする機会がありました。この路線バスは走行中やたらとクラクションを鳴らすのが特徴で、どうやらバス停に接近した際の合図のようです。おかげで、歩いている間にも大体どのあたりを走っているか分かるようになりました。

 

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今回はタイミングが合わず利用しませんでしたが、運賃は1,000ウォン(約100円:2021年12月現在。以下同じ)均一で、離島のバスには珍しく「T-money」などの交通系カードも利用できるとのこと。一日に9往復が走っており、道清港と島の反対側の新興(シヌン)マウルの間を約15分で結んでいます。写真はこの後に訪問した「新豊(シンプン)」バス停に貼られていた、青山旅客のバス時刻表。現在はこれと変わっているかもしれません。

 

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写真は「道清二里(トチョンイーリ)」の碑石。韓国ではマウル(「村、集落」の意)の入口となる道路沿いに、そのマウル名を刻んだ碑石が建っていることがよくあり、これを「マウル標識石」(마을표지석:マウルピョジソク)といいます。私はこのマウル標識石が好きで、旅先で見かける度に写真に収めています。後述するように、この日の旅では島内に点在するマウルの標識石を数多く目にする機会を得られました。可能な範囲で、その名の由来とあわせて紹介してまいります。以下、マウル名の由来は全羅南道庁『전남의 섬(全南の島)』サイトの情報を参考にしています。
道清二里とは行政里(ヘンジョンニ)の名称で、日本でいう大字に近い住所区分である法定里(ポッチョンニ)とは異なり、行政上の区域をいいます。法定里では単一の道清里ですが、行政里としては道清一里(トチョンイルリ)とここ道清二里に分かれています。
道清の名の由来は、かつては「仏目(プルモク)」と呼ばれていたところ、朝鮮時代ここに都捧庁(トボンチョン。国税米を収納して管理する官庁)が設置されたことで「都庁(トチョン)」と呼ばれるようになり、その後18世紀末19世紀初頭に都捧庁が廃止されたことから、同じ発音である「道清」に変わったものとされています。

 

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今回は訪れませんでしたが(当時知らなかった)、ここ道清里は「青山波市文化ゴリ」 (ゴリは「街、通り」の意)と名付けられた街づくりがなされています。波市(パシ)とは、かつて韓国の離島の漁港周辺や漁船上などで開催されていた臨時の市のことをいいます。
以前に訪れた黒山島(흑산도:フクサンド)欲知島(욕지도:ヨクチド)もそうでしたが、韓国の離島では季節ごとに旬の魚種を中心とした波市が催され、商人をはじめ数千人もの人々が出入りし、海上都市さながらの様相を呈していました。しかし1960年台以降の漁業資源の枯渇などにより次第に衰退し、現在では思い出の中に消えてしまっています。1930年代から始まったという青山島のコドゥンオ(サバ)波市は教科書にも載るほど有名なものだったといい、シーズンの毎年6~8月にはサバの大群が押し寄せる度に波市が開かれていたといいます。しかし青山島近海のサバは乱獲に伴い1960年台に枯渇、続いて生まれたサムチ(サワラ)波市も同じく資源枯渇に伴い1980年代半ばにその幕を閉じたとのことです。
写真は、後述する「青山鎮城」にあった「青山島波市」の案内パネル。

 

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道清港、「青山島スローキル」1コースの案内板。スローキル(キルは「道」の意)とは、国際スローシティ連盟により東アジア初の「スローシティ」に認定された青山島をゆっくり歩いて探訪できるよう、島内の歩道をウォーキングコースとして設定したもので、同連盟にも公式認定された世界初のものだそうです。現在、全11コースが設定されています。

 

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道清港から少し南東に進んだ場所に、写真の「循環バス」チケット売り場があります。

 

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循環バスはその名の通り、青山島内の主要観光地や集落を巡りつつ約35分で一周するバスで、通常は一日に7便が運行されています(多客期には増便あり)。道清港を出て再び道清港に戻ってくるまでの一周内であれば、何度でも乗り降りできるという便利なバスです。料金は大人5,000ウォン(約500円)。

 

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ただし、シーズンオフである12月~2月は運休。無人のチケット売り場にはその旨の張り紙が。残念ながら私が訪れたこの日(12月2日)は運休期間に入ってまもなくだったわけです。なお、この循環バスは本年(2021年)4月時点で新型コロナウイルスの影響により運休中であったとのことです(2021年12月現在の運行状況は不明)。

 

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循環バスのチケット売り場の近くにあった公衆トイレ。スローシティのシンボルでもあるカタツムリの形をしています。

 

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「青山島スローフードフォトゾーン」と書かれた造形物。こちらの愛らしいキャラクターもカタツムリの親子です。

 

