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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

ソウルの旅[201704_06] - 苛烈な日帝支配を記憶する「西大門刑務所歴史館」、そして旅の締めは太白タッカルビ

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

「戦争と女性人権博物館」を出て、たまたま近くのバス停で次の目的地を通るバスを見かけたので、それに飛び乗ります。

 

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着いた西大門 (ソデムン)区の峴底洞(ヒョンジョドン)にある首都圏電鉄(ソウル地下鉄) 3号線の「独立門」(トンニンムン)駅。この駅のそばに、駅名にもなっている写真の「独立門」があります。

朝鮮国では1894年から1896年にかけて内政改革運動「甲午改革」を推進しましたが、結果として国の自主独立を成し遂げることはできませんでした。これを受けて市民たちは、民族の独立と自由のためいかなる干渉も許容しないことを誓い、中国の使臣を迎える施設であった迎恩門(영은문:ヨンウンムン)を破壊。独立協会の主導の下、国王の同意を得てその跡地にパリの凱旋門を模して1898年に建てられた花崗岩製の石門が、こちらの「独立門」です。「ソウル独立門」として国の史跡第32号に指定。元々はここからおよそ70m離れた場所にありましたが、道路工事に伴い1979年に現在地へ移転させられています。
アーチの頂点部にある要石には朝鮮王朝の象徴であった李花(スモモの花)が、またハングルによる「둑립문」(独立門)の文字の両側には太極旗が刻まれています。

 

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手前にある2本の石柱は「迎恩門柱礎」。16世紀、朝鮮の第11代国王・中宗(중종:チュンジョン、1488-1544)の代に建てられた迎恩門の柱礎、すなわち柱を支えた底石であり、独立門建設に先立ち破壊された迎恩門の遺構の中で唯一残されたものです。こちらも「ソウル迎恩門柱礎」として史跡第33号に指定され、1979年には迎恩門とあわせて現在地へ移されています。

ソウル独立門(서울 독립문:ソウル特別市 西大門区 峴底洞 941。史跡第32号(独立門)、同33号(迎恩門柱礎))

 

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独立門から5分ちょっと歩くと、写真の巨大なレンガ壁が見えてまいります。
この高い壁に囲まれた敷地が、もうひとつの目的地である「西大門刑務所歴史館」(ソデムンヒョンムソヨクサグァン)です。

 

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その名の通り、かつての刑務所の施設を保存し博物館として開放しているもので、大韓帝国末期の1908年、朝鮮半島を実質支配していた日本の韓国統監府がこの場所に設置した「京城監獄」がその始まりです。その後、日帝強占期中には西大門監獄(1912)に西大門刑務所(1923)、光復(日本の敗戦による解放)後はソウル刑務所(1945)にソウル矯導所(1961)、ソウル拘置所(1967)といくつもの名称変更を経て、1987年の京畿道(キョンギド)義王(ウィワン)市(当時は始興郡儀旺邑)への移転まで80年近くもの長きにわたり監獄として使用されてきた施設です。現存する建物のうち、獄舎3棟と死刑場は史跡第324号に指定されています。
1919年3月1日に発生した史上最大規模の抗日独立運動、3.1運動(3.1独立運動)の際には一挙に890名の独立志士たちが収監された場所です。また韓国の軍事独裁政権下においては左翼人士とされた労働運動家や民主運動家が多数収監されました。

 

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旧保安課庁舎。1923年築、その後解体された建物を復元したものであり、現在は展示館として使用されています。
この展示館は、日帝強占期において日本の支配に抵抗し、独立運動の最中に投獄され、そして処刑された人々についての展示が主となっています。

 

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日帝強占期に収監された人々の顔写真を含む「受刑記録票」(수형기록표)が壁一面に貼られた部屋。現存するものだけでも5千名あまりに及ぶとのことです。 

 

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「義烈闘争」を説明したパネル。本ブログでも頻繁に登場する「烈士」、また「義士」と「志士」のそれぞれの意味について書かれた一文がありましたので、紹介しておきます。

의사 : 목숨을 바쳐 무력척인 행동으로 적에 대한 거사를 걸행하신 분
열사 : 목숨을 바쳐 맨몸으로 적과 싸워 투쟁하신 분
지사 : 나라와 민족을 위해 헌신하고 적에게 항거하신 분

義士 : 命をなげうって武力的な行動で敵に対し事を決行した方
烈士 : 命をなげうって体ひとつで敵と戦い闘争した方
志士 : 国と民族のため献身して敵に抗った方

 

