かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

釜山の旅[201711_01] - チャガルチと凡一(ポミル)、情感漂う釜山の2つの酒場をはしごする

今回からは、昨年(2017年)11月17日(金)から同月19日(月)にかけての釜山広域市の旅をお届けします。
本来ならば、昨年10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)などを巡る前回のエントリーの続きを書くべきところですが、こちらについては都合により後日改めてご紹介したいと思います。

 

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釜山の訪問は同年2月以来およそ9ヵ月ぶり。利用したのは今回ももちろんエアプサンです。
今回の宿は都市鉄道(地下鉄)2号線「沙上(ササン)」駅そば、定宿となっている某モーテル。価格の割に設備が整っているうえ、金海(キメ)国際空港へのアクセス手段である釜山金海軽電鉄への乗換駅そばという立地であるため、帰国の際にとても好都合なのです。遠いとはいえ、チェック済みの飲食店も多いチャガルチへは8番バス1本で行くこともできます(「西区庁」バス停で下車)。
ただこちらのモーテル、玉にキズはチェックイン開始時刻が午後6時とやたら遅いこと。空港から近いこともあって、午後4時着の便でもそれよりずっと前に到着してしまいます。とりあえず荷物をフロントに預けて外出することにします。

 

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写真1枚目は釜山金海軽電鉄の車内モニター、2・3枚目は都市鉄道(地下鉄)の案内です。釜山の都市鉄道はソウルや光州と同様に日本語を含む多国語表記が充実しています。

 

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釜山に来て最初に訪れたのは、2月の旅と同じく、都市鉄道(地下鉄)1号緑「草梁(チョリャン)」駅。以前にも紹介した、在釜山日本総領事館の裏にたたずむ、あのひとに会うためです。
ここを訪れたのも9ヵ月ぶり。その間も私が暮らす国では政府も世論もー丸となって過去の加害を否認し、被害者たちを侮辱する言説を繰り返しています。なす術もない自らの非力さを深く詫びるとともに、それでも抗い続けることを改めて誓います。

 

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再び1号線に乗り、今度はあのチャガルチ市場も近い「チャガルチ」駅で下車。
釜山の旧市街であり、現在も西面(ソミョン)と並ぶ繁華街である南浦洞(ナムポドン)の最寄駅のひとつでもあるこの駅周辺には、前述したようにチェック済みの飲食店が多数立地しており、釜山訪問の際には必ず訪れている場所です。ソウルの「鍾路3街(チョンノサムガ)」駅と同様、到着する度に目尻が下がってしまう駅です。

 

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いつもならば駅の東端、国際市場(クッチェシジャン)寄りの7番出口を利用するところですが、今回は駅西端の2番出口を抜けて、海産物の店が並ぶ海岸寄りの路地をずんずん進みます。

 

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到着したのは、「忠武洞セビョク市場」の港側の入口にある「トンファンハルメチッ」と「元祖ハルメソンマッ」。どちらも近隣の市場で働く人々向けの酒場で、店内にスペースがないため路上に置かれた椅子が独特の雰囲気を醸し出しています。いちおう店は別々ということになっているのですが実質的に境界はありません。釜山の旅には決して欠かせない鄭銀淑さんの著書『釜山の人情食堂』で知ったこちらのお店、前年(2016年)10月に続き2度目の訪問です。

 

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お店は70代くらいのアジメ(아지매:親戚でない既婚女性を高めつつ親しみを込めて呼ぶ語「アジュモニ」「アジュンマ」の慶尚方言。ここでは「おかみさん」の意)が一人で切り盛りしています。『釜山の人情食堂』の写真から察するに「トンファンハルメチッ」のアジメのようです(こちらの写真は2016年10月撮影)

 

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注文したのはピョンオ(병어:マナガツオ)の「セッコシ」(세꼬시)と呼ばれる刺身。セッコシとは写真のように小魚を中骨ごとぶつ切りにして出すタイプの刺身で、日本語の「背越し」が由来とされています。うんまい。おともは、釜山といえばもちろん地マッコリの「センタク」(생탁)。
わざわざ日本から、それもたった一人でやってきたのが珍しいのか、隣に座ったおじさんと意気投合してしまいました。一方でアジメといえば、同様に『釜山の人情食堂』を読んで訪問する日本人が多いようで、慣れていらっしゃるご様子。というか、本をお持ちでした……

 

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2皿目のお魚を注文したいところですが、今回は次のお店も控えているのでピョンオだけに抑えます。写真はいずれも前回(2016年10月)の訪問時に注文したもので、1枚目はこの時期の旬のチョノ(전어:コノシロ)の刺身、2枚目はカオリムチム(가오리무침:エイ刺のヤンニョム和え)。どちらもうんまかったです。チョノは小骨もいいアクセント。
こちらのお店「トンファンハルメチッ」&「元祖ハルメソンマッ」の営業時間は午前11時~午後9時。年中無休とのことですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。都市鉄道(地下鉄)1号線「チャガルチ」駅2番出口から徒歩約6分(約400m)で到達できます。

トンファンハルメチッ/元祖ハルメソンマッ(동환할메집 / 완조할매손맛:釜山広域市 西区 セビョク市場キル 57 (忠武洞1街 42-2))

 

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再び地下鉄に乗り、今度は「凡一(ポミル)」駅で下車。見どころが多いうえ、こちらも料理のうんまい飲食店やいい感じの酒場がいくつもあって好きな街です。

 

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凡一駅の7番出口を出て3分ほど歩いた場所にある、Korail京釜線キョンブソン)をまたぐ陸橋、通称「クルムタリ」(그름다리:「雲の橋」の意)。映画『友へ チング』の一舞台となった場所であり、両側の階段を一定の場所から眺めるとチャン・ドンゴンさんやユ・オソンさんらが演じた主要登場人物4人の絵が浮かび上がってきます。

 

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この日2度目の夕食は、このクルムタリを越えてすぐ右側にある写真のお店「サンソンオルムマッコリ」。
こちらも鄭銀淑さんの著書『韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅』で知ったお店であり、酒場らしい店構えにおいしい料理、しかも破格の安さということで前々から気になっていたところです。重しのタイヤが置かれた屋根が情感を誘います。