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公衆トイレを過ぎたあたりから、木製デッキの歩道が湧き置かれた坂道が始まります。ここから右側に入る脇道には「道洛里(トランニ)」と刻まれたマウル標識石があり、実際この道を進むと道洛里の集落へ行けます。
道洛(トラク。トランニは末尾に「里(リ)」が着いたときの音韻変化)の名は先祖たちが定着して道を崇めるという意味で「道洛」と呼んだことに由来し、日帝強占期に隣の堂里(タンニ)と合わさって「堂洛里(タンナンニ)」に変わった後、1946年に集落単位に分かれて再び「道洛」となったとのことです。法定里では堂洛里に属します。この日の私の目的地はすべてバス通りでもある坂道の先にあるため、木製デッキを上がってゆきます。

 

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木製デッキを上る途中から見た道洛里の全景。道洛里には韓屋(ハノク)を用いた宿泊施設があり、それらの並んだ姿が風景と調和しています。

 

道清里・堂洛里・邑里一帯


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木製デッキを上りきると、今度は「堂里(タンニ)」のマウル標識石がありました。堂里の名は、現在の莞島郡内に清海鎮(チョンヘジン)を築き、新羅によって清海顔大使(テサ)に任じられた「海上王」張保皐(장보고:チャン・ボゴ、?-841または846)の指揮下にあった韓乃九(한내구:ハン・ネグ)将軍の遺功を追慕するため、その石墓の前で毎年正月5日に堂祭(タンジェ。村を守ってくれる神様に共同で行なう祭祀)を催したことに由来するそうです。法定里では堂洛里に属します。

 

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ここ堂里には、19世紀に築かれた「青山鎮城(チョンサンジンソン)」があります。鎮城とは軍事的要衝地に設置した行政区画である鎮を防御するため、主要施設などを石の城壁で囲んだ要塞をいいます。1871年に竣工した青山鎮城は、城壁の高さ約4.5m、外周1,100mの規模を誇り、東・西・南にそれぞれ城門が設置されていました。しかし1895年に青山鎮が廃止され、それ以降は崩壊が進行。一部を残してほぼ破壊されてしまった城壁を、2010年に復元工事が完成し元の姿を取り戻しています。

 

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青山島で訪れたかった場所のひとつが、この青山鎮城のあたり、もうひとつの大きなマウル標識石の手前で青山路を右に折れたところの先にあります。

 

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しばらく進むと、写真の風景が。

 

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この緩やかな坂道こそが、林権澤(임권택:イム・グォンテク、1934-) 監督による1993年の映画『風の丘を越えて/西便制』(原題:『서편제(ソピョンジェ)』。以下『西便制』と表記)の名場面を撮影した場所、「西便制撮影地」なのです。主人公の3人、パンソリ唱者の父ユボンと娘のソンファ、そして鼓手の息子ドンホが珍島アリランを歌い踊りながら坂道を下ってくるシーンは、まさにこの場所で撮影されたものです。

 

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公開当時、単館上映にもかかわらず100万人もの観客を動員したという『西便制』。私もこの旅の出発前日に観てきたばかりでした。「韓国映画史上最も美しいシーン」とまで言われ、私もまた魅了されたあのシーンの舞台を目の当たりにでき、ただただ感無量です。
なお、『西便制』は現在、YouTubeの「韓国古典映画 (Korean Classic Fiim)」チャンネルにて無料公開されており、不自然でない日本語字幕も表示できます。未見の方はぜひご覧いただくことをおすすめいたします。

 

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この坂道をさらに進むと、丘の斜面に写真の瀟洒な住宅がぽつんと建っています。

 

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こちらの家は、2006年にKBS2にて放映されたドラマ『春のワルツ』(原題:『봄의 왈츠』)の舞台となったもので、現在は「春のワルツ撮影地」と呼ばれています。この斜面一帯は春になると一面の菜の花畑となるそうで、遠くに見える海との調和がそれはもう美しいことこの上ないといいます。

 

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春のワルツ撮影地のあたりから見た道洛里の海。確かにすばらしい眺望です。

 

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もと来た道を戻ると、西便制撮影地の近くに「서편제쉼터·주막」(「西便制シムト・酒幕」。シムトは「休憩所」などの意)と書かれた看板があることに気が付きました。

 

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気になって矢印の方向に進んでみると、わら葺き屋根の韓屋、そして「青山島西便制酒幕」と書かれたメニュー表には「青山島伝統マッコリ ₩6,000」の表記が。調べてみると、どうやらこちらのお店オリジナルの手造りマッコリのようです。しかしまだ朝だからか、お店は閉まっていました。残念。次の訪問の機会にはぜひとも口にしたいものです。

 

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青山鎮城の入口に戻り、再び西へ向かって歩き出します。写真は青山鎮城の近くにあった「青山三賢碑閣」。莞島郡郷土遺跡第11号にも指定されています。

