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ソウルの旅[201704_04] - 直撃催涙弾に倒れた烈士と6月民主抗争を記憶する「李韓烈記念館」

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

「朴鍾哲記念展示室」近く、首都圏電鉄(ソウル地下鉄)1号線「南営」(ナミョン)駅前のバス停から7016番バスに乗車、30分ほどで同2号線「新村」(シンチョン)駅の近くにある「新村オゴリ.現代百貨店」バス停に到着。

 

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ここから約3分、およそ200mほど歩いた場所にあるのが、1987年に亡くなった李韓烈(이한열:イ・ハニョル/イ・ハンニョル、1966-1987)烈士を記憶する施設であり、次の目的地である「李韓烈記念館」です。

 

記念館の紹介に先立ち、烈士が亡くなった1987年の韓国の政治状況についてどうしても説明しておく必要があるため、簡単に触れておきたいと思います。
前回のエントリーでも触れたように、この年の1月14日には朴鍾哲(박종철:パク・チョンチョル、1965-1987)烈士がソウルの「南営洞対共分室」にて拷問により殺害され(朴鍾哲拷問致死事件)、その発覚により「第5共和国」と呼ばれた軍事独裁政権への不信が急速に高まる中、4月13日には全斗煥(전두환・チョン・ドゥファン、1931-)大統領が「護憲措置」(大統領間接選挙を定めた現行憲法の維持)談話を発表。大統領直選制移行への期待を裏切るこの談話は、民主化を待ち望む韓国の市民を大いに失望させました。

 

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さらに5月18日、この日開催された光州抗争7周年ミサにて、カトリック正義具現司祭団の金勝勲(김승훈:キム・スンフン、1939-2003)神父が警察による朴鍾哲拷問致死事件への縮小・隠蔽工作の事実を暴露。当時、永登浦矯導所(刑務所)に収監中だった民主活動家の李富栄(이부영:イ・ブヨン、1942-)氏が、拷問致死事件の実行犯として偶然にもそばの監房に収監された捜査官2名の悲痛な叫びを耳にし、矯導官(刑務官)を通じ聞き取りをしたところ実は他にも3名の実行犯がいたなどの事実が発覚。これを記したメモ紙が心ある矯導官を通じ外部にもたらされた結果、得られた真実でした。この暴露により軍事独裁政権に対する市民の怒りは一層白熱し、全国各地で反政府デモが頻発します。
写真は前回のエントリーにて紹介した「朴鍾哲記念展示室」の展示品のひとつ、李富栄氏により記されたメモ紙のレプリカです。このメモ紙が1987年における民主化運動の大きな起爆剤となったわけです。

そうした中で全国の在野指導者たちは、拷問致死事件の縮小・隠蔽工作に加え、6月10日に予定されていた与党・民主正義党(民正党)の全国大会と大統領候補指名大会、実質的には全斗煥大統領による盧泰愚(노태우:ノ・テウ、1932-)候補への権力移譲のための舞台を糾弾するため、これと同日に全国一斉での反政府デモ「6.10国民大会」(朴鍾哲君拷問致死操作、護憲撤廃国民大会)の開催を決定、水面下で準備を進行します。

 

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その「6.10国民大会」を翌日に控えた、1987年6月9日。
この日の午後、ソウル・新村の延世(ヨンセ)大学校キャンパスでは、同大生およそ1千名による「6.10出征のための延世人決意大会」デモが開催。その参加者の中に、同大経営学科2年、当時20歳の李韓烈烈士の姿がありました。
デモ隊は正門付近で、鎮圧のため催涙弾を発射する戦闘警察(デモ鎮圧を主な任務とし、警察とは別組織)との一団と衝突します。このとき戦闘警察は、本来ならば空中へ向けて発射すべき催涙弾を、あろうことかデモ隊へ向けて水平発射。不運にもそのうち1発が、李韓烈烈士の頭部を直撃しました(李韓烈催涙弾被撃事件)。

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催涙弾を受け頭から血を流してくずおれる李韓烈烈士と、それを必死に支えるデモ参加者の延世大生をとらえた一枚。この写真は日本を含む海外にも配信され、ニューヨーク・タイムズ紙の1面にも掲載されたといいます。

