かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

太白の旅[その2] - かつての炭鉱をアート空間に再生した施設、そして太白の隠れた名物・タッカルグクス

前回の旅の続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

お酒をしこたま飲んで、同じ鍾路3街のホテルに帰っていつのまにか寝入っていた私。気が付いたら翌日(1月22日日曜日)の午前5時半。当初予定していた、ここから遠く離れた江辺の東ソウル総合バスターミナルを午前6時に発つ便には到底間に合いそうにありません。周囲を見回すとスマホなどはしっかり充電しているのに、目覚まし時計代わりの折り畳み式ケータイはなぜか日本で使っていたもっと遅い時刻設定のまま。なぜここまでがんばらなかった……

それから急いで支度し、タクシーに乗って東ソウル総合バスターミナルについたのは午前7時ちょい過ぎ。

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東ソウル総合バスターミナルの前には写真のような屋台が並んでおり、この早朝(午前7時)の時点ですでに営業中です。思わずふらっと覗いてみたくなる気持ちをがまんしつつ、結局当初予定より2時間近く遅い7:45発の太白行き市外バスに乗り込む私でした。

 

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本エントリーのタイトルにもあるように、今回の旅の主目的地はバスの行先である江原道の太白市ですが、ひとつ前の旌善(チョンソン)郡古汗(コハン)邑にある「古汗・舎北共用バスターミナル」で下車。東ソウル総合バスターミナルからはおよそ2時間半の旅。ちなみに名称中の「舎北」とは、ここ古汗邑と隣接する旌善郡舎北(サブク)邑のことで、名前の通り二つの自治体で分け合うようにほぼ中間地点に位置しています。

古汗・舎北共用バスターミナル(고한.사북공용버스터미널)

 

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ターミナルの建物の前には、なぜか若干くたびれ気味の鉄腕アトムの像が。韓国でも人気のアニメだと聞いています。

 

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ここ古汗・舎北共用バスターミナルには、地方の(それも郡部の)バスターミナルでは珍しくコインロッカーがありました。ただし残念ながら私のキャリーバッグは入らなかったため泣く泣くスルー。
韓国の地方の駅やバスターミナルではここのようにコインロッカーがあるところがむしろ珍しく、地方の旅をするにあたってはいつもその調査に時間をとられてしまいます。同じように韓国地方の旅を計画される誰かのお役に立てるべく、こうした韓国の地方の駅やバスターミナルのコインロッカー情報はこれからも積極的に発信してまいります。

 

古汗・舎北共用バスターミナルの前に並ぶタクシーに乗り込み向かったのは、同じ古汗邑内にある「三炭アートマイン」(삼탄아트마인)。

f:id:gashin_shoutan:20170131220042j:plainここは1964年に開山した炭鉱「三陟炭座」(삼척탄좌)が2001年秋に閉山となるまで実際に用いられた施設で、その後大改修を経て2013年にオープンしたものです。現「三炭アートマイン」のシンボルマークのモチーフにもなっている竪坑櫓をはじめ、操業当時の施設がほぼそのまま残されつつも、内部はかつての炭鉱時代の記憶とアートが共存する空間として生まれ変わっています。

 

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それでは施設内に入ってみましょう。  

 

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玄関と同じ4階にある、元・第1竪坑運転室。無数の計器が並ぶ機械の数々。こういうのを見てワクワクしないはずがありません。

 

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施設のところどころに往時をしのぶ壁画が描かれています。

 

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「アートマイン」の名の通りここはアート空間でありますので、芸術作品も展示されています。現代アートにアフリカの民族美術に兵馬俑と守備範囲はかなり幅広い印象。 

 

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施設内には、芸術家たちが実際に生活の拠点兼アトリエとして使用するレジデンス空間も設けられています。 

 

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操業当時(80年代)の従業員の入社願書(写真)や給与明細の実物まで展示されていたのはちょっとびっくりしました。

 

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粉塵で汚れた鉱夫たちの衣服をまとめて洗っていた大型洗濯機。その衣服で作られた人形が中から飛び出しているのがいかにもアート空間っぽいです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170207222830j:plainかつての洗靴場は、妖しげな光を放ちつつ往時を記憶しています。 

 