 

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写真は青山路沿いの脇道。情感漂う離島の路地です。

 

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脇道から青山路に戻ってまもなく、写真の「西便制セット場」と書かれた案内板を発見。明らかに先ほどの緩い坂道とは別の方向です。

 

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行ってみたところ、あったのは石垣に囲まれたわら葺き屋根の韓屋。この家だけ周囲の住宅と雰囲気が異なります。

 

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敷地に入ると、そこは『西便制』物語の序盤でユボンが幼い頃のソンファとドンホにパンソリの稽古をつけていた、あの縁側のある家でした。縁側には3人の再現人形も。

 

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こちらの家屋、下調べの際に見たどのサイトでも紹介されておらず、よって訪れるまで知らなかったのでびっくりです。後に調べたところ、こちらの家屋は「青山島堂洛里7番家屋」とも呼ばれているようです。
写真は、先ほどの「西便制撮影地」(坂道の方です)にあった案内パネル。左上の写真がこの家屋で撮影されたシーンです。

 

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f:id:gashin_shoutan:20211215205026j:plainまた青山路に戻り、東方向へ。上り坂が続き、少しずつ高度を上げてゆきます。写真は道すがらにあった壁画の数々、そして現役の牛小屋。

 

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しばらく歩くと、邑里(ウムニ)のマウル標識石が。
後述するようにここ邑里には支石墓があり、先史時代から居住者がいたと推定されるものの、本格的に村が形成されたのは17世紀からとされています。当地の住民たちは、新羅時代に村が設置されたことから「邑里」と呼ばれていると信じているとのことですが、新羅時代に住民がいたという考証はされていないようです。法定里では邑里に属します。

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この邑里にあるのが、写真の「支石墓公園」です。

 

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名前にもあるように、この公園には南方式と呼ばれるタイプの支石墓(ドルメン。韓国では「コインドル(고인돌)」とも呼ぶ)が3基あり、これらは「邑里支石墓」として全羅南道文化財資料第116号に指定されています。そのためか外周には柵が設けられ、中に入ることはできません。邑里には元々16基の支石墓があったそうですが、道路工事などで失われ、現在はこちらの3基のみが残っているそうです。
ところでこの支石墓、韓国国内に約3万基、うち全羅道だけで2万基が存在するといい、朝鮮民主主義人民共和国の約1万5千基と合わせると、全世界の支石墓総数の約40%を占めるのだそうです。

 

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支石墓公園には、もうひとつの文化財があります。それが写真の「邑里下馬碑」で、全羅南道文化財資料第108号に指定されています。
下馬碑(ハマビ)とは朝鮮時代に宗廟や宮殿の門の前に建てられた石碑で、身分を問わずこの石碑の前では馬を下り、自分の足で歩かなければなりませんでした。写真ではよく分かりませんが、こちらの下馬碑には菩薩像らしき像が刻まれていることから、民間信仰と仏教が結合した信仰対象であるとみられ、またその様式から高麗時代末期~朝鮮時代初期に建てられたものと推定されています。

 

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さらに東へ向かって坂道を上ってゆきます。さほど急ではないとはいえ、ずっと上り坂なので若干の疲労がたまります。そんな中、道の脇のお花畑に心癒されます。

 

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そうして歩いていると、ようやく峠を越えたようで、見晴らしのよい場所に出ました。目の前には曲線を描き下ってゆく青山路、そしてその先には島の東海岸が。ここからのルートは楽そうです。
とはいえ、その青山路の曲線がかなりの大回りで、これを歩いていたら下り坂とはいえ相当な時間を要しそうです。そこで意を決して、道なき道をショートカットすることに。途中が崖になっていたらどうしようかとも思いましたが幸いそんなものはなく、数分程度で再び青山路に合流。

 

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合流地点の少し先にあったのが、新豊(シンプン)バス停、そして新豊マウルのマウル標識石。
こちらは17世紀半ばに乱を避けてきた複数氏族が形成した村で、旧城山(クソンサン)の麓にあることから当初は「旧城(クソン)」と呼ばれていたところ、後に「新豊」に変えたものだそうです。法定里では復興里(プフンニ)に属します。

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ここ新豊マウルや周辺の集落一帯には、青山島特有の水田「クドゥルジャンノン(구들장논)」があります。

 

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クドゥルジャンとは、みなさんもよくご存じの韓国式の床暖房設備「オンドルの基礎となる石組みのことをいいます。ノンは「水田」の意。青山島は砂質の土が多く水はけが激しいため、そのままだと稲作には向いていません。そこでまずはクドゥルジャンのような石組みを地面に築き、その上に土を乗せて通水することで田んぼの保水性を高めたものが、このクドゥルジャンノンなのです。全体が棚田のようになっているのも、上の田んぼから落ちてきた水が無駄なく下の田んぼを潤すことを期したものです。
青山島ならではの灌漑施設というべきクドゥルジャンノンは、2013年に韓国の国家重要農業遺産第1号に指定され、翌2014年4月には世界重要農業遺産にも登載されています。このクドゥルジャンノンこそが、私が訪れたかった3つの目的地の2番目でした。

