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主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

ソウルの旅[201705_12] - 焚身した労働烈士を記念する「全泰壱橋」、そして鍾路のうんまいもの巡り

前回のエントリーの続きです。

韓国・光州(クァンジュ)広域市を中心に巡った旅の3日目(2017年5月22日(月))です。

 

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終点の龍山(ヨンサン)駅でKTXを下車、首都圏電鉄(地下鉄)1号線に乗り換えて鍾路3街(チョンノサムガ)駅に到着。情感あふれる酒場が無数にあって大好きな街です。タプコル公園近くの定宿にチェックイン。
時刻はすでに午後6時。どこかへ足を伸ばすには遅い時間ですので、今回は鍾路界隈の散歩に徹することにしました。地下には首都圏電鉄1号線も走るメインストリート、鍾路に沿って東へ向かいます(写真は西向きですが……)

 

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鍾路5街(オーガ)、ご存じ広蔵市場(クァンジャンシジャン)。大好きで何度も訪れている場所です。

 

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ユッケやピンデトック(緑豆チヂミ)などの名物で知られるこの市場、アーケード街の中央には無数の飲食屋台が果てしなく並び、終日賑わっています。2本のアーケードが交差するこの地点の写真は見覚えのある方も少なくないことでしょう。実際目の当たりにするともうすごすぎて、思わず笑いが出てしまいます。
ここでピンデトックで一杯引っ掛けたいところですが、今回はがまんしてさらに進みます。
ここからは少し南へ下り、公園化された清渓川(チョンゲチョン)沿いに歩きます。

 

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さらに歩いて、東大門(トンデムン)へやって来ました。
東大門といえばやはり東大門市場。その東大門市場を構成する複数の市場のひとつであり、衣料品を主に扱う平和(ピョンファ)市場のそばを流れる清渓川に、写真の橋がかけられています(この写真に限り2016年8月に撮影)

 

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ポドゥル橋、またの名を「全泰壱橋」。
1970年11月13日、劣悪な労働環境の改善を訴え平和市場の前にて焚身(焼身)し亡くなった労働者、全泰壱(전태일:チョン・テイル、1948-1970)烈士を記念する橋であり、中央には烈士の像が建てられています。
 

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全泰壱烈士は1948年8月26日、現在の大邱(テグ)広域市生まれ。2年後の朝鮮戦争勃発に伴い釜山へ避難した後、烈士の一家は1954年にソウルへ転居。このとき烈士は南大門(ナムデムン)の学校に通いつつ、新聞配達などで貧しい家計を助けます。
62年に生まれ故郷の大邱へ移り、翌63年にはチョンオク高等公民学校に通うものの家庭の事情により1年弱で退学、64年には再びソウルに戻ります。写真は昨年(2016年)10月の大邱訪問の際に撮影したもので、1枚目は中区(チュング)東山洞(トンサンドン)の全泰壱烈士の生家跡にある「全泰壱公園」、2枚目は同区南山洞(ナムサンドン)、烈士のチョンオク高等公民学校時代の住居跡です。残念ながら、いずれもその名称や事実を示す表示板はありませんでした。[参考記事]

 

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ソウルに戻った全泰壱烈士は1965年に研修工として平和市場の衣料商に就職し、転職を経て67年には裁断士となります。そうした中、1日約14時間労働に休日月2日という劣悪な条件、さらに低賃金で搾取されていた10代の女性工員たちに接し、平和市場初の労働運動組織「バボ会」を創立。自身も知ったばかりの「勤労基準法」(日本の「労働基準法」に相当)をそれら女性工員たちに知らしめる活動に取り組みますが、69年にはそうした活動を理由に職を追われます。このエピソードひとつ取っても、当時の韓国低所得層の労働環境がいかに劣悪であったかが実によく分かります。
その後平和市場に戻った全泰壱烈士は、労働の実態を市や労働庁などに訴えるべく1970年9月に「サムドン親睦会」を結成。平和市場の労働者へのアンケートをもとに、10月には陳情書をまとめ上げて労働庁に提出します。この提出が報道されたこともあり、労働庁は「労働条件は改善された」と公式発表をしましたが、実情は何ひとつ変化はありませんでした。

 

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そして運命の1970年11月13日、全泰壱烈士は平和市場前で勤労基準法の「火刑式」を挙行。「勤労基準法を遵守せよ」「我々は機械ではない」と叫ぶとガソリンを浴び、着火。「勤労基準法を遵守し、私の死を無駄にするな」との遺言を残し、その日の夜に22年の短い生涯を終えました。
この事件は当時の韓国社会に大きな波紋を投じ、労働者たちに労働運動を通じた権利闘争を呼び覚ますとともに、それまで労働問題に無関心だった知識人たちの目を向けさせる契機にもなりました。

 

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全泰壱烈士の死後、その母である李小仙(이소선:イ・ソソン、1929-2011)烈士は息子の遺志を継いで清渓被服労働組合の結成を指導。自ら労働運動の最前線に飛び込み、労働運動家たちを世話したことなどから「労働者の母」と呼ばれています。李小仙烈士については、ソウル・独立門(トンニンムン)の「西大門刑務所歴史館」を紹介したこちらのエントリーでも触れていますので、あわせてご一読いただけますと幸いです(パネルの写真も西大門刑務所歴史館にて撮影)

ソウル特別市は先日、ここ全泰壱橋から1.5kmほど離れた寛水洞(クァンスドン)に国内初の「全泰壱記念館」を来年(2018年)中にオープンすると発表しました。その際には必ずや訪問するつもりです。そして、京畿道(キョンギド)南楊州(ナミャンジュ)市の牡丹(モラン)公園の墓地で並んで永遠の眠りにつく、全泰壱・李小仙両烈士の墓にも。 

全泰壱橋(ポドゥル橋)(전태일다리(버들다리):ソウル特別市 鍾路区 鍾路5街 411-1)

 

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全泰壱橋から歩いて3分ほどのこちらの建物は「現代シティアウトレットモール東大門店」という商業施設です。

 