 

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店内。見た目よりは広いです。
こちらのお店もアジメがお一人で切り盛りされていました。

 

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メニュー表。訂正がすごいです。
皮肉とかではなく、韓国の飲食店でよく見かけるこうした訂正だらけのメニューが私は大好きなのです。日本だとすぐクレームに発展しそうな表記が受け入れられているところに社会の成熟性を感じます。
センタクが2,500ウォンというのは、私が見てきた中ではいちばん安いです(ソウルには長寿マッコリが2,000ウォンのお店がありましたが)

 

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まずはノガリ(노가리:スケトウダラの幼魚の干物)、5,000ウォン(約530円:当時)。ノガリといえばソウル・乙支路(ウルチロ)の路上ホーフ名物のようなカラッカラに乾いた干物を想像してしまいますが、こちらのお店のものは一夜干しタイプであり瑞々しさがあります。ノガリ定番の辛いヤンニョムジャンにつけて食べます。

 

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続いてアルタン(알탕:魚卵のスープ)、6,000ウォン(約630円:当時)。一人鍋サイズです。冬はあったまりそうですね。おいしかったです。またもやセンタクをオーダー。

 

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そしてもうひと皿、オジンオポックム(오징어볶음:イカの炒め物)、7,000ウォン(約740円:当時)。タンミョン(당면:韓国春雨)も入っています。見ての通りフライパンのまま出てきますがこういうのがまた好きなんです。味もまたうんまい。
こちらのお店「サンソンオルムマッコリ」の営業時間は午後3時~午後11時。お休みは不明です。都市鉄道(地下鉄)1号線「凡一」駅7番出口から徒歩約4分(約240m)で到達できます。ビール1本とセンタク1本、以上の料理3皿で合計23,500ウォン(約2,470円:当時)。すぐそばを走る京釜線の列車の音をBGMに、お腹も満たせてふところにも優しいお店です。
訪問2日前(2017年11月15日)に発生した、浦項(ポハン)を震源とする地震がすごかったね、という話をアジメと交わしたのがとても印象に残っています。カタコトでも通じる話はあります。また行きたいな。

サンソンオルムマッコリ(산성얼음막걸리:釜山広域市 釜山鎮区 中央大路 548-13 (凡川洞 62-693))

 

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こうして釜山の魔力によりお腹も心も幸せいっぱいになって、ホテルへ戻りゆっくりと休むのでした。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

宝城の旅[201710_06] - 筏橋、趙廷来氏の小説『太白山脈』の舞台巡り、ムツゴロウのスープにコマクパン

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)宝城(ポソン)郡などを巡る旅、明けて3日目(2017年10月29日(日))の朝です。

この日は主に、筏橋邑(ボルギョウプ。邑(ウプ)は日本の「町」に相当する地方自治体)内に点在する、小説『太白山脈』(태백산맥:テベクサンメク)の舞台となった各スポットを巡る計画です。
太白山脈』とは、幼年期にここ筏橋での生活経験もある作家の趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏が1983年に『現代文学』誌上で連載を開始した、1948年の麗順(ヨスン)事件※直後から1953年の朝鮮戦争休戦までに至る激動期の群像を描いた大河小説です。その後刊行された全10巻の単行本は今日まで実に200刷、700万部を超えるベストセラーとなっており、後述するように日本語版も発刊されています。また1994年には林権沢(임권택:イム・グォンテク、1936-)監督により映画化もなされています。

※麗順事件:1948年10月19日に発生した、国防軍第14連隊の一部将兵による反乱。李承晩(이승만:イ・スンマン、1875-1965)初代大統領ほか親日派(日本による植民地支配への協力者。日本語の「親日」とは意味が異なることに注意)を主流とする韓国政府の単独樹立や、同年の「済州4.3事件」への鎮圧命令などに反発した同連隊の将兵2千名あまりが蜂起、一時は宝城郡を含む全羅南道南東部の広域を掌握したものの蜂起8日後には鎮圧されています。麗順とは第14連隊が駐屯していた同道の麗水(ヨス)、および隣接する順天(スンチョン)の頭文字。

 

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筏橋邑地図
写真は筏橋邑の観光案内図。続く地図は、この観光案内図のスポットと番号を地図上にプロットしたものです(本エントリーで紹介しないスポットは省略したため番号が一部飛んでいることをご了承願います)。以下、本エントリーではこの地図を「上図」と呼びます。
本エントリーでは小説を未読の方でもご理解いただけるよう、これらスポットをできるだけ筏橋や韓国の近現代史とからめて紹介したいと思います。また、これから小説をお読みになる方にとって「ネタバレ」とならないよう心がけてはおりますが、必要最小限の範囲で小説序盤のストーリーに言及していることをご容赦願います。

 

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「宝城旅館」(보성여관:上図⑱)。
前泊したこちらの旅館がこの日の旅の起点です。前回のエントリーでも紹介したように、国家指定登録文化財第132号の日本式建築であるこの宝城旅館もまた「南道旅館」(남도여관)として『太白山脈』に登場します。写真2枚目の案内板は『太白山脈』の舞台であることを紹介するもので、ほとんどのスポットに添えられていました。

 

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宿泊者へのサービスとして出てくる宝城旅館の朝食、食パンとゆで卵。食パンはセルフで焼いて食べます。
チェックアウトして、この日の旅がスタート。筏橋邑には私が知る限りコインロッカーが存在しないので、旅館のフロントに荷物を預けて外出します。

 

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宝城旅館が面する道路、その名も「太白山脈キル」(キルとは道、通りの意)を挟んで並ぶ店舗は、旅館建物に合わせて木造っぼいデザインに整えられています。旅館のすぐ隣が筏橋初等学校(小学校)であるため、周辺には文具店がいくつも立地しています。

 

