Twitter https://twitter.com/gashin_shoutan の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

光州の旅[201710_07] - 5.18の真相究明に生涯を捧げた弁護士、そして無等山麓「ムドル酒幕」のうんまいオーギョプサル

前々回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)高興(コフン)郡・宝城(ポソン)郡などを巡る旅、3日目(2017年10月29日(日))です。 

 

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筏橋(ポルギョ)バス共用ターミナルから乗車したのは、光州総合バスターミナル「U-Square」行きの市外バス。ただし次の目的地はU-Squareからだとかえって遠くなるため、ひとつ手前の「南光州(ナムグァンジュ)」停留場で下車します。筏橋からここまで約1時間10分。
南光州とは言っても都市鉄道(地下鉄)1号線「南光州」駅とは離れた場所にあるこちらのバス停、今回乗車した光州⇔筏橋・高興・鹿洞(ノクトン)間の市外バス以外では「鶴洞(ハクトン)」停留場と呼ばれるため注意が必要です。写真2枚目は道路向かい側、光州市外方面にのみある同バス停の待合室(写真中央、向かって右側の建物1階にあるオレンジの看板の場所)。

 

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市内バスに乗り換え、やって来たのは1980年5月の「5.18民主化運動」(5.18民衆抗争、光州事件)の最終抗戦地、旧全羅南道庁の前にある「5.18民主広場」。
以前にも紹介した、広場に建つ「5.18時計塔」の前に、写真の立て看板が。
この年(2017年)8月に公開され、韓国で記録的大ヒットとなった映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(原題『택시운전사』)の主人公マンソプを演じたソン・ガンホさんとその愛車のタクシー、そして作中ではトーマス・クレッチマンさんが演じたユルゲン・ヒンツペーター氏(こちらはご本人)のパネルです。
ソン・ガンホさんの持つボードには「光州広域市訪問を歓迎します」、タクシーの側面には「秋の旅行週間」とあります。 

 

その情報を知ってからおよそ8ヵ月、日本公開を首を長くして待ったこの映画を先日ようやく観る機会が得られました。その直後の思いを、上記のツイートに記しています。
映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、これから全国の劇場で随時公開される予定とのことです。ひとりでも多くの方がこの映画を見る機会を得られることを強く願っています。

 

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5.18時計塔から徒歩で8分ほど、以前に紹介した「光州MBC旧跡」からも近い東区(トング)弓洞(クンドン)にある写真の住宅は「故洪南淳弁護士家屋」といい、5.18民主化運動では市民収拾委員として活動、拷問と1年7ヵ月もの収監を経て5.18の真相究明と被害者の名誉回復のために生涯を捧げた弁護士、洪南淳(홍남순:ホン・ナムスン、1912-2006)氏の自宅だった建物です。

 

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洪南淳弁護士(写真左端の椅子に腰かけている男性)は1912年、全羅南道和順(ファスン)郡生まれ。綾州(ヌンジュ)公立普通学校を卒業後、あまりの向学心から1933年には日本へ密航し、4年後に和歌山市立商工学校(現在の同市立和歌山高等学校の前身?)を卒業しています。そうした猛勉強の末、1948年には司法試験に合格。光州高等法院(日本の高等裁判所に相当)などで10年間の判事生活を送った後、1963年には現在の光州広域市東区弓洞の自宅にて弁護士を開業します。
弁護士生活では一貫して反独裁闘争と民主化活動に徹し、朴正煕(박정희:パク・チョンヒ、1917-1979)大統領の軍事独裁政権下では「3.1民主救国宣言事件」※1や「『奴隷手帳』筆禍事件」※2、「民主教育指標事件」※3など30件以上もの「緊急措置法」違反事件ばかりを扱ったため、「緊急措置法専門弁護士」と呼ばれることもあったといいます。

※1 3.1民主救国宣言事件:1976年3月、ソウル・明洞聖堂での3.1節記念ミサにて発表された「民主救国宣言」を理由に、野党指導者と在野の民主人士が政府転覆扇動容疑で大量拘束、18名が訴追された事件。1審では金大中(김대중:キム・デジュン、1924-2009)氏や文益換(문익환:ムン・イクファン、1918-1994)牧師らの懲役8年をはじめ実刑判決が言い渡されたものの、翌年には大法院(日本の最高裁に相当)での上告棄却により全員無罪へ。
※2 『奴隷手帳』筆禍事件:1977年、詩人の梁性佑(양성우:ヤン・ソンウ、1943-)氏が、当時の朴正殿軍事独裁政権を批判する詩『奴隷手帳』を日本の『世界』誌上で発表したことを理由に投獄された事件。
※3 民主教育指標事件:1978年6月、小説家の宋基淑(송기숙:ソン・ギスク、1935-)氏ら全南大の教授11名が朴正熊軍事独裁政権による「国民教育憲章」を連名で批判、「私たちの教育指標宣言」を発表したことにより拘束、解職された事件。こちらのエントリーにて紹介。

 

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そして1980年5月、戒厳軍の暴虐を目の当たりにした洪南淳弁護士は市民収拾委員に参加。抗争9日目の26日には同市西区(ソグ)の農城(ノンソン)広場にて、戒厳軍の市内進入を防ぐため衣服を脱いで地面に寝そべる「死の行進」を他の収拾委員とともに実行、その後逮捕されます。写真は現在の農城広場と、そこに建つ史跡16号「農城広場激戦地」を示す碑石です。
抗争終了後には内乱首魁容疑で無期懲役の判決を受け、70歳近い高齢にもかかわらず刑執行停止まで1年7ヵ月もの獄中生活を余儀なくされました。釈放後は光州拘束協会長、5.18光州民衆革命記念事業および慰霊塔建立推進委員長などを務めるなど5.18の真相究明、そして被害者の名誉回復のため尽力しましたが、2001年秋に脳出血で倒れ、2006年10月14日に死去しています。

 

