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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

統営の旅[201811_01] - 大量の海の幸が出てくる統営の名物酒場「タチチッ」、東洋初の海底トンネル

諸事情により長らく更新を停止していました。
韓国への旅ができなくなって早や半年あまりが過ぎましたが、本ブログは引き続き更新いたします。
いつか、心ある誰かの道しるべとなるために。

 

今回からは、2018年11月30日(金)から同12月3日(月)にかけて訪問した慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市などの旅をお届けいたします。少し古い内容であり、また以前に予告していたテーマとは異なりますが、なにとぞご容赦願います。

 

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統営市は慶尚南道の南部に位置し、南海(ナメ。朝鮮半島の南岸が面する海)に突き出した固城(コソン)半島の先端部、および大小合わせて570もの島々によって構成される人口約13万人の港湾都市です。
その広域が閑麗海上(ハルリョヘサン)国立公園にも指定された美しい海と島々、そしてこれらを結ぶ海上交通が発達していることなどから、統営は「韓国のナポリ」の異名を持っています。

 

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統営の歴史は、壬辰倭乱(イムジンウェラン。狭義では文禄の役を指しますが慶長の役を含む豊臣秀吉の2度の朝鮮侵略の総称としても用いられます)に際して水軍を率い倭軍(日本軍)を撃退した李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598)将軍と切っても切れない関係にあります。
壬辰倭乱の勃発翌年の1593年、初代の三道水軍統制使(サムドスグン・トンジェサ。朝鮮水軍の実質的な最高指揮官。三道とは慶尚道全羅道忠清道を指す)となった李舜臣将軍は、その本陣である三道水軍統制営(トンジェヨン)を現在の統営市内の閑山島(ハンサンド)に設置します。その後戦況に応じて複数回の移転を経た後、倭軍撃退後の1604年に6代統制使の李慶濬(이경준:イ・ギョンジュン、1561-?)により当時は頭龍浦(トゥリョンポ)と呼ばれた現在の統営市中心部に移され、その後1895年の廃止まで291年間に渡り当地に留まっています。統営の名称はこの「統制営」を縮めたものです。
写真は1605年、李慶濬によって統制営内に築かれた客舎(ケクサ。国外などから来た賓客の宿舎。地方官衙では最上級の施設)、「洗兵館」(세병관:セビョングァン。国宝第305号)。統営を象徴する「顔」というべき建物です。

 

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日帝強占期の1914年には当時の龍南(ヨンナム)郡と巨済(コジェ)郡が合併して統営郡が誕生(巨済郡は後に分離)。うち現在の統営港や中心街一帯を含む統営邑(ウプ。日本の町に相当する地方自治体)港湾都市として発展を遂げ、光復(日本の敗戦による解放)朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)を経た1955年には李舜臣将軍の諡(おくりな。死後に贈られた号)である「忠武(チュンム)」の名を取った忠武市に昇格します。そして1995年には忠武市と統営郡が合併、現在の統営市へと至ります。
このように統営の歴史は李舜臣将軍と極めて緑が深く、市内の随所に将軍ゆかりの史跡が点在しており、同市の観光の目玉となっています。写真は統営市内の江口岸(カングアン)に停泊していた、李舜臣将軍率いる朝鮮水軍の軍艦「コブク船(亀甲船)」を模した遊覧船です。

 

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さらに統営は多島海からもたらされる豊富かつ良質な海の幸でも知られ、中でも名産のカキの生産量は全国のおよそ80%にものぼるといいます。
冬の厳しい韓国でも本土では釜山に次いで温暖であるとされる統営。もし街に旬というものがあるならば、市の花であるツバキの花が島々を彩り、名産のカキやムルメギ(後述します)をはじめ多島海の恵みをおいしく味わえる冬こそがまさしく統営の「旬」なのかもしれません。そんな冬の統営をどうしても訪れたいと思い、今回の旅先に選択しました。統営の訪問は今回が初めてです。

 

