かつてのTwitterアカウント(削除済み)の別館です。
主に旅での出来事につき、ツイートでは語り切れなかったことを書いたりしたいと思います。

統営の旅[201812_02] - 仏心の島、蓮花島(ヨナド)でおばあちゃんの手作りトンドン酒を味わう

前回のエントリーの続きです。

一昨年(2018年)11~12月の慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市を巡る旅の2日目、2018年12月1日(土)です。

 

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前年(2017年)の全羅南道(チョルラナムド)新安(シナン)郡、黒山島(흑산도:フクサンド)および紅島(홍도:ホンド)の旅からちょうど1年ぶりとなる韓国の島旅。
前回も紹介したように統営市には大小合わせて570もの島々があり、その数は全羅南道新安郡に次いで韓国第2位と言われています。うち有人島は40以上にものぼり、そのほとんどが架橋されておらず、船でしか行くことのできない離島です。私がやって来た統営港旅客船ターミナルをはじめ、市内に点在する港から毎日数十往復も発着するこれら離島行きの船便は、まさに島の生命線といっても過言ではないでしょう。
これら統営の離島の中でも特に有名なものとしては、16世紀末の壬辰倭乱(イムジンウェラン。狭義では「文禄の役」を指しますが「慶長の役」を含む豊臣秀吉の2度の朝鮮侵略の総称としても用いられます)の際に三道水軍統制使の李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598)将軍が本陣の統制営を設置、 現在も将軍ゆかりの史跡が残る閑山島(한산도:ハンサンド)、韓国百名山にも選ばれた智異山(チリサン、399.3m。韓国本土最高峰の智異山(1915.4m) とは別の山)を擁する蛇梁島(사량도:サリャンド)、そして奇岩絶壁と灯台が調和した美しさで人気の高い小毎勿島(소매물도:ソメムルド)などが挙げられます。

 

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その中で私が今回の目的地に選んだのは、欲知島(욕지도:ヨクチド)です。
欲知島を選択したのは、人口約1,500人とそこそこ大きな規模の島であるため船便も多いうえアクセス時間も1時間前後と短く、しかも各種商業施設に島内一周バスのような公共交通機関も整っており、加えて近代における特別な歴史を抱いていること、さらに特産のコドゥンオ(サバ)をはじめとする多島海の海の幸、そして島特産のある野菜を材料に醸したマッコリの存在のためでした。もちろん欲知島もまた観光資源の豊富さから、統営を代表する観光地のひとつに挙げられます。

 

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統営港旅客船ターミナルを午前9時半(当時)に出港する大一海運(テイルヘウン)の欲知島行きフェリー、その名もずばり「欲知号(ヨクチホ)」に乗って、一年ぶりの多島海へ踏み出します。
なお韓国では、遊覧船を含め乗船券の購入には身分証明書(外国人訪問者はパスポート)の提示が必要です。

 

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しかし、この日は欲知島に上陸する前に、どうしても寄りたい別の島がありました。
ターミナルからおよそ1時間、欲知島行きのフェリーが最初に寄港する島、蓮花島(연화도:ヨナド)です。
統営港から直線距離でおよそ22km離れた南西の海上に位置する蓮花島は、欲知島の付属島嶼として数えられる離島で、行政上も統営市欲知面(ヨクチミョン。面は日本の村に相当する地方自治体)に属しています。面積3.41平方km、人口約170人の小さな島です。

この蓮花島には、その島名にまつわるひとつの伝説があります。
いまをさかのぼること500年あまりの朝鮮時代初期。王朝の崇儒抑仏(既存勢力であった仏教を弾圧すること)政策により都を追われたある僧が、3人の弟子を伴い蓮花島へやって来ます。失意の中にも僧は、大きな丸い石を仏像の代わりとし、厳しい修行の末ついに悟りを得ます。そして月日は流れ、僧は弟子たちに「私が死んだら水葬せよ」と言い残してこの世を去ります。弟子たちはその遺言に従い僧の亡骸を海に沈めたところ、その場所に一輪の大きな蓮の花が浮かび上がったといいます。後に「蓮花道人(ヨナドイン)」と呼ばれるこの僧の伝説から蓮花島の名前が付いた、というものです。

この伝説には続きがあります。
壬辰倭乱では僧兵を率いて倭軍(日本軍)と戦い、また1604年には来日して徳川家康と会見、講和交渉の末に約3,500人もの朝鮮人捕虜を生きて連れ帰ったことでも知られる僧侶、惟政(유정:ユジョン、1544-1610)。韓国では四溟大師(サミョンデサ)の名でも知られる彼もまた蓮花島で修行したことがあるといい、蓮花道人と同様にこの島で悟りを得たというものです。このとき惟政を追って来た姉の宝雲(ポウン)、惟政の婚約者だった宝蓮(ポリョン)、そして惟政に恋愛感情を抱いていた宝月(ポウォル)は、惟政が去った後も修行を続けて得度したといいます。後に「紫雲仙師(チャウンソンサ)」と総称されるこの3人の尼僧は、当時は全羅左水使(現在の全羅南道および全羅北道の東部一帯にあった全羅左道の水軍の司令官)であった李舜臣将軍と面会して壬辰倭乱の勃発を予言し、将軍にコブク船(亀甲船)の建造方法や海戦法などを伝授したうえ自身たちも壬辰倭乱に参戦したという伝説が残されています。

 

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話を戻して、フェリーの船室はこんな感じでした。

 

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フェリーは統営近海の多島海をほどよいスピードで航行してゆきます。

 

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蓮花港への到着直前、私たち来訪者を出迎えるかのように架けられた大きな白い吊り橋をくぐります。

 

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フェリーは港にある斜面の船着場に先頭部を着け、自動車や乗客を降ろします。私も蓮花島に上陸。橋で本土と連結していない韓国の純然たる離島に船で上陸したのは今回が3度目です。

 

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船着場のそばにある蓮花島の観光案内図、そして「幻想の島蓮花島」と刻まれた碑石。港のある本村(ポンチョン)マウル(マウルは村、集落の意)は島の西端近くに位置しています。

 

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蓮花島の観光スポットとしては、島の東端にあり統営八景のひとつにも数えられる絶壁海岸のヨンモリ(용머리:「龍の頭」の意)、その少し手前の東頭(トンドゥ)マウルにある吊り橋(韓国では「チュルロンタリ」と呼ぶ。先ほどくぐった白い吊り橋とは別物)、 島最高峰の蓮花峰(ヨナボン、212m)、そしてその麓に位置する仏教寺院、蓮華寺(ヨナサ)などが挙げられます。中でも蓮華寺については、前述した蓮花道人や惟政の伝説ともあいまって島の仏教的神秘性を高めており、蓮花島が「仏心の島」あるいは「仏縁の島」と呼ばれる所以となっています。この蓮華寺を巡礼する人々のため、週末には蓮花島行きの船が増便されるほどです。

 

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ただし、今回私が蓮花島にやってきた目的はこれらではなく、港からほど近いある飲食店の訪問にあります。そのためまずは船着場から移動。

 

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船着場のそばに立っていた手書きの道しるべ。

 

