前回のエントリーの続きです。
一昨年(2018年)11~12月の慶尚南道(キョンサンナムド)統営(トンヨン)市を巡る旅の2日目、2018年12月1日(土)です。
前年(2017年)の全羅南道(チョルラナムド)新安(シナン)郡、黒山島(흑산도:フクサンド)および紅島(홍도:ホンド)の旅からちょうど1年ぶりとなる韓国の島旅。
前回も紹介したように統営市には大小合わせて570もの島々があり、その数は全羅南道新安郡に次いで韓国第2位と言われています。うち有人島は40以上にものぼり、そのほとんどが架橋されておらず、船でしか行くことのできない離島です。私がやって来た統営港旅客船ターミナルをはじめ、市内に点在する港から毎日数十往復も発着するこれら離島行きの船便は、まさに島の生命線といっても過言ではないでしょう。
これら統営の離島の中でも特に有名なものとしては、16世紀末の壬辰倭乱(イムジンウェラン。狭義では「文禄の役」を指しますが「慶長の役」を含む豊臣秀吉の2度の朝鮮侵略の総称としても用いられます)の際に三道水軍統制使の李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598)将軍が本陣の統制営を設置、 現在も将軍ゆかりの史跡が残る閑山島(한산도:ハンサンド)、韓国百名山にも選ばれた智異山(チリサン、399.3m。韓国本土最高峰の智異山(1915.4m) とは別の山)を擁する蛇梁島(사량도:サリャンド)、そして奇岩絶壁と灯台が調和した美しさで人気の高い小毎勿島(소매물도:ソメムルド)などが挙げられます。
その中で私が今回の目的地に選んだのは、欲知島(욕지도:ヨクチド)です。
欲知島を選択したのは、人口約1,500人とそこそこ大きな規模の島であるため船便も多いうえアクセス時間も1時間前後と短く、しかも各種商業施設に島内一周バスのような公共交通機関も整っており、加えて近代における特別な歴史を抱いていること、さらに特産のコドゥンオ(サバ)をはじめとする多島海の海の幸、そして島特産のある野菜を材料に醸したマッコリの存在のためでした。もちろん欲知島もまた観光資源の豊富さから、統営を代表する観光地のひとつに挙げられます。
統営港旅客船ターミナルを午前9時半(当時)に出港する大一海運(テイルヘウン)の欲知島行きフェリー、その名もずばり「欲知号(ヨクチホ)」に乗って、一年ぶりの多島海へ踏み出します。
なお韓国では、遊覧船を含め乗船券の購入には身分証明書(外国人訪問者はパスポート)の提示が必要です。
しかし、この日は欲知島に上陸する前に、どうしても寄りたい別の島がありました。
ターミナルからおよそ1時間、欲知島行きのフェリーが最初に寄港する島、蓮花島(연화도:ヨナド)です。
統営港から直線距離でおよそ22km離れた南西の海上に位置する蓮花島は、欲知島の付属島嶼として数えられる離島で、行政上も統営市欲知面(ヨクチミョン。面は日本の村に相当する地方自治体)に属しています。面積3.41平方km、人口約170人の小さな島です。
この蓮花島には、その島名にまつわるひとつの伝説があります。
いまをさかのぼること500年あまりの朝鮮時代初期。王朝の崇儒抑仏(既存勢力であった仏教を弾圧すること)政策により都を追われたある僧が、3人の弟子を伴い蓮花島へやって来ます。失意の中にも僧は、大きな丸い石を仏像の代わりとし、厳しい修行の末ついに悟りを得ます。そして月日は流れ、僧は弟子たちに「私が死んだら水葬せよ」と言い残してこの世を去ります。弟子たちはその遺言に従い僧の亡骸を海に沈めたところ、その場所に一輪の大きな蓮の花が浮かび上がったといいます。後に「蓮花道人(ヨナドイン)」と呼ばれるこの僧の伝説から蓮花島の名前が付いた、というものです。
この伝説には続きがあります。
壬辰倭乱では僧兵を率いて倭軍(日本軍)と戦い、また1604年には来日して徳川家康と会見、講和交渉の末に約3,500人もの朝鮮人捕虜を生きて連れ帰ったことでも知られる僧侶、惟政(유정:ユジョン、1544-1610)。韓国では四溟大師(サミョンデサ)の名でも知られる彼もまた蓮花島で修行したことがあるといい、蓮花道人と同様にこの島で悟りを得たというものです。このとき惟政を追って来た姉の宝雲(ポウン)、惟政の婚約者だった宝蓮(ポリョン)、そして惟政に恋愛感情を抱いていた宝月(ポウォル)は、惟政が去った後も修行を続けて得度したといいます。後に「紫雲仙師(チャウンソンサ)」と総称されるこの3人の尼僧は、当時は全羅左水使(現在の全羅南道および全羅北道の東部一帯にあった全羅左道の水軍の司令官)であった李舜臣将軍と面会して壬辰倭乱の勃発を予言し、将軍にコブク船(亀甲船)の建造方法や海戦法などを伝授したうえ自身たちも壬辰倭乱に参戦したという伝説が残されています。