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筏橋初等学校と隣接する筏橋女子中学校の裏手、芙蓉山(プヨンサン)山裾にある住宅地一帯は「月谷(ウォルゴク)映画コル」(コルは「谷」の意)と呼ばれ、その名にもあるように国内外の名作映画あるいはアニメを題材とする壁画で彩られた、いわゆる「壁画マウル」です。
「月谷映画コル」のメインゲートともいうべき写真1枚目の巨大な壁画は、2005年の映画『トンマッコルヘようこそ』のポスターを描いたもの。よく見るとタイトルが「웰컴 투 월곡영화골」(ウェルカム・トゥ・月谷映画コル)となっています。

 

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映画『国際市場で逢いましょう』の主人公ドクスとその店「コップニネ」。

 

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日本アニメの壁画がいたるところに。下段は映画『君の名は。』(韓国でのタイトルは『너의 이름은.』)をモチーフにしたもので、ごく最近もアップデートされていることが分かります。

 

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2017年に日本でも公開された映画『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』をモチーフとした壁画。尹東柱(윤동주:ユン・ドンジュ、1917-1943)詩人については、母校の延禧(∃二)専門学校の後身である延世(ヨンセ)大学校を訪れたこちらのエントリーでも紹介しています。

こちらの壁画マウル「月谷映画コル」は、筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約19分(約1.2km)Korail筏橋駅からは徒歩約11分(約710m)の場所にあります。

月谷映画コル(월곡영화골:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 月谷キル 18-25 (筏橋里 510-7) 一帯。リンク先は先ほど紹介した『トンマッコルへようこそ』の壁画の建物)

 

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トンマッコルへようこそ』壁画のすぐ北側には、趙廷来氏と『太白山脈』を記念した写真の巨大な碑があります。写真2枚目は趙廷来氏の肖像のレリーフ。実はこのレリーフ、顔の部分が窪んで彫刻されており、そのためどの角度から見ても趙廷来氏の顔が立体的に見えます。

 

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「青年団があった場所」(청년단이 있었던 곳:上図⑲)
太白山脈』記念碑のさらに北側、筏橋邑事務所(日本の町役場に相当)の道路を挟んだ向かい側、芙蓉山への登山道入口の階段脇に立つこの案内板は、筏橋を牛耳る「チュモッぺ」(주먹패:やくざ者。直訳すると「拳の輩」の意)として作中で強烈な個性を放つ人物、廉相九(ヨム・サング)を団長とする「青年団」の事務所があった設定の場所を示すものです。実際、この付近には日帝強占期当時の建物が1995年前後まであったそうで、その1階はかつて日本人用の沫浴湯(銭湯)だったといいます。
青年団」とは1947~48年当時、38度線以南の米軍政下に複数存在した右翼青年団体のひとつ「大同青年団」を指します。これらの団体は組織化で先行していた左翼青年団体に対抗して結成されたもので、「パルゲンイ」(빨갱이:「アカ」)と呼ばれた共産主義者の処断をその目的とし、警察と合同でそれらの討伐活動に加わることもありました。なお1948年末には李承晩大統領によりこれら団体が統合され、全国組織「大韓青年団」に再編させられています。
廉相九には、血を分けた兄弟でありながらも長男ゆえに父の寵愛を受け師範学校にまで進学、その後共産主義に傾倒しパルチザンとなった兄、廉相鎮(ヨム・サンジン)がいます。廉相九は自らの境遇との対比から兄を心底憎んでおり、そこから右翼性向を抱きパルチザンの討伐に執念を燃やすようになります。この兄弟関係に南北の分断、理念の対立という現実が象徴的に込められています。

階段を登り、芙蓉山への登山道を進みます。 

 

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筏橋公園。日帝強占期には神社があった場所です。さらに登ります。

 

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「M1高地」(M1고지:上図⑨)
「芙蓉亭(プヨンジョン)」という展望台が建つこちらの丘は、パルチザン討伐の戒厳軍司令官として赴任しつつも小作農たちの困窮を目の当たりにし、階層社会に疑問を抱くなど良心を持つ理性的な軍人、沈宰模(シム・ジェモ)が好んで登ったという設定の場所です。その名称も、愛用の銃「M1ライフル」にちなんで沈宰模自ら名付けたとの設定になっています。
筏橋の中心部一帯、遠くには汝自湾(ヨジャマン)までも望むことのできるすばらしい眺望です。

 

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「龍淵寺(ヨンヨンサ)」(용영사)
1910年ごろ開創、芙蓉亭の中腹に建つこちらの寺院は、パルチザンの細胞でもある本屋の主人、文基洙(ムン・ギス)が廉相鎮と密会した場所として登場します。
写真2枚目は龍淵寺の本堂(たぶん)。丹と緑をベースとした、日本の寺院建築ではあまり見ない極彩色の建物です。このときは朝の勤行の最中のようで、外にまで読経が聞こえてきました。

山を下り、筏橋の街中に戻ります。

 

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「金融組合」(금융조합:上図⑫)
日帝強占期から勤務し、理財に長けつつも麗順事件直後に左翼に処刑された宋基黙(ソン・ギムク)が組合長を務めた金融機関として登場する建物で、かつて実際に金融組合の店舗として使用されました。1919年築、「宝城旧筏橋金融組合」として国家指定登録文化財226号にも指定されています。

 

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金融組合の内部。現在は「お金の博物館」として無料開放されています。かつてここが金融機関であったことを示す金庫室も。

  

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前年(2016年)の訪問時にはなかった『太白山脈』の登場人物の衣装が観光客向けに用意されており、自由に着て記念写真を撮ることができます。写真は沈宰模の軍服(左)と、秘密党員の鄭河燮(チョン・ハソプ)の韓服(右)。このほか日帝強占期の警官の制服制帽や、後述する巫堂の衣装などもありました。

 

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「虹橋(ホンギョ)」(홍교:上図⑦)
前回エントリーの冒頭でも紹介したように、この「筏橋」という地名は、街の中央を涜れる筏橋川(ポルギョチョン)にかつて筏(いかだ)をつないだ橋があったことから付いたとされています。しかし筏橋川は川幅が狭く、多少の雨でもすぐに氾濫するうえ、満潮時には街が面する汝自湾から潮水が押し寄せて海の一部となってしまい、その度に筏の橋が使い物とならなくなってしまう問題を抱えていました。
これを改善すべく、朝鮮時代中期の1729年に仙岩寺(ソナムサ)の楚安禅師(チョアンソンサ)が筏の橋に代えて石橋を建設します。その後1737年に架け直されたのが現存する橋であり、「虹霓」(ホンイェ)と呼ばれるアーチが虹のように美しいことから「虹橋」あるいは「フェンゲッタリ」(횡갯다리)と呼ばれ、筏橋のランドマーク的存在となっています。『太白山脈』にも度々登場します。

