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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

光州の旅[201705_02] - 「5.18自由公園」、そして民主技師たちの車両デモを再現した行進

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

尹祥源烈士の弟さんに送っていただいた光州松汀(クァンジュソンジョン)駅から再び地下鉄1号線に乗り、「金大中コンベンションセンター」駅で下車。

 

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この駅のそばには、駅名にもなっている「金大中コンベンションセンター」があります。
金大中」とは言うまでもなく、同じ全羅南道(チョルラナムド。現在ここ光州広域市は行政上は全羅南道と分離)の木浦(モクポ)出身の政治家、金大中(김대중:キム・デジュン、1924-2009)元大統領のこと。一度は軍事政権下で死刑判決を受けながらも大統領にまで登りつめ、2000年には南北首脳会談の実現によりノーベル平和賞を受賞した氏を記念して名付けられた施設です。

 

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さらに北側へ向かって歩くと、金大中コンベンションセンターの北側に隣接する、写真の施設「5.18自由公園」が現れます。
かつて軍事法廷や営倉(法を犯した兵士の収監施設)などが設置され、1980年の5.18民主化運動(5.18民衆抗争、光州事件)当時は市民を拘留し自白強要のため拷問を加えた場所でもある「尚武台」(サンムデ)を、かつての所在地(現在の地下鉄1号線「尚武」(サンム)駅前一帯)から移築したもので、光州市民たちの10日間にわたる抗争、そして市民たちが受けた拷問と不当な処罰を記憶する施設となっています。

 

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こちらの施設は大別して、資料館である「自由館」と、営倉・軍事法廷など旧「尚武台」の施設展示に分かれます。まずは写真の「自由館」へ。

 

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玄関を入ると眼前に現れる、全南道庁前の5.18民主広場にある噴水台を舞台代わりとした市民集会の写真。5.18民主化運動当時、ここで幾度となく市民集会が開催され、戒厳軍、全斗煥軍事政権への徹底抗戦が誓われました。

 

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展示室。最初に出迎えてくれるのは、版画家の洪成潭(홍성담:ホン・ソンダム、1955-)氏による5.18民主化運動を描いた作品の数々です。氏の作品、中でも写真2枚目の左上「大同世上」(대동세상)は光州市内のあちこちで目にする機会がありました。

 

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5.18民主化運動当時の戒厳軍の移動状況を示したパネル。

 

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1980年5月21日午後1時、多数の死傷者を出した全南道庁前の錦南路(クムナムノ)路上での戒厳軍による無差別射撃を受け、怒りが頂点に達した光州市民はついに近隣の郡部の軍倉庫や警察署から奪った銃器で武装、武力による抵抗が始まりました。写真はこうして生まれた市民軍について説明したパネル。

 

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前回のエントリーでも紹介した『闘士会報』の第6号。1980年5月23日(金)の日付が記されています。

 

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向かって左側は全南大学校総学生会による1980年5月8日付「民族、民主化盛会」、右側は同大教授協議会による同月13日付「時局宣言」文。

 

f:id:gashin_shoutan:20170823215559j:plain戒厳軍の兵士が着用していた戦闘服、そして光州市民の無差別殴打に用いられた「鎮圧棒」。

以上は「自由館」の展示物のごく一部にすぎません。機会があるようであれば、ぜひ直接訪れてご覧いただくことをおすすめします。

  

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続いて、尚武台を移設・復元した展示スペースへ。写真のように、広大な敷地に当時の「尚武台」の各施設が再現されています。
 

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軍用トラックの荷台でひざまづかせられる市民を再現した人形。「鎮圧棒」による殴打などにより負傷した市民は、このようなトラックの荷台に乗せられて郊外にあった軍施設や矯導所(刑務所)へ移送、そこで死亡した例も少なくないとされています。
この施設では、このように当時の市民や戒厳軍を再現した人形がいたるところに設置されています。

  

