かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

光州の旅[その4] - 5.18民主化運動の史跡めぐり②、そして光州名物オリタン

前回の更新から少し間が開いてしまいましたが、その間の9月30日から10月2日にかけて、大邱へ行ってまいりました。
大邱は見どころも多々ありますが、なんといっても最大の名物(だと私が思うの)は「大邱十味」に代表されるうんまい料理の数々。もちろん今回しっかりと堪能してまいりました。
現在進めている8月の旅レポが終わりましたら、この大邱の旅を紹介したいと思います。

f:id:gashin_shoutan:20161006000255j:plain

 

さてさてそれでは光州に戻って、前回の続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

大仁市場を過ぎてまた少し歩き、いよいよやってきた錦南路(クムナムノ)。

f:id:gashin_shoutan:20161005225459j:plain

「錦南路一帯」( 금남로일대:史跡4号)。光州一の繁華街である忠壮路(충장로:チュンジャンノ)と隣接し人通りも多いこの道路は、戒厳軍による暴虐の現場やその後の市民たちによるデモの舞台となった道であり、その足の当たるところのすべてが5.18民主化運動の現場というべき場所です。そして1980年5月21日13時には、韓国国歌「愛国歌」(애국가)の流れる中を戒厳軍による一斉射撃がなされ、多数の死傷者が発生した場所でもあります。
518番バスは「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所下車。

錦南路一帯( 금남로일대:史跡4号)


写真の碑石のある建物は、かつては「カトリックセンター」と呼ばれ、5月18日午前に戒厳軍により学内から追われた数百名の全南大学校生が移動しデモを実行した場所でしたが、昨年(2015年)5月に改装され「光州広域市5・18民主化運動記録館」(광주광역시 5 · 18 민주화운동기록관)としてオープンしました。建物のうち1階から3階までが記録館となっており、1階から順に「抗争」「記録」そして「世界人権記録遺産」の順に構成されております。
ここもまた国立5.18民主墓地の「追慕館」と同様、実際に訪問してその目でご覧いただきたい場所なので詳しい紹介は避けますが、数ある展示物の中から特に印象に残ったものを数点紹介してまいります。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009163904j:plain
光州駅広場で発見された2名の遺体をこの錦南路まで移送したリヤカー。実物ではないかもしれません。1階。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009164725j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009164839j:plain

前々回も紹介した、光州のトゥルブル(들불:野火)夜学のメンバーを中心に発行され、抗争期間中には陸の孤島となった光州で市民の新聞代わりとなった『闘士会報』(투사회보)の説明板と、いわゆる「ガリ版刷り」による製作風景の再現。説明板にはこの後訪問する「光州YWCA(旧跡)」と「緑豆書店(旧跡)」についての言及もありました。1階。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009165048j:plain

5月21日13時過ぎに全南道庁前の錦南路にてなされた戒厳軍による市民への一斉射撃の直後、犠牲者や避難者たちの靴がアスファルトの路上に散乱する様子の再現。上がガラス張りになっており、歩いて渡れるようになっています。個人的に最も強く印象に残った展示物です。1階。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009165700j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009165931j:plain
1階には10日間の抗争期間中の出来事が壁面のパネルで時系列に紹介されていますが、その中でこちらは「5月21日」の部分。戒厳軍による集団発砲の死者が54名、これらを含む死傷者が500名あまりとあります。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009171254j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009171406j:plain
1980年6月2日付『全南毎日新聞』の検閲前と検閲後の紙面。検閲前の紙面には無数の赤入れがなされています。金準泰(김준태)詩人による詩のタイトル「아아, 光州여 우리나라의 十字架여!」(ああ、光州よ 我が国の十字架よ!)は後半がざっくり削られ、その下にある詩本文も半分以下に削られています。これらを並べることで、検閲という行為の罪深さが痛いほどよく理解できます。2階。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009174101j:plain

記録館の窓口の方に聞かれ、日本から来た旨を伝えると、全166ページにも及ぶこのような本を頂戴しました。5.18民主化運動前夜から抗争期間中、そして現在に至るまでの出来事が精細に記載されています。訪問された方はぜひ手にしていただきたい一冊です。
光州広域市5・18民主化運動記録館」は入場無料、開館時間は9:00~18:00。毎週月曜日と元日、名節(旧正月・秋夕)は閉館です。ぜひ訪れてみてください。