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こちらの建物は1996年、韓国初の政府指定試験卸売センター「居平(コピョン)フレヤ」としてオープン。開業当初は好調でしたが、通貨危機の影響による親会社の不渡りに加え、近隣に登場した「ミリオレ」や「Doota!」など後発組に押され徐々にフロアを縮小。1999年には「フレヤタウン」、2005年には「ファッションバレーチョンデムン」、2008年には「ケレスター」(写真は2011年に撮影したケレスター時代)など何度も改名を繰り返しつつも、2013年にはついに閉店。その後数年の閉鎖期間を経て、昨年年(2016年)春に現代シティアウトレットモールとして開業してからは安定した客足が続いているようです。経営者は異なるとはいえ、居平フレヤやフレヤタウン時代には何度か利用したことのある施設だけにほっとしています。

 

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そんな現代シティアウトレットモールの目玉であり、全国各地の名店の入居などで話題となった地下2階の飲食モール。その中でも特に注目の的となったのが、今回の目的地「イエローカフェ」です。
1974年の発売以来、韓国の人々に愛され続ける飲料「バナナ味牛乳」(바나나맛우유)、通称「バナナウユ」のコンセプトショップであるこちらのお店、すでに訪問済みという方もいらっしゃることでしょう。玄関横には巨大なバナナウユ、黄色で統一された店内にもあちこちにバナナウユの意匠が。

 

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今回注文したのはバナナラテ4,500ウォン(約450円)。おいしかったです。こちらのお店ではキーホルダーなどバナナウユのオリジナルグッズも販売されています(個人的にはバナナウユ以上に大好きなメロンウユももっと扱ってほしいところですが……)
イエローカフェ(옐로우카페:ソウル特別市 鍾路区 将忠壇路13キル 20 (乙支路6街 17-2) 現代シティアウトレットモール東大門店地下2階)

 

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そろそろお腹がすいてきたので、地下鉄で鍾路3街に戻ります。この時間になると路上にはたくさんの屋台が。以前に一度利用したことがありますが独特の雰囲気があって楽しいです。
さていよいよお待ちかねの夕食。ここ鍾路3街界隈は行きたい店の候補がたくさんあるので毎回迷ってしまいます。

 

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悩んだあげくやって来たのは、一見して飲食店とは思えないたたずまいのこちらのお店「ソウル食品」。鄭銀淑さんの著書『韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅』に掲載されていた店で、ずっと気になっていたところです。

 

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こちらのお店は主に食品や雑貨を扱いつつ、その一角でお酒とおつまみを出してくれるという、俗に「シュポ」(슈퍼:スーパー)と呼ばれる個人商店です。そのため写真のようにカップ麺やスナック菓子に囲まれてお酒を飲むという奇妙な体験ができます。

 

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2つしかテーブルのない店内にはすでに1組の先客が。職場帰りと思しき男性たちが食べていたナクチ(낚지:テナガダコ)刺があまりにおいしそうだったので同じものを注文。ごま油ベースのダシが絶妙にマッチしてうんまい。こちらのお店ではジョッキの生ビールが飲めます。

 

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続いて『韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅』でも紹介されていた茹でソラ(소라:サザエ)。こちらもうんまい。やや苦い肝もいいアクセントです。

 

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そして最後にクルジョン(굴전:カキのチヂミ)の「小」。ジョンとは言ってもカキ1粒ずつを衣で包んだものです。そろそろお腹もたまってきた頃合いで、まあ小だし6,000ウォン(約600円)だし大した量ではないだろうと高をくくっていたら、出てきたのはこの量だという。しかしこれがまたうまいのなんの。マッコリとの相性が抜群で、あっという間に完食。

 

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以上、料理3皿に生ビール3杯とマッコリ1本を飲んで料金はなんと34,000ウォン(約3,400円)というびっくり価格。酒類はソジュ(焼酎)を含めいずれも2,000ウォンという超破格値だからこその安さです。

こちらのお店「ソウル食品」の営業時間は午前8時30分~午後10時、日曜定休。首都圏電鉄(地下鉄)1号線「鍾路3街」駅15番出口から徒歩約2分(約150m)同3号線「乙支路3街」(ウルチロサムガ)駅4番出口からだと徒歩約4分(約250m)。店内の席が埋まっても露天席が用意されるようです。個人的に強くおすすめのお店です。近くまた行こうと思います。 

ソウル食品(서울식품:ソウル特別市 鍾路区 鍾路18キル 32 (寛水洞 102-1))

 

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この日はあまり深酒せずに、締めの冷麺へ。
鍾路から明洞にかけては冷麺の名店と呼ばれる店が点在しているものの、いずれも午後10時台までにはほとんど閉まってしまいます。そうした中で写真のお店「クテグチッ」は24時間営業、しかも冷麺がおいしいので、鍾路3街で飲む際にはいつも締めに通っています。
今回はピビン冷麺を注文。おいしいうえに麺をすするのを止めると容赦ない辛さが口中を襲うので一気に食べ尽くしてしまいます。 

クテグチッ(그때그집:ソウル特別市 鍾路区 水標路 123 (楽園洞 227))

 

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帰り道、妖しげな光を放つ楽園商街(ナグォンサンガ)の建物。

 

明けて旅の4日目、5月23日(火)。
この日は仁川発15時台のチェジュ航空で帰国予定。ソウル駅地下の空港鉄道乗り場、出国審査も受けられる「ソウル駅都心空港ターミナル」には出発3時間前までに荷物を預ければよいので、若干余裕があります。

 

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そんなわけでこの日の朝も鍾路界隈の散歩がてら、朝食目当ての店へ歩いて向かうことにしました。5月下旬、午前7時のソウルは気持ちよい涼しさです。写真はユネスコ世界文化遺産にも指定されている宗廟(チョンミョ)西側の塀沿いの小道、西巡邏ギル(서순라길:ソスルラキル)。とてもいい感じです。

 

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宗廟の北側、栗谷路(ユルゴンノ)という道路沿いにはこんな洞門もありました。

 

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首都圏電鉄(地下鉄)4号線「恵化」(フェファ)駅までやって来ました。ソウル大学校の蓮建(ヨンゴン)キャンパスに近いことから一般に「大学路」(テハンノ)と呼ばれる一帯です。実は18回目のソウル訪問にして初めて来ました(たぶん)。