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ただあいにくなことに、統営には鉄道の駅がありません。そのため公共交通機関での移動はどうしてもバスの旅となります。
今回は仁川国際空港第1ターミナルから直接、晋州(チンジュ)・統営経由の巨済行き高速バス(午後3時発)に乗車。同空港から発着する多くの地方行きバスの中でも特に長距離を走る路線のひとつで、統営までは実に5時間というなかなかの過酷な旅です。それでもソウルに寄ってから高速バスに乗る、あるいはソウル駅か光明(クァンミョン)駅でKTXに乗り継ぎ晋州でまたバスに乗り換えるよりは早いようなので、5時間がんばることにします。

 

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韓国の長距離バス移動で楽しみなのは、途中の休憩所(ヒュゲソ。サービスエリア)でのトイレ休憩。今回は400kmを上回る移動ということで2つの休憩所に寄るかと思っていましたが、立ち寄ったのは忠清北道(チュンチョンブット)清州(チョンジュ)市、京釜(キョンブ)高速道路の「玉山(オクサン)休憩所」だけでした。
そういえば、清州はまだ訪問したことがありません。清州市の人口は約85万人で、ソウルのベッドタウンを除けば韓国で2番目に大きい未訪問都市です。清州といえば独特の名物料理がいくつもあり、個人的には全州(チョンジュ)、大邱(テグ)に続く第三の食都と目している街であったりもします。いずれ訪問したいと思いますが、いつになることやら……

 

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ところでこの日(2018年11月30日)は、朝鮮民主主義人民共和国の線路調査を目的としたKorail韓国鉄道公社)による特別仕立ての列車が分断後初めて休戦ラインを越えて朝鮮入りした日であり、車内で流れていたTVニュースではその話題でもちきりでした。運用廃止から久しく、すでに廃車されたと思い込んでいたムグンファ号の寝台車も連結された調査列車の車両内には、キッチンやシャワールームに洗濯機まで準備されているとのこと。この線路調査の結果が近日中に実ることを願ってやみません。

 

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午後7時40分、統営総合バスターミナルに到着。予定より少しだけ早い4時間40分での到着です。

 

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今回の旅では利用しませんでしたが、ターミナル内にはコインロッカーが。韓国の地方のバスターミナルでは貴重な存在です。

 

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まずは2日後に統営を発つ、帰りのバスチケットを確保。行先は本ブログでもおなじみ(?)のあの街です。

今回はこのバスターミナルから徒歩圏内のホテルを予約。ただ、この一帯は統営市内でも北側に位置する「光道面」(クァンドミョン。面は日本の村に相当する地方自治体)の新しい市街地であり、この子の目的地や各種見どころの多い統営の「原都心」(ウォントシム。古くから中心部として発展した市街地。統営では統営港の周辺)は、ここから路線バスで30分弱の距離にあります。

荷物を降ろしたらすでに時刻は午後8時半を回っており、時間的に余裕がなかったためタクシーで移動します。
このとき乗車したタクシーの年配の男性運転手(韓国ではキサニム(「技師様」の意)と呼ぶ)、私が日本からの訪問者と知るや、その生い立ちについて親しげにお話ししてくださいました。
キサニムは日帝時代の名古屋生まれで、3歳のときに光復を迎えて家族ともども韓国に帰って来られたそうです。当時のことはほとんど覚えていないそうですが、「おかあさん」「おとうさん」「たて」「よこ」など、わずかに記憶しているいくつかの日本語の単語を話してくださったのが強く印象に残っています。

そうしたお話をうかがっていたら、いつの間にか原都心に到着。

 

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遅い時間にもかかわらず統営の原都心を訪れたかったのは、統営名物の酒場「タチチッ(다찌집)」を訪問したかったからです。
時刻はすでに午後9時過ぎ。第一候補に選んでいたタチチッはすでにオーダーストップで入れず、その後いくつかの候補もー人客であるため断られたりしながら、ようやく入れたのは写真のお店「ヨンジョンタチ」。最近オープンしたらしく、最低数量の2人分を注文する前提で快く入れてもらえました。

 