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f:id:gashin_shoutan:20170207223825j:plainここ三炭アートマインは、昨年(2016年)にKBS2で放映され大ヒットしたドラマ『太陽の末裔』(태양의 후예)のロケ地となったことでも知られています。その撮影場所のひとつが、いまも天井にシャワーノズルの残るシャワー室。片隅には、ソン・ジュンギさん演じる主人公、劉時鎮(YOO SI JIN:ユ・シジン)大尉のネームの入った軍服とベレー帽が。記念撮影向けでしょうか(もっともこのシャワー室でのシーンにソン・ジュンギさんは登場しなかったようですが……)


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このほかにも施設内のいくつかの建物で撮影が行なわれたとのことで、玄関には案内板も用意されています。日本語がちょっと変なのはご愛嬌(^_^;)  

 

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屋外には写真のワインセラートンネルやレストランのほか、坑道入口など操業当時のいくつかの施設がありますが、ご覧の通り雪が積もっているためにあまり見て回ることはできませんでした(レストランも訪問当日は休業)。いつか雪のない時期に再訪したいですね。
エントランスでは、前述の通りコインロッカーに入れられなかったため持参した私のキャリーバッグを無料で預かっていただいたり、また帰り際にはタクシーを呼んでいただいたりと、至れり尽くせりの対応で好感が持てました。
この「三炭アートマイン」、午前9時より午後6時まで営業(入場は午後5時まで)。名節(旧正月・秋夕)と月曜日は休業。入場料は13,000ウォン(約1,300円)。古汗・舎北共用バスターミナルからだとタクシーで約15分程度、12,000ウォン(約1,200円)弱で到着できました。一見の価値ありです。

三炭アートマイン(삼탄아트마인:江原道 旌善郡 古汗邑 咸白山路 1445-44(古汗里 山216-1))

 

再びタクシーに乗って、今度はKORAIL古汗駅へ。三炭アートマインからは迎車料金込みで8,800ウォン(約880円)でした。残念ながらコインロッカーはありません。

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ここからムグンファ号に乗ること約20分。昨年(2016年)3月の初訪問以来およそ10か月ぶりに、今回の旅の主目的地である江原道太白(テベク)市の代表駅、太白駅に到着。
この駅、ハングル表記では「태백역」となるのですが、発音は「テベギョク」ではなく「テベンニョク」となるのですね。今回初めて知りました。  f:id:gashin_shoutan:20170207232132j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170207231853j:plain駅につくやいなや私たち下車した客を迎えてくれたのは、ちょうどこの日が最終日であった「太白山雪祭り」のキャラクターさんたち。なごみます。

 

太白駅前はこんな感じ。わざわざ動画にしたのは、手前の温度計を撮りたかったから。 pic.twitter.com/pE2ZfTiXfI

— ぽこぽこ (@gashin_shoutan) 2017年1月22日

朝鮮半島を南北に貫く太白山脈のど真ん中にあり、低いところでも標高700mを超える太白の冬は厳しく、陽の当たる日中でも気温が氷点下を下回ることはざらです。私が到着したこの日の午後1時の気温はマイナス5℃。寒い。

 

f:id:gashin_shoutan:20170207232604j:plain太白駅には最新の指紋認証式のコインロッカーが。しかも私のキャリーバッグが余裕で入る大型サイズのボックスも。値段も4,000ウォン(約400円)/日とお手頃。
そそくさと荷物を預け、まずは駅前にある太白市外バスターミナルへ。ここから市内バスの4系統に乗り、15分くらいで到着する「桶里」(통리:トンニ)バス停へと向かいます。

 

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f:id:gashin_shoutan:20170207233311j:plain桶里バス停のすぐそばにある「ハン書房(ソバン)カルグクス」。タッ(鶏)カルグクス(닭칼국수)の名店として知られるお店です。店内のオープンスペースでは麺の手打ちも披露。

 

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f:id:gashin_shoutan:20170207233227j:plainf:id:gashin_shoutan:20170207233236j:plainそしてやって来た、タッカルグクス。骨ごとよく煮込まれた鶏のダシが効いたスープ。ホロホロに溶けた鶏肉が麺にからむ。なにこれ、超うんまい。しかもパンチャンの白菜キムチもまたうんまいという。
写真では分かりづらいですが、日本でのうどんやラーメンの大盛よりもボリュームがあって、7,000ウォン(約700円)という良心的価格。
こちらの「ハン書房カルグクス」、営業時間は9:30~21:00。第2・4月曜日は休業なのでご注意。太白を訪れた際にはわざわざバスに乗ってでも行くべき店です。 