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船着場から徒歩で2分とかからない場所に、目的のお店「チャンモニム酒幕(ジュマク)」があります。看板が出ていなかったら普通の民家と区別がつきません。ちなみに屋号のチャンモニムとは、チャンモ (「妻の母」の意)に敬称のニムを付けたもので、「お義母様」という意味のようです。
こちらのお店の名物は、サジャンニム(直訳すると「社長様」。ここでは「店主」の意)であるおばあさんが醸したトンドン酒(濁酒 (タクチュ)の一種。同じ濁酒のマッコリが原酒の下に沈んだ粕を渡したものであるのに対し、トンドン酒は原酒の上側のやや濁った部分をすくい取ったもの)。当初計画では統営港から直接欲知島へ向かう予定だったところ、調査している間にこちらのお店の存在を知り、急きょ蓮花島への立ち寄りを決めたという次第です。

 

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店内。韓屋の縁側沿いの庭に天幕を張り、その下にテーブルと椅子を置いただけの簡素な造りです。こういう雰囲気がまたたまらないのです。

 

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注文はもちろんトンドン酒、そして相性抜群のパジョン(日本でいうネギチヂミ)。

 

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おばあさんの手により貯蔵庫からすくい取られるトンドン酒。「家醸酒(가양주:カヤンジュ)」と呼ばれる自家製のお酒ならではの光景です。

 

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こちらのお店のトンドン酒、店内で飲む場合にはなんと市販のコーラの1.5リットルのペットボトルに注がれて出されます(テイクアウトの場合は不明)。これは初めての体験。

 

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待望の自家製トンドン酒を口に含みます。舌を包み込むようなほどよい甘みとかすかな酸味。これ、かなりうんまい。昼間、それも午前中から1.5リットルも飲み切れるか少し心配でしたが、このうまさなら余裕です。

 

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ほどなくしてやって来た熱々のパジョン。イカのゲソがたくさん乗っています。こちらもうんまい。来てよかったという思いでいっぱいです。
このトンドン酒を日本に持ち帰りたいという欲求に駆られますが、この時点では次の欲知島訪問中に冷蔵保管できるあてがなかったので断念。突然現れた異国の訪問者をうんまいお酒と料理で温かくもてなしてくださったサジャンニムのおばあさん、本当にありがとうございました。蓮花島の再訪がかなうならば必ずやまた訪問し、トンドン酒の持ち帰りにもチャレンジしたいと思います。どうかいつまでもお元気で。

 

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こちらのお店「チャンモニム酒幕」 、営業時間も定休日も不明です(確認しませんでした。すみません……)が、私が訪問した土曜日の午前中には営業していました。検索すると本年(2020年)6月の蓮花島訪問記を綴った韓国語のブログに、お店の看板が出ている写真と料理の値段の記述があったので、幸いなことに営業を続けていらっしゃるものと思われます。ぜひとも再訪したい、そして訪れていただきたいお店です。なお、お店を含む蓮花島へのアクセスについては、欲知島とあわせて次回以降のエントリーにて紹介する予定です。

チャンモニム酒幕(장모님주막:慶尚南道 統営市 欲知面 十里コルキル 23 (蓮花里 179-7))

 

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チャンモニム酒幕の面する路地。先に触れた本年6月の蓮花島訪問記によると、写真にある白い塀は現在、美しい壁画の数々で彩られているようです。

 

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近くには、島唯一の教育機関である遠梁(ウォンリャン)初等学校(日本の小学校に相当) 蓮花分教場(分校)があります。遠梁とは現在の欲知面一帯を含むかつての地名。学校の公式サイトによると現在の児童数はわずか1ケタだそうですが、その割には立派な建物です。昔はもっと児童が在校していたのでしょうか。

 

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こうした島の裏路地が好きです。

 

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チャンモニム酒幕や蓮花分教場の面する路地を写真の南東方向へしばらく進むと、ヨンモリや吊り橋、蓮華寺など蓮花島を代表する観光スポットに到達できるとのこと。しかし今回の蓮花島滞在時間はわずか1時間半、すでに到着から1時間近くが経過しています。ヨンモリや吊り橋は徒歩で片道30分以上、蓮華寺は片道約5分とはいえ伽藍を巡る時間はなさそうです。そのうえ今回どうしても訪れておきたい場所があとひとつだけ残っていました。これら観光スポットの訪問は次回に任せることにし、いったん港へ戻ります。

 

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写真の建物は「休憩室」と書かれていますが、蓮花島の旅客・遊覧船ターミナルです。まずは後からあわてずに済むよう、建物内のチケット売り場にて欲知島までの乗船券を購入します。

 

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蓮花島旅客・遊覧船ターミナルにあったパネル。上側、フェリーの蓮花島到着直前にくぐったこの白い橋は「蓮牛橋(ヨヌギョ)」といい、蓮花島と隣接する無人島、パナ島(반화도:パナド)との間に架けられた全長約230mもの吊り橋です。私の訪問の6ヵ月前(2018年6月)に開通したばかりもので、当時は歩行者専用吊り橋としては韓国最長だったそうです。パナ島を挟んだ反対側には有人島の牛島(우도:ウド)があり、こちらには全長約79mのトラス橋(写真のパネル下側)が架けられているため、誰もが無料で蓮花島と牛島との間を歩いて往来できるようになっています。

 

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次の船まであまり時間はありませんが、どうしてもこの吊り橋だけは渡っておきたいと思い、急いで渡ることにします。まずは船着場のそばにある木製デッキの階段を登ります。なかなかの急斜面です。

 

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木製デッキから眺めた蓮花港(本村マウル)の全景。

 

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蓮牛橋の全容が見えてきました。実に優美なデザインの吊り橋です。

 

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いよいよ橋を渡ります。吊り橋とはいえ作りがしっかりしており、人一人が歩いた程度ではびくともしません。

 

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パナ島に到着。ここからさらにパナ島を横断して牛島へ入りたいところですが、船の時間が心配なのでここで折り返すことにします。横たわった牛の姿に似ていることからその名が付いたという牛島には、天然記念物第344号に指定されているセンダルナム(ヤブニッケイ)とフバンナム(タブノキ)の群落があります。いつか蓮花島の再訪がかなった際には余裕をもって訪問したいものです。

 

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そして再び吊り橋を渡り階段を下りる途中、遠くにはフェリーの姿が(写真にはありませんが)。あわてて階段を駆け下ります。しかし幸いなことに、この船は欲知島から戻ってきた統営港行きの船便(先ほど乗ってきたばかりの欲知号)。あわてて損した気もしますが、おかげでもう少しだけ時間に余裕ができました。

 

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蓮花港には刺身などを出す食堂がいくつか並び、島の訪問者を待っています。

 

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蓮花島や欲知島を含む一帯の海域の名産といえば、何といってもやはりコドゥンオ(サバ)。すぐに傷んでしまうコドゥンオを新鮮なうちに提供できるよう、生け簀が設置されています。サバさんたちが泳げるよう円筒形になっている生け簀も。余談ですが、韓国ではこうした刺身店の店頭にいくつも置かれている生け簀のことを、俗に「水族館(スジョックァン)」と呼ぶそうです。

 

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欲知号の15分くらい後にやって来た「欲知アイランド号」フェリー。この船に乗って欲知島へ向かいます。わずか1時間30分ほどの滞在でしたが、チャンモニム酒幕を含め、また訪れたいと思う島でした。次こそは観光スポットや牛島を訪問できるよう余裕を持ったスケジュールを設定しなければ。さらば蓮花島、また来る日まで。

 