翌10日には当初予定通り「6.10国民大会」が全国各地で開催。またこの日には反軍事独裁政権の意思表示の合図として、午後6時になったら自動車を運転する者は停車してクラクションを鳴らし、そうでない者はその場で白いハンカチを振ろうという事前の取り決めの通り、夕方のソウルの街はクラクションの音と揺れる白いハンカチで一杯にあふれました。
こうして10日のデモは成功。これによりついに沸点に達した反政府抗争は、前日に発生した李韓烈催涙弾被撃事件の報に激怒した一般市民を巻き込んで、いよいよ全国的な抗争活動へと発展します。この日から20日間にわたって繰り広げられた、韓国市民による一連の反政府抗争を総称して「6月民主抗争」、または「6月抗争」と呼びます。

 

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左側の大きな写真は、1987年6月26日に全国37か所で同時多発的に開催された「国民平和大行進」デモのうち、釜山・門峴(ムニョン)の現場にて撮影されたもの。警官隊による催涙弾の発砲に激高し、静止を求め道路中央へ飛び出した男性を撮ったもので、「6月民主抗争」を最も象徴する写真となっています。1999年にAP通信が発表した20世紀の100大報道写真のひとつにも選定されています。

そして6月29日、盧泰愚次期大統領候補は大統領直接選挙制への改憲実施を含めた時局収拾案、いわゆる「6.29宣言」を発表。市民たちによる反政府抗争が、ついに念願の大統領直選制への移行を勝ち取ったわけです。

 

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一方、これら一連の反政府抗争の間も生死の境をさまよっていた李韓烈烈士は、勝利を見届けたかのようにその翌月の7月5日午前2時05分、入院先であった延世大隣のセブランス病院にて息を引き取りました。被弾当日、病院へ運ばれる際に口にした「明日、市庁へ行かなくちゃならないのに……」が烈士の最後の言葉となりました。入院中は国家権力による病床襲撃を防ぐため、また亡くなった後は証拠隠滅目的の火葬処理から遺体を守るため、延世大生たちが学部・学科別に当番を決め交替で身張りをしたそうです。

 

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死去から4日後の7月9日、李韓烈烈士の「民主国民葬」が挙行されました。母校の延世大をスタートし、本来ならば被弾翌日に行くはずだったソウル市庁前へ向かった葬列は実に100万名もの人々が見送り、また故郷の光州(クァンジュ)でも50万名の人々が集まるなど、この時点で建国以来最も多くの人数を動員した集会とされています。
このとき弔辞を引き受けたのは、自身も長らく民主化運動に携わり、刑執行停止によりこの前日に釈放されたばかりの文益煥(문익환:ムン・イクファン、1918-1994)牧師。全泰壱(전태일:チョン・テイル、1948-1970)烈士に始まり李韓烈烈士に至るまで、労働運動や民主化運動の最中に散っていった烈士たちの名を連呼したその弔辞は、韓国史に残る名演説として今日まで語り継がれています。

 

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李韓烈烈士の遺骨は、3歳から高校卒業まで暮らした光州の望月洞(マンウォルドン)5.18旧墓地に埋葬されました。写真は今年(2017年)5月の光州訪問の際に撮影した烈士の墓です。1980年、光州東成(トンソン)中学校2年生のとき同じ市内で発生した5.18民主化運動(光州事件)の真相を大学生になって知り、学生運動に身を投じることを決意したという烈士は、いまは5.18の犠牲者たちと同じ墓地で永遠の眠りについています。

 

前置きが長くなりましたが、こうして亡くなった李韓烈烈士の人生と催涙弾被撃事件、そしてこの事件により頂点に達し勝利をつかんだ「6月民主抗争」を記憶する場として、2005年に烈士の母が補償金を基に息子の母校・延世大と同じ新村に開館したのが、今回訪れた「李韓烈記念館」です。

 

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記念館の入口はビル脇の階段を登った3階にあります。
3階はイベントスペースとなっており、主に小・中・高校生を対象とした民主化運動史の教育の場として活用されています。この日も見学に訪れた高校生らしき団体へのガイダンスがなされていました。壁面には先ほど紹介した、1987年7月9日の葬列の写真が。

 

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館内の階段を登った4階は、李韓烈烈士の遺品やパネルなどが設置された展示室となっています。

 