 

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橋上。欄干がなく、自転車で渡ると怖そうです(自動車通行不可)。
アーチ3つの虹橋だけでは現在の川幅に足りず、鳳林里(ポンニムニ)に続く東岸側にはこれを継ぎ足すためのコンクリート製の橋が続きます。

 

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ひとつめの虹霓の下には龍の頭を象った石がぶら下がっており、橋のそばにある階段を下りて間近まで迫るとができます。災害や邪気を退けるという意味が込められているそうです。

 

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虹橋を渡り、風情漂う細道を進みます。
その脇には廃屋と柿の木が。情感あふれる風景です。

 

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「金範佑の家」(김범우의 집:上図⑥)
鳳林里の細道を登った先にあるこちらの住宅は、小説の主人公格である元学徒兵の金範佑(キム・ボム)と、その父で地主の金思鏞(キム・サヨン)の邸宅として登場します。 

 

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大門(路地に面する門)からは自由に入ることができますが、奥の住宅には現在も生活されている方がいて、内側の門は閉ざされています。
作者の趙廷来氏は筏橋で暮らしていた小学生の頃、当時この家に住んでいた友達を訪れ、大門の横のアレッチェ(아래채:「離れ屋」の意。写真3枚目)で何度も遊んだ経験があるそうで、そのときの記憶を思い浮かべていたのかもしれません。

 

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地主層でありながら搾取を潔しとせず思慮に富み、小作たちにも慕われた人物として描かれた金思鏞。その息子として育ち、対立する理念の狭間で悩み翻弄されつつも行動し、ときには作家の代弁者となる金範佑。「金範佑の家」家付近の高台からは、思鏞の土地という設定であり、彼らも幾度となく眺めたに違いない古邑(コウプ)平野が見渡せます。
写真は前回(2016年10月)訪問時に撮影した古邑平野の眺め。視界のあちらこちらに、実をつけた柿の木が。大好きな晩秋の夕暮れの風景です。

 

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「慈愛病院があった場所」(자애병원이 있었던 곳:上図⑧)
ヒポクラテスの誓いを守り、理念の違いを問わず患者の治療に尽くし、そのために幾度も危機に陥った医師、全明煥(チョン・ミョンファン)が院長を務める「慈愛(チャエ)病院」があったという設定の場所です。かつてここには実際に病院があったそうですが、現在はその跡地に「筏橋オリニチッ」(保育園)が建っています。

 

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「昭和橋(ソファタリ)」(소화다리:上図⑨)
筏橋川にかかる写真のコンクリート橋の正式名称は「芙蓉橋(プヨンギョ)」ですが、現地の人々は「昭和」を韓国語読みした「ソファ」に「橋」を意味する固有語「タリ」を付けたこの名前で呼んでいます。これは橋が日帝強占期の1931年(昭和6年)に落成したことに由来するものです。
光復後、1948年秋の麗順事件で筏橋が反乱軍の支配下となった際には地域の右翼人士や警察官などが、またその鎮圧後には左翼や反乱軍への協力者など「パルゲンイ」とされた人々が報復のためこの橋上で銃殺され、落下した死体の血で筏橋川の水が赤く染まったといい、その様子は『太白山脈』でも描かれています。現在はすぐ隣に車道が追加され、歩行者専用の橋となっています。

 

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「鉄橋(チョルタリ)」(철다리:上図⑯)
1930年の南朝鮮鉄道光麗線(現・Korail慶全線)開業に際し建設されたこの鉄道橋は今日も現役であり、その後すぐそばに道路橋の「芙蓉2橋」が完成するまでは、列車運行の合間を縫って歩行者も利用していたようです。
この鉄橋は物語の序盤、解放直後に戻ってきた廉相九とギャングの親玉「スズメバチ」による、筏橋の覇権を賭けた勝負の舞台として登場します。橋上に立つ二人に列車が迫る中、先に川へ飛び降りたスズメバチは筏橋を追われ、代わって廉相九が筏橋の拳の世界を掌握することになります。

この日(2017年10月29日)の旅で巡った『太白山脈』関連スポットは以上ですが、この前年の筏橋初訪問の際にはこの日以上に関連スポットを訪問しましたので、あわせて紹介したいと思います。

 

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「中島防築」(중도방죽:上図⑱)
「防築(パンチュク)」とは「埋立地」の意。日帝強占期当時、近くに住んでいた日本人地主の中島(韓国語読みで「チュンド」)が筏橋川河口の一部を仕切り埋め立てたことから、この名が付いています。『太白山脈』では日本人による収奪の象徴として描かれ、物語中盤にはある主要人物が殺害される場所として登場します。

 

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「回亭里教会」(회정리교회:上図④)
回亭里(フェジョンニ)、帝釈山(チェソクサン)の麓に建つ1939年築の写真の教会は、良心的知識人であるクリスチャン、徐民永(ソ・ミニョン)が自給生活を営みつつ、貧しい小作農の子どもたちのために夜学を開いた場所として登場します。金範佑やその親友の孫承昊(ソン・スンホ)もここに出入りし、徐民永が彼らの精神的支柱の役割を果たす姿が描かれています。私有地のため敷地内に立ち入ることはできませんが、儒教的慣習の名残であったかつての男女別の出入口が残っているそうです。

 

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「玄長者の家」(현부자네집:上図③)
韓国語では「玄(ヒョン)富者の家」となるこちらの住宅は、帝釈山を後背地に風水上これ以上はないという立地に建てられながらも、その後玄長者の没落により無人となった屋敷として登場します。

 