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こちらの家屋は抗争期間中に収拾対策会議が開かれた場所であり、洪南淳弁護士の功績とあわせて5.18の記憶・継承に大きな意味を持つ場所として、この年(2017年)の9月10日付で5.18の史跡29号に指定されています。この日(2017年10月29日)はまだ指定から2ヵ月弱で、5.18の史跡を示す丸い碑石はありませんでしたが、本エントリー公開直前(2018年5月25日)の再訪時には写真の真新しい碑石が設置されていました。
「故洪南淳弁護士家屋」へのアクセスは、5.18の史跡や関連施設を巡るように走る「518番バス」(こちらのエントリーにて紹介)であれば「全南女高」(전남여고)バス停にて下車、国立5.18民主墓地方面行きは徒歩約2分(約170m)尚武地区方面行きは徒歩約3分(約180m)です。家屋内に立ち入ることはできません。

故洪南淳弁護士家屋(고홍남순변호사가옥:光州広域市 東区 霽峰路 153 (弓洞 15-1)。史跡29号)

 

さて、そろそろ目的地へ行く約束の時間です。タクシーを捕まえ、乗車。車は光州の市街地を離れ、市の東側にそびえる無等山(ムドゥンサン、1187m)への登山道を走ります。

 

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運転手さんが目的地をご存じでなく、また私も道順が分からないため山中の道路をさまよい、約束の午後7時を若干回ってようやく到着したのは、写真の看板のお店「ムドル酒幕(ジュマッ)」。
無等山のふもとにあるこちらの飲食店は、おいしい料理を出すのみならず、敷地内の畑で自家栽培したサンチュなど豊富な葉野菜、そして自家製のトンドン酒(동동주)を出してくれるという魅力的なお店で、コリアンフードコラムニストの八田靖史さんが某イベントで紹介されたのが知ったきっかけです。事前予約必須、しかもなかなか電話がつながらない(出ない)というハードルを乗り越え、今回ようやく訪問することができました。

 

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この日は到着時点で日がとっぷり暮れており、しかも街灯すらない山中のため外観の写真を撮ることができませんでした。こちらの写真は本エントリー公開前日(2018年5月27日)の再訪時、ようやく撮影がかなったものです。

 

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店内。著名人のものらしき色紙が多数飾られています。その中には皆様もよくご存じのこちらの人物も。日付から察するに、追慕式への参列後に立ち寄られたのでしょうか。

 

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オリジナルの自家製酒があるというのに、注文しない手はありません。まずは写真のトンドン酒から。適度な甘さがうんまい。アルコール度数は8%と一般的なマッコリ(6%前後)よりやや高めで、疲れた体にしみ渡ります。

ところで日本では、トンドン酒はマッコリの一種だと思っている方も少なくないように思います(私もそうでした)。いずれも「濁酒(タクチュ)」に分類される酒ですが、厳密には区分されるべきものです。
原料の米をある程度発酵させた後、原酒の上側のやや濁った部分をすくい取ったものをトンドン酒、下に沈んだ粕を濾したものをマッコリと呼びます。うちトンドン酒については、分解される前の米粒がすくい取った原酒の表面にふわふわ浮かぶ様子から、韓国語で「ふわふわ」を意味する「トンドン」の名が付いたとされています。ちなみにトンドン酒をすくい取らずにもっと時間をおき、原酒の上側がより澄んだものを「清酒(チョンジュ)」、あるいは「マルグンスル」(「澄んだ酒」の意)といいます。

 

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トンドン酒、製造年月日がなんと訪問当日。さすがは自家製です。

 

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そしてやって来た今日の主役、オーギョプサル。
ご存じサムギョプサルが三(サム)枚肉ならば、こちらは皮まで含めた五(オー)枚肉。しかもチップル(짚불:藁の火)で軽くあぶられて出てくるため、藁焼きならではの風味がほのかに付いています。八田靖史さんの書かれた記事によると、これは表面をあぶることで肉汁を封じ込めるためだとのこと。

 

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お店の方がかいがいしく焼いてくださるのを待ち、待望の「マシッケトゥセヨ」(맛있게 드세요:「召し上がってください」の意)の号令が。
ぱくり。ああ、うんまい。肉汁たっぷりのお肉にとろける脂のハーモニー、そして藁焼きの香りが絶妙でもうたまりません。来てよかった。

 

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サンチュなどの葉野菜にオーギョプサルとニンニク、そして肉と並行して焼かれたキムチを乗せて食べるようすすめられます。こちらもぱくり。やや酸味の強いホットなキムチとオーギョプサルとの相性が抜群です。

  

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前述したように、こちらのお店では敷地内の畑で自家栽培された何種類もの葉野菜が付け合わせに出され、その組み合わせは季節に応じて変わるそうです。今回は5種類ほどだったでしょうか。中でも特に印象に残ったのは写真の紫色の白菜。初めて見ました。もはや「白」菜ではありません。シャキシャキしておいしかったです。

  

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こちらは本エントリー公開前日(2018年5月27日)訪問時に撮影した敷地内の畑と、出された葉野菜。葉野菜のラインナップはこのとき(2017年10月)と結構異なることがよく分かります。

 

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こちらのお店の自家製酒には、先ほどの濁ったトンドン酒のほか、上澄みをすくった写真のマルグンスルがあります。2本目はこちらをオーダー。透明度の高い、文字通りのマルグン(맑은:澄んだ)スル(술:酒)です。甘さ控えめのすっきりしたおいしさで、料理を引き立てます。こちらも度数は8%。

 

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一緒に出てきたパンチャン(おかず)の数々。特に気になったのは写真2枚目、たぶん青梅の実をヤンニョムに漬けたもので、他の店では見たことがありません。ヤンニョムも甘くて、おかずというよりはおやつ感覚。

 

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この日、ムドル酒幕の店内にいらっしゃったのは2人の女性店員さん。日本からの、それも一人という珍客ゆえかいろいろと親しげに話しかけていただいたのみならず、呼んでいただいたタクシーで去る際にはわざわざお見送りまで。味のレベルの高さのみならず、ホスピタリティすごい。絶対また来ます。
……そして前述したように、そう誓った7ヵ月後の本エントリー公開前日(2018年5月27日)、本当に再訪してしまったのでした。このときの話はまたいずれ。

 