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写真1枚目は1987年6月9日、李韓烈烈士が延世大の正門で催涙弾を被弾したまさにそのとき身に着けていたトレーナーとジーンズ、スニーカーです。トレーナーには血痕が残っています。右足側のみ残るスニーカーは年月を経てぼろぼろになっていた靴底を復元するプロジェクトが去る2015年に進行され、元の姿を取り戻しています。

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2015年夏、延世大工科大学(学部に相当)第1工学館の解体の際に学生会倉庫にて発見された、李韓烈烈士の血痕が残る同大化学工学科(화학공학과)の科旗。この旗を応急の止血に用いたという説もあるそうです。

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館内の階段の上に掛けられている烈士の肖像画。1987年当時の葬儀で遺影として用いられた肖像画をもとに2007年、新たに制作されたものです。

 

피로 얼룩진 땅, 차라리 내가 제물이 되어 최루탄 가스로 얼룩진 저 하늘 위로 날아오르 고 싶다.

血で染みついた地面。いっそ私が生贄になり催涙弾ガスで染みついたあの空の上へ舞い上がりたい。

 こちらの一文は記念館の展示物ではありませんが、李韓烈烈士が催涙弾を被弾した当日、所属するサークルの部室に書き残したメモの一節です。自らの運命を暗示していたかのようです。

「李韓烈記念館」の開館時間は午前10時~午後5時。前回紹介した南営の「朴鍾哲記念展示室」と同じく、こちらも土日は休館ですので注意が必要ですが、ホームページには掲示板または電話で予約すれば開館時間外でも訪問可能とありますので、ひょっとすると土日でも開けていただけるのかもしれません。
お時間に余裕のある方であれば、この日の私の旅と同様に、朴鍾哲・李韓烈両烈士の記念施設をセットにした平日のご訪問をおすすめします。その場合には両記念施設の最寄りのバス停をつなぐ7016番バスのご利用がおすすめです。「朴鍾哲記念展示室→李韓烈記念館」の順の場合は「南営駅」(남영역)バス停で乗車し「新村オゴリ・現代百貨店」(신촌오거리.현대백화점)で下車、逆の場合は「新村駅」(신촌역)バス停で乗車し「南営駅」で下車。所要時間はおよそ30分。平日だと4~10分ごとにやって来るのでほとんど待つ必要がありません。
前回紹介した「朴鍾哲記念展示室」、そして今回の「李韓烈記念館」。1987年の「6月民主抗争」、そして韓国の民主化運動史で決して外すことのできない両烈士を記憶する場であるこれらの施設は、ぜひとも訪問していただきたい場所です。

李韓烈記念館(이한열 기념관:ソウル特別市 麻浦区 新村路12ナギル 26 (老姑山洞 54-38)) [HP]

 

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李韓烈記念館を出て次に向かったのは、烈士の母校である延世大学校。地下鉄「新村」駅のある交差点(新村ロータリー)をまっすぐ北上したところに、写真の正門があります。1987年6月9日、李韓烈烈士が催涙弾の直撃を受けた、まさにその場所です。

 

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正門を入り、だだっ広いキャンパスのメインストリートをさらに北上すると、右手に盛り上がった緑地が見えてまいります。「韓烈ドンサン」(한열동산:「韓烈庭園」の意)と呼ばれるこの緑地には、写真の「李韓烈記念碑」が設置されています。
忠清南道(チュンチョンナムド)保寧(ポリョン)産の黒い石を素材とした高さ約1.4m、長さ約4.5mもの巨大な碑の正面には、「198769757922」という数字が刻まれています。李韓烈烈士が被弾した日付「198769」、命日の「75」、葬儀の日付「79」、そして数え年による享年「22」を意味するものです。

李韓烈記念碑(이한열 기념비:ソウル特別市 麻浦区 延世路 50 (新村洞 134) 延世大学校内)

 

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この「韓烈ドンサン」の脇には、別の碑が設置されています。
「故魯秀碩烈士追慕空間」と呼ばれるこの碑は、1996年3月29日にソウル・鍾路(チョンノ)でのデモにて警察の暴力鎮圧により亡くなった延世大学校法学科の学生、魯秀碩(노수석:ノ・スソク、1976-1996)烈士を追悼するためのものです。李韓烈烈士と同じ延世大の学生が同じようにデモの現場で国家権力による暴力を受け、同じように命を落とすという事件が、残念ながら李韓烈烈士の死から9年を経た後にも繰り返されてしまったわけです。