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伝統韓屋(ハノク)を基本としつつも随所に日本式が取り入れられた折衷型の住宅で、日帝強占期の地主層の邸宅を象徴するような造りとなっています。内部立入不可のため見ることはできませんが、当時としては珍しい洋式便器が設置されているとのことです。

 

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「素花の家」(소화의집:上図②)
玄長者お抱えの巫堂(ムーダン)で、その没落後は病に倒れつつ無人の敷地内にひっそりと暮らしていた月女(ウォルニョ)と、その娘である若き巫堂、素花(ソファ)の家があったという設定の場所です。素花にとっては憧れの人物であり、潜入活動の拠点とすべくこの家を訪れたことで再会がかなった秘密党員、鄭河燮との束の間の愛を育んだ場所でもあります。
写真の建物は、1988年頃までこの場にあった住宅を、隣接する「趙廷来太白山脈文学館」建設とあわせて2008年に宝城郡が復元したものです。

 

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「趙廷来太白山脈文学館」(上図①)。
筏橋バス共用ターミナル近くに2008年に開館したこちらの文学館では、その名の通り趙廷来氏と『太白山脈』に関連する資料やパネルなどを多数展示しています。存命である一小説家の、それも一作品のみをメインテーマに取り上げたという、私が知る限り韓国でも稀有の展示施設です。 

 

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趙廷来氏による『太白山脈』の肉筆原稿を積み上げたもの。16,500枚もの膨大な量に及びます。

  

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趙廷来氏は『太白山脈』の連載が終了した1989年頃から、毎日のようにかかって来る脅迫電話にひどく悩まされたといいます。また1994年には、パルチザン側の観点での描写が多いなど『太白山脈』が共産主義を美化し、反国家活動に与する「利敵表現物」だとして国家保安法違反の疑いがあるとの提起が複数の反共右翼団体によりなされ、小説の発禁処分、さらには作家生命までも断たれる危機に瀕したことがあります。その後、同法違反にはあたらないという無嫌疑処分が2005年に下されたため、一時は暗礁に乗り上げた太白山脈文学館の開館も実現しています。写真は1994年、右翼団体による訴えの直後に公開された映画に関する新聞記事。

 

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「趙廷来太白山脈文学館」の開館時間は午前9時~午後6時(冬季は午後5時)、月曜日と名節(旧正月・秋夕)当日は休館。入場料は一般2,000ウォン。筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約8分(約560m)Korail筏橋駅からは徒歩約21分(約1.4km)の場所にあります。
前述した通り『太白山脈』は韓国では誰もが知る名作小説ですが、日本では1999年にハードカバー全10巻(ホーム社発行、集英社発売)が刊行されて以降、文庫化されることなく絶版となっています。むしろ1994年に制作された、キム・ボム(金範佑)役のアン・ソンギさん主演の映画の方が日本では知られているかもしれません。この日本語版は古書通販などで容易に入手できますので、ご興味をお持ちになった方はぜひともご一読いただくとともに、こちらの文学館を含め物語の主舞台である筏橋をご訪問いただくことを願っています。

趙廷来太白山脈文学館(조정래태백산맥문학관:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 弘岩路 89-19 (回亭里 357-2))

  

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筏橋の中心部、KoraiI筏橋駅からも近い在来市場「筏橋市場」に戻ります。
日帝強占期に発展し、往時は筏橋を全羅南道南東部の一大商業地たらしめた五日市「筏橋場」がその母体であり、現在も末尾が4・9の日に五日市が開催されています。この日(10月29日)はまさに五日市の日で、写真のアーケードの常設市場に加え、道路沿いにはいくつもの露店が並んでいました。

 

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アーケードの常設市場内。かつての港町らしく海産物がメインで、名物のコマクをはじめ多島海で獲れた海の辛がずらりと並べられています。

 

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アーケード外の露店。袋詰めされ台の上に積まれているのは、キウイです。ジャガイモかと思いました。

 

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この日の昼食は、筏橋市場そばのある店にて。
前夜にも「チョンガネ元祖コマク会館」にて食べたコマク定食。おいしかったのですが、こちらは1.5人分の30,000ウォンだったうえ、本来注文したものではなかったため、お店の詳しい紹介は控えておきたいと思います。

 

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代わりに紹介するのは、この前年(2016年)10月に訪問した、昭和橋の近くにある写真のお店「元祖スラサンコマク定食」。こちらも人気店のようで、ランチタイムは来客でにぎわっていました。

 

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このとき食べたのは、コマク定食に次ぐ筏橋の名物グルメ「チャントゥンオタン」(짱뚱어탕)、10,000ウォン(約1,050円:当時)。
チャントゥンオとは日本でいう「ムツゴロウ」のこと。有明海名産のあれです。汝自湾や順天湾などの干潟で獲れたチャントゥンオを辛いスープで形が崩れるまで煮込んだのがこちらの料理。チャントゥンオ由来と思われる深いコクが出ていてうんまかったです。

 

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セコマク(サルボウガイ)のヤンニョム漬け「ヤンニョムコマク」などパンチャン(おかず)も豊富でおいしかったです。中央の深緑色の液体のようなものは、メセンイ(매생이:カプサアオノリ。学名「Capsosiphon fulvescens」)の酢の物。糸のように細いこちらの海草は、韓国ではポピュラーな食材です。
こちらのお店「元祖スラサンコマク定食」の営業時間は午前8時30分~午後9時。定休日はないようですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約16分(約950m)Korail筏橋駅からは徒歩約10分(約640m)の場所にあります。

元祖スラサンコマク定食(원조수라상꼬막정식:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 蔡東鮮路 278-2 (筏橋里 865-6))

  

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それともうひとつ、こちらは今回(2017年10月)も訪問した、Korail筏橋駅前の「筏橋コマクパン」。名産のコマクを用いたこれまでにないユニークな名物グルメを開発・販売すべく、宝城シニアクラブの方々が2016年にオープンしたお店です。

 

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コマクを象った焼き菓子「コマクパン」、2個1,000ウォン。こう見えても実はチャムコマク(ハイガイ)のフリーズドライ粉末が入っているそうです。普通においしかったです。

 

