かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

順天の旅[201908_06] - 「秋夕のない村」70年前の虐殺の現場、楽安・新田マウル

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅、明けて3日目の2019年8月31日(土)です。

 

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この日メインの目的地は、順天市、いや韓国を代表する観光スポットのひとつといっても過言ではない「楽安邑城民俗村」(낙안읍성민속촌:ナガンウプソン・ミンソクチョン。写真)の位置する順天市楽安面(ナガンミョン)です。
楽安面はかつて全羅南道昇州(スンジュ)郡に属していましたが、同郡は1995年に吸収合併されたため現在は順天市に属しています。地方自治体である「面(ミョン)」とは日本でいう「●●郡●●村」に相当しますが、韓国ではこうした経緯で市に属するケースがままあり、これは前日に訪問した仙岩寺(ソナムサ)のある同市昇州邑(スンジュウプ)のような「邑(ウプ)」(日本でいう「●●郡●●町」に相当)も同様です。

  

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楽安面は同じ市内でもホテルのある順天市街地からかなり西側に離れた場所にあり、それだけ往復に時間もかかります。楽安面には民俗村の他にも行きたい場所が複数あるので、たぶん戻りは夕方過ぎになることでしょう。明るいうちに市街地で行っておきたい場所が少しあったため、まずは散策を兼ねてホテル近くを流れる川、東川(トンチョン)の河川敷を歩きます。

 

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東川べりを走る車道はその直下が通路になっており、いくつもの壁画が描かれています。

 

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東川を横断するKorail慶全線(キョンジョンソン)の鉄橋。最下部は歩道からわずか2.5mの高さしかなく、ジャンプしたら手が届きそうな距離です。

 

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ここで撮ったならばさぞ迫力ある鉄道写真となりそうですが、こちらは順天駅から見て西隣の駅である筏橋(ポルギョ)駅側の単線非電化のローカル線であり、この鉄橋を通過する定期旅客列車はたったの一日5往復しかありません(観光列車含む)。同じ慶全線でも東隣の光陽(クァンヤン)駅側、あるいはこれと直交する全羅線(チョルラソン)がともに複線電化され、特に後者などKTXを含む定期旅客列車が一日30往復以上も走るのとは対照的です。

 

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そんな東川をまたぐ道路橋「順天橋(スンチョンギョ)」のたもとに、この日の朝食目当てのお店「将台(チャンデ)コングクス」があります。
屋号の「将台」とはお店のある一帯の旧地名で、朝鮮時代中期の1743年に兵士らが陣を張って兵を指揮する場所を石で築き、指揮したことに由来するものだそうです。すぐそばの順天橋も「将台タリ」(タリは「橋」の固有語)という別名で呼ばれています。

 

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屋号にもある看板メニューの「コングクス(콩국수)」とは、茹でた大豆(콩:コン)をすりつぶしたスープに麺(국수:ククス)を浸した冷たい麺料理で、韓国では夏の風物詩として広く愛されています(日本の「冷やし中華」のポジション?)。この後紹介するように、食べる過程で3度もびっくりさせられる料理です。
メニューは7,000ウォン(約640円:2019年8月時点。以下同じ)の「冷(ネン)コングクス」と、5,000ウォンの「冷コンムル」(たぶんコングクスのスープのみ)の2種類だけですので、もちろん前者を注文。思えば5年前にソウル・汝矣島(ヨイド)の名店「晋州(チンジュ)チッ」で初めて食べて以来のコングクスです。


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やってきたコングクス。見ての通り真っ白、いやほのかにクリーム色がかった液体が器を覆いつくすインパクトあるビジュアルです。これがコングクス最初のびっくり。こちらのお店では最初から塩が乗っているので、その部分だけが若干遣って見えます。

 

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大豆スープはかなりどろっとしており、そのためか普通の冷麺よりも冷涼感が強いです。甘くもしょっぱくもない、濃厚な豆乳だけの味。2度目のびっくりです。塩を適宜混ぜて食べます。そして麺をすすると、香ばしい匂いとともに大豆ペースト特有のざらっとした食感がたちまち口の中を覆います。これこそがコングクス3度目のびっくり、だけど心地よい舌触りです。うんまい。

 

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写真は各テーブルにあった大きな調味料入れ。これ、なんと砂糖なのだそうです。当日は使わなかったので、てっきり塩だと思い込んでいました。順天を含む全羅道地方ではコングクスに塩のみならず砂糖をも投入し混ぜて食べる食文化があり、他の地方の人がそうとは知らずに投入して驚くことがあるそうです。私も危うく4度目のびっくりを体験するところでしたが、どんな味なのかは興味があります。次は砂糖入りコングクスにチャレンジしたいと思います。 

 

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こちらのお店「将台コングクス」の営業時間は午前7時~午後9時、年中無休。Korail「順天」駅からは徒歩約4分(約290m)の「順天駅西側(순천역서측)」バス停より市内バス<60><61><62><63><64><81><82><84><85><86>のいずれかに乗って3つ先の「将台公園(장대공원)」バス停(所要約3分)で下車、徒歩約3分(約170m)全行程徒歩でも約20分(約1.2km)です。順天総合バスターミナルからは徒歩約8分(約450m)。このように駅・バスターミナルのいずれからも近く、しかも早朝から開いているので朝食としても利用できるお店です。
ところで、こちらのお店では看板メニューのコングクスを通年で提供しているそうですが、 前述したようにコングクスのシーズンは夏です。ではシーズンオフの冬はどうしているのかというと、小豆をすりつぶした熱々のスープ(要は砂糖の入っていないぜんざい)に太めの麺を入れた「パッカルグクス(팥칼국수)」が人気なのだそうです。味わってみたいものです。

将台コングクス(장대콩국수:全羅南道 順天市 二水路 51 (長泉洞 355))

 

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将台コングクスを出て、さらに東川沿いを北へ進みます。写真は順天橋のひとつ上流側にある「稠谷橋(チョゴッキョ)」。

 

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この稠谷橋を過ぎて少し先の場所に、この日最初の目的地である「八二八에 가신이의 위령탑」(八二八に逝かれた方の慰霊塔)があります。こちらは57年前の1962年8月28日、東川の氾濫により順天市東外洞(トンウェドン)を中心に発生した大水害の犠牲者224名を慰霊するための石碑です。
前日(8月27日)午後5時頃から降り始めた雨により、翌28日未明には1時間降水量が195mmにまで達する中、市北部のサンジョン貯水池の決壊に伴い洪水が発生。この勢いで東川川下流の堤防もまた決壊し、東外洞をはじめ当時の順天市街地のおよそ2/3が浸水、約14.000人が被災する大水害が発生しました。