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先ほど渡った吊り橋の蓮牛橋と、牛島側のトラス橋の全景。

 

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蓮花島を発ってわずか数分で、先ほど渡れなかった牛島の港に到着。牛島の人口は約30人と蓮花島よりずっと少なく、船着場の周辺も閑散としています。そのためか、便によっては牛島に寄港しないので注意が必要です。

 

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牛島を発って十数分、いよいよこの日最大の目的地、欲知島の港が眼前に広がります。

それでは、次回のエントリーへ続きます。

統営の旅[201811_01] - 大量の海の幸が出てくる統営の名物酒場「タチチッ」、東洋初の海底トンネル

諸事情により長らく更新を停止していました。
韓国への旅ができなくなって早や半年あまりが過ぎましたが、本ブログは引き続き更新いたします。
いつか、心ある誰かの道しるべとなるために。

 

今回からは、2018年11月30日(金)から同12月3日(月)にかけて訪問した慶尚南道キョンサンナムド)統営(トンヨン)市などの旅をお届けいたします。少し古い内容であり、また以前に予告していたテーマとは異なりますが、なにとぞご容赦願います。

 

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統営市は慶尚南道の南部に位置し、南海(ナメ。朝鮮半島の南岸が面する海)に突き出した固城(コソン)半島の先端部、および大小合わせて570もの島々によって構成される人口約13万人の港湾都市です。
その広域が閑麗海上(ハルリョヘサン)国立公園にも指定された美しい海と島々、そしてこれらを結ぶ海上交通が発達していることなどから、統営は「韓国のナポリ」の異名を持っています。

 

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統営の歴史は、壬辰倭乱(イムジンウェラン。狭義では文禄の役を指しますが慶長の役を含む豊臣秀吉の2度の朝鮮侵略の総称としても用いられます)に際して水軍を率い倭軍(日本軍)を撃退した李舜臣(이순신:イ・スンシン、1545-1598)将軍と切っても切れない関係にあります。
壬辰倭乱の勃発翌年の1593年、初代の三道水軍統制使(サムドスグン・トンジェサ。朝鮮水軍の実質的な最高指揮官。三道とは慶尚道全羅道忠清道を指す)となった李舜臣将軍は、その本陣である三道水軍統制営(トンジェヨン)を現在の統営市内の閑山島(ハンサンド)に設置します。その後戦況に応じて複数回の移転を経た後、倭軍撃退後の1604年に6代統制使の李慶濬(이경준:イ・ギョンジュン、1561-?)により当時は頭龍浦(トゥリョンポ)と呼ばれた現在の統営市中心部に移され、その後1895年の廃止まで291年間に渡り当地に留まっています。統営の名称はこの「統制営」を縮めたものです。
写真は1605年、李慶濬によって統制営内に築かれた客舎(ケクサ。国外などから来た賓客の宿舎。地方官衙では最上級の施設)、「洗兵館」(세병관:セビョングァン。国宝第305号)。統営を象徴する「顔」というべき建物です。

 

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日帝強占期の1914年には当時の龍南(ヨンナム)郡と巨済(コジェ)郡が合併して統営郡が誕生(巨済郡は後に分離)。うち現在の統営港や中心街一帯を含む統営邑(ウプ。日本の町に相当する地方自治体)港湾都市として発展を遂げ、光復(日本の敗戦による解放)朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)を経た1955年には李舜臣将軍の諡(おくりな。死後に贈られた号)である「忠武(チュンム)」の名を取った忠武市に昇格します。そして1995年には忠武市と統営郡が合併、現在の統営市へと至ります。
このように統営の歴史は李舜臣将軍と極めて緑が深く、市内の随所に将軍ゆかりの史跡が点在しており、同市の観光の目玉となっています。写真は統営市内の江口岸(カングアン)に停泊していた、李舜臣将軍率いる朝鮮水軍の軍艦「コブク船(亀甲船)」を模した遊覧船です。

 

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さらに統営は多島海からもたらされる豊富かつ良質な海の幸でも知られ、中でも名産のカキの生産量は全国のおよそ80%にものぼるといいます。
冬の厳しい韓国でも本土では釜山に次いで温暖であるとされる統営。もし街に旬というものがあるならば、市の花であるツバキの花が島々を彩り、名産のカキやムルメギ(後述します)をはじめ多島海の恵みをおいしく味わえる冬こそがまさしく統営の「旬」なのかもしれません。そんな冬の統営をどうしても訪れたいと思い、今回の旅先に選択しました。統営の訪問は今回が初めてです。

 

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ただあいにくなことに、統営には鉄道の駅がありません。そのため公共交通機関での移動はどうしてもバスの旅となります。
今回は仁川国際空港第1ターミナルから直接、晋州(チンジュ)・統営経由の巨済行き高速バス(午後3時発)に乗車。同空港から発着する多くの地方行きバスの中でも特に長距離を走る路線のひとつで、統営までは実に5時間というなかなかの過酷な旅です。それでもソウルに寄ってから高速バスに乗る、あるいはソウル駅か光明(クァンミョン)駅でKTXに乗り継ぎ晋州でまたバスに乗り換えるよりは早いようなので、5時間がんばることにします。

 

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韓国の長距離バス移動で楽しみなのは、途中の休憩所(ヒュゲソ。サービスエリア)でのトイレ休憩。今回は400kmを上回る移動ということで2つの休憩所に寄るかと思っていましたが、立ち寄ったのは忠清北道(チュンチョンブット)清州(チョンジュ)市、京釜(キョンブ)高速道路の「玉山(オクサン)休憩所」だけでした。
そういえば、清州はまだ訪問したことがありません。清州市の人口は約85万人で、ソウルのベッドタウンを除けば韓国で2番目に大きい未訪問都市です。清州といえば独特の名物料理がいくつもあり、個人的には全州(チョンジュ)、大邱(テグ)に続く第三の食都と目している街であったりもします。いずれ訪問したいと思いますが、いつになることやら……

 

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ところでこの日(2018年11月30日)は、朝鮮民主主義人民共和国の線路調査を目的としたKorail韓国鉄道公社)による特別仕立ての列車が分断後初めて休戦ラインを越えて朝鮮入りした日であり、車内で流れていたTVニュースではその話題でもちきりでした。運用廃止から久しく、すでに廃車されたと思い込んでいたムグンファ号の寝台車も連結された調査列車の車両内には、キッチンやシャワールームに洗濯機まで準備されているとのこと。この線路調査の結果が近日中に実ることを願ってやみません。

 

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午後7時40分、統営総合バスターミナルに到着。予定より少しだけ早い4時間40分での到着です。

 

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今回の旅では利用しませんでしたが、ターミナル内にはコインロッカーが。韓国の地方のバスターミナルでは貴重な存在です。

 

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まずは2日後に統営を発つ、帰りのバスチケットを確保。行先は本ブログでもおなじみ(?)のあの街です。

今回はこのバスターミナルから徒歩圏内のホテルを予約。ただ、この一帯は統営市内でも北側に位置する「光道面」(クァンドミョン。面は日本の村に相当する地方自治体)の新しい市街地であり、この日の目的地や各種見どころの多い統営の「原都心」(ウォントシム。古くから中心部として発展した市街地。統営では統営港の周辺)は、ここから路線バスで30分弱の距離にあります。

