かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

太白の旅[その6] - 天然記念物にも指定された岩を穿つ川、朝鮮戦争に志願した幼き兵士たちを記憶する「太白中学徒兵記念館」

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

鉄岩駅から乗車した4番バスを、銅店(トンジョム)洞の「求門沼」バス停で下車。ここから4番バスの進行方向にちょっと歩くと、右手に「求門沼」(クムンソ)が現れます。 

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この「求門沼」とは、洛東江の上流である黄池川が巨大な岩を穿って、向こうの鉄岩川と合流した地点に生じた沼であり、約1億5千万年~3億年前にできたと推定されています。周囲の地層を含め「太白求門沼前期古生代地層および河食地形」として韓国の天然記念物第417号に指定。高さ20~30m、幅30m前後にも及ぶその雄大な姿に、思わず「すげぇ……」の声が漏れます。
バスの車窓からも十分に見えますが(4番バスは進行方向右側)、できれば下車してゆっくり堪能いただくことをおすすめします。

 

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向かって左側の穴は天然ではなく、1930年代に日本が開けたもので、現在は一方通行のトンネルとして利用されています(4番バスもここを通ります)。このトンネルの向こうには、周囲の古生代地層から発掘された化石などを展示する「太白古生代自然史博物館」がありますが、今回は時間の都合でパス。いつか訪問したいものです。

求門沼(구문소:江原道太白市銅店洞498-123。天然記念物第417号)

 

三たび4番バスに乗り、今度は長省(チャンソン)洞にある「太白中学校」バス停で下車。文字通り太白中学校の最寄りのバス停であるほか、さまざまな災害の仮想体験を通じて災害対策を楽しみつつ学べる施設「365セーフタウン」もすぐ近くにありますが、さすがに大人一人では行きづらいのでこちらもパス。ちなみにこちらも黄池ヨンモッ同様「太白山雪祭り」のサブ会場となっていました。

 

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正門を抜けて太白中学校の校内へ。さて今回、何の変哲もない中学校を訪問したのには理由があります。

1950年6月25日の朝鮮人民軍の南侵により勃発したことから、韓国では「6.25」(ユギオ)とも呼ばれる朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と表記)。
国連軍の参戦、そして仁川上陸作戦により勢力を盛り返した韓国軍は、一時は中朝国境手前まで迫ったものの、中国人民志願軍の加勢により人民軍が再び攻勢を開始、翌年(1951年) 1月4日には再びソウルが占領されました(1.4後退)。これに危機感を抱いた太白中学校の十代後半の生徒たちが、このとき慶尚北道奉化(ポンファ)郡春陽(チュニャン)に駐留中だった陸軍3師団23連隊を訪問、入隊を志願します。年齢や身長を偽ってまで志願するその思いに心を打たれた連隊長のはからいにより、同月9日に引率教師1名と生徒127の連隊への入隊が許可されます。入隊当初は戦闘服ではなく学生服姿で戦った彼らは、半島内を転戦し功績を挙げつつ2年半後の休戦まで戦い続けますが、その中で18名の生徒が帰らぬ人となりました。
(以上、太白中学校HPの記述などを参考にしています) 

 

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こうした史実を記録し127名の学徒兵たちを顕彰するとともに、戦死した18名を慰霊する目的で建てられたのが、今回訪れたここ太白中学校の校庭に建つ「太白中学徒兵記念館」です。
いろいろと検索したのですが、こちらの記念館を日本語で紹介したサイトは (訪問当日の私のツイートを除いて)見つからなかったので、本ブログが初の日本語での紹介となるかもしれません。
常時公開されているとのことでしたが、玄関にはなぜか施錠が。校舎の事務室へ行き職員の方に事情を話したところ、すぐに鍵を開けてもらえました。

 

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それからしばらくは館内に一人残され、自分で照明を点灯・消灯しつつ館内を観覧するという珍しい体験をしていた中、一人のご老人が。86歳というその男性はなんと、127名の学徒兵の一人であるとのこと(帰国後に知ったのですが、生還した学徒兵たちによる組織「花白(ファベク)会」の会長でもある方のようです)。

 

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かつて学徒兵として志願し、現在の「花白会」を構成する太白中学校の男子生徒たちの顔写真。この日案内してくださった方の幼き日の写真もありました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170314223353j:plain太白中学校の生徒を陸軍3師団23連隊の駐屯地まで引率し、自らも志願兵となった数学教師、朴孝七(박효칠:パク・ヒョチル)氏。1975年没。

 

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太白中学校の生徒たちが奉化郡春陽に駐留中の陸軍3師団23連隊を訪問し、学徒兵として志願する様子を再現したジオラマ

 

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太白中学校の学徒兵たちの進軍経路。太白→春陽(チュニャン:入隊)→碌田(ノクチョン)→寧越(ヨンウォル)→原州(ウォンジュ)→新林 (シルリム)→平昌(ピョンチャン)→珍富(チンプ)→麟蹄上畓(インジェサンタプ)→ヨラン→臨渓(イムゲ)→江陵(カンヌン)→ 襄陽(ヤンヤン)→束草(ソクチョ)→巨津(コジン)214高地→加七峰(カチルボン)→金化(クムファ:休戦)の順に示されています。

 

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加七峰(가칠봉:カチルボン。江原道楊口郡)での戦闘を再現したジオラマ

 

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朝鮮戦争当時、実際に使用された兵器や装備。

 

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f:id:gashin_shoutan:20170314225751j:plain記念館の隣には「忠魂塔」が建立されています。周りを取り囲む兵士の人形は戦死した18名を模したもので、その足元には戦没地が記された小さな石碑が添えられています。毎年6月1日には、花白会の方々による追慕会がこの碑の前で催されているのことです。

