かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

莞島の旅[201912_03] - あの名作映画の撮影地などを訪れる青山島(チョンサンド)横断徒歩の旅

前回のエントリーの続きです。

2019年11~12月の全羅南道(チョルラナムド)莞島(ワンド)郡の離島などを巡る旅の3日目、2019年12月2日 (月)です。

 

青山島全図
前日にフェリーで訪れた莞島郡の離島、青山島(청산도:チョンサンド)で前泊して迎えたこの日は、島内の観光地などを徒歩で巡る計画を立てていました。朝食のモンゲピビンパッを食べた「パダ食堂 (シクタン)」があり、フェリーの発着する道清港(青山島港)もある島一番の繁華街、道清里(トチョンニ)がそのスタート地点です。島の西端にあるここ道清里から、島を横断する路線バスのルートでもある道路、青山路(チョンサンロ)に沿って島の東側へ向かいつつ、主に3つの目的地を訪れる計画です。

 

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道清港の旅客船ターミナルの近くに、その「青山旅客」の路線バスが停車していました。前述した理由で、この日歩いたルートの大半が路線と重なっていため、このバスと何度もすれ違ったり追い抜かれたりする機会がありました。この路線バスは走行中やたらとクラクションを鳴らすのが特徴で、どうやらバス停に接近した際の合図のようです。おかげで、歩いている間にも大体どのあたりを走っているか分かるようになりました。

 

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今回はタイミングが合わず利用しませんでしたが、運賃は1,000ウォン(約100円:2021年12月現在。以下同じ)均一で、離島のバスには珍しく「T-money」などの交通系カードも利用できるとのこと。一日に9往復が走っており、道清港と島の反対側の新興(シヌン)マウルの間を約15分で結んでいます。写真はこの後に訪問した「新豊(シンプン)」バス停に貼られていた、青山旅客のバス時刻表。現在はこれと変わっているかもしれません。

 

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写真は「道清二里(トチョンイーリ)」の碑石。韓国ではマウル(「村、集落」の意)の入口となる道路沿いに、そのマウル名を刻んだ碑石が建っていることがよくあり、これを「マウル標識石」(마을표지석:マウルピョジソク)といいます。私はこのマウル標識石が好きで、旅先で見かける度に写真に収めています。後述するように、この日の旅では島内に点在するマウルの標識石を数多く目にする機会を得られました。可能な範囲で、その名の由来とあわせて紹介してまいります。以下、マウル名の由来は全羅南道庁『전남의 섬(全南の島)』サイトの情報を参考にしています。
道清二里とは行政里(ヘンジョンニ)の名称で、日本でいう大字に近い住所区分である法定里(ポッチョンニ)とは異なり、行政上の区域をいいます。法定里では単一の道清里ですが、行政里としては道清一里(トチョンイルリ)とここ道清二里に分かれています。
道清の名の由来は、かつては「仏目(プルモク)」と呼ばれていたところ、朝鮮時代ここに都捧庁(トボンチョン。国税米を収納して管理する官庁)が設置されたことで「都庁(トチョン)」と呼ばれるようになり、その後18世紀末19世紀初頭に都捧庁が廃止されたことから、同じ発音である「道清」に変わったものとされています。

 

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今回は訪れませんでしたが(当時知らなかった)、ここ道清里は「青山波市文化ゴリ」 (ゴリは「街、通り」の意)と名付けられた街づくりがなされています。波市(パシ)とは、かつて韓国の離島の漁港周辺や漁船上などで開催されていた臨時の市のことをいいます。
以前に訪れた黒山島(흑산도:フクサンド)欲知島(욕지도:ヨクチド)もそうでしたが、韓国の離島では季節ごとに旬の魚種を中心とした波市が催され、商人をはじめ数千人もの人々が出入りし、海上都市さながらの様相を呈していました。しかし1960年台以降の漁業資源の枯渇などにより次第に衰退し、現在では思い出の中に消えてしまっています。1930年代から始まったという青山島のコドゥンオ(サバ)波市は教科書にも載るほど有名なものだったといい、シーズンの毎年6~8月にはサバの大群が押し寄せる度に波市が開かれていたといいます。しかし青山島近海のサバは乱獲に伴い1960年台に枯渇、続いて生まれたサムチ(サワラ)波市も同じく資源枯渇に伴い1980年代半ばにその幕を閉じたとのことです。
写真は、後述する「青山鎮城」にあった「青山島波市」の案内パネル。

 