 

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57年前ということは、当時の3歳児でももう還暦を迎える計算です。子を失った世代であればいまや80歳代以上。例年8月28日になると碑の前で慰霊祭が挙行されていたようですが、本年(2019年)は報道が全く見当たらないので、もう中断されてしまったのかもしれません。下記の追悼文が記された木製の案内板も割れ、下部が逸失していました。

여기 한 아름 실음을 안고 잠드신 영령 224주의 한이 있다. 비바람 사오납 던 1962년 8월 28일 그날 흙탕물 속에서 꽃들은 지고 열매는 떨어졌다. 못다 살고 가신 임들이여 먹구름 이 걷혔으니 그 얼고이 쉬소서

ここに一抱えの悲しみを抱いて眠られた英霊224柱の恨がある。風雨が荒れ狂った1962年8月28日、その日泥水の中で花たちは散り実は落ちた。生きられなかったあなたたちよ、 黒雲は晴れたからその魂よ休みたまえ

 

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水害発生後には官民一体の救助・復旧活動が展開され、また国内外から救援物資が寄せられたことにより順天市は見事な復興を遂げ、今日の発展を維持しています。
その日の出来事が嘘のように、東川はただ静かに流れていました。

61番市内バスに乗り、次の目的地へ移動します。

 

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1時間近くバスに揺られて到着したのは、楽安面にある「新田(シンジョン)マウル」(신전마을:マウルは村、集落の意)。特に観光名所というわけでもないこの集落へやって来た理由は、ここがちょうど70年前に発生した、ある事件の現場だからです。

マウル入口の路上では、二人の女性が立ち話をしていました。
うち一人が見慣れない私の姿を見るや、開口一番「麗順事件ですか?」。

 

以前に上記のエントリーでも紹介した、1948年10月に隣接する全羅南道麗水(ヨス)市で発生した「麗水・順天事件」。蜂起軍(国軍14連隊)はここ順天にも進出したことから、事件後には多くの市民が蜂起軍との関係を疑われ処刑されています。
蜂起軍の一部将兵たちは事件のさなかに麗水を脱出、光陽(クァンヤン)湾を渡り対岸の白雲山(ペグンサン)方面へ逃れて智異山(チリサン)山中に潜伏し、パルチザンとなって抗戦を続けました。それらパルチザンたちは、ここ楽安面からも近い曹渓山(チョゲサン)など現在の順天市内にも出没していました。

 

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そんなある日、新田マウルに少年を連れたパルチザンたちが現れます。14歳だというその少年は銃創を受けており、パルチザンはその治療と世話を住民たちに命じて去ってゆきます。断った場合には報復すると脅されたためでもありますが、傷を負った少年を放っておくわけにもゆかず、マウルの住民たちはかいがいしく少年の治療と世話をします。
傷の癒えた少年がマウルを去ってからしばらく経った1949年10月、再びその少年が新田マウルを訪れます。ただし今度はパルチザン仲間ではなく、その討伐活動中の国軍15連隊の兵士たちに連れられて。別の場所で捕まった少年を拷問のうえ尋問したところ、新田マウルの住民に世話になったことを自供したためでした。
国軍兵士たちはまず少年に、自分を世話してくれたマウルの人々を指差すように命じます。それが「指の銃」、すなわち自分に指差された者の死を意味することを悟り、ためらう少年。しかし兵士の脅しに負け、ついに自分の世話をしてくれた住民たちを一人一人指差します。傷の治療をしてくれた人、薬を与えてくれた人、衣服を与えあるいは洗濯してくれた人、米を与えてくれた人、そして柿を与えてくれた人。
こうして指を差された22名はひとつの家に閉じ込められ、兵士による一斉射撃の末に火を放たれて家ごと、そして当時32世帯あったというマウルごと焼かれました。殺害された22名の中には幼児3名や身体の不自由な老人も含まれていたといいます。

 

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虐殺事件が起きた1949年10月8日は旧暦だと8月17日、韓国の重要な年中行事である「秋夕」(추석:チュソク。旧暦8月15日)の翌々日にあたる日でした(1949年10月7日:旧暦8月16日に発生したとの説もあり)
秋夕といえば、本来ならば家族が顔を合わせて先祖の墓参りやお供え物をしたりする日です。毎年この時期になると韓国では都市部に暮らす人々がわざわざ郷里へ帰省するため、高速道路が大渋滞するニュースなどをご記憶の方も多いことでしょう。そんな秋夕の直後にマウルの住民の多くが虐殺され、同じ日が命日となったため、この新田マウルは「秋夕のない村」とも呼ばれています。

 

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そして、マウル入口で私に話しかけてきた女性が案内してくださったのが、写真の空き地。新田マウルの中央部にあるこの空き地こそが、住民22名が一斉射撃の末に家ごと焼かれたその現場です。
親切にも少年を世話してあげた、たったそれだけの理由で命を絶たれなければならなかった22名の人々の無念、その遺族たちの悲しみや苦難に思いを馳せます。

70年前のその日に父を失ったというその女性は、現場を丁寧に案内してくださるのみならず、事件当時をよく知る方を呼ばうとあれこれ手配してくださるなど(結果的に面会はできませんでしたが)、とても親切な対応に終始されていました。その案内の中で、あの家もこの家も犠牲者を出した、遺された家族はとても苦労したという話が強く印象に残っています。新田マウルの1949年は、おそらくまだ終わっていません。

 

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新田マウルの入口、私が先ほど降り立った「新田」バス停の隣には写真の案内板があります。この案内板は「麗順事件」、そして1949年10月の新田マウルでの虐殺について言及したものです。
かつて順天駅や順天大学校の構内、本エントリーの冒頭でも紹介した東川(トンチョン)沿いなど、順天市内の「麗水・順天事件」に関連する複数の史跡にこうした案内板が設置されていたといいます。しかし保守団体の抗議により遅くとも2009年までにすべて撤去され、順天市内で現在も案内板が残る史跡はここ新田マウルが唯一となっています。

 