光州広域市5・18民主化運動記録館(광주광역시 5 · 18 민주화운동기록관)

 

閉館ぎりぎりの18時まで記録館を観覧し、再び外へ。雨は依然として降り続けています。夕闇が迫っているので歩みを続けます。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009175023j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009175131j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009175303j:plain

「光州MBC旧跡」(광주MBC옛터:史跡7号)。1980年の抗争当時、KBSと並ぶ2大放送局であったMBC文化放送)の系列局である「光州MBC」があった場所です。軍部の検閲のため戒厳軍の蛮行については一切触れず、政府発表ばかりを報道し続けた姿勢に激高した光州市民により1980年5月20日の夜に放火され、全焼しました。翌21日には別の場所にあるKBSの建物も放火されています。ここの碑石は「瑞元門の提灯」というアート作品と一体化していました。
518番バスは「全南女高」(전남여고)停留所下車。
光州MBC旧跡(광주MBC옛터:史跡7号)

 

f:id:gashin_shoutan:20161009181245j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009181758j:plain

「緑豆書店旧跡」(녹두서점옛터:史跡8号)。維新体制下における民主青年学生たちの討論の場であり、1980年5月17日の深夜に全国の民主人士多数が予備検束された際には光州の青年学生たちが集結し垂れ幕や檄文を制作したところです。そして先にも紹介した、戒厳軍により封鎖された光州の街で市民の新聞代わりとなった『闘士会報』の発行に大きな役割を果たした場所でもあります。
518番バスは「全南女高」(전남여고)停留所下車。

緑豆書店旧跡(녹두서점옛터:史跡8号)

 

f:id:gashin_shoutan:20161009182152j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009182254j:plain

「光州YWCA旧跡」(광주YWCA옛터:史跡6号)。光州における女性運動の拠点であり、抗争期間中は対策会議が頻繁に開催された場所です。5月27日早朝の戒厳軍による全南道庁への最後の攻勢ではここもターゲットになり、多くの犠牲者が発生しています。またこの近くには、団員のほぼ全員が民衆抗争に参加した劇団「トバギ」の当時の本拠地であり、現在も5.18民主化運動関連の演劇などを上演する「ミンドゥレ小劇場」(민들레소극장)もあります。
518番バスは「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所下車。

光州YWCA旧跡(광주YWCA옛터:史跡6号)

 

f:id:gashin_shoutan:20161009183351j:plain

ここまで来れば錦南路界隈の史跡の中でも残る「5.18民主広場」や「旧全羅南道庁」などは目と鼻の先ですが、雨足は依然強い中いよいよ暗くなってきたうえ、夕食の店の閉店時間が迫っていることもあり、この日(8月26日)の史跡めぐりはここで断念することとしました。雨に煙る旧全羅南道庁を横目に、最寄駅である「文化殿堂駅」(문화전당역)から地下鉄1号線に乗って、「農城駅」(농성역)へ移動します。

 

f:id:gashin_shoutan:20161009183502j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009183645j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009184137j:plain

f:id:gashin_shoutan:20161009184936j:plain

お待ちかねの夕食は農城駅から徒歩数分、ある方に教えていただいた「マンミジョン」(맛미정)にて、光州の名物料理「オリタン」(오리탕)のパンマリ(半羽)を。25,000ウォン(約2,300円:当時)。「オリ」とは鴨のこと。写真3枚目の山盛りのニラとセリを少しずつ足しながら食べてゆきます。酢コチュジャンにトゥルケ(すりエゴマ)を混ぜたものをつけて食べるという、いままで見たことのないスタイル。そしてオリタンそのものも、いままで体験したことのない味。これは、うんまい!
実はこのパンマリを注文するにあたり、お店の方から「とても食べきれないから1人用の『トゥッペギ』(7,000ウォン)を注文するといいよ」と何度もすすめられたのですが、そうしたことは何度も経験しているのでここは迷わずパンマリをオーダー。しかしなかなかの量で、お酒が入ると底なしになってしまう(^_^;)私の胃袋でも満足するほどの分量でした。
この店については、私に教えてくださったビョンさんのブログでも詳しく紹介されています。ぜひご一読のほど。営業時間は11:00~21:00(NAVERなどでは21:30閉店となっていますが私が行った際には21:00閉店とのことでした)。

