前々回のエントリーの続きです。
昨年(2017年)10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)高興(コフン)郡・宝城(ポソン)郡などを巡る旅、3日目(2017年10月29日(日))です。
筏橋(ポルギョ)バス共用ターミナルから乗車したのは、光州総合バスターミナル「U-Square」行きの市外バス。ただし次の目的地はU-Squareからだとかえって遠くなるため、ひとつ手前の「南光州(ナムグァンジュ)」停留場で下車します。筏橋からここまで約1時間10分。
南光州とは言っても都市鉄道(地下鉄)1号線「南光州」駅とは離れた場所にあるこちらのバス停、今回乗車した光州⇔筏橋・高興・鹿洞(ノクトン)間の市外バス以外では「鶴洞(ハクトン)」停留場と呼ばれるため注意が必要です。写真2枚目は道路向かい側、光州市外方面にのみある同バス停の待合室(写真中央、向かって右側の建物1階にあるオレンジの看板の場所)。
市内バスに乗り換え、やって来たのは1980年5月の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)の最終抗戦地、旧全羅南道庁の前にある「5.18民主広場」。
以前にも紹介した、広場に建つ「5.18時計塔」の前に、写真の立て看板が。
この年(2017年)8月に公開され、韓国で記録的大ヒットとなった映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(原題『택시운전사』)の主人公マンソプを演じたソン・ガンホさんとその愛車のタクシー、そして作中ではトーマス・クレッチマンさんが演じたユルゲン・ヒンツペーター氏(こちらはご本人)のパネルです。
ソン・ガンホさんの持つボードには「光州広域市訪問を歓迎します」、タクシーの側面には「秋の旅行週間」とあります。
光州5.18民主化運動(光州事件)を描いた韓国映画『タクシー運転手』。念願かなって観ることができた。自国の負の歴史を直視し包み隠さず表現した映画。エンタテインメント性を維持しつつも犠牲者たちを悼み記憶し被害者たちに思いを馳せる映画。胸がいっぱい。観てほしい。 pic.twitter.com/vKK6nXN1yg
— ぽこぽこ (@gashin_shoutan) 2018年5月1日
その情報を知ってからおよそ8ヵ月、日本公開を首を長くして待ったこの映画を先日ようやく観る機会が得られました。その直後の思いを、上記のツイートに記しています。
映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、これから全国の劇場で随時公開される予定とのことです。ひとりでも多くの方がこの映画を見る機会を得られることを強く願っています。
5.18時計塔から徒歩で8分ほど、以前に紹介した「光州MBC旧跡」からも近い東区(トング)弓洞(クンドン)にある写真の住宅は「故洪南淳弁護士家屋」といい、5.18民主化運動では市民収拾委員として活動、拷問と1年7ヵ月もの収監を経て5.18の真相究明と被害者の名誉回復のために生涯を捧げた弁護士、洪南淳(홍남순:ホン・ナムスン、1912-2006)氏の自宅だった建物です。
洪南淳弁護士(写真左端の椅子に腰かけている男性)は1912年、全羅南道和順(ファスン)郡生まれ。綾州(ヌンジュ)公立普通学校を卒業後、あまりの向学心から1933年には日本へ密航し、4年後に和歌山市立商工学校(現在の同市立和歌山高等学校の前身?)を卒業しています。そうした猛勉強の末、1948年には司法試験に合格。光州高等法院(日本の高等裁判所に相当)などで10年間の判事生活を送った後、1963年には現在の光州広域市東区弓洞の自宅にて弁護士を開業します。
弁護士生活では一貫して反独裁闘争と民主化活動に徹し、朴正煕(박정희:パク・チョンヒ、1917-1979)大統領の軍事独裁政権下では「3.1民主救国宣言事件」※1や「『奴隷手帳』筆禍事件」※2、「民主教育指標事件」※3など30件以上もの「緊急措置法」違反事件ばかりを扱ったため、「緊急措置法専門弁護士」と呼ばれることもあったといいます。
※1 3.1民主救国宣言事件:1976年3月、ソウル・明洞聖堂での3.1節記念ミサにて発表された「民主救国宣言」を理由に、野党指導者と在野の民主人士が政府転覆扇動容疑で大量拘束、18名が訴追された事件。1審では金大中(김대중:キム・デジュン、1924-2009)氏や文益換(문익환:ムン・イクファン、1918-1994)牧師らの懲役8年をはじめ実刑判決が言い渡されたものの、翌年には大法院(日本の最高裁に相当)での上告棄却により全員無罪へ。