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こちらのお店「ムドル酒幕」の営業時間は、平日午後3時~午後9時、土日は午前11時~午後9時。月曜定休。ただし本年(2018年)3月からは事情により土日と公休日のみの営業となっているようです(写真1枚目)。
前述したように無等山の麓(というより山中)にあるため市街地からはかなり遠いのですが、都市鉄道(地下鉄)1号線の「錦南路4街(クムナムノサーガ)」・「文化殿堂(ムナジョンダン)」の両駅から近い「全南女高」(전남여고)バス停からだと<석곡(石谷)87>バスで約44分、終点「清風学生野営場」(청풍학생야영장)のひとつ手前の「登村」(등촌:トゥンチョン)バス停で下車徒歩約6分(約370m)。写真2枚目は店内にあった、「清風学生野営場」バス停から市街地方面への<석곡87>バスの発車時刻です。
タクシーの場合は、「錦南路4街」駅からだと約20分、8,000ウォン前後光州総合バスターミナル「U-Square」からは約32分、12,000ウォン前後
前述した「予約必須」の件は、空いているときであれば予約なしでも入店可とのことでした(店員さん談)。とはいえ確実性を取るならば予約をおすすめします。電話口では私の下手っぴな韓国語でも十分理解してもらえました。予約に長距離移動の手間をかけてでもご訪問をおすすめするお店です。

ムドル酒幕(무돌주막:光州広域市 北区 新村セッカンキル 120-5(清風洞 856-1) TEL:062-266-6086)

 

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尚武(サンム)地区のホテルヘ戻り、近くのロッテマートヘ。帰りがけにムドル酒幕でちゃっかり購入したトンドン酒1本とあわせて、お土産を買うためです。まあどちらも自分用だけどな!
韓国、いや韓国含め海外に限らず、国内でも他地域のスーパーの生鮮食品売場を巡り、見慣れない食材を眺めたり、持ち帰れる範囲で購入したりするのが大好きなのです。
写真はロッテマートの生鮮食品売場。食材を包んで食べるための葉野菜がたくさん。これ、ブロックごとにほぼ全部違う種類なのですよ。先ほどのムドル酒幕がまさにそうでしたが、いろんな種類の葉野菜で料理をくるんで食べるのはほんっと楽しいですよね。

 

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明けて、帰国日となる4日目(2017年10月30日(月))の朝です。
この日も光州はいい天気。

 

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ホテルから数分ほど歩いた場所に、以前にも紹介したことのある写真の碑があります。
5.18民主化運動の際に抗争した市民たちが監禁・拷問された施設などを移築保存した「5.18自由公園」の前に建つこちらの碑は「トゥルブル夜学7烈士記念碑」。市民軍を統制する抗争指導部のスポークスマンを務め、5月27日の全南道庁での最終抗戦で亡くなった尹祥源(윤상원:ユン・サンウォン、1950-1980。北斗七星を象った線沿いに左から2番目の男性)烈士など、抗争において重要な役割を果たしたトゥルブル(野火)夜学の主要メンバーであった7烈士を称えるためのものです。どうしてもまた烈士たちに会いたくなって、ここに来てしまいました。身が引き締まる思いです。
「5.18自由公園」についてはこちら、そしてトゥルブル夜学についてはこちらのエントリーにてそれぞれ紹介しています。あわせてお読みいただけますと幸いです。

  

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KTX乗車のため光州松汀(ソンジョン)駅へ移動。少し時間があるので、朝食をとることにします。入ったのは同駅前、「1913松汀駅市場」の入口にある「ヨンミョンクッパ」。短時間で出てきて手軽にお腹を満たせるクッパの専門店という駅前食堂にぴったりのお店です。そのうえ味も評判のようで、人気グルメ番組『水曜美食会』でも紹介されたとのことです。看板の字体がちょっとおしゃれ。

 

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注文したのは写真の「モドゥムクッパ」、8,000ウォン(約840円:当時)。
コク深いスープがうんまい。「モドゥム」(「全部(入り)」の意)の名の通り、豚コプチャン(ホルモン)やスンデなどさまざまな具が入っていて贅沢感があります。元気がつきそうな朝食です。

 

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こちらのお店「ヨンミョンクッパ」は24時間営業、年中無休。Korail光州松汀駅正面出口からだと徒歩約4分(約240m)です。「1913松汀駅市場」の見物とあわせて、ぜひ。

ヨンミョンクッパ(영명국밥:光州広域市 光山区 松汀路8番キル 7-7 (松汀洞 991-5))

 

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5.18民主化運動の記憶・継承を通じて民主主義を希求する姿勢に加え、見どころの多さと料理のおいしさ、そして人のあたたかさ。いろいろな意味で光州は大好きな街です。
再訪を誓い、9時05分発のKTXで光州松汀駅を発つ私でした。

 

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ソウル駅に到着。地下の都心空港ターミナルで荷物預け&出国審査を済ませた後は、かつての高架道路であった「ソウル路7017」をちょっとだけ散策します。5ヵ月前のオープン直後に比べるとさすがに客足は減ったとはいえ、それでも多くの人が往来していました。 

  

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写真はたまたま開催されていた「서울로 떠나는 쉼표」というイベントで、正午からの2時間、空気で膨らませたベッドで昼寝ができるというもの。実際に横になってみたところ想像以上に心地よくて、思わず笑いが出てしまいます。下手すると本当に寝落ちしそう。飛行機に乗り遅れるので睡魔をこらえます。まさかソウル都心のど真ん中で空を見上げて横になるとは思いませんでした。

  

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そして仁川国際空港へ移動、来たときと同じチェジュ航空で帰国するのでした。

2017年10月の光州・高興・宝城の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは再び、2017年11月の釜山広域市の旅をお送りします。

 

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【おまけ】
この旅最後(2017年10月30日)の昼食は、たまに食べたくなってしまう韓国のコンビニ弁当。
今回は仁川国際空港のコンビニ「CU」にて購入した「牛バラ焼肉定食」(우삼겹정식)。実業家でもある料理人兼料理研究家、ぺク・チョンウォン氏(写真の人物)監修によるこちらのお弁当、結構おいしかったです。それにしても韓国ではコンビニ弁当のラベルにまで日本語表記があるのですから本当に恐れ入ります。

釜山の旅[201711_01] - チャガルチと凡一(ポミル)、情感漂う釜山の2つの酒場をはしごする

今回からは、昨年(2017年)11月17日(金)から同月19日(月)にかけての釜山広域市の旅をお届けします。
本来ならば、昨年10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)などを巡る前回のエントリーの続きを書くべきところですが、こちらについては都合により後日改めてご紹介したいと思います。