荷物を降ろしたらすでに時刻は午後8時半を回っており、時間的に余裕がなかったためタクシーで移動します。
このとき乗車したタクシーの年配の男性運転手(韓国ではキサニム(「技師様」の意)と呼ぶ)、私が日本からの訪問者と知るや、その生い立ちについて親しげにお話ししてくださいました。
キサニムは日帝時代の名古屋生まれで、3歳のときに光復を迎えて家族ともども韓国に帰って来られたそうです。当時のことはほとんど覚えていないそうですが、「おかあさん」「おとうさん」「たて」「よこ」など、わずかに記憶しているいくつかの日本語の単語を話してくださったのが強く印象に残っています。

そうしたお話をうかがっていたら、いつの間にか原都心に到着。

 

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遅い時間にもかかわらず統営の原都心を訪れたかったのは、統営名物の酒場「タチチッ(다찌집)」を訪問したかったからです。
時刻はすでに午後9時過ぎ。第一候補に選んでいたタチチッはすでにオーダーストップで入れず、その後いくつかの候補もー人客であるため断られたりしながら、ようやく入れたのは写真のお店「ヨンジョンタチ」。最近オープンしたらしく、最低数量の2人分を注文する前提で快く入れてもらえました。

 

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タチチッとは統営独特の飲食店(飲み屋)の形態で、店によって差異はありますが、多くは数万ウォンの「基本(기본)」を注文すると、お酒(ソジュまたはビール)3本程度と海産物を中心とする多品目かつ大量の肴が出てくるシステムのお店を指します。その後もお酒を1本注文するごとに肴もまた追加され(そのため1本だけでも1万ウォン以上する)、一説には後になればなるほど高級な食材が出てくるといいます(それにありつくためにはたくさん飲んで食べなければならない……)。「基本」については4人分相当からでないと頼めないお店もあれば、2人分相当でも(つまり比較的安価に)注文できるお店もあり、後者は「半(パン)ダチ(반다찌)」と呼ぶそうです。写真は今回訪問したヨンジョンタチのメニュー表(当時)。こちらは「半ダチ」に該当するようです。
ちなみに、タチチッの「タチ」は日本語の「立ち飲み」に由来するという説が有力です(チッは「○○屋」の意)。

 

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注文後、3本のビールに続いて海産物を中心とする小皿が続々とやってきます。落ち着いたかと思って全体写真を撮っても次から次へと料理が出されるので全体写真が何枚にもなってしまいます。とはいえ食べ始めないのもよろしくないので、2枚目の写真を撮って以降は少しずつ食べ始めました(なのでこれ以降の全体写真はない)

 

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全体写真の撮影後もさらにおかずが出てきたので、特に印象深いものを紹介します。写真は刺身盛り合わせ。上段はパンオ(ブリ/ハマチ)とチャムドム(マダイ)の刺身、下段は左端から時計回りにモンゲ(ホヤ)、ケブルユムシ)、チョンボッ(アワビ)、クルトゥギ(小イカ)、クル(カキ)、ヘサム(ナマコ)。いままで苦手だったホヤ刺、新鮮なものはこんなにうんまいのか。

 

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韓国では日本以上に人気のあるカルチ(タチウオ)の焼き物。左下の塩を溶いたゴマ油で食べます。うんまい。そうかこの食べ方があったか。

 

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こちらは全体写真にも含まれていましたが、各種茹で貝の盛り合わせ。ソラ(サザエ)と名前の分からない巻貝、そしてカリビ(ホタテガテなどイタヤガイ科の貝の総称。写真はたぶんヒオウギガイ)

 

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そして締めのタン(スープ)。
お酒が入ったら胃袋が底なしになってしまう私でもさすがにこれだけの量を完食するのは難しく、何とか全品の約7~8割程度を食べる程度にとどまってしまいましたが、それでも海産物についてはほぼすべて完食してまいりました。

 

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こちらのお店「ヨンジョンタチ」、韓国のブロガ一による本年7月の訪問記が公開されているので現在も営業は続けているものと思われますが、別のブログでは「2020年1月オープン」とあったので、場所と屋号はそのままで経営者とかが変わったりしたのかもしれません。また「基本」の値段も私が訪問したときの60,000ウォンから、40,000ウォンに値下げされているようです。

ヨンジョンタチ(연정다찌:慶尚南道 統営市 港南2キル 15-10 (港南洞 189-1))

 

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明けて、2018年12月1日(土)の朝。
この日は統営の原都心を軽く散策した後、1年ぶりの島旅に出る計画です。
海沿いに建つホテルの海を挟んだ向こう側には別の陸地が。対岸のあの土地は一見して島のように見えますが、実はホテルと同じ固城半島の一部であり、半島が複雑に入り組んだ形をしているためこうした地形となっているものです。
時間に余裕があるため、今回は統営の市内バスを利用して移動します。

 

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まずやって来たのは、統営運河に架かる「忠武橋(チュンムギョ)」。
この橋がある統営運河は、統営市の原都心側の固城半島と対岸の弥勒島(ミルクト)に挟まれた海の水路で、かつては満潮時にのみ水が満ちた場所を日帝強占期に開削し、運河としたものです。また当地は壬辰倭乱の閑山島大捷(海戦)で勝利した李舜臣将軍率いる朝鮮水軍が敗走する倭軍を追い込んで大打撃を与えた場所であり、そうした経緯から日帝強占期当時の日本人たちは、この運河を豊臣秀吉にちなんで「太閤堀(たいこうぼり)」と呼んでいたといいます。

 

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忠武橋は1967年開通。車道に加えて歩道もあり、統営運河やそこを通る船の姿を眺めることができます。西側(写真2枚目)には忠武橋に続いて1998年に開通したアーチ橋、統営大橋(トンヨンデキョ)の姿も。夜間にはライトアップされた姿が美しいそうです。

 

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原都心と弥勒島を結ぶ自動車道路はこの忠武橋と統営大橋の2本だけですが、実はもう1本、両地点を結ぶ通路があります。
私が統営運河に来た最大の目的でもあるそれは、ずっと前から気になっていた統営運河の海の底をくぐるトンネル、その名もずばり「海底(ヘジョ)トンネル」です。
この「海底トンネル」は日帝強占期の1932年に完成したもので、すでに統営や弥勒島に多数入植していた日本人漁民の便宜のために統営運河とあわせて建設された、全長483m、幅5m、高さ3.5m、海面下最大10mの規模のトンネルです。当時は東洋初の海底トンネルであったとのことです。
当時の技術でも架橋できたはずの統営運河にわざわざ海底トンネルを掘った理由として、1937年に着工された関門トンネル(1942年開通)の施工を控えて実験のために造ったという説、あるいは前述したように壬辰倭乱当時にはこの一帯で多くの倭軍兵士の死者が出たことから、その魂の眠る場所を敵の子孫であり自分たちの植民地(被支配層)の人々などに踏ませまいとして、地下に通路を造ったという説などがあるようです。
このトンネルは日本人が自国民の便宜のために建設したものですが、その工事には多くの朝鮮人が動員され、また文化遺産としての価値もあることから、「統営海底トンネル」として国家登録文化財第201号に指定されています。
 

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弥勒島側の海底トンネル出入口。上部にある「龍門達陽」の文字は、「竜宮の門を入り水中を経て太陽(陸地)に至る」という意味だそうで、トンネルの建設に主導的な役割をしていた当時の統営邑長、山口精(やまぐち・あきら)の揮毫だと伝わっています。
先のパネル写真にもあったようにかつては自動車の通行も可能でしたが、通路の幅が5mしかないため小型車2台がすれ違うのがやっとで、1967年に忠武橋が開通してからは歩行者および自転車専用道路となっています。

