かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

太白の旅[その6] - 天然記念物にも指定された岩を穿つ川、朝鮮戦争に志願した幼き兵士たちを記憶する「太白中学徒兵記念館」

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

鉄岩駅から乗車した4番バスを、銅店(トンジョム)洞の「求門沼」バス停で下車。ここから4番バスの進行方向にちょっと歩くと、右手に「求門沼」(クムンソ)が現れます。 

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この「求門沼」とは、洛東江の上流である黄池川が巨大な岩を穿って、向こうの鉄岩川と合流した地点に生じた沼であり、約1億5千万年~3億年前にできたと推定されています。周囲の地層を含め「太白求門沼前期古生代地層および河食地形」として韓国の天然記念物第417号に指定。高さ20~30m、幅30m前後にも及ぶその雄大な姿に、思わず「すげぇ……」の声が漏れます。
バスの車窓からも十分に見えますが(4番バスは進行方向右側)、できれば下車してゆっくり堪能いただくことをおすすめします。

 

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向かって左側の穴は天然ではなく、1930年代に日本が開けたもので、現在は一方通行のトンネルとして利用されています(4番バスもここを通ります)。このトンネルの向こうには、周囲の古生代地層から発掘された化石などを展示する「太白古生代自然史博物館」がありますが、今回は時間の都合でパス。いつか訪問したいものです。

求門沼(구문소:江原道太白市銅店洞498-123。天然記念物第417号)

 

三たび4番バスに乗り、今度は長省(チャンソン)洞にある「太白中学校」バス停で下車。文字通り太白中学校の最寄りのバス停であるほか、さまざまな災害の仮想体験を通じて災害対策を楽しみつつ学べる施設「365セーフタウン」もすぐ近くにありますが、さすがに大人一人では行きづらいのでこちらもパス。ちなみにこちらも黄池ヨンモッ同様「太白山雪祭り」のサブ会場となっていました。

 

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正門を抜けて太白中学校の校内へ。さて今回、何の変哲もない中学校を訪問したのには理由があります。

1950年6月25日の朝鮮人民軍の南侵により勃発したことから、韓国では「6.25」(ユギオ)とも呼ばれる朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と表記)。
国連軍の参戦、そして仁川上陸作戦により勢力を盛り返した韓国軍は、一時は中朝国境手前まで迫ったものの、中国人民志願軍の加勢により人民軍が再び攻勢を開始、翌年(1951年) 1月4日には再びソウルが占領されました(1.4後退)。これに危機感を抱いた太白中学校の十代後半の生徒たちが、このとき慶尚北道奉化(ポンファ)郡春陽(チュニャン)に駐留中だった陸軍3師団23連隊を訪問、入隊を志願します。年齢や身長を偽ってまで志願するその思いに心を打たれた連隊長のはからいにより、同月9日に引率教師1名と生徒127の連隊への入隊が許可されます。入隊当初は戦闘服ではなく学生服姿で戦った彼らは、半島内を転戦し功績を挙げつつ2年半後の休戦まで戦い続けますが、その中で18名の生徒が帰らぬ人となりました。
(以上、太白中学校HPの記述などを参考にしています) 

 

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こうした史実を記録し127名の学徒兵たちを顕彰するとともに、戦死した18名を慰霊する目的で建てられたのが、今回訪れたここ太白中学校の校庭に建つ「太白中学徒兵記念館」です。
いろいろと検索したのですが、こちらの記念館を日本語で紹介したサイトは (訪問当日の私のツイートを除いて)見つからなかったので、本ブログが初の日本語での紹介となるかもしれません。
常時公開されているとのことでしたが、玄関にはなぜか施錠が。校舎の事務室へ行き職員の方に事情を話したところ、すぐに鍵を開けてもらえました。

 

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それからしばらくは館内に一人残され、自分で照明を点灯・消灯しつつ館内を観覧するという珍しい体験をしていた中、一人のご老人が。86歳というその男性はなんと、127名の学徒兵の一人であるとのこと(帰国後に知ったのですが、生還した学徒兵たちによる組織「花白(ファベク)会」の会長でもある方のようです)。

 