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道清港、「青山島スローキル」1コースの案内板。スローキル(キルは「道」の意)とは、国際スローシティ連盟により東アジア初の「スローシティ」に認定された青山島をゆっくり歩いて探訪できるよう、島内の歩道をウォーキングコースとして設定したもので、同連盟にも公式認定された世界初のものだそうです。現在、全11コースが設定されています。

 

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道清港から少し南東に進んだ場所に、写真の「循環バス」チケット売り場があります。

 

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循環バスはその名の通り、青山島内の主要観光地や集落を巡りつつ約35分で一周するバスで、通常は一日に7便が運行されています(多客期には増便あり)。道清港を出て再び道清港に戻ってくるまでの一周内であれば、何度でも乗り降りできるという便利なバスです。料金は大人5,000ウォン(約500円)。

 

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ただし、シーズンオフである12月~2月は運休。無人のチケット売り場にはその旨の張り紙が。残念ながら私が訪れたこの日(12月2日)は運休期間に入ってまもなくだったわけです。なお、この循環バスは本年(2021年)4月時点で新型コロナウイルスの影響により運休中であったとのことです(2021年12月現在の運行状況は不明)。

 

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循環バスのチケット売り場の近くにあった公衆トイレ。スローシティのシンボルでもあるカタツムリの形をしています。

 

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「青山島スローフードフォトゾーン」と書かれた造形物。こちらの愛らしいキャラクターもカタツムリの親子です。

 

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公衆トイレを過ぎたあたりから、木製デッキの歩道が湧き置かれた坂道が始まります。ここから右側に入る脇道には「道洛里(トランニ)」と刻まれたマウル標識石があり、実際この道を進むと道洛里の集落へ行けます。
道洛(トラク。トランニは末尾に「里(リ)」が着いたときの音韻変化)の名は先祖たちが定着して道を崇めるという意味で「道洛」と呼んだことに由来し、日帝強占期に隣の堂里(タンニ)と合わさって「堂洛里(タンナンニ)」に変わった後、1946年に集落単位に分かれて再び「道洛」となったとのことです。法定里では堂洛里に属します。この日の私の目的地はすべてバス通りでもある坂道の先にあるため、木製デッキを上がってゆきます。

 

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木製デッキを上る途中から見た道洛里の全景。道洛里には韓屋(ハノク)を用いた宿泊施設があり、それらの並んだ姿が風景と調和しています。

 

道清里・堂洛里・邑里一帯


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木製デッキを上りきると、今度は「堂里(タンニ)」のマウル標識石がありました。堂里の名は、現在の莞島郡内に清海鎮(チョンヘジン)を築き、新羅によって清海顔大使(テサ)に任じられた「海上王」張保皐(장보고:チャン・ボゴ、?-841または846)の指揮下にあった韓乃九(한내구:ハン・ネグ)将軍の遺功を追慕するため、その石墓の前で毎年正月5日に堂祭(タンジェ。村を守ってくれる神様に共同で行なう祭祀)を催したことに由来するそうです。法定里では堂洛里に属します。

 

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ここ堂里には、19世紀に築かれた「青山鎮城(チョンサンジンソン)」があります。鎮城とは軍事的要衝地に設置した行政区画である鎮を防御するため、主要施設などを石の城壁で囲んだ要塞をいいます。1871年に竣工した青山鎮城は、城壁の高さ約4.5m、外周1,100mの規模を誇り、東・西・南にそれぞれ城門が設置されていました。しかし1895年に青山鎮が廃止され、それ以降は崩壊が進行。一部を残してほぼ破壊されてしまった城壁を、2010年に復元工事が完成し元の姿を取り戻しています。

 

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青山島で訪れたかった場所のひとつが、この青山鎮城のあたり、もうひとつの大きなマウル標識石の手前で青山路を右に折れたところの先にあります。

 

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しばらく進むと、写真の風景が。

 

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この緩やかな坂道こそが、林権澤(임권택:イム・グォンテク、1934-) 監督による1993年の映画『風の丘を越えて/西便制』(原題:『서편제(ソピョンジェ)』。以下『西便制』と表記)の名場面を撮影した場所、「西便制撮影地」なのです。主人公の3人、パンソリ唱者の父ユボンと娘のソンファ、そして鼓手の息子ドンホが珍島アリランを歌い踊りながら坂道を下ってくるシーンは、まさにこの場所で撮影されたものです。

 

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公開当時、単館上映にもかかわらず100万人もの観客を動員したという『西便制』。私もこの旅の出発前日に観てきたばかりでした。「韓国映画史上最も美しいシーン」とまで言われ、私もまた魅了されたあのシーンの舞台を目の当たりにでき、ただただ感無量です。
なお、『西便制』は現在、YouTubeの「韓国古典映画 (Korean Classic Fiim)」チャンネルにて無料公開されており、不自然でない日本語字幕も表示できます。未見の方はぜひご覧いただくことをおすすめいたします。