 

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陽旨(ヤンジ)マウルのマウル標識石。
マウルの名前は、移住先であった当地が暖かく日当たりのよい場所だったことに由来するそうです。法定里では陽中里に属します。

 

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さらに東へ向かって歩みを進めます。

 

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仲興里(チュンフンニ)のマウル標識石とバス停。
周囲を山や峠が囲んでいる真ん中に、広い野原を背景に位置していることに「仲興」の名が由来するそうです。法定里では陽中里に属します。 

 

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そしてついに、新興(シヌン)海水浴場に到着。
青山島の東岸、道清港とちょうど島の反対側に位置する海岸です。道清港からここまでおよそ2時間半、とうとう青山島を歩いて横断してしまいました。

 

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新興海水浴場には、島を横断する青山旅客の路線バスの終点「新興」バス停、そして新興里(シヌンニ)のマウル標識石があります。
元々は散在していた仏堂谷(プルダンゴク)、海衣里(ヘイリ)または海里(ヘリ)、桑山浦(サンサンポ)などの村を統合して「新海(シネ)」と呼んでいたものを、新たに繁栄することを念願する意味で「新興」に変えたものだそうです。法定里では新興里に属します。

 

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新興里からは進路を南に変え、しばらくして到着したのが東村(トンチョン)マウル。
青山五大山のひとつであり、島の最高峰でもある鷹峰山(ウンボンサン。メボン山とも呼ぶ。387m)の東側に位置していることにマウルの名が由来するそうです。法定里では東村里に属します。

 

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さらに南に向かい、到着したのは上西(サンソ)マウル。
17世紀に乱を避けてきた複数氏族がほぼ同時に入ってきて形成した村で、青山島で一番最初にある村という意味で「上洞(サンドン)」と呼ばれてきましたが、1960年代に元洞(ウォンドン)マウルと分離した際、めでたい村という意味で「祥瑞(サンソ)」とし、後に同じ発音で字画の少ない上西に変えたものだそうです。法定里では上洞里に属します。

 

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この上西マウルの家屋はその大半が丘の斜面に位置しており、それらの間を縫うように張り巡らされた路地の両側には、特徴的な石塀が築かれています。

 

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この石塀は、離島ならではの強い海風をしのぐため島内に豊富にある石を活用したもので、つなぎに土を使わず石だけで組み上げた「カンダム」と呼ばれるものです。これらの路地は「上西トルダムキル」(トルダムキルとは「石垣の道」の意)と呼ばれ、曲がりくねった石塀のある風景が独特の情感をもたらしており、「青山島祥瑞(上西)マウル旧タム牆(ジャン)」として国家登録文化財第279号にも指定されています。

 

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上西マウルでは現在、1970年代に進められた農村の近代化運動である「セマウル運動」を生き延びたこうした石塀の風景を残すべく、保全のための取り組みもなされているそうです。写真は「上西マウルトルダムキル」のデザインが施されたマンホール。

 

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こちらの上西マウル、これまで紹介してきた「西便制撮影地」や「クドゥルジャンノン」とともに、私にとって青山島でどうしても訪れたい場所のひとつでした。当初は前日の夕方に訪問する計画だったものの、悪天候のため断念し本日の最終目的地としたところです。

 

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石塀に絡みついたカボチャに実がなっています。情感漂う風景です。

そうしてすっかり夢中になって上西マウルを歩き回っているうちに、気づいたら時刻はすでに正午を回っていました。この日は道清港を午後1時に発つフェリーに乗船する予定を立てていました。すでに確保済みの莞島共用バスターミナル発の市外バスに間に合う最後の便だからです。次に上西に来る路線バスは道清港着が12:55であり、チケット購入の時間を考えると間に合わないリスクがあります。もちろん徒歩では到底間に合いません。
そこですかさず、この日の朝まで滞在していた「ヌリム民泊」のご主人に電話、迎えに来ていただくことに。まもなく私の荷物と一緒に例の2トントラックで颯爽と現れたご主人。そうして10分あまりで道清港に到着。ご主人と固い握手を交わし、下車します。
前日の道清港からのピックアップといい、その後の刺身屋さんへの送り迎えといい、そして今回の移動といい、ご主人のおかげで終始楽しい島旅となりました。ご主人、本当にありがとうございました。次に青山島を訪れたときも、必ずやヌリム民泊を利用します。

 