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実は新田マウルの案内板もー度は撤去されたそうで、その後マウル内の片隅に放置されていたものを近年になって現在地に移設した経緯があります。しかし、バス通りに面した表側の記載内容は「麗順事件」に関する一般的な説明でしかありません。新田マウルでの虐殺に関する説明はその裏面にありますが、ただでさえ経年劣化でぼろぼろになっているうえ、案内板のすぐ裏手には急な石垣があるため人が立ち入れるだけのスペースはなく、無理してその石垣に登らない限りまともに読むことはできません。
この状況だけ見ても、事件を巡る見解や理念の対立が今日も依然続いていることを垣間見ることができます。

 

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先のエントリーでも紹介したように、昨年(2018年)訪れた麗水市では葛藤を経ながらも「麗水・順天事件」各史跡の案内板が今日も保全されています。またその麗水市では関係者による長年の努力が実り、事件70周年の昨年になって事件後初の合同慰霊祭の実現へと至っています。
写真は昨年10月に訪問した、順天八馬(パルマ)総合運動場の敷地内にある「麗順事件慰霊塔」です。2006年建立。麗水市に先んじて市内の全犠牲者を追悼するこの碑を建て、また合同慰霊祭を実現した順天市。撤去された案内板の再設置による、その新たな記憶継承の取り組みを期待するばかりです。

  

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新田マウルを含む楽安面は全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ)と隣接しており、特に筏橋邑の中心部からの距離は同じ順天の市街地よりもずっと近いこともあって、宝城郡の農漁村バス(市を走る「市内バス」に対し、主に郡内を走る路線バスの一般名称)が乗り入れています。筏橋まで行く写真のマイクロバスに乗って、次の目的地へ向かいます。

 

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山道を少し走った後に下車したのは写真のバス停。
このバス停の向かい側から、「金ドゥン寺」(금둔사:クムドゥンサ)という寺院への参道が始まっています。
漢字で書くと「金芚寺」ですが、「芚」(草かんむりの下に屯)の字が環境によっては文字化けする可能性があるため、本エントリーでは「金ドゥン寺」と表記します。

 

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金ドゥン寺は金銭山(금전산:クムジョンサン、667.9m)の麓にある仏教寺院で、その沿革によると西暦583年に曇恵和尚(タメ・ファサン)が創建したとありますが、後述する文化財の製作時期や発掘調査の結果などから統一新羅時代の9世紀頃創建という説が有力です。後の朝鮮時代、15~16世紀に製作された地理書『新増東国輿地勝覧』に「金銭山に金ドゥン寺あり」という記述があり、この寺院を指すものと推定されています。その後、時期は不明ですが完全に廃寺となったものを1980年代に入り仙岩寺(ソナムサ)の僧侶が再建、現在へと至ります。

  

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やや長い参道を抜けて、金ドゥン寺の境内に入ります。

 

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境内の奥、写真1枚目の石段を登った先には韓国の宝物(日本の重要文化財に相当)に指定された2つの文化財があります(写真2枚目)。

 

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まずひとつは「金ドゥン寺址三層石塔」(宝物第945号)。高さ約4mのこの石塔は金ドゥン寺創建時期の9世紀頃に建立されたものと推定され、統一新羅時代の典型的な様式を備えているとのことです。金ドゥン寺が廃寺となった後、盗掘などにより倒壊し部材が散乱していたところを1979年に復元したものです。
基壇上層の四面には八部衆像が各面2体ずつ、またその上段の四面には仏像に対し茶菓を供養する供養像と錠前付きの扉が交互に刻まれています。

 

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もうひとつは三層石塔の奥側の崖寄りに立つ「金ドゥン寺址石造仏碑像」(宝物第946号)。長方形の平らな石の片面に刻まれており、碑石のような形態をしているため「碑像」の名が付いています。こちらも統一新羅時代の9世紀頃建立と推定され、相互の位置関係から三層石塔と関連があるとみられています。時代が下った高麗時代に抽象化される前の、新羅時代の写実的な仏像彫刻手法を残しているとのことです。

 

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三層石塔と石造仏碑像のある高台から見下ろした金ドゥン寺の伽藍。

 

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金ドゥン寺の伽藍。これらは1980年代以降の建築物であり文化財的価値はまだありませんが、韓国の仏教寺院らしい雰囲気を味わうことができます。境内を貫流する小川には、この前日に訪問した仙岩寺の昇仙橋(スンソンギョ)に似た美しいアーチの石橋が。

 

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厠間(チュッカン)。トイレであり、寺院のものは特に「解憂所(ヘウソ)」とも呼びます。こちらも前日に仙岩寺にて訪問した文化財のトイレ「順天仙岩寺厠間」とよく似た伝統様式です。ただ、残念なことにここ金ドゥン寺の厠間は閉鎖されていました。
このように金ドゥン寺の伽藍の各施設が仙岩寺のそれに似ているのは、前述したように再建したのが仙岩寺出身の僧侶であり、また現在の金ドゥン寺が仙岩寺と同じ韓国仏教太古宗(テゴジョン)に属しているからなのかもしれません。

 

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この日は約30分間の訪問中、土曜日にもかかわらず他の訪問者と誰一人遭遇することはありませんでした。バスの本数は少ないとはいえあの楽安邑城民俗村(ナガンウプソン・ミンソクチョン)から近く、千年前の貴重な文化財を2つも擁する金ドゥン寺、もう少し顧みられてもよいように思います。毎年1月、全羅南道で最初に咲くという紅梅「金ドゥン寺臘月梅(ナブォルメ)」もまた美しいことこの上ないそうですので、例年その時期には賑わうのかもしれません。

 

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金ドゥン寺へのアクセスは、Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅西側(순천역서측)」バス停より市内バス<61>番に乗車、約53分で到着する「金ドゥン寺(금둔사)」で下車。そこから伽藍までは徒歩で約5分ほど要します。順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<61>番に乗車(約49分)、以下同じ。ただし<61>番市内バスは一日3本しかありませんので要注意です。
順天駅からであれば、Korail「筏橋」駅経由という手もあります。まずはムグンファ号(約23分)で筏橋駅へ移動、そこから徒歩約7分(約420m)の「税務署アプ(세무서앞)」バス停より農漁村バス<낙안(楽安)20-1>に乗車、約40~45分で到着する「金ドゥン寺(금둔사)」で下車、以下同じ。ただしこちらもムグンファ号・<낙안20-1>バス(金ドゥン寺を経由する便)ともに一日4本しかありません。

金ドゥン寺(금둔사:全羅南道 順天市 楽安面 上松里 山2-2) [HP]

  

