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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

順天の旅[201812_07] - 韓国南海沿いの旅最強の中継都市・順天、そして旅の締めはあの酒場とソルロンタン

前回のエントリーの続きです。

2018年11~12月の慶尚南道(キョンサンナムド)統営(トンヨン)市の離島などを巡る旅の3日目、2018年12月2日 (日)です。

 

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高速バスで統営総合バスターミナルを発ち、約2時間20分で到着したのは全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市の順天総合バスターミナル。

 

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順天は、他の都市ではかなり離れていることの多いバスターミナルと鉄道駅が比較的近くにあるうえ、両者を結ぶ市内バスの便数もやたら多く(しかも順天駅前のバス停からだと全便がバスターミナルを通る)、加えてその中間に定宿を含むホテル街、そして大好きな酒場(後述します)を擁する在来市場があることから、韓国南部、南海(ナメ。朝鮮海峡など韓国が南岸で接している海の総称)沿いの旅の中継都市として好んで立ち寄っています。他に類を見ない順天という街の優位性がここにあります。
統営からより近い釜山を中継地点にすることも検討したのですが、釜山西部バスターミナルのある沙上(ササン)とKTX釜山駅は相当な距離があり、このロスタイムを考慮すると順天と大差ないことも今回の選択の理由のひとつです。

 

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ホテルに荷物を置き、まずはすぐ近くにある在来市場「アレッチャン」へ。
「下の市」を意味するアレッチャンでは、末尾が2または7の日に五日市(韓国では五日場(オーイルジャン)という)が開催されます。この日(12月2日)はまさに五日市の日。アレッチャンの五日市は韓国に無数にあるそれらの中でも最大級のひとつだといい、広い市場の敷地が露店でぎっしりと埋まるほか、場内に入りきれなかった露店が近隣の路上にまであふれるほどです。大好きな韓国の市場の雰囲気をしばし味わいます。

 

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続いて市内バスに乗り、市南西部の別良面(ピョルリャンミョン)へ移動。面(ミョン)とは日本でいう「村」に相当する地方自治体ですが、韓国では市に属するケースも多々あります。写真は別良面事務所(日本の「村役場」に相当)の建物。

 

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別良面事務所の真向かいにある飲食店。年配の女性が何故か体育座りをした写真入りのインパクトある看板、しかも屋号が「욕보할매집」(ヨッポハルメチッ。「悪口おばあさんの店」の意)とこれまたすごい。
こちらのお店、調べたところどうやらチュックミポックム(쭈꾸미볶음:イイダコ炒め)などで有名な店らしく、屋号で検索するとおいしそうな料理の数々、そして髪を真っ赤に染めたご主人(たぶん看板写真の女性)の登場する食レポがたくさん引っ掛かります。機会があれば訪れてみたいですが、「悪口おばあさん」はちょっと怖い気もします.....。

 

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別良面を訪れたのは、同面内にある2つの国家登録文化財を訪問したかったから。
ひとつめの文化財は、別良面事務所のある別良面の中心部から少し離れています。なので、徒歩でそこまで移動。単線非電化のKorail慶全線(キョンジョンソン)に沿って、あるいは踏切を渡ったりしつつ歩きます。

 

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そうして到着したのは、Korail元倉(ウォンチャン)駅。1933年築というその駅舎が国家登録文化財第128号に指定されています。
元倉駅は、慶全線の順天駅と筏橋(ポルギョ)駅の間にある休止駅です。1930年に南朝鮮鉄道光麗線(現・慶全線)とあわせて開業しましたが、その後の利用客減少に伴い2007年に旅客扱いを中止したため、現在はすべての列車が通過します。もっとも駅構内には線路が2本あることから単線である慶全線の列車交換の場として現在も使用されているとのことです。

 

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当時の駅務室エリアを含め、駅舎内には自由に立ち入ることができます。内部にあったはずの物品はすべて撤去されており、がらんどうになっています。

 

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かつての券売所のガラス板には、2002年韓日ワールドカップのステッカーが。当時はまだ旅客扱いをしていました。

 

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構内には作業用?の車両も。

 

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韓国には、この元倉駅のように国家登録文化財に指定された木造建築の駅舎が全国に12件存在します(2021年10月現在)。その中には蔚山(ウルサン)広域市蔚州(ウルジュ)郡、Korail東海南部線(トンヘナンブソン)の南倉(ナムチャン)駅(写真1枚目)のように現役の駅(ただし現在の駅舎は別途新築)もあれば、元倉駅のような休止駅もあり、そして全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市Korail長項線(チャンハンソン)の臨陂(イムピ)駅(写真2枚目)のような廃駅(2018年1月の訪問当時は休止駅)もあります。また、忠清南道(チュンチョンナムド) 保寧(ポリョン)市、Korail長項線の青所(チョンソ)駅(写真3枚目)のように、現役ながらも複線電鉄化により近日中の廃止が決定している駅も存在します。
個人的にはこうした韓国の木造駅舎に関心があり、これからも訪問してゆく予定です。

