かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

春川の旅[201709_02] - 4年連続参加の「春川マッククスタッカルビ祭り」で本場のタッカルビを味わう

前回のエントリーの続きです。

 昨年(2017年)9月の韓国・大田(テジョン)広域市などを巡る旅、明けて2日目(2017年9月2日(土))の朝です。

この日はまず、大田から次の目的地である江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市ヘバス移動。
当初予定では、この日はまず大田広域市に隣接する忠清北道(チュンチョンブット)沃川(オクチョン)郡のスポットを巡り、それから春川へ移動するつもりでしたが、どうしても行きたいイベントが春川近隣で開催されることを出発間際に知って急きょ予定を変更。沃川の旅は大田再訪とあわせて次回に預けたいと思います。

 

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ホテルのすぐそばにある大田随一のバスターミナル「大田複合ターミナル」。写真は前夜に撮ったものです。

 

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「大田複合ターミナル」の「複合」とは、韓国では明確に区分されている「高速バス」と「市外バス」の兼用ターミナルであることを意味しています。さすが忠清圏最大の都市だけあって、時刻表は無数の便で埋め尽くされています。もちろんコインロッカーも豊富。写真3枚目は出入口のホールにあるものですが、この真向かいにも同じ数のコインロッカーがありました。 

 

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写真2枚目の市外バスに乗って、いざ春川へ。

 

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大田~春川間の市外バスにはノンストップ便もありますが、今回私が乗車したのは、大田広域市に隣接する世宗(セジョン)特別自治市経由の便。
世宗特別自治市とは、盧武鉉(노무현:ノ・ムヒョン、1946-2009)政権時代にソウルからの遷都および中央官庁の移転を目的に建設された新都市で、その名は言うまでもなくハングルを創製した朝鮮の第4代国王、世宗(세종:セジョン、1397-1450)から来ています。いくつかの中央官庁移転は実現しましたが、遷都については憲法違反だとの司法判断がなされたため頓挫、現在へと至ります。2014年には道に属さない特別自治市として発足し、現在の人口は約28万。
市外バスの停留所がある都心部は歴史が浅く観光スポットは少ないですが、中央官庁が入居する全17棟の建物を渡り廊下でつないだ全長約3.5kmもの長大建築物「政府世宗庁舎」(写真)はちょっとしたみどころになっています。

 

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市外バスの旅のお楽しみ、トイレ休憩で立ち寄る高速道路の休憩所(日本のサービスエリアに相当)訪問。今回は忠清北道陰城(ウムソン)郡にある「陰城休憩所」に停車。私が見てきた限りですが、韓国の休憩所は総じてトイレがきれいです。売店の冷凍庫にはコッカム(곶삼:干し柿)が。

 

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およそ3時間のバスの旅を経て、春川市外バスターミナルに到着。春川は今回で5度目の訪問。ソウルと釜山以外では最多の訪問地です。鉄道以外の手段での訪問は今回が初めて。

春川市は江原道の北部に位置する人口約28万の都市で、江原道庁の所在地です。
現在の春川市一帯は、7世紀以前には古代部族国家である貊(맥:メク)国の首都が置かれていましたが、その後新羅に征服され、673年には首若州(スヤクチュ)が設置されます。その後は朔州(サクチュ)、光海州(クァンヘジュ)などを経て高麗時代の940年には春州(チュンジュ)に改称、さらに朝鮮時代初期の1413年には8道制度の実施とあわせて春川郡に改称され、ここで初めて春川の名が登場します。1415年には地方官庁である都護府が設置。
その後朝鮮時代末期の1887年には春川留守(ユス)郡が設置され、3年後の1890年には王族が緊急時に避難するための離宮が現在の江原道庁のある場所に設置されます。1895年の甲午改革により春川留守郡は廃止、新設された23観察府のひとつである春川府春川郡となり、その翌年にはおよそ500年を通じて原州(ウォンジュ)にあった江原監営(江原道の長である観察使が執務するための統治機関)が春川へと移転、江原道の行政の中心地としての地位を確立します。
光復(日本の敗戦による解放)後の1946年には春川郡のうち春川邑が春川府に昇格、1949年には春川市に改称。1995年には春川市と春川郡が合併し、現在へと至っています。

また春川は過去に幾度となく戦乱の舞台となった地域であり、13世紀の契丹と元による相次ぐ侵略、16世紀末の壬辰倭乱豊臣秀吉による2度の朝鮮侵略)、そして朝鮮戦争(1950-1953)において激戦地となっています。春川市は38度線をまたいでおり、光復直後の南北分割統治に際しては市域(当時は春川郡の郡域)が分割されたほど南北分断の現場に近い場所であることから軍部隊が多数設置され、一大軍事拠点としての性格も帯びています。

 

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とはいえ春川といえば、何といってもあの『冬のソナタ』の舞台としてご存じの方が多いことでしょう(写真は2014年3月撮影)。そしてここ最近ブームとなっている料理「チーズタッカルビ」の原型であり、鶏肉や野菜などをスパイシーなソースで炒めた料理「春川タッカルビ」の本場としても知られています。
そして今回私がこの春川にやって来たのも、私の大好物のひとつである春川タッカルビにちなんだあるイベントのためです。

 

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タクシーに乗り、この日の宿である「春川世宗ホテル」へ。立派な門です。ソウル・明洞にある世宗ホテルの系列ということで高そうなイメージがありますが、日本円で5,000円台と安かったのでこちらにしました。それにしてもこの日はなにかと「世宗」に縁があります……

 

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春川世宗ホテルの室内。清潔で広い部屋でした。

 

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ホテル建物は階段がなく、代わりにスロープが設けられていたのが特に印象深いです。

 

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春川世宗ホテルは高台に位置するため、駐車場からは春川の街が見渡せます。

春川世宗ホテル(춘천세종호텔:江原道 春川市 鳳儀山キル 31 (鳳儀洞 15-3))

 