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タチチッとは統営独特の飲食店(飲み屋)の形態で、店によって差異はありますが、多くは数万ウォンの「基本(기본)」を注文すると、お酒(ソジュまたはビール)3本程度と海産物を中心とする多品目かつ大量の肴が出てくるシステムのお店を指します。その後もお酒を1本注文するごとに肴もまた追加され(そのため1本だけでも1万ウォン以上する)、一説には後になればなるほど高級な食材が出てくるといいます(それにありつくためにはたくさん飲んで食べなければならない……)。「基本」については4人分相当からでないと頼めないお店もあれば、2人分相当でも(つまり比較的安価に)注文できるお店もあり、後者は「半(パン)ダチ(반다찌)」と呼ぶそうです。写真は今回訪問したヨンジョンタチのメニュー表(当時)。こちらは「半ダチ」に該当するようです。
ちなみに、タチチッの「タチ」は日本語の「立ち飲み」に由来するという説が有力です(チッは「○○屋」の意)。

 

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注文後、3本のビールに続いて海産物を中心とする小皿が続々とやってきます。落ち着いたかと思って全体写真を撮っても次から次へと料理が出されるので全体写真が何枚にもなってしまいます。とはいえ食べ始めないのもよろしくないので、2枚目の写真を撮って以降は少しずつ食べ始めました(なのでこれ以降の全体写真はない)

 

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全体写真の撮影後もさらにおかずが出てきたので、特に印象深いものを紹介します。写真は刺身盛り合わせ。上段はパンオ(ブリ/ハマチ)とチャムドム(マダイ)の刺身、下段は左端から時計回りにモンゲ(ホヤ)、ケブルユムシ)、チョンボッ(アワビ)、クルトゥギ(小イカ)、クル(カキ)、ヘサム(ナマコ)。いままで苦手だったホヤ刺、新鮮なものはこんなにうんまいのか。

 

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韓国では日本以上に人気のあるカルチ(タチウオ)の焼き物。左下の塩を溶いたゴマ油で食べます。うんまい。そうかこの食べ方があったか。

 

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こちらは全体写真にも含まれていましたが、各種茹で貝の盛り合わせ。ソラ(サザエ)と名前の分からない巻貝、そしてカリビ(ホタテガテなどイタヤガイ科の貝の総称。写真はたぶんヒオウギガイ)

 

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そして締めのタン(スープ)。
お酒が入ったら胃袋が底なしになってしまう私でもさすがにこれだけの量を完食するのは難しく、何とか全品の約7~8割程度を食べる程度にとどまってしまいましたが、それでも海産物についてはほぼすべて完食してまいりました。

 

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こちらのお店「ヨンジョンタチ」、韓国のブロガ一による本年7月の訪問記が公開されているので現在も営業は続けているものと思われますが、別のブログでは「2020年1月オープン」とあったので、場所と屋号はそのままで経営者とかが変わったりしたのかもしれません。また「基本」の値段も私が訪問したときの60,000ウォンから、40,000ウォンに値下げされているようです。

ヨンジョンタチ(연정다찌:慶尚南道 統営市 港南2キル 15-10 (港南洞 189-1))

 

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明けて、2018年12月1日(土)の朝。
この日は統営の原都心を軽く散策した後、1年ぶりの島旅に出る計画です。
海沿いに建つホテルの海を挟んだ向こう側には別の陸地が。対岸のあの土地は一見して島のように見えますが、実はホテルと同じ固城半島の一部であり、半島が複雑に入り組んだ形をしているためこうした地形となっているものです。
時間に余裕があるため、今回は統営の市内バスを利用して移動します。

 

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まずやって来たのは、統営運河に架かる「忠武橋(チュンムギョ)」。
この橋がある統営運河は、統営市の原都心側の固城半島と対岸の弥勒島(ミリュクト)に挟まれた海の水路で、かつては満潮時にのみ水が満ちた場所を日帝強占期に開削し、運河としたものです。また当地は壬辰倭乱の閑山島大捷(海戦)で勝利した李舜臣将軍率いる朝鮮水軍が敗走する倭軍を追い込んで大打撃を与えた場所であり、そうした経緯から日帝強占期当時の日本人たちは、この運河を豊臣秀吉にちなんで「太閤堀(たいこうぼり)」と呼んでいたといいます。