 

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トンネルヘの進入路は段差のない斜面であり、緩やかに地下(海底)へ向かって下ります。完全に地下に入るまでの区間には木製の屋根が。

 

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ここからが本当のトンネル、地下(海底)区間。出入口の上部には「海底터널」(へジョトノル。トノルはトンネルの韓国式発音)とあります。

 

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トンネル内部は全面コンクリート張りで、ナトリウムランプのオレンジの光で満たされています。
よく見ると通路の両脇には一段高いスペースが並行しています。自動車通行可当時の歩道かと思いましたが、それにしては通路から1m以上も高い位置にあるうえ柵らしきものもなく、落ちたら怪我しそうなほど危険な高さです。調べたところ、こちらは歩行者専用通路になってから追加された弥勒島への上水道管のスペースで、かつての歩道ではありませんでした。

 

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海底トンネルの最深部、満潮時の海面下13mの地点には、統営観光のパネル展示、そして貴重なトンネル建設当時の写真展示がありました。

こちらのトンネルもそうですが、日帝強占期の朝鮮で日本人が建設した道路や鉄道、港湾、発電所などの各種インフラ、および教育機関などは、武力にものを言わせて一方的に韓国を「併合」の名の下に植民地化し進出した日本人の便宜のため、また植民地支配や収奪を円滑にするため一方的に建設されたもので、その建設には日本の収奪により貧困化した朝鮮人たちを低賃金で、さらに戦時中には強制的に使役して建設したものです。したがって植民地支配が終わった後には当然に大韓民国または朝鮮民主主義人民共和国の財産として帰属すべきものだといえます。
韓国憎悪が日本国民「みんな」の「総意」となった(クソだと思いますが違うとは言わせない)今日では、日韓「国交断絶」、そしてその先を切望する者どもが、(言うまでもなくそのような発言は一切していませんが)文在寅大統領が1965年の「日韓基本条約」を破棄したならば、これら韓国に残した日本の財産の請求権を復活できる(韓国を経済的に滅ぼせる)ので楽しみだのと息巻いているのが現状です。そうした発言を目にする度に、ここに書くのも憚られる感情に襲われますが、何ひとつ抗う力のない私もまたその加担者でしかありません。どうすればよいのでしょうね。私が焚身すればいいんですかね。

 

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最深部を過ぎるとまもなく一転して登り坂に。再び緩やかな斜面です。

 

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原都心側、堂洞(タンドン)にある出入口。こちらもまた大きな木造屋根で覆われており、出入口の上には「龍門達陽」の文字があります。
こちらの海底トンネル、竣工から90年近くを経た現在も原都心と弥勒島を結ぶ重要な生活通路として用いられており、この日も土曜の早朝にもかかわらず、弥勒島から堂洞までの間に何人かの歩行者や自転車に乗った人とすれ違いました。

 

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海底トンネルの堂洞出入口を出てすぐ左に180度曲がり、トンネル西側の丘を登ると、その中腹に李舜臣将軍を祀った祠堂、鑿梁廟(チャンニャンミョ)があります。
鑿梁(チャンニャン)とは「掘って水路を造る」という意味で、現在の統営運河一帯を指す旧地名です。
壬辰倭乱の閑山島大捷では惨敗した日本水軍が敗走し、現在の統営運河、当時は干潮になると海の底が露出する狭い水路に追い込まれます。日本の武士たちは海の底の土を掘ってまで船を通そうとしたものの、結局間に合わず追い詰められて全滅したという故事からその名が付いたものです。
その後、1598年の露梁(ノリャン)海戦で李舜臣将軍が戦死すると、地元の人々がその忠節と偉業を称えるべく鑿梁を一望できるこの場所に将軍を祀った小屋を建てたのが、鑿梁廟の始まりだとのことです。

 

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私が訪問した午前8時台はまだ門が閉ざされていましたが、塀の上から内部をうかがうことはできました。 

鑿梁廟(착량묘:慶尚南道 統営市 鑿梁キル 27 (堂洞 8)。慶尚南道記念物第13号)

 

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鑿梁廟から下り、海底トンネルの出入口の横を抜けて原都心方面へ向かって歩きます。
その途中にある、一見して何の変哲もない写真の小さな古びた住宅、実は国の登録文化財なのです。
こちらの住宅は、統営の名産品のひとつである小盤(ソバン:一人用のお膳)を製作する小盤匠(職人)の住宅兼工房であり、近代期の統営における伝統工芸職人たちの生活を垣間見られる重要な学術的資料として、国家登録文化財第695号に指定されています。

 

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かつての統制営には、武器から日用品に至るまでの納入品を製作していた「十二工房」があり、その流れを汲む統営の小盤匠の手になるそれは、同じく統営名産の螺鈿(ナジョン:らでん)細工やタンスとともに国内最高級品として扱われました。

統営小盤匠工房(통영소반장공방:慶尚南道 統営市 朴孝子キル 17 (道泉洞 155)。国家登録文化財第695号)

 

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歴史ある港湾都市らしい古そうな倉庫を横目に見つつ歩きます。

 

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引き続き原都心方面へ進むと、途中には写真の立派な建物が。
1943年に建てられたこちらの建物は、かつての統営郡の都庁舎であり、忠武市との合併による統営市発足後は統営市庁別館と「統営国際音楽祭フェスティバルハウス」を経て、現在は「統営市立博物館」として使用されています。
その文化財的価値から建物自体が「旧統宮郡庁」として国家登録文化財第149号に登録されているほか、博物館内にも宝物第440号の「統営忠烈祠八賜品一括」をはじめ地域の貴重な文化財が展示されていますが、あいにくこの日は改装のため長期休館中であり、観覧はかないませんでした。
ちなみに韓国の郡は、市と同様に地方自治体機能を持つため、郡庁はもちろん郡議会もあり、そして選挙で選ばれる首長としての郡守(クンス)も存在します。

統営市立博物館(旧統宮郡庁)(구통영군청(통영시립박물관):慶尚南道 統営市 中央路 65 (道泉洞 65)。国家登録文化財第149号)

 

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さらに進むといよいよ市街地に入り、在来市場「西湖伝統市場(ソホ・ジョントン・シジャン)」の建物が現れます。

 

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中央伝統市場(チュンアン・ジョントン・シジャン)と並ぶ統営2大市場であるここ西湖伝統市場のアーケード街には、近海で獲れた豊富な海の辛がずらりと並べられ、市場で働く人々、そしてまだ午前8時台だというのに観光あるいは買い物に来た訪問客で賑わっていました。

 

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こちらの大きな魚はムルメギ(물메기。和名:ビクニン、学名:Liparis tessellatus)と呼ばれるもので、「(海)水のナマズ」を意味するその名の通り、鱗のないぬめっとした表皮に大きな口、つぶらな瞳などナマズによく似ています。主にムルメギタン(スープ)などで食され、カキとともに統営の冬を代表する食材です。

 

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そんなムルメギさんと目が合ってしまいました。

そういえば起きてからまだ何も食べていません。昨日はタチチッであれだけ食べたのに、ひと眠りして散策するとさすがにお腹がペコペコです。

 