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世宗ホテルから坂を下ったところにある、江原道庁。屋上には道内で開催される平昌(ピョンチャン)冬季五輪のマスコットキャラクター、白虎のスホラン(수호랑)とツキノワグマのバンダビ(반다비)のバルーン人形が。

 

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タクシーでKORAIL春川駅へ移動。やつらが増殖していた……

 

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春川駅前にはイベントスペースとして用いられる広大な空き地があり、そこでちょうど開催中だったのが、今回の春川行きの最大の目的である「春川マッククスタッカルビ祭り」(춘천막국수닭갈비축제)です。
この「春川マッククスタッカルビ祭り」とは、毎年8月下旬から9月上旬にかけて春川駅前の空き地にて開催されるお祭りで、春川を代表する2大名物料理、タッカルビとマッククス(麺にそば粉を練りこんだ冷麺)をメインテーマとするものです。したがって会場にはタッカルビとマッククスをそれぞれ味わえる仮設店舗が出展するほか、タッカルビとマッククスの「100人分試食」などのイベント、またマッククスについては手作り体験コーナーまでも設けられています(写真3枚目のマッククス手作り体験コーナーに限り2016年8月撮影)

 

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私が初めてこのお祭りを訪問したのは2014年。あまりにタッカルビが好きすぎて、とうとうこの回で4年連続での訪問となってしまいました。写真は歴代のメインゲートです。
ちなみこの「春川マッククスタッカルビ祭り」、私が訪れた2017年でちょうど10周年。以前は別々だった祭りを統合して現在へと至ります。そうした経緯もあって、祭りの名称にある「マッククス」と「タッカルビ」の順序は毎年入れ替わります(なので2018年は「春川タッカルビマッククス祭り」となる予定)。

 

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場内に足を踏み入れると、たちまちタッカルビの焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐります。前日に大田で食べたパンチチムがようやくお腹の中から消えつつあったので、まずは場内の一角に並ぶタッカルビ仮設店舗へ直行。
例年このお祭りでは、7店前後の春川市内のタッカルビ店が出張店舗を出しており、それらをチェックすること、そして毎年違う店でタッカルビを食べるのが密かな楽しみとなっています。ちなみに今回は全8店。会場奥から順に「サウ珍味タッカルビ」、「明洞コルモクタッカルビ」、「銀杏ナムタッカルビ」、「春川1番地タッカルビ」、「イウォルソン名家タッカルビ」、「ファンソタッカルビ」、「ウミタッカルビ(江南)」、そしてテイクアウト専門の「(社)春川タッカルビ協会」の構成となっていました。

 

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今回はそれらの中から「銀杏(ウネン)ナムタッカルビ」(은행나무닭갈비:銀杏ナムとは「イチョウの木」の意)を選択。お店選びも楽しみのひとつです。
写真はそのメニュー表。価格は場内均一ですがタッカルビのレシピは各店自前のようです。左上2段目には前年(2016年)まではなかった「チーズタッカルビ」(치즈닭갈비)も。日本の前に韓国でもブームがあったようで、その影響でしょうか。ちなみにお祭りのメインスポンサーが韓国の酒類最大手であるハイトジンロなので、場内のタッカルビ店で扱うお酒はすべて「Hite」や「チャミスル」、「イスルトクトク」など同社製品となっています(なので「Kloud」も「Cass」もありません)。

 

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やって来たタッカルビ。店員さんがかいがいしく焼いてくださるのをじっと待ち、「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の号令とともにばくり。うんまい。何度食べても飽きのこない味。
タッカルビにはビールが実によく合います。個人的にいちばん合うと思うCassが前述の理由で選べないのは惜しいです(Hiteも決して悪くはないのですが……)
ただ、この時点でまだ前夜の「パンチチム」が若干お腹に残っていたため、いつもなら必ず食べる締めのポックンパ(볶음밥:焼き飯)は断念。「ポックンパを食べるまでがタッカルビ」が持論の私にとっては痛恨のダメージです。とはいえ春川タッカルビは今後も春川を訪れる度に食べてまいりますので、これをバネに次回をより楽しみにしたいと思います。

 

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私にとって仮設店舗でのタッカルビ実食と並ぶこのお祭り最大の楽しみは、毎年恒例の「100人分タッカルビ・マッククス試食」イベント。配布開始前、大量の具材を大きな鉄板で炒めるタッカルビの仕込みを見るのも楽しみです。こんなに食べきれないよ……(冗談です)

 

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そして来場者にふるまわれたタッカルビ。例年は普通サイズの紙コップだったものがこの年から大きめの紙の器に。こちらも以前は辛味の強いものでしたが、この前年(2016年)から適度に辛さを抑えたものとなり一層おいしくなりました。タイトルには「100人分」とありますが実際はもっと多いです。なおタッカルビとマッククスは同時並行でふるまわれるため、マッククスの方には間に合いませんでした(これも3年連続……)

 

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目当ての100人分タッカルビも食べたので、場内を散策することにします。

 

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「江村(カンチョン)レールバイク」(京春線の廃線跡を足漕ぎの乗り物で走るアトラクション)「アニメーション博物館」など春川市内の名所とお祭り会場とを結ぶシャトルバスの時刻表。この回から新設されたようです。

 

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韓国のお祭りでは必ずと言っていいほど見かける、豚の丸焼き装置。こんなに食べきれないよ……(冗談です)

 

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会場内には、メインスポンサーであるハイトジンロのブースも。同社のビール系飲料のラインナップが展示されていました。キリンの「一番搾り」があるのは同社が韓国での販売権を持っているからのようです。

 

 イベントステージでは見事な綱渡りを披露する方も。

 

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「春川マッククスタッカルビ祭り」の会場は大別して、先のハイトジンロなど実行委員会(市)が設置する公式のブーススペースと、これらと隣接する公認(?)の私設店舗スペースに分けられます。写真は後者。飲食店や健康食品、一律1,000ウォンの雑貨などを扱う店が多数出展しています。このような形態は他のお祭りでもよく見られます。

 