李韓烈烈士に関連する施設の訪問はこれで終わりですが、延世大にはもう1か所だけ訪問したい場所があるため、「李韓烈ドンサン」をさらに北上します。

 

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延世大正門から伸びるキャンパスのメインストリートの突き当たりには、延世大の前身である延禧(ヨニ)専門学校の創立期に建てられた3棟の近代建築が「П」の字形に配置されています
左から順にスティムソン館(1920年築、史跡第275号)、アンダーウッド館(1925年築、史跡第276号)、ちょっとしか写ってませんがアベンジェラー館(1924年築、史跡第277号)です。

 

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これら近代建築群の手前を左に曲がると、延世大最後の目的地である、写真の「尹東柱詩碑」があります。
尹東柱(윤동주:ユン・ドンジュ、1917-1945)詩人については、詩集『空と風と星と詩』などでご存じの方も多いことでしょう。前身である延禧専門学校を卒業後に日本へ渡り、立教大学を経て同志社大学に在学中の1943年に治安維持法違反の容疑で特高警察に逮捕され、懲役2年の判決を受け収監されていた福岡刑務所にて1945年に獄死。正確な死因は不明ですが、当時の九州帝国大学による海水を用いた代用血液研究の人体実験の犠牲となったという可能性も浮上しています。
この詩碑は寄付により1968年に建てられたもので、代表作のひとつであり遺作でもある「序詩」(서시:ソシ)を刻んだ石板がはめ込まれています。
詩碑の後方に見える建物「ピンスンホール」(핀슨홀)は、2013年に「尹東柱記念館」の名を冠せられています。

余談となりますが、尹東柱詩人と同じ小学校と中学校に通った幼馴染同士であり、深い親交があった友人の一人が、詩人の後輩でもある李韓烈烈士の葬儀で弔辞を述べた文益煥牧師です。歴史はつながっていることを改めて実感させられます。

尹東柱詩碑(윤동주 시비:ソウル特別市 麻浦区 延世路 50 (新村洞 134) 延世大学校内)

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延世大を出て、鍾路3街のホテルへチェックイン。あたりはすっかり暗くなってしまいました。いよいよお待ちかねの夕食です。
今回訪問したのは、地下鉄「鍾路3街」駅6番出口近くにある豚焼肉店「味カルメギサル専門」。昨年(2016年)8月以来の訪問です(上の2枚の写真も昨年8月のものです。この日は撮り忘れてしまいました……)。名物のカルメギサル(豚ハラミ)がおいしいうえ、周囲の路上には露天席も多数用意されているため、酒場らしい情感にあふれたお店となっています。
待たずに座れた前回に対し、今回は激混みですでに10組以上の行列が。なんでもこの日(4月14日)の1ヵ月ほど前に人気グルメ番組『水曜美食会』で紹介されたらしく、元々多かった来客がさらに急増した様子とのこと。それでも30分ほど待ってようやく順番が回ってきたら、今度はなんと予想外の「1人はNG」との答えが(前回はそんなことはなかったのに……)。一人でもたくさん食べられますよというアピールを繰り返して、どうにか屋内の奥の席に案内されました。

 

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露天席でなかったのは残念ですが、味に違いはありません。やって来たカルメギサルとカブリサル(豚トロの一種)を自分で焼いて、ぱくり。ああ、うんまい。ビール(Kloudあり!)はもちろん、ソジュとの相性もばっちりです。
こちらのお店では脇に水タンクのようなケースがついた特殊な焼き網を使用しており、日本の焼肉店でよく見るような席ごとの換気口がなくとも衣服に臭いがほとんどつきません。1月に行った隣の店「コチャンチッ」(こちらのエントリーにて紹介)でも同じものを使用していました。この網ほしい。
味にも雰囲気にも大変満足していますし、また行きたい気持ちは強いですが、前述の経緯もありますので次回はもう少し混雑が落ち着いてからにしようと思います。2人以上のグループならば断然おすすめのお店です。

味カルメギサル専門(미갈매기살전문:ソウル特別市 鍾路区 敦化門11カギル 7 (敦義洞 7-1))

こうして今回の旅の1日目は終了。次の日に備えて眠るのでした。
それでは、次回のエントリーへ続きます。

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