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光州の旅[201705_06] - 5.18民主化運動の犠牲者や烈士たちが眠る墓地、そしてまさかの再会

前回のエントリーの続きです。 

gashin-shoutan.hatenablog.com

韓国・光州(クァンジュ)広域市、1980年5月にこの街で発生した10日間の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)の史跡や関連施設を巡る旅、明けて2日目(2017年5月21日(日))です。

この日最初の目的地は、市街地から北側のかなり離れた場所にある「5.18旧墓地」。その所在地から「望月洞(マンウォルドン)墓地」と呼ばれることもあります。隣接する「国立5.18民主墓地」とあわせて昨年(2016年)8月の旅でも訪問した場所ですが、今回どちらにも行きたい場所があるので再訪することにしました。
往復に時間がかかるので、展示施設が開館しておらず時間のロスの少ない朝方を狙って移動します。

 

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5.18旧墓地への交通手段は、光州市内のあちこちにある518の史跡や関連スポットなどを巡るように走る路線バス、518番バスこちらのエントリーにて紹介)の出番です。今回の旅では初めての利用。
しかし、ホテルのある尚武(サンム)駅近くから最寄りの「尚武双龍錦湖アパート」バス停へ行ったところ、どうやら518番バスは数分前に出たばかりの様子。週末だと30~36分おきにしか来ないため、待っているとかなりのタイムロスとなります。
そこでまずはバス停近くからタクシーに乗り、Korail光州駅へ移動。図のように518番バスは尚武地区を出た後、道路自体が5.18の史跡である錦南路(クムナムノ)を走り、旧全羅南道(チョルラナムド)庁舎(全南道庁。現・国立アジア文化殿堂)を回り込むような路線を描くため、尚武地区から距離的に近い(路線上は旧全南道庁よりも先の)光州駅まで行けばどうにか先回りできるというわけです。
どうせタクシーに乗るならそのまま5.18旧墓地まで行きたいところですが、料金が2万ウォン(約2,000円)程度かかるのでここは思いとどまります(ちなみに尚武地区→光州駅は7,600ウォンでした)。

 

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そして光州駅からは追いついた518番バスに乗り、30分ほどで5.18旧墓地に到着。
この日(5月21日)は今年のカレンダーだと10日間の抗争期間(5月18~27日)中で唯一の日曜日であり、朝から多くの人々が旧墓地を訪れていました。その中には5.18民主化運動や光州精神を象徴する歌「ニムのための行進曲」(こちらのエントリーにて紹介)を歌う青少年たちの姿も。
10日間の民衆抗争において戒厳軍に殺害された市民のほとんどは、市民墓地であったここ望月洞に埋葬されました。その中には後述する尹祥源烈士ほか5月27日の全南道庁での最終抗戦で殺害された人々のように、あろうことか清掃車で遺体が運ばれた事例もありました。そうした埋葬された方の大半がまずは腐敗を防ぐための仮埋葬であり、遺体を包むビニールをはがす間もなく、また名前すら分からないまま埋葬された事例も少なくなかったようです。
その後1997年に「国立5.18民主墓地」が落成し、5.18民主化運動での死亡者と認定された方はそちらに改葬されましたが、諸事情により引き続き旧墓地に眠っている方もいらっしゃいます。

 

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こうした経緯から5.18旧墓地は518民主化運動の史跡24号に指定されており、そのことを示す例の丸い碑石が敷地内に建てられています。
この碑石がある「第3墓域」と呼ばれる区画には、5.18の犠牲者に加え、民主化運動や労働運動の最中に散っていった烈士たちの墓が複数存在します。

 

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まず最初に訪れたのは、1987年に亡くなったソウル・延世(ヨンセ)大学校経営学科2年、李韓烈(이한열:イ・ハニョル/イ・ハンニョル、1966-1987)烈士の墓です。
李韓烈烈士は1987年6月9日の母校・延世大での学生デモに参加中、戦闘警察の撃った催涙弾がその後頭部を直撃し、意識不明の重体となりました。この事件は翌10日に本格始動した全国的反政府デモをさらに白熱させ、同月29日にはついに軍事政権から時局収拾案を引き出し、念願の大統領直接選挙制を勝ち取りました。その間も生死の境をさまよっていた李韓烈烈士は、抗争の過程を見届けたかのように同年7月5日死去。同月9日に挙行された烈士の葬儀では、ソウルで100万人、故郷のここ光州でも50万人もの人々が葬列を見送りました。
李韓烈烈士、そして1987年6月の20日間に及ぶ一連の反政府運動「6月民主抗争」については下記のエントリーにて紹介しております。ご一読いただけますと幸いです。

 

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魯秀碩(노수석:ノ・スソク、1976-1996)烈士。
光州広域市とも接している全羅南道(チョルラナムド)咸平(ハムピョン)郡生まれ。延世大学校法学科の2年生であった1996年3月29日、参加したソウル・鍾路(チョンノ)での大学授業料値上げ反対、金泳三大統領選挙資金公開要求デモにおいて、警察の暴力鎮圧により亡くなった方です。この日の1ヵ月前に訪問した烈士の母校、延世大学校のキャンパス内にも、魯秀碩烈士を追悼するモニュメント「故魯秀碩烈士追慕空間」がありました(こちらのエントリーにて紹介)。