 

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この坂道をさらに進むと、丘の斜面に写真の瀟洒な住宅がぽつんと建っています。

 

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こちらの家は、2006年にKBS2にて放映されたドラマ『春のワルツ』(原題:『봄의 왈츠』)の舞台となったもので、現在は「春のワルツ撮影地」と呼ばれています。この斜面一帯は春になると一面の菜の花畑となるそうで、遠くに見える海との調和がそれはもう美しいことこの上ないといいます。

 

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春のワルツ撮影地のあたりから見た道洛里の海。確かにすばらしい眺望です。

 

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もと来た道を戻ると、西便制撮影地の近くに「서편제쉼터·주막」(「西便制シムト・酒幕」。シムトは「休憩所」などの意)と書かれた看板があることに気が付きました。

 

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気になって矢印の方向に進んでみると、わら葺き屋根の韓屋、そして「青山島西便制酒幕」と書かれたメニュー表には「青山島伝統マッコリ ₩6,000」の表記が。調べてみると、どうやらこちらのお店オリジナルの手造りマッコリのようです。しかしまだ朝だからか、お店は閉まっていました。残念。次の訪問の機会にはぜひとも口にしたいものです。

 

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青山鎮城の入口に戻り、再び西へ向かって歩き出します。写真は青山鎮城の近くにあった「青山三賢碑閣」。莞島郡郷土遺跡第11号にも指定されています。

 

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写真は青山路沿いの脇道。情感漂う離島の路地です。

 

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脇道から青山路に戻ってまもなく、写真の「西便制セット場」と書かれた案内板を発見。明らかに先ほどの緩い坂道とは別の方向です。

 

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行ってみたところ、あったのは石垣に囲まれたわら葺き屋根の韓屋。この家だけ周囲の住宅と雰囲気が異なります。

 

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敷地に入ると、そこは『西便制』物語の序盤でユボンが幼い頃のソンファとドンホにパンソリの稽古をつけていた、あの縁側のある家でした。縁側には3人の再現人形も。

 

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こちらの家屋、下調べの際に見たどのサイトでも紹介されておらず、よって訪れるまで知らなかったのでびっくりです。後に調べたところ、こちらの家屋は「青山島堂洛里7番家屋」とも呼ばれているようです。
写真は、先ほどの「西便制撮影地」(坂道の方です)にあった案内パネル。左上の写真がこの家屋で撮影されたシーンです。

 

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f:id:gashin_shoutan:20211215205026j:plainまた青山路に戻り、東方向へ。上り坂が続き、少しずつ高度を上げてゆきます。写真は道すがらにあった壁画の数々、そして現役の牛小屋。

 

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しばらく歩くと、邑里(ウムニ)のマウル標識石が。
後述するようにここ邑里には支石墓があり、先史時代から居住者がいたと推定されるものの、本格的に村が形成されたのは17世紀からとされています。当地の住民たちは、新羅時代に村が設置されたことから「邑里」と呼ばれていると信じているとのことですが、新羅時代に住民がいたという考証はされていないようです。法定里では邑里に属します。

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この邑里にあるのが、写真の「支石墓公園」です。

 

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名前にもあるように、この公園には南方式と呼ばれるタイプの支石墓(ドルメン。韓国では「コインドル(고인돌)」とも呼ぶ)が3基あり、これらは「邑里支石墓」として全羅南道文化財資料第116号に指定されています。そのためか外周には柵が設けられ、中に入ることはできません。邑里には元々16基の支石墓があったそうですが、道路工事などで失われ、現在はこちらの3基のみが残っているそうです。
ところでこの支石墓、韓国国内に約3万基、うち全羅道だけで2万基が存在するといい、朝鮮民主主義人民共和国の約1万5千基と合わせると、全世界の支石墓総数の約40%を占めるのだそうです。

 

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支石墓公園には、もうひとつの文化財があります。それが写真の「邑里下馬碑」で、全羅南道文化財資料第108号に指定されています。
下馬碑(ハマビ)とは朝鮮時代に宗廟や宮殿の門の前に建てられた石碑で、身分を問わずこの石碑の前では馬を下り、自分の足で歩かなければなりませんでした。写真ではよく分かりませんが、こちらの下馬碑には菩薩像らしき像が刻まれていることから、民間信仰と仏教が結合した信仰対象であるとみられ、またその様式から高麗時代末期~朝鮮時代初期に建てられたものと推定されています。