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互いに縄で結ばれて連行される市民たちの再現人形。

 

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憲兵隊中隊内務班」の内部。

 

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俗に「元山爆撃」と呼ばれる、頭と足だけで体を支え腰を持ち上げた状態での姿勢維持を強要される市民たちの再現人形。この「元山爆撃」はかつて韓国軍における体罰、しごきの定番であり、その姿が朝鮮戦争当時の国連軍(米軍)による朝鮮半島北部の都市・元山(ウォンサン)への急降下爆撃を髣髴とさせることからその名がついたと言われています。

 

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憲兵隊本部事務室」、尋問を受ける市民たちの再現人形。

 

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憲兵隊食堂の厨房、水拷問(水責め)を受ける市民の再現人形。水拷問は軍のみならず警察でも拷問の常套手段として用いられ、1987年には警察施設内にて当時のソウル大3年であった朴鍾哲(박종철:パク・チョンチョル、1965-1987)烈士がこの水拷問により殺害されています(こちらのエントリーにて紹介)。

 

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営倉のゲート。見張り台には憲兵の人形が立っています。ヘルメットには「헌병」(憲兵)の文字が。板門店(バンムンジョム)へ行ったことのある方であれば、このヘルメットを被った韓国軍警備兵に見覚えがあることでしょう。

 

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ゲートを通り抜けると、写真の営倉建物が現れます。

 

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営倉の内部。監視する憲兵と、拷問、殴打によりうなだれ、あるいは抗議の意思を露に鉄格子にしがみつく市民の再現人形が設置されています。

 

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軍事法廷。建物外壁には「法廷」の文字が。内部には裁判を受ける市民たちの再現人形があります。軍事法廷ですので裁判官たちもまた軍人であり、軍の制服を着用しています。拷問により強要された自白を証拠とした一方的な裁判により、多くの市民たちが実刑判決を受け、収監されてゆきました。その中には実際に執行された例はなかったとはいえ、死刑判決もありました。

 

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5.18自由公園の開館時間は午前9時~午後6時、冬季は閉館が1時間早まります。年中無休、入場無料。以前に紹介した「国立5.18民主墓地」内の「追慕館」や「光州広域市5・18民主化運動記録館」と並ぶ、5.18を記憶し継承するための施設であり、ぜひ訪れていただきたい場所です。
光州市では、5.18の史跡や関連施設などを巡る<518>番路線バスが運行されています(こちらのエントリーにて紹介)。国立5.18民主墓地方面行き、尚武地区方面行きともに「5.18自由公園」(5.18자유공원)バス停で下車、目の前が5.18自由公園です。
以後、5.18民主化運動関連の施設や史跡などの位置の紹介においては、518番バスが近くを通る場合はその停留所を併記することとします。
5.18自由公園(5.18자유공원:光州広域市 西区 尚武平和路13 (治平洞 1161-6))

 

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5.18自由公園の入口からやや東側には、前回のエントリーでも紹介した尹祥源(윤상원:ユン·サンウォン、1950-1980)烈士たちを称えた「トゥルブル夜学7烈士記念碑」があります。
「トゥルブル7烈士」とは、トゥルブル(野火)夜学の創立者である朴琪順(박기순:パク・キスン、1958-1978)烈士、およびトゥルブル夜学の講学(講師)を務め、5.18民主化運動の際に死亡あるいは逮捕・収監された、尹祥源烈士を含む6名の烈士の総称です。
北斗七星を象ってはめ込まれたレリーフは、左(写真3枚目では左上)から順に朴琪順、尹祥源、朴勇準(박용준:パク・ヨンジュン、1956-1980)、朴寛賢(박관현:パク・クァニョン、1953-1982)、申栄日(신영일:シン・ヨンイル、1958-1988)、金永哲(김영철:キム・ヨンチョル、1948-1998)、そして朴暁善(박효선:パク・ヒョソン、1954-1998)の各烈士の肖像です。

