かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

本ブログ開設1周年を迎えて

こんにちは、ぽこぽこ(@gashin_shoutan)です。
拙ブログも、千夜誕の本日・9月19日をもってどうにか1周年を迎えることができました。これもひとえに拙ブログをお読みいただいているみなさまのおかげです。

今後も拙ブログでは、私がこの身をもって直に訪問し体験した韓国の旅、韓国のうんまい料理をみなさまに紹介したいと考えています。そして拙ブログをお読みいただいた方が、この程度のものでも参考として韓国をご訪問いただくことがあるならば、至上の喜びとしか言いようがありません。
どうか引き続きご支援をいただけますとうれしく思います。

f:id:gashin_shoutan:20170919203616j:plain

 

 

光州の旅[201705_06] - 5.18民主化運動の犠牲者や烈士たちが眠る墓地、そしてまさかの再会

前回のエントリーの続きです。 

gashin-shoutan.hatenablog.com

韓国・光州(クァンジュ)広域市、1980年5月にこの街で発生した10日間の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)の史跡や関連施設を巡る旅、明けて2日目(2017年5月21日(日))です。

この日最初の目的地は、市街地から北側のかなり離れた場所にある「5.18旧墓地」。その所在地から「望月洞(マンウォルドン)墓地」と呼ばれることもあります。隣接する「国立5.18民主墓地」とあわせて昨年(2016年)8月の旅でも訪問した場所ですが、今回どちらにも行きたい場所があるので再訪することにしました。
往復に時間がかかるので、展示施設が開館しておらず時間のロスの少ない朝方を狙って移動します。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919174001j:plain
5.18旧墓地への交通手段は、光州市内のあちこちにある518の史跡や関連スポットなどを巡るように走る路線バス、518番バスこちらのエントリーにて紹介)の出番です。今回の旅では初めての利用。
しかし、ホテルのある尚武(サンム)駅近くから最寄りの「尚武双龍錦湖アパート」バス停へ行ったところ、どうやら518番バスは数分前に出たばかりの様子。週末だと30~36分おきにしか来ないため、待っているとかなりのタイムロスとなります。
そこでまずはバス停近くからタクシーに乗り、Korail光州駅へ移動。図のように518番バスは尚武地区を出た後、道路自体が5.18の史跡である錦南路(クムナムノ)を走り、旧全羅南道(チョルラナムド)庁舎(全南道庁。現・国立アジア文化殿堂)を回り込むような路線を描くため、尚武地区から距離的に近い(路線上は旧全南道庁よりも先の)光州駅まで行けばどうにか先回りできるというわけです。
どうせタクシーに乗るならそのまま5.18旧墓地まで行きたいところですが、料金が2万ウォン(約2,000円)程度かかるのでここは思いとどまります(ちなみに尚武地区→光州駅は7,600ウォンでした)。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919155751j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919160746j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919160813j:plain
そして光州駅からは追いついた518番バスに乗り、30分ほどで5.18旧墓地に到着。
この日(5月21日)は今年のカレンダーだと10日間の抗争期間(5月18~27日)中で唯一の日曜日であり、朝から多くの人々が旧墓地を訪れていました。その中には5.18民主化運動や光州精神を象徴する歌「ニムのための行進曲」(こちらのエントリーにて紹介)を歌う青少年たちの姿も。
10日間の民衆抗争において戒厳軍に殺害された市民のほとんどは、市民墓地であったここ望月洞に埋葬されました。その中には後述する尹祥源烈士ほか5月27日の全南道庁での最終抗戦で殺害された人々のように、あろうことか清掃車で遺体が運ばれた事例もありました。そうした埋葬された方の大半がまずは腐敗を防ぐための仮埋葬であり、遺体を包むビニールをはがす間もなく、また名前すら分からないまま埋葬された事例も少なくなかったようです。
その後1997年に「国立5.18民主墓地」が落成し、5.18民主化運動での死亡者と認定された方はそちらに改葬されましたが、諸事情により引き続き旧墓地に眠っている方もいらっしゃいます。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919160850j:plain
こうした経緯から5.18旧墓地は518民主化運動の史跡24号に指定されており、そのことを示す例の丸い碑石が敷地内に建てられています。