 

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元倉駅からは再び歩いて別良面事務所方面へ戻り、その途中にふたつめの文化財があります。
それが写真の建物「順天別良農協倉庫」で、国家登録文化財第224号に指定されています。現在はその名の通り別良農協の倉庫として用いられているこちらの建物は、日帝強占期に別良支所金融組合の倉庫として建てられたものです。当時、順天地域で生産された米を搬出に先立ち保管していた場所であり、すなわち収奪の現場のひとつです。
こうした一見何の変哲もない倉庫であっても、その歴史性をみて国の登録文化財として保存するところに、韓国の文化財保存への姿勢をうかがい知ることができます。

別良面事務所方面の先の国道2号線のバス停から88番バスに乗ります。余談ですがこの88番バスは順天中心部と別良面、そして宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウブ。邑は日本の町に相当する地方自治体)を結ぶもので、日に4往復しかないムグンファ号に代わり順天市と筏橋邑を結ぶ公共交通機関として働いています。

 

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順天総合バスターミナル前のバス停でバスを乗り換え、到着したのは順天市の原都心(ウォンドシム、旧来の市街地)。
かつてこの原都心一帯には、「順天府邑城」(순천부읍성:スンチョンブ・ウプソン)が存在していました。邑城とは倭寇などの侵入を防ぐため、客舎(객사:ケクサ。官衙では最上級の施設)など主要施設を含む市街地を城壁で囲んだものをいいます。朝鮮半島の随所に築かれていたこれら邑城も、日帝強占期に市街地拡大や道路拡幅などの名目でことごとく破壊されてしまい、現存するものはこちらのエントリーで紹介した「楽安邑城」(낙안입성:ナガン・ウプソン)などごくわずかです。
順天府邑城もその例に漏れず日帝強占期に破壊され、現在は跡形もありませんが、その城壁址は道路として、また法定洞(日本でいう「●●市●●町」に相当)の区画として残っています(地図)。また、そのうち西門(ソムン)址付近は一部が記念庭園となっており、記念庭園の建物は屋上が通路になっています。その一部には灯籠のようなものがつるされたスペースが。幻想的です(2018年10月撮影)。

 

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記念庭園そばの民家の屋上に立つ、ナゾの像。目がらんらんと輝いています。これは一体何者なのでしょうか。

 

奇しくもこの日、かつての順天府邑城跡、およびその北側にある「梅谷洞(メゴットン)」一帯では、「梅山洞(メサンドン) キョウリヤギ」(매산동 겨울이야기:キョウリヤギとは「冬物語」の意)というイベントが開催されていました。
梅山洞キョウリヤギとは、2016年に始まった「順天文化財タルビッイヤギ」(순천문화재달빛이야기:タルビッとは「月の光」の意)の一環で開催されていたもので、梅谷洞の中でも南端近くの梅山中学校一帯(ここを特に「梅山洞」とも呼ぶ)に点在する、20世紀初頭に海外宣教師により建てられた近代建築をはじめとする順天の歴史を紹介し、その夜の姿を巡ることを目的としたイベントです。
全羅南道での海外宣教師の活動拠点としては、こちらのエントリーでも紹介した光州(クァンジュ)広域市南区(ナムグ)の楊林洞(ヤンニムドン)が有名ですが、実は順天の梅谷洞もそれに続く宣教の拠点となった場所であり、楊林洞と同様に近代建築が今日も残っているのです。全羅道におけるキリスト教宣教活動は、米国南長老会という宗派がその主力となりました。米国南長老会の宣教師たちは全羅北道の群山に始まり、同道の全州(チョンジュ)、全羅南道木浦(モッポ)光州の順に宣教活動を進行、これらを経た1910年頃に新たな活動拠点として全羅南道東部の都市である順天に進出します。順天では他の都市と同様に近代的な建築様式による学校や病院を次々と建設し、地域住民への教育や医療活動に従事します。
この頃に並行して進められていた日本による植民地支配下での投資や開発が、あくまで進出した日本人たちの生活、または鉱産資源や農産物などの収奪のための便宜に徹底していたのに対し、米国南長老会の宣教師たちの活動はキリスト教布教が第一の目的であったとはいえ、地域住民すなわち朝鮮人たちにとっても便益を得られるものでした。
また、順天の梅山洞(梅谷洞)における宣教拠点の建設は、先行した4都市での経験に基づき計画的に進行されたことに加え、日本による開発に先立ち近代都市づくりがなされた点で特筆に値するものであるといえます。これらの建物の一部が現在にまで残り、文化財として保護されているのです。
その近代建築が建ち並ぶ梅山洞(梅谷洞)へ向かうべく、まずは順天府邑城の城壁址に沿って北へ向かいます。