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展示館地下にある取調室と「拷問室」。日本の官憲に逮捕された独立志士たちは、ここで体を逆さまにぶら下げられ鼻に唐辛子粉や水を注がれだり、あるいは尖らせた木を爪の間に刺すなどのひどい拷問を受けました。

 

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同じく展示館地下にある「壁棺」。その名の通り棺桶を立てたようなこの狭い箱の中に長時間閉じ込めるという拷問が課せられました。2~3日閉じ込められた後には、全身の感覚がほぼ失われたそうです。観覧者向けに解放されており、私も実際に入ってみましたが苦痛としか言いようがありませんでした。

 

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中央舎。放射状に並んだ10~12獄舎の接点に位置し、すべての獄舎内が見渡せる構造であるため、看守の見張り台が設置されていました。

 

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12獄舎に残る「墨房」(먹방:モッパン)と呼ばれる独房。分厚い扉と狭く暗い室内。写真2枚目、独房の奥にある小さな窓のようなものは、収監者にとって唯一の便宜施設であるトイレ。外壁にその排出口があります。これだけ見てもいかに劣悪極まりない環境であるかがよくわかります。

 

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先ほどの「墨房」を含め、12獄舎と11獄舎にある監房のいくつかは解放されており、内部に立ち入ることができます。

現存する獄舎のうち12獄舎と11獄舎には、かつてここに収監されていた労働運動、民主化運動の人士たちを紹介するパネルが並べられており、うち何人かはその関連物品も展示されています。これらのうち何人かを紹介したいと思います。

 

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金槿泰(김근태:キム・グンテ、1947-2011)氏。
学生運動から民主化運動に身を投じ、後に国会議員となった人物です。民主化運動青年連合の初代議長を務めた後の1985年8月、ソウル大民主化推進委員会の背後操縦容疑で連行され、その翌月に「南営洞対共分室」(こちらのエントリーで紹介)で23日間もの過酷な拷問を受けて自白を強要され(金槿泰民青連前議長拷問事件)、その後1987年までここ西大門刑務所(ソウル拘置所)に収監されています。その後は拷問の後遺症に苦しみながらも新千年民主党やヨルリンウリ党民主党などの要職を歴任しつつ国会議員を3期、そして盧武鉉(노무현:ノ・ムヒョン、1946-2009)政権では保健福祉部(日本の省に相当)の長官を務めています。

 

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李小仙(이소선:イ・ソソン、1929-2011)烈士。
1970年に劣悪な労働環境の改善を訴えて焚身(焼身)した全泰壱(전태일:チョン・テイル、1948-1970。写真1枚目下の男性)烈士の母です。息子を失った後はその遺志を継ぎ清渓被服労働組合の結成を指導、その後も自ら労働運動の最前線に飛び込み、ここ西大門刑務所(ソウル拘置所)にも収監。その傍らで労働運動家や指名手配者たちを世話したことから「労働者の母」とも呼ばれています。また1986年には自身と同様に労働運動や民主化運動に散った烈士の遺族の団体である「全国民族民主遺家族協議会」(遺家協)を設立、初代会長を務めています。現在は京畿道南楊州(ナミャンジュ)市の牡丹(モラン)公園の墓地で、息子と並んで永遠の眠りについています。

 

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白基玩(백기완:ペク・キワン、1932-)氏。
在野の民主運動家として長年にわたり活動し、1987年と1992年には大統領選挙にも出馬した人物です(87年は途中で辞退)。1979年のYMCA偽装結婚式事件で逮捕され収監中だった1980年12月、ここ西大門刑務所(ソウル拘置所)の獄中で長編詩『メッピナリ』(묏비나리)を執筆。その後、この詩の一節を借用した歌詞に曲を付けたものが、光州5.18民主化運動で亡くなった尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980)烈士と、その所属したトゥルブル(野火)夜学の創立者である朴琪順(박기순:パク・キスン、1958-1978)烈士の「霊魂結婚式」のために作られ、現在では5.18民主化運動を、そして光州精神を象徴する歌となっている「君のための行進曲」(님을 위한 행진곡 / 임을 위한 행진곡)です。この歌については近いうちに詳しく紹介したいと思います。

 

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ハンセン病舎。
1923年築。ハンセン病患者の受刑者を隔離するため、一般の獄舎から少し離れた小高い丘の上に建てられています。他の獄舎とは異なり、ここには暖房が設置されていました。とはいえこうした隔離を含め、ハンセン病患者たちが受けてきた差別を考えると、この程度では決して厚遇とはいえないでしょう。