 

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表正斗(표정두:ピョ・ジョンドゥ、1963-1987)烈士。
光州市内の大東(テドン)高等学校在学中に5.18を迎え、抗争参加を理由に停学処分を受けた経験があり、その後も大学入学、中退後の社会人生活を通じて5.18の事実を知らしめる運動に取り組みます。その中で全斗煥ら5.18の責任者の処罰要求、および韓国での軍事作戦指揮権を握る立場として5.18での新軍部の策謀を容認した米国に対する抗議のため、焚身(焼身)を企図します。そして1987年3月6日、ソウル・光化門(クァンファムン)の世宗文化会館付近にて自ら灯油を浴びて火に包まれたまま米国大使館前まで走り、そこで力尽きました。2日後の3月8日死去。
この訪問の4日前(5月17日)、隣接する「国立5.18民主墓地」にて挙行された5.18犠牲者追悼式典での文在寅(문재인:ムン・ジェイン、1953-)大統領の演説の中でも、表正斗烈士の名が挙げられました。

 

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李載虎(이재호:イ・ジェホ、1964-1986)烈士。
光州出身であり、高校入学の頃に5.18を体験。猛勉強の末にソウル大学校政治学科に入学した後は学生運動にも参加、その中で5.18を容認した米国への激しい怒りを抱くようになり、この当時大学生に義務付けられていた「前方入所義務軍事教育」を米軍の傭兵教育だとして反対闘争を展開します。そして1986年4月28日、ソウル・新林(シルリム)の籠城デモにて仲間である金世鎮(김세진:キム・セジン、1965-1986)烈士とともに焚身。金世鎮烈士は同年5月3日、李載虎烈士は5月26日死去。
5.18旧墓地の入口から墓地へと通じる道には、ちょうどこの日(5月21日)、李載虎烈士の31周忌追慕式が挙行される旨の懸垂幕がかけられていました。

 

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崔美愛(최미애:チェ・ミエ、1957-1980)烈士。
抗争4日目、私が訪問したこの日からちょうど37年前の1980年5月21日。デモに参加した生徒たちを見回りに行った高校教師の夫を自宅前で待っていたところ、戒厳軍の凶弾によりその場に倒れた方です。8ヵ月になるお腹の赤ちゃんと一緒に。
墓碑の裏側には、次のメッセージが刻まれていました。

여보
당신은 천사였오
천국에서 다시 만납시다.

ねえ
あなたは天使でした。
天国でまた会いましょう。

ただ道端に立っていただけの身重の女性。
なぜこのような人が殺されなければならなかったのか。

「5.18記念財団」のガイドブック『光州の五月を歩こう』(광주의 오월을 걷자)によると、こちらのお墓にはウェディングドレス姿の遺影が飾られており、毎年この命日前後になると年老いたお母様が写真交換のため参拝されているとのことでしたが、この日は遺影自体がありませんでした。何事もないことを願うばかりです。

 

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第3墓域に掲げられていた絵。
手を取り合う金大中(김대중:キム・デジュン、1924-2009)元大統領と金正日(김정일:キム・ジョンイル、1941-2011)総書記が乗る列車の方向幕には「光州-平壌-ベルリン」とあります。その右上には独立運動家の白凡・金九(김구:キム・グ、1876-1949)氏、左上には尹祥源烈士(中央下)や民主運動家の文益煥(문익환:ムン・イクファン、1918-1994。右端の白髪の人物)牧師などの姿も。こうした絵を見ると目頭が熱くなるのを感じるとともに、日本による植民地支配の罪、そしてそのために生じた南北分断についての責任を改めて痛感させられます。

 

烈士たちの墓を参拝しつつ巡っていると、不意に私の肩を叩く人が。
振り返ると、なんと前日に訪問した「尹祥源生家」(こちらのエントリーにて紹介)にてお会いし、車で光州松汀(ソンジョン)駅まで送ってくださった尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980)烈士の弟さんの姿が。まさかの再会にびっくりしつつも大感激。
これからご自宅のある街へ帰るところで、その前に隣の「国立5.18民主墓地」にある兄・尹祥源烈士のお墓に参拝しようと立ち寄ったところだとのこと。
隣接するとは言っても広大な墓地同士、徒歩だと優に20分はかかります。親切にもまた私を車に乗せて、連れて行ってくださることになりました。

 

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そしてやって来た国立5.18民主墓地。高さ約40mの「5.18民衆抗争追慕塔」(5.18민중항쟁추모탑)がそびえ立ちます。頂点近くの球状のオブジェは「復活」を象徴する卵と、それを包み込む両手を表わしています(塔全体の写真に限り2016年8月撮影。すみません、あまりの感激のため当日は撮り忘れました……)

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追慕塔下の通路をくぐり、一段高い墓域に登ってすぐ右へ曲がった「第2墓域」に目指す場所があります。

 