 

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釜山の訪問は同年2月以来およそ9ヵ月ぶり。利用したのは今回ももちろんエアプサンです。
今回の宿は都市鉄道(地下鉄)2号線「沙上(ササン)」駅そば、定宿となっている某モーテル。価格の割に設備が整っているうえ、金海(キメ)国際空港へのアクセス手段である釜山金海軽電鉄への乗換駅そばという立地であるため、帰国の際にとても好都合なのです。遠いとはいえ、チェック済みの飲食店も多いチャガルチへは8番バス1本で行くこともできます(「西区庁」バス停で下車)。
ただこちらのモーテル、玉にキズはチェックイン開始時刻が午後6時とやたら遅いこと。空港から近いこともあって、午後4時着の便でもそれよりずっと前に到着してしまいます。とりあえず荷物をフロントに預けて外出することにします。

 

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写真1枚目は釜山金海軽電鉄の車内モニター、2・3枚目は都市鉄道(地下鉄)の案内です。釜山の都市鉄道はソウルや光州と同様に日本語を含む多国語表記が充実しています。

 

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釜山に来て最初に訪れたのは、2月の旅と同じく、都市鉄道(地下鉄)1号緑「草梁(チョリャン)」駅。以前にも紹介した、在釜山日本総領事館の裏にたたずむ、あのひとに会うためです。
ここを訪れたのも9ヵ月ぶり。その間も私が暮らす国では政府も世論もー丸となって過去の加害を否認し、被害者たちを侮辱する言説を繰り返しています。なす術もない自らの非力さを深く詫びるとともに、それでも抗い続けることを改めて誓います。

 

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再び1号線に乗り、今度はあのチャガルチ市場も近い「チャガルチ」駅で下車。
釜山の旧市街であり、現在も西面(ソミョン)と並ぶ繁華街である南浦洞(ナムポドン)の最寄駅のひとつでもあるこの駅周辺には、前述したようにチェック済みの飲食店が多数立地しており、釜山訪問の際には必ず訪れている場所です。ソウルの「鍾路3街(チョンノサムガ)」駅と同様、到着する度に目尻が下がってしまう駅です。

 

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いつもならば駅の東端、国際市場(クッチェシジャン)寄りの7番出口を利用するところですが、今回は駅西端の2番出口を抜けて、海産物の店が並ぶ海岸寄りの路地をずんずん進みます。

 

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到着したのは、「忠武洞セビョク市場」の港側の入口にある「トンファンハルメチッ」と「元祖ハルメソンマッ」。どちらも近隣の市場で働く人々向けの酒場で、店内にスペースがないため路上に置かれた椅子が独特の雰囲気を醸し出しています。いちおう店は別々ということになっているのですが実質的に境界はありません。釜山の旅には決して欠かせない鄭銀淑さんの著書『釜山の人情食堂』で知ったこちらのお店、前年(2016年)10月に続き2度目の訪問です。

 

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お店は70代くらいのアジメ(아지매:親戚でない既婚女性を高めつつ親しみを込めて呼ぶ語「アジュモニ」「アジュンマ」の慶尚方言。ここでは「おかみさん」の意)が一人で切り盛りしています。『釜山の人情食堂』の写真から察するに「トンファンハルメチッ」のアジメのようです(こちらの写真は2016年10月撮影)

 

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注文したのはピョンオ(병어:マナガツオ)の「セッコシ」(세꼬시)と呼ばれる刺身。セッコシとは写真のように小魚を中骨ごとぶつ切りにして出すタイプの刺身で、日本語の「背越し」が由来とされています。うんまい。おともは、釜山といえばもちろん地マッコリの「センタク」(생탁)。
わざわざ日本から、それもたった一人でやってきたのが珍しいのか、隣に座ったおじさんと意気投合してしまいました。一方でアジメといえば、同様に『釜山の人情食堂』を読んで訪問する日本人が多いようで、慣れていらっしゃるご様子。というか、本をお持ちでした……

 

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2皿目のお魚を注文したいところですが、今回は次のお店も控えているのでピョンオだけに抑えます。写真はいずれも前回(2016年10月)の訪問時に注文したもので、1枚目はこの時期の旬のチョノ(전어:コノシロ)の刺身、2枚目はカオリムチム(가오리무침:エイ刺のヤンニョム和え)。どちらもうんまかったです。チョノは小骨もいいアクセント。
こちらのお店「トンファンハルメチッ」&「元祖ハルメソンマッ」の営業時間は午前11時~午後9時。年中無休とのことですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。都市鉄道(地下鉄)1号線「チャガルチ」駅2番出口から徒歩約6分(約400m)で到達できます。

トンファンハルメチッ/元祖ハルメソンマッ(동환할메집 / 완조할매손맛:釜山広域市 西区 セビョク市場キル 57 (忠武洞1街 42-2))

 

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再び地下鉄に乗り、今度は「凡一(ポミル)」駅で下車。見どころが多いうえ、こちらも料理のうんまい飲食店やいい感じの酒場がいくつもあって好きな街です。

 

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凡一駅の7番出口を出て3分ほど歩いた場所にある、Korail京釜線キョンブソン)をまたぐ陸橋、通称「クルムタリ」(그름다리:「雲の橋」の意)。映画『友へ チング』の一舞台となった場所であり、両側の階段を一定の場所から眺めるとチャン・ドンゴンさんやユ・オソンさんらが演じた主要登場人物4人の絵が浮かび上がってきます。

 

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この日2度目の夕食は、このクルムタリを越えてすぐ右側にある写真のお店「サンソンオルムマッコリ」。
こちらも鄭銀淑さんの著書『韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅』で知ったお店であり、酒場らしい店構えにおいしい料理、しかも破格の安さということで前々から気になっていたところです。重しのタイヤが置かれた屋根が情感を誘います。

 

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店内。見た目よりは広いです。
こちらのお店もアジメがお一人で切り盛りされていました。

 

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メニュー表。訂正がすごいです。
皮肉とかではなく、韓国の飲食店でよく見かけるこうした訂正だらけのメニューが私は大好きなのです。日本だとすぐクレームに発展しそうな表記が受け入れられているところに社会の成熟性を感じます。
センタクが2,500ウォンというのは、私が見てきた中ではいちばん安いです(ソウルには長寿マッコリが2,000ウォンのお店がありましたが)