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こちらは前回(2016年10月)訪問の際に購入した「コマクコロッケ」(꼬막크로켓)。その名の通りコマクを具に入れたコロッケパンで、プレーンとチーズ入りの2種類があり、どちらもほんっとうんまかったのです。ただしこの日は祭りブース向けのコマクパン製造に集中したとかで、残念ながら扱いがありませんでした。また食べたいな。
こちらのお店「筏橋コマクパン」の営業時間は午前10時~午後5時。定休日はないようですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。筏橋バス共用ターミナルからは徒歩約17分(約1km)Korail筏橋駅からは徒歩約3分(約140m)の場所にあります。

筏橋コマクパン(벌교꼬막빵:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 鶏盛1キル 4 (筏橋里 625-50))

 

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筏橋側沿い、前日も訪れた「筏橋コマク祭り」(벌교꼬막축제)の主会場へ。最終日、しかも日曜日ということで大変な賑わいです。

 

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「コマク茹で体験」ブース(写真は2016年10月撮影)。2,000ウォン(約210円:当時)という安価でチャムコマクとセコマクを自分で茹でて食べることができます。

 

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荷物を回収して筏橋バス共用ターミナルヘ。市外バスに乗り、この旅の最終目的地へと向かうのでした。

それでは、次回のエントリーヘ続きます。 

宝城の旅[201710_05] - 大河小説の舞台にもなった「宝城旅館」、コマク定食にコマク祭りと筏橋コマク三昧の旅

前回のエントリーの続きです。

昨年(2017年)10月の光州(クァンジュ)広域市や全羅南道(チョルラナムド)高興(コフン)郡などを巡る旅、2日目(2017年10月28日(土))です。

 

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高興郡の鹿洞(ノクトン)バス共用停留場から1時間ほどで、この日の朝も通過した筏橋(ポルギョ)バス共用ターミナルに到着。ここで市外バスを下車します。この日の宿、そして次の目的地がこの街にあるためです。

 

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筏橋邑(邑(ウプ)は日本の「町」に相当する地方自治体)は、全羅南道宝城(ポソン)郡に属する人口約1万3千人の街です。筏橋の名は、街の中央を流れる筏橋川(ポルギョチョン)にかつて筏(いかだ)をつないだ橋があったことから付いたとされています。日帝強占期には陸路と海路を結ぶ交通の要衝として急発展し、五日市の開催などで往時は大変な賑わいだったといいます。そのため植民地支配を通じての収奪を目的とした日本人も多数入植し、他地域よりもその比率が高かったそうで、後述する旅館のような日本式の建築物も残されています。
韓国の人々にとって筏橋といえば、何と言ってもその面する汝自湾(ヨジャマン)の干潟で獲れる貝、コマク(꼬막)の産地として知られています。また、幼年期にここで暮らした経験もある作家の趙廷来(조정래:チョウ・ジョンネ、1943-)氏による、1940年代末から朝鮮戦争に至る激動期の群像を描いた全10巻の大河小説『太白山脈』(태백산맥)の主舞台としても有名で、街中には小説に登場するスポットがいくつも点在しています。

 

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「麗水(ヨス)ではお金の自慢をするな、順天(スンチョン)では人物の自慢をするな、筏橋では拳の自慢をするな」という言葉があります。これは筏橋がかつて全羅南道南東部地域の一大商業地であり、「チュモッぺ」(주먹패:直訳すると「拳の輩」の意)などと呼ばれるやくざ者も多く流入していたことから生まれた言葉ですが、現在ではともに人口約28万人、同地域の2大中核都市である麗水・順天の両市と並び称されるほど発展していた名残でもあります。
筏橋の人口はピーク時の1966年には4万5千人にも達し、市昇格(当時の法律では人口5万人以上の邑であることが条件)まであと一歩に迫りましたがその後激減、現在は最盛期の3分の1未満にまで落ち込んでいます。それでも宝城郡の郡庁(郡役所。韓国には郡にも行政機関があります)所在地である宝城邑よりは上回る状況がずっと続いており、以前には韓国の市庁・郡庁所在地以外で唯一の登記所も所在していました。ちなみに宝城邑へのライバル意識は昔から強いようで、小説『太白山脈』にも筏橋の警察署が宝城のそれより格上であることを自慢げに語る描写が登場します。

 

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筏橋バス共用ターミナルは、筏橋邑の人口が現在の3倍以上だった1972年に開業。加えて当時は交通の要衝でもあったことから利用者が多く、写真のだだっ広い建物にて建設されました。しかしその後の衰退に伴い、現在はバスの便こそ一定数あるものの、内部のテナントはほぼすべて空店舗になっています。唯一残った売店も閉まる夜間は乗り場と券売所付近の一部しか点灯しておらず、日中以上にうら寂しい雰囲気が漂います。 

 

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こちらは日中に撮ったターミナルの玄関。珍しく漢字のみで「筏橋共用停留場」と表記されています。

 

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ターミナルを出て、夕闇が迫る中をこの日の宿へ歩いて向かいます。

 

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到着したのは、この日の宿「宝城旅館(ポソン・ヨグァン)」。
こちらの建物は1935年築の純日本式建築で、新築当初から高級旅館として用いられました。小説『太白山脈』にも討伐隊の宿舎となった「南道旅館」として登場します。光復(日本の敗戦による解放)後は店舗などに使用されつつも徐々に老朽化が進行する中、2004年には国家指定登録文化財第132号に指定、そして文化遺産国民信託による2年間の全面改装を経て、2012年には再び旅館として開業しています。

 

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宝城旅館には、母屋(本館)とは別棟に大小合わせて7つの客室があり、いずれも筏橋周辺にある山の名前が付けられています。
今回泊まったのは写真の3号室「日林山(イルリムサン)」。広さ3畳ほど、いちばん狭い部屋のひとつです。建物は日本式ですが、客室は韓屋(ハノク)仕立てとなっています。もちろん床にはオンドルも。ただし、トイレとシャワーは共用です(いずれも清潔でした)。この狭さ、しかもトイレ・シャワー共用で8万ウォン(約8,400円:2017年10月当時)とはちょっと(かなり?)お高めですが、それ自体が文化財である歴史的建築であるうえ、なによりも全巻読破した『太白山脈』の舞台のひとつでもあるこの旅館での宿泊は、私にとって格別な思いがあります。