話を戻して、フェリーの船室はこんな感じでした。
フェリーは統営近海の多島海をほどよいスピードで航行してゆきます。
蓮花港への到着直前、私たち来訪者を出迎えるかのように架けられた大きな白い吊り橋をくぐります。
フェリーは港にある斜面の船着場に先頭部を着け、自動車や乗客を降ろします。私も蓮花島に上陸。橋で本土と連結していない韓国の純然たる離島に船で上陸したのは今回が3度目です。
船着場のそばにある蓮花島の観光案内図、そして「幻想の島蓮花島」と刻まれた碑石。港のある本村(ポンチョン)マウル(マウルは村、集落の意)は島の西端近くに位置しています。
蓮花島の観光スポットとしては、島の東端にあり統営八景のひとつにも数えられる絶壁海岸のヨンモリ(용머리:「龍の頭」の意)、その少し手前の東頭(トンドゥ)マウルにある吊り橋(韓国では「チュルロンタリ」と呼ぶ。先ほどくぐった白い吊り橋とは別物)、 島最高峰の蓮花峰(ヨナボン、212m)、そしてその麓に位置する仏教寺院、蓮華寺(ヨナサ)などが挙げられます。中でも蓮華寺については、前述した蓮花道人や惟政の伝説ともあいまって島の仏教的神秘性を高めており、蓮花島が「仏心の島」あるいは「仏縁の島」と呼ばれる所以となっています。この蓮華寺を巡礼する人々のため、週末には蓮花島行きの船が増便されるほどです。
ただし、今回私が蓮花島にやってきた目的はこれらではなく、港からほど近いある飲食店の訪問にあります。そのためまずは船着場から移動。
船着場のそばに立っていた手書きの道しるべ。
船着場から徒歩で2分とかからない場所に、目的のお店「チャンモニム酒幕(ジュマク)」があります。看板が出ていなかったら普通の民家と区別がつきません。ちなみに屋号のチャンモニムとは、チャンモ (「妻の母」の意)に敬称のニムを付けたもので、「お義母様」という意味のようです。
こちらのお店の名物は、サジャンニム(直訳すると「社長様」。ここでは「店主」の意)であるおばあさんが醸したトンドン酒(濁酒 (タクチュ)の一種。同じ濁酒のマッコリが原酒の下に沈んだ粕を渡したものであるのに対し、トンドン酒は原酒の上側のやや濁った部分をすくい取ったもの)。当初計画では統営港から直接欲知島へ向かう予定だったところ、調査している間にこちらのお店の存在を知り、急きょ蓮花島への立ち寄りを決めたという次第です。
店内。韓屋の縁側沿いの庭に天幕を張り、その下にテーブルと椅子を置いただけの簡素な造りです。こういう雰囲気がまたたまらないのです。
注文はもちろんトンドン酒、そして相性抜群のパジョン(日本でいうネギチヂミ)。
おばあさんの手により貯蔵庫からすくい取られるトンドン酒。「家醸酒(가양주:カヤンジュ)」と呼ばれる自家製のお酒ならではの光景です。
こちらのお店のトンドン酒、店内で飲む場合にはなんと市販のコーラの1.5リットルのペットボトルに注がれて出されます(テイクアウトの場合は不明)。これは初めての体験。
待望の自家製トンドン酒を口に含みます。舌を包み込むようなほどよい甘みとかすかな酸味。これ、かなりうんまい。昼間、それも午前中から1.5リットルも飲み切れるか少し心配でしたが、このうまさなら余裕です。
ほどなくしてやって来た熱々のパジョン。イカのゲソがたくさん乗っています。こちらもうんまい。来てよかったという思いでいっぱいです。
このトンドン酒を日本に持ち帰りたいという欲求に駆られますが、この時点では次の欲知島訪問中に冷蔵保管できるあてがなかったので断念。突然現れた異国の訪問者をうんまいお酒と料理で温かくもてなしてくださったサジャンニムのおばあさん、本当にありがとうございました。蓮花島の再訪がかなうならば必ずやまた訪問し、トンドン酒の持ち帰りにもチャレンジしたいと思います。どうかいつまでもお元気で。
こちらのお店「チャンモニム酒幕」 、営業時間も定休日も不明です(確認しませんでした。すみません……)が、私が訪問した土曜日の午前中には営業していました。検索すると本年(2020年)6月の蓮花島訪問記を綴った韓国語のブログに、お店の看板が出ている写真と料理の値段の記述があったので、幸いなことに営業を続けていらっしゃるものと思われます。ぜひとも再訪したい、そして訪れていただきたいお店です。なお、お店を含む蓮花島へのアクセスについては、欲知島とあわせて次回以降のエントリーにて紹介する予定です。