※2 『奴隷手帳』筆禍事件:1977年、詩人の梁性佑(양성우:ヤン・ソンウ、1943-)氏が、当時の朴正殿軍事独裁政権を批判する詩『奴隷手帳』を日本の『世界』誌上で発表したことを理由に投獄された事件。
※3 民主教育指標事件:1978年6月、小説家の宋基淑(송기숙:ソン・ギスク、1935-)氏ら全南大の教授11名が朴正熊軍事独裁政権による「国民教育憲章」を連名で批判、「私たちの教育指標宣言」を発表したことにより拘束、解職された事件。こちらのエントリーにて紹介。
そして1980年5月、戒厳軍の暴虐を目の当たりにした洪南淳弁護士は市民収拾委員に参加。抗争9日目の26日には同市西区(ソグ)の農城(ノンソン)広場にて、戒厳軍の市内進入を防ぐため衣服を脱いで地面に寝そべる「死の行進」を他の収拾委員とともに実行、その後逮捕されます。写真は現在の農城広場と、そこに建つ史跡16号「農城広場激戦地」を示す碑石です。
抗争終了後には内乱首魁容疑で無期懲役の判決を受け、70歳近い高齢にもかかわらず刑執行停止まで1年7ヵ月もの獄中生活を余儀なくされました。釈放後は光州拘束協会長、5.18光州民衆革命記念事業および慰霊塔建立推進委員長などを務めるなど5.18の真相究明、そして被害者の名誉回復のため尽力しましたが、2001年秋に脳出血で倒れ、2006年10月14日に死去しています。
こちらの家屋は抗争期間中に収拾対策会議が開かれた場所であり、洪南淳弁護士の功績とあわせて5.18の記憶・継承に大きな意味を持つ場所として、この年(2017年)の9月10日付で5.18の史跡29号に指定されています。この日(2017年10月29日)はまだ指定から2ヵ月弱で、5.18の史跡を示す丸い碑石はありませんでしたが、本エントリー公開直前(2018年5月25日)の再訪時には写真の真新しい碑石が設置されていました。
「故洪南淳弁護士家屋」へのアクセスは、5.18の史跡や関連施設を巡るように走る「518番バス」(こちらのエントリーにて紹介)であれば「全南女高」(전남여고)バス停にて下車、国立5.18民主墓地方面行きは徒歩約2分(約170m)、尚武地区方面行きは徒歩約3分(約180m)です。家屋内に立ち入ることはできません。
故洪南淳弁護士家屋(고홍남순변호사가옥:光州広域市 東区 霽峰路 153 (弓洞 15-1)。史跡29号)
さて、そろそろ目的地へ行く約束の時間です。タクシーを捕まえ、乗車。車は光州の市街地を離れ、市の東側にそびえる無等山(ムドゥンサン、1187m)への登山道を走ります。
運転手さんが目的地をご存じでなく、また私も道順が分からないため山中の道路をさまよい、約束の午後7時を若干回ってようやく到着したのは、写真の看板のお店「ムドル酒幕(ジュマッ)」。
無等山のふもとにあるこちらの飲食店は、おいしい料理を出すのみならず、敷地内の畑で自家栽培したサンチュなど豊富な葉野菜、そして自家製のトンドン酒(동동주)を出してくれるという魅力的なお店で、コリアンフードコラムニストの八田靖史さんが某イベントで紹介されたのが知ったきっかけです。事前予約必須、しかもなかなか電話がつながらない(出ない)というハードルを乗り越え、今回ようやく訪問することができました。
この日は到着時点で日がとっぷり暮れており、しかも街灯すらない山中のため外観の写真を撮ることができませんでした。こちらの写真は本エントリー公開前日(2018年5月27日)の再訪時、ようやく撮影がかなったものです。
店内。著名人のものらしき色紙が多数飾られています。その中には皆様もよくご存じのこちらの人物も。日付から察するに、追慕式への参列後に立ち寄られたのでしょうか。
オリジナルの自家製酒があるというのに、注文しない手はありません。まずは写真のトンドン酒から。適度な甘さがうんまい。アルコール度数は8%と一般的なマッコリ(6%前後)よりやや高めで、疲れた体にしみ渡ります。
ところで日本では、トンドン酒はマッコリの一種だと思っている方も少なくないように思います(私もそうでした)。いずれも「濁酒(タクチュ)」に分類される酒ですが、厳密には区分されるべきものです。
原料の米をある程度発酵させた後、原酒の上側のやや濁った部分をすくい取ったものをトンドン酒、下に沈んだ粕を濾したものをマッコリと呼びます。うちトンドン酒については、分解される前の米粒がすくい取った原酒の表面にふわふわ浮かぶ様子から、韓国語で「ふわふわ」を意味する「トンドン」の名が付いたとされています。ちなみにトンドン酒をすくい取らずにもっと時間をおき、原酒の上側がより澄んだものを「清酒(チョンジュ)」、あるいは「マルグンスル」(「澄んだ酒」の意)といいます。