この碑石がある「第3墓域」と呼ばれる区画には、5.18の犠牲者に加え、民主化運動や労働運動の最中に散っていった烈士たちの墓が複数存在します。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919160926j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919160949j:plain
まず最初に訪れたのは、1987年に亡くなったソウル・延世(ヨンセ)大学校経営学科2年、李韓烈(이한열:イ・ハニョル/イ・ハンニョル、1966-1987)烈士の墓です。
李韓烈烈士は1987年6月9日の母校・延世大での学生デモに参加中、戦闘警察の撃った催涙弾がその後頭部を直撃し、意識不明の重体となりました。この事件は翌10日に本格始動した全国的反政府デモをさらに白熱させ、同月29日にはついに軍事政権から時局収拾案を引き出し、念願の大統領直接選挙制を勝ち取りました。その間も生死の境をさまよっていた李韓烈烈士は、抗争の過程を見届けたかのように同年7月5日死去。同月9日に挙行された烈士の葬儀では、ソウルで100万人、故郷のここ光州でも50万人もの人々が葬列を見送りました。
李韓烈烈士、そして1987年6月の20日間に及ぶ一連の反政府運動「6月民主抗争」については下記のエントリーにて紹介しております。ご一読いただけますと幸いです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161105j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161117j:plain
魯秀碩(노수석:ノ・スソク、1976-1996)烈士。
光州広域市とも接している全羅南道(チョルラナムド)咸平(ハムピョン)郡生まれ。延世大学校法学科の2年生であった1996年3月29日、参加したソウル・鍾路(チョンノ)での大学授業料値上げ反対、金泳三大統領選挙資金公開要求デモにおいて、警察の暴力鎮圧により亡くなった方です。この日の1ヵ月前に訪問した烈士の母校、延世大学校のキャンパス内にも、魯秀碩烈士を追悼するモニュメント「故魯秀碩烈士追慕空間」がありました(こちらのエントリーにて紹介)。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161130j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161135j:plain
表正斗(표정두:ピョ・ジョンドゥ、1963-1987)烈士。
光州市内の大東(テドン)高等学校在学中に5.18を迎え、抗争参加を理由に停学処分を受けた経験があり、その後も大学入学、中退後の社会人生活を通じて5.18の事実を知らしめる運動に取り組みます。その中で全斗煥ら5.18の責任者の処罰要求、および韓国での軍事作戦指揮権を握る立場として5.18での新軍部の策謀を容認した米国に対する抗議のため、焚身(焼身)を企図します。そして1987年3月6日、ソウル・光化門(クァンファムン)の世宗文化会館付近にて自ら灯油を浴びて火に包まれたまま米国大使館前まで走り、そこで力尽きました。2日後の3月8日死去。
この訪問の4日前(5月17日)、隣接する「国立5.18民主墓地」にて挙行された5.18犠牲者追悼式典での文在寅(문재인:ムン・ジェイン、1953-)大統領の演説の中でも、表正斗烈士の名が挙げられました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161143j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161153j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161209j:plain
李載虎(이재호:イ・ジェホ、1964-1986)烈士。
光州出身であり、高校入学の頃に5.18を体験。猛勉強の末にソウル大学校政治学科に入学した後は学生運動にも参加、その中で5.18を容認した米国への激しい怒りを抱くようになり、この当時大学生に義務付けられていた「前方入所義務軍事教育」を米軍の傭兵教育だとして反対闘争を展開します。そして1986年4月28日、ソウル・新林(シルリム)の籠城デモにて仲間である金世鎮(김세진:キム・セジン、1965-1986)烈士とともに焚身。金世鎮烈士は同年5月3日、李載虎烈士は5月26日死去。
5.18旧墓地の入口から墓地へと通じる道には、ちょうどこの日(5月21日)、李載虎烈士の31周忌追慕式が挙行される旨の懸垂幕がかけられていました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161228j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161257j:plain
崔美愛(최미애:チェ・ミエ、1957-1980)烈士。
抗争4日目、私が訪問したこの日からちょうど37年前の1980年5月21日。デモに参加した生徒たちを見回りに行った高校教師の夫を自宅前で待っていたところ、戒厳軍の凶弾によりその場に倒れた方です。8ヵ月になるお腹の赤ちゃんと一緒に。
墓碑の裏側には、次のメッセージが刻まれていました。

여보
당신은 천사였오
천국에서 다시 만납시다.