 

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忠武橋は1967年開通。車道に加えて歩道もあり、統営運河やそこを通る船の姿を眺めることができます。西側(写真2枚目)には忠武橋に続いて1998年に開通したアーチ橋、統営大橋(トンヨンデキョ)の姿も。夜間にはライトアップされた姿が美しいそうです。

 

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原都心と弥勒島を結ぶ自動車道路はこの忠武橋と統営大橋の2本だけですが、実はもう1本、両地点を結ぶ通路があります。
私が統営運河に来た最大の目的でもあるそれは、ずっと前から気になっていた統営運河の海の底をくぐるトンネル、その名もずばり「海底(ヘジョ)トンネル」です。
この「海底トンネル」は日帝強占期の1932年に完成したもので、すでに統営や弥勒島に多数入植していた日本人漁民の便宜のために統営運河とあわせて建設された、全長483m、幅5m、高さ3.5m、海面下最大10mの規模のトンネルです。当時は東洋初の海底トンネルであったとのことです。
当時の技術でも架橋できたはずの統営運河にわざわざ海底トンネルを掘った理由として、1937年に着工された関門トンネル(1942年開通)の施工を控えて実験のために造ったという説、あるいは前述したように壬辰倭乱当時にはこの一帯で多くの倭軍兵士の死者が出たことから、その魂の眠る場所を敵の子孫であり自分たちの植民地(被支配層)の人々などに踏ませまいとして、地下に通路を造ったという説などがあるようです。
このトンネルは日本人が自国民の便宜のために建設したものですが、その工事には多くの朝鮮人が動員され、また文化遺産としての価値もあることから、「統営海底トンネル」として国家登録文化財第201号に指定されています。
 

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弥勒島側の海底トンネル出入口。上部にある「龍門達陽」の文字は、「竜宮の門を入り水中を経て太陽(陸地)に至る」という意味だそうで、トンネルの建設に主導的な役割をしていた当時の統営邑長、山口精(やまぐち・あきら)の揮毫だと伝わっています。
先のパネル写真にもあったようにかつては自動車の通行も可能でしたが、通路の幅が5mしかないため小型車2台がすれ違うのがやっとで、1967年に忠武橋が開通してからは歩行者および自転車専用道路となっています。

 

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トンネルヘの進入路は段差のない斜面であり、緩やかに地下(海底)へ向かって下ります。完全に地下に入るまでの区間には木製の屋根が。

 

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ここからが本当のトンネル、地下(海底)区間。出入口の上部には「海底터널」(へジョトノル。トノルはトンネルの韓国式発音)とあります。

 

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トンネル内部は全面コンクリート張りで、ナトリウムランプのオレンジの光で満たされています。
よく見ると通路の両脇には一段高いスペースが並行しています。自動車通行可当時の歩道かと思いましたが、それにしては通路から1m以上も高い位置にあるうえ柵らしきものもなく、落ちたら怪我しそうなほど危険な高さです。調べたところ、こちらは歩行者専用通路になってから追加された弥勒島への上水道管のスペースで、かつての歩道ではありませんでした。

 

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海底トンネルの最深部、満潮時の海面下13mの地点には、統営観光のパネル展示、そして貴重なトンネル建設当時の写真展示がありました。

こちらのトンネルもそうですが、日帝強占期の朝鮮で日本人が建設した道路や鉄道、港湾、発電所などの各種インフラ、および教育機関などは、武力にものを言わせて一方的に韓国を「併合」の名の下に植民地化し進出した日本人の便宜のため、また植民地支配や収奪を円滑にするため一方的に建設されたもので、その建設には日本の収奪により貧困化した朝鮮人たちを低賃金で、さらに戦時中には強制的に使役して建設したものです。したがって植民地支配が終わった後には当然に大韓民国または朝鮮民主主義人民共和国の財産として帰属すべきものだといえます。
韓国憎悪が日本国民「みんな」の「総意」となった(クソだと思いますが違うとは言わせない)今日では、日韓「国交断絶」、そしてその先を切望する者どもが、(言うまでもなくそのような発言は一切していませんが)文在寅大統領が1965年の「日韓基本条約」を破棄したならば、これら韓国に残した日本の財産の請求権を復活できる(韓国を経済的に滅ぼせる)ので楽しみだのと息巻いているのが現状です。そうした発言を目にする度に、ここに書くのも憚られる感情に襲われますが、何ひとつ抗う力のない私もまたその加担者でしかありません。どうすればよいのでしょうね。私が焚身すればいいんですかね。