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今回の旅で利用したヌリム民泊は、「Airbnb」で探し出して予約しました。整った設備、目前には美しい池里海水浴場や松原、そして親切なご主人。期待以上のホスピタリティがありました。宿の設備やロケーションについては前回エントリーにて紹介しておりますので、こちらをご参照願います。青山島を訪問される際にはぜひご利用いただきたい宿です。

青山島ヌリム民泊(청산도 느림민박:全羅南道 莞島郡 青山面 池里2キル 66 (池里 886))

 

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ご主人のおかげでフェリー乗船まで余裕ができたので、土産物を探すことに。まあ自分用ですが……
旅客船ターミナルのふたつ隣、日本でいう「漁協」に相当する金融機関「水協」(수협:スヒョプ)の建物の一部は「莞島特産物販売場」になっており、青山島を含む莞島郡の名産品が数多く販売されています。目立つのはやはり莞島郡の特産物である海藻やアワビ関連の加工食品。中には海藻の粉末を練り込んだ乾麺なんてものもありました。

 

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そんな中で購入したもののひとつが、写真の「꼴뚜기젓갈(コルトゥギチョッカル)」。コルトゥギとは「ベイカ」(学名:Loligo beka)、あるいはそれと同じイイダコ大の小さなイカのことで、これをヤンニョムジャンに漬けてチョッカル(韓国風の塩辛)にしたものです。要冷蔵ですが保冷剤を持参していたうえ、賞味期限が1年と長いので買ってきてしまいました。写真は8ヵ月後に初めて開封したところ。実がぷりぷりしてうんまかったです。

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道清港の近くにあった「青山農協スローフード」と書かれた建物には「청보리 수제맥주(チョンボリスジェメッチュ)」と書かれた看板が。チョンボリとは直訳すると「青い麦」の意味で大麦の一種、そしてスジェメッチュ(手製麦酒)とは日本でいう「クラフトビール」のこと。なにこれ、知りませんでした。
そういえばチョンボリは青山島の数少ない農産物のひとつです。島の大麦で醸したオリジナルのクラフトビールなのでしょうか。クラフトビール好きの私としてはめちゃくちゃ気になります。しかし残念なことに、お店のものと思しきドアは閉ざされていました。青山島を再訪すべき理由がまたひとつ増えてしまいました。

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そうして予定通り、午後1時発のフェリーで青山島を発ちます。
さらば青山島。コロナ明けには必ずやまた訪問したい島のひとつです。

それでは、次回のエントリーへ続きます。
今回ご紹介した青山島、またこの直前に訪れた所安島(소안도:ソアンド)へのアクセスや旅のtipsは、次回のエントリーで紹介する予定です。

莞島の旅[201912_02] - 念願の離島、青山島(チョンサンド)でスローな時間と海の幸を満喫する

前回のエントリーの続きです。

2019年11~12月の全羅南道(チョルラナムド)莞島(ワンド)郡の離島などを巡る旅の2日目、2019年12月1日(日)です。

 

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この日最初の訪問地である所安島(소안도:ソアンド)からフェリーに乗って、莞島の花興浦(ファフンポ)港を目指します。フェリーの船内はこんな感じでした。韓国はフェリーの雑魚寝ルームもオンドル完備です。

 

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花興浦港の旅客船ターミナル(写真1枚目)に到着、この日の早朝にも乗った所安農協のバスで再び莞島邑(ワントウプ。ウプは日本の「町」に相当する地方自治体)の中心部にある所安共用バスターミナルへ戻ります。この日は所安島のほか、もうひとつの離島へ行く予定があり、莞島とその島を結ぶフェリーは同じく中心部の莞島港旅客船ターミナルから発着しているためです。
その島の名前は、所安島と同じく莞島郡に属する離島、青山島(청선도:チョンサンド)です。

 

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所安農協のバスの車内はこんな感じ。乗客は私を含め数人程度でした。

 

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所安共用バスターミナルには約10分で到着します。写真はターミナル構内にあった食堂で、その名もずばり「ターミナル食堂」。莞島港旅客船ターミナルまでは2kmしかないうえ、その道すがらに荷物を預かってもらったホテルがあることから、徒歩で向かうことにします。

 

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荷物の回収を含め、バスターミナルから約30分で莞島港旅客船ターミナルに到着。済州島(チェジュド)行きの定期便もあるためか、かなり立派な建物です。最近新築されたようで、外観も内装もきれいでした。

 

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内部には、韓国のコンビニ大手のCUとカフェのCAFFE PASCUCCIも出店(CUはおそらく2021年現在は撤退済み)。事前情報では館内にコインロッカーもあるとの情報をつかんでいましたが、この日尋ねてみると存在しないとのこと。残念ながら撤去されてしまったようです。

 