 

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こちらの写真は2016年秋に宿泊した1号室「帝釈山(チェソクサン)」。こちらは専用トイレ・シャワールーム付きで10万ウォン(約10,500円:同)。部屋も少し広いうえ窓と流し台もありますので、2万ウォン高くても断然こちらがおすすめです(2017年は3号室しか空いてませんでした……)

 

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一般的なホテルの客室には引き出しの中に聖書がありますが、ここ宝城旅館では『太白山脈』の第1巻が入っています。

 

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宝城旅館の客室の鍵。ごっついです。

 

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以下はこの日の翌朝に撮影したものです。各客室が面する中庭。

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客室の外側にあった煙突。

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母屋の1階には筏橋の歴史と旅館建物の沿革、邑内に点在する『太白山脈』の舞台の案内パネル(写真)が。

 

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母屋1階、趙廷来氏の執筆室を再現したスペース。

 

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宝城旅館の母屋の2階は広々とした畳部屋となっています。かつての宴会場だったのでしょうか。宝城旅館では貸切で提供しているようですが、普段は解放されています。韓国ではこうした畳部屋は珍しさから人気があるようで、後に訪れることになる大邱(テグ)広域市や全羅北道(チョルラブット)群山(クンサン)市の日本式建築をリノベしたカフェでも畳部屋がちょっとしたセールスポイントになっていました。

 

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畳部屋の窓から眺めた、旅館前の通り「太白山脈キル」。 

 

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宝城旅館は、午前10暗から午後5暗までは宿泊客でなくとも入館料1,000ウォンで見学でき、1階のカフェも利用できます。月曜休館(宿泊のみ営業)。
宿泊料は1部屋あたリ1泊8万~15万ウォン(定員内なら人数を問わず均一)。宿泊予約は公式HPからのオンライン予約のみ、しかも事前入金が必須ということで日本在住者にはかなりハードルが高いです(私は別の方に予約&入金をお願いしました)。それでも、名作大河小説の一舞台でもある文化財建築に宿泊するという貴重な体験は、何物にも代え難いものです。また宿泊客でないと見られない真夜中の中庭の風景などは、あくまで韓国の方々が保全してきたという前提において実に美しく、『太白山脈』の読者でなくとも感銘を得られることと思います。筏橋市街、あるいはバスで約35分前後の「楽安邑城(ナガンヌプソン)民俗マウル」(낙안읍성 민속마을:写真3枚目)の観光とあわせて、宿泊体験をおすすめいたします。

宝城旅館(보성여관:全羅南道 宝城郡 筏橋邑 太白山脈キル 19 (筏橋里 640-2)) [HP]

 

宝城旅館に荷物を置き、まずは腹ごしらえから。思えばこの日は午前中に鹿洞港でチャンオタンを食べて以来、お菓子とアイスしか口にしていません。

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向かったのは、筏橋川にかかる「昭和橋(ソファタリ)」を渡った先の「チョンガネ元祖コマク会館」。
名産のコマクをふんだんに用いたパンチャン(おかず)がたくさん出てくる筏橋の名物料理、「コマク定食(チョンシク)」(꼬막정식)がその目当てです。

 

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やって来たコマク定食。白米を含めると大小含めなんと21皿(醤油除く)。
うち8皿にコマクが入っています。

 

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ところで、一般に「コマク」と呼ばれる具には、実は大別して3種類あります。
個別の料理の紹介とあわせて、3つのコマクについてそれぞれ説明したいと思います。

 

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まず最初は「チャムコマク」(참꼬막)。
和名は「ハイガイ」、学名は「Tegillarca granosa」。これこそが本来の筏橋名産のコマクであり、韓国語で「真の」を意味する「チャム」を付けて他と区別されます。体液にヘモグロビンを含むためワ夕(内臓)が黒っぽいのが特徴。秋夕(チュソク。旧暦8月15日)からソルラル(旧正月。旧暦1月1日)までの期間が旬とされます。味は若干のクセがありますがおいしく、個人的には3つのコマクの中でベスト。天然物は近年激減しており、養殖物も生育に3~4年を要することから、3つのコマクの中では最も高価なものとなっています。ちなみに日本ではかつての産地であった児島湾(岡山県)の干拓以後ほとんど産出せず、流通することもめったにないようです。

【見分け方のポイント】殻のひだが太くて深く、本数が少ない(17本前後)。

写真は、チャムコマクをシンプルに塩茹でした「トンコマク」(통꼬막)。うんまい。これぞザ・コマク。ワ夕のわずかな苦味がいいアクセントです。

 

他のコマクとは異なり、チャムコマクは茹でても殻が開かないため、赤いペンチのような専用器具で蝶番をこじ開けて食べます。その開く瞬間、「パカ!」という気持ちよい音がするのです。その様子を動画に撮ってきました(撮影の都合で片手だけで作業しているので、もたついているのはご容赦ください……)。 

 

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続いて「セコマク」(새꼬막)。
和名は「サルボウガイ」、学名は「Anadara kagoshimensis」。「セ」とは「新しい」の意。ソウルや釜山などの飲食店のメニューにある「コマク」は大抵これ。サイズはチャムコマクとほぼ同じ。クセがほとんどなく、誰にでも好まれそうな味です。サルボウガイとは耳慣れない名前ですが、日本で販売されている「赤貝の缶詰」は大体がこの貝だそうで、多くの方が知らず知らずのうちに口にしていることでしょう。生育期間が約1~2年と比較的短いことから大半が養殖物であり、価格もチャムコマクよりはずっとお手頃です。

【見分け方のポイント】殻のひだが細くて浅く、本数が多い(32本前後)。

写真は、セコマクをホイル焼きした「コマックイ」(꼬막구이)。純度100%の濃厚なセコマクの味が格別にうんまかったです。

 