 

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その大学路付近に店を構える、この日の朝食目当てのお店「スンデ実録(シルロク)」。
その名の通りスンデ(韓国式腸詰め)の専門店ですが、他に類を見ない特異なメニュー、しかも私が韓旅関連でチェックしている方々の評判も総じてよく、この日の朝食とした次第です。
今回は名物の「スンデステーキ」、14,000ウォン(約1,400円)を注文。

 

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そしてやって来たスンデステーキ。鉄板の上にはインパクト抜群のぶっといスンデ。意外と硬めの皮を適宜ナイフで切って食べます。
豚肉メインと思しき中身は日本の餃子のそれに近い風味ですが、いい具合に肉汁に浸っています。加えてパリパリした皮(腸)の歯応えと香りが絶妙。うんまい、そして白いごはんが欲しくなる味。すかさず1,000ウォンのコンギパッ(白米)を注文。スンデを先に切っておいて一緒に食べると幸せな気分になれます。

 

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メニュー表を見ると「伝統スンデ」や「スンデジョンゴル」、「1877シュンデ」など同じスンデでもさまざまなラインナップが。徹底したスンデへのこだわりが感じられます。今度は夜に訪問して、お酒を飲みながらいろんなスンデを味わってみたいものです。
こちらのお店「スンデ実録」は前述の通り24時間営業、年中無休。首都圏電鉄(地下鉄)4号線「恵化」駅1番出ロから徒歩約2分(約160m)です。 

スンデ実録(순대실록:ソウル特別市 鍾路区 東崇洞キル 127 (東崇洞 1-41)) [HP]

 

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スンデ実録を出て大学路を南下、前日も訪問した広蔵市場へ。まだ午前8時台なのでほとんどの店は閉まっていますが、目当ての店はすでに営業しています

 

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広蔵市場の奥深く、通路の中央にあるこちらのお店「モニョキムパッ1号店」の名物、その名も「麻薬(マヤク)キムパッ」、1人分2,500ウォン(約250円)。物騒なネーミングは一度食べるとやみつきになるとの意味で、他にも「麻薬パン」「麻薬トッポッキ」など韓国ではよく用いられる宣伝文句です。その名に違わずおいしいので自分用の土産として何度も購入しています。

 

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家に帰って1人分のパックを開いた写真。容器の形が残るほどキムパッがぎっしり。具に食肉を使用していないので検疫を気にせず日本に持ち帰ることができます。小袋は特製のつけダレで、カラシが効いてまたうんまいのです。

 

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こちらのお店「モニョキムパッ1号店」の営業時間は午前6時30分~午後8時、日曜日と名節(旧正月、秋夕)の当日と翌日は休みです。
最近は迷わずたどり着けるようになりましたが、市場の奥の分かりづらい場所にあるため簡単に紹介したいと思います。
首都圏電鉄(地下鉄)1号線「鍾路5街」駅から地下街を西(鍾路3街方面)へ進み、11番出口を出てすぐのところにある広蔵市場の広いアーケード入口(北1門)を入り、50mほど直進すると大きな衣類の積まれた陳列台が真ん中に並ぶ道と交差するので(写真1枚目。早朝なので陳列台の衣類は袋に入っています)、ここを右折します。この陳列台のある道を進むと、陳列台が途切れたあたりに店舗が現れます(写真2枚目)。この「31호(号)」と書かれたお店(写真3枚目)がモニョキムパッ1号店です。

モニョキムパッ1号店(모녀김밥:ソウル特別市 鍾路区 昌慶宮路 88 (礼智洞 2-1))

 

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時間が迫って来ましたが、もう1か所だけ行きたい場所が。
やって来たのはホテルからも近い益善洞(イクソンドン)。この街の一角、韓屋(한옥:ハノク)韓国/朝鮮様式の住宅)が立ち並ぶ「益善洞韓屋マウル」を訪問するためです。

 

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かつて益善洞166番地と呼ばれたこの一帯は1920年代初頭、朝鮮初の不動産開発業者とされる鄭世権(정세권:チョン・セグォン、1888-1965)氏により、韓屋が密集して建てられた場所です。同じく鄭世権氏が宅地開発を手がけた嘉会洞(カフェドン)31番地、現在は「北村(プクチョン)韓屋マウル」として知られる場所に先駆けて開発が始まったことから、益善洞は現存するソウル最古の韓屋マウルとされています。
嘉会洞には地主など富裕層向けの屋敷が建てられた一方、ここ益善洞には主に庶民向けの小型韓屋が建てられました。これらは狭い土地面積を有効活用できるよう「ロ」の字や「コ」の字形をし、また当時普及し始めた水道や電気にも対応していたことなどから「改良韓屋」と呼ばれています。
一時は再開発計画が持ち上がったものの、海外からの観光客増とこれに伴う商業エリアの拡大などもあって、現在もその姿をとどめています。

 

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手の入った韓屋と古めかしいままの韓屋が混在して建ち並ぶ風景、とてもよい雰囲気です。

 

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中には写真のように間口を解放し、内部立ち入り可の韓屋も。

 

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近年はおしゃれな飲食店やカフェなども多数開業し、一大観光スポットとなっています。首都圏電鉄(地下鉄)5号線「鍾路3街」駅4番出口からわずか徒歩1分という交通至便さも功を奏していることでしょう。とはいえ多くの方が生活されている地域ですので、ご訪問の際はお静かに観覧いただくようお願いいたします。

益善洞韓屋マウル(익선동 한옥마을:ソウル特別市 鍾路区 水標路28キル (益善洞)一帯)

 

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ホテルをチェックアウトしてソウル駅へ。都心空港ターミナルにて荷物を預け、最後にやって来たのは同駅の新名所「ソウル路7017」。

 

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ソウル駅をまたいで1970年に開通した自動車専用道「ソウル駅高架車道」を廃止し、歩行者専用の橋上公園に改装したもので、この日の3日前(5月20日)にオープンしたばかりの場所です。ネーミングの「7017」の由来は、70年開通の道路を17年にリニューアルしたから。高架橋そのものが観光スポットであるほか、新たに連結された周囲の建物や近隣地域への近道としても機能します。