 

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まずはノガリ(노가리:スケトウダラの幼魚の干物)、5,000ウォン(約530円:当時)。ノガリといえばソウル・乙支路(ウルチロ)の路上ホーフ名物のようなカラッカラに乾いた干物を想像してしまいますが、こちらのお店のものは一夜干しタイプであり瑞々しさがあります。ノガリ定番の辛いヤンニョムジャンにつけて食べます。

 

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続いてアルタン(알탕:魚卵のスープ)、6,000ウォン(約630円:当時)。一人鍋サイズです。冬はあったまりそうですね。おいしかったです。またもやセンタクをオーダー。

 

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そしてもうひと皿、オジンオポックム(오징어볶음:イカの炒め物)、7,000ウォン(約740円:当時)。タンミョン(당면:韓国春雨)も入っています。見ての通りフライパンのまま出てきますがこういうのがまた好きなんです。味もまたうんまい。
こちらのお店「サンソンオルムマッコリ」の営業時間は午後3時~午後11時。お休みは不明です。都市鉄道(地下鉄)1号線「凡一」駅7番出口から徒歩約4分(約240m)で到達できます。ビール1本とセンタク1本、以上の料理3皿で合計23,500ウォン(約2,470円:当時)。すぐそばを走る京釜線の列車の音をBGMに、お腹も満たせてふところにも優しいお店です。
訪問2日前(2017年11月15日)に発生した、浦項(ポハン)を震源とする地震がすごかったね、という話をアジメと交わしたのがとても印象に残っています。カタコトでも通じる話はあります。また行きたいな。

サンソンオルムマッコリ(산성얼음막걸리:釜山広域市 釜山鎮区 中央大路 548-13 (凡川洞 62-693))

 

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こうして釜山の魔力によりお腹も心も幸せいっぱいになって、ホテルへ戻りゆっくりと休むのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

宝城の旅[201710_06] - 筏橋、趙廷来氏の小説『太白山脈』の舞台巡り、ムツゴロウのスープにコマクパン

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)宝城(ポソン)郡などを巡る旅、明けて3日目(2017年10月29日(日))の朝です。

この日は主に、筏橋邑(ボルギョウプ。邑(ウプ)は日本の「町」に相当する地方自治体)内に点在する、小説『太白山脈』(태백산맥:テベクサンメク)の舞台となった各スポットを巡る計画です。
太白山脈』とは、幼年期にここ筏橋での生活経験もある作家の趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏が1983年に『現代文学』誌上で連載を開始した、1948年の麗順(ヨスン)事件※直後から1953年の朝鮮戦争休戦までに至る激動期の群像を描いた大河小説です。その後刊行された全10巻の単行本は今日まで実に200刷、700万部を超えるベストセラーとなっており、後述するように日本語版も発刊されています。また1994年には林権沢(임권택:イム・グォンテク、1936-)監督により映画化もなされています。

※麗順事件:1948年10月19日に発生した、国防軍第14連隊の一部将兵による反乱。李承晩(이승만:イ・スンマン、1875-1965)初代大統領ほか親日派(日本による植民地支配への協力者。日本語の「親日」とは意味が異なることに注意)を主流とする韓国政府の単独樹立や、同年の「済州4.3事件」への鎮圧命令などに反発した同連隊の将兵2千名あまりが蜂起、一時は宝城郡を含む全羅南道南東部の広域を掌握したものの蜂起8日後には鎮圧されています。麗順とは第14連隊が駐屯していた同道の麗水(ヨス)、および隣接する順天(スンチョン)の頭文字。

 

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筏橋邑地図
写真は筏橋邑の観光案内図。続く地図は、この観光案内図のスポットと番号を地図上にプロットしたものです(本エントリーで紹介しないスポットは省略したため番号が一部飛んでいることをご了承願います)。以下、本エントリーではこの地図を「上図」と呼びます。
本エントリーでは小説を未読の方でもご理解いただけるよう、これらスポットをできるだけ筏橋や韓国の近現代史とからめて紹介したいと思います。また、これから小説をお読みになる方にとって「ネタバレ」とならないよう心がけてはおりますが、必要最小限の範囲で小説序盤のストーリーに言及していることをご容赦願います。

 

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「宝城旅館」(보성여관:上図⑱)。
前泊したこちらの旅館がこの日の旅の起点です。前回のエントリーでも紹介したように、国家指定登録文化財第132号の日本式建築であるこの宝城旅館もまた「南道旅館」(남도여관)として『太白山脈』に登場します。写真2枚目の案内板は『太白山脈』の舞台であることを紹介するもので、ほとんどのスポットに添えられていました。

 

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宿泊者へのサービスとして出てくる宝城旅館の朝食、食パンとゆで卵。食パンはセルフで焼いて食べます。
チェックアウトして、この日の旅がスタート。筏橋邑には私が知る限りコインロッカーが存在しないので、旅館のフロントに荷物を預けて外出します。

 

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宝城旅館が面する道路、その名も「太白山脈キル」(キルとは道、通りの意)を挟んで並ぶ店舗は、旅館建物に合わせて木造っぼいデザインに整えられています。旅館のすぐ隣が筏橋初等学校(小学校)であるため、周辺には文具店がいくつも立地しています。

 

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筏橋初等学校と隣接する筏橋女子中学校の裏手、芙蓉山(プヨンサン)山裾にある住宅地一帯は「月谷(ウォルゴク)映画コル」(コルは「谷」の意)と呼ばれ、その名にもあるように国内外の名作映画あるいはアニメを題材とする壁画で彩られた、いわゆる「壁画マウル」です。
「月谷映画コル」のメインゲートともいうべき写真1枚目の巨大な壁画は、2005年の映画『トンマッコルヘようこそ』のポスターを描いたもの。よく見るとタイトルが「웰컴 투 월곡영화골」(ウェルカム・トゥ・月谷映画コル)となっています。

 

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映画『国際市場で逢いましょう』の主人公ドクスとその店「コップニネ」。

 

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日本アニメの壁画がいたるところに。下段は映画『君の名は。』(韓国でのタイトルは『너의 이름은.』)をモチーフにしたもので、ごく最近もアップデートされていることが分かります。

 