 

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さらに東へ向かって坂道を上ってゆきます。さほど急ではないとはいえ、ずっと上り坂なので若干の疲労がたまります。そんな中、道の脇のお花畑に心癒されます。

 

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そうして歩いていると、ようやく峠を越えたようで、見晴らしのよい場所に出ました。目の前には曲線を描き下ってゆく青山路、そしてその先には島の東海岸が。ここからのルートは楽そうです。
とはいえ、その青山路の曲線がかなりの大回りで、これを歩いていたら下り坂とはいえ相当な時間を要しそうです。そこで意を決して、道なき道をショートカットすることに。途中が崖になっていたらどうしようかとも思いましたが幸いそんなものはなく、数分程度で再び青山路に合流。

 

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合流地点の少し先にあったのが、新豊(シンプン)バス停、そして新豊マウルのマウル標識石。
こちらは17世紀半ばに乱を避けてきた複数氏族が形成した村で、旧城山(クソンサン)の麓にあることから当初は「旧城(クソン)」と呼ばれていたところ、後に「新豊」に変えたものだそうです。法定里では復興里(プフンニ)に属します。

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ここ新豊マウルや周辺の集落一帯には、青山島特有の水田「クドゥルジャンノン(구들장논)」があります。

 

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クドゥルジャンとは、みなさんもよくご存じの韓国式の床暖房設備「オンドルの基礎となる石組みのことをいいます。ノンは「水田」の意。青山島は砂質の土が多く水はけが激しいため、そのままだと稲作には向いていません。そこでまずはクドゥルジャンのような石組みを地面に築き、その上に土を乗せて通水することで田んぼの保水性を高めたものが、このクドゥルジャンノンなのです。全体が棚田のようになっているのも、上の田んぼから落ちてきた水が無駄なく下の田んぼを潤すことを期したものです。
青山島ならではの灌漑施設というべきクドゥルジャンノンは、2013年に韓国の国家重要農業遺産第1号に指定され、翌2014年4月には世界重要農業遺産にも登載されています。このクドゥルジャンノンこそが、私が訪れたかった3つの目的地の2番目でした。

 

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陽旨(ヤンジ)マウルのマウル標識石。
マウルの名前は、移住先であった当地が暖かく日当たりのよい場所だったことに由来するそうです。法定里では陽中里に属します。

 

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さらに東へ向かって歩みを進めます。

 

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仲興里(チュンフンニ)のマウル標識石とバス停。
周囲を山や峠が囲んでいる真ん中に、広い野原を背景に位置していることに「仲興」の名が由来するそうです。法定里では陽中里に属します。 

 

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そしてついに、新興(シヌン)海水浴場に到着。
青山島の東岸、道清港とちょうど島の反対側に位置する海岸です。道清港からここまでおよそ2時間半、とうとう青山島を歩いて横断してしまいました。

 

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新興海水浴場には、島を横断する青山旅客の路線バスの終点「新興」バス停、そして新興里(シヌンニ)のマウル標識石があります。
元々は散在していた仏堂谷(プルダンゴク)、海衣里(ヘイリ)または海里(ヘリ)、桑山浦(サンサンポ)などの村を統合して「新海(シネ)」と呼んでいたものを、新たに繁栄することを念願する意味で「新興」に変えたものだそうです。法定里では新興里に属します。

 

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新興里からは進路を南に変え、しばらくして到着したのが東村(トンチョン)マウル。
青山五大山のひとつであり、島の最高峰でもある鷹峰山(ウンボンサン。メボン山とも呼ぶ。387m)の東側に位置していることにマウルの名が由来するそうです。法定里では東村里に属します。

 

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さらに南に向かい、到着したのは上西(サンソ)マウル。
17世紀に乱を避けてきた複数氏族がほぼ同時に入ってきて形成した村で、青山島で一番最初にある村という意味で「上洞(サンドン)」と呼ばれてきましたが、1960年代に元洞(ウォンドン)マウルと分離した際、めでたい村という意味で「祥瑞(サンソ)」とし、後に同じ発音で字画の少ない上西に変えたものだそうです。法定里では上洞里に属します。

 

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この上西マウルの家屋はその大半が丘の斜面に位置しており、それらの間を縫うように張り巡らされた路地の両側には、特徴的な石塀が築かれています。

 

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この石塀は、離島ならではの強い海風をしのぐため島内に豊富にある石を活用したもので、つなぎに土を使わず石だけで組み上げた「カンダム」と呼ばれるものです。これらの路地は「上西トルダムキル」(トルダムキルとは「石垣の道」の意)と呼ばれ、曲がりくねった石塀のある風景が独特の情感をもたらしており、「青山島祥瑞(上西)マウル旧タム牆(ジャン)」として国家登録文化財第279号にも指定されています。