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この日の朝食目当てのお店もやはり西湖伝統市場の中にあります。入ったのは「元祖(ウォンジョ)シラックッ」。統営の名物料理のひとつ「シラックッパ(시락국밥)」の元祖格として知られる、創業約60年のお店です。
シラックッパとは、シレギ(시래기:白菜や大根の葉を乾燥させたもの)が入ったスープとごはんのセットで、標準語ではシレギクッパと呼ばれています。

 

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注文してまもなくやってきたシラックッパ。シレギがどっさり入っています。こちらのお店ではチャンオ(장어)の頭を10時間ほど煮込んでスープを取り、さらにシレギを投入し5時間煮込んだものが供されるそうです。ちなみにチャンオとはウナギ目の細長い魚の総称で、一般にはウナギまたはアナゴを指しますが、どちらを用いているかは不明です。
まずは何も調味料を入れずにスープから。優しい味でうんまい。散策で冷えた体が温まります。

 

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好みに応じて、カウンター上にあるチョピ(초피:山椒。写真左)やフチュ(후추:コショウ)で味を調えます。個人的に、チュオタン(추어탕:ドジョウのスープ。チュタンともいう)のお店以外でチョピが用意されているのは初めて見ました。
締めはごはんを投入し(これでクッパになる)、スープを最後の一滴まで味わいます。

 

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こちらのお店の特色は、カウンター上にある10種類以上ものパンチャン(おかず)が取り放題であること。そのまま食べても、あるいはシラックッパに混ぜたりごはんに乗せてもOKです。3枚目の写真は、これらパンチャンの中でも特においしかった黒豆のコンジャパン(콩자반:煮豆)。

 

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こちらのお店「元祖シラックッ」の営業時間は午前4時半~午後6時、看板メニューのシラックッパは私の訪問当時は5,000ウォンでしたが、2020年9月現在では6,000ウォン(約550円:2020年9月現在)に値上げされているようです。市場で働く人々の活動に合わせて早朝から営業しているので、西湖伝統市場の朝市観光とあわせてのご訪問をおすすめいたします。

元祖シラックッ(원조시락국:慶尚南道 統営市 セトキル 12-10 (西湖洞 177-408))

 

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西湖伝統市場から道路を挟んだ南側には、統営の海の玄関口、統営港旅客船ターミナルの大きな建物が建っています。
ここからは、主に統営市に属する離島の数々へ向かう船が発着しています。

 

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時刻表のモニターには午前6時30分から午前9時30分までのわずか3時間に、なんと10便もの出航予定が。市内に40あまりもの有人島を擁する統営ならではの風景です。

 

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そして午前9時30分発の写真のフェリーに乗り、本日の目的地へ向かいます。
いよいよ1年ぶりの島旅の始まりです。

それでは、次回のエントリーヘ続きます。

順天の旅[201908_08] - 韓国出版史を変えた編集者、順天の旅の締めは名物のタックイとクッパで

前回のエントリーの続きです。

本年(2019年)8~9月の全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)市を巡る旅の3日目、2019年8月31日(土)です。

 

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「楽安邑城民俗村」(낙안읍성민속촌:ナガンウプソン・ミンソクチョン)を出て、徒歩で次の目的地へ。
向かったのは、楽安邑城民俗村と隣接する「順天市立プリキプンナム博物館」です。

 

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プリキプンナムとは直訳すると「根の深い木」という意味で、出版ジャーナリストの韓彰璂(한창기:ハン・チャンギ、1936-1997。写真の男性)氏が1976年に創刊した月刊誌『プリキプンナム(뿌리깊은 나무)』の名前から取ったものです。
韓彰璂氏は日帝時代の1936年、博物館や楽安邑城の位置する順天市楽安面(ナガンミョン。面は日本でいう「村」に相当する地方自治体)に隣接する全羅南道宝城(ポソン)郡筏橋邑(ポルギョウプ。邑は日本でいう「町」に相当する地方自治体)で生まれました。光復(日本の敗戦による解放)と朝鮮戦争(韓国戦争、6.25戦争)を経た1954年に順天中学校を卒業し、光州(クァンジュ)高等学校を経てソウル大学校法科大学(日本でいう学部に相当)に入学、1961年に卒業しています。
その後『ブリタニカ百科事典』の内容に感銘を受け、独学で学んだという英語を生かして米国シカゴの本社と交渉、1968年1月に同百科事典の現地法人である韓国ブリタニカを設立。主に駐韓米軍の将兵を相手に百科事典のセールスを展開します。韓彰璂氏はその語学力に加え卓越したセールスの才能を持っており、たちまち本社からもー目置かれるトップセールスマンとなりました。

 

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そんなある日、韓彰璂氏はシカゴ本社に「これまでは英語の本を売ってきたので、これからは韓国のためにお金を使いたい」と韓国語による韓国土着文化を紹介した雑誌の発刊を提案。当初は拒否した本社でしたが、韓彰璂氏の長きにわたる懇願についに折れて発刊を承諾します。1970年4月から発刊されていた韓国ブリタニカの社内報『ぺウムナム』(배움나무:「学びの木」の意。写真1枚目)を発展させ、1976年3月に産声を上げたその雑誌こそがまさに『プリキプンナム』でした。写真2枚目左側、しわの刻まれた手で米粒をすくい上げた写真の表紙がその創刊号です。

 

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『プリキプンナム』のコンセプトは前述したように韓国土着文化の紹介とその美の再発見にあり、その文章には徹底した純ハングルの横書き文という特徴があります。漢字とハングルの混交、縦書きが一般的であった当時のその他の雑誌とはっきり一線を画すものでした。また『プリキプンナム』は韓国で初めて、文字サイズや字間、行間などページレイアウトにまでデザイン性の概念を持ち込んだ雑誌とされています。こうした編集方針、さらに韓彰璂氏の手になる斬新な宣伝広告手法などが広く受け入れられ、やがて発行部数8万冊という韓国を代表する雑誌のひとつにまで成長します。

 

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韓彰璂氏は月刊『プリキプンナム』の約4年の歴史の中で、ただ一度だけ合併号を出したことがあります。
1980年6・7月号がそれで、同年5月18日より当時の全羅南道光州市(現・光州広域市)にて発生した軍による組織的暴力への抗議の意味を込めて、1ヵ月分を休刊したためでした。なお、このときの軍による市民の殺傷行為は、それに抵抗した市民たちによる10日間の抗争とあわせて「5.18民主化運動」あるいは「5.18民衆抗争」と総称されているものです(日本では「光州事件」と呼称)。
そしてその次号となる1980年8月号の発刊直後、全斗換(전두환:チョン・ドゥファン、1931-)ら新軍部政権により『プリキプンナム』を含む172種の定期刊行物が一斉に登録取消となり、強制廃刊へと追い込まれてしまいます。これらの雑誌が「腐敗要因・淫乱・社会不安造成」するものであり、その「浄化」のためという名目でした。

 

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しかし、韓彰璂氏は決して屈することはありませんでした。
『プリキプンナム』廃刊から4年あまりを経た1984年11月には、新たな月刊誌『セミキプンムル』(샘이깊은물:「泉の深い水」の意)を創刊。女性家庭雑誌という触れ込みであり、表紙も創刊号(写真1枚目の右側)を除けば概ね女性の肖像写真となっていますが、実際には『プリキプンナム』とほぼ同コンセプトの雑誌でした。
韓彰璂氏はこの誌面でもまた純ハングルの横書き文にこだわり、韓国の土着文化を紹介してゆきます。『セミキプンムル』はその後、韓彰璂氏の死去を経て2001年11月号まで発刊され続けました。