 

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忠魂塔の礎石には、教師の朴孝七氏と全127名の学徒兵の名前が漢字で記されています。

 

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忠魂塔の左右には、迷彩模様の装甲車が。展示用とはいえ実物の装甲車が校庭に常設されている中学校は全世界でも珍しいのではないでしょうか。


以上の展示物の写真を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「太白中学徒兵記念館」は学徒兵を送り出した事実を記憶しつつも、戦死者18名を含む127名の学徒兵たちの顕彰がメインであり、その意味で韓国(国連軍)側の視点にのみ立った施設です(これは韓国では仕方ないことですが)。
また武功を称える展示物のほか、玄関ロビーには軍のパンフレットが置かれているなど、決して反戦をテーマにした施設ではなく、その点では私の立場と異なる施設といえます。
しかし、朝鮮戦争が志願の形とはいえ少年たちを戦場に送らねばならなかった戦争であり、他方で間接的ではあれ日本も加担し特需を享受した戦争だという現実とは、向き合わなければなりません。加えて、南北分断の原因となった植民地支配の清算や被害者たちへの満足な謝罪はおろかその事実すら否認し、被害者たちを踏みにじる言説までもがまかり通る社会の一構成員である以上、なおさらその悲劇や被害という事実から目をそらすことは許されないとの考えから、今回の訪問を決意した次第です。

こちらの「太白中学徒兵記念館」の開館時間は9:00~15:00、土日など学休日は閉館とのこと。入場無料。市内バスは1番・4番ともに「太白中学校」バス停にて下車、太白中学校の正門を抜けてまっすぐ歩いた場所にあります。
太白中学徒兵記念館(태백중학도병기념관:江原道太白市長省路265 (長省洞109-3))


ひとつひとつの展示を懇切丁寧に説明いただいたうえ、私が日本から来た旨を伝えるとハグまでしてくださった86歳の元学徒兵の男性。この後訪問予定の場所を私に尋ねると、なんとそこまで車で送ってくださるという話に。ご厚意に甘える形となりました。
こちらの男性にはせっかく丁寧な案内をいただいたのに、私のヒアリング能力の低さのせいで、その大半を聞き取ることができませんでした。心から申し訳なく思うとともに、ただただ反省するばかりです。
こうした人の思いを無に帰することのないよう、もっともっと韓国語を学ばなければ。


太白の旅はあと1回だけ続きますが、続きは次のエントリーで紹介することとして、今回はおまけとして太白の旅の簡単なTipsみたいなものを添えておきます。

ここ江原道太白市は、人口5万人弱とは思えないほどの本数の市内バスが運行しています。中でも一連の旅レポでも頻繁に登場する4番バス(時計回り)、および1番バス(反時計回り)の両系統は太白市外バスターミナルと市内の要所要所を結ぶ循環線であり、それぞれ1日に60本以上も運行されています(およそ15~30分間隔) 。
両系統の場合、バスの車両は一般と座席の2種類があり、ほぼ交互にやって来ます(たぶん両方とも乗っているのですがいまいち違いが分かりません……)。運賃は距離にかかわらず均一で、1,200ウォン(一般)または1,500ウォン(座席) 。交通カード使用時はともに10%割引。ソウルで入手した「CITYPASS」も利用できました。

 

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参考までに、太白市外バスターミナルにあった時刻表の写真を添えておきます(2017年1月22日時点)。向かって左、上に「장성, 철암방면」(長省、鉄岩方面)とあるうち一番左の長い列が1番バス(反時計回り)、右の「통리, 철암방면」(桶里、鉄岩方面)とある長い列が4番バスです。
太白の市内バスは何故かどの車両も正面上部の運行表示板は使用せず、前面ウィンドウの向かって左側に、系統番号と主な経由地を示すボートを立て掛けているのですぐ分かります。

 

f:id:gashin_shoutan:20170315000711j:plain太白市内バス・1番バス(反時計回り)の路線図と、主なバス停です(カッコ内は最寄りの観光名所)。

 

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こちらは今回の旅で私が何度も利用した、太白市内バス・4番バス(時計回り)の路線図と主なバス停です(カッコ内は最寄りの観光名所)。

 

時間に制約のある方は、シティツアーバスを利用されるのもよいでしょう。
太白市では、次の2便のシティツアーバスが運行されています(時刻は到着予定時刻)。ともに料金は大人1名6,000ウォン(約600円:施設利用料や飲食費は含まず)。いずれも太白駅前を午前10時に発ち、倹龍沼・鉄岩炭鉱歴史村・求門沼をコースに含みます。太白の主だったみどころを効率的に巡りたい方にはおすすめです。
ただし、前日14時時点で予約が7名に満たない場合は催行中止なので要注意。
上記のリンク先(太白市庁HP)は昨年(2016年)の情報のまま更新されておりませんが、こちらのニュースによると本年も運行されているようです。

●サンタラムルタラ(산따라물따라:山伝い水伝い)コース[原則毎日運行]
太白駅(観光案内所前)10:00⇒求門沼・古生代自然史博物館10:20⇒鉄岩駅11:40⇒鉄岩炭鉱歴史村11:45⇒黄池自由市場(昼食)12:00⇒倹龍沼13:30⇒龍淵洞窟15:00⇒太白駅(降車)17:00⇒鉄岩駅(降車)17:30

●桶里五日市(통리5일장)コース[毎月5・15・25日のみ運行]
太白駅(観光案内所前)10:00⇒倹龍沼10:30⇒桶里五日市12:00⇒ドラマ(太陽の末裔)撮影場13:40⇒鉄岩炭鉱歴史村14:20⇒求門沼15:10⇒365セーフタウン16:30⇒太白駅(降車)17:30

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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