 

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オープン4日目のこの日も多くの観光客が訪れていました。高架橋の上には植樹や池なども。写真はありませんが軽食のお店も設置されていました。

 

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ソウル駅の西側、空港鉄道の乗り場に近い15番出口とも連絡しています。

 

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いままで見たことのない角度からソウル駅旧駅舎(文化駅ソウル284)が撮影できます。

 

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わざと路面に穴を開けてガラスをはめ込み、下の地面や線路が見えるようにしているポイントも。

 

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無数の履物が積まれた「Shoes Tree」というアート作品(現在は撤去済み)。埋もれてしまった銅像の姜宇奎(강우규:カン・ウギュ、1855-1920)義士もさぞびっくりしたことでしょう。

 

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「ソウル路7017」は24時間年中無休で解放、公共の通路ですので利用料もありません。エレベーターもありますので車椅子やベビーカーの方も利用できます(この日は間に合っていませんでしたが……)。夜はライトアップされて、また別の楽しみ方ができるようです。 

ソウル路7017(서울로7017:ソウル特別市 中区 退渓路 (南大門路5街)一帯) [HP]

この後は空港鉄道で仁川国際空港へ移動、帰国の途に着いたのでした。

2017年5月の光州(&羅州・ソウル)の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、2017年6月の大邱の旅をお送りします。

光州の旅[201705_11] - 2大在来市場の名物飲食をはしご、そしてさらば光州、また来る日まで

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com


韓国・光州(クァンジュ)広域市を中心に巡る旅の3日目(2017年5月22日(月))です。

 

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南区(ナムグ)楊林洞(ヤンニムドン)にある「ペンギンマウル」の近くでタクシーをつかまえて、やって来たのは北区(プック)にある在来市場、マルバウ市場(シジャン)。
西区(ソグ)の良洞(ヤンドン)市場、東区(トング)の大仁(テイン)市場や南光州市場、そして光山区(クァンサング)の1913松汀駅(ソンジョンニョク)市場と並ぶ光州の代表的な在来市場のひとつです。
「マルバウ」の名は、「馬」を意味するマル(말)と、「岩」を意味するバウィ(바위)が変化したバウ(바우)が合わさったものが由来とされています。その理由として、1592年の壬辰倭乱豊臣秀吉による2度の朝鮮侵略)で活躍した金徳齢(김덕령:キム・ドンニョン、1567-1596)将軍の乗った馬の蹄の跡がついた岩があったから(アーケード入口の蹄鉄の絵はたぶんこれに由来)、あるいは馬のように大きい岩があり子どもたちが馬乗りごっこをして遊んでいたから、などの伝説が残されているそうです。

マルバウ市場(말바우시장:光州広域市 北区 瑞坊路81番ギル 27 (牛山洞 190-1))

 

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5日ごと、日付の末尾がnとn+5の日に市が開かれる五日市は韓国でも珍しくありませんが、ここマルバウ市場では倍の頻度となる末尾2・4・7・9の日に市が開催されます。この日(5月22日)もちょうど市の日であり、買い物客でにぎわっていました。この市で扱われるのは近隣の郡部で収穫された農産物が主で、小規模栽培のため他ではあまり見ない作物も販売されるとか。ゆっくり見て回りたいところですが、今回は時間に余裕がないうえ、目的の店の位置を調べて来なかったので急ぎ足にならざるを得ません。

 

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しばらく市場内をうろうろすると、マルバウ市場名物のひとつ、パッチュッ(팥죽:小豆粥)の店が並ぶ一角が。その中に目指すお店「草原(チョウォン)パッチュッ」がありました。

 

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注文したのは「パンバニ」(반반이)。「半々」を意味するこのメニューは、うどん玉に似たカルグクス麺入りの「パッカルグクス」に白玉入りの「冬至(トンジ)チュッ」という、パッチュッの中でも人気を二分するメニューをいっぺんに味わえるよう、白玉とカルグクスがパンバニ(半々)ずつ入ったものです。

 

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やって来たパンバニ。上に緑豆がふりかけられ、ところどころカルグクスが覗いている点を除けば見た目はまさしく日本のぜんざいそのもの。猛烈に甘そうな印象を受けますが、出てきた時点では砂糖を含む調味料が入っておらず一切甘くありません。
各テーブル上には砂糖と塩の瓶があり、好みで適宜混ぜて食べます。ぜんざいに長年慣れ親しんだ身としては塩少々と大量の砂糖を投入したい衝動に駆られますが、ここで砂糖を入れたら負けだと自分に言い聞かせつつ、まずは塩を振り掛けます。小豆に風味がついておいしくなりました。
そして小豆のスープが1/3程度になったところで満を持して砂糖を投入。うんまい。まさしくぜんざいです。ただし、うどん入りの。
こちらのお店「草原パッチュッ」の営業時間は午前9時(市の日は午前7時)~午後7時、公休日は休業とのこと。

草原パッチュッ(초원팥죽:光州広域市 北区 瑞坊路73番ギル 21 (牛山洞 185-9))

 

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マルバウ市場からは再びタクシーに乗って、今度はKTX光州松汀(ソンジョン)駅前の「1913松汀駅市場」へ。
こちらはその名の通り1913年、当時の「松汀里」(ソンジョンニ)駅の開業後まもなく駅前市場として誕生したものです。近年は他の在来市場がそうであるように衰退傾向にありましたが、昨年(2016年)にはこれを打破すべく市場全体をレトロ調に改装するプロジェクトを敢行。これを期して市場の名前にも開業年の「1913」を冠しました。遅い時間まで開く小洒落た飲食店も開業したこともあり、賑わいを取り戻しつつあるようです。

 

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「駅市場」を標榜するだけあって、市場内にはコインロッカーに加え光州松汀駅発の列車の電光掲示板まで。
こちらの市場、以前には夜間に訪れたこともありますが、よさそうな雰囲気の飲食店がいくつかありました。いつか2次会で飲んでみたいものです。まあぼっちだけどな!