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かつて学徒兵として志願し、現在の「花白会」を構成する太白中学校の男子生徒たちの顔写真。この日案内してくださった方の幼き日の写真もありました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170314223353j:plain太白中学校の生徒を陸軍3師団23連隊の駐屯地まで引率し、自らも志願兵となった数学教師、朴孝七(박효칠:パク・ヒョチル)氏。1975年没。

 

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太白中学校の生徒たちが奉化郡春陽に駐留中の陸軍3師団23連隊を訪問し、学徒兵として志願する様子を再現したジオラマ

 

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太白中学校の学徒兵たちの進軍経路。太白→春陽(チュニャン:入隊)→碌田(ノクチョン)→寧越(ヨンウォル)→原州(ウォンジュ)→新林 (シルリム)→平昌(ピョンチャン)→珍富(チンプ)→麟蹄上畓(インジェサンタプ)→ヨラン→臨渓(イムゲ)→江陵(カンヌン)→ 襄陽(ヤンヤン)→束草(ソクチョ)→巨津(コジン)214高地→加七峰(カチルボン)→金化(クムファ:休戦)の順に示されています。

 

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加七峰(가칠봉:カチルボン。江原道楊口郡)での戦闘を再現したジオラマ

 

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朝鮮戦争当時、実際に使用された兵器や装備。

 

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f:id:gashin_shoutan:20170314225751j:plain記念館の隣には「忠魂塔」が建立されています。周りを取り囲む兵士の人形は戦死した18名を模したもので、その足元には戦没地が記された小さな石碑が添えられています。毎年6月1日には、花白会の方々による追慕会がこの碑の前で催されているのことです。

 

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忠魂塔の礎石には、教師の朴孝七氏と全127名の学徒兵の名前が漢字で記されています。

 

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忠魂塔の左右には、迷彩模様の装甲車が。展示用とはいえ実物の装甲車が校庭に常設されている中学校は全世界でも珍しいのではないでしょうか。


以上の展示物の写真を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「太白中学徒兵記念館」は学徒兵を送り出した事実を記憶しつつも、戦死者18名を含む127名の学徒兵たちの顕彰がメインであり、その意味で韓国(国連軍)側の視点にのみ立った施設です(これは韓国では仕方ないことですが)。
また武功を称える展示物のほか、玄関ロビーには軍のパンフレットが置かれているなど、決して反戦をテーマにした施設ではなく、その点では私の立場と異なる施設といえます。
しかし、朝鮮戦争が志願の形とはいえ少年たちを戦場に送らねばならなかった戦争であり、他方で間接的ではあれ日本も加担し特需を享受した戦争だという現実とは、向き合わなければなりません。加えて、南北分断の原因となった植民地支配の清算や被害者たちへの満足な謝罪はおろかその事実すら否認し、被害者たちを踏みにじる言説までもがまかり通る社会の一構成員である以上、なおさらその悲劇や被害という事実から目をそらすことは許されないとの考えから、今回の訪問を決意した次第です。

こちらの「太白中学徒兵記念館」の開館時間は9:00~15:00、土日など学休日は閉館とのこと。入場無料。市内バスは1番・4番ともに「太白中学校」バス停にて下車、太白中学校の正門を抜けてまっすぐ歩いた場所にあります。
太白中学徒兵記念館(태백중학도병기념관:江原道太白市長省路265 (長省洞109-3))


ひとつひとつの展示を懇切丁寧に説明いただいたうえ、私が日本から来た旨を伝えるとハグまでしてくださった86歳の元学徒兵の男性。この後訪問予定の場所を私に尋ねると、なんとそこまで車で送ってくださるという話に。ご厚意に甘える形となりました。
こちらの男性にはせっかく丁寧な案内をいただいたのに、私のヒアリング能力の低さのせいで、その大半を聞き取ることができませんでした。心から申し訳なく思うとともに、ただただ反省するばかりです。
こうした人の思いを無に帰することのないよう、もっともっと韓国語を学ばなければ。