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金ドゥン寺から楽安邑城へは徒歩でも40分程度(約2.7km)とのことですので、ここからは徒歩に切り替えます。
ちなみに順天市内バスや宝城郡の農漁村バスも走るこの道路は「趙廷来キル」(キルは「道」の意)といい、これまで何度か紹介してきた韓国の大河小説『太白山脈』(태백선맥:テベクサンメク)の著者、趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏にちなんだものです。『太白山脈』の主舞台である筏橋邑の「筏橋共用バスターミナル」前から始まり、楽安邑城民俗村や金ドゥン寺、新田マウルなどを経て順天市昇州邑(スンジュウプ)、趙廷来氏の出身地である仙岩寺の手前まで続きます。

 

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そんな趙廷来キルの途中、楽安邑城へ向かって右手にあるのが写真の「楽安温泉(ナガン・オンチョン)」。
公式HPによると、楽安温泉は金銭山中腹の地下831mからくみ上げた温泉水を使用しているとのこと。また韓国観光公社のこちらのページによると、高濃度の水素イオンにより滑らかな水質で、硫黄やゲルマニウム、カルシウムなど13種類の成分を含有し、水虫、湿疹、フケ、アトピー性皮膚炎の改善に効果があるそうです。
「沐浴湯」(목욕탕:モギョッタン)と呼ばれる韓国の銭湯は雰囲気が好きで、以前にも釜山や江原道(カンウォンド)太白(テベク)市などで入ったことがありますが天然温泉のそれは初めてです。内部には高温(といってもそんなに熱くない)と低温の湯に定番のサウナ&水風呂、そして隣接する宝城郡と並ぶお茶の産地でもある楽安面らしく「緑茶湯」もありました。やはり温泉は気持ちいいですね。

 

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写真は脱衣所のベンチに置かれていたセルフ販売の鶏卵。日本では見慣れない光景ですが、俗に「麦飯石鶏卵」などと呼ばれ韓国の銭湯では定番のおやつのようです(実はゆで卵ではなく焼き卵)。見えづらいですが3個で1,500ウォン、5個2,000ウォンとあります。

 

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「楽安温泉」の営業時間は午前6時~午後8時、年中無休。入湯料は大人6,500ウォン。1階は男湯、2階は女湯です。アクセス手段は前述した金ドゥン寺とほぼ同じで、<61>番バスの場合は1~2分上乗せ、<낙안20-1>バスの場合は同じだけ差し引いた時間で到達できる「楽安温泉(낙안온천)」バス停より徒歩約1分(約100m)です。また、楽安邑城民俗村の玄関である「東門(楽豊楼)」から徒歩約32分(約2.1km)で到達できます。

楽安温泉(낙안온천:全羅南道 順天市 楽安面 趙廷来キル 933 (上松里 105-3)) [HP]

 

お風呂から上がると時刻は正午過ぎ。午前中の汗を温泉で流し、この日の主目的地である楽安邑城民俗村へと向かうのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

順天の旅[201908_05] - 曹渓山登山④美しい石造アーチの「昇仙橋」、仙岩寺門前名物のフギョムソ(黒ヤギ)トッカルビ

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の2日目、2019年8月30日(金)です。 

 

仙岩寺広域図
この日の午前9時過ぎに「松広寺」(송광사:ソングァンサ)を発ち、曹渓山(조계산:チョゲサン、884mまたは887m)の最高点・将軍峰(장군봉:チャングンボン)を経由する登山も、7時間半を経てようやく最終目的地の「仙岩寺」(선암사:ソナムサ)に到着。しかし、この日の行程はまだまだ終わりではありません。

 

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山中の日没は早く、すでに日が落ちた仙岩寺を後にします。
先ほど訪れ、この時間にはすでに閉店していた先覚堂(ソンガクタン。売店)の前を再び通過。
この先覚堂の前には、長い楕円形をした中に島がひとつ浮かぶ小さな池があり、「三印塘」(산인당:サミンダン)と呼ばれています。
三印とは「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三法印を意味し、仏教の中心思想を塘(池)の形で具現したもので、他の場所では見られないものだそうです。新羅時代の862年に道詵国師が造ったものが原形とも言われていますが、もっと新しいという説もあります。全羅南道記念物第46号。

 

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さらに進むと、仙岩寺でどうしても見たかったもうひとつの物件が現れます。
そう、前回エントリーでも少しだけ言及した、仙岩寺川にかかる宝物第400号の石造アーチ橋「昇仙橋」(승선교:スンソンギョ)。全長約14m、高さ約7m、幅約3.5mと立派な石橋です。
昇仙橋の特徴といえば、何と言ってもその形が虹のようだとして虹霓(ホンイェ、こうげい)と呼ばれる見事なアーチ。沢から見上げたその形があまりにも美しく、順天の観光関連コンテンツでは頻繁に目にします。順天市のランドマークと言っても過言ではない存在です。

 

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昇仙橋は朝鮮時代後期の1713年、一時は廃寺同然となった仙岩寺を再建した護岩(ホアム)大師(テサ)によって築造されました。
昇仙橋には、その建設にまつわるひとつの伝説があります。昇仙橋落成の十数年前、護岩大師はどうしても観音菩薩に会いたいと願い、そのために百日祈祷を捧げましたが願いがかなうことはありませんでした。護岩大師が落胆のあまり崖の上から身を投げたところ、突然現れた女性に命を救われます。すぐに姿を消したその女性こそが顕現した観音菩薩であると悟った護岩大師は、昇仙橋の境内に観音菩薩を祀る円通殿を建て、参道を分断する川に昇仙橋を架けた、というものです。
現在は文化財保護のためルートが変更されて脇道のようになっていますが、かつて昇仙橋は仙岩寺への参道上にあり、参拝者の誰もが渡る橋でした。

 

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写真は以前にこちらのエントリーでも紹介した、順天市と隣接する全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ)の「虹橋」(홍교:ホンギョ。宝物第304号)です(2017年10月撮影)。巨大な単一アーチの昇仙橋に対し小さめの3連アーチと形態こそ異なるとはいえ同様に美しい虹霓、かつ互いの距離の近さ(現在の道のりで約24km)から類似性も指摘される両者ですが、虹橋は24年後の1737年竣工であり、工法に若干の差異が見られるそうです。

 