1913松汀駅市場は第2月曜日が共通の休業日、第4月曜日は各店舗任意の休業日とのこと。この日(5月22日)はまさに第4月曜日でしたが、後述する「トア食パン」を含め割と営業していたように記憶しています。KTX光州松汀駅を出てから市場の入口まではわずか約200mという、まさしく駅前市場です。

1913松汀駅市場(1913송정역시장:光州広域市 光山区 松汀路8番ギル 13 (松汀洞 990-18))

 

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1913松汀駅市場を通り抜けた先に、こちらのお店があります。
昨年8月の光州初訪問を紹介した、記念すべき本ブログのファーストエントリーにも登場したこちらのお店、その名も「にっこにっこにー」(니코니코니)。言うまでもなく、映画が連日満員御礼となるなど韓国でも大人気のあのアニメのキャラクターの決めゼリフ(?)です。前回は営業時間外の訪問でしたので、本日2度目の昼食としてリベンジすることにしました。

 

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表の看板には「寿司専門店」とありましたが、メニューを見るとトンカスにステーキにチーズタッカルビと何でもあり。一瞬経営状況が心配になりましたが、こちらのパネルを見ると飲食デリバリーサイトの評価が「4.7」で「優秀業者」シールも貼られているので評判はよさそうです。

 

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店名からアニメのポスターやフィギュアが並べられたインテリアを想像していましたが、店内は至って普通でした。

 

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注文したのはモドゥムチョパッ(모듬초밥:寿司盛り合わせ)。お吸い物とデザートも付いてきました。普通においしかったです。
珍しくクラフトビールもあったのであわせてオーダー。写真2枚目の「g」のラベルのこのビールは韓国のオリジナルブランド「グァルネリ」(과르네리)IPAで、水と空気が発酵に適しているという全羅北道(チョルラブット)淳昌(スンチャン)郡のブルワリーで醸造されているとのこと。そういえば淳昌はコチュジャンの産地で有名ですよね。こちらのビールもおいしかったので、今後どこかで見かけたら注文しようと思います。
こちらのお店「にっこにっこにー」の営業時間は午前11時半~午後10時。列車待ちの間の軽食にいいかもしれません。

にっこにっこにー(니코니코니:光州広域市 光山区 桃山新松ギル 31 (松汀洞965-1))

 

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そろそろ列車の発車時刻ですが、あと1か所だけ寄り道します
1913松汀駅市場内にあるこちらのパン屋さん「トア食パン」。1913松汀駅市場でも有数の人気店であり、パンが焼きあがる時間には行列が形成されるとか。KTXの車内でもこの店の袋を持った人を複数見かけました。もっともこの日の訪問(午後2時50分くらい)ではすんなり入れましたが。

 

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人気商品の「ガーリッククランベリー食パン」というちょっと想像のつかない味のパンが目当てでしたが、あいにく見当たらなかったので「ブルーベリー食パン」を購入、光州土産となりました。写真2枚目はこの翌日、仁川国際空港で食べたブルーベリー食パン。おいしかったです。
トア食パンの営業時間は午前11時~午後10時、年中無休。1913松汀駅市場の光州松汀駅側入口から50mくらい進んだ左側にあるので分かりやすいです。

トア食パン(또아식빵:光州広域市 光山区 松汀路8番ギル 11 (松汀洞 990-10))

 

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そしてとうとう出発の時間。乗るのは15時07分発、列車番号「518」のソウル・龍山(ヨンサン)行きKTX。1980年の「5.18民主化運動」(光州事件)をメインテーマとした今回の旅の締めくくりに、これ以上ふさわしい列車はありません。

 

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通算50時間ほどの滞在となった今回の光州の旅では幸いにして、5.18民主化運動の史跡や関連施設をはじめ、当初予定の目的地のほぼすべてに足を運ぶ機会が得られました。また37年前の5.18の抗争期間と重なる日程を選んだことで、その犠牲となった人々を悼み記憶するとともに、暴虐に立ち向かった市民たちを称え後世に継承しようとする光州の人々の姿を目の当たリにする機会も得られました。そして最初のエントリーの冒頭にも書いたように、過去にないほどさまざまな人々との出会いを経験し、それら人々の親切に触れる機会までも得ることができました。これらひとつひとつの出来事への思いが強すぎて、気づいたらエントリー11回分に渡ってしまったのには我ながら驚いていますが。

 

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とはいえ未だ訪問できていない光州の名所・旧跡はまだまだ無数にありますし、一方で再び訪れたい場所もあります。大統領交代によりさらなる真相究明と被害者の名誉回復の機運が高まりつつある5.18への関心も日々強まるばかりです。
それに、南道の豊富な山の幸と海の幸に恵まれた光州のうんまい名物料理も食べ尽くせていませんし。
これからも私は光州を訪問し、拙いながらも本ブログにてその魅力を伝えてゆきたいと思っています。ご期待いただけますと幸いです。

2017年5月の光州の旅はこれで終わりですが、このときの旅レポは舞台を移してあと1回だけ続きます。
それでは、次回のエントリーへ。

光州の旅[201705_10] - 近代建築から「ペンギン村」まで見どころの宝庫、楊林洞(ヤンニムドン)を歩く

前回のエントリーの続きです。

gashin-shoutan.hatenablog.com

韓国・光州(クァンジュ)広域市を中心に巡る旅の3日目(2017年5月22日(月))です。

羅州(ナジュ)から帰ってきて、光州松汀(ソンジョン)駅から再び都市鉄道(地下鉄)1号線に乗り、着いたのは南光州(ナムグァンジュ)駅。ここから一昨日(20日)の夕方と同様、徒歩で南区(ナムグ)の楊林洞(ヤンニムドン)を目指します。

  

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楊林洞は、かつてこの一帯に楊(ヤナギ)の木が数多く生えていたことからその名がついたとされています。また19世紀末から20世紀初頭にかけてここ光州で布教活動をした宣教師の拠点となった地域であり、それら宣教師が建てた建築が現在も複数保存されていることから「楊林洞歴史文化マウル」あるいは「楊林洞近代文化遺跡」などと呼ばれています。
これら以外にも伝統韓屋や各種文化財、美術館などが点在し、そして近年では縁のある音楽家を記念する街路、さらには他に類を見ない異色の街づくりがなされている楊林洞。そうした情報を見聞きして、以前からずっと行ってみたい、ついにはその思いが高じて「仮に韓国へ転居するならばいちばん住んでみたい街」とまで思うほどでしたが、今回ようやく念願の訪問がかなうことになりました。