トンドン酒、製造年月日がなんと訪問当日。さすがは自家製です。
そしてやって来た今日の主役、オーギョプサル。
ご存じサムギョプサルが三(サム)枚肉ならば、こちらは皮まで含めた五(オー)枚肉。しかもチップル(짚불:藁の火)で軽くあぶられて出てくるため、藁焼きならではの風味がほのかに付いています。八田靖史さんの書かれた記事によると、これは表面をあぶることで肉汁を封じ込めるためだとのこと。
お店の方がかいがいしく焼いてくださるのを待ち、待望の「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の号令が。
ぱくり。ああ、うんまい。肉汁たっぷりのお肉にとろける脂のハーモニー、そして藁焼きの香りが絶妙でもうたまりません。来てよかった。
サンチュなどの葉野菜にオーギョプサルとニンニク、そして肉と並行して焼かれたキムチを乗せて食べるようすすめられます。こちらもぱくり。やや酸味の強いホットなキムチとオーギョプサルとの相性が抜群です。
前述したように、こちらのお店では敷地内の畑で自家栽培された何種類もの葉野菜が付け合わせに出され、その組み合わせは季節に応じて変わるそうです。今回は5種類ほどだったでしょうか。中でも特に印象に残ったのは写真の紫色の白菜。初めて見ました。もはや「白」菜ではありません。シャキシャキしておいしかったです。
こちらは本エントリー公開前日(2018年5月27日)訪問時に撮影した敷地内の畑と、出された葉野菜。葉野菜のラインナップはこのとき(2017年10月)と結構異なることがよく分かります。
こちらのお店の自家製酒には、先ほどの濁ったトンドン酒のほか、上澄みをすくった写真のマルグンスルがあります。2本目はこちらをオーダー。透明度の高い、文字通りのマルグン(맑은:澄んだ)スル(술:酒)です。甘さ控えめのすっきりしたおいしさで、料理を引き立てます。こちらも度数は8%。
一緒に出てきたパンチャン(おかず)の数々。特に気になったのは写真2枚目、たぶん青梅の実をヤンニョムに漬けたもので、他の店では見たことがありません。ヤンニョムも甘くて、おかずというよりはおやつ感覚。
この日、ムドル酒幕の店内にいらっしゃったのは2人の女性店員さん。日本からの、それも一人という珍客ゆえかいろいろと親しげに話しかけていただいたのみならず、呼んでいただいたタクシーで去る際にはわざわざお見送りまで。味のレベルの高さのみならず、ホスピタリティすごい。絶対また来ます。
……そして前述したように、そう誓った7ヵ月後の本エントリー公開前日(2018年5月27日)、本当に再訪してしまったのでした。このときの話はまたいずれ。
こちらのお店「ムドル酒幕」の営業時間は、平日午後3時~午後9時、土日は午前11時~午後9時。月曜定休。ただし本年(2018年)3月からは事情により土日と公休日のみの営業となっているようです(写真1枚目)。
前述したように無等山の麓(というより山中)にあるため市街地からはかなり遠いのですが、都市鉄道(地下鉄)1号線の「錦南路4街(クムナムノサーガ)」・「文化殿堂(ムナジョンダン)」の両駅から近い「全南女高」(전남여고)バス停からだと<석곡(石谷)87>バスで約44分、終点「清風学生野営場」(청풍학생야영장)のひとつ手前の「登村」(등촌:トゥンチョン)バス停で下車、徒歩約6分(約370m)。写真2枚目は店内にあった、「清風学生野営場」バス停から市街地方面への<석곡87>バスの発車時刻です。
タクシーの場合は、「錦南路4街」駅からだと約20分、8,000ウォン前後。光州総合バスターミナル「U-Square」からは約32分、12,000ウォン前後。
前述した「予約必須」の件は、空いているときであれば予約なしでも入店可とのことでした(店員さん談)。とはいえ確実性を取るならば予約をおすすめします。電話口では私の下手っぴな韓国語でも十分理解してもらえました。予約に長距離移動の手間をかけてでもご訪問をおすすめするお店です。
ムドル酒幕(무돌주막:光州広域市 北区 新村セッカンキル 120-5(清風洞 856-1) TEL:062-266-6086)
尚武(サンム)地区のホテルヘ戻り、近くのロッテマートヘ。帰りがけにムドル酒幕でちゃっかり購入したトンドン酒1本とあわせて、お土産を買うためです。まあどちらも自分用だけどな!