太白の旅はあと1回だけ続きますが、続きは次のエントリーで紹介することとして、今回はおまけとして太白の旅の簡単なTipsみたいなものを添えておきます。

ここ江原道太白市は、人口5万人弱とは思えないほどの本数の市内バスが運行しています。中でも一連の旅レポでも頻繁に登場する4番バス(時計回り)、および1番バス(反時計回り)の両系統は太白市外バスターミナルと市内の要所要所を結ぶ循環線であり、それぞれ1日に60本以上も運行されています(およそ15~30分間隔) 。
両系統の場合、バスの車両は一般と座席の2種類があり、ほぼ交互にやって来ます(たぶん両方とも乗っているのですがいまいち違いが分かりません……)。運賃は距離にかかわらず均一で、1,200ウォン(一般)または1,500ウォン(座席) 。交通カード使用時はともに10%割引。ソウルで入手した「CITYPASS」も利用できました。

 

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参考までに、太白市外バスターミナルにあった時刻表の写真を添えておきます(2017年1月22日時点)。向かって左、上に「장성, 철암방면」(長省、鉄岩方面)とあるうち一番左の長い列が1番バス(反時計回り)、右の「통리, 철암방면」(桶里、鉄岩方面)とある長い列が4番バスです。
太白の市内バスは何故かどの車両も正面上部の運行表示板は使用せず、前面ウィンドウの向かって左側に、系統番号と主な経由地を示すボートを立て掛けているのですぐ分かります。

 

f:id:gashin_shoutan:20170315000711j:plain太白市内バス・1番バス(反時計回り)の路線図と、主なバス停です(カッコ内は最寄りの観光名所)。

 

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こちらは今回の旅で私が何度も利用した、太白市内バス・4番バス(時計回り)の路線図と主なバス停です(カッコ内は最寄りの観光名所)。

 

時間に制約のある方は、シティツアーバスを利用されるのもよいでしょう。
太白市では、次の2便のシティツアーバスが運行されています(時刻は到着予定時刻)。ともに料金は大人1名6,000ウォン(約600円:施設利用料や飲食費は含まず)。いずれも太白駅前を午前10時に発ち、倹龍沼・鉄岩炭鉱歴史村・求門沼をコースに含みます。太白の主だったみどころを効率的に巡りたい方にはおすすめです。
ただし、前日14時時点で予約が7名に満たない場合は催行中止なので要注意。
上記のリンク先(太白市庁HP)は昨年(2016年)の情報のまま更新されておりませんが、こちらのニュースによると本年も運行されているようです。

●サンタラムルタラ(산따라물따라:山伝い水伝い)コース[原則毎日運行]
太白駅(観光案内所前)10:00⇒求門沼・古生代自然史博物館10:20⇒鉄岩駅11:40⇒鉄岩炭鉱歴史村11:45⇒黄池自由市場(昼食)12:00⇒倹龍沼13:30⇒龍淵洞窟15:00⇒太白駅(降車)17:00⇒鉄岩駅(降車)17:30

●桶里五日市(통리5일장)コース[毎月5・15・25日のみ運行]
太白駅(観光案内所前)10:00⇒倹龍沼10:30⇒桶里五日市12:00⇒ドラマ(太陽の末裔)撮影場13:40⇒鉄岩炭鉱歴史村14:20⇒求門沼15:10⇒365セーフタウン16:30⇒太白駅(降車)17:30

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

太白の旅[その5] - ソウルを貫く漢江の源流に慰霊塔、往時の石炭産業全盛期を記憶し保存する「鉄岩炭鉱歴史村」

前回のエントリーの続きです。

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f:id:gashin_shoutan:20170227220628j:plain日付は変わって1月23日 (月)。
この日はまる一日かけて、太白市内のみどころをめぐる予定です。なのでちょっと早起き。
まだ日の出前の午前7時、空にはぽっかりお月様。正面に見える山はちょうど太白市の真ん中に位置する、蓮花山(ヨンファサン:1,172m)。この山の地中深くにはKorail嶺東線のループトンネル(ソラントンネル)が一周しています。

 

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外は昨夜に輪をかけて寒いです。太白駅前にある温度計は、なんとマイナス15~16℃。そりゃ寒いよ。

 

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太白駅前に24時間営業の食堂を見つけて、まずは腹ごしらえ。注文したのは写真のテジクッパ。おいしかったです。

 

この日最初の目的地は、太白駅から北東の方角、金台峰(クムデボン: 1,418m)の山裾にある「倹龍沼」(검룡소:コムニョンソ)。この倹龍沼こそが、大都市ソウルを東西に貫流しはるか西海(黄海)へと注ぐ、あの漢江の発源地なのです。
ここ太白市には倹龍沼に加え、前回のエントリーでも紹介したように遠く釜山へと流れる洛東江の発源地である「黄池ヨンモッ」も存在します。つまり韓国を代表する2大河川の発源地をともに擁するわけですね。なんと贅沢な。