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2017年に日本でも公開された映画『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』をモチーフとした壁画。尹東柱(윤동주:ユン・ドンジュ、1917-1943)詩人については、母校の延禧(∃二)専門学校の後身である延世(ヨンセ)大学校を訪れたこちらのエントリーでも紹介しています。

こちらの壁画マウル「月谷映画コル」は、筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約19分(約1.2km)Korail筏橋駅からは徒歩約11分(約710m)の場所にあります。

月谷映画コル(월곡영화골:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 月谷キル 18-25 (筏橋里 510-7) 一帯。リンク先は先ほど紹介した『トンマッコルへようこそ』の壁画の建物)

 

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トンマッコルへようこそ』壁画のすぐ北側には、趙廷来氏と『太白山脈』を記念した写真の巨大な碑があります。写真2枚目は趙廷来氏の肖像のレリーフ。実はこのレリーフ、顔の部分が窪んで彫刻されており、そのためどの角度から見ても趙廷来氏の顔が立体的に見えます。

 

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「青年団があった場所」(청년단이 있었던 곳:上図⑲)
太白山脈』記念碑のさらに北側、筏橋邑事務所(日本の町役場に相当)の道路を挟んだ向かい側、芙蓉山への登山道入口の階段脇に立つこの案内板は、筏橋を牛耳る「チュモッぺ」(주먹패:やくざ者。直訳すると「拳の輩」の意)として作中で強烈な個性を放つ人物、廉相九(ヨム・サング)を団長とする「青年団」の事務所があった設定の場所を示すものです。実際、この付近には日帝強占期当時の建物が1995年前後まであったそうで、その1階はかつて日本人用の沫浴湯(銭湯)だったといいます。
青年団」とは1947~48年当時、38度線以南の米軍政下に複数存在した右翼青年団体のひとつ「大同青年団」を指します。これらの団体は組織化で先行していた左翼青年団体に対抗して結成されたもので、「パルゲンイ」(빨갱이:「アカ」)と呼ばれた共産主義者の処断をその目的とし、警察と合同でそれらの討伐活動に加わることもありました。なお1948年末には李承晩大統領によりこれら団体が統合され、全国組織「大韓青年団」に再編させられています。
廉相九には、血を分けた兄弟でありながらも長男ゆえに父の寵愛を受け師範学校にまで進学、その後共産主義に傾倒しパルチザンとなった兄、廉相鎮(ヨム・サンジン)がいます。廉相九は自らの境遇との対比から兄を心底憎んでおり、そこから右翼性向を抱きパルチザンの討伐に執念を燃やすようになります。この兄弟関係に南北の分断、理念の対立という現実が象徴的に込められています。

階段を登り、芙蓉山への登山道を進みます。 

 

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筏橋公園。日帝強占期には神社があった場所です。さらに登ります。

 

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「M1高地」(M1고지:上図⑨)
「芙蓉亭(プヨンジョン)」という展望台が建つこちらの丘は、パルチザン討伐の戒厳軍司令官として赴任しつつも小作農たちの困窮を目の当たりにし、階層社会に疑問を抱くなど良心を持つ理性的な軍人、沈宰模(シム・ジェモ)が好んで登ったという設定の場所です。その名称も、愛用の銃「M1ライフル」にちなんで沈宰模自ら名付けたとの設定になっています。
筏橋の中心部一帯、遠くには汝自湾(ヨジャマン)までも望むことのできるすばらしい眺望です。

 

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「龍淵寺(ヨンヨンサ)」(용영사)
1910年ごろ開創、芙蓉亭の中腹に建つこちらの寺院は、パルチザンの細胞でもある本屋の主人、文基洙(ムン・ギス)が廉相鎮と密会した場所として登場します。
写真2枚目は龍淵寺の本堂(たぶん)。丹と緑をベースとした、日本の寺院建築ではあまり見ない極彩色の建物です。このときは朝の勤行の最中のようで、外にまで読経が聞こえてきました。

山を下り、筏橋の街中に戻ります。

 

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「金融組合」(금융조합:上図⑫)
日帝強占期から勤務し、理財に長けつつも麗順事件直後に左翼に処刑された宋基黙(ソン・ギムク)が組合長を務めた金融機関として登場する建物で、かつて実際に金融組合の店舗として使用されました。1919年築、「宝城旧筏橋金融組合」として国家指定登録文化財226号にも指定されています。

 

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金融組合の内部。現在は「お金の博物館」として無料開放されています。かつてここが金融機関であったことを示す金庫室も。

  

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前年(2016年)の訪問時にはなかった『太白山脈』の登場人物の衣装が観光客向けに用意されており、自由に着て記念写真を撮ることができます。写真は沈宰模の軍服(左)と、秘密党員の鄭河燮(チョン・ハソプ)の韓服(右)。このほか日帝強占期の警官の制服制帽や、後述する巫堂の衣装などもありました。

 

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「虹橋(ホンギョ)」(홍교:上図⑦)
前回エントリーの冒頭でも紹介したように、この「筏橋」という地名は、街の中央を涜れる筏橋川(ポルギョチョン)にかつて筏(いかだ)をつないだ橋があったことから付いたとされています。しかし筏橋川は川幅が狭く、多少の雨でもすぐに氾濫するうえ、満潮時には街が面する汝自湾から潮水が押し寄せて海の一部となってしまい、その度に筏の橋が使い物とならなくなってしまう問題を抱えていました。
これを改善すべく、朝鮮時代中期の1729年に仙岩寺(ソナムサ)の楚安禅師(チョアンソンサ)が筏の橋に代えて石橋を建設します。その後1737年に架け直されたのが現存する橋であり、「虹霓」(ホンイェ)と呼ばれるアーチが虹のように美しいことから「虹橋」あるいは「フェンゲッタリ」(횡갯다리)と呼ばれ、筏橋のランドマーク的存在となっています。『太白山脈』にも度々登場します。

 

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橋上。欄干がなく、自転車で渡ると怖そうです(自動車通行不可)。
アーチ3つの虹橋だけでは現在の川幅に足りず、鳳林里(ポンニムニ)に続く東岸側にはこれを継ぎ足すためのコンクリート製の橋が続きます。

 