韓国、いや韓国含め海外に限らず、国内でも他地域のスーパーの生鮮食品売場を巡り、見慣れない食材を眺めたり、持ち帰れる範囲で購入したりするのが大好きなのです。
写真はロッテマートの生鮮食品売場。食材を包んで食べるための葉野菜がたくさん。これ、ブロックごとにほぼ全部違う種類なのですよ。先ほどのムドル酒幕がまさにそうでしたが、いろんな種類の葉野菜で料理をくるんで食べるのはほんっと楽しいですよね。
明けて、帰国日となる4日目(2017年10月30日(月))の朝です。
この日も光州はいい天気。
ホテルから数分ほど歩いた場所に、以前にも紹介したことのある写真の碑があります。
5.18民主化運動の際に抗争した市民たちが監禁・拷問された施設などを移築保存した「5.18自由公園」の前に建つこちらの碑は「トゥルブル夜学7烈士記念碑」。市民軍を統制する抗争指導部のスポークスマンを務め、5月27日の全南道庁での最終抗戦で亡くなった尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980。北斗七星を象った線沿いに左から2番目の男性)烈士など、抗争において重要な役割を果たしたトゥルブル(野火)夜学の主要メンバーであった7烈士を称えるためのものです。どうしてもまた烈士たちに会いたくなって、ここに来てしまいました。身が引き締まる思いです。
「5.18自由公園」についてはこちら、そしてトゥルブル夜学についてはこちらのエントリーにてそれぞれ紹介しています。あわせてお読みいただけますと幸いです。
KTX乗車のため光州松汀(ソンジョン)駅へ移動。少し時間があるので、朝食をとることにします。入ったのは同駅前、「1913松汀駅市場」の入口にある「ヨンミョンクッパ」。短時間で出てきて手軽にお腹を満たせるクッパの専門店という駅前食堂にぴったりのお店です。そのうえ味も評判のようで、人気グルメ番組『水曜美食会』でも紹介されたとのことです。看板の字体がちょっとおしゃれ。
注文したのは写真の「モドゥムクッパ」、8,000ウォン(約840円:当時)。
コク深いスープがうんまい。「モドゥム」(「全部(入り)」の意)の名の通り、豚コプチャン(ホルモン)やスンデなどさまざまな具が入っていて贅沢感があります。元気がつきそうな朝食です。
こちらのお店「ヨンミョンクッパ」は24時間営業、年中無休。Korail光州松汀駅正面出口からだと徒歩約4分(約240m)です。「1913松汀駅市場」の見物とあわせて、ぜひ。
ヨンミョンクッパ(영명국밥:光州広域市 光山区 松汀路8番キル 7-7 (松汀洞 991-5))
5.18民主化運動の記憶・継承を通じて民主主義を希求する姿勢に加え、見どころの多さと料理のおいしさ、そして人のあたたかさ。いろいろな意味で光州は大好きな街です。
再訪を誓い、9時05分発のKTXで光州松汀駅を発つ私でした。
ソウル駅に到着。地下の都心空港ターミナルで荷物預け&出国審査を済ませた後は、かつての高架道路であった「ソウル路7017」をちょっとだけ散策します。5ヵ月前のオープン直後に比べるとさすがに客足は減ったとはいえ、それでも多くの人が往来していました。
写真はたまたま開催されていた「서울로 떠나는 쉼표」というイベントで、正午からの2時間、空気で膨らませたベッドで昼寝ができるというもの。実際に横になってみたところ想像以上に心地よくて、思わず笑いが出てしまいます。下手すると本当に寝落ちしそう。飛行機に乗り遅れるので睡魔をこらえます。まさかソウル都心のど真ん中で空を見上げて横になるとは思いませんでした。
そして仁川国際空港へ移動、来たときと同じチェジュ航空で帰国するのでした。
2017年10月の光州・高興・宝城の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは再び、2017年11月の釜山広域市の旅をお送りします。
【おまけ】
この旅最後(2017年10月30日)の昼食は、たまに食べたくなってしまう韓国のコンビニ弁当。
今回は仁川国際空港のコンビニ「CU」にて購入した「牛バラ焼肉定食」(우삼겹정식)。実業家でもある料理人兼料理研究家、ぺク・チョンウォン氏(写真の人物)監修によるこちらのお弁当、結構おいしかったです。それにしても韓国ではコンビニ弁当のラベルにまで日本語表記があるのですから本当に恐れ入ります。