さて問題は、ここへ行く手段が限られていること。
倹龍沼の1.5km手前にある駐車場までは太白市外バスターミナルから市内バス(13番)が出ていますが、何故か早朝6時台の1本のみ。しかも駐車場発の帰りの便は17時台までないため、もっと早く戻るには次に近い「アン蒼竹入口」バス停まで5km以上も歩かなければなりません。
そんなわけで今回の手段は往復ともタクシーに決定。とはいえ山の中の駐車場で帰りのタクシーを拾えるはずがないので、徒歩で倹龍沼へ行って帰る間は駐車場で待機してもらうこととします。そこでまずは駅前に停まっているタクシーの運転手さんと値段交渉。なんとか3台目で、妥当だと思える往復3万ウォン(約3,000円)でOKのキサニム(韓国での運転手さんの敬称)に出会いました。

 

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倹龍沼駐車場。路線バスを含む車両の乗り入れはここまでです。

 

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駐車場から倹龍沼へ向かう渓谷道。予想はしていましたが大雪渓です。
深い山の中であるうえ、ただでさえ標高の高い市街地(海抜680m前後)からさらに200mほど高い場所にあるからか、市街地よりさらに寒い。当日はダウン2枚を含む5枚の重ね着のうえ歩き通しだったので体はどうにか温かいものの、むき出しの顔が痛い。手袋も二重でないとすぐに感覚がなくなるという。おそらくマイナス20℃前後だったのではないでしょうか。バッグの中のペットボトルのホッケ茶も部分的に凍ってました。

 

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そんな中を20分程度歩いて、ようやく目的地の倹龍沼に到着。

 

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倹龍沼。1日あたり2,000トンの伏流水が湧く泉です。全長514kmもの大河、漢江はここから始まります。

 

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倹龍沼から湧き出た水流はすぐに小さな滝を形成し、その下で折れ曲がっています。この水流沿いにある侵食された岩の数々は、遠い昔に西海に棲息する大蛇が龍になろうとして漢江を遡り、ようやく到着したこの場所で龍になるための修行の中もがいた結果生まれた、という伝説があるとのこと。韓国の名勝73号にも指定されています。

 

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環境保全のため、倹龍沼から湧き出る水に直接触れることはできません。すぐそばに木製のデッキが設けられ、ここから全体が眺められます。

倹龍沼(검룡소:江原道太白市蒼竹洞山1-1。名勝73号)

 

f:id:gashin_shoutan:20170227221215j:plain荒涼とした冬の山。1948年の麗順事件直後から朝鮮戦争期まで、深い山の中を根城に抗戦したパルチザンたちも、冬はこのような山々を歩いていたのでしょうか。

 

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凍結した路面のため転んだりしながら、再び雪道を20分かけて駐車場へ。遠くに見える風車は梅峰山(メボンサン)風力発電団地。絵になります。

この倹龍沼、実は太白駅前から発着する1日1便のシティツアーバスのコースに含まれており、こちらを利用すればタクシーよりもずっと安く(約600円)訪問することが可能です。ただし予約状況次第では催行中止となる可能性があったことと、コース外でどうしても訪問したかった場所があったため、今回は断念しました。
駐車場で待機してもらったタクシーで再び市街地へ。太白駅前を出て以来タクシーのメーターはずっと動いており、自由市場の入口で降車したときの金額はだいたい3万ウォン台後半くらい。3万ウォンで合意したのはまあ正解だったといえるでしょう。

 

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前日の夜にも訪れた、太白随一の在来市場、自由市場。海鮮市場は早くも活気にあふれています。

 

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自由市場のすぐそばを流れる黄池川べりの柵に、ホンオ(ガンギエイ)の一夜干しが。遠くから見たときは、なにかのオブジェかと思いました。

 