莞島港~青山島航路

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莞島港と青山島とを結ぶフェリーは、夏期は10便ほど運行されており、お祭りの開催される4月は臨時便が増発されるためもっと多くなる一方、シーズンオフである冬期は一日6便しかありません。写真2枚目は莞島港旅客船ターミナルで撮影した青山島行きフェリーの時刻表(2019年12月当時)

 

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当初計画通り14時30分発のチケットを購入し、青山島行きのフェリーへ向かいます。
写真2枚目はその途中の岸壁に停泊していた、韓一高速(ハニル・コソク)の高速双胴船「韓一ブルーナレ(한일블루나래)」号。当時、莞島港~済州港間を他の船より1時間10分も早い1時間30分で結んでいました。惜しまれつつも本年(2021年)10月13日に運航終了したとのこと。正面から見た双胴の間の「穴」が吸い込まれそうで怖かったです。 

 

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青山農協のフェリー「青山アイランド(청산아일랜드)」号。この船で青山島を目指します。

 

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「青山アイランド」号の停泊位置のすぐ近くにあった写真の島は珠島(주도:チュド)といい、最大直径でも200m程度の小さな無人島です。島全体を覆うように繁茂している常緑樹林は数百種もの樹種からなり、魚類の生息に適した環境を提供しこれらを誘引する「漁夫林」の役割を持つことから、韓国の天然記念物第28号に指定されています。そうした理由で、許可なく上陸することはできません。

 

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フェリーは定刻通り出港。まもなく、先ほどの「韓ーブルーナレ」と同じ韓一高速の1,180人乗り大型カーフェリー「シルバークラウド(실버클라우드)」号が停泊するそばを通り過ぎます。こちらは2021年現在も莞島港~済州港間を運航中です(所要時間約2時間40分)

 

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フェリーの外形は先ほど乗船した所安島の便とほぼ同じですが、こちらは雑魚寝ルームに加え座席もあり、観光地行きの船らしく売店も営業中。もちろんカップ麺も食べられます。

 

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途中で別の島に寄港することなく、莞島港から約50分で青山島の玄関、道清(トチョン) 港に到着。数年前に旅行作家の鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの著書で知って以来、どうしても訪れたかった島でした。感無量です。
本土から架橋されていない純然たる韓国の離島に上陸したのは、この青山島が6回目。また同様に色が名前に付いた島の訪問は、全羅南道高興(コフン)郡の居金島(コグムド)、同道新安(シナン)郡の黒山島(フクサンド)紅島(ホンド)に続いて4回目です(うち居金島は本土から架橋済み)

 

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青山島全図
青山島は全羅南道莞島郡青山面(面(ミョン)は日本の「村」に相当)に属する島で、その全域が多島海海上(タドへへサン)国立公園に指定されています。面積は33.28平方kmで海岸線の長さは約42km、人口は約2,200人。地図にあるように全体的に丸っこい形をしています。
青山島の名は、周囲の海の水が青いうえ、島全体に常緑樹林が茂っており四季を通じて島が青く(こちらは緑色の意)見えることに由来するとされています。昔の人々は神仙が生きている島だとして「仙山島(ソンサンド)」、あるいは「仙源島(ソヌォンド)」とも呼んだといいます。
島内には支石墓(ドルメン。韓国では「コインドル(고인돌)」と呼ぶ)があることから、先史時代にはすでに居住者がいたものと推定されます。ただし明確な記録が残っているのは朝鮮時代中期、壬辰倭乱文禄の役、または文禄・慶長の役の総称。豊臣秀吉による2回の朝鮮侵略より少し後の17世紀初頭です。その後朝鮮時代後期の1866年に島内に鎮(チン:朝鮮時代に地方の駐屯軍として各兵営や水営の下に置いた陣所)が設置されますが1895年に廃止、翌年には莞島郡に編入されて現在に至ります。

 

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島内にはいくつもの観光名所があり、その中で最も広く知られているものが、林権澤(임권택:イム・グォンテク、1934-)監督の1993年の映画『風の丘を越えて/西便制』(原題:『서편제』)の名場面の撮影地となった緩い坂道です(写真はその案内パネル)
また、毎年4~5月にはこの坂道やすぐ近くにあるKBS2のドラマ『春のワルツ』のセット場一帯が一面の菜の花畑となるうえ、同時期には「青山島スローウォーキング祭り(청산도슬로걷기축제)」が開催されることから、この時期の週末には船便が増発されるほど観光客が大挙して訪れるといいます(ただし「青山島スローウォーキング祭り」は2020年・2021年ともに開催中止)

 

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青山島は2007年、国際スローシティ連盟により東アジアで初の「スローシティ」に認定されました。また島内には、同連盟にも公式認定された世界初の「スローキル」(キルは「道」の意)全11ルートが島内に設定されています。スローシティのシンボルはカタツムリであることから、道清港にはカタツムリの殻を形象化したと思しき石像が建てられていました。よく見ると向かって左手前の柱には「スローの島」を意味する「느림의 섬」と刻まれています。