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同じ江原道の束草(ソクチョ)の名物であるオジンオイカ)スンデ(오징어순대)を扱う店も。食べたいところですが夕食のことを考えてじっと我慢。

 

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祭り会場である春川駅前の広大な空き地は、実は2005年に廃止された米軍基地「キャンプ・ペイジ」の跡地であり、当時の給水塔だけがその面影を残しています。写真2枚目は2014年9月に撮影したもので、まだタンクに「CAMP PAGE」の文字がうっすらと残っていました。写真3枚目は給水塔の基部。3年前にコスモス畑だった一帯には水遊び場が開業し、かつての給水塔はウォータースライダーとして生まれ変わっていました。

 

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春川へのアクセスは、ソウルからであれば龍山(ヨンサン)駅を出て清凉里(チョンニャンニ)駅を経て春川駅へ行く列車「itx-青春(チョンチュン)」(写真)がおすすめです。龍山駅からは約1時間20分弱、清凉里駅からは約1時間。料金は龍山からでもなんと7,300ウォン(約770円:2018年2月現在)というリーズナブルさ。ただしこうした低価格ということもあり、土日などは途中の加平(カピョン)駅で下車する登山客などで埋まってしまい当日券はほぼ完売状態ですので、スケジュールが決まっている方はこちらのKORAIL日本語サイト(左上「乗車券」をクリック)で予約されることをおすすめします。予約後に表示されるQRコード付きの乗車券をプリントアウトしておけば現地でチケットを発行する必要もありません。
なお「itx-青春」といえば8両編成中の4-5両目にある韓国唯一の2階建て車両(写真2-3枚目)が名物ですが、先の日本語サイトでは車両を指定した予約はできません。韓国のKORAILの駅の端末では2階席を指定した予約ができるものの、先の理由から当日の予約が困難であるため、2階席狙いだと賭けみたいになってしまうことが悩ましいです……。

大好きな春川タッカルビの本場である春川、そして年に一度の祭典である「春川マッククスタッカルビ祭り」。一人でも多くの方が訪問していただくことを願っています。

春川マッククスタッカルビ祭り(会場)(춘천막국수닭갈비축제 (회장):江原道 春川市 槿花洞 187-2 一帯)

 

それでは、次回のエントリーヘ続きます。

大田の旅[201709_01] - 大田の近代建築巡り、そして文字通りパンチのありすぎる謎の料理「パンチチム」

今回からは、昨年(2017年)9月1日(金)から同月4日(月)にかけての大田(テジョン)広域市などの旅をお届けします。

大田広域市は、韓国(朝鮮半島南部)でも中央のやや西寄りに位置する人口約160万人の大都市です。元々は忠清南道(チュンチョンナムド)に属していました。1993年に開催された大田国際博覧会(大田万博)などでご存じ、あるいは訪問された方もいらっしやることでしょう。ソウルと大邱(テグ)、釜山とを結ぶ韓国随一の幹線鉄道「京釜線」(キョンブソン)の沿線であり、また光州(クァンジュ)や木浦(モクポ)へと向かう韓国第二の幹線「湖南線」(ホナムソン)との分岐点という交通の要衝であるため古くから鉄道の街として発展し、KORAIL韓国鉄道公社)の本社もソウルではなくここ大田に所在しています。
一方、韓国に6つある広域市(道から独立して同等の権限を持つ市)の中で、今回の旅の直前時点で私が唯一足を踏み入れたことがなかった街であり、そんなわけでまずは行ってみようと思い立った次第です。

 

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今回の旅は大韓航空系のLCC、ジンエアーで仁川入り。こちらも初めての利用です。機内では写真の簡単な機内食が出ました。いつものように空港鉄道でソウル駅へ移動し、KTXで大田を目指します。

 

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とにかくソウル駅に着いた時点で最も早いKTXに乗ろうと思っていたので、事前予約はせず。案の定ソウル駅からの京釜線の指定券は向こう3時間分がすべて完売で、立席特急券で乗車することに(たぶん列車本数が絶対的に足りない‥‥‥)

 

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そんなわけでソウル~大田間の約1時間はずっとデッキに立っていました。写真はそのときのチケット。驚くべきことに、立席なのに車両が指定されています。その車両のデッキに立たないとダメということでしょうか(ちなみに私がいたのは指定された隣の車両でしたが、検札に来た車掌さんからは特に何も言われませんでした)

 

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そして大田駅に到着。駅舎はごく最近新築されたばかりで、駅の階段は一部工事中。コンコースの上の階の飲食店街はまだ立入不可でした。

 

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大田駅構内のコインロッカー。キャリーバッグも入る大サイズも。 

 

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大田駅のメインゲートは市随一の繁華街である中央路(チュンアンノ)寄りの西側ですが、今回は東側から外へ出ます。裏口というべき東側出口を利用した理由は、ひとつは今回のホテルのそばにある大田複合バスターミナルに近い(とはいえ距離は約2.5km)ということ、そしてもうひとつは駅前のある建物を見たかったから。

 

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東側出口を出てすぐ右手にそびえる、KORAIL本社ビル。韓国鉄道施設公団の本社ビルとのツインタワーになっています。とはいえ見たかったのはこちらではありません。

 

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東側出口を出た正面の駐車場内に、現代的なデザインの駅舎とは対照的な、かなり古びた木造の大きな建物がぽつんと建っています。
この日最初の目的地であるこちらの建物は「旧鉄道庁大田地域事務所補給倉庫3号」といい、こう見えても実は国の登録文化財(第168号)です。朝鮮戦争の休戦から3年後の1956年に建てられたもので、当初は「調達本部大田駐在」と呼ばれていました。その後はKORAILの前身である鉄道庁の物資保管倉庫を経て、現在もKORAILの倉庫として使用されているそうです。よって内部の見学はできませんが、大型の木造建築にもかかわらず室内中央部に柱がない構造などに文化財的価値があるとのことです。

旧鉄道庁大田地域事務所補給倉庫3号(구 철도청 대전지역사무소 보급창고 3호:大田広域市 東区 セドゥッキル 143 (蘇堤洞 29-6)。国指定登録文化財第168号)