 ハン書房カルグクス(한서방칼국수:江原道 太白市 江原南部路 468(黄蓮洞 69-41))

 

それでは、次回に続きます……

太白の旅[その1] - まずは前夜、ソウル鍾路3街でひとり、光化門に思いを馳せながら

長いこと更新ができてなくてすみません。

本来は前回予告した光州の旅の続きである春川の記事を書く予定だったのですが、いろいろあってこんな時期になってしまいました。
さて更新を再開するにあたって、やはり直近の旅を書く方がいろんな意味でモチベーションが上がると思ったので、あえて予定を変更することにしました。
8月の春川と加平の旅、9月の大邱の旅、そして10月の釜山と筏橋の旅については近日中に必ずや記事を更新したいと思います(写真は筏橋の「宝城旅館」)。

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そんなわけで今回は、いきなり今年(2017年)1月に出かけたソウルと江原道旌善郡古汗邑、そして江原道太白市の旅の記事からです。 

1月21日(土)、チェジュ航空で今年初の韓国入り。
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成田は快晴でしたが、到着したソウルは雪模様。なんでも今年いちばんの寒波が朝鮮半島を襲来したそうで(写真は弘大入口)。

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本当はこの弘大入口でどうしても訪問したいところがあったのですが、あいにく当日は休館。ひとえに私が下調べを怠ったのがいけなかったのですが……再訪を誓って、現地を後にすることに。

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 さてさて気を取り直して、ホームグラウンド(?)の鍾路3街のホテルへ。次の日は朝がかなり早い予定であったため、チェックインをそそくさと済ませ、さっそく街へと繰り出します。

最初に向かったのは、地下鉄5号線の鍾路3街駅のそばにある「ヘンボッカンチッ」(행복한집)。地方の特色あるマッコリを良心的価格で置いていることで知られ、鄭銀淑さんの著書『韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅』などでも紹介されている名店です。

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ここで真っ先に頼んだのが、憧れの「ソン・ミョンソプマッコリ(송명섭막걸리)」。全羅北道・井邑(チョンウプ)にある泰仁醸造場にて、無形文化財保持者のソン・ミョンソプ名人の指導の下に造られるマッコリです。
特徴は何といっても、甘味料を使用していないので全く甘くないこと。なので飽きが来ずじっくりと飲めます。うんまい。パンチャンのホンハッタン(홍합탕:ムール貝のスープ)にも、そしておつまみに注文したコマク(正確にはセコマク(새꼬막):サルボウガイ)にもよく合います。
調子こいて、韓国の民俗酒第1号として知られる釜山の「金井山城マッコリ」(금정산성 막걸리)に、ジョン(チヂミ)まで注文してしまいました。これまたうんまい。
ここヘンボッカンチッは、平日は24時まで、金土は午前4時まで営業。日曜日はお休みとのこと。また訪れたいと思います。
ヘンボッカンチッ(행복한집:鍾路区 敦化門路11キル 20(通義洞 44))

 

とはいえまだまだお腹いっぱいにならないところが、食いしん坊の辛いところ。そこで次は、夏にも訪れたすぐ近くのカルメギサル(갈매기살:豚ハラミ)の名店・味カルメギサルへ行ってみましたが、あいにく当日は閉店準備中だったので、隣の「コチャンチッ」へ。もちろん注文はカルメギサル2人分(最低2人分からの注文なので)、お酒はカルメギサルと相性ぴったりのソジュで。

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こちらも味カルメギサルと同じく、換気口が真上になくとも焼肉の臭いが衣服につかない特殊な網を使用しています。特製のタレにつけたり、味噌と一緒にサンチュで巻いたりして食べる。こちらもまたうんまい。口にする度に目じりが下がります。肉は人を裏切りません。
この「コチャンチッ」は午前0時まで営業、第1・第3日曜日と名節(秋夕・旧正月)はお休みとのこと。

コチャンチッ(고창집:鍾路区 敦化門路11キル 7(通義洞 7))

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 ようやくおなかいっばいになって外へ出てみると、こんな雪の夜でもここ鍾路3街は屋台がぎっしりと軒を連ねる平常運転。わくわくしますよね。思わず「三度目の夕食」というワードが頭をよぎりますが、明日は朝が早いのでここは自制して宿へと戻ります。

明日は遠く離れた東ソウルバスターミナルを午前6時発のバスに乗車予定。果たしてちゃんと起きることはできるのか!?