ねえ
あなたは天使でした。
天国でまた会いましょう。

ただ道端に立っていただけの身重の女性。
なぜこのような人が殺されなければならなかったのか。

「5.18記念財団」のガイドブック『光州の五月を歩こう』(광주의 오월을 걷자)によると、こちらのお墓にはウェディングドレス姿の遺影が飾られており、毎年この命日前後になると年老いたお母様が写真交換のため参拝されているとのことでしたが、この日は遺影自体がありませんでした。何事もないことを願うばかりです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161043j:plain
第3墓域に掲げられていた絵。
手を取り合う金大中(김대중:キム・デジュン、1924-2009)元大統領と金正日(김정일:キム・ジョンイル、1941-2011)総書記が乗る列車の方向幕には「光州-平壌-ベルリン」とあります。その右上には独立運動家の白凡・金九(김구:キム・グ、1876-1949)氏、左上には尹祥源烈士(中央下)や民主運動家の文益煥(문익환:ムン・イクファン、1918-1994。右端の白髪の人物)牧師などの姿も。こうした絵を見ると目頭が熱くなるのを感じるとともに、日本による植民地支配の罪、そしてそのために生じた南北分断についての責任を改めて痛感させられます。

 

烈士たちの墓を参拝しつつ巡っていると、不意に私の肩を叩く人が。
振り返ると、なんと前日に訪問した「尹祥源生家」(こちらのエントリーにて紹介)にてお会いし、車で光州松汀(ソンジョン)駅まで送ってくださった尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980)烈士の弟さんの姿が。まさかの再会にびっくりしつつも大感激。
これからご自宅のある街へ帰るところで、その前に隣の「国立5.18民主墓地」にある兄・尹祥源烈士のお墓に参拝しようと立ち寄ったところだとのこと。
隣接するとは言っても広大な墓地同士、徒歩だと優に20分はかかります。親切にもまた私を車に乗せて、連れて行ってくださることになりました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161356j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161439j:plain
そしてやって来た国立5.18民主墓地。高さ約40mの「5.18民衆抗争追慕塔」(5.18민중항쟁추모탑)がそびえ立ちます。頂点近くの球状のオブジェは「復活」を象徴する卵と、それを包み込む両手を表わしています(塔全体の写真に限り2016年8月撮影。すみません、あまりの感激のため当日は撮り忘れました……)

f:id:gashin_shoutan:20170919161454j:plain
追慕塔下の通路をくぐり、一段高い墓域に登ってすぐ右へ曲がった「第2墓域」に目指す場所があります。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161520j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161553j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919161534j:plain
尹祥源烈士の墓。
死後「霊魂結婚式」によりその妻となった朴琪順(박기순:パク・キスン、1958-1978)烈士がともに眠ります。今回どうしても来たかった場所ですが、まさか烈士の肉親の方と一緒に訪れることになるとは夢にも思いませんでした。
日曜日、それも37年前の抗争期間中ということもあって、烈士の墓周辺はガイドの方に引率された子どもたちなどで大にぎわい。その移動を待って、烈士の弟さん、同行の奥様と思しき女性にならい「クンジョル」(큰절:韓国の祭礼における拝礼。男性は両手を合わせて床につき腰を曲げつつ頭を下げ、女性は両手を額に当てて膝をゆっくり折り曲げつつ座り頭を下げる)をします。これまで墓や追慕碑の写真を撮る際には一礼を欠かしませんでしたが、クンジョルは初めての体験でした。