 

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最深部を過ぎるとまもなく一転して登り坂に。再び緩やかな斜面です。

 

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原都心側、堂洞(タンドン)にある出入口。こちらもまた大きな木造屋根で覆われており、出入口の上には「龍門達陽」の文字があります。
こちらの海底トンネル、竣工から90年近くを経た現在も原都心と弥勒島を結ぶ重要な生活通路として用いられており、この日も土曜の早朝にもかかわらず、弥勒島から堂洞までの間に何人かの歩行者や自転車に乗った人とすれ違いました。

 

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海底トンネルの堂洞出入口を出てすぐ左に180度曲がり、トンネル西側の丘を登ると、その中腹に李舜臣将軍を祀った祠堂、鑿梁廟(チャンニャンミョ)があります。
鑿梁(チャンニャン)とは「掘って水路を造る」という意味で、現在の統営運河一帯を指す旧地名です。
壬辰倭乱の閑山島大捷では惨敗した日本水軍が敗走し、現在の統営運河、当時は干潮になると海の底が露出する狭い水路に追い込まれます。日本の武士たちは海の底の土を掘ってまで船を通そうとしたものの、結局間に合わず追い詰められて全滅したという故事からその名が付いたものです。
その後、1598年の露梁(ノリャン)海戦で李舜臣将軍が戦死すると、地元の人々がその忠節と偉業を称えるべく鑿梁を一望できるこの場所に将軍を祀った小屋を建てたのが、鑿梁廟の始まりだとのことです。

 

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私が訪問した午前8時台はまだ門が閉ざされていましたが、塀の上から内部をうかがうことはできました。 

鑿梁廟(착량묘:慶尚南道 統営市 鑿梁キル 27 (堂洞 8)。慶尚南道記念物第13号)

 

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鑿梁廟から下り、海底トンネルの出入口の横を抜けて原都心方面へ向かって歩きます。
その途中にある、一見して何の変哲もない写真の小さな古びた住宅、実は国の登録文化財なのです。
こちらの住宅は、統営の名産品のひとつである小盤(ソバン:一人用のお膳)を製作する小盤匠(職人)の住宅兼工房であり、近代期の統営における伝統工芸職人たちの生活を垣間見られる重要な学術的資料として、国家登録文化財第695号に指定されています。

 

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かつての統制営には、武器から日用品に至るまでの納入品を製作していた「十二工房」があり、その流れを汲む統営の小盤匠の手になるそれは、同じく統営名産の螺鈿(ナジョン:らでん)細工やタンスとともに国内最高級品として扱われました。

統営小盤匠工房(통영소반장공방:慶尚南道 統営市 朴孝子キル 17 (道泉洞 155)。国家登録文化財第695号)

 

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歴史ある港湾都市らしい古そうな倉庫を横目に見つつ歩きます。

 

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引き続き原都心方面へ進むと、途中には写真の立派な建物が。
1943年に建てられたこちらの建物は、かつての統営郡の都庁舎であり、忠武市との合併による統営市発足後は統営市庁別館と「統営国際音楽祭フェスティバルハウス」を経て、現在は「統営市立博物館」として使用されています。
その文化財的価値から建物自体が「旧統宮郡庁」として国家登録文化財第149号に登録されているほか、博物館内にも宝物第440号の「統営忠烈祠八賜品一括」をはじめ地域の貴重な文化財が展示されていますが、あいにくこの日は改装のため長期休館中であり、観覧はかないませんでした。
ちなみに韓国の郡は、市と同様に地方自治体機能を持つため、郡庁はもちろん郡議会もあり、そして選挙で選ばれる首長としての郡守(クンス)も存在します。