 

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上西マウルでは現在、1970年代に進められた農村の近代化運動である「セマウル運動」を生き延びたこうした石塀の風景を残すべく、保全のための取り組みもなされているそうです。写真は「上西マウルトルダムキル」のデザインが施されたマンホール。

 

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こちらの上西マウル、これまで紹介してきた「西便制撮影地」や「クドゥルジャンノン」とともに、私にとって青山島でどうしても訪れたい場所のひとつでした。当初は前日の夕方に訪問する計画だったものの、悪天候のため断念し本日の最終目的地としたところです。

 

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石塀に絡みついたカボチャに実がなっています。情感漂う風景です。

そうしてすっかり夢中になって上西マウルを歩き回っているうちに、気づいたら時刻はすでに正午を回っていました。この日は道清港を午後1時に発つフェリーに乗船する予定を立てていました。すでに確保済みの莞島共用バスターミナル発の市外バスに間に合う最後の便だからです。次に上西に来る路線バスは道清港着が12:55であり、チケット購入の時間を考えると間に合わないリスクがあります。もちろん徒歩では到底間に合いません。
そこですかさず、この日の朝まで滞在していた「ヌリム民泊」のご主人に電話、迎えに来ていただくことに。まもなく私の荷物と一緒に例の2トントラックで颯爽と現れたご主人。そうして10分あまりで道清港に到着。ご主人と固い握手を交わし、下車します。
前日の道清港からのピックアップといい、その後の刺身屋さんへの送り迎えといい、そして今回の移動といい、ご主人のおかげで終始楽しい島旅となりました。ご主人、本当にありがとうございました。次に青山島を訪れたときも、必ずやヌリム民泊を利用します。

 

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今回の旅で利用したヌリム民泊は、「Airbnb」で探し出して予約しました。整った設備、目前には美しい池里海水浴場や松原、そして親切なご主人。期待以上のホスピタリティがありました。宿の設備やロケーションについては前回エントリーにて紹介しておりますので、こちらをご参照願います。青山島を訪問される際にはぜひご利用いただきたい宿です。

青山島ヌリム民泊(청산도 느림민박:全羅南道 莞島郡 青山面 池里2キル 66 (池里 886))

 

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ご主人のおかげでフェリー乗船まで余裕ができたので、土産物を探すことに。まあ自分用ですが……
旅客船ターミナルのふたつ隣、日本でいう「漁協」に相当する金融機関「水協」(수협:スヒョプ)の建物の一部は「莞島特産物販売場」になっており、青山島を含む莞島郡の名産品が数多く販売されています。目立つのはやはり莞島郡の特産物である海藻やアワビ関連の加工食品。中には海藻の粉末を練り込んだ乾麺なんてものもありました。

 

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そんな中で購入したもののひとつが、写真の「꼴뚜기젓갈(コルトゥギチョッカル)」。コルトゥギとは「ベイカ」(学名:Loligo beka)、あるいはそれと同じイイダコ大の小さなイカのことで、これをヤンニョムジャンに漬けてチョッカル(韓国風の塩辛)にしたものです。要冷蔵ですが保冷剤を持参していたうえ、賞味期限が1年と長いので買ってきてしまいました。写真は8ヵ月後に初めて開封したところ。実がぷりぷりしてうんまかったです。

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道清港の近くにあった「青山農協スローフード」と書かれた建物には「청보리 수제맥주(チョンボリスジェメッチュ)」と書かれた看板が。チョンボリとは直訳すると「青い麦」の意味で大麦の一種、そしてスジェメッチュ(手製麦酒)とは日本でいう「クラフトビール」のこと。なにこれ、知りませんでした。
そういえばチョンボリは青山島の数少ない農産物のひとつです。島の大麦で醸したオリジナルのクラフトビールなのでしょうか。クラフトビール好きの私としてはめちゃくちゃ気になります。しかし残念なことに、お店のものと思しきドアは閉ざされていました。青山島を再訪すべき理由がまたひとつ増えてしまいました。

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そうして予定通り、午後1時発のフェリーで青山島を発ちます。
さらば青山島。コロナ明けには必ずやまた訪問したい島のひとつです。

それでは、次回のエントリーへ続きます。
今回ご紹介した青山島、またこの直前に訪れた所安島(소안도:ソアンド)へのアクセスや旅のtipsは、次回のエントリーで紹介する予定です。

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