光州の旅[その5] - 5.18民主化運動の史跡めぐり③さらば光州、また来る日まで

前回の続きです。

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農城のホテルに一泊し、迎えた8月27日(土)の朝。曇りですが、幸いにして雨は降っていません。
光州松汀を発つKTXは10時過ぎですので、いつもよりちょっと早起きして、昨日回れなかった5.18民主化運動の史跡を巡ります。

 

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ホテルからも近い、光州地下鉄1号線「農城駅」(농성역)。ここにもちゃんとコインロッカーがあります。ここに荷物を預けて、再び文化殿堂駅へ。ここで注意しなければならないのは、光州地下鉄はこの日(土曜)のような週末だと多い時間帯でも10分に1本(時間あたり6本)の頻度でしか電車が来ないということ。この日のように時間が限られている場合は1本逃しただけでも大きなダメージです。なお、光州地下鉄の時刻表はこちら(日本語サイト)

 

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光州地下鉄1号線「文化殿堂駅」(문화전당역)の入場後の構内には、5.18民主化運動を記憶する場として「文化殿堂駅5.18記念広報館」(문화전당역 5·18기념홍보관)があります。

 

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こちらの地図は、5.18民主化運動を記憶するための団体「5.18記念財団」が光州を訪問する観光客向けに作成したガイドブック『光州の五月を歩く』にて提案するモデルコースのうち、5.18民主化運動の史跡や関連施設を中心とした「五月人権ギル」の全5コースのルートを示したものです。詳しくは本エントリーの最後で説明します。

 

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こちらの木版画風の壁画は、銃を手に取った市民軍の凱旋と、それを歓迎しつつ食料を分け合う光州市民たちの姿を描いたものです。

 

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パンフレットスタンドの上に描かれているこちらの人物は、光州・光川洞を拠点としたトゥルブル(들불:野火)夜学の講学(講師)メンバーであり、民衆抗争においては『闘士会報』制作に加えスポークスマンとして市民軍の先頭に立った尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980)烈士です。1980年5月27日早朝の戒厳軍の全南道庁攻撃に最後まで抗戦し、亡くなっています。

 この「文化殿堂駅5.18記念広報館」は、文化殿堂駅の3・4番出口側の地下3階にあります。地下鉄駅の構内ですので、利用客であれば始発から終電まで無料で観覧可能です。

 

 記念広報館を見回った後、地上へ出ます。

 

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「旧全南道庁」(구 전남도청:史跡5-1号)。金舜河(김순하:キム・スナ、1901-1966)氏の設計により1930年築。登録文化財第16号。1980年5月21日にはこの目前の錦南路で戒厳軍による一斉射撃がなされ500名以上の人々が死傷。怒りが頂点に達した市民は近隣の郡部の軍倉庫から奪った武器を手に武装集団(市民軍)を結成し、一時はこの道庁から戒厳軍を撤退させています。その後数日間は民衆抗争の本部がここに設置され、市民による自治都市としての運営がなされました。しかし5月27日午前4時過ぎには戒厳軍が道庁の建物内に突入し、先ほど紹介した尹祥源烈士を含め、最後まで道庁を守ろうとした市民軍の人々が数多く殺害されました。5.18民主化運動における最後の抗戦地というべき場所です。
518番バスは「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所下車(以下「光州YMCA」まで同じ)。
今回も過去2回の記事同様、5.18民主化運動関連の史跡を示す碑石がある場合はその位置を、ない場合はその史跡自体の位置を添えておきます(KONEST地図)。

旧全南道庁(구 전남도청:史跡5-1号)

 

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この全南道庁では、5.18民主化運動の史跡であることを示すあの丸い碑石を見つけることはできませんでしたが、すぐそばには写真の「5.18民衆抗争通知塔」(5.18민중항쟁알림탑)があります。1997年建立。無数の鉢植えの花で飾られていました。