尹祥源烈士の生涯については、下記のエントリーにて紹介しております。あわせてお読みいただけますと幸いです。


訪れたい場所がまだ残っていたので、再び車で5.18旧墓地へ戻り、そこで弟さんたちとお別れです。
これまで韓国の旅では「さようなら」「いってらっしゃい」に相当する「안녕히 가세요」(アンニョイガセヨ)と言われて見送られたことは数え切れないほどありますが(飲食店では必ず言われます)、私自身がそう言って誰かを見送ったのは、23回目の渡韓にして初の体験でした。
偶然にも2度にわたる出会いは、忘れられない思い出となりました。本当にありがとうございました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161636j:plain
旧墓地、5.18の史跡を示す碑石のすく近くには、写真の空間があります。
こちらは、1980年5月の抗争下の光州に潜入しその惨状を映像に収め、全世界に配信したドイツ第1公営放送の記者、ユルゲン・ヒンツペーター(Jürgen Hinzpeter:1937-2016)氏を追悼する空間です。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919161651j:plain
1980年5月、東京支局の特派員であったヒンツペーター氏は戒厳令下の光州に関する報道を耳にし、直感的に現地取材の必要性を感じて急きょソウルへ渡ります。そこからタクシーをチャーターし、抗争3日目の5月20日には他の外信記者たちに先んじて封鎖中の光州潜入に成功、滞在中は危険を顧みず市内の随所を撮影し、撮影フィルムを荷物などに隠して日本へ持ち出します。これらのフィルムはほどなく本国ドイツへ送られ、戒厳軍の暴虐による光州の惨状を全世界に知らしめました。さらに抗争6日目の23日には再び光州入りし、今度は戒厳軍一時撤退後の市民たちによる自治の様子を撮影、その映像は戒厳軍が流した「光州は暴徒に占拠された」とのデマを否定する証拠となりました。
ヒンツペーター氏は2016年1月25日に死去。その遺志に基づき、こちらの空間には氏の頭髪と爪が納められています。
今年(2017年)8月公開、韓国で記録的な興行成績を叩き出し話題となっているソン・ガンホさん主演の映画『택시운전사』(タクシー運転手)には、トーマス・クレッチマンさん演じるヒンツペーター氏が実名で登場します。一日も早く観たいものです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919155715j:plain
5.18旧墓地、および国立5.18民主墓地へのアクセスは、私がそうであったように518番バスのご利用がおすすめです。2017年9月現在、平日は25~27分間隔、土日は30~36分間隔で配車。国立5.18民主墓地は「国立5.18民主墓地」(국립5.18민주묘지)バス停、5.18旧墓地は2つ先の「市立公園墓地」(시립공원묘지)バス停で下車。「国立5.18民主墓地」バス停までの所要時間は、都市鉄道(地下鉄)1号線「文化殿堂」駅からも近い「国立アジア文化殿堂(旧・道庁)」(국립아시아문화전당(구.도청))バス停からだと約49分、Korail光州駅前の「光州駅」(광주역)バス停からだと約37分です(交通状況によって変化します。「市立公園墓地」はそれぞれ3分プラス)。
光州広域市の市内バスの運賃は、均一料金で現金1,400ウォン(約140円)、交通カード(T-moneyなど)1,250ウォン(約125円)。交通カードの場合、市内バス同士(同番号路線除く)または市内バス&都市鉄道(地下鉄)間の30分以内の乗換であれば、2路線目以降の料金はかかりません。

 

f:id:gashin_shoutan:20170919164946j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170919165023j:plain
なお国立5.18民主墓地については、こちらのエントリーでも紹介しています。数ある施設の中でも資料館としての役割を持つ「5.18追慕館」(写真1枚目)、そして「遺影奉安所」(2枚目)は特に足を運んでいただきたい場所です。あわせてお読みいただけますと幸いです。

5.18旧墓地(5.18구묘지:光州広域市 北区 水谷洞 14-1。史跡24号)

国立5.18民主墓地(국립5.18민주묘지:光州広域市 北区 民主路 200 (雲亭洞 山35))

 

ところでこの日(5月21日)もまた、ある時刻までにどうしても行きたい場所がありました。
気づけばまもなく正午。急ぎ「市立公園墓地」バス停から再び518番バスに乗り、光州の市街地へと戻るのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