 

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大田駅前に建つ、3人の鉄道員銅像
こちらは、朝鮮戦争で作戦遂行のための機関車運転に志願した3人の鉄道員、中でもその作戦中に殉職した当時26歳、金裁絃(김재현:キム・ジェヒョン、1923-1950)機関士を称えるための銅像です。
朝鮮人民軍の侵攻により勃発した日付から韓国では「6.25」(ユギオ)とも呼ばれる朝鮮戦争。その開戦から1ヵ月も経たない1950年7月19日、大田駅の南東にある伊院(イウォン)駅にいた金裁絃機関士ほか鉄道員たちは、捕虜となったディーン米陸軍少将の救出作戦のため、人民軍の占領下にあった大田駅まで米陸軍の特殊部隊員を輸送してほしいとの要請を受けます。無事帰還できる可能性が著しく低い敵陣突入作戦でしたが、金裁絃機関士はこれを承諾、黄南湖(황남호:ファン・ナモ)、玄在英(현제영:ヒョン・ジェヨン)の両助士とともに蒸気機関車を運転し、33名の特殊部隊員を乗せ大田駅へ向けて出発します。
列車は激しい銃撃を受けつつもどうにか大田駅に到着したものの、ディーン少将の発見はかなわぬまま撤収。その帰路、大田駅の1kmほど先の地点で金裁絃機関士は胸に銃弾を受け、帰らぬ人となりました。また玄在英助士も銃創を負い、特殊部隊員にも多数の死傷者が出る中、黄南湖助士の必死の単独運転により列車はどうにか帰還を果たしています。こうした金裁絃機関士たち3人の勇敢な行動を称えて、目的地であったここ大田駅に建てられたのが、こちらの銅像です。
余談ですが、このとき3人の鉄道員が乗務した「ミカ型蒸気機関車129号」は国の登録文化財415号に指定され、現在は同じ大田市内の国立大田顕忠院にて展示されています。

 

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ホテルに荷物を置き、市内バスで再び大田駅へ。今度は正面玄関というべき西側出口にやって来ました。
最近では初めて訪れる街に着いたら、特別な目的地がない限りまずは時間の許す範囲でその街の中に点在する文化財、特に大韓帝国以降の近代建築を訪れることにしています。先ほどの「旧鉄道庁大田地域事務所補給倉庫3号」もまたその一環で訪問したものです。
そんなわけで、大田駅から中央路駅にかけて点在する文化財の徒歩探訪がスタート。訪問順に列挙して紹介したいと思います。以下の各文化財名称は韓国文化財庁または大田広域市文化財名表記に基づくものであり、説明は主に韓国文化財庁ホームページの記述を参考としております。

 

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「旧朝興銀行大田支店」。
1951年築。現在の大手銀行、新韓(シナン)銀行の前身である朝興(チョフン)銀行の大田支店として建てられ、現在も新韓銀行大田駅金融センターとして使用されるなど一貫して金融機関に用いられてきた建物です。2階建て鉄筋コンクリート造の表面を花崗岩の平板で仕上げたこちらの建物は、できる限り装飾を排してシンプルさを追求するなど、20世紀半ばの西洋の機能主義建築の影響を受けた韓国近代建築の特徴を示しているとのことです。国指定登録文化財第20号。

旧朝興銀行大田支店(구 조흥은행 대전지점:大田広域市 東区 大田路 783 (元洞 51-1)。国指定登録文化財第20号)

 

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「旧朝興銀行大田支店」の隣には大田随一の在来市場、中央市場(チュンアンシジャン)のアーケードが。駅前というロケーションもあってかかなり賑わっている様子。写真3枚目は少し離れたアーケード出口を撮ったもので、何故かKTXではなく新幹線0系(しかも帯が赤い!)が描かれていました。

 

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「旧東洋拓殖会社大田支店」。
1922年築。朝鮮総督府が「土地調査事業」を通じて安値で買い叩いたり文字通り奪ったりした土地の払い下げを受けて朝鮮最大の地主となり、朝鮮人小作農に貸し付けるなどして朝鮮の支配と収奪に積極加担した、悪名高き植民地経営企業「東洋拓殖株式会社」。その大田支店として建てられたのがこちらの建物です。ペディメント(切妻屋根の下にある三角形の部分)を中心としたシンメトリーの建物で、日帝強占期には1932年築の忠清南道庁本館と並ぶ大田の代表的新式建築だったとのこと。光復(日本の敗戦による解放)後は逓信庁や大田電信電話局などに使用され、現在はこの一帯に多く見られるバス・トイレ用品の店舗が入居しています。国指定登録文化財第98号。

旧東洋拓殖会社大田支店(구 동양척식회사 대전지점:大田広域市 東区 大田路 735 (仁洞 74-1)。国指定登録文化財第98号)

 

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大田の中心部を南北に貫流する大田川(テジョンチョン)。
そこにかかる大興橋(テフンギョ)を渡り、東区(トング)から中区(チュング)へ。

 

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「大田大興洞日・洋折衷式家屋」。
1929年ごろ築。元々は大田鉄道局長の官舎で、敷地内は閉鎖されているため見ることはできませんが、内部には「昭和四年五月定礎渡辺」と書かれた定礎石があるそうです。木造建築としてはかなりハイカラなデザインですが、中でも特徴的なのは天に向かって突出した半円形の2階フロアと半円錐形の屋根。その形態から周囲の人々に「ピョジョッチッ」(뾰족집:「とんがり屋根の家」の意)と呼ばれ親しまれてきました。2階のリビングには畳部屋と床の間があるなど、和洋折衷型の住宅建築らしい特徴を残しています。国指定登録文化財第377号。

 