 

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追慕碑。
日帝強占期に独立運動に携わり、ここ西大門刑務所で処刑あるいは獄死した先烈たちを称え追悼するための碑です。碑が器の形をしているのは、民族精神と自由、平和を目指した先烈たちの意思をひとつに集め、未来へ羽ばたく原動力とする意味を込めてとのことです。
2015年には日本の鳩山由紀夫元首相がここで死者を悼むための「クンジョル」(큰절:韓国の祭礼における拝礼。男性は両手を合わせて床につき腰を曲げつつ頭を下げ、女性は両手を額に当てて膝をゆっくり折り曲げつつ座り頭を下げる)をし、それが日本では曲解して報道されたことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。日本では政府の要職経験者だと植民地支配の犠牲者を悼むことすら許さない、という事実が改めて示されたのは記憶に新しいところです。

 

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1923年に建てられた死刑場は、この日は改修中のため見ることができませんでした。その近くに立つ写真2枚目の樹木は「慟哭のミルナム」と呼ばれるミルナム(미루나무:ポプラ)の木で、刑執行のため死刑場へ連行される受刑者の悲痛な叫びを見守ってきた存在であることからこの名が付けられました。

 

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「隔壁場」(復元物)。内部が狭く区切られた扇形をしたこちらの施設は、受刑者たちが屋外運動のとき互いに接触できないように設置したものです。

 

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「女獄舎」。
その名の通り女性受刑者専用の獄舎であり、1979年に撤去された建物を2012年に復元、その翌年に女性独立運動家たちの自主独立精神を称える女性独立活動家展示館として開館したものです。

 

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この「女獄舎」には、地下監獄がありました。地下での過酷な収監状況の再現を、ガラスを通じて垣間見ることができます。

 

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この「女獄舎」に収監された女性受刑者の中でもとりわけ知名度が高いのが、写真の柳寛順(유관순 / 류관순:ユ・グァンスン/リュ・グァンスン、1902-1920)烈士です。西大門刑務所に収監された数多くの人物の中で、日本人に最も知られている人物かもしれません。
1919年3月1日に史上最大規模の抗日独立運動である3.1運動(3.1独立運動)が起きると、このとき梨花学堂高等部の1年生だった烈士はソウルでの万歳デモに参加。4月には故郷の忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)アウネでの万歳デモを主導しますが、これを鎮圧した日本の憲兵により両親を殺害され、自身も逮捕されます。その後懲役3年の実刑を受けここ西大門刑務所に収監される中、苛烈な拷問により17歳の若さで獄死。
これらの写真や絵画を柳寛順烈士の顔だとご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、このときは拷問により顔が腫れ上がっており、実際の顔は大きく異なるとされています。

 

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順路の最後、現在はミュージアムショップとなっている建物はかつての炊事場を復元したものであり、当時使用されていた釜が残されています。

以上で紹介した展示物は、ここ「西大門刑務所歴史館」のごく一部にすぎません。
弾圧の最先端の現場たる刑務所という特異な経歴を持つこちらの施設は、日本が足掛け36年にわたる日帝強占期を通じ一貫して行なってきた苛烈な支配の歴史が凝縮されている空間であり、またこれに抵抗し命を落とした独立志士たちの活動を記憶し、追悼する空間でもあります。
日本社会の構成員である以上は決して目を背けることのできない、知っておくべき歴史の展示がここには数限りなくあります。多くの方が、ここを訪れていただくことを切に願います。

  

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西大門刑務所歴史館」の開館時間は、3月~11月は午前9:30~午後6:00(入館は午後5:30まで)、12月~2月は午前9:30~午後5:00(入館は午後4:30まで)。毎週月曜日(公休日の場合はその翌日)、および1月1日・ソルラル(旧正月。旧暦1月1日)・秋夕(チュソク:旧暦8月15日)の当日は休館日です。入館料は大人3,000ウォン(約300円)。施設内は「死刑場」を除き撮影可です。
首都圏電鉄(ソウル地下鉄)3号線「独立門」駅5番出口が最寄りですが、先に紹介した「独立門」を経由する場合は4番出口の方が便利です。とにかく敷地が広いうえ見どころも多いので、時間に余裕を持ってのご訪問(できれば2時間以上)をおすすめします。

西大門刑務所歴史館(서대문형무소역사관:ソウル特別市 西大門区 統一路 251 (?底洞 101)。史跡第324号) [HP]

 