 

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プリキプンナム博物館の内部に入ります。韓彰璂氏は韓国民俗文化の変遷を示す各時代の民具の著名なコレクターでもあり、その数は実に6,500点にも登るといいます。館内には三国時代から近代に至るまでのそれら民具の数々が所狭しと展示されています。

  

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展示品を少しだけ紹介します。
伽耶(カヤ。3~6世紀の朝鮮半島に存在した国家)時代のものとされるこちらの土器はカモ(韓国語ではオリ(오리))を象ったもので、博物館のチケットなどにもその写真が用いられていました。

 

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こちらは朝鮮時代の「象尊(상준:サンジュン)」といい、その名の通りゾウを象ったもので、祭祀(チェサ)などで用いられたものだそうです。

 

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セミキプンムル』創刊号の表紙になったあの肖像画も展示されていました。
 

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韓彰璂氏は食文化にも強い関心があり、茶葉と茶器、そして飯床器(パンサンギ。膳立てに用いるひと揃いの食器セット)を紹介しました。中でも7種類の菜の膳立てに用いる「セチョッ飯床器」を復活し普及させたことで高い評価を受けています。

 

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雑誌『プリキプンナム』や『セミキプンムル』展示コーナーのパネル。先ほども紹介したこれら雑誌のバックナンバーはすべてガラスケースに収められており、残念ながら雑誌そのものを手に取って閲覧することはできません。元々傷みやすい紙媒体であるうえ発刊から数十年を経過し、特に『プリキプンナム』などは古書市場でも比較的高価で売買されているようですので仕方のないことかもしれません。

 

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韓彰璂氏が『プリキプンナム』に続いて発刊した『韓国の発見(한국의 발견)』。9つの道とソウル、釜山の全11巻からなる人文地理誌です。

 

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韓彰璂氏は雑誌を通じた韓国の土着文化の紹介に留まらず、伝統芸能「パンソリ」の紹介と記録を通じた保存にも注力しました。その公演会を約100回も開催したほか、名唱たちによるパンソリを収録したCDも出版しています。

 

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プリキプンナム博物館の敷地内には、写真の立派な韓屋(ハノク)が1軒建っています。
1922年築というこちらの韓屋は、短簫(タンソ。韓国の伝統楽器である細い縦笛)の奏者であり、韓国の国家無形文化財第83号「求礼郷制チュル風流」の伝承者(日本でいう「人間国宝」に相当)でもあった金茂圭(김무규:キム・ムギュ、1908-1994。号は白耕(ぺッキョン))氏の自宅だった建物です。かつては順天市と隣接する求礼(クレ)郡にあったものを、韓彰璂氏が生前この家屋を見て魅了されたというエピソードにちなみ、2006年に当地へ移築したのだそうです。

 

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余談ですが、実はこちらの韓屋、韓国映画史に残る名作というべき1993年の映画『風の丘を越えて西便制』(原題『서편제』)にも舞台として登場します。パンソリ唱者のユボンとその娘ソンファが滞在したところで、白い韓服を着た老人が舎廊チェ(サランチェ。主人の居間に用いる棟)のヌマル(高殿の板の間。写真の向かって右側の張り出した場所に座ってコムンゴ(琴)を弾き、ユボンが口吟をした場面が撮影されたのが、当時は求礼にあったこの家屋なのだそうです。
訪問当日は韓屋の塀の中に入ることはできませんでしたが、その全体を眺めることはできました。

 

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「順天市立プリキプンナム博物館」の開館時間は午前9時~午後6時(冬期は午後5時)、毎週月曜日と元日、名節(旧正月・秋夕)連休は休館。入館料は大人1,000ウォン(約90円:2019年8月現在。以下同じ)です。
順天駅などからのアクセス方法は前回のエントリーの最後で紹介した楽安邑城民俗村へのそれと同じで、「楽安邑城3.1運動記念公園(낙안읍성 3.1운동 기념공원)」バス停から徒歩約7分(約430m)で到達できます

順天市立プリキプンナム博物館(순천시립 뿌리깊은나무박물관:全羅南道 順天市 坪村3キル 45 (南内里 219)) [HP]

 

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プリキプンナム博物館を出て前回エントリーで紹介した「三・一独立運動紀念塔」まで戻り、<63>番バスで順天市中心部へ戻ります。
順天総合バスターミナル前のバス停で<57>番バスに乗り換え、まず到着したのは夕陽の照礼洞(チョレドン:写真)。この一帯は比較的新しい繁華街で、飲食店が密集しています。
この照礼洞へやって来たのは、順天湾の干潟で90%以上が産出されるという夏の味覚「マッチョゲ」(맛조개:マテガイ)で知られる某店の訪問のため。しかし話を聞くと、すでに今季のマッチョゲの取り扱いは終了したとのこと。マッチョゲの旬は7~8月とされますが、さすがに8月も末になるとシーズンは終わってしまうようです。
残念ですがないものは仕方がないので、来年こそマッチョゲを口にすることを誓いつつ、次の目当てのお店へ向かいます。また順天を再訪すべき理由が増えてしまいました。
<100>番バスに乗って次の目的地へ移動。このような急な予定変更時にも、現在地近くから目的地までの市内バスが容易に見つかり、しかも割とすぐに乗れることが順天の強みです。

 

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そしてやって来たのは「順天湾国家庭園」の西門からも近いお店「コゴベン土種(トジョン)タッスップルグイ」。知名度こそ低いものの、順天の名物料理のひとつに数えられる「タックイ」(닭구이:鶏肉焼き)。その専門店として評判が高く、かねてより目を付けていたお店です。

 

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タックイという料理は全国各地にありますが、順天のそれは前もってカンジャン(韓国醤油)ベースのヤンニョムに漬けておいた鶏肉を炭火で焼く点に特色があります。そのためか、こちらのお店の屋号にもスップル(炭火)の文字が。
注文したのは看板メニューの「土種タッスップルグイ」ハンマリ(1羽)。「土種タッ」というのは日本でいう「地鶏」に相当します。
 

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やって来たタックイ。見るからにうまそうです。じゅるり。
さすが1羽分を名乗るだけあってモモや胸肉はもちろん、手羽先に手羽元、さらにはタットンチッ(砂ずり)にタッパル(モミジ:足の先)まで。なかなかの分量ですが、順天のタックイは以前に別のお店でハンマリを難なく完食した経験があるので、特に心配はしていません。

 

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タックイは店員さんが焼いてくださいます。火力の強い炭火とはいえ厚みのある鶏肉ですので、食べごろに焼けるまでは割と時間を要します。

 

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空っぽのお腹をなだめつつ、あわてずじっくりと火を通してもらってから口の中へ。
うんまい。
パリパリの皮とジューシーなお肉、そしてカンジャンベースのヤンニョムのハーモニー。もうたまりません。箸を握る手も止まりません。そして気づいたらあっという間に完食。部位が異なるとはいえ鶏肉ばかりを食べていると味に飽きてくることがありますが、順天のタックイではそうした経験はまずありません。恐るべしカンジャンヤンニョム。

 