統営市立博物館(旧統宮郡庁)(구통영군청(통영시립박물관):慶尚南道 統営市 中央路 65 (道泉洞 65)。国家登録文化財第149号)

 

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さらに進むといよいよ市街地に入り、在来市場「西湖伝統市場(ソホ・ジョントン・シジャン)」の建物が現れます。

 

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中央伝統市場(チュンアン・ジョントン・シジャン)と並ぶ統営2大市場であるここ西湖伝統市場のアーケード街には、近海で獲れた豊富な海の辛がずらりと並べられ、市場で働く人々、そしてまだ午前8時台だというのに観光あるいは買い物に来た訪問客で賑わっていました。

 

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こちらの大きな魚はムルメギ(물메기。和名:ビクニン、学名:Liparis tessellatus)と呼ばれるもので、「(海)水のナマズ」を意味するその名の通り、鱗のないぬめっとした表皮に大きな口、つぶらな瞳などナマズによく似ています。主にムルメギタン(スープ)などで食され、カキとともに統営の冬を代表する食材です。

 

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そんなムルメギさんと目が合ってしまいました。

そういえば起きてからまだ何も食べていません。昨日はタチチッであれだけ食べたのに、ひと眠りして散策するとさすがにお腹がペコペコです。

 

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この日の朝食目当てのお店もやはり西湖伝統市場の中にあります。入ったのは「元祖(ウォンジョ)シラックッ」。統営の名物料理のひとつ「シラックッパ(시락국밥)」の元祖格として知られる、創業約60年のお店です。
シラックッパとは、シレギ(시래기:白菜や大根の葉を乾燥させたもの)が入ったスープとごはんのセットで、標準語ではシレギクッパと呼ばれています。

 

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注文してまもなくやってきたシラックッパ。シレギがどっさり入っています。こちらのお店ではチャンオ(장어)の頭を10時間ほど煮込んでスープを取り、さらにシレギを投入し5時間煮込んだものが供されるそうです。ちなみにチャンオとはウナギ目の細長い魚の総称で、一般にはウナギまたはアナゴを指しますが、どちらを用いているかは不明です。
まずは何も調味料を入れずにスープから。優しい味でうんまい。散策で冷えた体が温まります。

 

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好みに応じて、カウンター上にあるチョピ(초피:山椒。写真左)やフチュ(후추:コショウ)で味を調えます。個人的に、チュオタン(추어탕:ドジョウのスープ。チュタンともいう)のお店以外でチョピが用意されているのは初めて見ました。
締めはごはんを投入し(これでクッパになる)、スープを最後の一滴まで味わいます。

 

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こちらのお店の特色は、カウンター上にある10種類以上ものパンチャン(おかず)が取り放題であること。そのまま食べても、あるいはシラックッパに混ぜたりごはんに乗せてもOKです。3枚目の写真は、これらパンチャンの中でも特においしかった黒豆のコンジャパン(콩자반:煮豆)。

 

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こちらのお店「元祖シラックッ」の営業時間は午前4時半~午後6時、看板メニューのシラックッパは私の訪問当時は5,000ウォンでしたが、2020年9月現在では6,000ウォン(約550円:2020年9月現在)に値上げされているようです。市場で働く人々の活動に合わせて早朝から営業しているので、西湖伝統市場の朝市観光とあわせてのご訪問をおすすめいたします。

元祖シラックッ(원조시락국:慶尚南道 統営市 セトキル 12-10 (西湖洞 177-408))

 

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西湖伝統市場から道路を挟んだ南側には、統営の海の玄関口、統営港旅客船ターミナルの大きな建物が建っています。
ここからは、主に統営市に属する離島の数々へ向かう船が発着しています。

 

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時刻表のモニターには午前6時30分から午前9時30分までのわずか3時間に、なんと10便もの出航予定が。市内に40あまりもの有人島を擁する統営ならではの風景です。

 

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そして午前9時30分発の写真のフェリーに乗り、本日の目的地へ向かいます。
いよいよ1年ぶりの島旅の始まりです。

それでは、次回のエントリーヘ続きます。

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