 

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その途中、地面の御影石に順天府邑城の古地図が描かれた広場に、それを取り囲むかのごとく大量の焼き芋マシンが設置されていました。こんなに多くの焼き芋マシンを一度に見たのは人生で初めてです。よく見ると片隅には焼き栗のスペースが。少し離れた場所には長蛇の列が形成されていましたが、この焼き芋や焼き栗が目当てだったのでしょうか。

 

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広場近くでは順天の歴史に関する展示パネルが陳列されていました。2枚目は順天府邑城の客舎に関するもので、3枚目は「順天歌(スンチョンガ)」に関するものです。「順天歌」は順天市上沙面(サンサミョン)出身の李栄珉(이영민:イ・ヨンミン、1882-1964。号は碧笑(벽소:ピョクソ))氏が1930年頃に書いた、順天の山川や名勝、遺跡など40か所を紹介した歌唱歌詞のことで、後年に曲が付けられ、韓国の伝統芸能であるパンソリとして編曲されています。

 

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いよいよ梅山洞(梅谷洞)に到着。入り口に順天中央教会のあるこの「梅山キル」という道沿いに近代建築が立ち並んでいます。
梅山キルには写真のように光るオブジェがいくつも配置されており、幻想的な雰囲気を漂わせていました。

 

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梅山キルに入ってすぐに現れるのは、国家登録文化財第127号の「順天旧南長老教会ジョージ・ワッツ記念館」。
1925年頃築のこの建物は、米国南長老教会のジョン・F・プレストン(John Fairman Preston、1875-1975)宣教師により設立された教会指導者の養成施設であり、現在は2階が当時の財政後援者であった米国人、ジョージ・ワッツ(George Watts)氏の記念館となっているため、この名が付けられています。

 

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今度は大量の雪だるまが並べられたエリアが。

 

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ジョージ・ワッツ記念館から少し北へ進んだところにある「順天梅山中学校梅山館」。国家登録文化財第123号。
かつての米国南長老教会の教育施設「ワッツ記念男学校」であり、1930年にそれまでのレンガ造りの建物から改築されたものです。順天市内を流れる玉川(オクチョン) 地域一帯で生産された花崗岩を外壁に使用しているとのこと。現在は梅山中学校の施設として使用されています。

 

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梅山中学校の梅山キル沿いの外壁には光るウサギさんのオブジェが一列に並んでいます。

 

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梅山中学校梅山館からさらに北側、梅山女子高等学校の敷地内にあるこちらの建物は、国家登録文化財第126号の「順天旧宣教師プレストン家屋」です。
前述したプレストン宣教師の私宅として1913年頃に建てられたもので、花崗岩の外壁に韓式の瓦を乗せた韓洋折衷式の特徴ある建物です。また、建物の幅と高さがほぼ1:1というサイズバランスは、順天や光州の宣教師住宅建築の特徴のひとつだとのこと。そういえば以前に訪れた光州・楊林洞の「ウイルソン宣教師私宅」(1920年代築)も同じようなサイズ比になっていました。現在は梅山女子高等学校の語学堂として用いられているとのこと。

 

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梅山クンキルという道との交差点のあたりから、梅山キルを振り返って見たところ。緩やかな坂道であることが見て取れると思います。

ところで、この交差点から脇に入る道(写真とは反対側)の先に、国家登録文化財第124号の「旧順天宣教部外国人オリニ学校」 (1910年代築)と、全羅南道文化財資料第259号の「順天コイット宣教師家屋」(1913年築)という2棟の近代建築があるのですが、門が閉ざされており立ち入ることはできませんでした。

 

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梅山キルをさらに進むと、「順天市基督教歴史博物館」が現れます(写真は2018年10月撮影)。宣教の拠点たる梅谷洞はこの博物館にとって最もふさわしい立地だといえるでしょう。以前から気になっている施設ですが、月曜休館が一般的な韓国の博物館では珍しく日曜休館であり、この日は入館できませんでした(もっともこの時間だと他の曜日でも閉館していると思いますが)。

 

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博物館の敷地内には、20世紀半ばの宣教活動で使用された自動車「ランドローバー」が保存展示されていました。

 