ここから地下鉄1号線の「良洞市場」(ヤンドンシジャン)駅にかけて、同路線沿いに未踏の5.18民主化運動の史跡がいくつか点在しているのですが、ある大事なイベントの時間が迫っていたため、タクシーを拾ってその場所へ向かいます。

 

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到着したのは「光州起亜(キア)チャンピオンズフィールド」。起亜自動車がスポンサーである韓国プロ野球リーグの球団「起亜タイガース」の本拠地として2013年12月に落成した野球場であり、その設計にあたっては「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」(広島市民球場)などがベンチマークとなったとされています。偶然にもどちらもチームのテーマカラーは赤ですね。球場建物の側面には選手たちの巨大な写真が。

かつてこの野球場の場所には、光州市の東部にそびえる「無等山」(ムドゥンサン)から名付けられた「無等競技場」と呼ばれる施設がありました。
5.18民主化運動当時、光州市民たちが戒厳軍の無差別暴力から逃れようとタクシーに乗り込んだ際、その運転技師(運転手)までも暴行を加えられる事件が頻発。抗争3日目、この日からちょうど37年前の1980年5月20日、これに激怒したタクシーやバスの運転技師たちがここ無等競技場に集結し、各自の車両を用いたデモを計画します。

 

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同日午後6時ごろ、高速バスを先頭に、ヘッドランプを点灯しクラクションを鳴らしたおよそ200台ものバス・タクシー車両による隊列が無等競技場正門を出発。そして午後6時40分ごろ、戒厳軍による暴力の激しかった錦南路(クムナムノ)から近い柳洞(ユドン)交差点付近に現れた車両デモ隊は、戒厳軍と対峙しつつもなす術のなかった光州市民たちを大いに勇気づけました。これが契機となり、後の市民軍形成、そして組織的抵抗にもつながったとされています。
これを記念し、当時の運転技師たちの勇気を称えるべく毎年5月20日を「民主技師の日」と定め、当時の車両デモを再現した「民主技師の日大行進」が実施されています。
この当日に開催されていた祭典「第52回光州市民の日」の一環として、午後2時半に行進が無等競技場を出発すると知り、急いでやって来たわけです。

 

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到着は数分遅れたものの、行進はちょうど出発したばかりでした。初めて来た場所ですが、先頭の車両が「ニムのための行進曲」を大音量で流していたので容易に見つけることができました。
ボンネットにそれと分かるカバーをつけ、あの日のようにヘッドランプを点灯したタクシーが隊列を組み、続々と通り過ぎてゆく姿はまさに壮観。今回の参加はタクシーのみ、車両の数は30台前後でしょうか。それでも堂々たるものなのに、あの日の大型バスを含む200台もの隊列、それも戒厳軍を威嚇するかのごとくクラクションを鳴らしながらの行進は、光州市民をどれだけ勇気づけたことでしょう。

 

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こうした理由から、車両デモの出発地となった無等競技場正門は5.18民主化運動の史跡18号として認定されており、そのことを示す碑石が現在の野球場の正門(写真1枚目)近くに建てられています。

 

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光州の「光」の字、および当時の民主化デモにおいて参加者たちが手に持ったトーチ(フェップル)を象ったこの丸い碑石は、光州市内に第27号まで全30か所(第5号のみ4か所)ある5.18民主化運動の史跡地のほとんどに建てられています。前回(2016年8月)の旅と同じく、今回もまたこの碑石を目印に、あの日の光州市民たちの足跡をたどることします。
今回の一連のエントリーでは前回と同様、これら史跡の場所(KONEST地図へのリンク)につき碑石がある場合にはその位置を、ない場合はそれに相当するものの位置を示すこととします。
518番バスは、無等競技場正門の付近は通りません。

無等競技場正門(무등경기장 정문 :光州広域市 北区 西林路 9 (林洞 329)。史跡18号)

それでは、次のエントリーへ続きます。

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