 

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楊林洞へ向かう途中にあった「南光州プルンギル公園」。
国鉄(現・Korail)慶全(キョンジョン)線のルート変更に伴い2000年に廃止された南光州駅の跡地を公園に転用したもので、ここからKorail光州駅までの線路跡を全長4.5kmにも及ぶ散策路に整備した「廃線プルンギル」(푸른길:「青い道」の意)の起点です。
こうした廃線跡を散策路に転用した例としてはソウルの「京義線スッキル」(경의선 숲길:スッキルとは「森の道」の意)、釜山の「海雲台東海南部線廃線敷地」(해운대 동해 남부선 폐선 부지)などがあり、また別の活用例としては江原道(カンウォンド)旌善(チョンソン)郡などにある、廃線のレール上を2~4人乗りの足漕ぎ4輪車で走る「レールバイク」が挙げられます。韓国の人々は鉄道廃線の再利用に長けているな、とつくづく思います。

 

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当時のホームと思しき場所には、廃車となったムグンファ号の客車が。集会室などに使用されているようです。

南光州プルンギル公園(남광주푸른길공원:光州広域市 東区 霽峰路 7(鶴洞 55))

 

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公園と隣接する光州川(クァンジュチョン)にかかる南光橋(ナムグァンギョ)の北側には、かつての慶全線の鉄橋がそのまま残されていました。さらにその上には、鉄橋の橋脚を転用した歩道橋が。

光州川を渡ると、いよいよ楊林洞です。

 

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大通りである台南大路(テナムデロ)沿いにしばらく歩くと、大きな漢字、それも簡体字が書かれたこちらの道が見えてまいります。
ここから始まる全長233mの道路は「鄭律成通り展示館」といい、ここ楊林洞に生家の残る音楽家、鄭律成(정율성 / 정률성:チョン・ユルソン/チョン・リュルソン、1914-1976)氏を記念して、その生家そばの街路全体を展示館としたものです。

 

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鄭律成氏は1914年、現在の光州広域市東区不老洞(プルロドン)生まれ、1917年に和順(ファスン)郡綾州(ヌンジュ)へ転居、翌年には再び光州へ戻り、1928年に楊林洞の崇一小学校を卒業。1933年、抗日運動のため兄とともに中国南京へ渡り義烈団の朝鮮革命幹部学校に入学、その一方でピアノやバイオリン、声楽などを学びます。1936年に「五月の歌」で音楽家としてデビュ一、延安(イェンアン)の魯迅芸術学校に在学中の1938年から翌年にかけて代表作「延安頌」「延水謡」「八路軍大合唱」などを発表します。
光復後はいったん平壌へ渡ったものの、米軍政支配下となった全羅南道への帰郷はかなわず、1950年には再び中国に呼び戻されます。その後は中央楽団の専門作曲家として活動し、後に中国国籍を取得。しかし文化大革命を批判したために活動停止を余儀なくされ、不遇の晩年を送ることになります。
鄭律成氏の生涯作曲数は実に360曲以上、中でも「八路軍大合唱」を構成する「八路軍行進曲」は、1988年に中国人民解放軍軍歌として正式認定されたこともあり、中国では絶大な知名度を誇るそうです。

 

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中国から贈られた鄭律成像。あふれる才能がみごとに表現されています。上半身だけなのにこんな勇ましいポーズの像は見たことがありません。

鄭律成通り展示館(정율성 거리전시관:光州広域市 南区 鄭律成路 (楊林洞 507)一帯。リンクは入口にある鄭律成像の位置)

 

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鄭律成通り展示館を北へ向かって通り抜け、その先で左に折れると、写真の「楊林教会」が現れます。
実はここ楊林洞には3つの「楊林教会」がありますが、大韓イエス教長老会に属するこちらの教会は最も創立が古く、1904年に米国の宣教師ユージン・ベル(Eugene Bell、1868-1925。韓国名:裵裕祉(ペ・ユジ))氏が自身の私宅で礼拝を捧げたものが発祥とされます。現在の建物は1954年築。

 

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この楊林教会と隣接する建物が、写真の「オーウェン紀念閣」です。
ここ光州にて宣教師として活動、殉教したクレメント・C・オーウェン(Clement C. Owen、1867-1909。韓国名:呉元(オ・ウォン))を記念するため1914年に建てられた建物で、当時の儒教的慣習に基づいて出入口が男女別になっている点が特徴です。
ちなみに2017年10月現在、ここオーウェン紀念閣では南区観光局などが主催する音楽歌劇(入場無料!)が毎月第3週土曜日に上演されています。

オーウェン紀念閣(오웬기념각:光州広域市 南区 白瑞路70番ギル 6 (楊林洞 67-1)。光州広域市有形文化財第26号)

 

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オーウェン紀念閣から西へ向かって歩くと、写真の門が見えてまいります。
こちらはスピア女子中学校・高等学校といい、前述したユージン・ベル宣教師が1908年に創立したスピア女学校がその前身です。日帝強占期の1937年には神社参拝の拒否により廃校処分となったものの、1945年の光復(日本の敗戦による解放)後まもなく再開。1951年の教育法改正により中・高併設となって現在に至ります。こうした歴史もあり、校内には築100年前後になる文化財的価値の高い西洋建築が複数残されています。
詰所にいた管理人さんに見学の許可をいただいたうえで、門を入ります。立派な門ですが実は裏門だそうで、正門は別に存在します。

 

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門のすぐそばの高台にある「カーティスメモリアルホール」。
1925年に亡くなった創立者ユージン・ベル(裵裕祉)宣教師を追悼するため同年に建てられたもので、別名を「裵裕祉記念礼拝堂」といい、宣教師とその家族の礼拝堂に利用された建物です。
円形窓と尖頭アーチ形状の窓が特徴的なこちらの建物は、「光州旧スピア女学校カーティスメモリアルホール」として国指定登録文化財第159号になっています。