マンミジョン(맛미정)


f:id:gashin_shoutan:20161009184801j:plain
光州を含む全羅南道の地ソジュ「イプセジュ」(잎새주)。オリタンによく合います。

 

次回は光州の最終回。この日訪問できなかった錦南路周辺の「5.18民主化運動」史跡などについて紹介します。

 

光州の旅[その3] - 5.18民主化運動の史跡めぐり①

前回(下記)からの続きです。

 gashin-shoutan.hatenablog.com

国立5.18民主化墓地を出て、隣接する「5.18旧墓地」(5•18구묘지)へ。

f:id:gashin_shoutan:20160925125137j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925125900j:plain

1枚目の写真にもあるように、この「5.18旧墓地」は所在地の地名をとって「望月洞(망월동)墓地」と呼ばれることもあります。1980年5月18日より同月27日までの10日間にわたって繰り広げられた「5.18民主化運動」(あるいは「光州民衆抗争」)での犠牲者が最初に埋葬された場所。現在も数多くの犠牲者たちがここに眠っています。
一般に韓国のお墓は日本のような大きな墓石がなく、盛り土だけだったり、あるいは写真2枚目のように盛り土に加え小さな墓石が建てられているものが多いようです。

 

ところで、1枚目の写真の後方にある丸っこい碑石、何かお分かりでしょうか。

 

f:id:gashin_shoutan:20160925130038j:plain

これは光州の「光」の字を象ったもので、光州市が定めた5.18民主化運動の「史跡」であることを示す碑石です。はめ込まれたプレートには、史跡の名称と説明文が韓国語・英語でそれぞれ記載されています。この「史跡」は現時点で1号(全南大学校正門)から26号(505保安部隊旧跡)までの全29か所あり(5号のみ4か所)、そのほとんどにこの碑石が添えられています。この「5.18旧墓地」は史跡24号にあたります。
各碑石の具体的な位置については、事前にDaumやNAVERの地図サービスで調べました。せっかくですので、これから訪問をお考えの方のために、史跡を紹介するごとに碑石の位置を添えておきます(KONEST地図)。

5.18旧墓地(5•18구묘지:史跡24号)

 

今日(8月26日)はこれから時間の許す限り、この碑石を目印に、光州市内の5.18民主化運動の史跡を巡ることとします。

 

f:id:gashin_shoutan:20160925133249j:plain

「5.18旧墓地」を出てバス停方面へ向かうと、すぐにこの建物があります。「5.18精神継承 民族民主烈士遺影奉安所」(5·18 정신계승 민족민주열사 유영봉안소)。その名の通り、民衆抗争にて亡くなった方々の遺影を陳列し追悼するとともに、その崇高な精神を受け継ぐための場所です。入場無料。

 

f:id:gashin_shoutan:20160925133938j:plain

このすぐ近くにある「公園墓地」(공원묘지)停留所から、前回ご紹介した「518」番バスに乗って市街地方面へと向かいます。
なお、この写真のバス停は市街地とは反対方向ですのでご注意ください(市街地方向のバス停は見つけきれませんでした)。

 

f:id:gashin_shoutan:20160925134131j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925154933j:plain

518番バスを「農産物公販場」(농산물공판장)停留所にて下車してすぐの場所にある、「光州矯導所」(광주교도소:史跡22号)。「矯導所」とは刑務所のこと。国立5.18民主墓地から市街地へ向かう道沿いの、石材屋さんの一角にあります。民衆抗争当時はここに戒厳軍が駐留し、市外へ出ようとする人や車に無差別銃撃を加えました。また、戒厳軍に捕らえられた市民が連行され、拷問を加えられた場所でもあります。

光州矯導所(광주교도소:史跡22号)

 

f:id:gashin_shoutan:20160925142841j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925144550j:plain

ここからまた市街地方面行きの518番バスに乗り、今度は「全南大」(전남대)停留所で下車。その名が示す通り、少し歩くと「全南大学校正門」(전남대학교 정문:史跡1号)です。1980年5月18日午前0時をもって施行された非常戒厳の全国拡大を受けて同大学に進駐した軍による学生への無差別暴行、また同日10時には学生デモと軍との最初の衝突が起きた場所であり、その意味で5.18民主化運動のスタート地、史跡1号にふさわしい場所だといえます。