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さて、順天府邑城に着いた頃はまだほの明るかった空はすっかり真っ暗に。そろそろ夕食の時間です。この日のディナーは日本を発つ前から決めていました。
そして再びアレッチャンへ。昼間の五日場の片付けもほぼ終わり、静寂を取り戻しつつある場内のテント広場へ。

 

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毎週金・土曜日には恒例の夜市場(ヤシジャン)で賑わうこのテント広場も、開催のない日曜日は閑散としています。

 

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そんな薄暗いテント広場の中で唯一、灯りがともる店舗が。
その名は「61号(ユクシビロ)ミョンテジョン」。本ブログやTwitterでは何回も紹介してきたので、順天という街とともにその名をご記憶の方もいらっしゃることでしょう。
実はこちら、同じ年の10月の順天と麗水の旅のときに初めて訪問し、料理のあまりのうまさ、そして何種類ものマッコリの在庫に感激し、どうしても再訪したかったお店なのです。この日の順天訪問の最大の目的と言っても過言ではありません。わずか1ヵ月とちょっとで念願かないました。
前回は夜市場の賑わいの中でしたが、打って変わって今回は独特の静けさの中での訪問です。

 

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まずやって来たのは、前回も注文した「チルルッケティギム(찔룩게튀김)」と「順天湾マッコリ」。
チルルッケとは、順天湾の干潟名産の小ガニ「チルゲ(칠게)」の全南方言です。和名は「ヤマトオサガニ」(学名:Macrophthalmus japonicus)。その名の通り日本にも棲息しているカニですが、日本ではほとんど食用にされずなじみのない一方、韓国ではこちらのティギム(揚げ物)をはじめ、カンジャンケジャンのようにカンジャン(韓国醤油)につけたもの、あるいはすりつぶしたものをチョッカル(韓国式の塩辛)にしたりして、主に全羅南道において広く食されています。

 

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ご主人の手により揚げられている真っ最中のチルルッケティギム。

 

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そういえば同じ年の10月にここアレッチャンの五日市を訪れた際にも、ずいぶん活きのいい大量のチルルッケがバケツに入って販売されていました。

 

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あつあつ揚げたてのチルルッケティギムを、1匹まるごと口に放り込みます。
ああ、うんまい。
小ガニなのにしっかり身が詰まっており、強いカニらしい風味がします。しかも同程度のサイズのサワガニよりもずっと殻が柔らかく、サクサクと気持ちよい歯ごたえです。前回の訪問でこの味にすっかり惚れこんでしまった私でした。そのうえマッコリとの相性も抜群で、結構な量なのにあっという間に一皿平らげてしまいます。
光陽(クァンヤン)プルコギで知られる東の光陽市、ハモにカンジャンケジャンなど海の幸や突山島(トルサンド) カッキムチ(カラシナのキムチ)で知られる南の麗水市、そしてコマク(ハイガイ)料理で知られる西の筏橋邑。順天市は三方を著名な料理を擁する自治体に囲まれながらも、特段そうした名物料理がないと揶揄されることもあります。しかし私はこのチルルッケティギムこそが、全国に誇るべき順天の名物料理のひとつだと思っています。

 

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続いて注文したのは、今回が初めての「クルジョン」。マッコリも2本目の「チングサイ」(친구사이:「友達同士」の意)に突入。
クルとはカキ(牡蠣)のこと。ジョンは日本でいうチヂミのことですが、その中でも食材の形を保ったものを指すともされています。それを証明するかのように、カキが一枚の大きな平たいチヂミに入っているのではなく、一粒一粒に衣が付けられ丁寧に焼かれています。旬のカキと衣のハーモニーがこれまたうんまい。
そういえば、この日の昼まで滞在していた統営は、韓国最大のカキの産地でもあります。その統営での旅の思い出を反芻しつつ、クルジョンに舌鼓を打つ私でした。

 

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そして締めは、屋号にもなっている「ミョンテジョン」。こちらは「麗水生マッコリ」がお供に。
ミョンテとは漢字で書くと「明太」、つまり明太子の親たるスケトウダラの身のチヂミです。たっぷりのスケトウダラ白身とジョンのガワが絶妙なバランスで焼かれていて、めちゃめちゃうんまいのです。
前回の訪問で初めて口にして、あまりのおいしさにまたも注文してしまいました。ミョンテジョンの屋号は伊達ではありません。
ちなみに屋号の前半の「61号」とは、アレッチャンにおけるテナントの通し番号をそのまま用いたものだそうです。
こちらのお店「61号ミョンテジョン」を含むアレッチャンへのアクセスについては、下記エントリーの序盤で、この次の訪問時(2019年2月)の食レポと一緒に紹介しております。こちらもあわせてお読みいただけますと幸いです。