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昇仙橋の少し仙岩寺寄りに建つこちらの建物は「降仙楼(カンソンルー)」といい、1929年に建てられたものです。神仙が天に昇る橋が昇仙橋ならば、こちらは神仙が天から降りる楼閣。すてきなネーミングです。その対照的な名称からも分かるように、降仙楼は仙岩寺との調和をなすことを目的に建てられたといい、昇仙橋のアーチ越しに降仙楼が覗き見える風景は一幅の絵画のような美しさを誇ります。「승선교」で画像検索すると大量に出てくるその姿を撮りたかったのですが、この日はすでに日が落ちて久しく、写真で見るよりも辺りは暗くなっており、沢に下りるのは危険でしたので断念しました。再訪した際にはぜひ写真に収めたいと思います。

 

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降仙楼の直下には1939年に造られた写真の小さなセメント橋があります。「仙源橋(ソノンギョ)」と呼ばれるこの橋には竣工年の「昭和十四年」などの銘文が刻まれており、うち年号「昭和」の部分は削られているそうです。日本が35年間の植民地支配でしてきたことを考えると当然の行為でしょう。訪問後に知ったため銘文の写真はありません。

 

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昇仙橋から見て仙岩寺川の下流側、駐車場寄りにも小さめの石造アーチ橋があります。
こちらも小さいとはいえ美しい石橋なのですが、昇仙橋が予想以上に立派すぎるため、こちらが昇仙橋だと間違えそうになるほどです。かつては昇仙橋と同じく、参道上にあったとのことです。

 

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参道沿いにあった浮屠(부도:プト。仏塔の一種)群。

 

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一柱門から20分あまり歩き、ようやくチケット売り場とバス停のある駐車場に到着。この日の朝に訪れた松広寺や、昨年(2018年)8月に訪問した江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市の清平寺(チョンピョンサ)もそうでしたが、韓国の地方のお寺は駐車場や最寄りのバス停から結構歩かされることが多いようです。
松広寺と同じく、仙岩寺の駐車場にもまた門前の食堂街があります(写真)。ただこちらは松広寺のような堂々とした韓屋ではありません。

 

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駐車場を出てさらに市街地方面へ進むと、バス通り沿いに写真のような壁画が描かれたちょっとした壁画マウルがあります。愛嬌のある小坊主さんたちの姿に目尻が下がります。

 

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さらに進み、仙岩寺バス停の次である「槐木」(괴목:ケモク)バス停のあたりには、仙岩寺門前の名物料理である「フギョムソトッカルビ」の店がいくつかあります。
今回選択したのは、バス通りから仙岩寺川を渡った向こうにある写真のお店「郷土ガーデン」。郷土は「ヒャンド」、ガーデンは韓国語で「ガードゥン」と発音します。

 

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こちらのお店は仙岩寺川を見下ろすテラス席がたくさんあり、風情があります。ディナーバイキングもやっているらしく、多くの来客でにぎわっていました。

 

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食事に先立ち炭火が登場。本格派の店であることをうかがわせます。

フギョムソとは「黒ヤギ」、トッカルビとは固めて焼いた粗挽き肉に甘めのタレをまぶして食べる韓国風ハンバーグのことです。トッカルビには、以前にこちらのエントリーで紹介した光州(クァンジュ)広域市の名物「松汀(ソンジョン)トッカルビ」のように牛肉を用いることが一般的ですが、こちらは韓国で滋養強壮に効果があるとされる黒ヤギの肉を用いて供されます。黒ヤギといえば釜山広域市の観光地「金井山城(クムジョンサンソン)」の金井山城マッコリと並ぶ名物「フギョムソプルコギ」が有名ですが、まだ口にしたことはありません。黒ヤギ肉、そしてその肉で作るトッカルビは一体どんな味なのでしょうか。

 

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そしてやって来たフギョムソトッカルビ。いい肉色です。牛肉並みに高価なものですので、量はそこまで多くはありません。これを炭火でじっくり焼いて食べます。

 

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そして焼きあがったトッカルビ。まずはそのままひと口。ヤギ肉特有の香りは想像していたよりも控えめですがしっかりついています。そんなヤギの肉と独自の甘みのある味付けが絶妙なバランスを醸し出します。これ、かなりうんまい。ご飯と一緒に食べると何杯でもいけそうですが、あっという間にトッカルビがなくなりそうですので少しずつ切って食べ進めます。 

 

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一緒にやって来たパンチャン(付け合わせのおかず)の数々。種類が多いうえ、他のお店ではあまり見かけない山菜らしきものが多いです。写真2枚目下のひょろっとした植物は、トウキ(当帰。韓国語では「タンギ」)。漢方薬の材料でもよく目にするあれです。韓国の飲食店でこれが出てきたのは初めて。独特の香りがあります。これらをフギョムソトッカルビと一緒にサンチュで包んで食べてもうんまいのです。

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こちらのお店の店主らしき女性がとても親切な方で、わざわざトッカルビを焼いてくださるのみならず、どのおかずとトッカルビを一緒にサンチュでくるんで食べるとおいしいかを指南してくださるという。さらにはサービスの追加トッカルビ3個まで登場。下手っぴな韓国語のため来店早々すぐに日本からの訪問者だと見抜かれてしまっても、親切なご対応に終始されていました。できれば再訪して恩義に応えたいところですが、次はいつになるか分からないので、まずは日本で韓国憎悪の言説に抗うことで応えることを誓います。

日本では韓国での日本製品不買運動を歪曲的に取り上げて「いかに韓国人が日本を嫌いか」という自己投影そのものの報道に執心していますが、現実はこの通りです。しかし、日本政府による韓国への敵意むき出しの外交政策、歪曲してまで憎悪を煽る日本のメディア、そして街頭デモや日本語ネット空間にあふれるむき出しのヘイトを言論の自由だと許容してきたのは私たち日本社会の構成員であり、したがって韓国の人々を絶えず裏切ってきたのも私たちです。私はこれらに断固反対の立場とはいえ「自分には関係ない」などと回避する資格はありません。責任はひとえに私たち日本社会の構成員にあります。

 

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締めはすっぱうんまいメシル茶(ホットの梅ジュース)で。梅は順天市の名産品のひとつです。

 

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こちらのお店「郷土ガーデン」の営業時間は正午~午後9時、年中無休。
アクセス手段は前回エントリーで紹介した仙岩寺と同じく<1>番バスを利用し、終点「仙岩寺(선암사)」のひとつ手前の「槐木(괴목)」バス停で下車します。Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<1>番に乗車、約1時間03分で到着する終点「槐木」で下車、橋を渡って徒歩約2分(約160m)順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<1>番に乗車(約58分)、以下同じ。なお「槐木」バス停は連続して2つあるので注意が必要です(仙岩寺方面行きは2番目の「槐木」で下車)。