光州の旅[201705_05] - 5.18の負傷者を手厚く看護した2病院、往年の駅前市場の雰囲気漂う夜市場

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

韓国・光州(クァンジュ)広域市、1980年5月にこの街で発生した10日間の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)の史跡や関連施設を巡る旅の1日目(2017年5月20日(土))です。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914231126j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231141j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231200j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231211j:plain
朝鮮大学校正門から歩いておよそ13分の場所にあるのが、こちらの施設「全南大学校病院」です。
同じく5.18史跡に指定されている光州赤十字病院(こちらのエントリーにて紹介)や光州基督病院(後述します)と同じく、5.18当時には戒厳軍の蛮行により負傷した市民、また市民軍が発足してからは銃創を負った武装市民たちが担ぎ込まれ、全南大の医学生を含む医療スタッフによる献身的な看護がなされた場所です。特に抗争4日目、5月21日の錦南路(クムナムノ)での戒厳軍による集団発砲により銃創患者が急増し血液不足が報じられるや、他の2病院と同様に市民たちによる自発的な献血の列が長蛇をなした場所でもあります。
他の2病院と大きく異なる点として、5月21日には市民たちが近隣の郡部の軍倉庫から奪ってきたLMG(軽機関銃)がここ全南大学校病院の屋上に据えられ、このとき戒厳軍が立てこもっていた全南道庁に対し銃撃が加えられた点が挙げられます。これらの経緯から、こちらは5.18の史跡9号に指定されています。
5.18の史跡や関連施設などを巡る518番バスこちらのエントリーにて紹介)は全南大学校病院のそばを通りませんが、国立5.18民主墓地方面行き・尚武地区方面行きともに「文化殿堂駅」(문화전당역)バス停から徒歩10分前後(約670m)で到着できるようです。
全南大学校病院(전남대학교병원:光州広域市 東区 霽峰路 42 (鶴洞 8)。史跡9号)

 

f:id:gashin_shoutan:20170914231230j:plain
全南大学校病院の道路を挟んだ向かい側には、「5・18ナクチ専門店」(5·18낙지전문점)というお店が。ナクチとはテナガダコのこと。こちらのお店のご主人がまさに5.18民主化運動の体験者であり、当時負傷した経験などから「5・18」の名前をつけたとのことです。その名の通りナクチ料理全般、中でもヨンポタン(연포탕:生きたナクチを丸ごと煮込むスープ)が名物だそうで、この日も来客でにぎわっていました。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914231245j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231323j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231333j:plain
「5.18ナクチ専門店」から少し南東へ進むと、在来市場「南光州市場」(ナムグァンジュシジャン)があります。
この南光州市場は1960年初頭、当時すぐ近くにあった国鉄慶全(キョンジョン)線の南光州駅の駅前市場として発足。南海(ナメ)に沿って走る慶全線沿線の海産物をはじめ、南道の山の幸と海の幸が集まるマーケットとして列車本数の増加とともに発展してきたものの、慶全線のルート変更に伴い2000年に南光州駅が廃止されてからは衰退の一途へ。
これを打破しようと、釜山の「富平カントン市場」(こちらのエントリーにて紹介)が火付け役となり全国各地の在来市場も後を追う「夜市場」(ヤンジャン)を、それも往年の駅前市場を彷彿とさせるテイストを加えたうえで昨年(2016年)11月にスタートしたのが、ちょうどこの日開催中だった「南光州夜汽車夜市場」です。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914231746j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231355j:plain
「夜汽車夜巿場」の名にふさわしく、市場の入口には電飾で飾られた蒸気機関車が、そして市場のメイン通りの中央には鉄道車両を模した飲食屋台が一列に並び、まさに夜汽車のようです。
大好きな在来市場、それも夜市場とあればゆっくり見物して屋台のグルメも味わいたいところですが、いよいよ夕闇が迫る中、本日中に行っておきたい場所があとひとつ。しかもその後には食事の予定もあります。うずうずする気持ちを抑えつつ、次の目的地へと向かうのでした。
南光州夜汽車夜市場は、毎週金・土曜日限定で午後6:30~午後11:00開催。市場は地下鉄1号線「南光州」駅3番出口を出てすぐの場所にあります。いつかゆっくり巡ってみたいものです。 