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自由市場から歩いて10分弱、黄池川にかかる橋を渡った先の小高い丘の上に、写真の塔が建っています。
この塔こそが、かつて太白の発展の原動力であった石炭産業の最前線たる炭鉱において、落盤や粉塵爆発などの事故により殉職した鉱山労働者「産業戦士」を慰霊するために建てられた「産業戦士慰霊塔」(산업전사위령탑)です。
高さ17m、1975年建立。塔銘の揮毫は、その4年後に暗殺された朴正煕元大統領によるものです。

 

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塔の裏手には、太白を含む江原地域で殉職した4,000位あまりの産業戦士たちの位牌を納める「位牌安置所」があります。

 

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毎年10月2日には、塔の広場で慰霊祭が開催されます。この前日に訪れた「太白石炭博物館」に、その様子を再現したジオラマがありました。

 

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塔は当時の三陟郡黄池邑、現在の太白市黄池洞の市街地を見下ろす丘の上に建てられました。反対に市街地側からもこの塔がよく見えます。炭鉱の閉山により人口が最盛期の半分以下にまで減少しつつも、繁栄を維持し続ける太白の街を見守るかのようです。

産業戦士慰霊塔(산업전사위령탑:江原道太白市江原南部路13(黄池洞3-3))

 

産業戦士慰霊塔から近い「パラムブリ」バス停より、4番の市内バスに乗車。この日はこれから、市内を時計回りに走る4番バスの路線に沿って点在する太白のみどころを巡る旅となります。
末尾5の日に開かれる「桶里五日市」や、前日にタッカルグクスを食べた「ハン書房カルグクス」の最寄りでもある「桶里」バス停を通り過ぎ、鉄岩(チョラム)洞の「鉄岩市場」バス停にて下車。ここにあるのが「鉄岩炭鉱歴史村」(철암탄광역사촌)です。

 

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1960-80年代の石炭産業が栄華を極めた時期に発展し、最盛期には鉄岩地区だけで5万人もの人ロを誇りながらも、90年代以降の相次ぐ閉山により寂れてしまった鉄岩駅前の商店街。建物の外見はその往年の姿を残しつつ、空き家となった内部には炭鉱村・鉄岩の歴史を記憶するギャラリーを設置し、2014年に再オープンした場所です。

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炭鉱で使用されていたであろうトロッコを「鉄岩炭鉱歴史村」の看板にそのまま再利用。

 

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かつて炭鉱労働者たちで賑わった当時の哀歓が漂う、店先の風景。たまらないです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170227223139j:plainある建物の内部。外見からは想像もつかない、映像コンテンツを上映する空間もありました。

 

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 ある建物の内部。殉職した鉱夫たちの名前を刻み、記憶するためのモニュメント。

 

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ある建物の内部。炭鉱住宅や、鉱夫たちの日常風景が実物大で再現されています。

 

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一部の建物は、かつての居住空間だった店舗の裏側や階下の空き部屋が開放されています。ところどころ鉄パイプで補強されています。

 

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11棟が現在も残る鉄岩炭鉱歴史村の建物の特徴は、裏を流れる鉄岩川の上に張り出した「カチバル建物」であること。全国各地から高待遇の鉱夫の職を求める人々が集まり、急増する人口に対し不足していた居住面積を補うため、このようなカチバル(까치발:カササギ(鳥)の足の意。ここでは建物を支えるブラケットのこと) で支えられる特異な建築様式になったとのことです。

 

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鉄岩川を挟んだ「カチバル建物」の撮影ポイントには数体の鉱夫たちの像が。そのうちひとつ、赤ちゃんをおぶって手を振る川向こうの奥さん(の像)に右手を上げて応える鉱夫の像。左手には弁当箱を提げています。「マクチャン」と呼ばれた坑道での過酷な労働と、炭鉱住宅での家族との暮らしという鉱夫の2つの日常をつなぐ象徴的なアイテムとして、太白ではこの「弁当箱」をよく目にします。

写真はありませんが、この鉄岩炭鉱歴史村には現在も営業している飲食店が2店舗ほどあり、そのうちひとつでは5,000ウォン(約500円)のランチビュッフェを提供。この日の昼食となりました。
すぐ近くには、「迷路壁画マウル」(미로벽화마을)と呼ばれる小さな壁画村もあります。今回は行きませんでしたが(忘れてました(^_^;)、いつか鉄岩炭鉱歴史村の再訪がかなうならば、あわせて訪れたいものです。