5.18民衆抗争通知塔(5.18민중항쟁알림탑)

 

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旧全南道庁本館の向かって左側にある「旧全南道庁会議室」。こちらも金舜河氏の設計、1932年築。印象的な正面のガラス窓、これ後から増築したんじゃないんですよ? 保存されている当時の設計図にもちゃんと描かれています。1930年代前半にこのような斬新なデザインの建築が存在したことに驚かされます。

旧全南道庁会議室(구 전라남도회의실)

 

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 「5.18民主広場」(5·18민주광장:史跡5-2号)。全南道庁の正面にあるロータリー広場で、中央には噴水があります(この日は稼働していませんでした)。当時は市民たちが噴水台を演壇代わりに集会を開催し、5月21日の戒厳軍一時撤退以降は決起集会も開催された、その名の通り光州5.18民主化運動を象徴する場所です。先ほど紹介した「文化殿堂駅5.18記念広報館」の最初の写真が、まさにこの広場での集会の様子ですね。

5.18民主広場(5·18민주광장:史跡5-2号)

 

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 この 「5.18民主広場」には、写真の「5.18時計塔」(5·18시계탑)が立っています。1980年の5.18民主化運動当時この広場に立っていたもので、その後「農城広場」(後ほど紹介します)に移転させられたものの、この場所で民衆抗争のすべてを見てきた自由の記念物であり韓国の民主主義の始まりの象徴として、2015年に再び元の位置に戻されました。
この時計塔では毎日午後5時18分になると、10日間の民衆抗争で犠牲となった方々を追慕するため「님을 위한 행진곡」(君のための行進曲)のメロディが流れるとのことです。この歌は先ほど紹介した尹祥源烈士と、その所属したトゥルブル夜学の創立者であり活動中に練炭ガス中毒で亡くなった労働運動家の朴琪順(박기순:パク・キスン、1958-1978)烈士との「魂の結婚式」のために作られたもので、現在では光州5.18民主化運動を象徴する音楽とされています。
なお、先ほど「流れるとのこと」と書いたのは、私自身が実際に耳にしたわけではないからです。次に光州を訪れる際には、その時刻に居合わせたいと思います。

5.18時計塔(5·18시계탑)

 

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旧全南道庁前、5.18民主広場のロータリーから始まる錦南路。1980年5月21日13時、この場所で軍の一斉射撃により多数の市民が虐殺されました。

 

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「尚武館」(상무관:史跡5-3号)。旧全南道庁の向かいにある建物で、民衆抗争当時は犠牲者の遺体安置所として使用されました。それらの遺体は5月27日の道庁陥落後、清掃車(!)に乗せられて望月洞の「5.18旧墓地」(こちらのエントリーで紹介)まで移送されてゆきました。残念ながら展示準備中とのことで近くには立ち寄れず、碑石もカバーで覆われていました。

尚武館(상무관:史跡5-3号)

 

 

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「光州YMCA」(광주YMCA:史跡5-4号)。民衆抗争当時には抗争指導部による自主屋内集会が開催された場所です。市民軍の銃器訓練の場としても使用されました。ここには碑石がなく、代わりに史跡であることを示す銅板が柱に埋め込まれています。
「国立5.18民主墓地」方面行きの518番バスが停車する「国立アジア文化殿堂」(국립아시아문화전당)停留所は、この建物の目の前です。

光州YMCA(광주YMCA:史跡5-4号)

 

錦南路一帯の5.18民主化運動史跡はひと通り巡りましたので、次の史跡へ移動します。とはいえKTXの発車時刻も迫っていますので、せいぜいあと1件がいいところでしょうか。冒頭でも述べたように地下鉄は10分に1本しか来ませんので、「国立アジア文化殿堂」停留所で目的地近くを通るバスを見つけ、移動します。

 