 

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写真のバスは、ここ道清港と島を横断したほぼ反対側の上西(サンソ)トルダムキル(トルダムキルとは「石垣の道」の意)を結ぶ「青山旅客」の路線バスです。次の日の島内ウォーキングでは何度も見かけることになります。

 

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ところでこの日予約していた宿は、道清港から北側に少し離れた池里(チリ)にある「ヌリム民泊」。当初は港から約2.7kmの道のりを徒歩で向かう計画でしたが、この時点で所安島や莞島にいたときよりも雨脚が強くなっていました。こんな中を無理して歩いたらキャリーバッグの中身まで浸水しそうです。
そこで民泊のご主人に送迎をお願いしたところ、しばらくしてやって来たのはなんと2トントラック。感謝しつつ助手席に乗り込みます。そういえば韓国でトラックに乗ったのは初めての経験です。

 

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ヌリム民泊に到着。掃き出し窓のような玄関を入ってすぐは台所で、冷蔵庫はもちろん、自炊ができるようレンジ台にガスコンロ、電子レンジまで備わっています。その奥はリビング兼寝室で、さらに奥にはシャワールーム&トイレに通じるドアもあります(バスタブはありません)

 

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部屋の目前には、西向きに面した池里海水浴場の砂浜が円弧を描くように広がっています。すぐそばには涼しげな松原も。夏の晴れた日などは海水浴がさぞ楽しいことでしょう。そしてちょうどこの時間帯であれば、多島海の波間に沈む夕陽も……のはずが、写真のようにあいにくの雨模様です。

ヌリム民泊の周辺には飲食店がないので、1時間ほどしたら再びご主人に道清港まで連れて行ってもらえる約束になっていました。普段の旅だと1時間さえも惜しい、じっとしている暇があったら外出して近くの村などを散策したいという思いに駆られますが、外はあいにくの雨。そう、ここは「スローの島」青山島です。焦ることなく、民泊の部屋でゆっくりした時間を過ごすことに。

 

道清港(青山島港)一帯

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1時間後、再び道清港へ。旅客船ターミナルのある道清港は青山島港とも呼ばれ、青山島の中でも最も栄えている地域であり、飲食店などの商業施設や旅館などが並んでいます。その中に、過去に訪れた離島では一度も見たことのない大手コンビニ、CUの店舗まであったのにはびっくりしました(写真は翌12月2日に撮影)。ちなみにこちらのCUは2021年現在も営業中のようです。

離島に来たからには、どうしても周辺海域で獲れた海の幸を味わいたいものです。そんなわけで当初は、冷えた体を温めてくれそうな熱々のメウンタン (매운탕:シーフードの辛味鍋)を所望していたものの、条件に合うお店がなかなか見つからず、希望メニューを刺身に切り替えます。

 

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そして民泊のご主人の紹介で訪れたのが、旅客船ターミナルのすぐ隣にある写真のお店、その名もずばり「水産物(スサンムル)センター」。
こちらは単一のご主人によるお店ではなく、同じ屋内に複数のお店(ご主人)がブースを分け合っているという韓国ではたまに見かける業態のものです。後に調べたところ、ここには計6軒のお店があるようですが、私が入った時間帯には玄関から見て右手前側のブースのお店「清海鎮(チョンヘジン) バダ」のみが営業中のようでした。シーズンオフの日没後、それもフェリー最終便が到着した後だからでしょうか。

 

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まずはモドゥムフェ(모듬회:刺身盛り合わせ)を注文。ご主人の女性が、店先の生け簀(韓国ではこれを俗に「水族館 (スジョックァン)」とも呼ぶ)から取り出した活き物を手際よくさばいてゆきます。

 

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そうしてやってきたモドゥムフェ。ナマコとホヤ、そして莞島郡名産のアワビの盛り合わせです。薬味にはゴマ油に塩を溶いたものと定番のチョジャン(酢コチュジャン)、そしてカンジャン(韓国醤油)&ワサビの3種が付いてきます。
うちホヤの刺身、以前はあのケミカルな臭いが嫌いでしたが、この日のちょうど1年前に慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の「タチチッ」と欲知島(ヨクチド)の刺身屋さんで臭みのない新鮮なものを食べてから、すっかりハマってしまいました。活き物のホヤがこんなにうんまかったとは。

 

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お魚も欲しくなったので、続いて店内の生け簀にいたイシダイの刺身を注文。

 

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やって来たイシダイ刺。身がぷりっぷりしています。かなりうんまい。この味の記憶のおかげで、『あつ森』でイシダイが釣れる度にこの日のことを思い出してしまいます。

 

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お店が面する道路はそのまま道清港の岸壁であり、並んで停泊する漁船が店内からもよく見えます。港を眺めつつ、刺身との相性抜群のソジュで一杯。こちらのお店を選んだのは正解だったと思います。