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ひとつめの虹霓の下には龍の頭を象った石がぶら下がっており、橋のそばにある階段を下りて間近まで迫るとができます。災害や邪気を退けるという意味が込められているそうです。

 

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虹橋を渡り、風情漂う細道を進みます。
その脇には廃屋と柿の木が。情感あふれる風景です。

 

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「金範佑の家」(김범우의 집:上図⑥)
鳳林里の細道を登った先にあるこちらの住宅は、小説の主人公格である元学徒兵の金範佑(キム・ボム)と、その父で地主の金思鏞(キム・サヨン)の邸宅として登場します。 

 

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大門(路地に面する門)からは自由に入ることができますが、奥の住宅には現在も生活されている方がいて、内側の門は閉ざされています。
作者の趙廷来氏は筏橋で暮らしていた小学生の頃、当時この家に住んでいた友達を訪れ、大門の横のアレッチェ(아래채:「離れ屋」の意。写真3枚目)で何度も遊んだ経験があるそうで、そのときの記憶を思い浮かべていたのかもしれません。

 

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地主層でありながら搾取を潔しとせず思慮に富み、小作たちにも慕われた人物として描かれた金思鏞。その息子として育ち、対立する理念の狭間で悩み翻弄されつつも行動し、ときには作家の代弁者となる金範佑。「金範佑の家」家付近の高台からは、思鏞の土地という設定であり、彼らも幾度となく眺めたに違いない古邑(コウプ)平野が見渡せます。
写真は前回(2016年10月)訪問時に撮影した古邑平野の眺め。視界のあちらこちらに、実をつけた柿の木が。大好きな晩秋の夕暮れの風景です。

 

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「慈愛病院があった場所」(자애병원이 있었던 곳:上図⑧)
ヒポクラテスの誓いを守り、理念の違いを問わず患者の治療に尽くし、そのために幾度も危機に陥った医師、全明煥(チョン・ミョンファン)が院長を務める「慈愛(チャエ)病院」があったという設定の場所です。かつてここには実際に病院があったそうですが、現在はその跡地に「筏橋オリニチッ」(保育園)が建っています。

 

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「昭和橋(ソファタリ)」(소화다리:上図⑨)
筏橋川にかかる写真のコンクリート橋の正式名称は「芙蓉橋(プヨンギョ)」ですが、現地の人々は「昭和」を韓国語読みした「ソファ」に「橋」を意味する固有語「タリ」を付けたこの名前で呼んでいます。これは橋が日帝強占期の1931年(昭和6年)に落成したことに由来するものです。
光復後、1948年秋の麗順事件で筏橋が反乱軍の支配下となった際には地域の右翼人士や警察官などが、またその鎮圧後には左翼や反乱軍への協力者など「パルゲンイ」とされた人々が報復のためこの橋上で銃殺され、落下した死体の血で筏橋川の水が赤く染まったといい、その様子は『太白山脈』でも描かれています。現在はすぐ隣に車道が追加され、歩行者専用の橋となっています。

 

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「鉄橋(チョルタリ)」(철다리:上図⑯)
1930年の南朝鮮鉄道光麗線(現・Korail慶全線)開業に際し建設されたこの鉄道橋は今日も現役であり、その後すぐそばに道路橋の「芙蓉2橋」が完成するまでは、列車運行の合間を縫って歩行者も利用していたようです。
この鉄橋は物語の序盤、解放直後に戻ってきた廉相九とギャングの親玉「スズメバチ」による、筏橋の覇権を賭けた勝負の舞台として登場します。橋上に立つ二人に列車が迫る中、先に川へ飛び降りたスズメバチは筏橋を追われ、代わって廉相九が筏橋の拳の世界を掌握することになります。

この日(2017年10月29日)の旅で巡った『太白山脈』関連スポットは以上ですが、この前年の筏橋初訪問の際にはこの日以上に関連スポットを訪問しましたので、あわせて紹介したいと思います。

 

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「中島防築」(중도방죽:上図⑱)
「防築(パンチュク)」とは「埋立地」の意。日帝強占期当時、近くに住んでいた日本人地主の中島(韓国語読みで「チュンド」)が筏橋川河口の一部を仕切り埋め立てたことから、この名が付いています。『太白山脈』では日本人による収奪の象徴として描かれ、物語中盤にはある主要人物が殺害される場所として登場します。

 

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「回亭里教会」(회정리교회:上図④)
回亭里(フェジョンニ)、帝釈山(チェソクサン)の麓に建つ1939年築の写真の教会は、良心的知識人であるクリスチャン、徐民永(ソ・ミニョン)が自給生活を営みつつ、貧しい小作農の子どもたちのために夜学を開いた場所として登場します。金範佑やその親友の孫承昊(ソン・スンホ)もここに出入りし、徐民永が彼らの精神的支柱の役割を果たす姿が描かれています。私有地のため敷地内に立ち入ることはできませんが、儒教的慣習の名残であったかつての男女別の出入口が残っているそうです。

 

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「玄長者の家」(현부자네집:上図③)
韓国語では「玄(ヒョン)富者の家」となるこちらの住宅は、帝釈山を後背地に風水上これ以上はないという立地に建てられながらも、その後玄長者の没落により無人となった屋敷として登場します。

 

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伝統韓屋(ハノク)を基本としつつも随所に日本式が取り入れられた折衷型の住宅で、日帝強占期の地主層の邸宅を象徴するような造りとなっています。内部立入不可のため見ることはできませんが、当時としては珍しい洋式便器が設置されているとのことです。

 

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「素花の家」(소화의집:上図②)
玄長者お抱えの巫堂(ムーダン)で、その没落後は病に倒れつつ無人の敷地内にひっそりと暮らしていた月女(ウォルニョ)と、その娘である若き巫堂、素花(ソファ)の家があったという設定の場所です。素花にとっては憧れの人物であり、潜入活動の拠点とすべくこの家を訪れたことで再会がかなった秘密党員、鄭河燮との束の間の愛を育んだ場所でもあります。
写真の建物は、1988年頃までこの場にあった住宅を、隣接する「趙廷来太白山脈文学館」建設とあわせて2008年に宝城郡が復元したものです。

 

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「趙廷来太白山脈文学館」(上図①)。
筏橋バス共用ターミナル近くに2008年に開館したこちらの文学館では、その名の通り趙廷来氏と『太白山脈』に関連する資料やパネルなどを多数展示しています。存命である一小説家の、それも一作品のみをメインテーマに取り上げたという、私が知る限り韓国でも稀有の展示施設です。 