光州旧スピア女学校カーティスメモリアルホール(광주 구 수피아여학교 커티스 메모리얼 홀:光州広域市 南区 白瑞路13 (楊林洞 238-1)。国指定登録文化財第159号)

 

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裏門を入った正面にある「光州3・1万歳運動記念像」。
1919年3月1日、ソウル・タプコル公園での独立宣言朗読より始まった史上最大の抗日独立運動「3.1運動」。たちまち朝鮮全土に拡大したこの運動にはスピア女学校の全校生徒も参加、教師2人と生徒21人が投獄されました。これを記念して1995年に建てられたのがこちらの像です。

光州3・1万歳運動記念像(광주 3‧1만세운동기념동상:光州広域市 南区 白瑞路 13 (楊林洞 246))

 

光州3・1万歳運動記念像を撮っていると、門の詰所にいた管理人さんが近づいてきて、次の場所まで案内してくださるとのこと。感謝しつつ後に続きます。

 

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管理人さんが案内してくださったのが、学校でも奥側の高台の上にある「スピアホール」。
若くしてこの世を去ったジェニー・スピア(Jennie Speer)氏を記念するため、その姉が5,000ドルを献金して1911年に竣工した3階建ての建物で、この竣工とあわせて校名が「スピア女学校」となりました。当時一般的であった赤レンガではなく灰色のレンガが用いられているのが特徴です。「光州旧スピア女学校スピアホール」として国指定登録文化財第158号になっています。あいにくこの日は補修工事のため覆いがかけられていました。

光州旧スピア女学校スピアホール(광주 구 수피아여학교 수피아 홀:光州広域市 南区 白瑞路 13 (楊林洞 251)。国指定登録文化財第158号)

 

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スピアホールのそばには「スピア女学校3・1運動万歳示威準備地」との案内板が。示威とはデモのこと。

ここで管理人さんはお仕事のため別の場所へ。ご案内いただきありがとうございました。あとひとつ残る校内の近代建築へ向かいます。

 

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「ウィンスブロウホール」。
宣教師の妻であったウィンスブロウ氏の寄付金5万ドルをもとに、スウィンハート宣教師により1927年築。玄関の上の三角形の屋根を支えるトスカーナ式の円柱は、同時期の西洋建築では珍しいものだそうです。「光州旧スピア女学校ウィンスブロウホール」として国指定登録文化財第370号になっています。

光州旧スピア女学校ウィンスブロウホール(광주 구 수피아여학교 윈스브로우 홀:光州広域市 南区 白瑞路 13 (楊林洞 242)。国指定登録文化財第370号)

 

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スピア女子中・高等学校の裏門を出て西へ少し進み、左に折れて坂道を登った突き当たり、学校と隣接する丘の中腹に、やや低めの1本の木が立っています。
この木はホランカシナムといい、和名はヤバネヒイラギモチ(学名:Ilex cornuta)。高さは6メートル程度ですが樹齢は400年にもなるといい、ホランカシナムとしては相当大きいものだそうです。元々は2本の木だったものが成長につれ合体し、1本の木のようになったと推定されています。このように珍しいものであるため、「楊林洞ホランカシナム」として光州広域市指定記念物第17号に指定されています。

 

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ホランカシナムは同じモチノキ属であるセイヨウヒイラギと同様、晩秋から初冬にかけて熟するその赤い実が十字架にかけられたキリストの血を象徴するとして、クリスマスの飾り付けに用いられたりします。かつてここ楊林洞に居を構えた宣教師たちも、この木の葉や実を用いた飾りでクリスマスを迎えたのかもしれません。

楊林洞ホランカシナム(양림동호랑가시나무:光州広域市 南区 済衆路47番ギル 20 (楊林洞 230-1)。光州広域市指定記念物第17号)

 

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ホランカシナムの近くから撮った楊林洞の風景。向かって左側には先ほど立ち寄った楊林教会(大韓イエス教長老会楊林教会)が、中央やや右寄りには別の楊林教会(韓国基督教長老会光州楊林教会)の尖塔が見えます。

 

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ホランカシナムのある一帯はちょっとした林になっています。写真はそこに置かれていた、茶兄・金顕承詩人(後述します)の肖像が刻まれたベンチ。

 

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ホランカシナムの立つ林の間の道を登ったところにある「ウイルソン宣教師私宅」。
1905年、ノーラン(J. W. Noran)宣教師によりここ楊林洞に開業した医療施設、光州済衆(チェジュン)院。その二代目院長として1908年に赴任してきた、ロバート・M・ウイルソン(Robert M. Willson。韓国名:禹一善(ウ・イルソン)または禹越淳(ウ・ウォルスン))宣教師の私宅として1920年代に建てられたものです。
ウイルソン宣教師は貧困者や孤児、そしてハンセン病患者の救済に尽力した人物で、1912年には宣教師の献金や英国からの支援などにより本格的なハンセン病診療を開始。後に済衆院から改称した済衆病院の病棟を西洋建築で建て替えるなど、その発展に功績を残しました。しかし当時はハンセン病患者への偏見が根強く近隣住民の反発が大きかったうえ、1926年に下された朝鮮総督府からの強制移転命令を受け、同じ全羅南道の麗水(ヨス)に移転先となる愛養院(エヤンウォン)を設立、ハンセン病患者たちとともに光州を去りました。
その後、済衆病院は朝鮮初の結核専用病棟を設置しつつも1940年には日本により強制閉鎖、光復後の再開を経て今日の光州基督病院(こちらのエントリーにて紹介)へと至ります。
ウイルソン宣教師私宅のすぐ脇には、ユージン・ベル宣教師やオーウェン宣教師たちが眠る宣教師墓地への階段がありました。次回訪問時には登ってみようと思います。

ウイルソン宣教師私宅(우일선 선교사 사택:光州広域市 南区 済衆路47番ギル 20(楊林洞 226-25)。光州広域市指定記念物第15号)

  

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ウイルソン宣教師私宅の近くにあった建物。外壁などがよく似ていますが、これらは文化財ではなく近年建てられた住宅です。景観の調和を図っているようです。

 

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ウイルソン宣教師私宅の北側一帯の丘の上には、1955年に開校した湖南(ホナム)神学大学校が建っています。