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そして最後は「ピコマク」(피꼬막)。
和名は「アカガイ」、寿司ネタでもおなじみの赤貝です。学名は「Anadara broughtonii」。「ピ」とは韓国語で「血」のことで、赤い体液のため身も赤っぽいことからこの名が付いており、「血の貝」を意味する「ピチョゲ」(피조개)とも呼ばれます。殻を含む重量あたりでは3種類のコマクの中でいちばん安価。

【見分け方のポイント】チャムヨマクやセコマクよりもふた回りほど大きく、殻に黒い毛のようなものが密生しているので容易に区別がつきます。

写真は、ピコマクを塩茹でした「トンコマク」。こちらもおいしいです。身が大きいのでいい感じの食感があります。ちなみに右の味噌汁のようなものはチャムコマク(たぶん)入りテンジャン(韓国味噌)スープ、「コマクテンジャンクッ」(꼬막된장국)。

 

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こちらの写真は後述する「筏橋コマク祭り」会場にて撮ったもの。左から順にピコマク、セコマク、チャムコマク。値段はいずれも1kgあたり。3つのコマクの価格関係がよく分かることと思います。

 

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生のセコマクをヤンニョムに漬けた「ヤンニョムコマク」(양념꼬막)。身がぷりぷりしています。うんまい。
コマク定食には以上のほか、プチムゲ(チヂミ)の具材にコマクを入れた「コマンプチム」(꼬막부침)や、コマクを辛いヤンニョムソースで和えた「コマンムチム」(꼬막무침)などのコマク料理が含まれます。またグループでの来店者には、豚肉の代わりにコマクの天ぷらを入れた酢豚「コマクタンスユク」(꼬막탕수육)も出て来るようです。食べたかった……

 

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こちらは「ナクチホロン」(낙지호롱)といい、ナクチ(テナガダコ)を串に巻きつけヤンニョムを付けて焼いたもので、全羅南道ではよく見かける料理です。

 

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そしてコマク定食のメインディッシュ、コマクピビンパッ(ビビンバ)。あらかじめ海苔の入った器に白米とコマク入りヤンニョムジャン、その他具材を放り込み、しっかり混ぜ混ぜして食べます。こちらのヤンニョムジャンは結構辛めなのですが、これがまたうんまいのです。

 

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こちらのお店、実は前年(2016年)に続き2度目の訪問だったりします。それというのも、2つの高評価ポイントがあるからです。
まずはなんといっても、コマク尽くしのパンチャンが総じてうんまいこと。これだけ品数があるのに、何ひとつはずれがありません。
そしてもうひとつのポイントは、コマク定食を1人分の料金で出してもらえること。筏橋の名物グルメであるコマク定食はどの店でも均一の1人分2万ウォン(約2,100円:当時)ですが、それはあくまで2人以上のグループ前提。私のようなホンパッ(혼밥:「ひとり飯」の意)だと通常は2人分、よくても1.5人分前後の料金を求められるところ、こちらのお店はほんっとありがたいです(いやまあ2人分でも食べようと思えば食べられるのですが安いに越したことはないですよね……)
こちらのお店「チョンガネ元祖コマク会館」の営業時間は午前9時~午後9時。定休日はないようですが名節(旧正月・秋夕)はお休みかもしれません。前述した通り筏橋ではイチ押しのお店です。なお、こちらに限らず筏橋の飲食店は総じて閉店時間が早いのでご注意のほど。

チョンガネ元祖コマク会館(정가네원조꼬막회관:全羅両道 宝城郡 筏橋邑 趙廷来キル 55 (回亭里 657))

 

お店を出て、この日最後の目的地へ向かいます。

 

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「筏橋コマク祭り」(벌교꼬막축제)
名産のコマクをテーマに、毎年10月下旬頃に開催されているこのお祭りが、2年連続でこの時期を選んで筏橋を訪問した最大の理由です。
例年3日間(金~日)開催されるこのお祭りでは、筏橋川沿いの道路を仕切った主会場にてさまざまなステージイベントが開催されるほか、露天商や各種コマク料理を出す飲食店、自分でコマクを茹でて食べられる体験ブースなどが出展します。
また、主会場から5kmあまり離れた真石里(진석리:チンソンニ)会場では眼前に広がる汝自湾の干潟を舞台に、コマク採集体験やノルベ(널배:日本でいう「潟スキー」。写真2枚目の絵に描かれているもの)体験など干潟ならではのイベントを開催しています(ただし私は真石里会場へ行ったことはないです……シャトルバスを用意してほしい)
韓国のお祭りが大好きなうえ、これまた大好きなコマクがお手頃に味わえることから、2年連続でやって来てしまいました。

 

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まずは主会場の一本道をぶらぶら散策し、韓国のお祭りの雰囲気をじっくり堪能します。

 

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韓国のお祭りではおなじみ、くるくる回る豚さんの丸焼きロースター。うまそうな匂いを周囲に放ちます。こんなに食べきれないよ……(冗談です)

 

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ある露天商のお店で売られていた「ほんとうにおいしいたこやき!」。
このブランド、韓国のお祭りではほんとうによく見かけます。

 

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ひと通り巡ったところで、場内の仮設飲食店の露天席へ。注文するのはもちろん、よその地域ではそうそう味わえないチャムコマクの塩茹で(トンコマク)です。
そしてコマクのおともは宝城郡の地マッコリ、「太白山脈緑茶生マッコリ」(태백산맥녹차생막걸리)。宝城邑の名産である緑茶を成分に加える一方、筏橋邑を象徴する「太白山脈」の名を冠しているのは、同じ郡に属しつつもライバル意識の強い(とされる)両邑のバランスを期しているのかもしれません。
チャムコマクも、生マッコリもうんまい。祭り会場の露天席での飲食が、味にさらなる風情を加えています。

 

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帰り道、祭り会場のそばに停まっていた屋台カー。コマクオデンにコマクトッポッキ、コマクハッパー(ホットバー。練り物を串に刺したもの)とあります。

 

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帰り道、筏橋を代表する在来市場、筏橋市場の夜景。情感あふれる風景です。

 

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宝城旅館へ戻り、日中の自転車の旅でパンパンになった脚を、そして心身を休めるのでした。

それでは、次回のエントリーヘ続きます。

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