 

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こちらのお店「水産物センター」および店内のブース「清海鎮バダ」、検索すると2021年更新の韓国語での訪問記がいくつか見つかりますので、現在も営業しているようです。定休日や営業時間は不明ですが、私が訪れた日曜日の午後6時台も営業中でした。料理についてはテイクアウト(韓国語で「ポジャン(包装)」という)も受けています。
はっきり覚えていないのですが、刺身は2点で40,000ウォン(約4,000円:2021年11月現在)くらいだったと思います。

水産物センター(清海鎮バダ)(수산물센터(청해진바다):全羅南道 莞島郡 青山面 青山路 5 (道清里 930-19))

 

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お店を出て、民泊のご主人が迎えに来てくださるまでの間、夜の道清港の路地をしばし散策します。

 

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旅客船ターミナル近くの裏路地。私の好きな情感漂う離島の夜の風景です。

 

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港には漁火の灯った漁船も。これから漁に出かけるのでしょうか。

 

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港町の静かな夜が流れます。

 

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そして再び民泊へ。ソジュの酔いが回りすぎたのか、部屋に戻ったとたん知らぬ間に寝入っていたようで、起きたら翌12月2日 (月)の午前4時。外はまだ真っ暗です。

 

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わずかな二度寝を経てから身支度を整え、再び外に出たのは午前7時台。
そういえばこの12月2日という日は、ちょうど1年前の2018年には慶尚南道統営市欲知島で、2年前の2017年には全羅南道新安郡黒山島にて、同じように離島での朝を迎えています。今回の青山島で3年連続。どうも私にとってこの時期は猛烈に島旅が恋しくなるようです。

 

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前日とはうって変わって清々しく晴れた空の下、池里海水浴場一帯をしばし散策します。

 

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さて、この日は前日の分を取り戻すべく、島内に点在する観光地などを徒歩で巡る計画を立てていました。そのためまずは民泊のご主人の運転するトラックに乗り、まずはそのスタート地点となる道清港へ。荷物は私が島を発つ昼過ぎまで、民泊のご主人に預かっていただくことにします。

 

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前述したように、道清港一帯には飲食店が数多く立地しています。そんなわけでまずは朝食のお店を探しに。

 

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入ったのは旅客船ターミナルからも近い「パダ食堂」。パダとは「海」の意。その名の通り青山島近海産と思しきシーフードのイラストや料理名が入口の引き戸にでかでかと貼られていたこと、また入口の戸が少し開いており明らかに営業中だと分かったことから、朝食のお店に選んだ次第です。

 

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今回はその中でも「モンゲピビンパッ(멍게비빔밥)」を注文。モンゲ(マボヤ)をはじめとする具材の入ったボウルに別添のパッ(ご飯)を投入し、ピビン(混ぜるの意)して食べるものです。
しっかり混ぜ混ぜして、ぱくり。新鮮なモンゲとその他具材、ヤンニョムソースの調和がうんまいです。

 

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写真はモンゲピビンパッと、一緒に付いてきたパンチャン(付け合わせのおかず)一式。莞島らしく海藻類が多めです。
なぜ莞島らしいのかというと、莞島郡は海苔やワカメなど海藻類の養殖が盛んであり、アワビと同様に郡の名産品として知名度が高いからです。莞島郡の海藻類への力の入れようは、同郡と全羅南道の主催により3~4年に1回のペースで「莞島国際海藻類博覧会」を開催していることからも伺い知ることができます(ただし2021年開催予定であった第3回は翌2022年への延期を経て中止決定)

 

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こちらはトックッ(톳국:ヒジキのスープ)。ヒジキは小学生のころ給食の主菜として出てきた炒め煮を大量に食べさせられて以来ずっと苦手だったのですが、こちらはおいしかったです。

 

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こちらのお店「パダ食堂」、2021年現在も営業しているようです。営業時間や定休日は不明ですが、私が訪れた月曜日の午前8時台ですでに営業していましたので、朝食にもってこいのお店です。青山島旅客船ターミナルからわずか160m(徒歩約2分)と至近距離にあります。なお、この日私が注文したモンゲピビンパッは当時12,000ウォン(約1,200円:2021年11月現在)でした。

パダ食堂(바다식당:全羅南道莞島郡 青山面 青山路 17 (道清里 1174-61))

 

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腹ごしらえが済んだところで、いよいよ青山島の踏査がスタートするのでした。
続きは次回のエントリーにて。

 

【おまけ】

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せっかく「青山」島に来たのですから、民泊のご主人が道清港へ迎えに来られるまでの間、こんなお遊び写真も撮っていました。
まさに余談ですが、写真のキャラクターのアクリルスタンドは、この日のために3年半も前から用意していたものでした……

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