郷土ガーデン(향토가든:全羅南道 順天市 昇州邑 昇州槐木2キル 3 (竹鶴里 632-1)) [HP]

 

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お店を出ると辺りはすっかり真っ暗に。事前に調べていた仙岩寺を午後8時05分に発つ<1>番バスに乗って、ホテル最寄りの在来市場「アレッチャン」へ戻ります。前述したように1時間以上かかることになっている距離ですが、夜間でしかも途中まで貸切状態だったためか、わずか40分ほどでアレッチャンに到着。

 

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この日(8月30日)は金曜日。毎週金・土曜の夜限定のアレッチャンの新名物「夜市場(ヤシジャン)」が開催中です。アレッチャンのバス停に到着するやいなや、会場から100mは離れているにもかかわらずステージイベントらしきサウンドが。いてもたってもいられず会場内へ直行します。

 

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アレッチャンの夜市場。規模だけを見るならば、夜市場の元祖である釜山の「富平(プピョン)カントン市場」、あるいは韓国でも最大級の夜市場である大邱(テグ)の「西門(ソムン)市場」ほどではないものの、ステージでは観客を巻き込んだショーイベントが開催されており、他にない独特の盛り上がりがあります。

 

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夜市場会場の屋内広場の天井には、なんと回転するミラーボールまで。これまで韓国でいくつもの夜市場会場を巡ってきましたが、さすがにこれは見たことはありません。
ちなみにこちらの屋内広場、末尾2と7の日の日中に開催されるアレッチャン五日市のメイン会場でもあり、開催当日は農産物などの露店で埋め尽くされます。ミラーボールの下で開催される五日市はたぶん韓国でも唯一でしょう。

 

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夜市場の醍醐味といえば、何と言ってもやはり数多く登場するグルメ屋台。韓国料理はほとんどなく、日本を含む海外の料理、あるいは無国籍料理が主流です。これはアレッチャンのみならず、元祖の富平カントン市場をはじめ韓国の夜市場に総じて見られる傾向で、非日常を演出したいという狙いがあるのかもしれません。

 

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数ある屋台の中から選んだのは写真のお店。こちらの屋台にも日本製品不買運動の意思表示である「No! Japan」の張り紙がありますが、日本人そのものが拒絶されているわけではないので利用します。

 

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f:id:gashin_shoutan:20190930232345j:plainこちらの代表メニューは、たっぷりのホワイトソースを乗せたキチョゲ(タイラギ)を殻ごと焼き、その上にトマトっぽいソースをかけたもの。これまた夜市場の醍醐味である、炎を用いた派手なパフォーマンスの後に渡されます。値段は5,000ウォン(約450円:2019年8月現在)とタイラギ入りにしては安いです。
熱々のホワイトソースの中には心地よい弾力のあるタイラギ貝柱に加え、パインになんとナタデココまで。びっくりしましたが、これが意外と合うのです。この発想はなかった。
お酒はカース(CASS)のブランドで知られる韓国のビール大手、OB麦酒の新製品「FiLGOOD(ピルグッ)」。こちらは厳密にはビールではなく日本でいう発泡酒に相当するもので、缶のふちにはローマ字で「HAPPOSHU」とあります。日本の発泡酒へのリスペクトなのかもしれません。

 

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9時を過ぎ、ステージイベントが終わっても盛り上がる来場者、そして屋台。そうした楽しい雰囲気の中にもひとつだけ惜しいのは、こちらのエントリーでも触れたように、会場内に面する常設店舗「61号ミョンテジョン」が臨時休業中であること。再開後の金土には以前のように、うんまいチルルッケティギムや各種ジョン、複数種類のマッコリを味わいつつ夜市場の雰囲気を楽しむことができるでしょう。店主さんの一日も早い快復を祈るばかりです。

 

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アレッチャンの夜市場は毎週金・土曜日の午後6時~午後11時開催。冬期はそれぞれ1時間ずつ繰り上がります。また前述したように末尾2と7の日に開催される五日市は、全羅南道はもとより韓国でも最大級のひとつとされ、それ自体が順天市の観光名所となっています(こちらの五日市の写真に限り2018年12月撮影)

 

「順天駅」バス停
アレッチャンへのアクセスは、Korail「順天」駅からであれば駅正面の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス(写真のバス停であればどの路線でもOK)に乗って2つ先の「アレッチャン(아랫장)」バス停(所要約3分)で下車、徒歩約4分(約250m)全行程徒歩でも約17分(約1km)です。順天総合バスターミナルからは徒歩約10分(約600m)

アレッチャン(아랫장:全羅南道 順天市 昇州邑 長坪路 60 (豊徳洞 1264)) [HP]

 

こうしてお腹いっぱいになったところでホテルヘ戻り、4万歩超、約20kmの登山道を踏破した両足をなだめつつゆっくりと休むのでした。

それでは、次回のエントリーヘ続きます。

順天の旅[201908_04] - 曹渓山登山③文化財のトイレもあるユネスコ世界文化遺産「仙岩寺」の伽藍を歩く

前々回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の2日目、2019年8月30日(金)です。

 

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この日の午前9時過ぎに「松広寺」(송광사:ソングァンサ)を発ち、曹渓山(조계산:チョゲサン、884mまたは887m)の最高点・将軍峰(장군봉:チャングンボン)を経由する登山も、7時間半を経てようやく最終目的地の「仙岩寺」(선암사:ソナムサ)に到着しました。
門前の売店「先覚堂(ソンガクタン)」から短い坂道を登ると、仙岩寺の正門であり、全羅南道有形文化財第96号にも指定されている「一柱門」(일주문:イルジュムン)が現れます。松広寺のエントリーでも書きましたが、4本以上の柱に支えられた一般的な楼門とは異なり、横一列に立った2本の柱でのみ支えられているため「一柱門」の名がついたといいます。

 

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この日の朝に立ち寄った松広寺のそれにも寺名や山名を示す扁額がありましたが、こちらのものは松広寺とは異なり宗門の記載はなく、ただシンプルに「曹渓山仙巌寺」とだけあります。改行の仕方を含めインパクトのある扁額です。 

 