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「ペゴップンタリ」(배고픈다리:史跡13号)。直訳すると「腹ペコ橋」という意味で、かつて橋の真ん中が凹んでいたことから自然とついた名前だとされています(したがって碑石の英文名も「Hungry Bridge」)。正式名称は写真2枚目にもあるように「ホンニム橋」(홍림교)。戒厳軍が郊外に一時撤退した後、光州市街地を防御するための市民軍のバリケードが設置された場所です。実は錦南路から地下鉄で2駅離れた「鶴洞・証心寺入口駅」(학동.증심사입구역)よりさらに徒歩10分くらいの場所にある史跡なのですが、その独特の名前に惹かれて優先的に来てしまいました。
518番バスはここを通りませんが、先の「光州YMCA」の正面にある「国立アジア文化殿堂」停留所からであれば「첨단09」番や「수완12」番などのバスに乗車し「ホンニム橋」(홍림교)停留所下車、すぐそば。

ペゴップンタリ(배고픈다리:史跡13号)

 

ここでタイムアップ。荷物を預けてきた農城駅へ戻ります。しかしその農城にもまた、史跡があるのです。

 

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「農城広場激戦地」(농성광장격전지:史跡16号)。地下鉄1号線「農城駅」1番出口を出てすぐ目の前の公園です。1980年5月22日には戒厳軍がこの近隣の住宅地を無差別銃撃し、多くの市民が犠牲となりました。また5月26日には市民収拾委員が裸で地面に寝そべり戒厳軍に抵抗する「死の行進」を実行した場所でもあります。
518番バスはここを通りません。

農城広場激戦地(농성광장격전지:史跡16号)

 

時間がないのでタクシーで光州松汀駅へ移動、KTXに乗車し、光州の街を後にします。今回の光州での滞在時間は睡眠時間を含め24時間と少しでしたが、あっという間でした。光州広域市内に全29か所ある5.18民主化運動の史跡のうち、今回の旅で回れたのは16か所。残る13か所の史跡、あるいは「5.18自由公園」や「光川洞」などといった関連スポットにまで足を運ぶことは今回はかないませんでしたが、近いうちに必ずやこの光州を再び訪れ、10日間の民衆抗争を記憶するこれらスポットを踏破するつもりです。これは自分自身への新たな誓いです。

 

最後に。
今回の5.18民主化運動の史跡巡りに際しては、「5.18記念財団」の運営するサイト「五月ギル」(오월길)の情報を大いに参考としました。こちらのサイトでは光州市内に点在する5.18民主化運動の史跡や関連施設、その他観光スポットを巡る複数のモデルコースを提案しています。今回私がたどったルートの一部(全南大学校正門~光州駅広場~市外バスターミナル旧跡~5.18最初発砲地~錦南路~旧全南道庁)は、5.18民主化運動中心の「五月人権ギル」(오월인권길)カテゴリの中でも主要どころの史跡を巡る「フェップル(たいまつ)コース」(횃불코스)に近いものです。
こちらのページでは、全コースの地図と各スポットを写真入りで詳しく紹介したガイドブック『光州の五月を歩く』(광주의 오월을 걷다)が無料ダウンロードできます。韓国語が読める方であれば、5.18民主化運動の足跡を追う際の心強いガイドとなることでしょう。

 

こうしたモデルコースにの提案にとどまらず、今回私も巡った国立5.18民主墓地内の「追慕館」や錦南路の「光州広域市5・18民主化運動記録館」など数々の展示施設、民衆抗争当時をいまに伝える史跡の保全とその事実を示す碑石の設置、そしてネット上の無数のアーカイブなど、光州5.18民主化運動の記憶をとどめるための活動が光州広域市や5.18記念財団を中心になされています。こうした取り組みの中、2011年には5.18民主化運動に関する記録物がユネスコの世界記憶遺産にも登載されました。
自国の軍隊が市民に暴虐の限りを尽くし、死に至らしめるという負の歴史をも記憶にとどめようとする韓国社会。学ぶべきものがあまりにもたくさんあります。関東大震災直後の朝鮮人虐殺までもが教科書から消されようとしている社会の構成員であるだけに、なおさらです。


光州の旅は今回で終わりです。
次回からは、この旅での次の目的地である江原道春川市の旅を紹介いたします。

 

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【おまけ】
湖南線KTXで龍山まで向かう途中、「五松駅」(오송역)を通過してすぐの場所にある車両基地(?)のような場所に、韓国の高速鉄道試験車である「HEMU-430X」が停車していました。残念ながら精悍なデザインの先頭車は見えませんでしたが、特徴的なスナックカーの上下2段の窓は写真に収めることができました。

 

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