鉄岩炭鉱歴史村(철암탄광역사촌:江原道太白市東太白路402~同414-1(鉄岩洞403-59~同366-20)一帯)

 

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鉄岩炭鉱歴史村のある建物の屋上には、Korail嶺東線・鉄岩駅に併設された「鉄岩駅頭選炭施設」(철암역두선탄시설)を一望できる展望台が設けられています。
この「鉄岩駅頭選炭施設」は、日帝強占期の1935年に開発が始まった三陟炭鉱で採掘された無煙炭を用途ごとに選別・加工し、列車で運搬するための施設として設置されたもので、三陟炭鉱をはじめ江原地域で産出した石炭がここに集められ全国各地へと輸送されてゆきました。現在も江原道にはわずかながら採掘が続いている炭鉱があり、ここもまた現在も稼動しているため立ち入ることはできませんが、鉄岩炭鉱歴史村の展望台からはその全容を眺めることができます。2002年、登録文化財第21号に指定。

鉄岩駅頭選炭施設(철암역두선탄시설:江原道太白市東太白路389(鉄岩洞370-1)。登録文化財第21号)

 

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Korail鉄岩駅にも立ち寄ってみました。1940年8月開業。現在の市の代表駅である太白駅よりも立派な駅舎ですが階上に商業施設はありません。1985年に落成したこの堂々たる駅ビルが、往時の鉄岩の繁栄ぶりを物語っています。 

 

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広々とした待合室。石炭産業で発展した街の玄関であり、いまも選炭施設を擁する駅らしく、室内には大きな石炭のかたまりが展示されています。残念ながらコインロッカーはありませんでした。

 

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この鉄岩駅からは、中部内陸循環列車「O-Train」(ソウル行)と白頭大幹峡谷列車「V-Train」(汾川行)が発着しています。乗降客減により一時は乗車券の窓口販売が休止された同駅ですが、これらの観光列車が運行をスタートした2013年に再開されています。

 

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鉄岩駅とその周辺は映画『인정사정 볼 것 없다』(邦題『NOWHERE ノーウェアー』)のロケ地となった場所であり、中でもアン・ソンギ、パク・チュンフンの両氏が雨の中を殴り合ったシーンの撮影地として知られているようです。

 

駅前にある「鉄岩駅」バス停から再び4番バスに乗り、次の目的地へと向かいます。
続きは次のエントリーにて。

太白の旅[その4] - 夜の雪祭りと洛東江の発源地、そして太白といえばあのうんまい鶏料理

まず本題に先立ち、前回のエントリーにおいて 「太白石炭博物館」へのアクセスに関する説明を失念しておりましたので、本エントリー公開とあわせて追記しております。ご訪問に際しての参考になるようであれば幸いです。

 

それでは、前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

閉館時刻の18時を過ぎ太白石炭博物館から出ると、あたりはすっかり暗くなっています。そして驚いたことに、入館した時点ではあれほど賑わっていた雪祭り会場に人がほとんどいません。どうやら中心部・黄池洞へ向かう無料シャトルバスの最終便が18時に出発した後らしく、祭りは終わってしまったようです。
テントの中にあり、来たときは多くの来客でごった返していた飲食店舗もすべて閉まっています。過去に春川や筏橋などで参加した祭りのように、会場内の飲食店は深夜まで営業するものと思っていたので、ちょっと拍子抜け……まあこちらは市街地から離れた会場なので仕方ないかもです。

 

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祭りは終わったとはいえ、雪像群は七色の光でライトアップされているので、次の市内バスが来るまでしばし鑑賞。幻想的な趣がありますね。他方で重機による雪像の撤去(破壊)作業はすでに始まっており、祭りの後のさみしさをかみしめつつ。

 

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往路と同じ7番の市内バスに乗り、終点・太白市外バスターミナルの3つ手前の「自由市場」(자유시장)バス停で下車。ここはその名の示す通り、太白随一の在来市場である「自由市場」(자유시장:チャユシジャン)のそばであるほか、韓国を代表する大河のひとつ洛東江(낙동강:ナクトンガン)の発源地である池「黄池ヨンモッ」(황지연못)の最寄りのバス停でもあります。この黄池ヨンモッから1日約5,000トンもの水が湧き出し、遠く1,300里(約520㎞。韓国の1里は約400m)離れた釜山へと流れているのです。