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こちらのお店「コゴベン土種タッスップルグイ」の営業時間は午後3時~午後11時、日曜定休です。
KoraiI「順天」駅からであれば駅正面から道路を渡った「順天駅(순천역)」バス停より市内バス<52>番に乗って9つめの「チナリチェ(진아리채)」バス停(所要約11分)で下車、徒歩約5分(約290m)順天総合バスターミナルからは徒歩約5分(約270m)の位置にある「バスターミナル(버스터미널)」バス停より市内バス<52>番に乗って12番めの「チナリチェ(진아리채)」バス停(所要約16分)で下車、以下同じ
今回私が注文したカンジャンヤンニョムの「土種タッスップルグイ」はハンマリ(1羽分)で43,000ウォン(約3,900円)。辛いソースのメウンマッも同じ値段。味もボリュームも大満足のお店です。

コゴベン土種タッスップルグイ専門店(꼬고뱅 토종닭 숯불구이 전문점:全羅南道 順天市 五泉2キル 18-7 (五泉洞 986-3))

 

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その後はおとなしくホテルに戻り、明けて9月1日(日)の早朝。帰国の日です。
順天はソウル駅からだとKTXでも3時間弱とかなり離れていますが、ちょうどよい時間帯に列車があるため、飛行機の出発時刻の3時間前までであればソウル駅の地下で手荷物預けと出国手続きのできる「ソウル都心空港ターミナル」の利用であっても余裕があります。一般に韓国ではかなり離れていることの多い鉄道駅とバスターミナルが比較的至近距離にあることを含め、順天という街の優位性がここにあります。そんなわけでこの日の朝食も順天で。

 

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これまでに何度も紹介した、順天最大級の在来市場、アレッチャン。「下の市」を意味するこの市場の西側沿いにある道路「長坪路(チャンピョンノ)」沿いには、いくつものクッパのお店が軒を連ねています。

 

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忙しい仕事の合間にも短時間で手軽に食べることができ、特に冬などは冷えた体を暖めてくれるクッパ。韓国の在来市場の商人たちにこれほど愛されている料理は他にないといっても過言ではありません。韓国の在来市場内やその近隣には必ずと言ってよいほどクッパ屋が立地し、お腹をすかせた商人たちを迎えています。同じ順天でも「上の市」であるウッチャンには、建物1階のほぼすべてが十数店ものクッパ屋さんで構成される建物があるほどです(写真。こちらに限り2018年10月撮影)

 

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アレッチャンそばの長坪路沿いには、以前にもこちらのエントリーで紹介した人気店「コンボンクッパ」がありますが、この日は午前6時を過ぎてまもなくで開店準備中だったため、もうひとつの目当てのお店へ。

 

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今回選んだのは24時間営業の「巨木(コモク)スンデクッパ」。以前に韓国SBSテレビで放映されていた番組『ぺク・チョンウォンの3大天王』を通じて知ったお店で、今回が2度目の訪問です。

 

f:id:gashin_shoutan:20190901060425j:plain前回同様、屋号にもなっている名物のスンデクッパを注文。価格は8,000ウォン(約720円)です。

 

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そしてやって来たスンデクッパ。その名の通りスンデがごろごろ入っています。こちらのクッパの特徴は日本のとんこつラーメンに似た味のスープで、これがとてもうんまいのです。スンデなどの具をあらかた食べてご飯を投入すると最後の一滴まで無駄なく、かつおいしく味わうことができます。

 

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スンデクッパの隣にある長方形のお皿に乗ったスンデ盛り合わせ。これはスンデクッパに付いてくるパンチャン(無料の付け合わせのおかず)ではありませんが、私が注文したものでもありません。
料理が出てくる少し前、店内で写真を撮っていたところ、ご主人らしき女性店員さんに話しかけられてきました。SNSで紹介するためと話すとたいそう喜んでくださり、なんとサービスで出てきたものです。これこそがメインのおかずレベルではというボリュームに驚きます。ただただ感謝。そしておなかいっぱい。 

 

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こちらのお店「巨木スンデクッパ」は前述した通り24時間営業、年中無休。
KoraiI「順天」駅からであれば駅正面の「順天駅(순천역)」バス停より市内バス(どの路線でもOK)に乗って2つ先の「アレッチャン(아랫장)」バス停(所要約3分)で下車、徒歩約6分(約390m)全行程徒歩でも約19分(約1.1km)です順天総合バスターミナルからは徒歩約12分(約740m)

巨木スンデクッパ(거목순대국밥:全羅南道 順天市 長坪路 50 (豊徳洞 1265-5))

 

f:id:gashin_shoutan:20190901074105j:plainそして私にとっては定番となった順天駅午前7時42分発のKTXで、およそ60時間ほど滞在した順天を後にするのでした。

 

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これまでのエントリーですでにバレバレかもしれませんが、私にとって順天とはその歴史と文化に強い関心があるほか、ある程度下調べをすることでバスなど公共交通機関を使いこなせるという意味で「旅行力」を鍛えられる街でもあり、また本エントリーシリーズの前半でも紹介した曹渓山(チョゲサン、884mまたは887m)登頂のように新しいチャレンジを始めるにふさわしい、個人的に「特別」な街です。
順天についてはこれまで紹介してきた昨年(2019年)8月の旅の後にも、同年12月の全羅南道莞島(ワンド)郡の旅の帰りがけにも中継地点として立ち寄ることで3ヵ月ぶりに再訪を果たしました。さらに同月末、今度は主目的地として訪問。このときの旅では、これまで紹介してきた8月末の旅で訪問できなかった「順天ドラマ撮影場」(写真1枚目)や夕陽の名所「臥温海辺」(ワオン・ヘビョン。写真2枚目)を訪れ、個人的に初めてとなる韓国での年越しを経たうえで日の出の名所「花浦海辺」(ファポ・ヘビョン。写真3枚目)にて2020年の初日の出を拝んでまいりました。

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ご承知のように、本年に入り日本や韓国を含む世界のニュースは新型コロナウイルス「COVID-19」(韓国では一般に「코로나19」と呼ぶ)関連の話題が席巻しております。検査の進んでいる韓国では大邱(テグ)広域市や慶尚北道キョンサンブット)清道(チョンド)郡を中心に現時点で2千名あまりの感染者が確認されており、本エントリー公開前日(2月28日)には順天でも初の感染者が確認されました。日本のメディアは相変わらず数字だけを見て韓国での感染拡大状況を面白おかしく消費しているようですが、安倍政権の方針により感染の可能性がある人々の検査すら放棄した本邦での状況は一体いかほどでしょうか。私たちの想像をはるかに超えています。
こうした状況を受け、私も本年(2020年)3月に予定していた韓旅を中止しましたが、状況が落ち着いているであろう本年9月の連休前後に予定している旅では、また順天を訪問するつもりです。そのときにまた、アレッチャンにある私の大好きな酒場「61号ミョンテジョン」の名物「チルルッケティギム」(順天湾名産のヤマトオサガニの唐揚げ。写真。2019年12月撮影)ほかうんまい料理の数々を味わいつつ、順天の地マッコリを味わえることを願って。

 

昨年(2019年)8~9月の全羅南道順天市の旅は、今回で終了となります。お読みいただきありがとうございました。
次回からは、昨年2月の全羅南道木浦(モッポ)市の旅(こちらのエントリーの続き)をお送りします。

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