チャンモニム酒幕(장모님주막:慶尚南道 統営市 欲知面 十里コルキル 23 (蓮花里 179-7))
チャンモニム酒幕の面する路地。先に触れた本年6月の蓮花島訪問記によると、写真にある白い塀は現在、美しい壁画の数々で彩られているようです。
近くには、島唯一の教育機関である遠梁(ウォンリャン)初等学校(日本の小学校に相当) 蓮花分教場(分校)があります。遠梁とは現在の欲知面一帯を含むかつての地名。学校の公式サイトによると現在の児童数はわずか1ケタだそうですが、その割には立派な建物です。昔はもっと児童が在校していたのでしょうか。
こうした島の裏路地が好きです。
チャンモニム酒幕や蓮花分教場の面する路地を写真の南東方向へしばらく進むと、ヨンモリや吊り橋、蓮華寺など蓮花島を代表する観光スポットに到達できるとのこと。しかし今回の蓮花島滞在時間はわずか1時間半、すでに到着から1時間近くが経過しています。ヨンモリや吊り橋は徒歩で片道30分以上、蓮華寺は片道約5分とはいえ伽藍を巡る時間はなさそうです。そのうえ今回どうしても訪れておきたい場所があとひとつだけ残っていました。これら観光スポットの訪問は次回に任せることにし、いったん港へ戻ります。
写真の建物は「休憩室」と書かれていますが、蓮花島の旅客・遊覧船ターミナルです。まずは後からあわてずに済むよう、建物内のチケット売り場にて欲知島までの乗船券を購入します。
蓮花島旅客・遊覧船ターミナルにあったパネル。上側、フェリーの蓮花島到着直前にくぐったこの白い橋は「蓮牛橋(ヨヌギョ)」といい、蓮花島と隣接する無人島、パナ島(반화도:パナド)との間に架けられた全長約230mもの吊り橋です。私の訪問の6ヵ月前(2018年6月)に開通したばかりもので、当時は歩行者専用吊り橋としては韓国最長だったそうです。パナ島を挟んだ反対側には有人島の牛島(우도:ウド)があり、こちらには全長約79mのトラス橋(写真のパネル下側)が架けられているため、誰もが無料で蓮花島と牛島との間を歩いて往来できるようになっています。
次の船まであまり時間はありませんが、どうしてもこの吊り橋だけは渡っておきたいと思い、急いで渡ることにします。まずは船着場のそばにある木製デッキの階段を登ります。なかなかの急斜面です。
木製デッキから眺めた蓮花港(本村マウル)の全景。
蓮牛橋の全容が見えてきました。実に優美なデザインの吊り橋です。
いよいよ橋を渡ります。吊り橋とはいえ作りがしっかりしており、人一人が歩いた程度ではびくともしません。
パナ島に到着。ここからさらにパナ島を横断して牛島へ入りたいところですが、船の時間が心配なのでここで折り返すことにします。横たわった牛の姿に似ていることからその名が付いたという牛島には、天然記念物第344号に指定されているセンダルナム(ヤブニッケイ)とフバンナム(タブノキ)の群落があります。いつか蓮花島の再訪がかなった際には余裕をもって訪問したいものです。
そして再び吊り橋を渡り階段を下りる途中、遠くにはフェリーの姿が(写真にはありませんが)。あわてて階段を駆け下ります。しかし幸いなことに、この船は欲知島から戻ってきた統営港行きの船便(先ほど乗ってきたばかりの欲知号)。あわてて損した気もしますが、おかげでもう少しだけ時間に余裕ができました。
蓮花港には刺身などを出す食堂がいくつか並び、島の訪問者を待っています。
蓮花島や欲知島を含む一帯の海域の名産といえば、何といってもやはりコドゥンオ(サバ)。すぐに傷んでしまうコドゥンオを新鮮なうちに提供できるよう、生け簀が設置されています。サバさんたちが泳げるよう円筒形になっている生け簀も。余談ですが、韓国ではこうした刺身店の店頭にいくつも置かれている生け簀のことを、俗に「水族館(スジョックァン)」と呼ぶそうです。
欲知号の15分くらい後にやって来た「欲知アイランド号」フェリー。この船に乗って欲知島へ向かいます。わずか1時間30分ほどの滞在でしたが、チャンモニム酒幕を含め、また訪れたいと思う島でした。次こそは観光スポットや牛島を訪問できるよう余裕を持ったスケジュールを設定しなければ。さらば蓮花島、また来る日まで。
先ほど渡った吊り橋の蓮牛橋と、牛島側のトラス橋の全景。
蓮花島を発ってわずか数分で、先ほど渡れなかった牛島の港に到着。牛島の人口は約30人と蓮花島よりずっと少なく、船着場の周辺も閑散としています。そのためか、便によっては牛島に寄港しないので注意が必要です。
牛島を発って十数分、いよいよこの日最大の目的地、欲知島の港が眼前に広がります。
それでは、次回のエントリーへ続きます。