 

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趙廷来氏による『太白山脈』の肉筆原稿を積み上げたもの。16,500枚もの膨大な量に及びます。

  

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趙廷来氏は『太白山脈』の連載が終了した1989年頃から、毎日のようにかかって来る脅迫電話にひどく悩まされたといいます。また1994年には、パルチザン側の観点での描写が多いなど『太白山脈』が共産主義を美化し、反国家活動に与する「利敵表現物」だとして国家保安法違反の疑いがあるとの提起が複数の反共右翼団体によりなされ、小説の発禁処分、さらには作家生命までも断たれる危機に瀕したことがあります。その後、同法違反にはあたらないという無嫌疑処分が2005年に下されたため、一時は暗礁に乗り上げた太白山脈文学館の開館も実現しています。写真は1994年、右翼団体による訴えの直後に公開された映画に関する新聞記事。

 

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「趙廷来太白山脈文学館」の開館時間は午前9時~午後6時(冬季は午後5時)、月曜日と名節(旧正月・秋夕)当日は休館。入場料は一般2,000ウォン。筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約8分(約560m)Korail筏橋駅からは徒歩約21分(約1.4km)の場所にあります。
前述した通り『太白山脈』は韓国では誰もが知る名作小説ですが、日本では1999年にハードカバー全10巻(ホーム社発行、集英社発売)が刊行されて以降、文庫化されることなく絶版となっています。むしろ1994年に制作された、キム・ボム(金範佑)役のアン・ソンギさん主演の映画の方が日本では知られているかもしれません。この日本語版は古書通販などで容易に入手できますので、ご興味をお持ちになった方はぜひともご一読いただくとともに、こちらの文学館を含め物語の主舞台である筏橋をご訪問いただくことを願っています。

趙廷来太白山脈文学館(조정래태백산맥문학관:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 弘岩路 89-19 (回亭里 357-2))

  

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筏橋の中心部、KoraiI筏橋駅からも近い在来市場「筏橋市場」に戻ります。
日帝強占期に発展し、往時は筏橋を全羅南道南東部の一大商業地たらしめた五日市「筏橋場」がその母体であり、現在も末尾が4・9の日に五日市が開催されています。この日(10月29日)はまさに五日市の日で、写真のアーケードの常設市場に加え、道路沿いにはいくつもの露店が並んでいました。

 

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アーケードの常設市場内。かつての港町らしく海産物がメインで、名物のコマクをはじめ多島海で獲れた海の辛がずらりと並べられています。

 

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アーケード外の露店。袋詰めされ台の上に積まれているのは、キウイです。ジャガイモかと思いました。

 

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この日の昼食は、筏橋市場そばのある店にて。
前夜にも「チョンガネ元祖コマク会館」にて食べたコマク定食。おいしかったのですが、こちらは1.5人分の30,000ウォンだったうえ、本来注文したものではなかったため、お店の詳しい紹介は控えておきたいと思います。

 

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代わりに紹介するのは、この前年(2016年)10月に訪問した、昭和橋の近くにある写真のお店「元祖スラサンコマク定食」。こちらも人気店のようで、ランチタイムは来客でにぎわっていました。

 

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このとき食べたのは、コマク定食に次ぐ筏橋の名物グルメ「チャントゥンオタン」(짱뚱어탕)、10,000ウォン(約1,050円:当時)。
チャントゥンオとは日本でいう「ムツゴロウ」のこと。有明海名産のあれです。汝自湾や順天湾などの干潟で獲れたチャントゥンオを辛いスープで形が崩れるまで煮込んだのがこちらの料理。チャントゥンオ由来と思われる深いコクが出ていてうんまかったです。

 

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セコマク(サルボウガイ)のヤンニョム漬け「ヤンニョムコマク」などパンチャン(おかず)も豊富でおいしかったです。中央の深緑色の液体のようなものは、メセンイ(매생이:カプサアオノリ。学名「Capsosiphon fulvescens」)の酢の物。糸のように細いこちらの海草は、韓国ではポピュラーな食材です。
こちらのお店「元祖スラサンコマク定食」の営業時間は午前8時30分~午後9時。定休日はないようですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約16分(約950m)Korail筏橋駅からは徒歩約10分(約640m)の場所にあります。

元祖スラサンコマク定食(원조수라상꼬막정식:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 蔡東鮮路 278-2 (筏橋里 865-6))

  

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それともうひとつ、こちらは今回(2017年10月)も訪問した、Korail筏橋駅前の「筏橋コマクパン」。名産のコマクを用いたこれまでにないユニークな名物グルメを開発・販売すべく、宝城シニアクラブの方々が2016年にオープンしたお店です。

 

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コマクを象った焼き菓子「コマクパン」、2個1,000ウォン。こう見えても実はチャムコマク(ハイガイ)のフリーズドライ粉末が入っているそうです。普通においしかったです。

 

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こちらは前回(2016年10月)訪問の際に購入した「コマクコロッケ」(꼬막크로켓)。その名の通りコマクを具に入れたコロッケパンで、プレーンとチーズ入りの2種類があり、どちらもほんっとうんまかったのです。ただしこの日は祭りブース向けのコマクパン製造に集中したとかで、残念ながら扱いがありませんでした。また食べたいな。
こちらのお店「筏橋コマクパン」の営業時間は午前10時~午後5時。定休日はないようですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約17分(約1km)Korail筏橋駅からは徒歩約3分(約140m)の場所にあります。

筏橋コマクパン(벌교꼬막빵:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 鶏盛1キル 4 (筏橋里 625-50))

 

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筏橋側沿い、前日も訪れた「筏橋コマク祭り」(벌교꼬막축제)の主会場へ。最終日、しかも日曜日ということで大変な賑わいです。

 

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「コマク茹で体験」ブース(写真は2016年10月撮影)。2,000ウォン(約210円:当時)という安価でチャムコマクとセコマクを自分で茹でて食べることができます。

 

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荷物を回収して筏橋バス共用ターミナルヘ。市外バスに乗り、この旅の最終目的地へと向かうのでした。

それでは、次回のエントリーヘ続きます。 

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