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元々は少し離れた場所にあり、再開発に伴い現在地に移築されたこちらの「ピョジョッチッ」。その移築工事を目前に控えた2010年には再開発組合の不手際により無断で建物が毀損され、一時は骨組みだけの哀れな姿となったことがあります。その後2013年には残った部材などでどうにか復元されたものの、その移築先がモーテル街だったり、さらに2017年にはその土地が競売の対象となったりと、なにかと受難続きの建物です。また復元工事も十分なものではなく、外観も移築前の雰囲気とは若干異なっていたり、室内にはまだ復元が完了していない部分もあるとのこと。上の写真からも分かるように、窓もところどころ欠けていました。
日本人による植民地支配、収奪の一環で建てられたとはいえ、光復後に韓国の方々が大事に保存し愛されてきた「ピョジョッチッ」。一日も早く完全復元が完了し、内部を含め公開されるようになることを願います。

大田大興洞日・洋折衷式家屋(대전 대흥동 일·양 절충식 가옥:大田広域市 中区 文昌路 119-15 (大興洞 37-5)。国指定登録文化財第377号)

 

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「大田国立農産物品質管理院旧忠清支院」。
1958年築。地元・大田地域の建築家の設計により、その名の通り農産物の品質管理を目的として設けられた公的機関の建物です。写真でも分かるようにアーチ型の玄関と壁の外に突出したボックス状の窓枠が特徴的な建物で、農産物品質管理院が他所へ移転した1999年には「大田市の良い建築物40選」に選定され、2008年からは現在の「大田市立美術館大田創作センター」として利用されています。国指定登録文化財第100号。

大田国立農産物品質管理院旧忠清支院(대전 국립농산물품질관리원 구 충청지원:大田広域市 中区 テ鍾路 470 (銀杏洞 161)。国指定登録文化財第100号)


ところで大田に現存する近代鍵築といえば、前述した1932年築の「大田忠清南道庁旧本館」(国指定登録文化財第18号)が特に有名のようですが、こちらは内部も含めゆっくり見学したいという思いがあったため、今回はあえて見送ることといたしました。いずれ必ずや訪れたいと思います。

さらに進んで、大田随一の繁華街である中央路駅周辺へ。大田といえば何と言ってもまずはこの店、というほど有名なパン屋さんがこの街に本店を構えています。

 

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「聖心堂」(ソンシムダン)。
1956年創業のこちらのパン屋さんは、全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市の「李盛堂」(イソンダン)、慶尚北道キョンサンブット)安東(アンドン)市の「マンモス製菓」とともに「韓国3大ベーカリー」と並び称されるほどの超有名店です。本店も立派な建物。店の外に行列ができるほどではないですが、1階の販売スペースは多くの来客でごった返していました。

 

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聖心堂を代表する名物、「ティギムソボロ」(튀김소보로)の像。ティギムとは「揚げ物」のことで、ソボロとは日本語の「そぼろ」から来ています。それにしてもパンの銅像なるものは生まれて初めて目にしました。

 

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今回購入したのは、もうひとつの名物「プチュパン」(부추빵)。プチュとは「ニラ」のことで、写真のようにニラがどっさり入った餡が詰まっていました。事情により購入から時間が経過していましたが、うんまかったです。

「聖心堂本店」は、都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅から徒歩わずか3分(約180m)。次回はティギムソボロも含め、焼きたてパンを食べてみたいです。

聖心堂本店(성심당 본점:大田広域市 中区 テ鍾路480番キル 15 (銀杏洞 145)) [HP]

 

中央路駅からは都市鉄道(地下鉄)1号線で次の目的地へ。初訪問ですので、当然に大田地下鉄の乗車も初めてです。これで韓国6都市の都市鉄道(地下鉄/モノレール/軽電鉄)は部分的であれすべて乗車したことになりました(路線別だと釜山4号線のみ未乗ですが)

 

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大田地下鉄1号線の電車(写真1枚目。こんな写真しかなくてすみません)。光州(クァンジュ)広域市の都市鉄道(地下鉄)1号線の電車(こちらのエントリーにて紹介)の車両にとてもよく似ています。そういえばラインカラーも同じ緑系です。
しかし光州の地下鉄はソウルや釜山と同様に韓日英中による多国語表記が充実していた一方で、ここ大田の地下鉄では駅構内・車内ともに多国語表記をほとんど見ませんでした。見つけられたのはこの後紹介する駅名標にあった駅名の漢字表記くらい。
私はハングルは読めるとはいえ、やはり母語たる日本語表記のほうが理解が早いので、日本語表記には毎度助けられています。ハングルが読めない方であればなおさらでしょう。大田地下鉄には、他の都市同様に日本語を含む多国語表記がより充実することを切に願います(ごく短時間しかローテーション表示されない駅の韓国語表記にまで都度クレームをつける偏狭な人々が山のようにいる社会の構成員としては申し訳ない限りなのですが……)

 

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そしてやって来たのは西区(ソグ)にある「政府庁舎」駅。その名の通り政府関連の建物のほかテレビ局、博物館など文教施設が集中して建つ地域で、大田の副都心的存在となっているようです。

 

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政府庁舎駅から20分あまり歩いて、KBS大田放送局の高層ビル(写真1枚目)の向かいにある、この日の夕食目的のお店「パボコムタン」へ。

 

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   看板メニュー名にもなっている店名の「パボコムタン」とは、正式には「韓牛しか知らないパボコムタン」(한우밖에 모르는 바보곰탕)の略だとか。「パボ」とは「馬鹿」の意。つまり「コムタン馬鹿」を自称するこちらのお店には、「パボコムタン」と並ぶもうひとつの名物料理があります。
その名は「パンチチム」(방치찜)、79,000ウォン(約7,900円:当時)。「パンチ」とはお尻の骨のことをいい、その主役は韓牛1/2頭分にも相当する骨盤肉とコリ(꼬리:テール)。これを錦山(クムサン)産の高麗人参、連山(ヨンサン)産のナツメ、公州(コンジュ)産の栗、瑞山(ソサン)産のニンニク、そして猛烈な辛さで知られる青陽(チョンヤン)唐辛子など忠清道の各地域の特産物と一緒に特製スープで煮込んだのがこのパンチチムで、サジャンニム(ここでは店主の意)が1年以上も研究の末に生み出した同店オリジナル料理だとのことです。
いつもこうしたディナー目的の店では入店時に「お一人ですか?」と尋ねられる度に「食べられますよ」アピールをして料理にありついていますが、今回はなぜか別の店員さんがやって来る度に何度も尋ねられます。そんなにやばい料理なのでしょうか。