南光州夜汽車夜市場(남광주밤기차야시장:光州広域市 東区 楊林路 117 (鶴洞 74-24))

 

f:id:gashin_shoutan:20170914231504j:plain
再び光州川(クァンジュチョン)を渡って、南区(ナムグ)に入ります。
光州川にかかるハッカン橋、空にはきれいな夕焼けが。どうか明日もいい天気でありますように。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914231515j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914231530j:plain
南光州市場から15分近く歩いて、ようやくこの日最後の目的地、南区楊林洞(ヤンニムドン)に到着。この時点で午後8時を回っており、辺りはすっかり暗くなっていました。
写真1枚目の大きな建物は「光州基督病院」といい、前述した全南大病院や光州赤十字病院と同じく、5.18当時には負傷した市民や市民軍の兵士たちを昼夜を問わず看護し、また世代を問わず市民たちによる自発的な献血の列が形成されるなど「大同(テドン)精神」が発揮された場所です。そして現在も全南大病院と並び、光州市民の医療と看護を担っています。そうした経緯から「光州基督病院」として5.18の史跡10号に指定され、写真2枚目右手の碑石も建てられています。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914232004j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914232022j:plain

f:id:gashin_shoutan:20170914232037j:plain
当日はあまりにも暗く、ちゃんと写真が撮れているか確信がなかったので、この翌々日(5月22日)に楊林洞巡りをした際にもこちらを再訪しました。写真はそのとき撮影したものです。
518番バス
は光州基督病院を含む楊林洞一帯を通りません。

光州基督病院(광주기독병원:光州広域市 南区 楊林路 37 (楊林洞 264)。史跡10号)

 

余談ですが、この光州基督病院がある楊林洞は、19世紀末から20世紀初頭にかけて光州を拠点としたキリスト教宣教師たちが建てた近代建築群など数々の文化財が多数立地し、光州でも特に魅カにあふれたエリアとなっています。旅の3日目、5月22日に訪問したこれら楊林洞のスポットについては追って紹介する予定です。ご期待ください。

今回の旅1日目となるこの日の5.18関連スポット巡りはこれで終了。
この日巡った5.18の史跡は、全30か所(当時)のうち13か所(再訪含む)。未踏の史跡は5か所を残すばかりとなりました。
さてこの日はある方との会食のお約束があり、その場所である西区の尚武(サンム)地区へ移動します。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914232138j:plain
待ち合わせのため訪れたのは、地下鉄1号線「尚武」駅そばにある「ウォンドゥマッ」。注文を受けてから出てくるまで約20分かかるという「タットリタン」(닭도리탕:鶏と野菜の煮込み)が絶品とのことで、今回お会いする方におすすめいただいたお店です。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914232157j:plain
そしてお約束していた方と面会し、ともに趣味とする韓国の旅の話が弾む中、お待ちかねのタットリタン登場。タットリタンといえば以前に食べたものがそうであったように猛烈な辛さを想像していたのですが、こちらはほどよい辛さに抑えられていました。色からもわかるように濃いめの味付けが実によくビールに合います。そして肝心の鶏肉も脂が抜け落ちない絶妙な加減で柔らかく煮込まれています。鶏肉も、ヤンニョムが染みたジャガイモもうんまい。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914232209j:plain
同じくおすすめいただいたケランチム(계란찜:韓国風茶碗蒸し)。こちらもおいしかったです。

 

f:id:gashin_shoutan:20170914232227j:plain
こちらのお店「ウォンドゥマッ」の営業時間は午前10時30分~午前2時、日曜休。地下鉄1号線「尚武」駅5番出口を出てからはわずか徒歩2分の距離にあります。こちらの食レポも参考になりますのでぜひ見てみてください。
タットリタン、おいしかったです。楽しい夜をありがとうございました。

ウォンドゥマッ(원두막:光州広域市 西区 尚武中央路 6-28 (治平洞 264-3))

 

こうして光州の旅1日目は終了。翌日も続く5.18の旅のためゆっくり休むのでした。
それでは、次回のエントリーへ続きます。

(c) 2016-2021 ぽこぽこ( @gashin_shoutan )本ブログの無断転載を禁止します。