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尹祥源烈士の墓。
死後「霊魂結婚式」によりその妻となった朴琪順(박기순:パク・キスン、1958-1978)烈士がともに眠ります。今回どうしても来たかった場所ですが、まさか烈士の肉親の方と一緒に訪れることになるとは夢にも思いませんでした。
日曜日、それも37年前の抗争期間中ということもあって、烈士の墓周辺はガイドの方に引率された子どもたちなどで大にぎわい。その移動を待って、烈士の弟さん、同行の奥様と思しき女性にならい「クンジョル」(큰절:韓国の祭礼における拝礼。男性は両手を合わせて床につき腰を曲げつつ頭を下げ、女性は両手を額に当てて膝をゆっくり折り曲げつつ座り頭を下げる)をします。これまで墓や追慕碑の写真を撮る際には一礼を欠かしませんでしたが、クンジョルは初めての体験でした。

尹祥源烈士の生涯については、下記のエントリーにて紹介しております。あわせてお読みいただけますと幸いです。


訪れたい場所がまだ残っていたので、再び車で5.18旧墓地へ戻り、そこで弟さんたちとお別れです。
これまで韓国の旅では「さようなら」「いってらっしゃい」に相当する「안녕히 가세요」(アンニョイガセヨ)と言われて見送られたことは数え切れないほどありますが(飲食店では必ず言われます)、私自身がそう言って誰かを見送ったのは、23回目の渡韓にして初の体験でした。
偶然にも2度にわたる出会いは、忘れられない思い出となりました。本当にありがとうございました。

 

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旧墓地、5.18の史跡を示す碑石のすく近くには、写真の空間があります。
こちらは、1980年5月の抗争下の光州に潜入しその惨状を映像に収め、全世界に配信したドイツ第1公営放送の記者、ユルゲン・ヒンツペーター(Jürgen Hinzpeter:1937-2016)氏を追悼する空間です。

 

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1980年5月、東京支局の特派員であったヒンツペーター氏は戒厳令下の光州に関する報道を耳にし、直感的に現地取材の必要性を感じて急きょソウルへ渡ります。そこからタクシーをチャーターし、抗争3日目の5月20日には他の外信記者たちに先んじて封鎖中の光州潜入に成功、滞在中は危険を顧みず市内の随所を撮影し、撮影フィルムを荷物などに隠して日本へ持ち出します。これらのフィルムはほどなく本国ドイツへ送られ、戒厳軍の暴虐による光州の惨状を全世界に知らしめました。さらに抗争6日目の23日には再び光州入りし、今度は戒厳軍一時撤退後の市民たちによる自治の様子を撮影、その映像は戒厳軍が流した「光州は暴徒に占拠された」とのデマを否定する証拠となりました。
ヒンツペーター氏は2016年1月25日に死去。その遺志に基づき、こちらの空間には氏の頭髪と爪が納められています。
今年(2017年)8月公開、韓国で記録的な興行成績を叩き出し話題となっているソン・ガンホさん主演の映画『택시운전사』(タクシー運転手)には、トーマス・クレッチマンさん演じるヒンツペーター氏が実名で登場します。一日も早く観たいものです。

 

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5.18旧墓地、および国立5.18民主墓地へのアクセスは、私がそうであったように518番バスのご利用がおすすめです。2017年9月現在、平日は25~27分間隔、土日は30~36分間隔で配車。国立5.18民主墓地は「国立5.18民主墓地」(국립5.18민주묘지)バス停、5.18旧墓地は2つ先の「市立公園墓地」(시립공원묘지)バス停で下車。「国立5.18民主墓地」バス停までの所要時間は、都市鉄道(地下鉄)1号線「文化殿堂」駅からも近い「国立アジア文化殿堂(旧・道庁)」(국립아시아문화전당(구.도청))バス停からだと約49分、Korail光州駅前の「光州駅」(광주역)バス停からだと約37分です(交通状況によって変化します。「市立公園墓地」はそれぞれ3分プラス)。
光州広域市の市内バスの運賃は、均一料金で現金1,400ウォン(約140円)、交通カード(T-moneyなど)1,250ウォン(約125円)。交通カードの場合、市内バス同士(同番号路線除く)または市内バス&都市鉄道(地下鉄)間の30分以内の乗換であれば、2路線目以降の料金はかかりません。

 

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なお国立5.18民主墓地については、こちらのエントリーでも紹介しています。数ある施設の中でも資料館としての役割を持つ「5.18追慕館」(写真1枚目)、そして「遺影奉安所」(2枚目)は特に足を運んでいただきたい場所です。あわせてお読みいただけますと幸いです。

5.18旧墓地(5.18구묘지:光州広域市 北区 水谷洞 14-1。史跡24号)

国立5.18民主墓地(국립5.18민주묘지:光州広域市 北区 民主路 200 (雲亭洞 山35))

 

ところでこの日(5月21日)もまた、ある時刻までにどうしても行きたい場所がありました。
気づけばまもなく正午。急ぎ「市立公園墓地」バス停から再び518番バスに乗り、光州の市街地へと戻るのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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