じっくり観覧したため、外に出たのはすでに入館締切時刻の17時半を回っていました。お腹はすっかりペコペコですが、帰りの飛行機が仁川22時半発であることを考えるとあまり余裕はありません。夕食目当ての店へ急がねば。歴史館前の道は大渋滞していたためタクシーは断念し、独立門駅から地下鉄3号線に乗車します。
6号線に乗り継ぎ「望遠」(マンウォン)駅で下車。この駅のそばには人気のタッカンジョン(닭강정:韓国風鶏の唐揚げ)店などがある名物在来市場「望遠市場」(망원시장)がありますが今回は時間がないのでパス。緑のマウルバスに乗って目的のお店へ向かいます。

 

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到着したのは写真のお店「太白クンムルタッカルビ」。その名からも分かる通り、韓国料理の中でも特に大好物のひとつ「太白(テベク)タッカルビ」の専門店です。
日本でも昨今の「チーズタッカルビ」ブームで一躍メジャーとなった春川(チュンチョン)タッカルビが炒め料理であるのに対し、これとは全く異なるクンムル(スープ)ベースの料理である点が太白タッカルビの特徴。ソウル市内で太白式のタッカルビが食べられる店を探し出して2014年春に初めて訪れて以来、今回が4度目となります。とはいうものの1年半ぶりの訪問と間が空いてしまいましたが、男性の店員さんは覚えていてくださいました。うれしい。

 

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注文したのはいつもと同じ、タッカルビの「中」(3人分)、23,000ウォン(約2,300円)。
太白タッカルビの特徴である広い鉄鍋に入った骨付きの鶏モモ肉を、店員さんが目の前でジョキジョキと切ってくださるという。にわかに食欲が高まります。

 

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まずはやわらかく煮込まれたトック(餅)を食べ、続いていよいよメインの鶏肉へ。ああ、久しぶりの味。超うんまい。ほどよい辛さとコクのあるスープと骨付き鶏モモから出たダシが渾然一体となっています。もう箸が止まりません。ビールとの相性も絶妙です。

 

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具材を粗方食べた後は、まずはサリ(麺)を投入。太白タッカルビにはウドンサリと決めています。
本場・太白では注文時にサリの要否と種類を聞かれ、最初から投入された状態で出てきますが(詳しくはこちらのエントリーにて紹介)、こちらでは他の一般的な料理と同様に鍋あとのオプションとなっています。このあたりはソウルの人の好みに合わせたのかもしれません。
鶏のダシが染みたスープで煮込んだウドン、おいしくないわけがありません。

 

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そして締めはやはりポックンパ。韓国海苔とごま油をまぶしたごはんをスープと混ぜて炒めてもらえます。うんまい。底なしに入りそうです。ポックンパを食べるまでかタッカルビです。

 

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こちらのお店「太白クンムルタッカルビ」ですが、実はこの日 (2017年4月15日)の訪問後、同じ望遠洞内の約600m離れた場所へ移転したとのことです。これにより最寄り駅は前述した首都圏電鉄(ソウル地下鉄)6号線「望遠」駅から同「麻浦区庁」(マポグチョン)駅に変わっています。同駅5番出口から徒歩約12分(約770m)
地下鉄6号線に加え同2号線も通る「合井」(ハプチョン)駅からであれば、同駅1番出口を出てすぐの「合井駅」(합정역)バス停より約6分おきにやって来る<마포(麻浦)16>マウルバスに乗って約15分の「弘益幼稚園」(홍익유치원)にて下車、徒歩約2分(約130m)、または同駅6番出口を出てすぐの「合井駅」(합정역)バス停より5~15分おきにやって来る<7011>バスに乗って約12分の「望遠2洞住民センター」 (망원2동주민센터)で下車、徒歩約2分(約150m)。うち<7011>は明洞や市庁などソウルの中心部も通るので、ずいぶん行きやすくなりました。
「太白クンムルタッカルビ」の営業時間は午前11:00~午後11:00、毎月第4火曜日定休。過去4回訪問した私が全力でおすすめしたいお店です。

太白クンムルタッカルビ(태백국물닭갈비:ソウル特別市 麻浦区 パンウルレ路 53 (望遠洞 436-12))


太白タッカルビでお腹いっぱいになった後は仁川国際空港へ行き、来たときと同じビーチで帰国。とはいえこの便の羽田着は終電が出た後ですので、空港内のベンチで夜を明かして自宅へと帰ったのでした。


2017年4月の仁川・ソウルの旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2017年5月の光州の旅をお送りします。

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