黄池ヨンモッ(황지연못:江原道太白市黄池洞623)

 

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この黄池ヨンモッを取り囲む公園も「太白山雪祭り」のサブ会場であり、公園全体がイルミネーションで美しく飾られています。

 

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メイン会場のタンゴル広場より少ないとはいえ、ここ黄池ヨンモッにも十数体の雪像が設置されています。石炭産業で栄えた太白らしく、鉱夫をモチーフにした雪像もありました。

 

イルミネーションで心を満たした後は、いよいよお腹を満たす番です。
太白での夕食といえば、やはりこの地を代表する郷土料理であり、私も大好きな「太白タッカルビ」。同じ江原道でも春川市の名物であり、日本で一般にタッカルビと呼ばれる炒め料理の「春川タッカルビ」(こちらも大好き)とは全く異なる、スープで煮立てる料理であり、韓国では「ムル(水、汁)タッカルビ」とも呼ばれています。
一説によると、過酷な環境下での労働のため喉に炭塵がこびりついた鉱夫が飲み込みやすいよう、春川とは異なるスープベースの料理として発展したものだということのようです。

 

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今回は黄池ヨンモッから徒歩3~4分程度の場所にあり、本場の太白でも2大名店のひとつに数えられる「金書房(キムソバン)ネタッカルビ」(김서방네닭갈비)へ。

 

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主役の鶏肉に加え、スッカッ(シュンギク)とミナリ(セリ)、白菜、長ネギ、ジャガイモ、そしてトックが入ります。太白タッカルビのもうひとつの特徴は、ウドンやラミョン(ラーメン)、チョルミョンなどのサリ(麺)を最初から投入し、鶏肉より先に食べること。どのサリにするか注文時に聞かれるので最初はちょっと焦りました。こちらも一説では、坑道での重労働でお腹をすかせた鉱夫たちが、肉に火が通るのを待たずしてお腹を満たせるよう、このスタイルになったとされています。私はウドンサリを選択。

 

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そしてお待ちかねの実食。昨春の訪問の際に食べた別の店のタッカルビよりも辛めですが、コクのある味で、うんまい。

もちろん具をあらかた食べた後にはご飯を投入し、締めのポックンパ。これまたうんまい。

 

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加えて、タッカルビ1人分で6,000ウォンというリーズナブルさもたまりません。タッカルビ2人分&ウドンサリ&ポックンパ&ビール3本で、24,000ウォン(約2,400円)でした。心もお腹も懐もぽかぽか。

「金書房ネタッカルビ」の営業時間は11:00~22:00(ラストオーダー20:30)、定休日なし(名節(旧正月、秋夕)は休業かも)。太白駅や太白市外バスターミナルからは徒歩12~3分の距離ですので、歩いたほうが早いです。

金書房ネタッカルビ(김서방네닭갈비:江原道太白市市場南1ギル7-11(黄池洞30-171))

 

余談ですが 、偶然にもこちらの「金書房ネタッカルビ」と、タッカルグクスがおいしかったこの日の昼食の「ハン書房カルグクス」は、ともに「書房」(ソバン:서방)という語が店名に含まれています。この「書房」とは日本でいう本屋さんの意味ではなく、かつて朝鮮で官職のない人や婿などを呼ぶ際に姓の後につけた語だそうです。したがって「金書房ネタッカルビ」は「金さんちのタッカルビ」くらいの解釈でよいみたいですね。

 

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帰り道。私も愛用している「モンベル」のショップがここ太白にもありました。このほかにもアウトドア用品の店がメインストリートの黄池路沿いに軒を連ねています。人口こそ5万人足らずの街ですが、太白山に代表される1,000m級の山々に囲まれ、登山の拠点となる土地だからこそ成り立っているのかもしれません。

 

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先ほどの自由市場にも寄ってみました。さすがに20時過ぎなのでほとんどの店は閉まっていますが、いくつかのお店はまだまだ営業中。韓国の在来市場大好き。

 

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帰りがけの道すがらにあった「黄池教会」。ここもイルミネーションがきれいです。

 

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いよいよ冷え込んできた夜の太白の街を歩いて宿へと戻り、明日に備えて眠りにつくのでした……

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