全南大学校正門(전남대학교 정문:史跡1号)

 

若干強くなり始めた雨の中、ここからは歩いて史跡を巡ります。

 

f:id:gashin_shoutan:20160925144851j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925145330j:plain

「光州駅広場」(광주역광장:史跡2号)。1980年5月20日の夜、光州駅に駐留していた戒厳軍が非武装の市民に向けて発砲し、多数の死傷者が出た場所です。このとき殺害された2名の遺体がリヤカーで市中心部の錦南路へ移送されたことで光州市民の怒りが爆発、民衆抗争が頂点に達しました。
518番バスは国立5.18民主墓地方面行きだと「光州駅」(광주역)停留所、市街地方面行きだと「光州駅(東)」(광주역(동))停留所下車。

光州駅広場(광주역광장:史跡2号)

 

f:id:gashin_shoutan:20160925145613j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925150123j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925145627j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925145901j:plain

「旧市外バス共用ターミナル一帯」(구 시외버스공용터미널일대:史跡3号)。1980年5月19日、ここで実行された市民のデモに戒厳軍が乱入し、流血の惨事となりました。ターミナル(写真3枚目)は現存せず、現在その跡地には光州銀行本店やロッテ百貨店が建っています。一方、同様に虐殺の現場となった地下道(4枚目)は現存しています。
518番バスはここを通りません。

旧市外バス共用ターミナル一帯(구 시외버스공용터미널일대:史跡3号)

 

f:id:gashin_shoutan:20160925152951j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925153103j:plain

 「5.18最初発砲地-光州高校前」(5•18최초발포지-광주고교앞:史跡21号)。「統一会館」(통일회관)というビルの前にあります。1980年5月19日、一連の民衆抗争において戒厳軍が初めて市民に向けて発砲した場所。これにより朝鮮大学校附属高校の生徒が重症を負っています。なお、史跡名は「光州高校前」とありますが、次に紹介する光州高等学校の正門とは少し離れています。
518番バスは「光州高」(광주고)停留所下車。

5.18最初発砲地-光州高校前(5•18최초발포지-광주고교앞:史跡21号)

 

f:id:gashin_shoutan:20160925152314j:plain

f:id:gashin_shoutan:20160925152431j:plain

光州高等学校の正門横にある「光州4.19民主革命発祥地」(광주4.19민주혁명 발상지)。ここは5.18民主化運動の史跡ではなく、李承晩大統領の辞任へと至る4.19民主革命の学生デモが1960年4月19日に実行された場所です。
光州市には518番バスのほか、この4.19民主革命にちなんだ路線番号「419」のバスも存在しています。路線図はこちら。もちろんこの地も通ります。419番・518番ともに「光州高」(광주고)停留所下車。

光州4.19民主革命発祥地(광주4.19민주혁명 발상지)

 

f:id:gashin_shoutan:20160925153832j:plain

ここからはいよいよ、民衆抗争の中心地であった錦南路へ向かいますが、その途中に光州でも有数の在来市場「大仁市場」(대인시장)が。
ここは芸術の街を志向する光州らしく、市場内に芸術家たちへの生活の場を提供することで共生と発展を図ろうという、韓国の在来市場でも異色の存在であり、また最近では土曜日の19:00~24:00に夜市場(야시장)も開催されています。
大好きな韓国の在来市場の雰囲気に思わず足がフラフラと誘惑されかけますが、今回は5.18民主化運動の足跡を追うことが優先です。がまんがまん。またいつか訪れることとしましょう。

 

次回は、錦南路周辺に位置する「5.18民主化運動」史跡について紹介します。
そして、お待ちかね(?)の夕食も紹介できそうです。

光州の旅[その2] - 国立5.18民主墓地

前回(下記)からの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

松汀トッカルビ1号店」にて名物のトッカルビを食べた後は、いよいよ最初の目的地へ向かいます。
前回書くのを忘れてましたが、光州松汀駅には跨線橋の手前にコインロッカーがあって、そこに荷物を預けてきました。私の経験上、韓国の地方の駅やバスターミナルは日本よりもコインロッカーが少ない傾向にあり、大きな荷物を持って行ったときには難儀することも少なくありません。なので韓国地方の旅に際しては、事前に行先の街のコインロッカー情報を血眼になって探します(^_^;)
なのでこのブログでは、これからも韓国地方の駅・バスターミナルのコインロッカー情報を積極的に配信してまいります。