 

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そうしてお腹も心も幸せいっぱいになり、夜も更けつつある順天の街を歩いてホテルへと戻るのでした。

 

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明けて、2018年12月3日 (月)の朝。順天はあいにくの雨天です。前回(同年10月)と同じ、午前7時42分発の全羅線KTXで順天駅を後にします。

3時間弱でソウル駅に到着。まずは地下のソウル駅都心ターミナルで搭乗手続きと出国審査をし、荷物を預けて身軽になった状態で地下鉄1号線の電車に乗り込みます。

 

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やって来たのは鍾路(チョンノ)の名店、里門(イムン)ソルロンタン。1904年創業、現存する韓国最古の飲食店としても知られる老舗です。

 

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1997年の人生初の韓国訪問からずっと通っているお店で、私にとっては最も長く、そして最も多く訪問した韓国の飲食店でもあります。惜しくも21世紀の再開発に伴い解体された、当時の木造2階建て韓屋(写真)の店舗をご記憶の方も少なからずいらっしゃることでしょう。

 

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注文したのはもちろん看板メニューのソルロンタン。鋳鉄釜で17時間かけて煮出した牛骨スープは白濁しつつも余分な脂分がなく、すっきりしています。塩気は全くないので卓上の塩を慎重に(ここ重要)投入し、まずはひと口。
おなじみの、舌を包み込むようなうまみ。ああ、うんまい。
おいしさと一緒に、ほっとする感覚、そして懐かしさを感じます。韓国ではさまざまな料理を口にしてきましたが、「どこか」ではなく懐かしいと思う味は、いまのところ里門ソルロンタンソルロンタンが唯一です。

 

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里門ソルロンタンでもうひとつ特筆すべき名物は、卓上に置かれている取り放題のキムチのうちペチュ(白菜)キムチ。白菜の葉っぱがほぼ丸ごと入っているので、ハサミで適宜食べやすい大きさに切って取り分けます。この白菜キムチがもう、うんまいのなんの。ソウルキムチらしい甘みの中にしっかりとした辛さが。個人的に、これまで食べて来たあらゆる白菜キムチの中で最も好きな味です。ご飯が何杯でもいけるやつだ。そのため毎回食べ過ぎて汗をかいてしまうほどですが……。

 

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「里門ソルロンタン」の営業時間は午前8時~午後9時、日曜のみ午前8時~午後8時。名節(旧正月・秋夕)は休業。首都圏電鉄(地下鉄)1号線「鍾閣」駅3-1番出口から徒歩約4分(約250m)です。誘導路入口にバルーンの看板(写真2枚目)が立っているのですぐ分かると思います。
なお、2021年10月現在でのソルロンタンの値段は10,000ウォン。このときの9,000ウォンより少し値上がりしています。思えば1997年の初訪問のときは確か6,000ウォンだったような。日本のように政府与党の政策により実質賃金が年々低下し続けている不健全な社会とは違うのだなということを改めて思い知らされます。

里門ソルロンタン(이문설농탕:ソウル特別市 鍾路区 郵征局路38-13 (堅志洞 88)) [HP]

 

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空港鉄道の発車時刻まではもう少し余裕があるので、もうひとつの目当ての店へ向かいます。その途中にある、ソウルYMCAビル。併設されているホテルを利用された方も数多いことでしょう。
その玄関の脇には「3.1独立運動紀念址」の石碑が。当時の民族運動の本拠地であり、3.1独立運動を準備した場所だと刻まれています。

 

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大通りの鍾路を渡った向こう側(南側)には、この少し前に開店したばかりのスイーツ店「ミルクホール1937種路店」があります。

 

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韓国の乳製品大手であり、国内牛乳市場シェアNo.1(29.1%、2020年)の「ソウル牛乳(ウユ)協同組合」の直営であるこちらのお店では、同社の製品を用いた各種スイーツやドリンク類を味わうことができます。

 

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注文したのはミントチョコシェイクと抹茶牛乳。どちらも期待を裏切らないおいしさ。うち抹茶牛乳はお店のロゴが入った懐かしの牛乳瓶で出され、瓶はお土産として持ち帰ることもできます。

ミルクホール1937 鍾路店(ソウル特別市 鍾路区 鍾路2街 71-5 (鍾路 86-1))

 

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そして仁川国際空港に移動し、いつものジンエアーLJ203便で日本へと帰るのでした。

2018年11~12月の慶尚南道統営市と全羅南道順天市の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回は、2019年10月の仁川広域市富平区(プピョング)の旅をお送りする予定です。

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