 

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そしてやって来た、山盛りの骨付き肉がトレーに満載のパンチチム。
ああ、これはやばい。かつてない緊張感が走ります。

 

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お店の人が骨から丁寧に肉を取り分けてくださり、仕上げの煮込みに入ります。
ただでさえ柔らかいというパンチ付近の肉が、ホロホロになるまで煮込まれます。こうしてじっくり煮込むことでスープに溶け込んだヤンニョム(調味料)がゆっくりと肉に染み込む一方、反対に肉汁がスープに溶け出すという相乗効果があるとのこと。骨付き肉からは実に7種類の味が出てくるとか。

 

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そして待望の「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の声が。たまらず、ぱくり。ああ、予想よりも見た目よりもうんまい。強い牛肉の匂いに「オレいま肉食ってんぞ」という感じがします。錦山産の高麗人参もスープの味が染みてうんまい。手前にあるパンチャン(おかず)のカンジャンプチュ(醤油漬けのニラ)はパンチチムに混ぜてもよいみたいです。
写真にはありませんが、パンチチムには日本のそうめんに似た生のサリ(麺)がついて来て、スープで茹でて食べます。

そうしてなんとかがんばって具とサリは食べつくしましたが、これだけのボリュームだとさすがに残ったスープでの締めは厳しい。こちらのお店にはパンチチムに加え、その肉を食べた後に残る濃厚な牛骨・牛肉ダシのスープにキチョゲ(タイラギ)やタコ、エビ、その他貝など様々な海産物を豪快に放り込んで締めとする「へバンチム」129,000ウォン(約12,900円:当時)もありますが、今回は見送って正解だったと思います。おなかいっぱい……

 

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こちらのお店「パボコムタン」の営業時間は午前10時~午後10時、年中無休。都市鉄道(地下鉄)1号線「政府庁舎」駅3番出口から徒歩だと約23分(約1.5km)。市内バスであれば同出口から徒歩約1分(約150m)の「屯山警察署」(둔산경찰서)バス停から<301> <604> <705>のいずれかの幹線バスに乗車して次の次の「西区保健所」(서구보건소)で下車、徒歩約4分(約260m)で到着できます。なお写真にもあるように、こちらのお店は「パボコムタン」と「万年愛韓牛」(マンニョネハヌ)という店の併設という形態のようで、あちこちで両店名が併記されています(どこまでがパボコムタンでどこからが万年愛韓牛かは分かりません……)

パボコムタン(万年愛韓牛)(바보곰탕(만년애한우):大田広域市 西区 屯山大路117番ギル 95 (万年洞 306))

 

まさに余談ですが、この日食べたパンチチムは次の日の昼過ぎまでずっとお腹に残り、自分でも信じられないことに翌朝などは全く食欲が湧かないほどでした。これはやはり2人以上でつつくべき料理ですね。パンチありすぎだろパンチチム‥‥‥

 

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この日はそのままタクシーでホテルヘ。
その途中、大田川を渡るハンバッ大橋から撮った1枚。とてもいい感じの風景です(写真はいまいちですが……)。

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

 

【2018/01/23追記】
中央市場」に関する記述を挿入しました。また、一部の誤字などを修正しています。

大邱の旅[201706_05] - 大邱が生んだ偉大な歌手を再描写する「金光石タシクリギギル」、そして「北城路練炭プルコギ」

前回のエントリーの続きです。

韓国・大邱(テグ)広域市を巡る旅、2日目(2017年6月10日(土))です。

 

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大邱十味のひとつ「ヌルングクス」の名店「桐谷ハルメソンカルグクス」を出て、近くの「桐谷ネゴリ」(동곡네거리)バス停へ。大邱広域市の西側に隣接する星州(ソンジュ)郡からはるばるやって来た農漁村<250>番バスに乗車し、都市鉄道(地下鉄)2号線「テシル」(대실)駅へ。漢字で書けそうですが表記できない駅名です。写真はテシル駅付近の街並み。前回のエントリーでも紹介した2号線の終点「汶陽」(ムニャン)駅と同じ大邱広域市達城(タルソン)郡多斯邑(タサウプ)内ですが、こちらはかなり都会的な感じです。

 

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30分ほど乗車した後、同線の「慶大病院」(キョンデビョンウォン)駅にて下車。駅の構内には、次の目的地を示す壁画が。

 

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同駅3番出口を出て、大邱を東西に貫通する大通り「達句伐大路」(タルクボルデロ。「達句伐」とは新羅時代の大邱の名称)沿いに東へ向かって7分ほど歩くと、写真のギターを弾く男性の像が右手に現れます。
こちらの人物は、かつて韓国で一世を風靡した大邱出身のシンガーソングライター、金光石(김광석:キム・グァンソク、1964-1996)さん。代表曲のひとつ「二等兵の手紙」(이등병의 편지)と「宛てのない手紙」(부치지 않은 편지)は、日本でも公開された2000年の映画『JSA』(原題『공동경비구역 JSA』:共同警備区域 JSA)でそれぞれ挿入歌・エンディングテーマに用いられましたので、その歌声をご記憶の方もいらっしゃることでしょう。

 

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この像から始まる南北約350mの川沿いの小道は、「金光石タシクリギギル」(김광석다시그리기길:「金光石再描写の道」の意)、あるいは「金光石ギル」(김광석길:「金光石の道」の意)などと呼ばれています。

 