 

f:id:gashin_shoutan:20160920230344j:plain

そしてやって来た「国立5.18民主墓地」(국립5·18민주묘지)。1980年5月18日より同月27日までの10日間にわたって繰り広げられた「5.18民主化運動」(あるいは「光州民衆抗争」)で、戒厳軍による暴虐の犠牲となった市民たちが眠る場所。これから光州市内の5.18民主化運動の史跡を歩くに先立ち、どうしても最初に訪問したかったのです。
写真は墓地の玄関に相当する「民主の門」(민주의 문)。今回は時間の都合で光州松汀駅からタクシーに乗りましたが、かなり高い(日本円で3,000円近い)ので、路線バスでの来場をおすすめします(本エントリー最後に紹介します)。

 

f:id:gashin_shoutan:20160920231639j:plain

墓地の全体像はこうなっています(「国立5.18民主墓地」日本語版パンフレットより引用。以下、本エントリーではこの図を「上図」と呼びます)。先ほどの「民主の門」は中央手前の⑤にあたります。
ここで私は、墓地の職員の方と待ち合わせをしていました。国立5.18民主墓地では、1週間前までに電話で予約をすると、日本語を話せる職員の方の案内を受けられるのです(ただし電話予約は韓国語)。案内といってもずっと墓地内をついてきてもらえるわけでなく、「民主の門」での10分程度の簡単な案内です。とはいえ場内の見どころや巡回コースを教えていただけるのみならず、この後訪問する「5.18追慕館」でのビデオ上映の手配もしていただけたので、大変助かりました。おすすめです。

 

f:id:gashin_shoutan:20160920232913j:plain

「民主の門」から見た「追念門」(추념문:上図⑧)、「5.18民衆抗争追慕塔」(5·18민중항쟁추모탑:上図⑩)。

 

f:id:gashin_shoutan:20160920233328j:plain

まずは「5.18追慕館」(5·18추모관:上図⑥)へ。近くだとフレームに収まりきれないほど大きな建物です。ここでまず、先の職員の方が手配された5.18民主化運動の日本語版ドキュメンタリービデオ(約35分)を鑑賞。5.18民主化運動については事前に勉強してきたつもりでしたが、日本ではなかなか観る機会のない1980年当時の映像は胸に迫るものがあります。

 

f:id:gashin_shoutan:20160920235417j:plain

ビデオが終了したら館内展示へ。当時の西ドイツの『シュピーゲル』誌に掲載された、抗争過程で死亡した父の遺影を持つ子どもの写真が迎えます。
ここは訪問されるみなさんにどうしても見ていただきたい場所なので、あえて詳しくは取り上げませんが、その中で特に印象に残ったものをいくつか紹介します。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921000458j:plain

全羅南道庁(当時)前の錦南路にて1980年5月21日13時に実行された、戒厳軍による一斉銃撃の犠牲者が身につけていた時計。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921000736j:plain

腐敗が進む犠牲者の遺体を包んたビニール。はがす間もなく埋葬しなければなりませんでした。旧墓地から国立5.18民主墓地への改葬の際に出土したもの。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921002142j:plain

戒厳軍の兵士が持っていた「鎮圧棒」。本物と思われます。戒厳軍の兵士たちは光州の市街地でこの棒をあたりかまわず振り回して市民たちを殴打し、死に至らしめました。その様子は日本でも公開された映画『光州5・18』(原題『화려한 휴가』:華麗なる休暇)の中でも再現されています。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921002529j:plain

抗争期間において、現地のトゥルブル(들불:野火)夜学のメンバーを中心に発行された『闘士会報』(투사회보)第6号。(1980年)5月23日付とあります。陸路や市外電話を遮断され光州の街全体が孤立し、テレビやラジオは戒厳軍寄りの報道一色となる中、光州市民たちの新聞代わりとなったものです。

 これら以外にも「5.18追慕館」には、民衆抗争当時を伝える貴重な史料が多数展示されています。光州を訪問された際にはぜひ足を運んでみてください。ビデオを含め、1時間くらいで見て回れると思います。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921215748j:plain