仙岩寺伽藍図
仙岩寺は韓国に27ある仏教宗派のひとつ、韓国仏教太古宗(テゴジョン)に属し、ソウルの奉元寺(ポンウォンサ)とともに同宗の総本山となっています。
その名の由来には諸説あり、一説には遠い昔、神仙たちが曹渓山山頂近くの「ペバウィ」(배바위:「船の岩」の意。こちらのエントリーにて紹介)の上で囲碁を打っていたという伝説にちなんでその名がついたとされています。
仙岩寺はその創建についてもまた諸説があります。三国時代の529年に高句麗(コグリョ)の僧の阿道(アド)和尚(ファサン)が海川寺(へチョンサ)として創建したという説がありますがこれは疑問視されており、新羅時代末期の875年に道詵(トソン)国師(ククサ)が創建したのが始まりだというのが有力なようです。その後、高麗時代前期の1088年に大覚(テガク)国師義天(ウィチョン)が重創(再建)したとされています。

 

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1597年の丁酉再乱(慶長の役豊臣秀吉による2度目の朝鮮侵略)では大半の建物が焼失。その後17世紀半ばに再建の動きがありつつも再び大火に遭い一時は廃寺同然となりますが、同世紀末には護岩(ホアム)大師(テサ)が複数の殿閣を建てて再建。仙岩寺、いや順天市のランドマークというべき宝物第400号の石造アーチ橋「昇仙橋」(승선교:スンソンギョ。写真)もこのとき護岩大師によって築造されています。しかしその後また大火に遭ったことで再び廃寺状態となってしまいます。
このように仙岩寺が度重なる火災に見舞われるのは風水的見地による曹渓山の山強水弱の地勢のためだとして、1761年には曹渓山が清凉山(チョンニャンサン)、仙岩寺が海泉寺(へチョンサ)とそれぞれ水を連想させる名前に変えられたこともあります。それでも1823年にはまたもや大火に遭い、その後再建がなった時点で再び元の名前に戻されています。

 

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こうした歴史ある寺院であることから仙岩寺はそれ自体が史跡第507号に指定されているほか、曹渓山や松広寺とあわせて名勝第65号「曹渓山松広寺・仙岩寺一円」にも指定されています。さらに昨年(2018年)には「山寺、韓国の山地僧院」を構成する8つの寺院のひとつとしてユネスコ世界文化遺産にも登載されました。

 

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仙岩寺には松広寺のような国宝こそなく、文化財に指定された物件の総数も松広寺よりは少ないですが、それでも敷地内には宝物14点に全羅南道の各種文化財有形文化財・記念物・文化財資料)計11点、天然記念物1点などを擁し、うち建物や石塔など不動産の数では松広寺のそれを上回ります。また後述するように仙岩寺は韓国有数の梅の名所でもあり、加えて僧侶たちが栽培・収穫するお茶も名物として知られています。
余談ですが、順天市や隣接する全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ)などを舞台とする、本ブログでも度々紹介してきた韓国の大河小説『太白山脈』(태백산맥:テベクサンメク)の著者、趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏がまさにここ仙岩寺の出身です(父が仙岩寺の僧侶)。
こうした理由に加え、前述した昇仙橋、そして韓国でも極めて珍しいある特殊な文化財(後述します)の存在もあって、私にとっては以前からどうしても訪れたい存在でした。

 

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話を戻して、一柱門を抜けて通り仙岩寺の境内に入ります。
売店もある「梵鐘楼(ポムジョンヌー)」の下を通り抜け、目の前にある「万歳楼(マンセルー)」という建物の脇を通り抜けると、仙岩寺の本堂であり宝物第1311号に指定されている1824年築の「大雄殿」(대웅전:テウンジョン)が現れます。

 

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大雄殿前の広場には、こちらも宝物第395号に指定されている、9世紀頃(統一新羅時代)建立の「仙岩寺東塔・西塔」の2基の石塔が建っています。広場は松広寺のそれよりも狭いですが、歴史ある大雄殿と2基の石塔が風景を引き締めています。

  

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八相殿(팔상전:パルサンジョン。全羅南道有形文化財第60号)。釈迦如来の生涯を8つの場面に分けて描いた「八相図(パルサンド)」を祀っている法堂です。

 

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仏祖殿(불조전:プルジョジョン。全羅南道有形文化財第295号)。仏祖殿とは、一般的にはその寺院を建てた僧侶や歴代の僧侶などの肖像画を祀るところですが、仙岩寺の場合は過去の7体と未来の53体の計60体の仏像を祀っているそうです。

 

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円通殿(원통전:ウォントンジョン。全羅南道有形文化財第169号)。初代の建物は1660年に建てられ、その後護岩大師によって1698年に建て直されましたが1759年の火災で焼失しており、現在の建物は1824年に再建されたものです。護岩大師の命を救ったという伝説のある観音菩薩が祀られています。

 

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仙岩寺の境内にあるこちらの木は、天然記念物第488号に指定されている「仙岩梅」(선암매:ソナンメ)であり、推定樹齢はなんと650年にもなるそうです。

 

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この「仙岩梅」のほかにも仙岩寺には、若いものでも樹齢300年以上という梅の木が無憂殿(무우전:ムウジョン。写真右側の建物)沿いに30本ほど植えられており、毎年3月頃になると満開になるというその姿は、それはもう美しいことこの上ないといいます。

 

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梅の並木道をさらに奥へ進むと、「覚皇殿」(각황전:カッカンジョン。全羅南道文化財資料第177号)があります。現建物は韓国文化財庁のページでは1760年築となっている一方、仙岩寺のHPではその後1823年に焼失し1835年に再建されたとなっています。覚皇殿は無憂殿ともども関係者以外立入禁止エリアにありますが、無憂殿の裏手に回るとこうして全体像を見ることができます。

 

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松広寺と同じく、仙岩寺にもまた仏教関連の文化財の数々を展示した「聖宝博物館(ソンボ・パンムルグァン)」があります。ただし訪問当日は工事中とのことで観覧はできませんでした。

さて、前述したように仙岩寺にはどうしても訪問したかった物件が2つありました。
ひとつは石造アーチ橋の「昇仙橋」で、これは境内の外、少し離れた場所にあるため帰りがけに寄ることにします(次回エントリーにて紹介予定)。

 

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そしてもうひとつが、写真の建物「順天仙岩寺厠間」。
「厠間」(측간:チュッカン)とはトイレのことで、それらの中でも寺院のものは特に「解憂所」(해우소:へウソ)と呼びます。憂いを解く所と書いて解憂所。すてきな名前だなと思います。

 

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さてこちらの厠間、なんと現役のトイレ建物そのものが文化財全羅南道文化財資料第214号)に指定されているという韓国でも稀有の物件です。単体で文化財指定されているトイレは、韓国ではこちら仙岩寺の厠間と、江原道(カンウォンド)寧越(ヨンウォル)郡の「報徳寺」(보덕사:ポドクサ)の解憂所の2件だけしかありません。
はっきりした築年は不明ですが、遅くとも1920年頃には存在したという歴史ある仙岩寺の厠間、どうしてもこの目で見てみたかったのです。