 

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この湖南神学大学校のキャンパスに、写真1枚目の碑が建っています。
「茶兄金顕承詩碑」というこちらの碑は、「茶兄」(다형:タヒョン)の号を持つ詩人・金顕承(김현승:キム・ヒョンスン、1913-1975)氏を記念し、その詩「가을의 기도」(秋の祈り)を刻んだものです。
金顕承詩人は平壌生まれですが、楊林教会の牧師として赴任した父とともに光州へやって来ました。当時は宣教師の私宅街であった湖南神学大キャンパス一帯の思索が好きだった縁で、ここに詩碑が設置されています。

湖南神学大学校 茶兄金顕承詩碑(호남신학대학교 다형김현승시비:光州広域市 南区 済衆路 77 (楊林洞 226-5))

 

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湖南神学大キャンパスから坂道を下ると、写真の建物があります。
こちらは「茶兄茶房」(タヒョンタバン)といい、コーヒーをこよなく愛するあまり金顕承詩人自らつけた号「茶兄」を冠して2012年にオープンした無人カフェです。

 

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店内には、宣教師たちが移り住み始めた20世紀初頭ごろの楊林洞の写真が所狭しと(天井にまで!)並べられています。壁際には金顕承詩人の等身大パネルも。

 

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料金箱に1,000ウォン(約100円)以上の任意のお金を料金箱に入れることで、誰でも自由にお湯を沸かしてインスタントコーヒーなどを飲むことができます。そんなわけで私もほっとひと息。

 

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実はこちらの茶兄茶房、5年間続いたプロジェクトの終了に伴い、この日の9日後(5月31日)をもってクローズすることが決定しており、「グッバイ茶兄茶房」で始まるその旨の案内が張られていました。壁面や金顕承詩人のパネルに貼られた付箋紙は、訪問者が愛惜のメッセージを残したものです。
住民の方々にとっては歓談の場所として、また私のような旅行者にとってはマイルストーン&休憩所として、そしてすべての人々にとって楊林洞の歴史を振り返ることのできる展示施設として、長らく愛されてきた茶兄茶房。幸い建物は残されているようですので、できれば光州広域市が支援するなどして再びドアを開くことを願うばかりです。

茶兄茶房(다형다방:光州広域市 南区 済衆路47番ギル 2 (楊林洞 105-28))

 

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茶兄茶房のすぐ近くにある「素心堂曺亜羅記念館」。女性の地位向上のために生涯を捧げ光州YWCA名誉会長などの要職を歴任した「光州の母」であり、5.18民主化運動の際には市民収拾委員を務め、後に6ヵ月もの獄中生活を強いられた曺亜羅(조아라:チョ・アラ、1912-2003)氏を記念する施設です。次回は立ち寄ってみたいと思います。

 

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楊林洞の東端、光州川に近い住宅街の一角に、「ペンギンマウル」と呼ばれるエリアがあります。「マウル」とは村、集落という意味がありますので、日本でいうならば「ペンギン村」といったところでしょうか。

 

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「ペンギンマウル」の名にふさわしく、ペンギンさんが描かれた壁画がいたるところにあります。「ペンギン創作所」というお店も。なごみます。

 

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しかし、こちらのマウルの真骨頂は、写真1枚目にある無数の掛時計をはじめ、壁面や空き地を埋め尽くす無数のがらくたにあります。
楊林洞の住宅地の片隅にあるこの地域は、2013年頃から住民たちにより掛時計やその他がらくたで飾られるようになり、韓国のあちこちで見かける壁画村とは一線を画した異色の街づくりがなされるようになりました。それがいつしか話題となり、いまでは楊林洞の観光スポットのひとつに数えられるまでになっています。

 

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このマウル一帯の住民はご年配の方が多く、その歩く姿がよちよち歩きのペンギンを彷彿とさせるとして自ら名付けたものだそうです。自宅のがらくたを持ち寄ってペンギンマウルを手作りしたのも、そうしたご老人の方々が中心だとのこと。

 

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「ペンギン酒幕」と書かれたお店。壁面にはマッコリ用と思しきやかんとアルマイトの鍋がたくさん掛けられています。夕方あたり、こういうところでマッコリを飲みつつぼんやりしてみたいですね。

 

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こちらのペンギンさんの看板には「楊林洞歴史文化マウル 定期ツアー集合場所」とあります。どれも気になりますが中でも水・土曜日19:30スタートの「夜間ツアー」とか楽しそうですね。いずれも事前予約が必要です。

ペンギンマウル(펭귄마을:光州広域市 南区 川辺左路446番ギル 7 (楊林洞 24-93))

 

予約していたKTXは15時発、時刻はまもなく13時。名残惜しいですが、この後予定していた昼食や買物を考慮するとそろそろ楊林洞を発つべき時間です。
今回の楊林洞での散策時間は3時間弱。駆け足気味とはいえこの日だけで10か所あまりのスポットを巡りましたが、これら以外にも光州広域市民俗資料第1号の「李章雨(イ・ジャンウ)家屋」や同第2号の「崔昇孝(チェ・スンヒョ)家屋」のような伝統韓屋、また「楊林美術館」や展望台のある「社稷(サジク)公園」など巡るべきみどころはまだまだたくさん控えています。
わずかな滞在時間とはいえ、宣教師たちの遺した近代建築など数々の文化財とと緑が調和した静かなたたずまいは居心地のよいものであり、実際に訪れてみて「韓国でいちばん住んでみたい街」との思いをさらに強くしました。
必ずやまたここ楊林洞を訪問し、じっくり時間をかけて巡ることといたします。

楊林洞へのアクセスですが、都市鉄道(地下鉄)1号線は通っていないので私のように南光州駅から歩くのが手っ取り早いです。南光州駅2番出口から先に紹介した「鄭律成通り展示館」の入口まで徒歩約9分(約590m)。ちなみに来年(2018年)着工予定という都市鉄道2号線は楊林洞付近に駅(213番)が設置され、南光州駅と尚武(サンム)駅で1号線と接続する予定ですが、開業は2022年以降とまだまだ気の長い話です。


それでは、次回のエントリーへ続きます。

 

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