「5.18追慕館」を出て、墓地を巡回します。写真は「5.18民衆抗争追慕塔」(5·18민중항쟁추모탑:上図⑩)。高さ約40m。頂点近くの球状のオブジェは「復活」を象徴する卵と、それを包み込む両手を表しているとのこと。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921221053j:plain

「5.18民衆抗争追慕塔」を挟むようにして、当時の市民たちの姿を描いた2つのブロンズ彫刻が建てられています。こちらは「武装抗戦軍像」(무장항쟁군상)。戒厳軍に対抗するため結成された市民軍兵士たちの雄姿です。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921220821j:plain

そしてこちらは「大同世上軍像」(대동세상군상)。負傷者を手当てする看護師をはじめ、助け合いつつ団結し市民軍を支援する人々の姿を描いています。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921222034j:plain

さらにこれらブロンズ彫刻の後方には、5.18民主化運動の過程における重要な場面を再現したブロンズレリーフ「5月民衆抗争図」(5월 민중항쟁도)が、「5.18民衆抗争追慕塔」を中心に左右5枚ずつはめ込まれています。写真はそのうちのひとつ、先ほど紹介した「鎮圧棒」などを用いた戒厳軍の無差別暴力の場面。

f:id:gashin_shoutan:20160921223102j:plain

5.18民衆抗争追慕塔の基部の通路を抜けると「第1墓域」(제1묘역:上図⑨)です。およそ1,500名の方が埋葬されています。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921223402j:plain

「遺影奉安所」(유영봉안소:上図⑫)の外観。民衆抗争の過程で殺害された方などの遺影が内部に並べられています。内部は撮影禁止ではありませんが、どうしても撮ることができませんでした。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921224133j:plain

「歴史の門」(역사의 문:上図⑬)。「第2墓域」(제2묘역:上図⑰)、そして次に向かう「5.18旧墓地」方面への門です。

 

f:id:gashin_shoutan:20160921231323j:plain

「歴史の門」から「5.18旧墓地」までの途中には、壬辰倭乱豊臣秀吉による2度の朝鮮出兵)や東学農民戦争(甲午農民戦争東学党の乱)、大日本帝国による植民地支配などへの抵抗を描いた石造りのレリーフがあります。写真はそれらの中から特に光州と縁が深い、1929年11月に発生した「光州学生独立運動」(광주학생독립운동)。ここ光州で日本人が朝鮮人女学生を侮辱したことをきっかけに朝鮮人学生グループと日本人学生グループが衝突し、やがて朝鮮全土へと展開してゆきます。
こうした展示を見て「やっぱり反日だ」などと短絡的に考えてしまう人は、まずはこうした「反日」抗争が一体どこの場所で、どうやって引き起こされたのか、じっくり考えてみましょう。

 

最後に、この「国立5.18民主墓地」へのアクセスですが、冒頭にも書いた通り光州の都心から離れているので、タクシーよりも路線バスの利用をおすすめします。
ここと隣の「5.18旧墓地」のほか、民衆抗争のスタート地となった「全南大学校」、市民と戒厳軍との攻防戦が展開された「光州駅」、民衆抗争の主舞台であり現在も光州の中心街である「錦南路」など5.18民主化運動の主要スポットと、地下鉄「文化殿堂」駅や「錦南路4街」駅、光州総合バスターミナル「U-SQUARE」など交通の要所を結ぶ路線バスが便利です。
その路線番号はずばり「518」。絶対に忘れない番号ですね。平日なら25~27分、土日だと30~36分間隔で運行されているようです。路線図はこちら(「NAVER地図」へのリンク、韓国語)。 地下鉄1号線「文化殿堂」(문화전당)駅から近い「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所からだとバスでおよそ50分です。

f:id:gashin_shoutan:20160921232228j:plain

 f:id:gashin_shoutan:20160921232834j:plain

 

「国立5.18民主墓地」のオープン時間帯は、09:00~18:00。
うち「5.18追慕館」の入館時間は17:30までですので(観覧は18:00まで)、ご注意ください。すべての施設が入場無料です。

 

以上で「国立5.18民主墓地」のレポは終わりです。次回は、隣接する「5.18旧墓地」からスタートする5.18民主化運動の史跡巡りです。

 

 

(c) 2016-2021 ぽこぽこ( @gashin_shoutan )本ブログの無断転載を禁止します。