 

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厠間の建物は木造で、平面は丁字型をしています。これは韓国の解憂所の伝統様式で、この日の朝に訪問した松広寺の解憂所も同じ形態をしていました。

 

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厠間の出入口の上、特徴的な風板の下には「뒷간(ティッカン)」と右から書かれた木の札が掲げられています。뒷간とは直訳すると「後ろの所」の意味で、「便所」を婉曲的に表現した単語です。ここでは何故か「뒷(ティッ)」のパッチム(ハングルの下部につく子音字母)である「ㅅ」(サイシオッ)が、続く「간(カン)」の左上にくっついています。ある方にご教示いただいたところこれは誤りではなく、かつての文法に従った表記だとのことです。

 

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厠間の内部。向かって左側が男子用、右側が女子用となっています。松広寺にはあった男子用の小便器はこちらにはありません。

 

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男子トイレの内部は写真のように低い仕切りだけで扉すらなく、したがって入っている人がいれば頭が見えることになります。現在は扉付きの個室になっている松広寺の解憂所も、1993年に改装されるまではこうした形態だったそうです。
当然ながら水洗ではなく、木の床には四角い穴だけが空いており、穴の周辺にはおがくずらしきものが盛られています(写真はこちら)。穴の数メートル下には落ち葉が積まれており、出されたものはその中に落ちて自然分解されることになります。かつてはこれを畑の堆肥として用いていたようですが現在は衛生上そうもゆかず、廃棄物として処理されているそうです。

 

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ちなみに、松広寺にはなかった現代的な水洗トイレも厠間のすぐ裏手に建っています(写真奥)。しゃがむ姿勢が辛い、あるいは高いところや「穴」そのものが苦手という方はこちらを利用するとよいでしょう。

 

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裏側から見た仙岩寺厠間。実はトイレの空間があるのは2階で、建物自体はずっと低い土地に建っており、その地上部分にも扉があります。落ち葉が積まれたスペースはこの奥にあり、その中で自然分解され堆肥化したもの(現在は廃棄物)をここから取り出すようです。こうした規模の大きさ、また仙岩寺の参拝者がとても多かったことなどから「信徒が仙岩寺で用を足すとソウルに帰り着く頃やっと落ちる音がする」という冗談もあるほどです。

 

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写真は、仙岩寺厠間の手水鉢です。
韓国の著名な詩人、鄭浩承(정호승:チョン・ホスン、1950-)氏の作品に「涙が出るなら汽車に乗って仙岩寺へ行きなさい 仙岩寺の解憂所へ行って思い切り泣きなさい」で始まる詩『仙岩寺』があります。
氏はあるとき仙岩寺厠間を訪れ、その壁にあった言葉「大小便を体の外に捨てるように煩悩と妄想も未練なく捨てましょう」に感激してこの作品を生んだといいます。
私は今回、仙岩寺の厠間を訪問こそすれど「利用」はしませんでした。だからかどうかは分かりませんが、この文を書いている今日もなお煩悩や妄想は人一倍残っているように思います。次回訪問のときこそは、煩悩や妄想をその一部でも未練なしに捨て去ることはできるでしょうか。

 

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仙岩寺(ソナムサ)の入場時間は夏期が午前6時~午後7時、冬期が午前7時~午後6時。入場料は成人2,000ウォン(約180円)、学生1,500ウォン(約140円)。また内部にある「聖宝博物館」の入場時間は午前9時~午後6時(冬期は午後5時まで)、ただし午前11時~正午は昼休み。閉館30分前に入場締め切り。毎週月曜日と旧正月・秋夕の連休は休館、入館料無料(仙岩寺と共通)。
Korail「順天」駅からだと駅前の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<1>番に乗車、約1時間06分で到着する終点「仙岩寺(선암사)」で下車、券売所や昇仙橋を経て一柱門までは徒歩約26分(約1.7km)順天総合バスターミナルからだと徒歩約4分(約230m)の「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<1>番に乗車(約1時間04分)、以下同じ。このように順天の市街地から結構遠く、しかもバス停からもかなり歩かされるため、ある程度時間に余裕を持ったご訪問をおすすめいたします。写真は「仙岩寺」バス停にあった時刻表。「순천시출발(順天市出発)」とある左側の列は<1>番バスの始発「海龍大安(해룡대안)」バス停の時刻ですので、「順天駅」バス停の到着はこの10分程度後になるようです。

仙岩寺(선암사:全羅南道 順天市 昇州邑 仙岩寺キル 450 (竹鶴里 802)) [HP]

 

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伽藍を巡っていると、いつの間にか時計は午後6時近くに。テンプルステイの利用者と思しき僧衣姿の人々がスマホを手に、訪問時に通ってきた梵鐘楼の周辺に集まっています。そして午後6時。僧侶の方が梵鐘楼に登るや、「法鼓(ポッコ)」と呼ばれる巨大な太鼓をリズミカルに、かつ威勢よく叩きます。集まっていたのはこれを動画撮影するためだったようです。あまりにも小気味よいリズムであったため聞き惚れてしまい、動画に撮るのを失念してしまいました。

 

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次に「雲板(ウンパン)」という雲の形をした鉄の板、続いて「木鐸(モクタク)」と呼ばれる魚の形をした木魚(魚の内臓にあたる場所を内側から叩く)、そして梵鐘の順に奏でられます。法鼓と梵鐘がある梵鐘楼の近くには、もっと大きな梵鐘が吊り下がった梵鐘閣(ポムジョンガク:写真)があり、後半にはこの梵鐘が打ち鳴らされます。夕暮れの曹渓山一帯に鳴り響く梵鐘、かなりの迫力です。最後に梵鐘楼の梵鐘が鳴らされて、一連の儀式が終了します。

 

以上のうち、前半の法鼓以外については動画に収めてきました。 


仙岩寺、四物による夕方の儀式(全羅南道順天市)

 

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これらは毎朝と毎夕に執り行なわれている儀式だそうで、用いられる法鼓・雲板・木鐸(木魚)・梵鐘を総称して「四物(サムル)」というそうです。仙岩寺訪問を計画されている方は、この時間を狙って訪問されることをおすすめいたします。

 

それでは、次回のエントリーへ続きます。

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