前回(下記)からの続きです。
国立5.18民主化墓地を出て、隣接する「5.18旧墓地」(5•18구묘지)へ。
1枚目の写真にもあるように、この「5.18旧墓地」は所在地の地名をとって「望月洞(망월동)墓地」と呼ばれることもあります。1980年5月18日より同月27日までの10日間にわたって繰り広げられた「5.18民主化運動」(あるいは「光州民衆抗争」)での犠牲者が最初に埋葬された場所。現在も数多くの犠牲者たちがここに眠っています。
一般に韓国のお墓は日本のような大きな墓石がなく、盛り土だけだったり、あるいは写真2枚目のように盛り土に加え小さな墓石が建てられているものが多いようです。
ところで、1枚目の写真の後方にある丸っこい碑石、何かお分かりでしょうか。
これは光州の「光」の字を象ったもので、光州市が定めた5.18民主化運動の「史跡」であることを示す碑石です。はめ込まれたプレートには、史跡の名称と説明文が韓国語・英語でそれぞれ記載されています。この「史跡」は現時点で1号(全南大学校正門)から26号(505保安部隊旧跡)までの全29か所あり(5号のみ4か所)、そのほとんどにこの碑石が添えられています。この「5.18旧墓地」は史跡24号にあたります。
各碑石の具体的な位置については、事前にDaumやNAVERの地図サービスで調べました。せっかくですので、これから訪問をお考えの方のために、史跡を紹介するごとに碑石の位置を添えておきます(KONEST地図)。
今日(8月26日)はこれから時間の許す限り、この碑石を目印に、光州市内の5.18民主化運動の史跡を巡ることとします。
「5.18旧墓地」を出てバス停方面へ向かうと、すぐにこの建物があります。「5.18精神継承 民族民主烈士遺影奉安所」(5·18 정신계승 민족민주열사 유영봉안소)。その名の通り、民衆抗争にて亡くなった方々の遺影を陳列し追悼するとともに、その崇高な精神を受け継ぐための場所です。入場無料。
このすぐ近くにある「公園墓地」(공원묘지)停留所から、前回ご紹介した「518」番バスに乗って市街地方面へと向かいます。
なお、この写真のバス停は市街地とは反対方向ですのでご注意ください(市街地方向のバス停は見つけきれませんでした)。
518番バスを「農産物公販場」(농산물공판장)停留所にて下車してすぐの場所にある、「光州矯導所」(광주교도소:史跡22号)。「矯導所」とは刑務所のこと。国立5.18民主墓地から市街地へ向かう道沿いの、石材屋さんの一角にあります。民衆抗争当時はここに戒厳軍が駐留し、市外へ出ようとする人や車に無差別銃撃を加えました。また、戒厳軍に捕らえられた市民が連行され、拷問を加えられた場所でもあります。
ここからまた市街地方面行きの518番バスに乗り、今度は「全南大」(전남대)停留所で下車。その名が示す通り、少し歩くと「全南大学校正門」(전남대학교 정문:史跡1号)です。1980年5月18日午前0時をもって施行された非常戒厳の全国拡大を受けて同大学に進駐した軍による学生への無差別暴行、また同日10時には学生デモと軍との最初の衝突が起きた場所であり、その意味で5.18民主化運動のスタート地、史跡1号にふさわしい場所だといえます。
若干強くなり始めた雨の中、ここからは歩いて史跡を巡ります。
「光州駅広場」(광주역광장:史跡2号)。1980年5月20日の夜、光州駅に駐留していた戒厳軍が非武装の市民に向けて発砲し、多数の死傷者が出た場所です。このとき殺害された2名の遺体がリヤカーで市中心部の錦南路へ移送されたことで光州市民の怒りが爆発、民衆抗争が頂点に達しました。
518番バスは国立5.18民主墓地方面行きだと「光州駅」(광주역)停留所、市街地方面行きだと「光州駅(東)」(광주역(동))停留所下車。
「旧市外バス共用ターミナル一帯」(구 시외버스공용터미널일대:史跡3号)。1980年5月19日、ここで実行された市民のデモに戒厳軍が乱入し、流血の惨事となりました。ターミナル(写真3枚目)は現存せず、現在その跡地には光州銀行本店やロッテ百貨店が建っています。一方、同様に虐殺の現場となった地下道(4枚目)は現存しています。
518番バスはここを通りません。
旧市外バス共用ターミナル一帯(구 시외버스공용터미널일대:史跡3号)
「5.18最初発砲地-光州高校前」(5•18최초발포지-광주고교앞:史跡21号)。「統一会館」(통일회관)というビルの前にあります。1980年5月19日、一連の民衆抗争において戒厳軍が初めて市民に向けて発砲した場所。これにより朝鮮大学校附属高校の生徒が重症を負っています。なお、史跡名は「光州高校前」とありますが、次に紹介する光州高等学校の正門とは少し離れています。
518番バスは「光州高」(광주고)停留所下車。
5.18最初発砲地-光州高校前(5•18최초발포지-광주고교앞:史跡21号)
光州高等学校の正門横にある「光州4.19民主革命発祥地」(광주4.19민주혁명 발상지)。ここは5.18民主化運動の史跡ではなく、李承晩大統領の辞任へと至る4.19民主革命の学生デモが1960年4月19日に実行された場所です。
光州市には518番バスのほか、この4.19民主革命にちなんだ路線番号「419」のバスも存在しています。路線図はこちら。もちろんこの地も通ります。419番・518番ともに「光州高」(광주고)停留所下車。
ここからはいよいよ、民衆抗争の中心地であった錦南路へ向かいますが、その途中に光州でも有数の在来市場「大仁市場」(대인시장)が。
ここは芸術の街を志向する光州らしく、市場内に芸術家たちへの生活の場を提供することで共生と発展を図ろうという、韓国の在来市場でも異色の存在であり、また最近では土曜日の19:00~24:00に夜市場(야시장)も開催されています。
大好きな韓国の在来市場の雰囲気に思わず足がフラフラと誘惑されかけますが、今回は5.18民主化運動の足跡を追うことが優先です。がまんがまん。またいつか訪れることとしましょう。
次回は、錦南路周辺に位置する「5.18民主化運動」史跡について紹介します。
そして、お待ちかね(?)の夕食も紹介できそうです。