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金光石さんは1964年1月22日、大邱広域市(当時は慶尚北道大邱市)中区大鳳洞(テボンドン)の在来市場「防川市場」(방천시장:パンチョンシジャン)にあった電業社一家の末子として生まれました。1984年、グループ「歌を探す人々」(노래를 찾는 사람들。通称「ノチャッサ」)の一員として歌手デビュー。その後はグループ「動物園」(동물원:トンムロン)を経て、1989年にソロデビューを果たします。それから1995年にかけて発表した6枚のソロアルバム、そして通算1,000回を上回る小劇場でのライブ活動を通じて、韓国を代表する大衆歌手、90年代における韓国モダンフォークの後継者としての地位を不動のものとしました。
そうした人気絶頂の中の1996年1月6日、何の前触れもなく突然、わずか32年弱の人生を自ら終えた金光石さん。老若男女を問わず広く愛されたその人柄と歌の世界を偲んで、出生地である大鳳洞・防川市場のそばを流れる新川(シンチョン)沿いの道をその肖像の壁画で彩り、両端には像を建て、数々のヒットナンバーを流すことでここ大邱が生んだ偉大なフォークシンガーの生涯を「タシクリギ」(再描写)しようとしたのが、こちらの小道「金光石タシクリギギル」です。
現役当時のファンはもちろん、生前の活躍を知らない若い世代もこの小道を数多く訪問するようになり、それら観光客目当てのカフェなども多数立地して、現在では大邱を代表する観光スポットのひとつとなっています。

私にとって「金光石タシクリギギル」の訪問は、前回・2016年秋に続き2度目。しかし、そのときと大きく違うのは、私自身もまた金光石さんの歌を聴くようになったこと。なので前回以上に強い思い入れがあります。

 

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金光石タシクリギギルの壁面には、代表曲のひとつ「二等兵の手紙」を題材にした演劇や、ビデオコンサートと思しきポスターの数々が。

 

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金光石タシクリギギルを彩る壁画の数々。
(壁画の写真に限り、2016年10月に撮影したものを含みます。)

 

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f:id:gashin_shoutan:20180103130822j:plainこれらの壁画は、11組の作家たちが思い思いのテーマ・構図で金光石さんを描いたものです。この道を訪れた人々は、そのひとつひとつに見入っていました。

 

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大型バイクにまたがる金光石さんの壁画。40歳になったら、バイクに乗って世界一周の旅をするのが夢だったといいます。

 

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これら壁画の中でも、個人的にいちばん好きなのがこちらの「ソギネ布車」(석이네 포차:「布車」とは屋台の意)。屋台の主人になった金光石さん。壁画の前には屋台を模した木製のテーブルと椅子が設けられており、誰でも座って記念写真を撮ることができます。

 

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壁画を見て涙が出てきたのは初めての経験でした。

 

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南北に伸びる金光石タシクリギギルの南端にある、ギターを抱えて立つ金光石さんの像。北端(達句伐大路側)の座ってギターを弾く像と同様に、多くの方が像に寄り添っては記念写真を撮っていました。

 

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金光石タシクリギギルの途中には野外音楽堂があり、この日も男性シンガーがギターの弾き語りで金光石さんのナンバーを歌っていました。とてもいい感じで、少しうっとりしてしまいます。休憩を兼ねてしばらく観覧。

「金光石タシクリギギル」へは、都市鉄道(地下鉄)2号線「慶大病院」駅3番出口を出て「達句伐大路」沿いに東へ進み、徒歩約7分(約450m)でギターを弾く像のある入口に到達できます。

金光石タシクリギギル(김광석다시그리기길:大邱広域市 中区 達句伐大路450ギル ー帯)

 

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前述したように、金光石タシクリギギルのすぐ隣には、金光石さんも生まれ育った在来市場「防川市場」が広がっています。1945年の光復(日本の敗戦による解放)後、日本や旧満州中国東北部)などから帰ってきた人々が糊口をしのぐために始めた商売に端を発し、その後6.25(朝鮮戦争)期の避難民の流入により拡大したというこちらの市場は、そばを流れる新川の防築(堤)沿いに発展したことから「防川」の名が付いたとされます。
写真1枚目の市場入口、同2枚目の地図からも分かるように、現在では隣接する「金光石タシクリギギル」と一体化した街づくりがなされています。

 

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飲食店が並ぶ市場の一角を歩いていると、ところどころからギター片手に金光石さんのナンバーを弾き語る歌声が。他地域の在来市場の大半がそうであるように、ここ防川市場もまた衰退の一途にあるとのことでしたが、満席だったり行列が形成された飲食店もいくつか見かけました。「金光石タシクリギギル」との相乗効果で息を吹き返しつつあるのかもしれません。

 

すっかり日も落ちた中、夜の大邱の街を歩いてみたくなり、寄り道をしながら大邱駅そばのホテルヘ帰ることに(後で計算したら3kmくらい歩いていました)。
いったんホテルへ戻り、近くのマート(大型スーパー)で買い物をした後、再び外出。時計はすでに午後11時を回っています。ずいぶん遅くなりましたが、お待ちかねのディナーの時間です。

  

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やって来たのはまたまた北城路(プクソンノ)。今回の旅で3度目の訪問です。今回はこの道を通り抜けた先にある、名物の「北城路練炭プルコギ」の店が密集する場所が目的地です。

 

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そしてやって来た、通称「北城路練炭プルコギ通り」。午前0時近いというのに照明が煌々と点り、まるで不夜城のようです。

 

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それらのお店の中から、今回は事前に調べてきた「テヌンチッ」へ。仮設テントみたいな店内は、午前0時近いにもかかわらず来客でにぎわっています。

 

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豚肉を用いた名物の練炭プルコギは、5,000ウォン(約500円:当時)の「小」から20,000ウォン(約2,000円)の「特大」まで4サイズ。「大」を注文しようとしたところ「一人では無理なので中にしなさい」とのこと。いつもなら大丈夫アピールをしつつ「大」を強行して注文するところですが、今回は「中」10,000ウォンを注文(というのも実は昼過ぎから夕方にかけて食べた2食がまだお腹に残っていたので……)。

 

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そしてやってきた主役の練炭プルコギ。見るからにうまそうです。しかもなかなかの量。
ぱくり。見た目通りにうんまい。豚肉とほどよい甘さのヤンニヨム、そして炭焼き特有の香ばしさが絶妙なハーモニーを奏でています。
練炭プルコギの背後に写っているコーラは、パンチャン(おかず)のカンジャン(醤油)漬けタマネギなどと同じく、練炭プルコギに必ず付いて来るおまけだそうです。

 

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なんと、こちらのウドンも練炭プルコギのおまけ。大邱練炭プルコギ屋さんにはつきものの存在のようです。おいしかったです。
練炭プルコギが結構な量であるうえ、ウドンまで付いてきたので「中」でも満足な食べ応えとなりました。今回ばかりは店員さんの言うことを聞いて正解だったと思います。次回はもっとお腹が空いているときに来店して「大」以上にチャレンジしたいものです。

こちらのお店「テヌンチッ」の営業時間は午後5時~午前4時、不定期休とのこと。都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅4番出口からは徒歩約15分(約980m)同(モノレール)3号線「達城公園」駅4番出口からは徒歩約8分(約510m)で到達できます。

テヌンチッ(태능집:大邱広域市 中区 達城路22ギル 88 (寿昌洞 95-1))

 

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韓国有数の工具店の街、北城路。なんと24時間営業のエ具店もありました。

 

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帰り道に通った大邱駅の構内。ムグンファ号しか止まりませんが、大邱駅は眠りません。

そしてホテルへ戻り、明けて最終日となる3日目・6月11日(日)。
1日1便のティーウェイ航空成田行きは大邱国際空港を午前11時ちょうどに発つため、最終日は観光スポットを巡る時間はありません。なのでこの日の予定は朝食と土産物の購入のみ。

 

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ホテルを出てまず向かったのは、都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅。この駅のすぐそばを通る大通り「国債報償路」(クッチェボサンノ)沿いに、大邱十味の筆頭格「タロクッパ」を招う24時間営業の店がいくつかあるからです。前回の旅ではそれらの中でも元祖とされる「クギルタロクッパ」(こちらのエントリーにて紹介)に入りましたが、今回はその少し西側、ある方におすすめいただいた「校洞(キョドン)タロ食堂」へ。店の前では福岡の豚骨ラーメン店のような食欲をそそる匂いが漂います(タロクッパは牛骨スープですが)。

 

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注文したのはもちろん看板メニューのタロクッパ、7,000ウォン(約700円:当時)。最初からスープに白米が投入された一般的なクッパとは異なり、スープと白米が「タロ」(따로:「別々」の意)で出てくるのでこの名前が付いたとされます。

 

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やって来たタロクッパ
その名の通り白米は別に盛られています。牛骨ダシのガツンとしたコクのあるスープがうんまい。

 

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左横にある赤黒いかたまりは、タロクッパにつきものの「ソンジ」(선지:牛の血を固めたもの)。前回のクギルタロクッパではスープに入った状態で出てきましたが、こちらのお店では別の皿に盛られて出てきました。適宜削ってタロクッパに投入したりそのまま食べたりします。スプーンを入れるときの「パリパリ」とした独特の触感がたまりません。
お店の壁にはソンジの栄養分と効能について書かれたパネルもありました。カルシウム含有量は牛肉の3倍近く、鉄分は6倍以上とのこと。

こちらのお店「校洞タロ食堂」は24時間営業。都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅4番出口からは徒歩約4分(約240m)です。

校洞タロ食堂(교동따로식당:大邱広域市 中区 国際報償路 56 (前洞 27-11))

 

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校洞タロ食堂を出て、今回の旅最後の目的地となるパン屋さん「サムソンパンチッ本店」へ。
1957年創業、日本では「サムソンベーカリー」の名で紹介されることもあるこちらのパン屋さんは、名物の「トンオククスパン」(통옥수수빵:トンオククスとは「丸ごとコーン」の意)で特に知られる名店で、「一度しか食べたことのない者はいない」(一度食べたら誰もが必ずリピートする)と言われるほどやみつきになるという味から「麻薬パン」(마약빵)の異名を持っています。

 

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写真2~3枚目は日本に持ち帰ったトンオククスパン。1枚目の写真にもあるように、つぶつぶコーンがぎっしりと詰まった、ほどよい甘さのコーンペーストが猛烈にうんまいのです。まさしく麻薬パン。トンオククスパンは1個1,600ウォン(約160円:当時)。今回は調子こいて7個も買って帰ってしまいました(ちなみに8個以上の購入だと箱に詰めてもらえるようです)。

こちらのお店「サムソンパンチッ本店」の営業時間は午前8時30分~午後9時、名節(旧正月・秋夕)休み。都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅1番出口からは徒歩約3分(約180m)です。ちなみにソウル・東大門(トンデムン)の「現代シティアウトレットモール東大門店」こちらのエントリーにて紹介)の地下2階など全国各地に支店があり、麻薬パンはこれら支店でも購入できるとのことです。 

サムソンパンチッ本店(삼송빵집 본점:大邱広域市 中区 中央大路 395 (東城路3街 7-6)) [HP]

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そして写真の「郭病院ゴンノ」(곽병원건너)バス停から<급행(急行)1>バスに乗車、大邱国際空港へ移動し、帰国の途に着いたのでした。


2017年6月の大邱の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2017年9月の大田(テジョン)・春川(チュンチョン)・加平(カピョン)・ソウルの旅をお送りします。

 

【おまけ】
大邱の都市鉄道(地下鉄)の駅にはあちこちにコインロッカーが設置されていました。一挙紹介しますので、参考になるようであれば幸いです。  

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都市鉄道(地下鉄)1号線「大邱」駅。

 

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都市鉄道(地下鉄)2号線「パンコゲ」駅。

 

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都市鉄道(地下鉄)1号線「中央路」駅。

 

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都市鉄道(地下鉄)2号線「半月堂」駅。

 

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都市鉄道(地下鉄)2号線「慶大病院」駅。

 

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こちらは都市鉄道ではないですが、KORAIL「大邱」駅。さすがに充実しています。

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